第12話 再会と衝撃の事実、そして報復

そして、時間の経過につれ、子供達の元気な嬌声に包まれ4人家族の穏やかな日常生活を取り戻していった。

しかし、仕事の推移は例の大掛かりなイベント以来低迷していた。

大きな利益を生んだイベントの利益は決算で大半が税金で徴収され、その後6~7ヶ月過ぎると米室は空になった。

今ではミユキが残した定期物が会社の貴重な食いぶちを担っていた。一時の好調さに陰りが見え、順調といえないコンディションの中、結城の慰謝料の処理を済ませ、6ヶ月が過ぎようとしていた。

全てが湖面のしじまのように穏やかな日常に言知れない怠惰を感じながら、それでもそれが当然の生活の基準なのだと、全てを諦めかけていた頃、就業中不意に純一の携帯に電話が入った。

ミユキからだった。

凡1年ぶりの携帯表示に一瞬信じられず、動悸が走った。

「純一さん、元気でしたか」あの懐かしい優しく、透き通る声が耳に甦った。

「ミユキ・・・・・・・」その後の言葉に詰まった。

「ご免なさい、いきなり電話なんかして」

「いやー、しばらく、元気そうな声だけど」

「・・・・まあ」曖昧な言い方が気になった。

「何か有った」純一は不意の電話に急に不安を感じた。

「特に無いけど、実は純一さんの噂が耳に入って、気になって」

「僕の」

「そう、結城さんと何か有ったの」その名前に一瞬驚いた。

「結城さん、か・・・」即答できず、言葉を模索した。

「実は麻布病院の戸高さんから電話が有って、純一さんが結城さんと付きあって、純一さんのあのマンションで同棲していたって」

「まさか、同棲なんてしてないよ」

「結城さんに彼氏ができて、一緒にいるところに純一さんが踏み込んで来て大もめに揉めたんだって」

「まさか・・・」その呆れたシナリオに絶句した。

「しつこく付きまとうので、妊娠したって言ったら純一さんが慌てて、慰謝料払うからおろして欲しいって、泣きを入れてきたので許してあげたって」

「まさかそんな・・・実はいきなり訪ねてきて食事に誘われたんだ」

その経緯を細かく説明した。

「どことなく信用できなくて警戒していたし、セックスは仕掛けられたけど成立してない。妊娠なんて有りえないと思っていた」

「やっぱりね、純一さん結城さんに騙されたかも。戸高さんも純一さんが騙されたのかと思って、心配して私に伝えてきたの」

「成程ね。最初から狙われていたのか。ご免ね、ミユキに心配かけちゃったね」

「純一さん優しいから。その話し聞いて結城さんならやりかねないし心配していたの」

「僕は嵌められたけど、ミユキは裏切ってないよ」

「わかってる。結城さん、私の友達とかいつもおかしな動きしてたから」

「そんな癖あるの、妙にミユキの男話しが多くて一寸嫌な感じがしたのだ。ミユキ俺、カタキとっていいかな」

流石に嵌められたとなれば放っておけない。

「それは純一さんが決めて、私にとやかく言えない」

純一はにこやかなミユキの面影が浮び急に切なさが込上げてきた。

「ミユキ、会いたい」

会話越しのミユキの声が純一の記憶の中枢に響き急に愛おしくなった。

「私も・・・・ジッと我慢していたの、会いたくて」

「ミユキ・・・・・」胸に熱いものが込上げ声が掠れ一息おいて。

「ミユキの都合に会わせる、お願い、顔が見たい」

「会っちゃおうか、うふふ」悪戯っぽい笑いを含んだ声が耳に懐かしい。あの愛らしい笑顔が浮かんだ。

「そうしよう、いつならいい」

「今日会っちゃう」悪戯っぽさに艶が有る、その言葉が心地良い響きをした。

「以前銀座で食事したあの地下の和食屋で会わない」

「嬉しい、あそこのお魚すごく美味しかった。初めてのお酒もおいしかったし、いつも思い出してた」

その晩2年振りに初デートで使ったレストランビル一階のエントランスで再会を果した。

積もりに積もった思いが塊となって一向に言葉にならない。

地下の階段を降りる途中我慢しきれず抱き寄せた。この匂いこの感触は誰にも変えられない純一の感性に染付いたまま残っている。

「会いたかった」

