第4話 黒い波頭
与那国島北方50海里の公海上に3隻の漁船が低速で航行していた。1隻が中心から前に出たような三角隊形でゆっくりと進む。ちょうど白ばんでいた空は朝日が昇り始めたことで一気に明確な色彩を主張し始める。そして、凪いだ海面は、キラキラと小刻みに受けた陽光ち始めていた。
漁船は、いずれもマグロ延縄漁船だった。いずれも40トンクラスの漁船は、この部類では中型にあたる。船首には、それぞれ「かげろう」、「いかずち」、「ふぶき」と船名が記入されていた。
「船長、停船。」
先頭を進む「かげろう」では、弁当箱大の通信機器らしい箱から出たケーブルに接続されたタブレット端末を持つ田原が傍らで車のハンドルよりも造りの単純な舵輪を操作する男に指示した。船長と呼ばれた男は
「了解、停船」
と復唱し、船を停船させる。低速で進んでいたとは言え、すぐには止まれないので、隊列は乱れ気味になるのだが、他の2隻もまるで見えない棒で繋がれているかのように同時に速度を落とし始めた。「かげろう」が完全に停船すると「かげろう」の左右両側を進んできた「いかずち」と「ふぶき」ゆっくりと「かげろう」の横を通って「かげろう」の前方で停船し、船団はV字形の隊形になった。
その一糸乱れぬ船団の動きに田原は満足気に頷いた。無線封止で連絡を取れなくてもこれだけ呼吸のあった船隊運動ができるとは、まだ衰えていないな。よくもこんなにスゴ腕が集まってくれたもんだ。と田原は感慨もひとしおだった。俺も頑張った甲斐があったってもんだな。
田原は、タブレット端末内蔵のGPSで現在位置座標を確認した後、画面をタッチして画像を呼び出した。画面は、「やはぎ」という文字がつけられた点を中心とした数個の点と、そこから離れて「いそゆき」と文字のつけられた点とその隣にもうひとつの点、そして「やはぎ」の進路上には「いしがき」ともうひとつの点、さらに先には「海監51」と周囲に2つの点があった。「やはぎ」の南方には田原の乗る「かげろう」を先頭とした3つの点があった。この画像は、尖閣諸島へ向かっている船団の持っているレーダーの画面を画像化したものでJpeg形式の写真データとして無線電波に乗せて発信されたものである。尖閣諸島に向かっている河田の船団との関連性をつかまれぬように田原の船団には通信の禁止、軍事的に言えば無線封止が厳命されていた。このため、レーダーの画像データは、河田の船団が一方的かつ定期的に送信しており、田原はこれを適宜受信して利用していた。
田原は、画面から周辺に艦船、航空機がいないことを確認し、文字盤が大きめの腕時計を見た。時間は5時25分を示していた。
「船長、位置よろし、あと10分で浮上してくる。錨降ろせ」
船長は、各船の位置を確認する。左前方に「いかずち」、右前方に「ふぶき」がいる。その船尾が「かげろう」の
「本船の錨降ろせ、僚船に指示、錨降ろせ」
前方の
その作業と腕時計を交互に見比べる。時が刻一刻と迫ってくる。そして腕時計はあと1分を示した時、田原は緊張と共に生唾を飲み込んで船長に言った。
「船長、あと1分で浮上してくる。配置よいか?」
船長は、前方のデッキを確認した。この日のために右舷に取り付けたウィンチには1人、その周囲に2人、いずれもライフジャケットを着用している。そして船縁には左舷、右舷にそれぞれ1人ずつ潜水具を付けた男が待機しているのを確認し、
「配置完了です。」
と答え、船内放送のマイクを取り上げて腕時計を確認する。
「こちら船長、浮上まであと30秒」
前方の甲板上の男達は右手を軽く挙げて応じた。傍らの田原は、タブレット端末の画面をタッチし、河田との打合せ通り定刻5分前から1分おきに送られてくるレーダー画面の画像の確認を続けていた。今のところ周辺に異常は見られない。
尖閣諸島から東方50海里で警戒活動をしている第13護衛隊の護衛艦「いそゆき」は、河田の船団が発する電波をキャッチしていた。
「艦長、通信室からの報告です。本艦から北方で467MHz帯の電波を受信。例の漁船団のものと思われます。」
当直が艦内電話で受けた内容を報告してくる。午前5時30分、明るさを増した日差しに艦橋内も活気付く、報告を受けた倉田2等海佐は、その報告に満足そうに頷き。
「傍受内容を報告せよ。」
