第3話 艦隊
日本、中国、そして台湾が領有権を主張する尖閣諸島は、石垣島の北方約130kmから150kmに点在する魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島などの島々で構成されている。いずれも現在は無人島となっているが、戦前は定住者もあった。そもそも尖閣諸島は1885年から1895年の長きに渡り当時の日本政府が領有状況を確認し、隣国であり現在は中国となった当時の清国など、いずれの国にも属していないことを確認したうえで、1895年1月14日の閣議で正式に日本に編入した。というのが日本政府の見解である。
尖閣諸島は、日本国に編入の年に、実業家の古賀辰四郎に期限付きで無償貸与された。その後、琉球諸島の住民が建設した船着き場や、古賀が建設した鰹節工場やアホウドリの羽の加工場などが存在し最盛期には約280名の島民が生活をしていた。1940年の事業中止に伴い無人島となったが、戦後1951年サンフランシスコで連合国との間で交わされたサンフランシスコ講和条約により戦後日本が正式に独立を果たしたが、沖縄だけはアメリカの施政下に置かれる事となり、これに合わせて尖閣諸島は沖縄の一部として、同じくアメリカの施政下に入った。その後1978年まで尖閣諸島の久場島と大正島を在日米軍が射爆撃場として使用していた。無人島から殆ど使用されることがない射爆撃場と化していた尖閣諸島であったが、1969年国際連合アジア極東経済委員会による海洋調査により、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告されたことで一躍脚光を浴びた。1971年には、沖縄と共にアメリカから返還された尖閣諸島だったが、日本の防衛力、国際影響力の弱さに付け入るかのように日本返還のこの年、中国と台湾が尖閣諸島の領有権を主張し始めた。それは海洋資源という獲物すなわち尖閣諸島を強国アメリカが手放すのを待っていたかのようであった。
その後、実効支配する日本と領有権を主張する台湾・中国側との間で、不法操業や不法越境・上陸をともなう国際問題がしばしば発生し、2005年には沖縄近海における台湾漁船の抗議活動や尖閣諸島沖で不法操業を行っていた中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりする事件が発生した。さらに2012年9月に日本政府が尖閣諸島を地権者から買い取り国有化を果たしたことで中国国家海洋局の海監など、中国公船による尖閣諸島での領海侵犯が繰り返し行われている。また、中国の航空機による領空侵犯も行われ、この海域の緊張状態は予断を許さない状況にまでエスカレートしていた。
6月23日午前4時30分、空が明るくなり始めた頃合いを見計らって船上での人の動きが活発になってきた。その周囲の慌ただしい雰囲気を感じて古川は目を覚ました。フリーの記者になってから海外の紛争地域でも取材を行った経験から、古川はどこでも短時間で熟睡し、体力を温存する術を学んでいた。それがこの海でも活かされており長旅の上、漁船に揺られて眠っても目覚めはすっきりし、疲れも感じなかった。もちろん船酔いとも無縁だった。
古川はカメラを落とさぬようにストラップで首からたすき掛けに吊してカメラ本体を小脇に抱えながら狭い船室から甲板に出ると、3人の男が甲板上の荷物に掛けられたブルーシートを外す作業をしていた。古川は彼らに挨拶をしながら河田の居場所を聞くと、操舵室の上にいるという。舷側に設けられた狭い通路を操舵室へと向かい船首方向へ歩いていく。漁船にしては大きい方だが通路から海面が間近に感じられる。古川は慎重に船べりを掴みながら進んだ。船の中央近くまで通路を進むと操舵室の屋根上へと通じるハシゴのような細い階段がある。バランスを崩しそうになり手摺を掴む手に思わず力が入る。これが荒れた海だったらと思うとゾッとするな、と古川は一瞬背筋に寒気が走るのを感じた。あと数段で登り切るところで、河田が古川に気付いて右手を差し伸べてきた。左手には大きな双眼鏡を持っていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
