15th Bout ~Run-Up~

ACT.1 Preparation days

01 和解

 粛々と日は過ぎゆきて、ついに二月に突入した。

《アトミック・ガールズ》を主戦場とする瓜子たちにとっては、興行の存在しない中休みの月となる。昨年はこの時期に浜松の地方興行が開催されていたが、パラス=アテナの悪しき二代目代表たる黒澤氏もそこまでの予定は立てておらず、三代目代表の駒形氏ももちろんこの時期に新たな興行の予定を入れようとはしなかった。


 が、興行がないからと言って、遊んではいられない。来月には試合を控えているのだから、今こそが稽古に明け暮れるべき時期であるのだ。試合の二週間前から調整期間に入ってトレーニングを緩和させることを思えば、この時期こそがもっとも肝要であるとも言えるはずであった。


 ちなみに、二月初頭の時点で正式にマッチアップが決定されたのは、四組となる。

 それは、瓜子とラウラ選手のタイトルマッチに、ユーリと兵藤選手の引退試合、愛音と大江山すみれのプロ昇格をかけた査定試合――そして、灰原選手と宗田選手の一戦というラインナップであった。


「魔法老女はともかくとして、一色なんかに秒殺された相手に負けるわけにはいかないからね! 試合の日まで、ご指導お願いしまーす!」


 プレスマン道場まで出稽古にやってきた灰原選手は、満面の笑みでそのように挨拶をしていた。

 元・柔道の五輪強化選手で、MMA界のニュースターと目されていた宗田選手も、プロデビュー後は一色選手と鞠山選手に連敗を喫している。そうして中堅の壁たる鞠山選手に敗れた宗田選手は、若手から中堅にのしあがりつつある灰原選手と試合を組まれることに相成ったのだった。


「これはなかなか、頭をひねったマッチアップだな。話題性は高かったのに結果を残せていない深見さんの秘蔵っ子と、のぼり調子の灰原さん……きっとこれで勝ち上がったほうを、今後はプッシュしていこうって方針なんだろうな」


 灰原選手のいない場で、立松はそのように語らっていた。


「灰原さんは去年から結果を残してきたし、選手としても華がある。ここで勝てれば、トップファイターとの対戦もありえるぞ。お前さんも、いよいようかうかしてられないな」


「押忍。スパーをしてても、灰原選手の成長っぷりは明らかですからね。先輩選手に失礼な物言いですけど、自分も再戦の日を楽しみにしています」


「お前さんはれっきとした王者なんだから、どっしりかまえてりゃいいさ。しかし、この段階でまだ四組しかマッチアップが決まってないってのは……駒形さんも、ずいぶん頭を悩ませてるんだろうな」


《アトミック・ガールズ》は、前回と今回の興行の如何によって、格闘技チャンネルにおける放映が継続されるかどうかが決定されるのだ。そして前回は《レッド・キング》との対抗戦によって大きな評判を読み込むことがかなったが、今回はそれ抜きで興行の成功を目指さなければならないのだった。


「兵藤選手の引退試合なんてのは、普通だったら十分な目玉だが……ただ、その対戦相手が桃園さんってのは、意見が分かれるところだろうな。ここだけの話、桃園さんにはもっと化け物じみた相手とやりあってほしいって声も多いだろうぜ」


「押忍。でも、無差別級やフライ級まで視野に入れても、もう日本人選手にそれだけの相手は残されてませんもんね」


「ああ。なんせ桃園さんは、無差別級の弥生子ちゃんに来栖さん、フライ級ではジジと日本人トップスリーを撃破しちまったからな。俺なんかが興味をそそられるのは小笠原さんとの再戦だが、あちらさんはまだリハビリの真っ最中だし……無差別級四番手の高橋選手も、沙羅選手とマキ選手に連敗しちまったしな。あとはもう、海外の実力選手でも引っ張ってくるしかないだろう」


「でも、その予算がないってわけっすね。今回は兵藤選手のおかげで何とかなりましたけど、次回からはどうするつもりなんでしょう」


「って、そんなことに頭を悩ませるのは、運営陣の仕事だな。お前さんがたは、試合に集中だ」


 瓜子は「押忍」と答えてみせたが、まだまだ右足は本調子ではない。ようやく松葉杖からは解放されたものの、二月初頭の段階では患部をいたわりながらの限定的なトレーニングに取り組む他なかった。


