04 まりりん☆ちゃんねる #8

《カノン A.G》十一月大会のマッチメイクが発表された日から、三日後――十月の第四金曜日である。

 鞠山選手の開設した動画チャンネル『まりりん☆ちゃんねる』が、その日に更新されることになった。


『まりりん☆ちゃんねる』が開設された日から三週間と四日が過ぎて、動画の更新もこれで第八回目となる。その日のテーマは「《カノン A.G》十一月大会の事前考察」と銘打たれていたため、瓜子とユーリは道場の練習後にメイの部屋にお邪魔して、そちらの携帯端末で動画を拝見することに相成った。


 瓜子たちはこれまでにも何回かメイの部屋にお邪魔していたが、相変わらず生活感のない無機的な様相である。間取りはこちらと同じく2LDKであるのだが、ふたつの部屋はトレーニング器機で埋め尽くされており、寝室にされてしまったリビングにはダブルサイズのベッドとオーディオ機器と小さな座卓が置かれているだけで、床にはカーペットもラグマットも敷かれていなかった。ちなみにダイニングキッチンなどは、冷蔵庫と電子レンジの二点のみという潔さである。


「……でも、ウリコたち、くつろげるように、クッションを購入した」


「わ、それはわざわざありがとうございます。可愛い柄っすね」


 それは愛音が好みそうな、エスニックな紋様の刺繍されたクッションであった。

 メイは笑顔をこらえるように眉をひそめつつ、瓜子とユーリの顔を見比べてくる。


「……飲み物、必要? ミネラルウォーターしかないけど」


「いえいえ、どうぞおかまいなく。時間も遅いんで、さっそく動画を拝見させてもらえないっすか?」


「わかった」と応じつつ、メイはテレビの電源を入れてから、携帯端末を操作した。デジタル音痴の瓜子たちが驚かされたことに、最近では携帯端末の映像をテレビで鑑賞できるのだそうである。


 メイは研究熱心で、対戦相手の試合映像を何度となくチェックする気質であるため、テレビも大画面の立派なものであった。

 その巨大な画面に、見覚えのあるイラストが表示される。魔法少女の姿をした鞠山選手と小柴選手が看板を掲げたイラストだ。メイが携帯端末を操作すると、以前と同じようにイラストと同じポーズをした実物の映像に切り替わり、動画の本編が開始された。


『魔法少女の電脳空間にようこそだわよ。第八回目の更新となる今回は、《カノン A.G》十一月大会の事前考察を実施するだわよ』


 天覇ZEROにおける出稽古も終了したため、瓜子が鞠山選手のご尊顔を拝見するのは《レッド・キング》を観戦した日以来であった。今でも週二ペースで通っている小柴選手から聞いている通り、お変わりないようで何よりである。


『まず最初に言わせてもらいたいのは、マッチメイクの発表が遅すぎるだわよ。世間への公開はともかくとして、出場選手に対する告知が大会の三週間ちょっと前なんて、杜撰もいいところだわね。これじゃあチーム・フレアと外国人選手にだけ事前に告知して、アトミックの日本人選手に対策の時間を与えないようにしてるって疑われても仕方がないところだわよ』


『あ、あははー、そんな風に疑ってるのは、まりりんご自身じゃないデスカー』


『もう八回目の更新だってのに、あんたの大根っぷりには成長の気配も見られないだわね。……これが日本人選手に対する嫌がらせじゃないってんなら、運営の無能をさらけだしてるだけだわよ。四大タイトル決定トーナメントなんて御大層なイベントを銘打っておいて、お粗末な限りだわね』


 相変わらず、鞠山選手の舌鋒には容赦がなかった。


『さて、それじゃあ事前考察を開始するだわよ。もともと前回の大会で勝ちを収めた十人の選手は出場が確約されてたから、新たにエントリーされたのは六名。アトム級は、ゾフィア・パチョレックとアレクサンドラ・カルバーリョ。フライ級は、宗田星見。ストロー級は、沖一美とマーゴット・ハンソン。バンタム級は、青田ナナ。……このうち、かつての《アトミック・ガールズ》まで含めて初参戦となるのは、アレクサンドラ・カルバーリョと青田ナナの二名だわね』


