07 リミッター

『ワンド・ペイジ』との撮影を終えたならば、撮影地獄の後半戦だ。

 多少ばかりの休憩時間の後、別なる水着にお召し替えをして、前半戦と同じ段取りで撮影が進められていく。このたびは、全員の水着が青と白のツートンカラーでまとめられていた。ただやはり、ユーリは露出の多いローライズのトライアングル・ビキニ、愛音はつつましい胸もとをフォローするフレア・ビキニ、瓜子は――トップの真ん中とボトムの左右が紐で交互に留められた、レースアップなる様式のビキニであった。


「あの、どうして自分はいっつもユーリさんばりに露出が多いんすか? 邑崎さんみたいな水着だったら、羞恥心も何割か抑えられるんすけど」


 公衆の面前ではあまりに気恥ずかしいために、瓜子はこっそりトシ先生に意見させていただいた。

 しかしトシ先生は、すました顔で眼鏡をふいている。


「それはね、それぞれの魅力を最大限に引き出すためよ。アタシの審美眼に何か文句でもあるっての?」


「いえ、そういうわけじゃないんすけど……自分みたいに貧相なスタイルをした人間には、もっと相応しい水着があるんじゃないかと……」


「アンタ、わかってないわねぇ。アンタは一見、起伏の少ないおこちゃま体型に見えるけど、実際は黄金比と言いたくなるようなプロポーションなのよ。腰のくびれ具合とか、手足の引き締まり具合とか、ほのかな胸のふくらみ具合とか……何もかもが、絶妙なバランスなの。それにアンタ、試合が近いと体重を落としてるんだってね。もしかして、今も試合が近いんじゃない?」


「ええまあ、試合まで三週間を切ってるんで、一・五キロほど落とした状態っすけど……」


「それで筋肉の線が浮かぶぎりぎりの状態なのね。きっとあと一、二キロも落としたら、完全にアスリートとしての美しさになるんでしょう。それはそれで素晴らしいけど、今はアスリートとしての研ぎ澄まされたボディと女の子らしいボディの境界線上で、とってもアンビバレントなの。完璧に完成されたユーリちゃんのボディとは対極的な――すっごく想像力をかきたてられるプロポーションなのよね」


「な、何を想像させるっていうんすか?」


「バカね。おかしな意味じゃないわよ。アンタはとっても未完成で不完全で未成熟なゆらぎを感じさせるのに、実はこれが完成形だっていう力強さもあわせ持ってて……そのアンビバレントな部分が、人の目をひきつけるのよ。肌をさらせばさらすほど、その魅力が高まっていくわけね。何せアンタはプロポーションだけでなく、お肌のほうまで極上なんだから」


 そう言って眼鏡をかけなおしたトシ先生は、いつになく真剣な面持ちで瓜子の姿を見据えてきたのだった。


「アンタ、ヌードをさらす気になったら、真っ先にアタシに連絡しなさいよ。つまらないやつに最初のヌードを撮らせたら、アタシが承知しないからね」


「そんなもん、一生さらす気はありません!」


 そんな舞台裏はともかくとして、撮影のほうは粛々と進められていった。

 女子三名の撮影を終えたら、今度は『ベイビー・アピール』との合同撮影だ。

 こちらはまた念入りな下準備が施されており、瓜子たちはガウンを着込んで別のフロアまで案内されることになった。


 そちらに到着した瓜子は、唖然としてしまう。

 なんとそちらの撮影スタジオには、ドラムセットやギターアンプなどの機材が持ち込まれていたのだった。


「おー、待ってたよぉ。こっちはいつでも準備オッケーだからねぇ」


 派手にペイントされたギターを掲げた漆原が、呑気な笑顔で手を振ってくる。そちらは五十センチほどの高い場所に機材が設置され、本当にライブのステージであるかのようだった。


「こ、これ、自分たちはどうしたらいいんすか?」


「さきほどと同じ要領です。マラカスとタンバリンで演奏にご参加ください」


『ベイビー・アピール』の爆音が本当に放出されるならば、そのようなものの音色はあえなくかき消されることだろう。そういう意味では、気楽なものであったが――しかし、身のおきどころのなさは、さきほど以上であるように思えた。


「そしてみなさんは、こちらの衣装をよろしくお願いいたします」


「衣装?」


 ひょっとしたら水着姿から解放されるのかと、瓜子はわずかな期待を抱きかけたが、それはぬか喜びに終わった。そこに準備されていたのは、カウボーイハットとカウボーイブーツとレザーのガンベルトのみであったのだ。水着姿でそのようなものを装着するのは、羞恥心が増大するだけのことであった。