河田は、早朝にも関わらず清清しい笑顔で古川を迎えた。
「ええ、お蔭様で、今までいろんな場所で取材したので、どこでも熟睡できるように心掛けてはきましたが、まさか漁船にも順応できるとは、自分でも感心してますよ。」
古川は、昨夜は分からなかったが、昔に比べてこの人は随分色黒になったな、と思いながら河田に言った。続けて古川は
「今はどの辺ですか?」
と尋ねた。
「尖閣諸島まであと60海里(約111.2km)です。」
と河田は誇らしげに答えた
「そうですか、もう少しですね。」
これから、河田はどういう行動をするのだろうか?という期待と不安に古川の声音は河田とは対象的となった。
少なくとも不安だけは紛らそうと
「以前、海自にいらっしゃった頃と比べて随分日焼けなさられましたね。」
失礼かとは思いつつ古川はストレートに聞いてしまった。
「退官してから石垣で漁業をやってますから焼けたんでしょうな。」
と河田は言った。
古川は驚きの眼差しで河田を見つめる。元自衛艦隊司令官で最終階級が海将の河田には、多くの天下り先があったはずだ。その河田が漁師をしていることに古川は驚かずにはいられなかった。
「えっ、そうなんですか?河田さんなら引く手あまただったんじゃないですか?もしかしてこの船は?」
いくらなんでも船までは持っていないだろう。と思いつつも古川は興味津々といった様子で話を続けた。
「そうです。私の船ですよ。確かにいろいろな職の話はありましたが、私は海が好きなのでね。」
「そうなんですか、すごいですね。船を持っているなんて、他の船は漁協のお仲間なんですか?」
船を持ってるなんて本格的とかいう次元とは訳が違う、古川は、河田が海を選んだ理由を聞くのも忘れて羨望の眼差しを河田に向けた。
「いえいえ、こんなことに漁協は巻き込みませんよ。5隻とも私の船です。」
友人に玩具を自慢する子供のような笑顔で河田が答えた。
「すごいじゃないですか?失礼ですが、かなりの金額になるんじゃないですか?」
古川は、驚きを隠せず感嘆の声で聞いた。と、同時に本当にどうやったらこんなに金が出せるんだ?という半信半疑な気持ちも盛り上がってきた。
「いえね、お恥ずかしい話なんですが、自分の力じゃないんですよ。実は妻が沖縄出身でして、義理の父親が水産会社を経営していたんです。それで婿である私が退官後その跡を継いだんですよ。親の七光りというかなんというか。。。義理のですけどね」
河田は少し申し訳なさそうに語気を弱めた。
河田は、船を5隻も持っているなんて聞かされたら誰だってどんな大金持ちなんだ?って思うよな、みんな同じリアクションをする。婿の大変さなんて、誰も聞いちゃくれない。と思いながら今まで様々な人にのべ何十回も説明してきたのと同じ回答を古川にもした。
「そうだったんですか、私には良く分かりませんが、義理の親の跡を継ぐというのも大変な御苦労があったんでしょうね。」
と古川は、同情の眼差しを向けた、こんなに大きな財産と、そこで働く海の男たち、、、きっと漁師は一筋縄ではいくまい。そんなところに最高の階級まで上り詰めたとはいえ海上自衛隊の河田がトップとして入り込んだ。同じ海の男といえども勝手も文化の違いに苦労したに違いない。
河田は思わず、おっ?といった表情で古川を見た。若いのにこんな捕らえ方ができるヤツがいるとはね。河田は心中呟いた
古川は照れ笑いを浮かべながら言い訳のように続けた。
「いや、規模は雲泥の差で蟻ほどにもなりませんが、私は義理の父の跡を継いで何もかも失いましたから。その難しさ、少し分かる気がします。」