『は、はい。わたしは階級が違うんで、あまり印象に残っていなかったんですけど……ゾフィア選手とマーゴット選手は、もともとアトミックにも参戦していたんですよね』


『そうだわね。そのあたりのことも含めて、一試合ずつじっくり検証していくだわよ。まずはアトム級の第一試合、イヌカイ=フレアとゾフィア・パチョレックだわね』


 鞠山選手はA3サイズのスケッチブックを取り出して、両選手のイラストを披露した。ゾフィア選手は褐色の髪をぴっちりと編み込んだ、痩身の選手として描かれている。


『このゾフィアっていうのはポーランド出身のストライカーで、かつての《アトミック・ガールズ》でもまごうことなきトップファイターだっただわよ。雅ちゃんとの対戦成績も、一勝一敗のタイだわね。こいつは雅ちゃんと同じ身長でリーチにも差がないから、さすがの雅ちゃんも毎回苦戦を強いられてたんだわよ』


『え、えーと……雅さんが勝った試合は二ラウンド目でチョークスリーパーの一本勝ち、負けた試合は一ラウンド目でKO負けだったそうですね』


『そう。こいつは典型的な、スタートダッシュ型なんだわよ。細いくせに馬力がすごくて、序盤からガンガンぶつかってくるタイプだわね。……ただし、寝技はいまいちでスタミナもないから、二ラウンド目にもつれこむと、ガクンと勝率が落ちるんだわよ。アトミック以外の海外の試合でも、勝つなら一ラウンド目でKO勝ち、負けるのは二ラウンド目以降ってのがテンプレだわね』


『すいぶん極端な選手なんですねえ。ただ、プロデビュー二戦目のイヌカイ選手が相手取るのは、なかなか荷が重いように思いますけれど……』


『わたいの独断と偏見で語らせてもらうと、勝率は半々ってところだわね。イヌカイのアクロバティックなファーストアタック、古式ムエイタイをルーツにするトリッキーな打撃技、まあまあ達者なグラウンドテクニック――そのどれかが通用するかどうかで、勝敗は分かれるだわね』


 やはり、犬飼京菜を不必要に貶めたりはしない、鞠山流の厳正なコメントであった。


『それでお次は、雅ちゃんとアレクサンドラ・カルバーリョ。このアレクサンドラは初参戦どころか初来日になる選手だけど、わたいの情報網を駆使して全容をつかんでみせただわよ。どうしてこの選手を王座決定トーナメントにエントリーさせたのか、運営陣には記者会見でも開いてもらいたいもんだわね』


『え、えーとえーと……あ、まりりんは柔術のお師匠が、ブラジルに住まわれているのですよね! そちらから、情報をいただくことができたのデスカ?』


『そう。前回のベアトゥリス=フレアは大した情報も得られなかったけど、このアレクサンドラってのはブラジルの地元では有名な選手だったんだわよ。年齢はもう二十八歳で、対戦成績は……なんと、五勝十二敗だっただわよ』


