04 決勝戦
「ずいぶんド派手な試合だったみたいだねー! あたしも負けてらんないや!」
瓜子が花道を引き返すと、灰原選手が満面の笑みで出迎えてくれた。
多賀崎選手や四ッ谷ライオットのトレーナー陣も、笑顔で拍手をしてくれている。瓜子がそちらに挨拶をしていると、サイトーが「うん?」と横合いを振り返った。運営スタッフの案内で、メイと柳原も早々に戻ってきたのだ。
「よう、そっちもお疲れさん。よくもまあ、自分の足で歩けるもんだな。ドクターのお許しは出たのかよ?」
「ああ。そもそもメイさんは、意識がとんだわけでもないからな。明日病院で診てもらえば、十分だとさ」
サイトーと柳原が語らうかたわらで、瓜子はメイと見つめ合う。しかし余人の目を気にするメイは、きゅっと口もとを引き結んでいた。
瓜子自身も、何だか気恥ずかしいような心地である。試合というのは自分のすべてをぶつけあうものだから、対戦相手に対して一種独特の感情や感慨というものが芽生えてしまうものであるのだ。なおかつ、普通は控え室が分けられているため、試合の直後に対戦相手と顔をあわせる機会がなく――それでこのように、普段では味わえない感情に見舞われてしまうのだろうと思われた。
「メイっちょも、おつかれー! じゃ、あたしもかっ飛ばしてくるかー!」
灰原選手は意気揚々と、入場口を出ていった。
そして控え室のほうからは、サキの陣営がやってくる。その際も、サキは蝉川日和に肩を借りていた。
「おう、半分赤毛。歩けもしねえで、出陣か? 可愛い後輩に出番を譲ってやりゃあいいのによ」
「そんな気のきいた存在に、心当たりはねーな。こいつは試合に備えて、力を溜めてるだけのこった」
そんな風に言いながら、サキは壁にもたれて座りこんでしまう。そして立松は無言のまま、サキの左膝に氷嚢をあてがった。
「それじゃあ、サイトーは返してもらうからな。あとは柳原とジョンに面倒を見てもらってくれ」
「押忍。自分は大丈夫です。……サキさん、くれぐれもお気をつけて」
「あー? そんな腑抜けた激励じゃ、力がぬけるだけだなー」
瓜子は泣きたいような気分で笑いながら、サキのもとで膝を折った。
「それじゃあ、言いなおします。くれぐれも気をつけながら、暫定王座のベルトを勝ち取ってください」
「五十点だな。とっとと控え室に戻れや、タコスケども」
サキは瓜子の汗だくの頭をわしゃわしゃとかき回してから、荒っぽく突き放した。
瓜子は口からこぼれそうになる泣き言をぐっと飲み込んで、身を起こす。サキはいたわりの言葉など決して求めていなかったし、瓜子がサキと同じ立場でも自分から試合をあきらめるわけがないのだ。それならば、サキを信じて送り出す他なかった。
「意地を張って、無理をするなよ。これが最後のチャンスってわけじゃないんだからな」
「……サキ、勝利、信じている」
柳原とメイもそんな言葉をサキに託して、控え室へと足を向けた。
瓜子は最後にサキの姿を目に焼きつけてから、それに続く。
そうして控え室に到着すると、柳原が手をかける前にドアが開かれた。姿を現したのは、小笠原選手である。
「やあ、猪狩もメイもお疲れさん。灰原さんの試合は、終わっちゃったよ。三十七秒の、秒殺KOだ」
「えっ! もちろん灰原選手が勝ったんすよね?」
「うん。アンタたちの試合も物凄かったし、次の試合もきっとただじゃすまないだろうからね。メインイベンターとしては、身が引き締まる思いだよ」
そんな軽妙な言葉を残して、小笠原選手はセコンド陣とともに入場口へと歩み去っていった。
そうして瓜子たちが入室すると、さまざまな人々が拍手を送りつけてくる。
「ウリコもメイも、スゴかったねー。エキシビションとはオモえないメイショウブだったよー」
「……最後の回転技の連発は、いったい何なのです? 猪狩センパイは、犬飼サンやイリア選手でも目指しているのです?」
「でも、本当にすごかったよ。二人の気迫が画面ごしに伝わってきて、鳥肌が立ちそうなほどだった」
「お、お二人とも、どうもお疲れ様でした」
「うんうん、お疲れさまぁ。さあさあ、ゆるりとお休みなさいなぁ」
ジョンや愛音、来栖舞や魅々香選手、それに時任選手などが、そんな言葉で瓜子とメイをねぎらってくれた。そちらに頭を下げながら、瓜子はパイプ椅子に座らせていただいた。
メイとの試合は心から充足できる内容であったが、これからサキと犬飼京菜の試合が行われるのだ。自らの役目を終えた瓜子は、そちらに心をとらわれずにいられなかった。
「たっだいまー! 約束通り、かっ飛ばしてきたよー! さあさあ、今日は最後までシャワーを浴びるスキもないねー!」
凱旋してきた灰原選手は、お祝いのやりとりもそこそこにモニターにかぶりつく。画面では、すでに犬飼京菜が入場を始めていた。
犬飼京菜は左足を引きずることもなく、勇猛なる面持ちで花道を闊歩している。ただし、それに連れ添う大和源五郎の表情は厳しかった。
