第二話 折れないこころ
キリエがいなくなった作業スペースでツキヒコとミヅキとタイチの三人はソファーに腰をかけてお互いの顔を見合わせていた。自動で温度管理をしている空調の音がやけに大きく響いている。清浄機によって常に綺麗に保たれているはずの空気がくすんでいるように感じられた。
「何かの間違いだと俺は思う」
ツキヒコの言葉にミヅキが反応する。
「その通り」
タイチも続けた。
「なんとかしなくちゃいけないね」
三人の気持ちは同じだった。『今二』の落ちこぼれ集団と言われながらも同じチームとして仕事をしてきた仲間意識が彼らにはある。その仲間からシオが消える想像が出来なかった。それに少し頼りないところはあるが仲間思いのシオが自分たちを裏切っているということを信じたくはないし、信じられないし、信じることができない。
「とりあえず話を整理してみよう」ツキヒコは言った。「シオが拘束された理由はシオがカオスと繋がっているっていう疑惑が理由なわけだけど、第一エリアの連中が繋がっていると思っている相手はシオの父親じゃない。ムロブチ・タイゾウだ。だったら話は簡単だ。シオとムロブチの関係を調べればいい」
「その通り。ルーティンワークみたいに、マニュアル通り動けば問題ない」
うなずくミヅキ。だが、タイチは一人首を傾げて口を開いた。
「シオの父親? どういうこと?」
タイチの言葉にツキヒコとミヅキは顔を見合わせた。そう言えば、と二人はうなずき合う。
タイチはシオの父親がカオスのリーダーであることを知らないのだ。ツキヒコとミヅキがその秘密を知っているのは、ミヅキが元々知っていた情報をツキヒコに伝えたからであり、その結果を第二エリアの仲間全員で共有しているわけではなかった。そのことを失念していたツキヒコは、一度躊躇しながらもシオの父親がどのような人物なのかを説明した。
「へー。そうだったんだ」意外にも、タイチはさほど驚いた様子は見せなかった。その理由は単純だ。「まあ、父親がテロリストだからと言って、娘もテロリストだとは限らないからね。むしろぼくはテロリストである父親を憎んでいる娘っていうほうがしっくりくるよ」
ツキヒコはそんなタイチの反応に胸をなでおろした。シオの父親の正体を知ってタイチのシオを思う気持ちが変化してしまうことを懸念していたのだ。それはかつてその事実を知った自分がシオへの思いを変化させてしまったが故である。だが、タイチはかつての自分のような反応を見せなかった。その姿を見てツキヒコは自分の未熟さを痛感してしまう。
「タイチ。俺は尊敬する人物を一人あげろと言われたらお前の名前を出すよ」
「え? どういうこと? ちょっと気持ち悪いんだけど」
「たしかに気持ち悪い」ミヅキが続く。「だけど、それがいい。一部の女子たちにとっては」
ミヅキの言葉にツキヒコは眉を寄せて言う。
「一部の女子って何だ?」
「世の中には人の数だけ趣味嗜好がある。理解出来ないからと言って、認めないわけにはいかない」
ツキヒコはよくわからないという表情を浮かべた。二人のやり取りを見て、タイチは口元を緩めてにやにやとしている。
「まあくだらない話は置いておいて、まずはシオとムロブチ二人の関係を洗ってみよう。信じるためには疑わなくちゃいけない場合もあるしね」タイチが言う。「一応、シオはムロブチの顧客だったわけだから面識はあるだろうけど、個人的な電話番号を交換するほどの仲なのかどうかは調べてみる必要がありそうだね。二人の過去や人間関係から何か出てくるかもしれない。親兄弟同士が知り合い。あるいは、友人、知人の知り合いとかね」
「何も出てこないといいんだけどな」
そう言ったツキヒコははっとしてソファーから立ち上がろうとしたタイチを止めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。なんかおかしくないか?」
ツキヒコが違和感を覚えたのは突然だった。それはとても抽象的なものだった。霧の一部分に気味の悪い色が混ざっている感じだ。だが、思考を重ねて具体的にしていくことで違和感の正体がつかめてくる。ツキヒコの頭の中に浮かんだのはサカエの言葉だった。
常に思考を止めるな。目の前で起きている事象を脳死状態で受け入れる人間にだけはならないでくれ。
「どうしたの?」
問い返すタイチにツキヒコは言う。
「さっき、キリエちゃんはシオが複数回ムロブチに連絡をしていたって言ってたよな? それっておかしくないか? これからがさ入れが入るって危険を知らせるだけだったら何回も連絡をしなくていいだろ。一回で充分だ」
「たしかにね」タイチがうなずく。
「なんでシオは何回もムロブチに連絡をしたんだ? 仮に二人の間には親密な関係があって内容はプライベートな話題だったとしても、深夜の仕事中に何度も電話をかけるか?」
ムロブチが昼夜逆転の生活を送っている可能性はあるが、それは限りなく低い。なぜなら彼はチョコレートの専門店を経営しているのだ。深夜にチョコレートを求める客は常識的に考えてほとんどいないだろうし、もしも深夜にチョコレートをくれと頼んでいる客がいるとしたら、そいつが求めているチョコレートは文字通りのチョコレートではなく、チョコレートという隠語を使った別のものだ。
「連絡をしたつもりなんてないのかもしれない」
ツキヒコはぽつりと呟いた。
「どういうこと?」
疑問の表情を浮かべるタイチにミヅキは言う。
「やりたくなくてもやってしまう。気づかないうちに何かが動いてしまう。それは決して珍しいことじゃない。人は自分の意志の力だけで動いているわけじゃない」
ミヅキのその言葉にツキヒコは口元を緩めた。
「だよな。俺もそう思っていたんだ」
「なるほど。そういうことね」
タイチも二人の考えを理解した。
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