『それはずいぶん、負けが込んでいますね。最近になって調子をあげてきたということデスカ?』


『いんや。むしろ、キャリアを重ねるごとに勝率は下がってるだわよ。ここ一年は白星がないぐらいだわね』


『ど、どうしてそんな選手が、雅選手にぶつけられたんです? 運営陣は、アトミックで活躍していた日本人選手の未熟さをあげつらいたいっていう方針なんでしょう?』


 どうやら小柴選手も事情を聞かされていなかったらしく、心底不思議そうな顔をしていた。

 そして瓜子も、まったく同じ心境である。犬飼京菜にトップファイターをぶつけて、雅選手に落ち目のロートルを当てるなどとは、あまりに不可解であるのだ。

 が、そんな疑問は鞠山選手の解説であっけなく四散することになった。


『このアレクサンドラは、とにかくタフネスさを売りにしてるんだわよ。技術はないのにスタミナと頑丈さは一級品ってのが、わたいのお師匠の総括だっただわね。何せこいつはこれまでの十七試合、全部が時間切れの判定までもつれこんでるんだわよ。どんなに殴られても倒れないし、グラウンドで下になってもとにかく粘りまくる。本人にそんなつもりはないんだろうけど、相手を疲れさせることに特化したようなファイトスタイルなんだわね』


『それじゃあ、つまり……』


『そう、こいつはただひたすら雅ちゃんを疲れさせるために準備した、スタミナ掘削機なんだわね。……いっぽうイヌカイとゾフィアのほうは、短期決戦で終わる公算が高いだわよ。アレクサンドラとの試合でくたびれ果てた雅ちゃんを、イヌカイかゾフィアのどっちかが仕留められれば、それで十分ってことだわね』


『なるほど……ゾフィア選手も海外の試合がメインだから、立ち位置としてはジジ選手と同じなわけですね』


『そうそう。とにかくアトミック生え抜きの日本人選手に優勝はさせまいっていう、こすからい策略だわね。ま、こんな見え見えの策略は、雅ちゃんが毒蛇の牙で食い破ってくれるだわよ』


 鞠山選手の激励に応じるかのように、スケッチブックに描かれた雅選手のイラストはにんまりと微笑んでいた。


『それじゃあお次は、ストロー級。ルイ=フレアと宗田星見。……これはもう、解説するまでもないだわね。宗田星見は《JUF》で大活躍していた深見幸三の秘蔵っ子だけど、今年になって膝の手術をしてる上に、これがMMAのデビュー戦なんだわよ。本人もお師匠も、こんなオファーを受けるべきかどうか、もうちょっと熟考してほしかったところだわね』


『宗田選手は去年まで五輪の強化選手で、今年の春に柔道の引退とMMAへの転向を表明したんですもんね。それからすぐにトレーニングを始めていれば、MMAのキャリアは一色選手と同じぐらいになるんでしょうけど……』


『四月だか五月だかに膝を手術したんだから、そういうわけにもいかないだわね。ましてやキックと柔道なら、前者のほうがMMAとの親和性は高いはずだわよ。もちろん柔道の技術だってMMAで有効であることに疑いはないけど、得意の組み合いや寝技に持ち込むにはまずスタンドで打撃戦をクリアする必要があるんだわよ』


『それに柔道は、道着あっての競技ですもんね。MMAとノウハウが違うってことは、わたしにだって想像がつきます』


『柔術がルーツのわたいだって、もともとは柔道出身の宗田星見に期待をかけてたんだわよ。もしも宗田星見がわたいの事前考察をひっくり返してルイ=フレアに勝利できるようなら、謝罪動画を更新しつつ、「まりりんず・るーむ」のランチセット一年無料チケットをプレゼントするだわよ』


 そしてついに、瓜子とイリア選手の番である。

 そのイラストがお披露目されると、ユーリがまた「かわゆーい!」と騒ぎ始めた。


『お次はあかりんが横恋慕するうり坊とピエロの対戦だけど、残念ながらこっちもあまりしゃべくるネタがないだわね』


『だ、だから、その言い方はやめてくださいってば!』


『やかましいだわよ。……ピエロはダンスチームを休業して格闘技に専念してるそうだから、これまで以上に手ごわくなってるはずだわよ。その成長の一端は、あかりんとの対戦でも証明されただわね。うり坊は四月の大阪大会でピエロに勝利してるけど、あのときは三ラウンド目までもつれこんでただわよ。トーナメントの一回戦目は二ラウンド制だから、うり坊はよっぽど力を振り絞らないと、ペースを握れないまま判定負けする恐れがあるだわね』