と、当直に対して通信室への命令を指示する。決して手を出したりできず、目に見える所まで顔を近付けることさえできない警戒任務。しかも我々よりも前線で危険に身を曝しているのは、我々よりはるかに貧弱な武装の巡視船である。これほど士気の下がりやすい任務の中でもこんな報告が上がってくるということは、こんな実感のない任務でも緊張感を持って取組んでいるという証拠だな。まだ、大丈夫だ。と倉田は思った。
「艦長、内容は傍受できず、デジタル通信と思われる。と言っております。」
先にそれを言えよ!倉田は、内心毒づいた、士気には問題がないようだが、いかんせん慣れていないようだ。通信室か~、あの若い幹部だな?最近の幹部は暢気でかなわん。
「ちょっとそれ、貸してくれ。」
倉田は当直から艦内電話を受け取り通信室と直接話をする。
「こちら艦長、通信室」
「通信室、川崎3尉です」
叱っちゃいかん、伸ばすんだ、と自分に言い聞かせ、倉田はトーンを落として口を開いた
「御苦労。先ほど報告してくれた例の船団の通信だが、詳しく聞かせてくれ。内容的には通話か?」
「デジタル通信のため、内容は不明ですが、電波を発している時間が数秒から数十秒が最も多いのでおそらく通話と思われますが、気になるのは1秒未満の通信が5分ほど前から頻繁に発せられていることです。」
デジタル通信での通話は、マイクで捉えたアナログな声を特定のルールによって「1」と「0」もっと簡単に言えば信号のオンとオフの組み合わせによるデジタル信号に変換して送信する。受信する側は、そのルールに則って「1」と「0」の組み合わせをアナログの音声に変換しスピーカーに出力する。このため通信機には、デジタルからアナログへ、アナログからデジタルへとルールにもとづき変換する回路が組み込まれている。このため、通常のアナログ無線では、周波数さえ合っていれば通話内容を誰でも傍受することができるが、デジタル無線では、この変換回路がなければ周波数が同じでも「1」と「0」の組み合わせが発する雑音しか傍受できないので、通話の内容を知られることはない。デジタル無線は日本では警察無線にいち早く導入された。そのきっかけは、逃走する犯人が無線で警察の無線を傍受しながらその裏をかき逃走し続けたことによる。その後、デジタル無線は通話だけでなく、デジタルという特性からデータ通信など様々な用途に普及してきた。携帯電話は、一般に普及しているデジタル通信の身近な例といえる。また、一部の鉄道でも、通話と各種情報の送受信をデジタル通信で行っている。ただし、デジタル通信は、電波が弱くなる遠距離や障害物により受信感度が悪くなる山岳地帯など、電波で送られたデジタル信号を確実に受信できなければアナログ音声に変換することが困難となる。これに対してアナログ通信は、電波が弱かったり途切れやすい場合でも、受信できた部分については弱いなら弱いなりにも、途切れたなら途切れる直前まで、アナログ波で直接受信しているので、感度が悪くても感度が悪いなりそのまま音声として聞くことが出来るのである。よって音声通話が主体で、通話の確実性を重視する通信、あるいは一般的に傍受されても問題ない通信の場合は、電波で直接アナログ音声を伝えるアナログ通信が主流である。航空機、消防などもアナログ通信を使用している。
こういった知識を持ち合わせていた倉田は、通常の漁船がデジタル通信を用いていることに疑問を感じた。
「了解、怪しいな~。何でわざわざ漁船がデジタルを使ってるんだ?しかも音声だけじゃなくデータ通信だって?うん、海保に教えてやろう。」
と呟くと続けて通信室への指示を出した。
「よし、川崎3尉、海保の巡視船「はてるま」に連絡してくれ。発;護衛艦「いそゆき」艦長。宛;海上保安庁巡視船「はてるま」船長。貴船隊付近の船団は、デジタル無線による通話及びデータ通信を行っている。通常の無線運用にあらず、行動に注意を要されたし。以上だ。」
倉田は努めて明瞭な声で伝えた。
「了解。送信内容復唱。発;護衛艦「いそゆき」艦長。宛て;海上保安庁巡視船「はてるま」船長。貴船隊付近の船団は、デジタル無線による通話及びデータ通信を行っている。通常の無線運用にあらず、行動に注意を要されたし。以上。」
川崎3尉は、自分の報告を真摯に受け止め、共に検討し、最大限に活用してくれようとしている艦長倉田への信頼感が増し、また、自分が役に立っているという高揚感も相まって、自然と復唱する声に力が入った。