 しかも、自分たちの撮影後に姿を消していた『ワンド・ペイジ』の面々が再集結してしまっている。瓜子のせいで関係性がこじれてしまったりすることもなく、いつも通りの平穏な様子であるのは何よりであったが――彼らはパイプ椅子に座って、完全に観戦のかまえであった。


「ユーリ選手は小道具として、こちらもどうぞ」


 千駄ヶ谷が取り出したのは、えらく精巧なつくりをしたモデルガンであった。


「あははぁ。千さんが持ってると、本物みたいな迫力ですねぇ」


「…………」


「あやや、嘘ですよぉ。冷酷非情な殺し屋みたいとか思ってませんってばぁ」


「私にそのようなスキルがあれば、さまざまな問題を迅速に処理できたやもしれませんね」


 そんな空恐ろしいつぶやきとともに、ユーリにモデルガンが手渡された。


「それでは、ステージにどうぞ。坂上塚先生も、ご準備をお願いいたします」


「はいはい。言っておくけど、ライブ撮影なんてのもアタシは専門外だからね」


 愛音がタンバリンを希望したので、瓜子はマラカスを手に簡易ステージに上がることになった。

 入念にメイクされた顔で、水着とハットとブーツとベルトだけを纏い、マラカスを握りしめて、名のあるロックバンドのメンバーと立ち並ぶ。どうして瓜子がこのように面妖な運命を迎えることになったのか、どれだけ頭を悩ませても答えは得られそうになかった。


「うわ……なんかヤベーな。手の震えが止まんねえや」


 と、ベースのタツヤが頼りなげな言葉をこぼした。

 ちょうどそのそばに配置された瓜子は、「大丈夫っすか?」と呼びかけてみせる。


「いや、全然大丈夫じゃねえよ。水着姿の瓜子ちゃんが、こんな目の前で尻を振ってるんだぜ? これじゃあ、演奏どころじゃねえって」


「尻なんか振ってないっすよ! さっきヒロさんに怒ってくれたのは何だったんすか?」


「ああ、あとであいつに謝らなきゃな。なんか瓜子ちゃんって、男の煩悩じゃなくって思春期心をめいっぱい揺さぶってくるんだよ」


 そんな心の在りようは、寡聞にして存じあげない。

 ただ――照れ臭そうに笑うタツヤの姿は、撮影前に出くわしたリングアナウンサーの若者などとは比較にならないぐらい可愛げがあった。


(見た目のガラの悪さなんかは、『ベイビー・アピール』のほうが上なぐらいだけど……いや、《黒武殿》のお人らだって、実際に話してみたら気のいい人たちだったもんな。一番タチが悪いのは、やっぱりあのリングアナウンサーってことか)


 どうしてよりにもよって、そんな輩を《カノン A.G》の関係者として迎え入れてしまったのか。なんだかもう、類が友を呼んだとしか思えないような有り様であった。

 そんな瓜子の感慨をよそに、ついに撮影が開始される。


「それでは、開始いたします。……照明をお願いいたします」


 千駄ヶ谷の言葉に従って、奇妙な照明の演出がされた。

 室内の照明が落とされた上で、白と赤の二色のスポットがゆっくりとステージを舐め回し始めたのだ。人の姿がまだらに染めあげられて、しかも絶えず形を変えていく、ずいぶん怪しげな雰囲気になってしまった。


「じゃ、始めよっかぁ」


 漆原の気の抜けた号令で、『ハッピー☆ウェーブ』の演奏が披露された。

 瓜子はステージにもスタジオ練習にも立ちあっていたが、これほどアンプの間近に立ったのは初めてのことだ。ユーリが普段味わわされている爆音の凄まじさを、瓜子はまざまざと体感することになった。


 素肌や着ているものどころか、頭や腹の中まで揺れ動くような心地である。この振動で水着の紐がゆるんでしまったりはしないかと、本気で心配になるほどであった。


 そんな中、ユーリの歌声までもが炸裂する。

 その迫力におののきつつ、瓜子も懸命にマラカスを振り回した。


 ユーリは普段のステージと同じように、心から楽しそうに躍動している。

 そんなユーリを見ていると、瓜子もまた自然に身体を動かすことがかなった。


 そして――曲が進むごとに、瓜子の中に少しずつ違和感が生じていく。

 何かが、いつもと違うように感じられるのだ。


(そりゃあまあ、ステージに立たされたら音の聴こえ具合も変わってくるんだろうけど……)


