第16話 ミユキの葬儀
然し、悲しみに浸っている間も無いミユキを星の元素に返す大切な役目を果さなければならない。
落ち込む間も無くミユキの葬儀の件で母親の承諾をもらいにあの小屋に出掛けた。
始めて通された部屋はブロックを置きその上に簀子を乗せ畳を引き詰めて、周りを板切れで覆った粗雑な作りだった。
その煩雑さから自分達の手加工に違いないと思えた。
そこに座布団を敷き、迎い入れられた。
生乾きのスエタ臭いが鼻腔を通し無意識に呼吸を抑えた。
それでも場に不釣合いな大きな37型ブラウン管テレビや置き形クーラーも設置され生活に必要な物は何でも揃っていた。
電気、ガス、水道などのライフラインはちゃんとしているようだ。
奥に部屋が有るのだろう2つ扉が並んで意外に奥行きが有りそうな感じがした。
奥で物音がして誰かいるような気配がした。
多分寝室や妹の部屋かもしれない。
玄関脇の便所が部屋の気流を染め下水は完備してないようだ。
それでも森林の奥まった場所柄街の喧騒は無い。
外の空気は緑色に澄んでいた。
庭先の菜園には幾種もの野菜と思える植物が植えて有った。
意外と居心地は悪く無いのかも知れない。
然し改めて感じた事だがミユキの此処での生活がどうしても想像できない。
暫く振りに再会した母親は以前より若返って見えた。
顔色は透析患者特有の土色をしてたがミユキの意見で自己管理を意識し状況を良くしたようだ。
母親はお茶を用意し、お持たせの菓子を広げた。
そして涙を滲ませしんみりした口調で語り始めた。
「ミユキは可愛そうな子でした。ミユキには義理の父親になるのですが寡黙な人でどう打ち解けていいか判らず、受け答えもぎこちなくて此処では居づらかったようでした。
また父親の違う妹が当時8歳に成るか成らないかで生きなりミユキが現れ、凄くムキになっていてミユキの居場所は何処にもなくて苦労させてしまいました。
それなのにミユキが働きに出でてからはいつも妹を気遣って身の回りの物は何でも用意してたし、進学の準備や学資の費送りまでしてくれていました。それでもどうしても妹はなつかなくて・・・・」
突然現れ姉と言われどう対処すれば良いか幼い子供心には難しい事なのだろう。
奥の物音は妹に違いないと思った。
「私達にも毎月日送りしてたし、私の病気も市役所や病院に掛け合って良い条件で入院出きるように段取り取ってくれたり、一生懸命で、本当に心の優しい娘でした」
「そうでしたか。僕にはご家族の事を何も話さないので其処までしていたとは思いませんでした。成るほどね・・・・・・」
思いが込み上げ胸が熱くなった。
「確かに人に尽くすのに何も見返りを求めない処が有りました。判るなそれ・・・僕も本当に助けられました。・・
実は今日、お母さんにお願いが有って伺いました。僕にミユキさんの葬儀を任せていただけませんか」
今日の本題、代理父として喪主を務めたいと申し出た。
「柴田さんが随分良くしてくれていつも言っていた。純一さんの子供になりたいって。そして同じお墓に入るんだって。
馬鹿だねお前は柴田さんは奥さんや子供さんもいるし詰まらない勘違いしちゃ駄目だって。
こうしてミユキの喪主を努めてくれるなんて聞いたら、あの子も本当に浮かばれると思います」
母親は大方の事情をミユキから聞いていたようで何一つ抵抗なく純一の希望が受入れられた。
「あと一つお願いが有ります。僕にお墓に作らせて下さい。ミユキさんの遺骨を僕に預けて頂けないでしょうか」
「ミユキはそれが一番の望みでした。私達の立場じゃあの子のお墓が用意出来ない。助かります。ちゃんと供養してあげて下さい」
それも待ち受けていたように快く受け入れられた。