 いっぽう、ユーリのほうは試合から半月ていどが経過した段階で、ついに完全復帰を果たしている。五割増しに跳ね上がった栄養補給と睡眠の甲斐あって、右目の上下に刻みつけられた青痣もきれいに消え去り、その豊麗なる肉体にもかつての活力が蘇ったのである。


「あんなにもりもり食べてぐうぐう眠ってたのに、体重は増えても減ってもいないのです! 美味しいものをいっぱい食べられた分、なんだか得した気分だにゃあ」


 ユーリは輝くような笑顔で、そのようにのたまわっていた。本当に、摂取したカロリーがそのまま怪我と疲労の治癒に回されたかのようで、格闘技界のみならず医療の世界においても激震をもたらしそうなところであった。


 そして、大江山すみれとの再戦が決定された愛音は、ユーリに負けないぐらい奮起している。一度敗れた相手とのリベンジマッチで、しかもプロ昇格をかけた査定試合とあっては、どれだけ奮起しても足りないところであろう。


「先代パラス=アテナの悪行は許し難いものの、ただ一点! プロ昇格の年齢を引き下げた件についてだけは、心よりありがたく思うのです! 愛音はここから一気呵成に、アトム級の王座を目指す所存なのです!」


「おう。しっかり面倒を見てやるから、頑張りな。……ところで、お前さんはこの春から高校三年生なんだよな。受験とか就職とか、そっちのほうはどうなってるんだ?」


「父のたっての要望で、愛音は大学受験する他ないのです! でも、今のペースで合格を狙える大学にあたりをつけておきましたので、何も心配はご無用なのです!」


「そうかい。道場の外のことには手出しできないから、そこは自分で頑張りな。その代わり、道場にいる間はみっちり稽古をつけてやるからよ」


「はいなのです! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますなのです!」


 そういえば、一月の時点で愛音の入門から一年が経過しているのだ。彼女の騒がしさも、プレスマン道場ではすっかり風物詩となっていた。


「ところでさ! 出稽古のペースをまた週二に増やしたいんだけど、オッケーしてくれる? してくれるよね!」


 灰原選手がうきうきとした調子でそのように言いたてて、立松の首を傾げさせた。


「こっちはまったくかまわんが、でもどういったわけなんだい? ジムの人らとは、上手くやってるんだろう?」


「うん! でも、あっちはあたしとマコっちゃんしか女がいないからさ! はっきり言って、プレスマンのほうが充実した稽古をできるんだよ! こんな女だらけの道場なんて、他にないんじゃない?」


「そうだなあ。五人中の二人は一般門下生だが……その片方は北米の元王者で、もう片方は来月に査定試合だ。これだけ女子選手が充実してる道場は、そうそうないだろう」


「あはは! 立松っつぁんコーチ、嬉しそう! しかもうり坊とピンク頭はアトミックの現王者で、サキは前王者だもんね! そんでもって、五人中の三人はあたしと同じ階級だってんだから、もう至れり尽くせりだよ!」


「いや。階級が違くったって、桃園や邑崎のお世話にもなってるだろ。あたしは同じ階級の人間がいなくても、ありがたくてたまらないよ」


 と、灰原選手の相棒たる多賀崎選手が声をあげると、立松がそちらに向きなおった。


「それじゃあ、多賀崎さんも週二ペースを希望してるのかな? もちろん、こっちは大歓迎だが」


「ええ。是非ともお願いします。あたしらは、みなさんのおかげでここまで力をつけられたようなものですから」


「それは、本人の努力の結果だよ。こうまでフルに稽古を積む人間なんて、男連中にもそう多くはねえからな」


 立松コーチも、至極満足げな面持ちであった。

 が、出稽古の一件が落着すると、いくぶん渋い面持ちになって瓜子に向きなおってくる。


「ところで、猪狩。ついさっき《G・フォース》から連絡があったんだが……お前さんは、また降格だそうだ。今度は一気に九位まで転落だとよ」


「あ、そうっすか。でも、けっきょく去年は一度も試合をできなかったから、仕方ないっすよね」


「ああ。キックとMMAの両立なんてのは、試合数に不自由してなきゃ難しいからな。こんな隔月できっちり試合を組まれてたら、キックの試合をねじ込む隙間なんてありゃしねえよ」