「復唱よろし、送信頼む。」
「了解。」
海上保安庁第11海上管区保安部所属の巡視船「はてるま」を中心とした3隻の巡視船隊は、尖閣諸島の北東30海里から南下し始め、尖閣諸島に向かってくる5隻の漁船と思われる船団を補足する行動を始めた。
そこに海上自衛隊の護衛艦「いそゆき」からの通信を受けた
「船長、海上自衛隊護衛艦「いそゆき」から通信が入りました。貴船隊付近の船団は、デジタル無線による通話及びデータ通信を行っている。通常の無線運用にあらず、行動に注意を要されたし。とのことです。」
「ありがとう。この海自さんはジェントルマンだな。返信しておいてくれ。発;巡視船「はてるま」船長。宛て;護衛艦「いそゆき」艦長。助言に感謝する。引き続き監視をお願いしたい。以上だ。」
船長の兼子は、海自の好意に感謝すると共に、倉田と同じく疑問を感じた。
「デジタルでの通話にデータ通信か、まあ、海は島でもない限り見通しはいいからな。使えなくはないが、なんでわざわざ金のかかるデジタルにしたのか?聞かれたくない会話をしているとでもいうのか。それとも何か良からぬことを企んでるということか。データ通信も気になる。どんなデータ通信をしてるのか?まさか暇つぶしにネットサーフィンをやっているわけじゃああるまいし。。。そもそも衛星携帯電話でもない限りこんな場所じゃ、電波届かんからな。」
兼子が頭の中であらゆる危険なパターンをシミュレーションする。
「用途が船舶無線ならばともかく、作業用に単に新しいトランシーバーを買ったらデジタルだったということもなきにしもあらずですよね?周波数の割り当てがだんだん足りなくなってきて将来的には、一般用にもデジタル無線を使うとかという話もあり、結構売ってるみたいですから。」
起き掛けの副長が欠伸を我慢するような顔をしながら答えた。なるほど、暢気な答えのような気もするがそういう一般論はあるんだな。しかし。。。
「なるほどな、じゃあ、簡単に買えるわけだ。。。だとしたら、最悪の方向で考えよう。デジタル無線を買った。それは通話内容を聞かれたくない。イコール密漁か?それとも?」
起き掛けで寝ぼけている副長や勤務明け間近で疲れきった当直の頭を活性化するかのごとく、倉田は続きを促すかのように末尾を上げた。
「密輸?ですか?」
当直が答えた。
兼子は、甘いなと思いつつ、もう1つ判断材料を付け加えた。
「行き先は尖閣諸島。ハッキリしているからな、密輸ではないだろう」
「あっ、まさか尖閣への強行上陸?」
副長が突飛な声を出した。
「その可能性が強いな。強行といっても我が国の領土だから上陸してしまえば、中国もそうそう手を出せんだろうが、辿り着くまでにはありとあらゆる手を使って妨害してくるだろうな」
「上陸されたらされたでかなり大きな国際問題になるでしょうね。」
副長が腕を組んで悩ましそうに言う。
「いや、副長、それをいうなら2国間問題だろう?まだ国際社会が中国に味方しているわけじゃあない。ま、いずれにしても大問題だな。だいたい自国領と言っておきながらも自国民が上陸することを問題視している我が国自身も問題だよな。」
兼子は溜息混じりに言った。
「そうですね。我が国自身の領土に対するぼやけた方針も問題ですよね。だから付け入られる。やはり上陸が本日最大のリスクですね。」
副長は兼子の皮肉に苦笑いで答えた。
兼子は副長に頷くと命令を下した。
「よし、上陸の可能性への対処で動こう。総員配置につき交代で朝食後をとらせろ。」
それを聞いて副長は館内放送で命令を伝えた。
兼子は副長の放送が終わると
続けて兼子は副長に
「護衛艦「いそゆき」に連絡。貴艦の助言により当船では、当該船団が最悪の場合、尖閣諸島魚釣島に上陸を企図するものと判断し、接近運動を試みる。周囲に異変ある場合は連絡を乞う。だ」
副長は、了解。と答え、復唱の後、「いそゆき」に連絡した。
それから数分経過後「いそゆき」から通信が入った。
「船長、「いそゆき」からです。
了解。監視強化及び示威行動のため、当艦より那覇基地にP-3Cの出動を要請した。到着時刻は1時間後。現状では、当艦隊はこの場を離れられないが、危急の事態が発生した場合は急行するので連絡されたし。武運を祈る。