ほんとに俺の場合なんて足元にも及ばないくらい小さいことだが、気持ちは分かる。と古川は思った。古川が新聞社を辞めた理由は、この激動の防衛環境の中、社会部へ移るよりもフリーで活躍したいという本音の部分と、建前は建前だが、人に言っても形だけの同情が返ってくるのが分かりきった理由があった。形だけの同情なんてされると今までの人間関係すら疑問に思えてしまうそう思った古川は、この建前の部分について多くを語らなかった。
「この就職難のご時世に独立する意味があるのか?」「記者だってサラリーマンだぞ、飯の種を捨てることは無いんじゃないか?ここに居たっていろいろ出来るぜ」「お前はまだまだこれからだ、今まで防衛で得てきた知識と経験と視点で社会部に新しい風を入れたらどうだ?」古川を思い留まらせようとする同僚や先輩の声は心に染みるものとなり、今でも心の財産となっている。建前を語らなくて良かった。その代わりみんなから心の財産を貰った。と古川は思っている。古川が新聞社を辞めるきっかけとなった建前の部分。それは、妻の父親が栃木県小山市で経営する小さな印刷会社の跡を継ぐためであった。社会部への異動の話しが出始めた夏の日の朝、その義父が病に倒れた。検査の結果は、末期の食道癌だった。こうして病院へ行かないことが取り柄でがむしゃらに働いてきた義父は、それが仇となってしまった。末期の食道癌でまともに食事を採れない義父は見舞いに行くたびに痩せ衰えていった。発する言葉も少なくなってきたある日ぽつりぽつりと義父が言った
「俺の印刷会社、、、玄さんが何とか切り盛り、、、してくれてるよな?」
「玄さんに任せきりにしてます。すみません。」
と枕元に立った古川は申し訳なさそうにうなだれた。
「それは、、、いいんだ、悟君も仕事が、、、あるんだから、、、玄さんなら安心だ、、、しかし、、、」
義父の目が心なしか潤んできたように見えた。義父は潤んできた目をぐっと閉じて続けた。
「私が死んだら、、、あの会社を自由にしていいと言いたい所だが、、、玄さんは再来年の春で退職なんだ、、、」
玄さんこと山田玄は58歳、義父が印刷会社を立ち上げた頃からの社員だった。一時は30人近くいた従業員も景気の悪化と共に激減し、今は玄しか残っていなかった。それでも仕事をこなせる量しか仕事が入ってこなくなっていた。義父の命と共に消えてしまいそうな印刷会社。もはや風前の灯だった。
「なあ悟君、、、玄さんが退職するまででいい、、、あの会社を、、、継いで欲くれないか、、、玄さんを路頭に迷わせるわけには、、、いかないんだ、、、その後は好きにしていい。。。申し訳ない」
古川に向けて開かれた義父の目には涙が溢れていた。古川の脳裏にこれまでの義父との思い出が走馬灯のように駆け巡る。古川は思わず屈みこんで両手で義父の手を握った。骨と皮だけになってしまった弱々しい手は義父の思いを伝えるかのように熱く火照っていた。
「分かりました。安心してください。」
古川は力強くそして噛み締めるようにゆっくりと返事をした。
それから5日後の夕方、義父の容態が急変し、亡くなった。
亡くなる数時間前、ICUに移された時に、酸素マスクを口に当て、次々に肺に溜まる水に苦悶しながら、付き添っていた古川の妻である娘の悦子に「悟君に、、、頼んだぞ、、、と伝えてくれ」と言ったのが家族が聞いた最後の言葉となった。
古川は、義父との約束を果たすためにも、新聞社を辞めるという選択をした。もちろんフリーでの活動も軌道に乗せるつもりで頑張っていた。しかし、その掛け持ち的な行動が誤解を呼んだ。経営者ではあるが、印刷のずぶの素人の古川が一から真剣に学ぶ姿勢にない、印刷という仕事を中途半端な気持ちでやっている、義父と玄がやってきた印刷の仕事に対する思いが、何よりも義父に対しての気持ちが足りないんじゃないか?そもそも前の仕事が諦められないんだろうな、その点は気の毒だ。。。と、玄には受け止められていた。
