05 打ち上げ
「いやー、今日は本当にすごかったよ! 距離が近い分、本物の試合を観戦するよりテンションが上がっちまったぐらいさ!」
夜である。
合宿稽古の打ち上げを兼ねた夕食の場でそのように騒いでいたのは、ダイであった。
こちらの道場は食堂も広々としていたため、総勢二十名という人数にふくれあがっても窮屈なことはない。そしてテーブルの各所には、有志の手によるご馳走が並べられていた。
ちなみに有志というのは、サキ、ユーリ、瓜子、ダイ、タツヤ、西岡桔平の六名である。見学者の中で料理を得意にするメンバーが志願してくれたため、足りない分を女子選手の側が補った格好であった。
昨年と同様に、合宿の最終日はアルコールが解禁されている。参加者の中で酒をたしなまないのは、瓜子、ユーリ、メイ、愛音、そして卯月選手の五名のみだ。しかし瓜子も毎度のことであったので、アルコール抜きで楽しく過ごすことができていた。
「ダイさんは、ミュージック・ビデオの撮影の際にもそのように仰っていたのです。でも、勝敗もつかないスパーなどが、そんなに楽しいのです?」
愛音がそのように疑念を呈すると、ダイは満面の笑みで「もちろんさ!」と応じた。
「そりゃあみんなも試合のときとは本気度が違うんだろうけど、それでもすげえ迫力だからな! 打撃の当たる音や息遣いまでダイレクトに聞こえてくるんだから、臨場感がけた違いだよ!」
「本当にな! いつかかぶりつきの席で、試合を拝見したいもんだよ!」
そんな風に便乗したタツヤが、がっくりと肩を落とした。
「そういえば、アトミックの五月大会はけっきょくチケットが取れなかったんだよなぁ。小笠原さんの復帰試合だってのに、心の底からガッカリだよ」
「ああ、今回は三百名のキャパで、チケットは即日完売だったらしいっすね。自分は出場しないんで、チケットを準備できなくてすみません」
「瓜子ちゃんのせいじゃねえよ! ユーリちゃんや小笠原さんだって、割り振られたチケットが足りないぐらいだって話なんだもんなぁ」
会場の規模が小さくなると、出場選手に割り振られるチケットのノルマも減少する。それはすなわち、チケットの販売から得られるマージンも減少するということなので、チケットを売るあてのある選手には大きな痛手であるのだった。
「でも、《フィスト》のほうはチケットを押さえたからさ! 瓜子ちゃんが二冠達成する瞬間は、肉眼で見届けられるよ!」
「あはは。勝負に絶対はありませんけど、そのつもりで頑張ります」
おおよその人間は顔見知りであったため、実に和気あいあいとした雰囲気である。来栖舞と魅々香選手は『トライ・アングル』のメンバーと初対面で、なおかつもともと寡黙な気性であったものの、そちらには小笠原選手や鞠山選手がフォローを入れてくれている。陣内征生は酒さえ入れば誰よりも能動的であるし――もっとも非社交的な山寺博人は、西岡桔平に面倒を見られているようであった。
そんな中、卯月選手はこれまでの夕食の場と同じように、機械的なペースで食事を続けている。ただ、自前の白いTシャツは、七名分のサインで埋め尽くされていた。どうせならばと、ユーリまでもがサインすることになってしまったのだ。そんな浮かれた身なりをしながら、相変わらずお地蔵様のように無機的であるのが、なかなかにユーモラスであった。
「あとひとりでコンプリートだったのに、惜しかったですね。うちのヴォーカルは格闘技に興味がないもんで、申し訳ないです」
リュウがそのように声をかけると、卯月選手は口の中身を呑み下してから「いえ」と応じた。
「それよりも、メンバーがたったひとりしか欠けていないことに驚かされています。みなさんは、ユーリさんの影響で格闘技に興味を持たれたのでしょうか?」
「いや、半分ぐらいの人間は、もともと格闘技ファンだったんですよ。ただ、女子の試合まで熱心に観てたのは、あっちの西岡ってやつぐらいですね。で、他の人間はユーリちゃんや瓜子ちゃんのおかげで、女子の試合にハマったって感じです」
「なるほど。では、もう半分ほどの方々は、ユーリさんと猪狩さんの影響でMMAに興味を持たれたわけですか?」
