やっぱり、私が勇者じゃ不安ですか?
那由汰
プロローグ.『とあるアラサー女のエピローグ』
はてさて、私の人生は一体どの辺りから狂い始めたのだろう?
現在、私の年齢は27歳以上33歳以下……つまり、世で言うところのアラサーだ。
容姿は至って標準、可もなく不可もなく。
ブスではない……と思いたいが、美人には遠く及ばない。
父親はサラリーマン、母親は医療事務員。
そんな二人の間に私と3歳年下の弟、合計で4人の実にスタンダードな核家族に生まれた。
幼少期の将来の夢は、確か「お嫁さん」と「お花屋さん」だった。
しかし、そんな実に女の子らしい夢も中学生の頃には捨てていた。
私はそこそこの進学率を誇る私立高校を受験し、そのままエスカレーター式に大学へと進学した。
思えば、あの辺りから色々と歪が生じていたのかもしれない。
3年生までに適当にいくつかの資格を取り、4年次には卒業論文を書きながら合計100社は下らない大手企業の面接を次々と受けたが、就職氷河期と見事に重なりどれも失敗に終わった。
結果、どの会社からも新卒採用されることなく、大学を卒業した。
その後、現在に至るまでバイトや派遣社員として働く事で、細々と食つないで来た。
ニートだけは、私のプライドが許さなかった。
「いつになったら正規雇用されるの? 就職できないなら、早く結婚してお嫁に行って頂戴」と私の顔を見れば、そうぼやく両親。
大手企業に一発採用され、家で我が物顔をする勝ち組の弟。
3人と顔を合わせる毎日に嫌気が差して、実家を出た。
そして今回も、何の前触れも無く渡された解雇通知によって、つい先程無職になった。
今の会社で3年間働けば、正社員になれると言われていた。
正社員達が定時で帰宅するのを横目に、サービス残業する毎日。
口ばっかりで働かない御局様からの嫌がらせに耐える日々。
口を開けば、セクハラしか言わないハゲ親父の上司に笑顔でお茶を出す日々。
服用する胃薬の量だけが着々と増えていった。
私の3年間を返せ! と怒鳴り散らしてやりたかった。
無駄な時間をあの会社で過ごしてしまった。
正規採用する気がないと知っていれば、さっさと転職していた。
こんな私の今までの人生だが、悪い事ばかりではない。
この会社に就職した1年後、独身貴族街道まっしぐらだった私に初めて恋人が出来た。
相手は同じ部署の2歳年下の正社員。
真面目で仕事熱心、上司や後輩からの信頼も熱い絵に描いた様な好青年。
そんな彼から突然告白された時は何かの間違いではないかと思った。
彼の存在こそ、この会社を辞めなかった大きな理由だった。
それなのに……。
そ れ な の に ……。
雷と風、横なぶりの雨が吹き荒ぶ、ゲリラ豪雨の昼下がり。
そんな悪天候の中を私は傘も差さず、スマホを片手にただ黙々と目的地へと足を動かしていた。
会社のエントランスに設置された傘置きに置いておいたはずのブランド物の傘は誰かにパクられていた。
いつもの私だったら、パクった奴を一生許さないだろう。
全身ずぶ濡れ、セットしてきた髪も強風でボサボサに乱れている。
毎朝、早起きしてバッチリ決める若作りメイクも激しい雨で溶け落ちている。
すれ違う通行人の目には、今の私は化け物にしか見えないだろう。
でも、そんな事はどうでもいい。
今の私にとっては、あれもこれもどうでもいい事だ。
それくらい、今の私は怒りで我を忘れている。
誰かが話しかけてきたら、そいつを素手で殴り殺せるレベルで私はキレている。
元々少なかった職場の荷物を整理して、退社しようとする私の前にお局様が立ち塞がった。
辞める時まで、嫌味を言われるのかと身構えた。ため息を無理やり飲み込む。
そんな私を腕を組んで、上から下までジロジロ見ていたお局様は、フンと鼻で笑った。
「な、なんですか? 退職の挨拶周りならもう……」
「こーんな貧乏臭くて、魅力皆無の女じゃ、捨てられるのも当然ねぇ」
「え?」
「アンタの彼氏さん、今日有給取ってるでしょ? その理由、アンタ知ってるの?」
お局様は、ズカズカと歩み寄って来て、私の顔を無遠慮に覗き込んだ。
うぇ、くっさ……香水つけ過ぎだろ、このオバさん。
顔をしかめたいのを必死に我慢しながら、勤めて笑顔を保つ。
「彼が有給を取るのが、先輩と何の関係があるんですか?」
「今頃、アンタの彼氏は他の女と会ってるわよぉ? しかも、自宅デート!」
