黒い影

淋漓堂

第1話


 ――あれ?

 私……なんでこんなところにいるの?

 なんでこんなところに座ってるんだろ

 あ……何か思い出せそうな

 たしか……あれは――



「夏美、運転免許ゴールドなんだって?」

「そうよ! いつもニコニコ安全運転よ」

「……訳分かんない。まっ、運がいいんだね」

「だから、安全運転なんだってば!」

 昼休みに会社の同僚の久美とランチを食べに、近くの喫茶店へ行った。

「そういえばさ」

 久美は熱々のカレードリアを口に運びながら、器用に話す。

「なあに?」

「こんな話、聞いたことある?」

「……どんな話?」

 私は猫舌なので、できれば食べることに専念したいのだが、久美と一緒だとそうはいかない。

「ほら、交差点の手前とか道路の脇に突っ込んで事故してるのって、結構多いじゃない?」

「うん。見晴らしも悪くないし、何でもないところで突っ込んでたりするよね」

「そうそう! それで、そういうのって大抵は一人相撲なのよね」

「ああ、たしかに。対向車に突っ込んでとかじゃないよね。それにしても久美……しゃべりながら食べるの早いよね」

「夏美が不器用なのよ」

 すっかり食べ終えて、アイスコーヒーを頼む久美。私の倍はしゃべっているのに、私の倍食べるのが早い。

「時間はあるからゆっくり食べて。でね、そんな時は呼ばれてるんだって」

「ありがと。呼ばれてる? 誰に?」

「なんだかよく分からない黒い影に……」

「何それ?」

 ようやく食べ終えて、私もアイスコーヒーを頼んだ。

「そんな時は、道端に黒い影がうずくまってるのが見えるんだって」

「えっ?」

 思わず窓から見える交差点に目を向けた。

「それで、その影が手招きするんだって。おいで、おいでって……」

「冗談でしょ?」

 久美は真顔で続ける。

「それで、その黒い影っていうのは、その場所で事故死した人の霊なんだって」

「えっ……ちょっと、やめてよ」

 なんだか気味が悪くなってきた。

「誰にでも見えるわけじゃないらしいのね。知り合いだった人とか、たまたま波長の合う人にだけ見えるらしいのよ」

「ちょっと……それ本当なの?」

「うん。でね、手招きして呼ぶでしょ? それでその呼ばれた人が、黒い影めがけて突っ込んで事故するらしいの」

「…………」

 私は相槌を打つのも忘れて聞いていた。

「その事故で死んだら今度はその人が黒い影になって、呼んだ影のほうはそれで成仏できるんだって。で、また新しい黒い影が次の人を呼ぶの」

「……それ誰に聞いたの?」

「誰だったかな。でも怖いでしょ?」

 そこまで聞いて、私は安心してアイスコーヒーを飲み干した。

「怖くなんかないわよ。だって、死ななきゃ交代しないってことは、死んだ人にしかその黒い影が交代するなんて分からないじゃない? たとえ黒い影見て事故しても、助かったらどうもないわけだし。作り話でしょ」

「それが、黒い影を見た人は確実に死ぬんだって……」

「それならなおさらよ。死人がしゃべるわけないしね」 

 私は笑った。

「夏美はホントおもしろくないんだから!」

 久美が頬を膨らませる。

「冷静と言って欲しいわ。そろそろ戻りましょ」

 交差点を渡ってもなお、ぶつぶつ言っている久美を笑いながら会社に戻った――その日の帰り道だった。

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