「卯月さんって、細かいところにこだわるんですね。えーと……男女問わずに熱心なファンだったのが、西岡。ほとんど男子オンリーだったのが、俺。お気に入りの女子選手だけチェックしてたのが、タツヤ。女子の試合に興味はなかったけど、彼女の影響でちっとばっかりかじってたのが、ダイ。ユーリちゃんたちと知り合ってから興味を持ったのが、山寺と陣内って感じです。で、前回なんかは六人全員でアトミックの試合を観戦することになったわけですよ」
「なるほど。ユーリさんと猪狩さんの試合には、それだけの魅力が存在するわけですね」
「そりゃあもう! 卯月さんは、魅力を感じないんですか?」
「俺はこちらの合宿に参加するまで、お二人の試合を観たことがなかったのです。現時点でも勉強会で扱われた試合しか拝見していないため、あまり確たることは言えません。……ユーリさんと弥生子の試合は、例外ですが」
「ああ、あれは物凄かったですね! でも、瓜子ちゃんとメイちゃんの試合も凄いですよ」
「それは楽しみです」と、卯月選手はバンバンジーサラダを口に運んだ。
「では、他の選手についてはどうなのでしょう? あなたたちは、あくまでユーリさんと猪狩さんの試合にのみ興味を持たれているのでしょうか?」
「ちょっとちょっと、こんな場で滅多なことを言わないでくださいよ」
と、リュウは慌てて声をひそめた。
「……いや、俺もね、ここ最近で考えをあらためたんですよ。もともと俺は女子の試合はレベルが低いって決めつけてて、それで興味を持てなかったんです。それは別に、女子選手を馬鹿にしてるわけじゃなくて――」
「MMAにおいては、男女で競技人口がまったく異なっています。体感として、女子選手は男子選手の十分の一ていどでしょう。分母が小さければ、レベルが上がりにくいのも必定です」
「そう。女子にもすごい選手はいるんですよ。でもその人数は、男子選手の十分の一ぐらいなんでしょう。トップファイターだけじゃなく、中堅選手も新人選手も十分の一の人数しかいないとしたら、それも当然の話ですけどね」
「いえ。現状は、よりシビアであるはずです。競技人口というものは、競技者のレベルに直結しているのでしょうからね。たとえて言うならば、正三角形の底辺の数値が、競技人口に置き換えられるのです。競技人口が少なければ少ないほど、頂点のレベルも下がるという仕組みです」
二人は小声で語らっているため、聞き耳でも立てていなければ聞き取ることはできなかっただろう。そして、そのような真似に及んでいるのは瓜子ひとりであるようだった。
リュウはドレッドヘアーの先端をいじりながら、「うーん」と難しげな声をもらす。
「それは確かに正論なんでしょうけど……でも、そんな綺麗な正三角形になるとは限らないですよね?」
「はい。ただし、そうまで極端な二等辺三角形にもなり得ないはずです。古来より、人気の競技には才能が集まると言われているでしょう? 野球やサッカーで多少なりとも世界に通用する選手が現れるのは、それだけ競技人口が多いという証なのだと思われます」
「でも、ユーリちゃんと瓜子ちゃんの実力はすごいですよ。少なくとも、男子選手の十分の一サイズのピラミッドには収まらないはずです」
リュウが頑強に言い張ると、卯月選手は初めて食事の手を止めた。
「競技人口が少なければ、稀有なる才能の持ち主が参戦する機会も減少します。……ただし、何事にもイレギュラーというものは存在します。アスリートとして稀有なる才能を持つ人間が、MMAというマイナースポーツに魅了される可能性も、決してゼロではないのでしょうからね」
「ややこしいことはわかりませんけど、ユーリちゃんや瓜子ちゃんの実力は本物です。それにくらいついてる灰原さんや多賀崎さんたちだって、大したもんだと思いますけどね」
「それだけ突出した選手が頂点に存在したときこそ、ピラミッドは二等辺三角形を描くのかもしれません。……もしも二等辺三角形を描けなかったならば、頂点だけが千切れて孤立してしまうわけですからね」
リュウは意表を突かれた様子で、口をつぐんだ。
しかし、すぐさま思い直したように言葉を重ねる。