以上です。」
心強い回答に目頭が熱くなるのを感じた兼子は、
「「いそゆき」に返信。
協力に心から感謝す。
以上。」
と力強く答えると、副長に
「「いそゆき」の艦長は、どんな男なのかな?協力的でこちらも動きやすい。一体感と安心感すら感じる。ああいう艦長はいいね」
と嬉しさの笑みを浮かべた。
副長は、少し驚きながら
「えっ、船長は「いそゆき」の艦長を御存知じゃなかったんですか?ウチじゃあ有名ですよ。倉田という艦長で、御子息が、ウチでヘリのパイロットをしているそうです。」
「あ、あの倉田君か?東日本大震災の時にヘリで支援活動をしていたな。この船も仙台沖で支援活動をしていた時に何度か倉田君のヘリが着船して救助者の引渡し、物品補充もしてくれた。この船はヘリ格納庫こそないが、ヘリに燃料を補給することは出来るから、ここで燃料補給して活動したりもしていたよ。そうか、あの倉田君のお父さんか、機会があったら話をしてみたいもんだ。」
兼子は、昔を懐かしむように語った。
沖縄県那覇基地、この航空基地は、陸・海・空3自衛隊が常駐する珍しい基地であると同時に近年軍備拡張と海洋国家戦略による領土拡大の政策により活発な活動を続ける中国や、予断を許さない北朝鮮に対峙する南西方面の拠点でもある。このような状況に対して航空自衛隊は首都圏防空の拠点である百里基地の第204飛行隊の主力戦闘機F-15Jを那覇基地に移動させ、那覇基地の第302飛行隊の旧式感の否めない戦闘機F-4EJ改を百里基地に移動させる配置転換を行った。また尖閣諸島問題だけでなく中国海軍潜水艦の領海侵犯も発生しているこの海域の警備のため、那覇基地の海上自衛隊第5航空群第5航空隊は、潜水艦の探知・攻撃能力に優れる哨戒機P-3C、2機による警戒飛行を毎日早朝から実施している。
5時45分に那覇基地を離陸した海上自衛隊第5航空群第5航空隊の2機のP-3Cからなるティーダ3とティーダ6は、北方に針路を維持しながら目標高度3,000フィート(約1,000m)に向かって上昇を続けていた。朝の日差しを受けて一面グレーで塗られた機体も光輝いている。10年ほど前までは機首先端から丸みを帯びたレーダードームは黒、胴体上半分は白、下半分は灰色の2トーン塗装で垂直尾翼には翼面全体を使って大きな青いペガサスの部隊マークが塗装されていたのだが、今はその部隊マークすらない。いたって地味な機体であるが、この地味な塗装の方が現状の緊張状態にマッチしているといえるのかもしれない。P-3Cには、機長を始め11人が搭乗している自衛隊機としては大所帯の部類である。開発はアメリカだが、海上自衛隊のP-3Cは、ほとんどが日本でライセンス生産されたものである。全長35.6mの太い胴体にはプロペラ機らしい直線の翼が伸び、4つの大きなプロペラが所狭しと回っている。このプロペラを回すのはアメリカのアリソン社が開発したエンジンを石川島播磨重工業がライセンス生産したT56-IHI-14ターボプロップエンジンで、1基で4,910馬力ある。ターボプロップエンジンは、圧縮空気を燃焼させてタービンを回し、そのタービンの回転でプロペラを駆動する。いわばジェットエンジンでプロペラを回しているようなものである。独特の重低音を周囲に響かせながら4つのプロペラで空を掻きグイグイと昇っていく。
上昇しながら那覇基地管制塔の航空管制官から航空路を管制する那覇航空交通管制部(ナハコントロール)に無線交信を引き継がれた頃、別の無線に通信が入った。
「第5航空群司令よりティーダ3編隊、任務変更。通常の警戒コースではなく、直接尖閣諸島へ向かえ。尖閣では、護衛艦「いそゆき」の指示により警戒飛行を行え。任務終了後通常の警戒コースに戻れ。「いそゆき」との交信はチャンネル7を使え。以上」
チャンネルとは、あらかじめ任意の周波数を割り当てた番号である。民間機のように周波数を直接伝えると間違えが少ない反面、簡単に傍受されてしまう。自衛隊では、安易に傍受出来ぬように事前に周波数を割り当てた番号を用いているので傍受している方は、どの周波数に合わせたら良いか分からない。マニア泣かせな周波数運用なのである。
「ティーダ3了解。直接尖閣諸島へ向かい、「いそゆき」の指示により警戒飛行を行う。「いそかぜ」との通信はチャンネル7」