「……はぁ?」
言っている意味が分からない。
それは……彼が浮気をしてるって言いたいの? 嘘だ、彼はそんな人じゃない。
彼はとても誠実な人で、私と本気で結婚したいと言ってくれた。
つい2日前には、彼の両親に私を紹介して、婚約指輪までプレゼントしてくれた。
ポカンとした顔をする私を、お局様は手を叩きながらゲラゲラ笑った。
下衆な笑い方だ。
その厚化粧の顔のど真ん中に拳をお見舞いしたい。
「この事ねぇ、部署の皆が知ってるのよー。知らないお馬鹿さんは、アンタだけ! あーあ、お熱上げてたのに、捨てられちゃって可哀想ねぇー?」
その後、お局様とどう分かれたのか、手にしていた荷物を何処に置いて来たのかも覚えていない。
気が付くと、会社を飛び出し、彼の住むマンションに独りでに足が向かっていた。
彼のマンションは、私の住むボロアパートとは違って、一等地に立つ高級マンションだ。
玄関が暗証番号を入力して開くオートロック式のため、当たり前だが暗証番号を知っていないと入れない。
何故入れないのか、私はこのマンションの暗証番号を知らないのだ。
彼に教えてもらっていない。
一瞬、不安が過ぎった。
そんなこと無い、彼はそんな人じゃない。私に嘘をつくわけ無い。
何度、彼のスマホにコールしても出てくれないのは、きっと疲れて寝てるからだ。
この目で真実を確かめるまで、彼が浮気してるなんて絶対信じない。
彼がマンションから出てくるまで、待っていればいい。
激しい雨の中、私は待った――。
冷静に考えれば、この行為は変質者か、ストーカーにしか見えない。
恋は盲目と言うが、年齢と彼氏いない暦がイコールの独身貴族女に、彼氏が出来るとこうなるみたいだ。
そして、運命の瞬間が訪れた。
「ッ!?」
彼がマンションから出てきた。
隣にブレザーを来た黒髪の綺麗な女子高生を連れて――。
一瞬、彼の妹かと思ったが、彼に妹がいるなんて聞いた事が無い。
それにいくら仲の良い兄弟でも、腕を組んで歩いたりするだろうか?
私は、マンション前の通りを挟んだ反対側、自販機の陰から2人をじっと観察した。
私の存在には気付いていない。
2人は二言三言、会話した後、人通りがないのを言い事に熱いキスを交わした。
あんな濃厚なキス、私とは一度だってしてくれなかった。
その後、何がおかしいのか、見詰め合って2人は微笑みあっていた。
ああ、何と言う事だ。
お局様が言っていた通り、彼は浮気をしていた。
しかも、10歳以上年下の女子高校生と……だ。
私は彼に騙された? 一体、いつから?
でも、婚約指輪をくれたし、ご両親にも紹介してくれた。
どうして……?
いても立ってもいられなくなった私は、自動販売機の陰から飛び出した。
相合傘で、エントランスから出ようとしている2人の前に、私は両手を広げて立ち塞がる。
「待って、その娘は誰なの!?」
「なッ!? お前、どうして、ここに?」
私を見た彼が、驚いた顔をしている。
隣にいる女子高校生が、びしょ濡れの私を見て「ヒッ」と短い悲鳴を上げて、彼にしがみ付いた。
セミロングの黒髪に、少し垂れ目気味、ハリのある白い肌、儚げな雰囲気を全身に纏った可愛らしい女の子だ。
私とは正反対、無条件で守ってあげたくなってしまいそうな存在だ。
でも彼の隣は貴女の居場所じゃない、そこは私がいるべき場所なの。
だから、今すぐ退いてよ。
「ねぇ、どうして? 何で黙ってるの? ちゃんと説明し……」
「この女の人、誰なの? 知ってる人?」
「い、いや……知らない、全然知らない人。今、初めて会った」
女子高校生も不審に思ったのか、彼に私の事を尋ねた。
彼は、即行で私の事を「知らない人」だと否定した。
ちょっと、待って……。
私は、貴女の彼女だよ? それを知らない人? 初めて会ったって、何を言ってるの?
彼女云々はともかく、会った事無いワケないでしょ。私達、会社の上司と部下なんだよ?
私は怒りを通り越して、放心状態だ。
「そう……なの? でも、この人、びしょ濡れだし……私、タオル取って来た方がいいよね? じゃないと、風邪引いちゃう」
「あ? そんな事しなくていいんだよ。それより、早くメシ食いに行くぞ」
「で、でも!」
一方、彼の背に隠れる女子高校生は怖がりながらも、私の心配をしてくれた。
何この娘、優しい……聖母様かな?