口数の少ない職人気質の玄は、多くを語らず、時だけが過ぎていった。そして、義父の一周忌の法事が終わった後、古川に玄が言った
「1年間お世話になりました。もう十分だ。あんたは好きなことをやったほうがいい。まだ若いんだから。。。溜まっている仕事も綺麗に片付けた。辞めさせて頂きたい。」
まるで義父の温かさを感じさせるような古川の肩に置かれた玄の手と、温かい言葉、そして眼差し、、、今まで、自分は玄に嫌われていると思っていた古川の目に涙が溢れた。
「玄さん。。。すみません。ありがとうございました。」
古川は、心の中で義父へも詫びていた。
形はどうであれ、結局父との約束を果たせなかった古川に対して古川の妻、悦子の堪忍袋の緒が切れた。悦子は新聞社を辞めて以来、イライラすることが多くなった夫に初めは同情していたものの、日が経つに連れ義父の跡を継いだことの当て付けかと感じるようになった。そして日増しに夫に対する肯定的な気持ちを持てなくなり、夫の言うこと為すこと何もかもに不満を感じるようになっていた。小山の実家に戻ってから友人の紹介で仕事を始めた。悦子にとって、その職場で再会し、机を並べることになった高校時代の同級生との仲が深まったのは自然な流れであった。30歳という悦子の若さと子供がいない気軽さが関係を加速させ、そして土日が休みではない勤務形態も修復不可能なまでに古川との距離が開く結果を招いたのかもしれなかった。
印刷会社を廃業にする手続きを済ませた後、宇都宮に来ているという権田からの電話で、宇都宮で飲むことになった。一応帰りを待っているといけないので、悦子に電話をしたが何度掛けても電話にでない。またリビングに忘れてったな、と古川は舌打ちしながら、ま、着信履歴には残るんだから、小言を言われることはないな、と言い聞かせて電車で宇都宮駅へ向かった。改札を出て東口で権田と久々に再会した。軽く右手を挙げて権田は微笑んだ。心なしか笑顔が冴えない。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
古川は久々の再開を喜んだ
「おぉ、何とかな、お前も元気そうだな」
そして東口から出て数分歩いたところで見つけた焼き鳥屋で2時間ほど酒を飲んだ。職場の話、昔の同僚の動向、そして社会情勢に花が咲いたが、どことなく権田に元気がない。電話を掛けてきたときはあんなに元気だったのに。。。古川は権田の身の上に何かあったのかもしれないと心配になった。
酒が進まなくなりジョッキに半分ほど入ったビールが温くなり始まった頃、権田が申し訳なさそうに言った。
「これは言わないほうがいいと思ったが、やはり言った方がお前のためだ。今日、お前の奥さん、、、悦子さんだっけか?家にいたか?」
いきなり何を言い始めるんだ?まさか会いたいなんていいだすんじゃあないだろうな、それはあり得ないか古川はと思ったが
「今日は仕事が休みだから出かけると言って朝出かけたっきりですよ。電話も出やしない。」
と答えた。
「そうか、、、」
心底落胆して、権田は話を続けた
「宇都宮駅でタクシーを降りてお前に電話をしていた時、悦子さんに似た人が次のタクシーから降りてきたんだ。」
「宇都宮に何の用事があったのかな~」
古川は軽く相槌を打つ
「それが、、、男と一緒だった。。。」
権田の言葉に古川は全身の体温がサーっと引いていくのを感じた
「俺もしばらくお前たち夫婦に会ってないし、何かの間違いかもしれないと思って後をつけて望遠で写真を撮っちまった、人違いだったらそれで安心、なだけの話だからな。写真、、、見るか」
権田が傍らのバックから一眼レフデジカメを取出し、液晶ディスプレーに画像を呼び出し、古川に渡してきた。