「私も」

交わした接吻が懐かしく、切ない甘さを呼び起こした。

二人は初デートを思い返しながらレストランの引き戸を開けた。フロントから伝わり支配人が笑顔で玄関まで迎えにでてきた。

「しばらくです。お元気そうで、お待ち申し上げておりました」

今日は個室を予約しておいた。

個室は地下とは思えない奥座敷の佇まいを備え、引き戸の奥は石作りの庭園に小川が流れ小さな瀧まであった。

ミユキは支配人に案内されその佇まいに驚いていた。

2人は畳の掘火燵の席に落ちつくとミユキが言い出した。

「個室はこんな作りになっていたの」

「この料亭伊豆に旅館もやってるんだ」

「何か高級そうね」

「結構高級だと思うよ、今度出掛けない」

「行ってみたい」

「案内するよ」

「嬉しい、期待しちゃおうかな」

そうこうしているうちに付きだしとビールが運ばれ、先ずビールのグラスを合わせた。

「一年振りだね」

「そんなになるかしら」

「そうだよ、その間ミユキを1度も忘れた事が無い」愚痴っぽい言い方をした。

「私もよ」

「結婚したの」ブランクが長いとろくな言葉が浮かばず、無骨な質問をぶつけた。

「・・・・・してない」

しばらく互いが何から切りだしていいか言葉を探っていたがミユキが唐突に切り出した言葉の険しさに絶句した。

「純一さんもし結城さんに子供作っていたら2人共殺したかも」

真顔だった。

「驚かさないでよ、一体どうしたの」

「純一さんが子供さんに合いに行ってた間私物凄く悩んだの」

「そうか、ご免ね、僕も凄く辛かった」

純一自身、当時の苦悩が甦った。虚さに彷徨ってた当時を思い返し、ぼんやり聞いていた。しかしミユキの次の言葉が耳から脳まで突き刺した。

「実は純一さんと私の間にもう一つの命が着床していたの」

不意に打ち込まれた大きな衝撃に身体が凝固した。

「それって僕の子」

「うん、いつも注意していたけど、ある日純一さんとの生活でそうなってもいいと思ったの、それが的中して受胎したみたい」

「本当かよ」純一は複雑だった。

ミユキとの間なら子供が出来ても否定したくない。

然し家族には最悪の裏切りだ。薫や勇太に父として、絶対許せない行為を犯したことになる。

ミユキは話しを続けた。

「松谷さんは生んで二人で育てようって言ってくれたの。でも私は凄く迷った」

純一はその先の解答に畏怖した。どちらにしても凶器だ。

「結局おろしたわ」

「ご免」純一は両手を突いて頭を下げたが、何方とも付かない複雑な心境だった。

「いいの、私が自分で決めて自分でだした結論だから純一さんのせいじゃない」

「だって・・・それにその子にも申し訳ない」

「純一さん最後まで聞いて」

純一の言葉を遮り真剣な眼差しできっかり純一を見据え、話しを続けた。

「私堕胎手術を受けた時病気が見つかったの。子宮頸癌だって」一気に核心を告げられた。

「本当かよ」一瞬事の重大さが重すぎて実感出来なかった。

しかしこの後じっくり押寄せる重量感のある波動が予測できた。

まるで津波のように、始めガツンと次にもっと大きな衝撃が脳に直接打ち込まれる感覚だ。

「その癌の手術で子宮まで摘出したの」

純一は洞穴の溝を際限なく落ちていく感覚で聞いていた。

「もう、子供も生めないし、結婚も出来ない身体になった」

「なんで、もっと早く言って欲しかったのに」

苦し紛れにでた精一杯の言葉だ。

「松谷さんはそれでも結婚しようって言ってくれた」

「松谷君優しいんだ」そのくらいしか呼吸が詰って言葉にならない。

「私は松谷さんの前では手に負えない悪女だった。以前松谷さんの実家に連れていかれた事が有ったの。

麻布十番のちょっとした豪邸だった。そんな裕福な家庭で育って、素性の知れない女に本気で尽くせると思えなくて、いつも意地悪な事ばかり要求していた。私が育った境遇じゃ素直な気持ちになれって無理。性格可なりひねくれていたわ。松谷さんが一生懸命尽くせば尽くすほど意地悪して、追いつめていた気がする。純一さんの子供おろすのも付き添わせたの、残酷よね。