「自分は、気にしてません。まずはMMAのほうで最善を尽くしたいと思ってます。……やっぱり邑崎さんの言ってた通り、キックとMMAの両立は難しいもんですね」


「……猪狩センパイは二兎を追いながら、一羽だけはがっしりと捕獲できたのです。虻蜂取らずにならなかっただけ、まだ救いはあるように思うのです」


 そんな格言だらけの言葉を述べたてつつ、愛音はぷいっとそっぽを向いてしまう。彼女はMMAに邁進するためにキックやグローブ空手をすっぱり引退し、かつては瓜子を非難していた立場であったのだ。

 しかしまあ、それを言ったら小柴選手や小笠原選手やオリビア選手だって、空手を続けながらMMAに取り組んでいる身であるのだ。だから愛音のあの頃の発言は、おおよそユーリがらみの反感から生じた言葉なのであろうと思われた。


「まあとにかく、試合の決まった人間も決まってない人間も、稽古あるのみだ。メイさんも、腐らずに頑張れよ」


「うん。イリア・シノミヤとの対戦で、自分の未熟さを思い知らされたから。今は、試合よりも稽古を望んでる」


 愛音に負けない闘志を燃やしながら、メイはそのように応じた。今回はあらかじめ、メイにオファーを出す予定はないと言い渡されていたのだ。


「メイさんは、ストロー級のトップファイターとあらかたやりあっちまったからな。残されてるのは……天覇の後藤田選手ぐらいか。しかし後藤田選手は一色選手の踏み台にされちまったから、チーム・フレアだったメイさんと当てるのはちっとばっかり体裁が悪いんだろうな」


「かまわない。今は、新しいファイトスタイルの確立、集中したい」


「よし。それじゃあおしゃべりはこれぐらいにして、稽古を始めるか。俺は男連中の様子を見てくるから、それまでにウォームアップを――」


 立松がそのように言いかけたところで、稽古場の扉が開かれた。ここは女子選手御用達である奥側の稽古場で、手前側の稽古場から顔を出したのはコーチのジョンである。


「ユーリ、おキャクさんだよー。ケイコのマエに、ちょっとジカンをもらえるかなー?」


「ほえ? いったいどこのどなた様でありましょうか?」


「ウン。ちょっとビックリするアイテかもねー」


 笑顔のジョンが身を引くと、驚愕に価する人々が入室してきた。

 どちらも長身で、鍛え抜かれた体格をした白人の男女――かつてユーリと対戦したロシアの新鋭オルガ選手と、そのトレーナーにして実の父親たるキリル・イグナーチェフ氏である。


「このフタリが、ユーリにシャザイしたいんだってさー。まずはハナシをキいてもらえるかなー?」


 ジョンはにこにこと笑っているが、客人たる両名は氷のごとき無表情だ。

 そしてその背後から、ずんぐりとした中年男性が現れる。これはたしか、九月の試合時に両名の通訳を果たしていた人物であった。

 オルガ選手が感情のうかがえないロシア語で何かをまくしたてると、その人物はふんふんとうなずいたのち、かしこまった面持ちでユーリに向きなおった。


「オルガ氏は、ユーリ氏に謝罪したいそうです。オルガ氏はパラス=アテナという組織に騙されて、ユーリ氏にいわれのない恨みを向けてしまいました。その過ちを許していただきたいそうです」


「はあ……ユーリには、いまひとつ事情がわからんちんなのですが」


「ユーリ氏はパラス=アテナと共謀して、オルガ氏の朋友たるリュドミラ氏を陥れた疑いがかけられていました。しかしそれがパラス=アテナの独断であり、ユーリ氏が無関係であったことを、オルガ氏は理解したのです。そしてパラス=アテナはユーリ氏を陥れるために、オルガ氏を利用しました。そんな策謀に引っかかり、ユーリ氏を誹謗してしまったことを、心から謝罪したいそうです」


「ふうん。しかしあんたらは、試合の後さっさとロシアに帰っちまったよな。それでどうして、今さら謝ろうって話になったんだい?」


 立松が口をはさむと、通訳氏がそれをオルガ選手らに通訳した。


「オルガ氏は、帰国後に真実を知りました。それをもたらしたのは、チーム・マルスの代表イワン・バラノフ氏です」


 立松は「ああ」とふてぶてしく笑う。


「そういうことか。あんたがたの代表であるイワンさんは、《レッド・キング》で名を馳せたんだよな。……イワンさんってのは、レムさんと同時代に活躍してたロシアの強豪選手だ。それで引退後は母国でMMAの普及に尽力して、チーム・マルスっていう組織を立ち上げたんだよ」


