第七話 オクトーバー・フェスト

 突然現れたオクトーバー・フェストの姿にツキヒコとガクトはしばらく言葉を発することが出来なかった。予想外だったのだ。深淵の世界では名前を知らない人間はいないというフリーの諜報員がまだ大学生くらいの女だと誰が想像できるだろうか。


「どうしたんですか、お二人さん。わたしが可憐過ぎて驚いちゃったんですか? まあ、その気持ちはわからなくもないですけど、とりあえずわたしの綺麗な顔を狙っているミスターベレッタをおろしてはくれませんか? 落ち着いて話が出来ませんよ。まさか、お二人は銃を向けていないと女の子とお話が出来ない種類の人間ですか?」


 十分落ち着いているじゃないか、と思いながらツキヒコは銃をおろした。ガクトも銃をおろす。彼女が本物のオクトーバー・フェストであると確認出来たわけではないが、メモリーカードの件を知っているということが彼女が限りなく本物であるということを示していると二人は判断した。二人はメモリーカードのことを一言も口にしていないのだから。

 ガクトが言う。


「どうして我々があなたに会いに来ることを知っていたのか教えて欲しい」


 そうですね、と少し考える仕草を見せてからオクトーバー・フェストは言う。


「それは秘密です。まだ、あなたたちを信用しているわけではありませんから。もしかしたらあなたたちのどちらか、あるいは両方が裏切り者かもしれませんし」


 裏切り者。その言葉に目を見開いたのはツキヒコだった。やはり、オクトーバー・フェストはミマサカ機関内にいる裏切り者について何らかの情報を持っているのだ。ツキヒコはそのことを問いただしたかった。だが、湧き上がってくる気持ちを必死に抑え込む。ガクトが裏切り者である可能性がある以上、迂闊に自分が裏切り者の調査をしているとは言えない。


 そんなことを考えていたツキヒコは自分に向けられている視線を感じた。ツキヒコは向けられている視線を自分の瞳で迎え入れる。視線の主はオクトーバー・フェストだった。それは迎え入れる前からわかっていた。彼女の瞳はまるで小学生に問題を出す先生のように答を知っているように見えた。ツキヒコは何も言えなかった。視線をオクトーバー・フェストの首元に移すことしか出来なかった。


「あなたは我々の質問に答える気がないということか?」


 口を開いたのはガクトだった。事務的な口調だがわずかに苛立ちが混じっているようにツキヒコは感じた。そんなガクトの様子を気にするそぶりを見せずにオクトーバー・フェストは言う。


「何も答えないと言うわけではありません。殿方がわたしに会うためにわざわざこんな火薬臭いところまでご足労頂いたわけですし。答えられることは答えますよ。ええ」

「なるほど。たしかに先ほどの質問は相手が裏切り者であった場合、伝えてはいけない情報だな」

「さすが第一エリアのリーダーさん。理解が早くて助かります」


 二人は視線を合わせたまま黙ってしまった。ツキヒコも口を開くことが出来ない。ガクトとオクトーバー・フェストはお互いの腹を探っている状況だった。席は二人の思惑で満席だ。そこにツキヒコが入り込むスペースはなかった。先にを開いたのはガクトだった。


「あなたは人質にされていたのか? それとも捕まらずにどこかに隠れていたのか?」

「人質にされていましたよ。ええ」オクトーバー・フェストは言う。「ただ、人質にされていたのはほんの十五分くらいです。あなたたちが来るまで人質として待っていようかと思ったんですけど、あまりにもわたしを襲ってきた連中の話がつまらなかったので人質を辞めちゃったんですよ。話が面白ければ、あなたたちを裏切ってあちら側についてもよかったんですけどね。そういう結末には至りませんでした。よかったですね。敵が無知蒙昧なつまらない人間で。地球を半周するような航海には絶対に連れて行きたくはないタイプでしたよ。ええ」


 交渉さえまとまればどんな仕事でも引き受ける。それがオクトーバー・フェストという諜報員。どうやらミヅキが言っていた話に間違いはないらしい。ツキヒコたちが自分に会いに来ることを知っていながら直前まで裏切ることを考えていたのだから。そんな感想を抱きながらツキヒコが口を開く。


「人質を辞めたってどういうことですか?」

「それはご想像にお任せします。ええ。ただ、初体験の思い出のように秘密にしてこころの引き出しにしまっておきたいというものでもありません。もしも確かめたいのなら、そこの部屋を覗いてみてください。答えがわかりますよ。ええ」


 オクトーバー・フェストが視線を向ける先には、半壊した扉が枯れ木の葉みたいに垂れている部屋があった。確認して来い、というガクトの目の合図を受けて、ツキヒコは部屋を覗きに行った。照明が消えている暗い部屋にツキヒコは持ってきていたライトの光を照らす。部屋の中にはパイプ椅子が置いてあり、パイプ椅子には一人の人間が座っていた。声をかけることはしない。両手をだらりと垂らした状態で座っている人間の顔には段ボール箱が被されていて、胸にはナイフが突き刺さっている。


「正当防衛ですよ。ええ」オクトーバー・フェストは言った。「その人はわたしの見張り役だったんですけど、その部屋で二人きりになった途端、急に襲い掛かってきたんですよ。だから、わたしは自分の身を必死に守ったと言うわけです。あちょー、って感じで。わたしのきめ細やかな柔肌に触れたいという欲求を満たしたいのなら、もう少し賢くなる必要がありましたね。イソップ寓話の一つさえ知らない人間にわたしが懐柔されるはずがありませんよ。ええ」


 彼女は嘘を言っているようには思えなかった。だが、別に嘘でもいいとツキヒコは思っている。結局、真実などどうでもいいのだ。ツキヒコは警察ではないのだから目の前にある死体が出来あがるまでの経緯に興味はなかった。むしろ、興味があるのはオクトーバー・フェストの戦闘能力だ。見た感じ、段ボール箱を被ってパイプ椅子に座っている男の体躯はおよそ二メートル。そんな大男をたった一六〇センチくらいの女が殺したのだ。普通の動きをしたとは思ない。


「どうして段ボールを?」


 ツキヒコの問いに、オクトーバー・フェストは答える。


「わたしはネクロフィリアではありませんから。普通に、死体の顔なんて見たくないんですよ。ええ」


 まるでどこにでもいる普通の女の子のように微笑む。この表情を見せられてしまったせいで、彼女を監視していた男は油断してしまったのかもしれないとツキヒコは感じた。


「見張り役、と言ったな」ガクトが言う。「ということは、敵はまだいるのか?」


 オクトーバー・フェストはうなずく。


「ええ。わたしが知る限り、あと三十人ほど。ですから、助かりました。わたしを無事ここから脱出させてくれそうな人が来てくれて。見た目通りわたしはか弱き乙女ですから。三人殺すのは問題ありませんが、三十人殺すのはこころが痛みます。さあ、行きましょう。追手が来るのが時間の問題かどうかはわかりませんけど、相手が追ってくる前に逃げられるのならそれを選ばない理由はないでしょう」


 ツキヒコとガクトの返事を待たずに階段へと歩き出してしまうオクトーバー・フェスト。背後を警戒していてくれ。ツキヒコにそう告げたガクトがオクトーバー・フェストを追う。しんがりを務めることになったツキヒコは言われた通り背後を警戒しながら二人について行く。このまま何も起きなければいい。そう願いながら。

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