受け取った瞬間、古川は自分の見ているものが信じられず、頭の中が真っ白になり、全身に鳥肌が立つのを感じた。紛れも無くそれは悦子だった、そしてその服装は、まだ仲の良かった頃に古川がプレゼントし「似合うよ」と褒めたものだった。その悦子が男の左腕に手を絡め寄り沿って歩いている。古川にはすっかり懐かしい笑顔で男を見上げている写真だった。やはり権田は写真を撮るのが上手いと、そんなことを思って気を紛らそうとしている。
「悦子に間違いありません。俺たちに子供がいなくて不幸中の幸いでした。」
古川は、静かな声で言った。
権田は何も言えなかった。。。
古川は権田にその写真をメールで送ってくれと頼んで駅で別れた。
抜け殻のようになって帰宅した古川が携帯を確認すると、権田から写真が送られていた。リビングにいて出迎えもしない妻に、古川は
「これはどういうことだ?説明しろ」
と携帯の画面に呼び出した写真を突きつけた。
ここまでハッキリ証拠をつきつけられた悦子は認めるしかなかった。
2人はダイニングテーブルに向かい合って座り、5分の沈黙が過ぎた頃、悦子が口を開いた。悦子は、相手の男との関係を話するよりも初めに、古川との不仲の経緯について話し始めた。その話の順番の違いに悦子の自分勝手さを感じ怒り心頭だったが何とか抑え、古川は黙っていた。何を聞いても俺が何を話してもあの「懐かしい笑顔」は、俺に向けられることはない。黙って古川に対する悦子の言い分を聞いているとやっと気が済んだのか、男の話になった。時に生々しい悦子の説明に古川の男としてのプライドはズタズタに切り裂かれたが、古川は黙っていた。相手に妻子がいないことが分かったからだった。そして、会話が途切れたとき、
古川は初めて
「言いたいことは、それで全部か?」
と静かに口を開いた。
「ごめんなさい。。。」
悦子が上目遣いに軽く頷きながら答えると一条の涙がその目から流れた。
それを見届けて古川は言葉を続けた。
「この写真の幸せそうに男を見上げてるお前の笑顔、俺が好きだったお前の笑顔だ。小山に来てから見ることがなくなった懐かしい笑顔だ。この笑顔は二度と俺に向けられることはないだろう。そいつと幸せになるんだな。離婚だ。」
泣き崩れた悦子に、本人でさえも冷徹とも哀れみともつかない目を向け古川は席を立った。
それから2日間、2階の自分の部屋で古川は引越し屋の図柄が描かれた大きなダンボールを組み立てては荷物を入れるという作業に没頭した。悦子とは目を合わせたくない。悦子の心は取り戻せない。同情や哀れみの目で見られるのは沢山だ。ここは悦子の実家だ。義父には申し訳ないが早く引き上げたい。という思いが原動力となっていた。もはや最後の男の意地だったのかもしれない。悦子とは目も合わせていないし、会話もしないことにしていた。お互いに次に交わされる言葉が怖いという雰囲気があったのかもしれない。
翌朝、目が覚めると古川はコンビニで買ったおにぎりとパンで朝食を済ませ、1階へ降りた。台所兼食堂のダイニングテーブルに呆然と座っている悦子に、古川は立ったままで、
「明日は仕事休みだよな?引越し屋が俺の荷物を取りに来るから、騒がしくなるけど我慢してくれ」
と悦子に告げた。
泣き疲れたのか朝から瞼を腫らしている悦子は
「えっ?」
と、か細く言い、やっと意味を理解した悦子は静かに
「明日は出掛けるからいないけど、引越し?何で?」
と聞き返した。状況が信じられないらしい。
その質問に答えることなく古川は冷めた視線を悦子に向け、悦子の前に並ぶ手のつけられていない朝食の隣に1枚の紙を置いた。その紙を手に取った悦子の目から再び涙が溢れた。
離婚届だった。
「俺の分は記入してある。仕事に行く前にお前のところを書いてここに置いといてくれ、明日引越しがすんだら俺が役所に出しておく」
それは有無を言わさない静かな強さを含ませた無機質な現実となって悦子に届いた。
古川は、悦子の向かいの席に並べられた朝食と几帳面に並べられた長年愛用した箸に一瞥すると、何事もなかったかのように台所を出た。