『大丈夫です! 猪狩さんは、決して負けません!』


『……と、あんたに横恋慕するあかりんもいきりたってるから、しっかり結果を残すだわよ、イノシシ娘』


 瓜子は画面を見つめながら、小声で「押忍」と答えてみせた。


『お次はストロー級、シャラ=フレアと沖一美ちゃんだわよ。……これも前回の通り、シャラ=フレアには忖度の気配が見られないだわね。一美ちゃんは以前の王座決定トーナメントでピンク頭に敗退したけど、美香ちゃんにもマリアにも勝ち越してるアトミックのナンバーワン日本人選手なんだわよ。おまけに《フィスト》のほうでケージの試合も経験してるから、シャラが有利な点はひとつも見当たらないだわね』


『そうですよね。やっぱり沙羅選手は、チーム・フレア内で扱いが低いんでしょうか?』


『それを言うなら、イヌカイも二試合連続でトップファイターをぶつけられてるんだわよ。これはあくまで、わたいの妄想の範疇だけど……シャラはファイターとしてではなく、タレントとしての実績を買われたのかもしれないだわね。ここ最近、シャラのバーターで秋代や一色が鬱陶しいぐらい各メディアに進出してるんだわよ』


『ああ、桃園さんや猪狩さんのグラビア活動に難癖をつけながら、一色選手なんかはすっごく色気を武器にしてますよね。実力がともなえば問題ないっていうんなら、桃園さんや猪狩さんだってそれは同じはずです!』


『やっぱりうり坊がからむと、あかりんはテンションが上昇するだわね。他の選手の考察についても、同じぐらい熱を入れてほしいもんだわよ』


『そ、そんなんじゃありませんってば! い、猪狩さん、誤解しないでくださいね?』


『わたいのチャンネルを私物化するんじゃないだわよ。……あともう一点、これもわたいの妄想だわよ? イヌカイのほうも、シャラのバーターでチーム・フレアに参入したんじゃないかと思えてきたんだわよ』


『あの、さっきから仰っているバーターって、何なんでしょうか? 聞き覚えはあるんですけど、きちんと意味を知らなくって……』


『バーターってのは、芸能界の業界用語だわよ。語源は、「たば」だわね』


『え? 英語とかじゃないんですか?』


『英語のバーターは、物々交換の意味だわよ。選挙活動でおたがいを応援し合うときなんかにも使われるから、ちょっとややこしいところだわね。業界用語のバーターは、シースーとかザギンみたいに、束の読みをひっくり返してるだけなんだわよ。その意味は……簡単に言うと、抱き合わせ出演のことだわね』


『抱き合わせ……ああ、沙羅選手がドッグ・ジムに入門したから、犬飼選手も抱き合わせでチーム・フレアに誘われたってことですか?』


『あくまで、わたいの妄想だわよ。タレントとしての知名度を買われてチーム・フレアにスカウトされたシャラが、世話になってるジムに恩返しをするために、イヌカイも参入させるように交渉した――ってな感じの妄想だわね。そうとでも考えないと、十七歳のアマチュア選手を参入させる理由が思い当たらないんだわよ』


 鞠山選手の言葉を聞きながら、瓜子はかつてテレビ局で遭遇した沙羅選手のことを思い出していた。

 サングラスで内心を隠して、ずっとぶっきらぼうにしていた沙羅選手――彼女と犬飼京菜のチーム・フレア参入には、そのような経緯があったのだろうか?