 後半は、瓜子たちに向けた説明である。

 通訳氏はその言葉をオルガ選手らに伝え、さらに新しい言葉を受け取った。


「イワン氏に真実をもたらしたのは、ダイゴ・アカボシ氏の息女であるヤヨイコ・アカボシ氏です。彼女は去年の段階から何度となくロシアにまで連絡を入れて、オルガ氏の誤解を解こうと尽力されていました。その熱意に負けて、オルガ氏も日本における情勢を調査し……そして、ヤヨイコ・アカボシ氏の言葉が真実であったことを理解したのです」


「へえ、弥生子ちゃんがねぇ。……お前さんがたは、知ってたのかい?」


「い、いえ、まったく。一月終わりにもちょっとおしゃべりしましたけど、そんな話は一回も出なかったっすよ」


「きっと、ぬか喜びさせたくなかったんだろうな。まあそれ以前に、自分の手柄を誇るようなやつじゃないしよ」


 瓜子は深々と息をつき、赤星弥生子の凛々しい面差しに思いを馳せることになった。

 その間にも、通訳氏は滔々と語らっている。


「オルガ氏は、自分の失敗を恥じています。それを晴らすために、ユーリ氏のもとを訪れました。……オルガ氏の謝罪を受け入れていただけますか?」


「はいはぁい。誤解が解けたのなら何よりですぅ。ユーリは《スラッシュ》の時代にベル様をあそこまで苦しめたリュドミラ選手の強さに、ココロから敬服しておりましたよぉ」


 通訳氏がユーリの言葉を伝えると、オルガ選手は無表情のままほっと息をついた。


「ユーリ氏の寛大なはからいに感謝するそうです。また、オルガ氏はしばらく日本に滞在して《アトミック・ガールズ》の興行に参加する予定ですので、今後ともよろしくお願いしたいとのことです」


「えー? あんたもアトミックに参戦するの? どうしてそんな話になったのさ?」


 口をはさみたそうにうずうずしていた灰原選手がそのように声をあげると、これまた意想外な言葉が返ってきた。


「《アトミック・ガールズ》はパラス=アテナの先代代表の悪行でもって存亡の危機に立たされていると、ヤヨイコ・アカボシ氏からそのような話を聞かされました。それならば、はからずも悪行に加担してしまった自分も助力をしたいと願っているそうです」


 現在のパラス=アテナが外国人選手を招聘できないのは、交通費や滞在費を捻出できないためである。オルガ選手がそれを自腹でまかなってくれるというのなら、駒形氏は小躍りして喜ぶかもしれなかった。


「なるほどねー。でも、ピンク頭とは九月に対戦したばっかなんだから、しばらく再戦は難しいと思うよー?」


「かまいません。オルガ氏は、あくまで《アトミック・ガールズ》の興行に貢献することを目的としているのです」


 通訳氏がそのように応じると、ユーリが瞳を輝かせて身を乗り出した。


「ではでは、ご一緒に稽古などいかがでありましょう? しばらく対戦の見込みがないなら、問題はありませんですよね?」


 ユーリの言葉を通訳されると、オルガ選手は淡い灰色の目を大きく見開いた。


「……ユーリ氏が何故そのような提案をされるのか、意図がわからないと仰っています」


「だってだって、オルガ氏はものすごくお強いではないですか! それに試合ではあんまり寝技を堪能できなかったので、ぜひオルガ氏のコンバット・サンボとやらを体感させていただきたいのです!」


 言うまでもなく、ユーリは満面の笑みで期待に瞳を輝かせている。

 オルガ選手はついに鉄仮面のごとき無表情を崩して、困惑の面持ちとなっていたが――ずっと無言でいた父親が低い声音で何事か告げると、勇壮なる面持ちとなって口を開いた。


「オルガ氏もユーリ氏の実力を体感しきれなかったという思いを抱いておりましたため、ユーリ氏の申し出を心よりありがたく思うと仰っています」


「わーい! ユーリ氏、大喜びなのですー!」


 そんな言葉を通訳されずとも、その表情だけでユーリの真情はぞんぶんに伝わっていることであろう。オルガ選手は試合に臨むような気迫をじわりとこぼし――それと同時に、ユーリと同種の輝きをその灰色の瞳に灯したようであった。

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