僕はミユキに滅ぼされるって言ってた。純一さんの自宅を覗いたのも私の底意地の悪さから。ご免なさいご家族に心配かけて、きっと罰が当たったのね」

「まさかそんな、僕の前じゃ何も要求しないし、仕事でもあんなに一生懸命尽くしてくれていたし、嘘だろう」

「本当不思議なのだけれど、純一さんにだけは素直になれるの」

「もう少し、我侭言って欲しいかった。それよりミユキの身体すごく心配なんだけど」

「手術が済んで5年再発しなければ、生きられると思う。今は治療もしてないし、定期的に検査して経過をみているだけ」

「生きられるなんて言わないで、緊張するよ。ミユキ一緒に住もう、このままにできない」

「無理よ、奥さんや子供さんがいるのに」

「勿論、離婚するよ」

「それは駄目。不幸にして欲しくない」

「でも今は何よりミユキの体が最優先だ。放っておくわけいなかいよ」

「純一さん離婚はしなくていいから一緒に暮らしたいな。でも無理、無理よね。ご免ね、嘘だから気にしないで」

自問自答しながら自身を納得させるような言回しをした。

しかしその言葉の裏側に隠された、事の本質が漠然とした不安として、脳裏をかすめた。(もしや、命の時間を計っての事では)

「わかった、それでよければそう決めよう」

「簡単に決めないで」

「勿論簡単じゃないさ。でも今最も重要な事だ」

「でも駄目。今迄幾度も松谷さんにも迷惑かけていたから、そちらにも気兼ねするし」

「でも本質を誤魔化して生活しても限界があるよ。多少の犠牲は止むをえない」

「純一さんのご家族はもっと辛い事を強いることになるわ」

「それも承知している」

「純一さん、優しい奥さんや、可愛がっている子供さん達を裏切る事になるのよ」言い含めるように念をおされた。

「勿論苦しまない訳じゃない。でもそんな状況、もう越えているよ。僕の子を下ろして傷ついて。しかも危険な病気を負ったミユキを僕は放っておけない」

「純一さん罪の意識は感じないで。純一さんに何一つ原因は無いの」

「何言っているんだ、俺の子を妊って知りませんでしたで済む事じゃないよ。しかも原因が何であれ俺とミユキは同棲していた。

子宮頸癌は全く男に原因が無いとは言えないって聞いた。俺に責任が無いなんて言って欲しくないな。そう、今できることをキチンとしよう。俺はミユキが一番幸せになれる環境を作る義務がある」