『ま、妄想ばかりを語っててもしかたないだわね。お次、魅々香こと美香ちゃんとマーゴット・ハンソンだわよ』


『マーゴット選手は、わりと印象に残っていました。この階級の外国人選手としては、ジジ選手に次ぐ実力でしたよね』


『そうだわね。北米の名門、ゴードンMMAの所属で、同門のジーナ・ラフよりも格上の選手だわよ。ジジやジーナほどアトミックに参戦してなかったから影は薄めだけど、海外の戦績も立派なもんだわね。ボクシング&レスリングっていう近代MMAの王道スタイルでめきめき実力を上げていて、そろそろ《アクセル・ファイト》からもお声がかかるんじゃないかっていうもっぱらの評判だわよ』


『アトミックのほうで姿を見ないと思ってたら、海外でそんなに実績を積んでいたんですか。御堂さんは……正念場ですね』


『まごうことなき、正念場だわよ。ただし、これに打ち勝てば《アクセル・ファイト》進出だって夢じゃないんだわよ』


《アクセル・ファイト》の名が連呼されたので、瓜子はついついメイの顔色をうかがってしまった。

 が、メイは平静な面持ちで画面を眺めている。


「マーゴット・ハンソン、僕も知ってる。でも、階級が違うから、興味は薄い。ベリーニャ・ジルベルトぐらいの知名度じゃないと、標的にする価値はないから」


「そうっすか。でも、メイさんが知ってるぐらいの実力者なんすね」


「別に、大した話じゃない。《アクセル・ファイト》の所属選手、五百名以上いる。その中で、頂点に立たないと、意味はない」


「ええっ!? 《アクセル・ファイト》って、そんなにたくさんの選手を抱えてるんすか?」


 瓜子が思わず大声を出してしまうと、メイは可愛らしく小首を傾げた。


「《アクセル・ファイト》、五十ヶ国以上から、選手を集めてる。それぞれの国、十名ずつでも、五百人以上になる。何か、不思議?」


「いや……ちょっと自分の想像を超える数字だったもんで……」


「《アクセル・ファイト》、メイン興行、サブ興行、ミディアム興行、それぞれ毎月、開催してる。単純計算で、年間三十六の興行。それを成立させるのに、五百名以上の選手、必要になると思う」


「はあ……本当に、世界最高峰の名に相応しい団体なんすねえ」


 そんな言葉を交わしている間に、ユーリの出番が回ってきてしまった。


『お次は、ピンク頭ことユーリ・ピーチ=ストームと、青田ナナだわね。青田ナナは赤星道場の所属で、《フィスト》のバンタム級王者だわよ。六月に開催された《アクセル・ジャパン》に代役出場したのが記憶に新しいところだわね』


『はい。わたしたちは、赤星道場の合宿稽古に参加させてもらいましたけど……青田選手とは、あまり交流を持てませんでしたね』


『寝技と立ち技のスパーで、軽く絡んだぐらいだわね。ピンク頭と青田ナナも、おたがいの手の内を知ったような知らないままのような……ちょっと微妙なところだわよ』


 瓜子たちと赤星道場にまつわる一件は、小柴選手を通じて鞠山選手にも伝えている。赤星道場のデリケートな内情にはくれぐれも触れないようにとお願いしていたので、鞠山選手も多くを語ろうとはしなかった。


『まあとりあえず、青田ナナも《レッド・キング》と《フィスト》でケージの経験を積んでるから、アトミックの日本人選手の対抗馬としての資格は有してるわけだわね。なおかつ、《フィスト》の試合では堅実な強さを見せてるし、《レッド・キング》では何人かの男子選手に勝ってるらしいし……正道と邪道の両方で実績を残す、ちょいと不気味で不確定な存在なんだわよ』


 確かに、マリア選手や大江山すみれは独自のスタイルで男子選手に対抗していたが、青田ナナは赤星道場において赤星弥生子に次ぐナンバーツーの存在とされているのだ。男女の混合戦が普通に行われる《レッド・キング》において、マリア選手よりも格上とされているのなら、その時点で相当な実力であるはずであった。