右席に座る副操縦士の高橋3尉は復唱し、左席で操縦桿を握る機長の長谷川1尉の方を向く。長谷川は親指を立てて了解の意を示す。続けて高橋は那覇航空交通管制部にコース変更の許可を申請する。
「Naha Control.TIDA3.Request direct to Senkaku.Due to changed mission.(那覇航空交通管制部、こちらティーダ3。任務変更のため、尖閣への直行を許可願います。)」
「TIDA3.Naha Control.Roger.Cleard for Direct Senkaku.Turn left heading225.(了解。尖閣への直行を許可します。左旋回して針路225度を維持してください。)
管制の許可を得ると長谷川は操縦桿を左に傾けて機体を左旋回させ、針路を225度にした。そして程なく機体は目標の高度3,000フィートになり、長谷川は機を水平飛行にした。
「ユーハブコントロール」
と長谷川は言った。
「アイハブコントロール」
と高橋が答え、操縦桿に手を添える。
軍用機、民間機を問わず機長と副操縦士、2人のパイロットがいる航空機では、操縦を交代する時にこのような声を掛け合い、勘違いで操縦している人間がいない状態という冗談のような事態を避けている。
副操縦士の高橋に操縦を担当させている間に僚機のティーダ6に任務の変更を伝えた後、インターフォンのチャンネルを機内共通にセットして任務の変更を全員に通達した。尖閣まであと1時間。魚釣島に直進しながら「いそゆき」からの指示を待とう。高度は「いそゆき」の注文次第だな。長谷川は、左後ろにティーダ6がぴたりとついてくる。
「高橋、針路そのまま、まっすぐ尖閣へ向かえ。高度は3,000(3,000フィート
(約1,000m)を維持。「いそかぜ」とコンタクト後は、「いそかぜ」の御注文にそうということでいこう。」
長谷川は、おどけた素振りで歯を見せて大げさな笑顔を作った。こういうときはあまり緊張させすぎるのもいけない。と自分に言い聞かせた。どうせ漁船団がしゃしゃり出すぎてるんだろう。潜水艦相手のフルメンバーで来ているから、勝手が違うな。暇で緊張感が途切れるヤツも出てくるかもしれん。あ、各自に役割を与えよう。
「こちら機長、目標は潜水艦ではないと思われる。よって今から各自の役割を伝達する。TACCO(戦術航空士)とNAV/COM(航法・通信員)は出窓を使って、写真撮影、FE(機上整備員)、IFT(機上電子整備員)、ORD(機上武器整備員)は見張り。SS-1、SS-2(ソナー員、機上対潜音響員)SS-3(レーダー員、機上対潜非音響員)は、自慢の道具を使って警戒を続けろ。どんな小さなことでも報告しろ。」
長谷川は全員の返事を確認して、ふ~と小さな溜息を吐いた。
腕時計が5時35分を示した。前方の海面に気泡が見えた。田原は潜水士に船内放送で指示を出す。
「よし、時間だ。かかれっ」
両舷に1名ずつ、舷側に腰掛けていた計2名の潜水士は右手を軽く上げると後ろ向き転がるように海に入っていった。潜水士が気泡に向かって泳いでいく間に、大きな気泡が発生して、やがてゴムボートをひっくり返したような材質と大きさの黒い物体が2つ海面に浮き上がってきた。潜水士はそれぞれの黒い物体に取り付いた。右舷側から海に入った潜水士がウィンチ員から渡されていたワイヤーのフックを物体に付けられた輪に掛けた。何度かフックを引っ張って問題ないことを確認した潜水士はウィンチ員に向かって親指を突き上げた。巻き上げ開始の合図だ。もう1人は、輪に手を掛けてその船首から投げられたロープを縛り付けた。船首の人間に親指を突き上げて合図し、引き揚げを開始した。
1つ目の物体を引き揚げた後、作業員は即座にフックを外してロープで船首右舷側に引き寄せられた2つ目の物体に向かってフックを渡した。2つ目も順調にウィンチで引き揚げられてきた。
甲板に揚げられた2つの物体が作業員達によって切り開けれ中身を取り出す作業を始めた。
作業が始まって30分が経過していた。