いや、今はそんな事はどうでもいい。私は、彼の弁解をまだ聞いていない。
私を避けて、女子高校生の肩を抱いて足早にその場を去ろうとした。
「待ってって言ってるでしょ! どういう事なのか、ちゃんと説明してよ!!」
「あーあーあーッ! 本当にうるさい女だなッ!」
詰め寄る私に、彼が怒鳴った。
彼が怒鳴るのも、私を見る冷たい視線を浴びせるのも初めてだ。
彼は「邪魔だ」と低く呟いて、乱暴に私を突き飛ばした。
突き飛ばされて、よろめいた私に女子高校生が「あ!」と一声挙げて手を差し伸べた。
そんな女子高校生の腕を彼が掴んで、強引に引き下がらせる。
女子高校生は、腕を掴まれた痛みで苦悶の表情を浮かべていた。
「お前は関係ないんだから、そこで大人しくしてろ。いいな!?」
「……はい」
彼が見たことも無い恐ろしい形相で、女子高校生に命令する。
すっかり、怯えて萎縮してしまった女子高校生は黙って引き下がった。
私を心配してくれて咄嗟に取った行動なのに、いくらなんでも酷すぎる。
「どうしてなの? 私、貴方に何かした?」
「何でじゃねーよ! この状況見てもまだ分かんねーのか? うるせぇ上に頭の悪い女だな、そんなんだから万年派遣社員のままなんだよ!」
「酷い……私の事、そんな風に思ってたの? だって! この前、婚約指輪もくれたし、ご両親にも消紹介してくれて……」
「お前は俺に利用されてたんだよ! 俺の本当の恋人はこの娘だから、分かるか? この前のは、結婚しろってうるさい両親を黙らせるための演技だったんだよ」
利用されていた――。
何で気が付かなかったんだろう? 冷静に考えてみれば、おかしい事だらけだったじゃないか。
私みたいな派遣の女を正社員の、しかも年下の上司が好きになるなんて変だろう。
もう、目の前の男を彼氏だなんて思わない……コイツはただのクズ野郎だ。
初めて出来た年下の彼氏と結婚、なんて年甲斐もない妄想で自惚れていた自分に腹が立った。
「お前みたいな可愛げのない年増女、誰が本気で好きになるかよ!」
「……」
「反吐が出んだよッ、二度と俺の前に現れんな! 今度、出待ちしてたら警察呼ぶからなッ!!」
「……」
女子高校生は、私と彼に泣きそうな顔で視線を行ったり来たりさせていた。
この娘もたぶん、動揺しているんだろう。私と彼が付き合っていた事も知らないみたいだ。
憎い……彼の愛情を一身に受けるこの娘が憎い。
でも、この娘はこんな私を気にかけてくれた。
風邪を引いてしまうとタオルを取りに行ってくれようとした。
突き飛ばされた私に、手を差し伸べてくれた。
確かに憎い。
でも、この娘を怒りに身を任せて、どうにかしてやりたいとは思えなかった。
このクズに騙されている被害者の一人なんだ。
もしかすると、私とこの娘以外にも別の女がいるのかもしれない。
こんな男と付き合っていたら、この娘もいつか私みたいに、利用されるだけ利用されて捨てられる。
貴女を幸せにしてくれる男性がこの世のどこかに、きっといるはずだ。
このクズには、私が直々に制裁を加えてやる。
どいつもこいつも、この世の中ですらも私を馬鹿にして、コケにして……いい加減にしろよな?
「黙って、言わせておけば……ふっざけんじゃないわよ、このクズ野郎!!」
「な、何すんだよッ! 近寄んじゃねぇ!!」
「近寄んなきゃ、殴れないでしょうがッ!! アンタみたいな性根が腐った男、こっちから願い下げよ!!」
一発ぶん殴ってやろうと、私は彼に掴みかかろうと腕を伸ばした。
その時だった――。
カッと頭上の重々しい曇天に光が駆け巡り、その直後、私の体を一閃の青白い光の柱が貫いた。
「え?」っと思った瞬間、遅れて聞こえた凄まじい轟音。
全身がガクガクと自分の意思とは関係なく痙攣する。
痛いなんてモンじゃない、今まで感じた事のない衝撃に目の前が真っ暗になった。
雷に打たれたのだと理解した時には、私の意識はすでに途切れていた。
こうしてアラサー無職女は、呆気なくその命を散らしたのだった。
ああ……私の人生って、一体何だったんだろう?
何のために産まれてきたんだろう?
こんな筈じゃなかった、のに……なぁ……。
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