その葬儀は純一の計画で進めた。
先ず篠崎のばあさんに紹介を受けミユキの化粧を死体化粧会社の納棺屋に依頼した。
ウエディングドレスを着せ少し薄くなった髪にティアラを冠にして覆い棺に横たえた。
ローマの休日の王女のシーンが思い浮び面影が重なった。
顔にも丁寧に化粧が施され、純一はミユキの化粧顔を始めて目にした。
白く透けたような肌に差された紅がほんのり頬を染め鮮やかに塗られた口紅が形のいい唇に精気を浮かび上がらせた。
妖精の美しさを湛え、見入ったが最後まで血の十字架を外してあげられず自分の不甲斐なさにやり切れない思いが募った。
そろそろ通夜の準備に取り掛かろうとした頃、松谷氏が誰よりも早く姿を現した。
凡5年振りの再会だがすっかり体形と風貌が変わっていた。
以前キャシャで大人しそうな雰囲気だったが少し風格が付いて頼もしげでいい感じの年齢を重ねてきたようだ。
口調も落ち着きと意志が坐ったよく通る声で挨拶を交わしてきた。
「暫くです、その節は失礼しました」
「いえ、此方こそ、色々有りましたが」純一は少し戸惑い気味に受け応えた。
「・・・・・・・」
その先を互いに何を話すか迷っていたが松谷が口を開いた。
「柴田さん。有り難うございます。僕が礼を言うのは変ですか、いや僕の気持ちとして聞き流して下さい。
ミユキは本心から柴田さんには心を砕いて頼っていました。僕は本気で彼女に思いを寄せていましたが最後まで飛び込んできませんでした。でも後悔していません。むしろ彼女を愛した事に誇りを感じています。僕が最も愛した女性を最後までサポートして頂いて心からお礼を言いたかった」
「いえ、それはお互い様です。それに彼女は亡くなる間近貴方との結婚を口にしていました。健康だったら多分貴方に嫁いだのかもしれません。僕自身も貴方との結婚を望んでいました」
「実は籍だけは彼女を口説いて入れてあります。妻は僕の孤立を狙って別れるのが一番の報復だったようでミユキに捨てられたと確信した途端向こうから離婚を言い出してきました。
ミユキはそうした駆け引きが全くない娘で自分の意志で動くので掴まえきれない難しい処も有ったのですが、有る意味純粋でそこが僕が彼女を離せない大きな理由でした」
純一は以前松谷に同棲の話しをぶつけられたあの衝撃を思い返した。今回も唐突に入籍など考えも及ばずミユキの捉えきれない揺動にいつも悩まされてきた。
「彼女の感性は僕にも充分理解できています。でも入籍の話しは驚いたな。もし事実なら少し問題が有るのだが」
ミユキの遺骨を渡してしまうとミユキとの約束が実行できない。
それだけは避けたかった。
「いや心配いりません。生前ミユキに念を押されています。全て柴田さんが決める事に従ってって」
「本当ですか。ミユキにはいつも驚かされるな。・・・・・でもそうか彼女は結婚できたのか。
それはそれで良かったかもしれないね。・・・・・・・松谷さん有り難う。僕から改めて礼を言わせて貰います」
「いえ、僕の望みでしたから」
その後も松谷はまるで肉親のように親しげにしんみりした口調で心境を続けた。
「あの若さで彼女の一生が閉じられるとしたら、悲し過ぎますね。でもミユキは本当に柴田さん僕、白石君には掛け値なしに誠意を持って接したと思うのです。有る意味一生懸命生きて、燃え尽きた感じがします。多分悔いは無いと思います」
「そうだね。その3人も彼女に100%本気で返していた。
そうして考えてみると24年間完全燃焼させ誰よりも密度の濃い生涯たった気がするね」
3人共それぞれミユキとの接点で濃密なドラマを演じていた。
2人はいつしか目を真っ赤にして滲みだす涙を気にもせず話していた。
