第一話 魔の手
遊びの時間は終わり。
そう告げてカオスと敵対する意思を固めたオクトーバー・フェストと別れたツキヒコとミヅキは、
第二エリアのエージェントたちに与えられた作業スペースに足を踏み入れると、シオとタイチの二人がツキヒコとミヅキに目を向けてきた。ただいま、と言葉を漏らすツキヒコに、シオとタイチはおかえりと優しい声を出す。お互いにこれ以上、どう言葉を紡げばいいのかわからない様子だった。ツキヒコが作業スペースの扉を閉めると、部屋の中央に設けられたソファーに座って資料に目を通していたシオが近づいて来る。
「その、残念だったわね」
ツキヒコとミヅキは第二エリアのリーダーであるシオに先ほど高層マンションで起きた出来事をすでに報告している。高層マンションにはツキヒコの妹であるミユと姉のサイカの姿はなかったこと、敵に騙されたオクトーバー・フェストが本気で二人の行方を調査してくれることになったことを、だ。故に、シオは二人を気遣うようにこう述べてくる。
「大丈夫よ。あの場所にいた男から何か情報を聞き出せるはずだわ。それにオクトーバー・フェストさんが本気を出してくれるんでしょ? だったらミユちゃんとサイカさんが見つかるのは時間の問題よ」
「そうだな。ありがとう」
そう述べたツキヒコはソファーに腰を下ろして天井を見上げた。シオが自分を元気づけようとしてくれているのはわかっている。だからこそ、それが気休めにしかならないとわかっていても感謝の気持ちを述べなくてはならないと思った。
「ねえ、二人とも。何か食べない? ここに招集されてからまともなものを食べてないでしょ」
雰囲気の一新を図ろうとしたのだろう。明るい声を出し、笑顔を見せるシオ。それにいち早く反応したのはパソコンを眺めていたタイチだった。
「いいね。満腹だと頭が働かないっていうけど、空腹でも同じでしょ。重要なのは中庸ってことだね。さてと、それじゃ僕はかつ丼でも食べようかな。定番だけど、敵にカツってね」
タイチの選択にミヅキが重い息を吐く。
「ただいま、午前六時。かつ丼を食べるような時間じゃない。でも――」一度言葉を切ってからミヅキは言う。「だからこそ食べてみるのはいいかもしれない。朝にかつ丼を食べるとういうこの好機、逃したら後悔待ったなし」
「だよね」タイチはニコリと笑う。「シオはどうする?」
「わ、わたしっ?」
話を振られたシオは明らかにかつ丼を食べたいようには見えなかった。食事をしようと言い出した張本人だが、彼女自身は朝食の定番であるパンや焼き魚定食などを想像していたのだのだろう。しかし、
「い、いいわね。かつ丼。悪くないかもしれない」
この場の雰囲気的にそう言わざるをえない。満足そうにうなずいたタイチはツキヒコに顔を向けた。
「ツキヒコはどうする?」
「普通、かつ丼はないだろ……朝食だぞ? もたれちゃうだろ、胃が」
「うわー。普通とか言っちゃったよ」タイチは大げさにため息をついた。「普通っていうのはつまり大多数の意見や平均ってことだよね。マジョリティってやつ。そういうのに縛られちゃうのはエージェントとしてどうなのかな」
「たしかにその通り」ミヅキが言う。「当たり前の考えしか出来ない人間に面白いやつはいない。人は当たり前のことよりも面白いことに心が魅かれる。そう思うでしょ、シオ」
「え、あ、う、うん。そうね。その通りよ」
タイチとミヅキとシオの三人がツキヒコの口から出てくる言葉を待っている。期待している言葉は一つしかない。もちろんツキヒコにはそれがわかっている。
「わ、わかったよ。俺もかつ丼でいいよ」
「かつ丼でいい?」
ミヅキの無言の威圧に押されて、ツキヒコは言葉を言い直した。
「かつ丼がいいです」
ツキヒコのその言葉に活気づいた面々は出前を取ろうとした。だが、朝が早すぎるため断念。しかたなくコンビニへ向うことにする。
誰か買いに行くのかを決めるためにじゃんけんをしようとしたとき、唐突に作業部屋の扉が開いた。第二エリアのエージェント全員の視線を一身に受けたのは第一エリアのエージェントであるトウシロウ・マキだった。彼の斜め後ろにはキリエ・マエカワの姿も見える。トウシロウは第二エリアのエージェント全員をゆっくりと見回した。第二エリアのエージェントの誰もが個人的に恨みのあるツキヒコに嫌味でも言うのだろうと思っていた。しかし、実際に彼が口にした言葉は次のものだった。
「――シオ・カワスミ。お前を拘束する」
予想外の宣告に第二エリアのエージェントたちは呆然と立ち尽くしてしまう。シオが拘束。まるで意味がわからない。
「どういうことだよ?」
詰め寄るツキヒコにトウシロウは不遜な態度で言う。
「言葉通りの意味だっての。その女を拘束すんだよ」
「理由は何なんだよ?」
「こいつは裏切り者なんだよ。そんなやつを野放しにしておけるわけねーだろ」
トウシロウの背後から数人のエージェント補佐員が作業スペースに入ってきて、ぐるりとシオの周りを取り囲んだ。
「ちょっと待てよ」
シオを取り囲んだ補佐員たちをどけようとするツキヒコ。それを止めたのはシオだった。
「大丈夫。とりあえず言うことを聞いて」
「シオ……」
騒ぎを大きくしたくはないのだろう。補佐員たちに大人しく連れて行かれるシオ。その様子をツキヒコたち第二エリアのエージェントたちは黙って見送ることしか出来なかった。そんな第二エリアのエージェントたちにトウシロウは言う。
「お前らが動くのは勝手だが、今回みたいに俺たちの邪魔だけはすんなよな。『今二』の落ちこぼれ集団らしく猫の捜索レベルのことでもしてりゃいいんだよ」
最後に勝ち誇ったような笑みを浮かべたトウシロウは軽く手を振りながら作業スペースを出て行った。トウシロウと補佐員たちがいなくなった後、最後まで作業スペースに残っていたキリエ・マエカワにツキヒコは訊ねる。
「どういうことなの?」
「え、えっと……」キリエは言いにくそうに言った。「その、シオさんがカオスと繋がっている可能性が出てきたんです」
カオスのリーダーであるタケシ・カワスミはシオの父親である。一部の上層部のみが知る極秘事項だが、それが露見してしまったのだろうか。ツキヒコのこころに不安がよぎる。だが、キリエの口がもたらした情報はツキヒコの懸念とはまったく別のものだった。
「わたしとトウシロウさんは警察に行ってムロブチ・タイゾウの遺体と遺留品を調べさせてもらったんですけど、ムロブチが持っていた携帯の着信履歴にシオさんの携帯番号があって……。わたしたちがムロブチの店に行ったときに逃げられてしまったのも、シオさんから連絡があったからだという可能性があるんです」
「シオから着信?」
「はい」うなずくキリエ。「しかも昨日の夜から複数回」
シオとムロブチが何度も連絡を取り合っている。その情報はツキヒコを激しく混乱させた。裏切り者はやはりシオなのだろうか。一度は信じようと決めたツキヒコの思いがぐらついてしまう。だが、それは一瞬の出来事だ。すぐにシオを信じる気持ちが疑う気持ちをはじき出す。何かの間違いだとしか思えない。シオの無実を証明する。ツキヒコの中に強い気持ちが生まれていた。
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