妻に対し最も許しがたい裏切り行為をあえて選ぶのは妊娠をさせた罪への懺悔の気持ちがそうさせた。

ミユキは目を瞑ってジッと聞いていたが確り見開いて応えた。

「・・・・・一緒に住んでもいいの、本当なら嬉しい」

「そばにいて見守っていたい。もう決して離したくない。それと僕の前でも悪女でいいから」

「そうするかも」

ミユキは既に溢れだした大粒の涙を拭いもせず顔を綻ばせた。

純一も非情な現実に曝され、涙が目頭に溜まって溢れだすのを堪えていた。

出された料理に箸も付けず、中居の女性が料理を運ぶ間も2人はまるで眼中に入らなくなっていた。


その日を境に2人はマンションでの生活の準備を開始した。

ミユキの被服は以前と同様簡単に移動できたが、純一の生活用品はとても生活が補えるほど揃ってはいない。

それでも構わず、敢えて妻に何事も告げず、いきなり自宅に帰らなくなった。

その都度新しい物を買い揃えれば良いと見切り発車させた。

そして以前少ない時間を過したあの同棲生活と少し違った新しい形の生活が始まった。

純一は会社で篠崎という保険屋のバアさんに相談を持ちかけた。

余分な皮膚が鶏皮の様な脂性の皺をたるませ目鼻が埋まって、笑うと皺の中から唇が猿のようにめくれ歯グキごと歯が剥き出る。

白髪がガサガサに絡んで静電気で逆立てた風神の魔女の風采をしていた。

声が大きく密談もなにも雑言で曝される。

本業は保険屋だが、そこいらじゅう顔を突っ込んでいるらしく恐ろしく顔が広い。業者で困った時声をかけると、大抵の業種は紹介してくれた。

ある日死体化粧を売りにした納棺屋の仕事を立上げた業者が資本を募っているので出資しないかと投資話しを持ち込んできた。

利率は滅法良いのだが流石に死体で儲けるには抵抗が有った。

また、下町の団地に顔を突っ込んでいるらしく、主婦達の売春の斡旋までしていた。

生真面目な主婦もチームで仕組み仲間に取り込んでネットワークを拡げていた。

何も知らずに仕込まれた主婦達はいつしか浮気部隊の一員に仕立てられていた。その斡旋の報酬は専ら保険成約を条件にしていた。

可なり危険で物騒なバアさんだ。

「いつでも可愛い奥さん紹介するわよ。柴田社長なら一発でOK取れるんだけど」

顔を会わせると純一に大声で進めた。

「篠崎さんに乗ったら、ケツの毛まで抜かれるよ」

笑いながら返した。

スケベ根性を起し、話しに乗ったら何を要求されるか解ったものじゃない。

「その後どうだった」

此方の話だけならまだ凌ぎようがあるが相手の主婦から睦み合の情景まで聞きだして晒され、無言の威圧で保険加入に持ち込まれるのが落ちだ。到底嵌まる気にならない。

純一は今回結城に騙された件をその風神の魔女に相談した。

「柴田社長女に弱いから」がっはっはと、笑われた。その笑い声の甲高さと形相は人間離れしていた。

純一はメールと振り込み用紙のコピーを渡し

「130万回収出来たら、30万円お礼するよ」

「わかったわ、どんな手を使ってもいいわよね」

「どうせだから、パンチが利いているほうが本人の為かもね」

「期待していて」

そうして純一の報復の矢が放たれた。中小経営者の凄みは地位も名誉も存在しない、守るものが無いだけ無敵だ。

そしていつもだが戦いに手段を選ばない。それから1週間が過ぎた頃結城から130万円が振り込まれてきた。

その晩ミユキが切りだしてきた。

「純一さん、結城さんに何かした」

「いや、別に」

「今日泣きながら結城さんから電話が有って純一さんに滅茶苦茶にされたって」

「そんな、僕は何もしてないよ」

「何かすごいオバさんが浮浪者を連れてきて無理矢理やられたって、その後身体から臭いが消えなくて、何度も吐いたし、食事も咽を通らないって」

「えっ、本当かよ、あのババア凄いな、そんな事したんだ。一寸やり過ぎだな」

想定以上の凄まじい内容に純一は後悔した。

「正直言って、私どうしていいのか困っちゃった」

「そこまで酷い事するなんて考えなかった。ご免、ミユキの友達なのにやり過ぎたかも、不味かったかな。」

「ただ、結城さん、悪い癖が有ったし、複雑だわ」

「ミユキの親友って言っていたけど、ミユキに敵意感じたみたいだね」

