第1話
私は温かな愛で、愛するものを消してしまう
私は何も手にできない。
私が手にしたものは全て消えて、二度と帰らぬものになってしまう。
大切なものを大切だと、抱きしめる事も出来ない。
触れ合えばこんなに伝える事が出来るかもしれないのに。
触れ合えば逢えた事をもっと喜び合えるかもしれないのに。
触れ合えば大切なものを守る事が出来るかもしれないのに。
触れ合えば大切なものを支える事が出来るかもしれないのに。
どうか、私に触れて下さい。
どうか、私の手を強く握って下さい。
どうか、私に触れる事を許して下さい。
最後にそれが許されるのなら私の命を捧げます。
高校二年の四月、クーラーの効いた教室、快適な空間は眠気を誘う。
稲葉リョウは、少し長めの髪をかきあげ、ぼんやりと窓の外を見た。
科学技術の教師は、名簿を見ながら生徒の名前を読み上げ出欠を確認している。
まもなく授業が始まる。
リョウはカバンを探るが教科書がない。
「…あれ?うーん」
教科書を忘れたようだ。少し焦りながら捜索を続ける。
そんな様子を見ていた隣の席の女子、
「よかったら私の教科書…見る?」
「え、いいの?」
「うん…」
雪羽は歯を見せて笑った。
そうこうしているうちに授業が始まる。
「2070年現在、世界のエネルギー問題はほぼ解決している。それは、我が国日本のナノマシン技術、太陽光パネル技術の進化によって―――」
教師の言葉の尻が上がる独特な話し方を聞きながら、リョウは雪羽の顔を見る。
「ありがと、助かった」
雪羽は目を泳がせる。
「あ、い、いいよ!困ってそうだったから…それより、大丈夫?見える?机くっつけようか?」
雪羽は大きな目と長い髪、白い綺麗な肌でスタイルもよく、この優しい性格、全てを兼ね揃えている。当然、雪羽の人気は学年でもトップクラスだ。席が隣になっただけで妬まれたものである。
雪羽は机を持って、リョウの机にくっつけようとした。
「…ぇあ!いいよいいよ!大丈夫大丈夫…俺、目は良いからさ…こっからでも見える…」
リョウは雪羽の机を押さえて必死に止める。そんなことを許してしまえば、あとで待っているのは、男子による公開処刑だ。それだけは避けなければならない。
「―――その為、日本の経済を救う一因となった科学分野の人材を育成する科学技術の授業がカリキュラムに取り入れられている。今日からはナノマシンの仕組みを進めていくぞ」
教師の長ったらしい説明が終わって、やっと授業は進む。
雪羽の教科書を見るときれいな赤線が引いており、まじめな性格を思わせる。
赤線の内容はこうだ。
[日本が開発したナノマシンは、免疫力の向上による難病の克服、それによる寿命の延長と人口の増加、ナノマシン人力発電によるエネルギー問題への貢献。世界はこの目には見えない小さな機械によって大きな変革を迎えた。そして、日本は世界経済の中心へ返り咲くことが出来た。]
「へぇ~。ちゃんと線引いてるんだ…見やすい」
リョウは思った事をそのまま口にする。
「へ?そ、そうかな?普通だよ…線引き過ぎちゃって見にくいくらいだよ…。だから私の教科書汚いからちょっと恥ずかしいかも…」
雪羽は照れ笑いで言う。
後ろのクラスメイト、山田竜次がじっとりした目でその様子を見ていた。
「なんだよ…」
リョウは後ろを振り向いて言った。
「俺も忘れてくればよかった…」
「そしたら隣の高岡が見せてくれるよ」
リョウはうつぶせて寝ている金髪の不良、高岡ヤマトをペンで指差した。
「高岡が教科書持ってくるわけないだろ?」
「まぁな」
雪羽は教師に二人が喋っているのがバレないかオドオドしている。
「…はぁぁぁ…かわいい」
それを見て山田がうっとりとため息をついてぼそりと言う。
「はぁ…お前、幸せだな…」
リョウは山田を見てため息をつく。
「稲葉ァ!」
そんなあからさまなため息をしっかりと聞き取った教師は、俗に言うドヤ顔で叫んだ。やけにニヤけている。
「暇そうだから当ててやったぞ…質問だぁ。ナノマシンを注入された人間の子供に、ナノマシンが引き継がれることがあるが、その引き継ぎ方の名称と特徴を言え!二つ!」
教師は授業の内容関係なしに、かなり先の内容を問題にしてきた。専門の勉強をしていたり、かなりの雑学好きじゃない限りこれには答えられないだろう。引き継ぎ方に二種類ある事など、一般には知られていないからだ。
雪羽も教えてあげたいようだが、わからないらしく教科書の先の方をペラペラめくって焦っている。だが、リョウはゆっくりと立ち上がり、口を開く。
「一つはナノマシン
ここまでは授業に出てくるだろう。
「もう一つはぁ?」
教師がニヤリと笑って言った。この教師とは仲良くなれそうにない。
リョウは続ける。
「二つ目はナノマシン遺伝。これは発生例も珍しく、何らかの形で子供に伝播したナノマシンが子供の体内で増殖すること。親のナノマシンにはなかった機能が備わる事が稀にあり、主に第三世代型のナノマシンである通称、たんぱく質製ナノマシンにのみ認められる現象。これが原因で現在では炭素製ナノマシンが使われています」
リョウが涼しい顔で答えると、クラス中が沈黙し、リョウを見ていた。
「そ、そのとおり…よく予習してるな」
教師は悔しそうに顔を歪めて言った。
「稲葉くん、すごいね!」
雪羽は目を丸くして満面の笑みをリョウに向けていた。
「まぁね。何が予習だよ…」
リョウは座りながら言った。
これくらいは普通に答えられる。リョウはナノマシン遺伝者だった。自分の事を知る為にナノマシンの事を調べまくった結果だ。
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