それに続くサキは――やはり、左膝を庇おうという素振りも見せない。そのクールでかったるそうな顔からも、ダメージのほどをうかがうことはできなかった。
瓜子はバンデージをほどいてもらった拳をぎゅっと握りしめ、ただ一心にサキの姿を見守る。
客席には、すでに凄まじいばかりの歓声が吹き荒れていた。
『第九試合! アトム級暫定王座決定トーナメント、決勝戦! 五分三ラウンドを開始いたします!』
リングアナウンサーも、これまで通りの明朗な声を響かせた。
『青コーナー。百四十二センチ。四十キログラム。犬飼格闘鍛錬場ドッグ・ジム所属……犬飼、京菜!』
犬飼京菜は細い腰に両方の拳をあてがい、薄い胸をめいっぱいそらしながら、傲然とサキの姿をにらみ据えていた。
『赤コーナー。百六十二センチ。四十七・九キログラム。新宿プレスマン道場所属……サキ!』
サキもまた、腕を組んで犬飼京菜の姿を見返している。観客の反応を気にしないふてぶてしさという面では、よく似た両者であった。
そうしてレフェリーのもとで向かい合うと、両者の身長差は二十センチである。犬飼京菜にしてみればいつものことであるが、サキがすらりとしたプロポーションであるために、数字以上の差があるように見えるほどであった。
レフェリーがルール確認をしている間も、サキは腕を組み、犬飼京菜はふんぞりかえっている。
それでレフェリーがグローブタッチをうながしても、両者は決して動こうとせず――ちょっと不自然なぐらいの時間、不動でにらみ合うことになった。
(……二人はいったい、どんな気持ちで向かい合ってるんだろう)
サキは多感な中学時代を、ドッグ・ジムで過ごしていたのだ。
そして、まだ小学生であった犬飼京菜が、おそらくはサキに懐いていた。実際にどのような形で交流が結ばれていたのかは謎であったものの、犬飼京菜は突如として行方をくらましてしまったサキのことを裏切者よばわりして、最後には涙まで流していたのである。
それから長きの時を経て、二人はその場に立っている。
舞台は、アトム級暫定王座を決める一戦である。亡き父のためにドッグ・ジムを盛り上げたいと願う犬飼京菜も、トレーナー陣に引退を示唆されながらも必死に再起をはかったサキも、並々ならぬ思いでそこに立っているはずであった。
やがて両者にグローブタッチの意思はないと見たレフェリーが、コーナーに下がるように命じる。
サキも犬飼京菜も相手の姿をじっと見据えたまま、後ろ歩きでフェンス際へと引き下がった。
期待の込められた歓声の中、試合開始のブザーが鳴らされる。
その瞬間――犬飼京菜が、突進した。
まさかの、ロケットスタートである。
犬飼京菜が左足を痛めていることを知っている瓜子は、心の底から驚かされてしまった。
それに対するサキは――マットをすべるようなステップで、横合いに移動した。
こちらもまた、左膝を痛めているとは思えない流麗なる動きだ。
わずかに軌道修正した犬飼京菜は、マットを蹴って跳躍する。
そうして空中で身をひねり、バックスピンキックを披露した。軌道はミドルだが、高く跳躍したために狙うのはサキの頭部だ。
サキはいっかな慌てることもなく、するすると移動してその豪快な蹴りを回避する。
そうして犬飼京菜がマットに降り立つと、サキは右足で大きく踏み込み、左のサイドキックを繰り出した。
槍の穂先のように鋭い、サキのサイドキックである。
犬飼京菜は野生動物めいた挙動でバックステップして、それを回避した。
しかしそこからひと息に距離を詰め直して、左のハイキックを射出する。
身長差があるために、サキであれば悠々回避できるかと思われたが――犬飼京菜の踏み込みがあまりに鋭かったために、サキは身体をのけぞらして回避するしかなかった。
すると犬飼京菜は蹴り足を戻すのと同時に、パンチを乱打する。ジークンドー流の、チェインパンチである。
サキはステップが間に合わず、その何発かを両腕でブロックする。それからマットをすべるようにして距離を取った。
そうしてあるていどの距離ができるなり、サキは関節蹴りを射出する。
犬飼京菜は弾かれたような勢いでアウトサイドに回り込み、自らも関節蹴りを繰り出した。
両者はともにサウスポーの構えであったため、どちらも軸にしているのは傷ついた左足だ。それにおたがいステップを踏む際にも、左足をかばっている素振りは皆無であった。
「なにこれ、どーゆーことー? こいつら二人とも、左足が痛いんじゃなかったの?」
灰原選手が驚きの声をあげたが、それに答えられる人間はいなかった。
犬飼京菜のほうはブラフであった可能性もゼロではないが、サキが控え室の人間を相手に実情を隠す理由はないのだ。それに犬飼京菜とて、そのように姑息な真似をするとは思えなかった。
であれば、答えはただひとつ――サキも犬飼京菜も、左足の痛みをこらえて全力の攻防を見せているのだ。
瓜子は気が遠くなるほどの不安と焦燥をこらえながら、二人の戦いを見守ることになってしまった。
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