「うん、何故か私の知りあい皆にチョッカイだして関係作っていたみたいなの」

「それって、肉体関係まで、まさか松谷君まで」

「そんな感じ」

「彼女人の物欲しがる癖が有るのかな」

「どうしてか判らないけど妙な好奇心持っているの」

「それって」一瞬聞きたいことを喉元で止めた。

純一は以前結城に聞かされたミユキの男話を思い返した。普段意識的に思い返さないようにしていたが時折結城に言われた密度の濃い睦み合いの情景が思い浮び悩まされていた。

「ミユキ、気になる話、結城から聞いたのだけど」

「何」

「一寸聞きにくい事だけど」

「何よ、何か怖いわ」

純一は迷ったが一呼吸置いて切出した。

「僕らの他にベトナム人の留学生とか、病院の先生とか、それから○○テレビのディレクターと同棲していたって、本当」

胸のツカエを一気に吐出した。

情景を連想するとその都度嫉妬心に火が付いて、焦げ付く痛みが襲った。

胸に含んだまま生活するのが辛かった。確かめて、承知していたほうが、負担が軽くなると思った。

「凄く厭な感じ。以前から結城さん、おかしな噂を流すの」

形相が変わって不快を露にした。

顔を強ばらせ、歯を噛縛めた表情に、純一は矢張り口に出すべきじゃなかったと後悔した。

「ご免ね、不快にさせちゃったね。もういいよ、俺の思い過ごしだ」

「ご免なさい純一さんには話したくない事だけど誤解された侭にしたくないから話すわ」一息入れ言葉を進めた。

「私が16歳の時千葉医大に研修に行った事が有ったの。その時白石凉さんと言う医大生に声をかけられた。

それからおつき合いを始めたけど私は未だ何も判らない子供で只後に付いていくだけ、優しいお兄さんみたいにしか思ってなかった。それがある日告白されて、これが恋愛なのかなって。そしてだんだん気持ちが魅かれ真剣に考えるようになって。そう多分それが私の初恋だった。とても誠実で真面目な人だったし、いつも優しくてごく普通に幸せを感じていた」

自殺した医大生の話しは避けていたつもりが、生きなり核心から話され、自分の迂闊さに慌てた。

「いいよ、もうこの話しはしないよ。ご免ね」

それには耳を貸さずに話しを続けた。

「或る当直の晩結城さんの彼、先生なのだけど、往きなり背後から抱きついてきたの。

冗談は止めてって強く拒止したら「ご免、ご免」ってその後は何もしなかった。

でもその事を結城さんに妙な内容で話したらしく、私がその先生に言寄っていったって。

でも結城さんの手前自分は拒止したみたいな話。

結城さん以前から涼さんに興味もっていたみたいでそれを口実に私に黙って会ったようなの。

私と先生が宿直室でHしてた場面を見たので何とかしたいって、本当に見ていたみたいな生々しい話しをしたらしいの。

その上結城さんが他に付きあっていた男関係を私の事としてすり替えて話したみたいで、涼さんすっかり誤解して自棄起したらしく、結城さんに巧く誘惑されて関係が出来てしまったようなの」

実践が伴った嘘ほど信憑性をいだかせる。

ミユキと先生の睦み合いの光景を細部に渡って聞かされ酷く落ち込んだ記憶が甦った。矢張り結城の作り話だったか。

結城の強かさは純一にも覚えがある。結城の生々しい垂れ込みが与えるインパクトは若葉マークの青年には内容が重すぎ、結城の術中に嵌まる事など容易に理解できた。

しかし意志に反した言葉を吐いた。

「本当かよ。その男もいい加減だね」

一時自分もぐらついた事実は棚に置き、吐きでた失言に気付いて自虐的に弁解した。

「ご免、人の事言えたものじゃないね。俺でも同じようなものか」

それには応えず話しを続けた。

「涼さん、それを境に人間が変わった。

元々純粋な人で免疫が無かったし、精神的に想像以上脆くてその事が原因で精神疾患に陥ってしまったの」

「嘘も怖いな。人格を変えちゃうんだ」

「噂を鵜呑みにされているのが嫌で幾度か3人で話しを付けようとしたけど2人共巧くはぐらかし避けていた。

後ろめたかったのかも。結城さんは私がミユキを裏切るなんて絶対有りえないって決して認め無いし、涼さんは自分の話しは濁しながら一方的に責めてきて何を言っても信じようとしない。

