翼。
秦柚月
第1話 通学風景~青
今朝も電車が混んでいる。私はいつものように周りの誰かを主人公にしたストーリーを練り始めた。中学入学とともに始まった50分の電車通学。徒歩の時間も勘定すると1時間20分だ。通学可能圏の円の一番端に住んでいるので、しばらくは一人なのだ。一人なのだ・・・という言い方は心情にはあっていないかもしれない。何故なら途中から同じ制服を着た学生が同じ車両に乗り合わせてくるのは苦痛なのだ。つまり、『一人でいられる時間が』1時間20分、ということになる。
特にいじめにあっているとか、友達がいないということでもない。喧嘩をして仲直りをするような友達もいるし、いわゆる女子の『グループ』にもいくつかよせてもらっている。けれど、それだけのことだ。
そうこう考えていると、今朝のストーリーの主人公に最適な女の子を見つけた。今日の気分は色に例えると水色。朝からソーダを飲んできたしね。その女の子の周りにあるミントの香りがしそうな雰囲気に吸い寄せられた。どこかの学校の制服を着ている。上は白い半袖セーラー服。下は紺色の膝丈のプリーツスカート。白い短めのソックスが清潔感を引き締めている。うーん、設定はありふれているけど、高台のこざっぱりとした一軒家に住む、中流家庭と上流家庭の狭間にいそうなお嬢さん。一人娘で犬を飼ってる。そんな感じ?あぁ、でもそれだけじゃ小説にはならない。もっとこう、アクの強い何か・・・
さっきからなんだか熱い視線を感じる。私が見ると慌てて視線をそらすけど、あのコ。何かな・・・見たところ女子にしか見えないけど、まさか男子なの?それか百合系女子?
電車の扉の横に立つ、北川景子似の超美人女子学生。たまに幼い表情をするからまだ中学生かなぁ。男子に見られることには慣れてるけど、あんな美少女にこんなにもまじまじと見つめられたらドキドキするよね。
杏はそっと息を吐きだしながら窓の外を眺めた。
今朝は大変だった。弟の陸がまた学校へ行かないと言い張って部屋の鍵を閉めてしまったのだった。中学受験をしてようやく入った男子校だが、陸は思っていたスクールライフと違う、と、梅雨にさしかかった頃からママともめるようになった。なんでも、中間テストや期末テストである一定の成績をとらないと、クラブ活動に参加できないらしいのだが、陸は中学入学後一発目の中間テストで3教科赤点を採り、いきなり部活停止処分をくらったのである。入学して速攻入った野球部なのに、練習らしい練習はほとんど参加したことがないまま、である。これには私も驚いたが、問題は、ママはそういう事情を受験前から知っていたらしいことが最近バレたのだ。陸は真っ赤になって怒っていた。
「知ってたら普通言うだろ?ひどいよ。そんなんならここ受けなかったし。っていうか、言ったらやめる、って言いそうだから言わなかったんだろ。」
ごもっとも。私もそう思った。でも。
「そうね、それはあったかもしれない。でも、クラブで青春を謳歌する為に勉強を頑張ればいいでしょ。ただそれだけのことじゃない。」
ママももっともらしいことを言う。
そうなんだよね。学生だから勉強するのは当たり前なんだけどさ。慣れるまでは争いも仕方ないんだろうか。ともかく間もなく夏休みなんだからなんとか部活停止処分を解いてもらって、夏休みを楽しんでもらいたい。それには期末テストでの巻き返しが不可欠。でもすでに自信を失っている陸にはそんな前向きな考えが浮かばないんだろうな。
ふうっ。窓の外に再び目をやった。と、さっきの美少女が気になって振り返ってみた。すると今度は私じゃなく、自分のすぐそばにいる赤ちゃんをじっと眺めている。赤ちゃんをベビーカーにのせている母親は気になるのか、じっとその美少女を見ている。
見てる。じーーっと見てる。なんだろう。すごくきれいなおねえさん。わるいひとじゃないよね。さっきはぼくじゃなくて、あっちのドアのとこにたってるおねえさんのこと見てた。みられていやな気持になるひともいれば、このおねえさんみたいにぼくものぞきこみたくなるひともいる。ままよりちいさい。なんかこう、ずいぶんまえにあったことがあるような・・・
ふうっ。今日はなんとなく思い通りにいかない。話が進まない。女子学生に結局ピンとこなくて、次にビビビときた赤ちゃんも、どうも広がらないなあ。そんな日もあるか~。
『王子公園、王子公園~』
車掌さんの声が、私の降りる駅を告げたところでふと我にかえった。ばいばい赤ちゃん。
こうして私の一日は始まった。いつもと同じように。
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