その順調な作業振りを確認していた田原は脇に抱えたタブレット端末がバイブレータで振動するのを感じ慌てて手に取った。画面上のレーダー画像の中央に大きく「ALERT」という文字が赤で点滅していた。田原が画面をタッチすると「ALERT」の文字は消えて、驚異対象を赤い三角形の点滅で表示していた。三角形は航空機を意味する。画面にはTIDAと表示されていた。田原は、船長に悟られぬ程度に軽く舌打ちした。あと1時間でこちらに届くがこの天気だとあと40分で目視で発見されるな。それにしてもどちらに向かってるんだ?尖閣か?こっちか?どちらにしても中身を確認する時間はあるな。田原は再び前方の甲板へ目を向ける。1つ目のアルミ製の箱が開けられたところだった。田原は双眼鏡を構えた。近すぎてピントがボヤケている、慌ててピントを手前に合わせながら凝視する。ピントが合った時思わず「おお~、」
という感嘆の声を漏らしていた。
ピントが合わせられた田原の双眼鏡には、甲板で開けられている箱の中身が大きくはみ出しながら写っていた。それは細長い形状で整然と並べられ、朝日を浴びて黒光りする光沢が金属の重厚さを主張していた。先端に行くほど細くなっており、先端の筒状に見える側面にはスリット状に穴が開けられている。それは戦争映画などで男性なら一度は目にしたことのあるお馴染みの小道具、アメリカ軍で過去に制式採用され西側各国でも使用されたことで大量に生産された自動小銃M16A1であった。田原は2つ目の箱を見た。そこには同じように黒光りする棒のような物が整然と並べられているが、後ろ半分は茶色い木のような物体が付いている。それは木製のストックであった。こちらも映画では敵役が御用達の旧ソ連で開発されたカラシニコフAK74自動小銃の中国のコピー生産品だった。今回の行動で田原はこれらの武器だけではなく、拳銃から対戦車ロケットまで一通りの武器を手に入れることが出来た。AK以外は全て信頼性が高く、使い慣れた西側製にした。AKは何故か河田の強い指示で数丁だけ入手した。M16A1の口径は5.56mm、AKの口径は7.62mmで弾薬が異なるどちらも一長一短だが両方入手する理由が分からなかった。2,3丁でいいし弾薬は100発だけでいいんだ。という河田の言葉に負け、手配した。
これらの武器は田原が直接マカオを訪れて武器商人と交渉を重ねて入手した。品物の確認から価格交渉まではどんな商売でも一緒だが、問題は引き渡し方法だった。最終的には丈夫で巨大なゴム風船の中にアルミケースに入れた武器を収納し空気を抜いておく。風船には液体酸素のボンベと時限装置、おもりを付けておく。公海上の指定の座標に沈めておく。そして指定の日時になったら、時限装置が風船に酸素を送り込み風船が浮力を得た時点でボンベと時限装置、そしておもりを切り離して風船部分のみが海上に顔を出す方式で合意したのだった。
ちゃんとやってくれるのか心配だったが、こうして計画通りに進んでいる。帰ったら礼の電話でも掛けよう。さて、飛行機はどうなったかなと田原はタブレット端末に目を落とした。お、やはり尖閣に向かったか、通常のパトロールとルートが違ったからそうだろうとは思ったが、こちらの作戦通りだ、みんな尖閣に釘付けになっている。そういえばTIDAって、那覇基地の海自の第5航空群だったな。懐かしいな。昔は一緒に潜水艦狩りをやったもんだ。ま、最もあの頃は飛行機は双発でもっとスマートなP-2Jだったし、あの頃は第5航空隊はいなくて確か第9航空隊だったな。俺の艦は今の艦のように対空ミサイルなんて付いてなかった。爆弾を積んだ戦闘機にでも来られたら第9航空隊も、俺の艦も全滅だったな。いずれにしても、確認も済んだことだし、さっさと引き上げるとするか。
P-3Cがこちらに来ないことを知り、やっと思い出に浸るゆとりができた田原は、船内放送のマイクで呼びかけた。
「これより帰投する。ケースには魚網を掛けておけ。僚艦に連絡。」
それを聞いた甲板の作業員は、次々とケースに魚網を被せていった。旗を持った男は、左舷側で、次いで右舷側で黄色の旗を大きく振った。各船は、錨を引き揚げてエンジンを吹かす。それに合わせて煙突から真っ黒い煙が濃くなったり薄くなったりしている。そして、一際濃い煙を噴出すと一斉に前進を始めた。彼らがいた海面には投棄された黒いゴムの残骸が引きちぎられたゴムボートのように漂っていた。それらは、時折波間に黒い頭を覗かせ不気味な光沢を放っていた。
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