そうこうしているうち通夜の時間が迫ってきて人が集まり出した。ミユキの親族も沢山集り通夜が開始されると僧侶の読経が静まり返った夕闇に響き、厳かに進行していった。
通夜の焼香を終わらせ通夜振る舞いの席で星野一族、個個に月並みの挨拶を交わした。純一の不合理な立場上何気なく星野一族や弔問客に対し間を於て交わりを避けていた。
そうした状況で傍観していると母親の側にミユキの妹らしい幼い顔立ちの女の子がぶすっと頬を膨らませ目を真っ赤にしていた。
どことなくミユキ似だが特別美しいと言う感じがせず平凡な顔立ちが意外だった。
妹は棺の側に近寄って覗込むとミユキの頬を手でなぜ溢れる涙を拭いもせずに顔を近づけ呟いた。
「ミユキねえ。なんで死んじゃったんだよ。もつともつと仲良くしたかったのに」
本心はきっと慕っていたのだろう。
亡くなって始めて素直になれる。人は何故此れ程厄介な生き物なのかと悲しくなった。
そうして暫く様子を伺っていると何処ともなくミユキへの陰口の様な響きを感じとった。
「あのオオカミ女、ったくよう」
がっしりした体形に髪が薄く、脂ぎった頭皮を覗かせ土黒に焼けた肌、頬骨が狡猾そうに張だし、腹の読めない小さな目付きの中年男が不貞腐れた態度で呟いていた。
ミユキの母親が純一にそっと近づいてきて耳元に呟いた。
「あのオヤジ、ミユキに手をだして指咬まれたんだ」
純一はなに喰わぬ顔でその男の手に目をやると左手の人差指と中指が第2間接から切断していた。
ミユキが以前怪我をさせた話しを思い返し必死で戦っていた光景が浮び、堪らない切なさが込み上げ、怒りを飲乾すのに口をへの字に結んだ。
翌日も松谷は早めに訪れ言葉すくなに挨拶を交わすとすぐさまミユキの棺に向い手を合わせた。
一族や弔問客もそれぞれが別れの言葉を投掛け誰もが目頭を紅くし花首を手向けた。
棺の蓋にくぎ打ちを済ませ焼却場に向かった。
焼却場で手順通りの儀式を済ませ、棺がボイラーに滑り込み金属の扉が閉められた。そして轟音をたてながら焼かれてく。
手を合わせ目を閉じるとミユキが笑いながら手を振っている姿が現れては消え又現れ遠退く幾ら遠退いてもはっきり表情が判った。
あくまで無言で亡くなる前夜の夢と同じ表情がしきりに何かを訴えている気がした。
焼きだされた遺骨は想像以上小さく病気の攻めに耐えた苦しみを感じさせた。
骨を骨壷に移す振りをし、そっと手に隠した。
最後に喪主として挨拶を述べたが誰しも欺瞞に満ちた鋭い視線を浴びせかけていた。
然し場所柄そのことを問い質す者は現れなかった。
そして漸く儀式の終焉を向えホット息を付いた。
松谷もその後なにも話さず頭だけ下げ立ち去ろうとした。その背に純一が声を投げつけた。
「松谷さん、住所教えてくれませんか、後で分骨して送ります」
「いえ、結構です。ミユキをバラバラにしたくない。柴田さん後をお願いします。墓地が決ったら教えて下さい。たまに墓参りにいきますから」そう言って名刺を差し出しだした。
「判りました、落ちついたら連絡入れます。勿論チャンと供養しますから安心して下さい。それからお墓には何と彫りますか。
松谷美由紀にしますか」
「いや、どちらでも構いません。僕の望みは一度でも結婚の形が欲しかっただけですから。これでミユキの形跡を自分の籍に刻めて納得しています」
「判りました。それでは僕の考えで進めます」
「でも狡いですよね。彼女はもう生涯歳をとらない。僕らが70~80のクチャクチャジジイになっても彼女は24歳今の綺麗さが一向に色褪せない。これから先汚いジイさんが墓参りして彼女に嫌がられないかな」
松谷は苦笑しながら言った。
「それを言われると、気持ちが引くな。生きてる間ずっと供養してやる積もりでいたのに」