あれから3年か。。。あいつは幸せにしてるだろうか?ま、そんなこと言ってるとまた権田さんに怒られちゃうな、「他人の行く末を気にするよりも明日の自分にベストを繋ぐことを考えろ」ってね。こんな所で当時先輩の権田に励まされたことを思い出してしまった自分に古川は思わず苦笑いしてしまった。
お互いの身の上話を話しているうちに、1時間が経ち、空はすっかり明るくなった。
「あと50海里、接続海域、あと半分、そうですね。あと2時間半で接続海域に差し掛かります。そろそろです。」
河田は前方の手すりに作られた横から見ると三角の箱状の中を覗き込んでから古川に言った。
操舵室の屋上ともいうべきこの場所は、全周に視界を確保できて撮影にはもってこいだ、河田の配慮に感謝しながら一直線に進む船団をファインダーに捕らえてシャッターを切った。
「そうですか、いよいよですね。ところで、その箱は何ですか?」
古川が聞いた。
「あ、これですか?タブレット端末のヒサシですよ。洋上は日光が強いのでディスプレイが見づらいんです。それに細かい潮を被ってしまうからヒサシを作って覆っているんです。便利ですよ。」
とタップらしい操作をしてから古川を手招きする。覗き込む古川に画面を見せ、
「この通り、ただのGPSです。車でいうナビの代わりです。便利になったもんです。」
と言った。
古川が戻るとまた何かタップをし、しばらくタブレットを見つめているようだった。顔を上げるとヘッドセットのマイクを口元に引き寄せ
「「やはぎ」より各艦へ、針路、速力そのまま、輪形陣をとれ!」
と吹き込んだ。
そのやり取りを聞いて古川が驚きで目を丸くして河田を見つめる。
後ろを進んでいる各船が河田達の乗る「やはぎ」を取り囲むため速度を上げる。ディーゼル機関の回転が上がる音がここまで聞こえてきた。
各船の復唱と開始した艦隊運動の初動に満足の笑みを浮かべた河田の目が、古川の驚きの目と合った。
「あっ、こりゃあ驚きますよね~。この方が指示しやすいんですよ。娑婆っ気に馴染めなくて。お恥ずかしい限りです。」
と河田が答えた。
「それは確かに、でも他の船の船長には慣れが必要なんじゃないでしょか?」
と、古川は河田に同意を求めた。
すると河田は、苦笑いしながら
「いえね、今回のメンバーのほとんどが自衛隊出身なんです。しかも船長は、全て、艦長経験者です。適材適所でしょ?」
あまりの徹底振りに古川は、さらに驚いた。開いた口が塞がらないというのはこういうことなのだろう。
「そうなんですか?まさか、ふだんの漁も自衛隊出身者だけで行ってるんですか?」
まさかと思いつつも聞いておかねば、と古川は思いながら質問を続けた
「いえいえ、実際の漁の場合だと、この倍の人数が必要になります。今回は、こういった航海なので自衛隊出身者を中心に編成しただけです。ウチの会社では定年や事情があって途中で退官した隊員の再雇用の場として毎年元自衛官を採用しているんですよ。なかなか漁業を志してくれる若者が少ない中では、素人ですが健康で体力はあるし物覚えも早いので心強い存在ですよ。」
古川は、メモ帳にざっとメモをしながら
「なるほど、自衛官の雇用と漁業人口の減少防止に一役買ってらっしゃるんですね。自衛隊を知る河田さんならではの発想ですね。ところで、さっきこの船を「やはぎ」と無線で仰ってましたよね?一般的に漁船って「なになに丸」といったように丸という字を付けますよね?」
と質問を続けた。
「ま、確かに「なにがし丸」というように丸ってつける方が多いですね。この船も以前は尖石丸でした。でも、船名の末尾に丸を付けなければいけないという決まりはないんですよ。ということで私が会社を継いだ後、定期点検に合わせて船名を変えてきました。この船だけじゃなくて、全隻名前の変更は終わってます。あ、古川さんは昨夜が初めてですから暗くて船名は分かりませんでしたよね。ちなみに2番船あ、さっきまで本艦に続いて2番目を航行していた船ですが、