その内私を監視し始め、何かにつけて行動を縛りだした。

その上結城さんに関係を迫られていたみたいで自暴自棄になって、後悔とも、憔悴ともつかないジレンマに嵌まっていた。

自分を責めて酔って暴れて普通じゃなくなっていた。

そんな生活が楽しい訳ないし私は耐えられなくなって距離をおこうとしたの。

そうなると益々エスカレートし病院の寮で待ち伏せたり、一緒にいても訳もなく嫉妬して、暴力を振るいだした。

暴力なんて絶対振るわない人だったのにDVになっちゃった。それから私の身体に幾つも痣ができたわ。

私には大切な人だったし、不思議と嫌いに成れなくて別れようと思わなかった。

それより暴力を振るわれている事を人に知られたくなかった。涼さんがそんな人だと思われるほうが怖かった。

だからいつも言ってた、顔とか人目に触れるところは止めてって。

でも当時入院していた松谷さんに私の痣を気付かれてしまったの。

それから何かと松谷さんが話しに加わってきて、松谷さんの事務所に寝泊まり出来るスペースがあって、そこにベッドが置いてあるから其処に逃げなさいって鍵を貸してくれたの。

それからごたごた続きで遂に松谷さんの入院病棟にきてに暴力振るって怪我させてしまった。

DVは基本的に精神疾患だから冷静に戻ると本人が物凄く苦しむの。

涼さんを苦しめている根本は自分だから、私の存在を消すのが一番いい対処方と思って絶対に合わないと決めたの。

多分結城さんから聞いていると思うけど、私が戻らなくなって涼さん自分で命を絶ってしまった」

フとした切掛けで生活のバランスが崩壊し、命さえ奪ってしまう。その経緯の恐怖を感じた。

そして人は嫉妬で簡単に良識から踏み外す。

純一も同じ心境を味わった。手を挙げた過去の失態は今も悔恨の念として心に刻み込んである。

ミユキが最も消したい過去を曝し、苦悩を滲ませた表情で言葉を続けた。

「涼さんは最後まで私を恨んで、遺書にも酷い思われ方が書かれてた見たい。

それで両親は私の過失を探そうとして、探偵を使って私の素性を徹底的に調査したの。私の生い立ちを調べ上げるとまるで野良猫みたいに罵られたわ。そんな野良猫みたいな女に騙されて、死んでしまった涼さんが不憫だって。

そして怒りが収まらなくて、麻布病院に乗り込んできたの。院長や理事長を相手に私を首にしろって、病院でビラを巻かれて大騒ぎになって、私の素性が病院全体に知れ渡ってしまった」

「酷いな、そこまでされたのか。でもその両親とんでもない勘違いしている。そんな軟弱な精神に育てた両親自身の責任を忘れている。人は誰だって死にたいと思うような苦悩は幾度も経験する。でもそうしたことで精神が鍛えられて成長していくものさ。