 しかし、それだけが理由なのだろうか。

 瓜子の胸が、ざわざわとざわついている。

 何かちょっと怖いような――予測を上回る圧力のようなものが、瓜子の心身を脅かしているかのようだった。


(普段よりアンプのそばにいるんだから、迫力を感じるのは当たり前だ。でも、それだけじゃないような……)


 瓜子の目は、自然とユーリに引きつけられる。

 ユーリに、普段と変わるところはない。爆音の中を泳ぐように、ユーリは力強くステップを踏みながら、熱唱していた。


 熱唱――そう、熱唱である。

 違っているのは、ユーリの歌声であった。

 ユーリの歌声が、いつもより生々しく感じられる。ただボリュームが大きいというだけでなく、その言葉とメロディがぐいぐいと瓜子の心を揺さぶってくるのだ。


(うん。急ごしらえの設備のせいか、むしろ歌声は小さく聴こえる。モニターの返りが悪いみたいだ)


 ユーリの歌声は、足もとに設置されたモニタースピーカーから出されている。その音量が、爆音の演奏に負けていた。

 だからユーリは、これまで以上の声量を振り絞っているのだろうか?

 いつもは安定して力強いユーリの声が、時おりかすれたり、ひび割れたりしている。高音のシャウトなどは特にしんどいようで、ユーリは身を折って歌声を振り絞っていた。


 その歌声が、生々しい。

 まるで、山寺博人の粗削りなギタープレイのようだ。

 瓜子は彼の生々しい音色を、とても好ましく思っている。それと同じ理由で、瓜子はユーリの歌声にいっそう強く心を揺さぶられているのかもしれなかった。


 最初は少し苦しいようにも感じられていた圧力が、どんどん別なるものに変じていく。

 こんなに明るく元気な曲なのに、瓜子は涙をこぼしてしまいそうだった。


 そうして瓜子を圧倒した『ハッピー☆ウェーブ』は、あっという間に終わりを迎えて――室内の照明が灯されると同時に、スタジオ中から拍手が送り届けられてきた。その場に控えていたスタッフたちの、心からの賞賛であろう。さきほどの『ワンド・ペイジ』のときも、演奏後にはこのような状態になっていたのだ。


 そんな中、漆原が「ユーリちゃん!」と大声を張り上げる。

 彼がそのように振る舞うのは、とても珍しいことだった。


「どうしちゃったの? 客も入れないなんちゃってステージなのに、過去最高の出来栄えだったじゃん! なんか秘密特訓でもしたの?」


「ほえ? ユーリはいつも通りに歌っただけですけれども……あいや、むしろ普段よりお粗末だったのではないでしょうか?」


「お粗末って、そんなわけないじゃん! どうしてそう思うのさ?」


「はあ。なんだかいつもより自分の声が聴こえにくかったので、音程とかあまり気にしないで大声を出していたのですよねぇ」


「大声って……普段は加減してたってこと?」


「いえいえぇ。普段は音程のことをきちんと考えた上で、めいっぱいの声を出しておりましたよぉ」


「じゃあ今日は、そのリミッターを外したってことか……やっぱすげえよ、ユーリちゃん。俺、ユーリちゃんとステージに立つたびに、評価点が更新されちまうわ」


 そう言って、漆原は屈託なく笑った。

 そして、ステージ下の千駄ヶ谷に向きなおる。


「千駄ヶ谷さん! 俺、創作意欲をめちゃくちゃにかきたてられたからさぁ。絶対すげえ新曲をユーリちゃんに作ってみせるよ」


「そのお言葉は、心からありがたく思います。ですが今は、撮影作業のさなかでありますため……坂上塚先生、如何だったでしょうか?」


「ええまあ、この騒がしいコたちも素材として一級品ってことは認めてあげるわよ。でも、リテイクしないと使い物にならないわね」


 トシ先生は広くなりかけている額をレースのハンカチでぬぐいながら、そう言った。


「ユーリちゃんとバンドのコたちは、カンペキだったわ。それなのに、瓜子ちゃんはぽけっとユーリちゃんに見とれてるし、愛音ちゃんは大号泣だし……ふたりの画がいらないなら、これでおしまいでもいいけど?」


