第13話
気がつくと会社のソファーに寝かされていた。
「私……」
「もう少し横になってなさい」
課長が優しく声をかけてくれた。
あのとき――真っ青な顔をして会社を飛び出した私を不審に思い、同僚の中川が後を追ってきてくれていたらしい。川岸で気を失った私を見つけ、ここまで運んでくれたようだ。
「すみません……私……母が――」
次の言葉が出てこない。
「いや、何も言わなくていい。事情はこちらの刑事さんから聞いたよ。大変だったね。さてと、君の好きなコーヒーでも買ってこようかね」
そう言って課長は部屋から出て行った。その不器用な心遣いがとても嬉しかった。
そうして部屋には私と、姉の捜査をお願いしていた刑事の二人が残った。
「このたびはまた……お悔やみ申しあげます」
「…………」
なんと答えていいのか分からず、私は黙って頭を下げた。
「まだ確定ではないけれど、お母さんはほぼ自殺と断定されたよ。お姉さんのことがよほどショックだったんだろうね」
自殺……
「遺書はまだ見つかってないんだ。ただ、外傷がないことと靴が揃えて置いてあったことから、まあ間違いないだろう。君には辛いだろうけど」
自殺……私をおいて……
「それから、手にはお姉さんと同じように桜の枝が握られていたよ」
「そう……ですか」
今朝電話で話したばかりなのに、もう母の声を聞くこともできない。
少しだけ早口な母の喋り方、優しく私の名を呼ぶ声。
お母さん
お母さんに会いたい
もう一度私の名前を呼んでもらいたい
そう思った瞬間、堰を切ったように涙が溢れてきた。
ずっと我慢してきた涙が、溢れ出して止まらない。
私は声を上げて子どものように泣きじゃくった。
その間、刑事はこちらを見ないように気遣い、窓の外を見てくれていた。
「……すみません。もう大丈夫です」
時間にしたらほんの数分だろうか。思い切り泣いて泣き止んだ私は、すっかり落ち着いていた。ソファーから起きて座り直し、背筋を伸ばした。
「ここからはあの公園の桜がよく見えるんだね。ところで、少し立ち入ったことを聞くけど――君のお父さんはどちらに?」
父親がどこにいるのかなんて考えたこともないし、知りたくもない。
「父は私が小学二年の時に出て行って、それきりです。どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかさえも分かりません」
「そうなのか。いや、知らせない訳にはいかないだろうと思ったんだが……」
少し困った様子を見せる。
「お姉さんが亡くなったときは、どうだったんだろうか。お母さんは連絡したのかな」
「さあ、特にしてないんじゃないでしょうか。何も聞いてませんし」
事実、母からは何も聞いていないし、自分で判断して動ける状態ではなかったように思う。
「そうか。それならお父さんと連絡を取るのは難しいだろうな」
「そうですね。連絡する手段が思い当たりません」
「そうか……」
刑事が考え込むようにつぶやいた。
「――っと、お邪魔しますよ。どうかな? 落ち着いたかな?」
絶妙なタイミングで課長がコーヒーを手に戻ってきた。それを見て、「それでは、私はこれで。また何か分かったら連絡するから。気を落とさないようにね」と、慰めを言いながら刑事は帰って行った。
「大丈夫かな? これからお母さんの葬儀なんかもあるだろうから、少しまとまった休みを取ったらどうかね? いや、仕事なら家に持ち帰ってもできるだろうし」
「家に……ですか……はぁ」
こんなときでも、私の代わりに誰も仕事を引き受けてくれない会社。私は小さく吹き出してしまった。
思えば、私が笑ったのはこの時が最後だったのかもしれない。
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