失恋の腹いせで自殺なんて最低だ。相手に対する腹いせで自殺していたら、幾ら命が有っても足らないよ。

人間で一番やっちゃいけないのは自分を殺す事さ。人を殺すのと同罪だ。

それにミユキと真正面に向きあって真相を確認しようともしない。まともに立ち向かう勇気もない。

その癖責任は何でも相手に擦りつける。人間として未熟過ぎるよ。そんな風に育てたのはその両親じゃないか」

純一は、ミユキの傷口に粗塩を擦り込んでミユキを起ち直そうとした。

「・・・・・有り難う」

純一の言葉に少し気持ちが柔らいで顔に緩やさを取り戻したが目の渕が紅く染まっていた。

「でも複雑だわ。大好きな人だったし、本当に苦しくて自分でどうしていいのか解らなかった」

当時17〜8歳の少女の苦境は並大抵では無かったのだろう。

愛した男への想いと現実の事件の狭間で苦悩していた様子が理解できた。ミユキが悲しそうに続けた。

「涼さんの親に罵られた野良猫ってきつい言葉!酷く落ち込んだ。私には普通じゃない獣の血がながれている。

だから人をいつも不幸にしちゃう。ヤッパ滅入るわ」

ミユキ自身が持て余す不可思議な考察力に幾度か悩まされ、それをどう説明していいか悩みながら話を続けた。

「私は時折人が何を考えているか判る事があるの。

感覚で感じちゃうていうか、この人私にこうしたいのだろうなって。その人の考えを先回りして仕掛けちゃう事が有る。

多分傷つくの判って、でも自分でコントロール出来ない。いつの間にか相手を追詰めちゃう。本当に私って魔女なのかなって思うの」

それは純一自身幾度も振り回された覚えがある、当時の苦悩したシーンを思い浮かべた。

「確かにミユキは人を惹きつける魅力で相手を狂わせる何かが有るのかもね。

でもそれはミユキのせいじゃない。やはり自分が立ち向かってタフに成らなきゃ、そこまでミユキに責任が有ると思えない。余り自分を責めるなよ」

「でも僅か20年位の間に、自殺されたり病院に刃物持ってきて暴れられたり、廻りを不幸にしちゃう原因はいつも私なの」

「そうじゃない。ちゃんと原因が有るじゃない。いい加減な噂で自殺者まで出させた根本は結城じゃないか。本人はまるで罪の意識がないし、何の反省もしてない。まるで他人事で話していた。その上同じ手口で僕から130万円巻き上げたんだぜ。

彼女が本当の魔女だし悪党だよ。ミユキが自分を責める事じゃ無いさ」

「・・・・・判っている、でも結果が重すぎるわ」

ミユキにも理屈は解っていた。

然し事件の悲惨さから逃れられない当事者としての責任を感じていた。

「誰でも行動と結果に責任を持てば怖くて迂闊なことは出来ない。行為と反応は意外と対等なんだ。

今回の僕の結城への報復はやり過ぎだけど、過去の罪からしたら妥当なのかもしれないな」

「確かに結城さんにはいつも嫌な思いさせられてきた。

純一さんに話していた私の噂も、結城さん自身の事で涼さんと全く同じだし・・・・・勿論私は潔白でも純粋でもないし頑なに今日まで来たわけじゃない。好奇心も有ったし、人並みの付合いもしてきた」