「いえ、そういうわけにはまいりません。……猪狩さん、邑崎さん、坂上塚先生のお言葉を踏まえて、もうワンテイクお願いいたします」


「はい……ただちょっぴりだけ、インターバルをお願いしたいのです……」


 トシ先生の言う通り、愛音は涙でメイクをぐしゃぐしゃにしてしまっていた。瓜子がそうならずにすんだのは、きっとこれまでの練習やステージで多少なりとも耐性ができていたからなのだろう。


「それでは十五分間ほど休憩を入れましょう。邑崎さんは涙がおさまったら、メイク直しをお願いいたします」


 瓜子は息をつきながら、ユーリとともにステージを下りる。するとたちまち、『ワンド・ペイジ』のメンバーに取り囲まれてしまった。


「ユーリさん、俺も鳥肌が立ちましたよ。ユーリさんの歌には、まだまだ底があったんですね」


「いえいえぇ、あくまで音程を気にしない歌い方でしたのでぇ」


「ピッチのズレも、許容範囲内でしたよ。それよりも、勢いを重視するべきだと思います。ユーリさんは、つくづくライブシンガーなんですね」


 いつも通りの穏やかな面持ちであるが、西岡桔平もぞんぶんに昂揚しているようだった。陣内征生は、ただひたすら目を泳がせている。

 そして、山寺博人は――長い前髪で視線を隠したまま、ぶっきらぼうに言い捨てた。


「だけど、毎回モニターを下げるわけにはいかねえだろ。そもそも爆音じゃなきゃポテンシャルを発揮できないんなら、俺たちは用済みだ。あんた、どんな伴奏でもあれぐらいの歌声を出せるように稽古しておけよ」


「ひょええ。それはユーリひとりではどうにもならないような……ボイトレの先生と相談してみますぅ」


「ボイトレなんざ、役に立つのかな。まあいいや。とにかく何とかしとけよ」


 そうして山寺博人は、仏頂面を瓜子に向けてきた。


「な、なんすか? おしゃべりの前に、ガウンを着たいんすけど」


「ああ。馬鹿みたいな格好だもんな」


 そんな風に言ってから、山寺博人は自分の頬をぴしゃんと叩いた。


「また間違えた。……俺、雑な物言いしかできねえんだよ。どうしよう?」


「いや、どうしようと言われましても……とりあえず、ものを投げたり蹴ったりしなければ、自分は文句ないっすよ」


「でも、馬鹿みたいな格好って言われて、ムカついてたじゃん。お前はそういうの、全部だだもれだもんな」


「ほっといてください。……自分に対しては、お前で統一することにしたんすか?」


 これまでは、おおよそ「あんた」で統一されていたはずだ。

 山寺博人は虚を突かれた様子で口ごもる。その姿を見て、西岡桔平は穏やかに微笑んだ。


「な? お前は否定してたけど、猪狩さんに対して気安くなってるんだよ。それは決して悪いことじゃないけど、お前は身内に無遠慮だから、自制しないと失礼なことになっちまうんだって」


「……すげえ面倒くせえ」


 と、山寺博人は頭をかきむしった。


「いいからお前は、なんか着ろよ。羞恥心も持ってねえのか?」


「だから、先に着させてくださいって言ったでしょう? もう、勘弁してくださいよ!」


 瓜子は頬を熱くしながら、ガウンを預かってくれた衣装係のもとを目指した。

 その後をついてきたユーリが、「うみゅうみゅ」としたり顔で語りかけてくる。


「察するに、ヒロ様はうり坊ちゃんに欲情すまいと無意識下でブレーキを踏んでおられるゆえ、ああして言動が不如意になっておられるのでしょうな。あれはあれで、信用に足る人格者でありますのじゃ」


「……あのですね、心の底からやかましいっすよ」


「てへへ」と舌を出しながら、ユーリは自分の頭を小突く。それもまた、小憎たらしい限りである。


 ともあれ――しばらくしたら、またユーリと同じステージに立てるのだ。

 撮影地獄に苦しむ瓜子に、神様が情けをかけてくれたのであろうか。『ワンド・ペイジ』や『ベイビー・アピール』の面々に水着姿をさらすという羞恥心が、それで1グラムでも軽減されるわけではなかったのだが――それでもなお、瓜子はこれまでに授かった覚えのない不思議な充足感をその胸に抱くことがかなったのだった。

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