妙に苦い思いがこみ上げ純一も苦笑した。しかしこれからのまぎれも無い現実だ。
その晩、骨壷を抱いてマンション近くのいつもミユキと一緒に出掛けた居酒屋に入った。
今晩はミユキの遺骨と一時も離れずいるつもりだ。
喪服姿で骨壷を抱いて入ってきた純一に店員が一瞬訝かり驚いていた。
しかし、いつも訪れていた客がたった1人喪服で来たことで事情を察し気遣って奥の静かな席に案内された。
かける言葉も思いつかず注文以外余計な言葉を殊更避け接してきた。
日本酒と軽めの肴を注文した。
隠しておいたミユキの骨を口に含み、噛み砕くと悲しいほど脆く僅かな酸味が拡がった。あの甘く切ない接吻を思い浮かべ、骨の粉と酒、溢れる涙を一緒に飲乾した。
そして心で呟いた。
(ミユキ、もう俺の身体の一部だ、もう誰にも渡さない)
入院での出逢い、海辺でのキラキラした笑顔や癌病棟での悲しい表情、熱心に仕事に打ち込む姿が回転木馬のように幾つものシーンが頭の中で駆け巡った。
ジーンとした痺れが人知れぬ悲しさと寂しさで胸を締めつけ息が苦しくなった。
そして溢れ出る涙が止まらなくなった。過去に此れ程大量の涙を流した覚えが無い。
悲しみを癒すように酒を流し込み、心からミユキを偲んだ。
そして純一はこの世を去ったミユキに渾身の感謝の気持ちを込めて呟いた。
(ミユキのお陰で人生の密度がまるで違った。ミユキとの出来事が心の奥底に残像として刻み込まれている。こんなに人を愛せた俺は本当に幸せ者だ本当に有り難う)
純一は自己に課した枷を破る決意をした。
純一が塞ぎ通したブラックゾーンの存在、決して過去を持たないと決意した鉄の掟だ。
しかし既にミユキとの経緯では幾度か脆く破れ掛けてた。それでも最後まで純一自身の過去をミユキに話さなかったのは枷の中枢を引き抜くことで全てバラバラに崩壊してしまう恐怖を感じていたからだ。
純一の幼年期、実母の虐待の果て、養護施設での悲惨な境遇は脳裏をかすめるだけで一瞬に現状の生活が破壊されてしまう畏怖を感じていた。
母は福島の貧農10人兄妹の9番目、四女として生まれた。
その地方独自の風土、長男の権威は威圧的だった。そしてその長男が妹を奴隷のようにこき使った。その結果母を無神経に傷つけ人格に怨念が刻み込まれた。その時の恨みを自身が生んだ長男(純一)に向け、報復を果たすように純一を虐待し続けた。肉親の憎悪は他人との憎しみより増幅が大きい。
虐待が度を超し体中に刻まれた痣が病院で発覚し養護施設に隔離され命をつなぎとめた。
然しミユキは決して過去を語らない純一に同じ生息感を感じていた。施設での生活がよどんだ異臭を放ち、同じ体験を重ねた者だけが感じ取れる嗅覚で嗅ぎ分け感じ取っていた。
かって手紙に記載した「この人はきっと」ミユキが純一にだけは心底心を許した根幹が其処に有った。
純一は家族という生きる糧をどんな事が有っても死守するつもりで苦渋の過去を決して口にせず活きることを自身に課していた。
それは現在進行している全ての事柄もその都度封印し、生きる事が絶対条件と考えた(決して過去を作らない)。
然しミユキが他界しミユキとの過去を消し去ることは不可能だ。
むしろ一生引きずりながら生きていく道以外生きる意味合いが見出せない状況になっていた。
純一はいつでも供養ができるお墓を探し廻った。
電車で行ける湘南の海が望める高台に手頃な墓を求めミユキの遺骨を安置した。
然し墓地の所在地を松谷に連絡する気は毛頭かった。
会社の一画にも小さな仏壇を作って花をたむけ毎日手を合わせた。
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