ミユキ自身が信念を持って生きてきた結果なのだろう。それを断言され、猜疑心に呵まれてた自身の軟弱さに自己嫌悪を感じた。

「純一さん不愉快」

「いや、反省しているよ、嫌な事思いださせて」

「ご免ね。純一さんと知りあう以前の事だから、純一さんを裏切った訳じゃない。それに純一さんと付合ってから松谷さんに一度も身体を許さなかった」

「それって本当かよ」

「信じなくても構わない。

松谷さん一緒にいるとき酷く荒れた事があったわ。

純一さんに向いた気持ちが許せないって、一度殴られた事が有った。それで一旦自宅に逃げ帰ったらもう何も言わないし手も挙げないから帰って来てって戻されたの。

女って不思議よね。

何も意識しないで身体許していたのに、一旦拘りが生まれると殻に閉じこもってテコでも許せなくなる。

気持ちでは可愛そうと思ってもいざとなると拒止しちゃう。

何故か自分でも判らない。有る意味松谷さんに残酷なことしてきた」

純一は胸に残した烙印が再び痛みだした。

医大生も松谷も自分も皆同じように嫉妬と言う異物に悩まされ、ミユキが最も嫌悪している暴力を振るってしまうのだ。

「ご免ね。ミユキの本心理解できず勝手な思い込みで嫌な事思いださせちゃったネ」芯から後悔し、言葉にした。

「もっと早く純一さんに会ってれば、純一さんを苦しめなくて済んだのに」

険しい眼差しで純一を見据えて言った。結城への怒りが隠り幾度も噛締め少し血を滲ませ顔を歪めていた。

その晩2人がベッドに着くと、どことなく上気して落ちつかなかった。

ミユキが呟いた。

「私性格悪いかも」

「なんで」

「今日どことなく興奮している。多分結城さんの性だと思う」

「本当かよ、僕も不思議に漲っておかしい。後悔しているのだけど、結城が浮浪者に犯されているシーンが妙にワクワクさせている」

「いやだー私も最悪、身体に来ている」

ミユキが呆れたように大きな声を上げた。

「多分今迄の嫌がらせの仇が打てて、溜飲が収まって、興奮しているのだと思う」

今迄一方的に危害を被っていただけに、2人にとって残酷な報復シーンは妙なゾクゾクする快感をもたらした。

「2人共性格悪〜う」

ミユキのふざけた言い方が妙に艶っぽく聞こえた。

その晩はいつもの押さえた行為の割に大きな反応を示した。

ミユキのきめ細かい肌から、霧のような汗がびっしり浮かび上がって、今迄と違う迎え方を見せた。

穏やかな息遣いも深さが違った。触れ合う皮膚の響きが違った。

そして幾重にも違う終わり方を見せ、2人は未知の世界に遭遇した感覚を味わった。ミユキは深く呼吸を整えながら呟いた。

「純一さん。こんなの初めて」

「本当、俺もおかしい。確かに今日のミユキは違っていた」

「何かへん、私子宮が無くなってから女になったみたい」

「そんな馬鹿な事言うなよ。確かに今日のミユキ女を感じた。こんなに淫靡なミユキ初めてだ」

「困ったわ、これから純一さんが気になって焼き餅焼きそう」

「今迄、俺はミユキに焼いていたけど、ミユキに焼かれた事無かったね」

「不味いわ、まずいわ、独占したくなったら、私本当は凄い悪女だから、純一さん耐えられないかも」

「いいよ、我侭言って。それに独占してくれたら嬉しいかも」

過去の営みはいつもミユキの施しに尽きていた。

しかし結城に被った屈辱と悪意を痛撃な報復で一気に溜飲が下がり、女として躰の奔流に新しい息吹が生まれミユキ自身の資質が変わった。

それからシャキシャキした日頃の行動もどことなく柔らかな女の仕草を感じた。

そうした日常でも純一は自宅への思いは残していた。

特に給料の振り込日には家族達への思いが巡った。

長い時間子供に会えないことが、これほど虚しいと理解出来てなかった。

妻が空気のような穏やかさで迎えいれる姿を改めて思いだしていた。ミユキとの生活は有る意味緊張を伴った。

だらけた自分の居場所は此処にはない。その緊張で気持ちが籠もる。その分新鮮だが疲れた。

純一は何方も充分すぎて、何方も荷が重かった。次第に心に疲労が蓄積され、この環境に根を挙げ始めていた。

(自分は不幸な人生をおくっているのでは。勝手なものだ)

次第に現状の生活に重しを感じ始め、大凡2ヶ月が経った頃、妻は自宅に全く戻らなくなった夫の消息を確かめに突然会社に訊ねてきた。社内では自宅に帰ってない事を伏せていたので、近所の喫茶店に連れ出した。

喫茶店のテーブルにつくと妻が穏やかにきりだした。

「一体どうしたの、子供たちが心配しているわ」

「済まない、離婚してくれ」

「どうして、貴方らしくないわ」

「いや、俺はこんなものだ」

「違うわ、子供を放り出して離婚なんて出来ない人よ」

「訳は聞かないでくれ。お前に何も問題はないし、家族に何の罪もない。俺の我が儘さ、言訳一つできないよ」

「あの女だって言うのはわかってる。貴方が目を醒まして戻ってくるまで待ってる。でも今後、幼稚園の面接とか色々あるの。

せめて子供たちの為に決められた日だけは戻ってあげて。あの子達に父親は貴方しかいないのだから」

既に目に1杯溜まった涙を溢さないように堪え、目の渕が膨らんでいた。その表情に純一の胸に針が音も立てずに射込まれたような痛みを感じた。

「わかった、それだけは約束するよ。本当に済まない」

「食事とかちゃんとしているの。何か有れば薫や勇太に関わるのだから、身体に気を付けて」

妻の気遣いが尚更不徳の自分を真綿で締めてくる。

「大丈夫だ、無茶はしないようにしている。それより子供たち宜しく頼むね」

「あと、田舎の両親には心配かけたくないので、家に来たときは戻って来て」

「わかった。なるべく迷惑はかけないようにする」

一通りのルールを妻から取り決められ別れた。

妻は決して上気せず事の推移を見守り荒立てない。かといって純一に愛情を感じない訳では無い。

嫉妬心が増せば増すほど押さえる自制心が作用する性格のようだ。その落ち着きが純一の逃げ場を塞いで追いつめる。

むしろ叫び声を上げて迫ってくれば結論が出しやすい。

何一つ解決が出来ないまま、責任だけは確りと確約させられた。

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