「俺も最近は、そいつを心配してました。ユーリちゃんや瓜子ちゃんは強くなりすぎて、日本国内に相手がいなくなっちまうんじゃないかってね。でも、今日の見学で安心しましたよ。灰原さんや多賀崎さんたちだったら、きっと立派な二等辺三角形を描いてくれます」
「そうですか。……猪狩さんも、さぞかし心強いことでしょう」
と、卯月選手が糸のように細い目を瓜子に向けてくる。
それでリュウも、ぎょっとした様子でこちらを振り返ってきた。
「え、なんだよ。まさか……盗み聞きなんて、してないよな?」
「ご、ごめんなさい。興味深い内容だったんで、つい聞き耳を立てちゃいました」
リュウは顔色をなくしていたが、卯月選手は不思議そうに小首を傾げていた。
「俺たちは密談をしていたわけではないのですから、盗み聞きという言い方は不適切でしょう。それにあなたはしきりに猪狩さんの実力が秀でていることを主張していたのですから、とりたてて不都合もないはずです」
「そ、そういう問題じゃないですよ! もう、小っ恥ずかしいなあ!」
そうしてリュウが声を張り上げると、遠からぬ場所で騒いでいたダイとタツヤが左右からのしかかった。
「なんだよ、お前。日本最強の選手にケンカ売ってんのか?」
「ていうか、また瓜子ちゃんにちょっかい出してたんじゃねえだろうな?」
「うるせえよ! そんなに瓜子ちゃんが大事なら、箱にでも詰めとけ!」
「え……自分、リュウさんに嫌われちゃいましたか?」
瓜子が慌てて声をあげると、ダイとタツヤはいっそういきりたってしまった。
それで瓜子が何とか丸く収めようと、言葉を重ねようとしたとき――どこか遠くで、硬い音色が響きわたった。
振り返ると、食堂の片隅で山寺博人が立ち上がり、その足もとにパイプ椅子が倒されている。今のは、椅子が倒れた音であったのだ。
そして山寺博人は、その手の携帯端末をじっとにらみ据えており――やおら、きびすを返したのだった。
「おい、どうしたんだ? 何かあったのか?」
西岡桔平の呼びかけにも答えず、山寺博人はそのまま食堂を出ていってしまった。
西岡桔平は頭をかきながら、その後を追いかける。そして、十秒もかけずにひとりで舞い戻ってきた。
「ヒロは急用ができたんで、帰っちゃいました。挨拶もなしに、申し訳ありません」
「えー!? いったい何があったのさ! あいつがあんなに大慌てで飛び出してくなんて、ただごとじゃないっしょ!」
「ちょっとプライベートなことなんで、理由は勘弁してやってください。でも、事故とか病気とかそういう話ではないんで、心配はご無用です」
西岡桔平が穏やかな笑顔であったため、おおよその人々は胸を撫でおろしたようだった。山寺博人は偏屈でマイペースな人柄であったので、納得しやすい面もあったのだろう。
が、瓜子は納得どころの心境ではない。
そうして瓜子がやきもきしていると、西岡桔平がさりげなく近づいてきて、耳打ちしてくれたのだった。
「猪狩さんにだけはお伝えしておきますね。どうもヒロのカミさんが、へそを曲げちゃったみたいです」
「え? そ、それって大丈夫なんすか?」
「はい。年に何度か、こういうことがあるんですよ。でもまあ家庭内のことは、本人にまかせるしかありませんからね」
瓜子をなだめるようにやわらかく微笑んでから、西岡桔平は灰原選手たちと大騒ぎしている陣内征生のほうに立ち去っていった。
愛音と談笑しながら旺盛な食欲を満たしていたユーリは、主人のご機嫌をうかがう大型犬のような眼差しを瓜子のほうに向けてくる。
「うり坊ちゃん、大丈夫? もしうり坊ちゃんがヒロ様の後を追うならば、ユーリはここでひたすら無事なお帰りを祈っているのです」
「いや、自分が追いかける筋合いじゃないっすよ。……もちろん、心配なことは心配っすけど」
「だよねぇ」と言いながら、ユーリは瓜子の頭を撫でるふりをした。
そうしてゴールデンウィークの合宿稽古は、最後の最後で小さからぬハプニングを迎えつつ幕を下ろすことになった。
ただそのハプニングも、数日後には無事に解決することになるのだが――神ならぬ身の瓜子は、それまでの時間をたいそう不安な心地で過ごすことになってしまったのだった。
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