あれは「ふゆづき」3番船が「すずつき」4番船が「かすみ」5番船が「ゆきかぜ」です。」
どうだい?分かるかな?というよう少年のような悪戯な目で古川を見つめる。
「「やはぎ」に「ゆきかぜ」?!それって、太平洋戦争末期の大和特攻の時に大和を護衛していた艦船の名前ですよね。確か「やはぎ(矢矧)」は軽巡洋艦、「ゆきかぜ(雪風)」は駆逐艦。雪風は戦後まで生き残った奇跡の船で、最終的には、台湾の海軍に引き渡されて長年活躍したんですよね?いや~、まるで艦隊ですね~。」
古川は、思わず声が大きくなっている自分に気付いた。いくらなんでも凄過ぎる。
「さすがは古川さん、よく気付きましたね。そうです。大和特攻、正式には菊水作戦時の第2艦隊ということになります。第2艦隊は、戦艦は大和1隻のみ、他は軽巡洋艦たったの1隻と駆逐艦が8隻で構成された艦隊でした。ウチの5隻はその中から名前を貰ったんです。験かつぎと士気高揚のためにね。当然大和の名は遠慮して、その他の護衛の艦船の名前から選びました。あの時の第2艦隊司令長官だった伊藤整一中将はどんな気持ちだったんでしょうね。沖縄に上陸したアメリカ軍を撃退するために大和を沖縄に突入、座礁させて砲台となってアメリカの陸上部隊を攻撃する。こんな滅茶苦茶な作戦に「一億総特攻の魁となって頂きたい」なんて殺し文句付きで上層部から突きつけられた訳ですからね。大和だけで約3,300人、艦隊全部で約6,000人もの部下の命を預かる人間としてどうだったんだろう。ってね。今でも想像もつかないですけどね。」
「そうですね。大和の同型艦「武蔵」もフィリピンのシブヤン海で飛行機の大群に繰り返し攻撃されて沈んでますからね、ましてやその時に武蔵と艦隊を組んでいた大和は、間近でそれを見た訳ですからね。世界最大の巨体に世界最強の主砲を持っていたって飛行機にはかなわない。今回も沖縄まで辿り付けるとは思ってなかったでしょうね。結局「冬月」、「涼月」、「初霜」、「雪風」の4隻しか帰還できなかったんですよね。」
「そう、ひどい戦いでした。しかも結果は予想ができていた。彼らがなぜそのような無謀な作戦に向かっていけたか?防大で研究として取組んで以来、いまだに確かな答えは見つけられないでいるんですよ。そして、もっと気になるのが、当時の若い人と、現代の若い人の精神構造ですね。表面的には全く違って見えるが、根本は同じなのか?それとも進化の過程で異なっているのか?同じような危機的環境に陥ったときに現代の人間は、国のため、人のために身を捧げることができるのか?ってとこに行き着くんです。」
河田の言葉に熱が帯びてきた。
「難しい研究ですね。危機管理の一環。という分野に入るんですかね」
古川は研究の言わんとしていることは理解できたが、それをどう応用するのかが気になりさらに質問を重ねてしまった。
「そうですね。危機管理に入ります。どんなに良い装備、良い人間を揃えて、訓練で鍛えていても、いざという時に「自分が大事」という面が、、、あ、もちろん人間は誰しも本能的に自分を守ります。しかし、自衛官はそれが優先されてはいけないんです。勘違いのないように言っておきますが、それは、災害派遣でもそうです。一昨年の東日本大震災の時の記憶は新しいと思いますが、多くの自衛官が自分の家族を心配するのも支援するのも後回しにして被災者の救助と支援に全力を尽くした。そういったことがこれからもできる組織でなければならない。もし、戦闘になったらさらに状況は深刻になります。絶対的不利でも立ち向かえる人間力があるか?勿論無謀なことは抜きですよ。そういった人間的強さをどのように教育していくかという点で役立てようとしていました。ま、今は退官してしまったので、本に書くとかね、講演するとか外から内部へ訴える形になりますね。」
河田は寂しそうに遠くを見つめていた。
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