『で、最後はタクミ=フレアこと秋代拓海と、ベリーニャ・ジルベルトだけど……うーん……秋代は、どうやってベリーニャに勝つつもりなんだわね?』


『どうでしょう? まあ、ブラジリアン柔術の宿敵とされるルタ・リーブリ系のヴァーモス・ジムで稽古を積んでいたそうですから、何かしらの秘策があるのかもしれないですけれど……』


『正直に言って、わたいは感心すると同時に、ちょっと薄気味悪いんだわよ。チーム・フレアは運営陣とべったりで、自分たちに都合のいいマッチメイクをしてる節があったけど……このバンタム級のトーナメントなんかは、まったく秋代に有利なところがないように思うんだわよ』


『ベリーニャ選手との対戦だけじゃなく、トーナメントそのものがですか?』


『そうだわよ。わたいがこのトーナメントの予想を立てるなら、本命・ベリーニャ、対抗・ピンク頭、穴・青田ナナ、大穴・秋代につけるところだわね。《スラッシュ》の無差別級王者、アトミックのミドル級王者、《フィスト》のバンタム級王者……それに対して、秋代は三代前のミドル級王者なんだわよ? ここ数年の実績で言ったら、秋代が一番格下なんだわよ』


『それはまあ、そうですよね。ただ、そこまで実力のない選手に小笠原先輩が負けるはずはないと思いますけれど……』


『相対的な強さの話をしてるんだから、いちいち涙ぐむんじゃないだわよ。だいたい、ピンク頭だって去年トキちゃんに勝ってるんだから、それを含めても秋代の格は動かないんだわよ』


 鞠山選手はむっちりした腕を組みながら、便秘に苦しむカエルのような顔をした。


『この実績をひっくり返せるだけの実力をつけたっていう自信があるのか、はたまた現実が見えてないだけなのか……こればっかりは、試合内容で評価を下すしかないだわね。何にせよ、ベリーニャに負けたところでこっちの鬱憤は晴れないから、アトミック生え抜きの選手に完膚なきまで叩きのめされるまでは引退するんじゃないだわよ、秋代』


『では、総括をお願いします』


『総括! バンタム級とフライ級は、まあ申し分ない顔ぶれだわよ。秋代とシャラに有利な面もないし、出場選手の力量も、対戦の組み合わせも、文句のつけようがないだわね。……反面、ストロー級とアトム級は、宗田星見とアレクサンドラの扱いが腑に落ちないだわね。特定の選手を有利にしよう不利にしようって思惑が透けて見えるだわよ。そうじゃないって言い張るなら、宗田星見とアレクサンドラを起用した正当な理由を釈明してほしいところだわね』


 そうしてあとは軽い雑談を加えつつ、動画は終了した。

 すると、テレビの電源を落としたメイが、瓜子に向きなおってくる。


「ウリコ。アレクサンドラ・カルバーリョについて、情報、必要?」


「え? メイさんも、何か情報をお持ちなんですか?」


「うん。SNSで、見つけただけだけど」


 と、メイは携帯端末を操作して、瓜子のほうに差し出してくる。

 が、そこに記されているのは、すべて横文字であった。


「えーと……恥ずかしながら、自分は英語が苦手なんすよね」


「じゃあ、説明する。これ、ヴァーモス・ジムの会長のコメント。……ブラジル支部の女子選手、日本の興行に参戦しているようだけど、自分は関知していない。よって、質問には答えかねる。……そう書かれてる」


「え? ヴァーモス・ジムって、ブラジルが本部じゃないんすか? ルタ・リーブリって、ブラジルの競技でしょう?」


「《JUF》の時代は、ブラジルが本部だった。でも、主戦場が《アクセル・ファイト》になってから、会長がフロリダに移り住んで、本部が移された」


「ああ、そうだったんすか。……でも、質問って何のことでしょう?」


「さかのぼったら、判明した。チーム・フレア所属のベアトゥリス・ソウザと、今回参戦が決まったアレクサンドラ・カルバーリョについて、日本の記者や格闘技フリークから、質問が何件かあったらしい。それに、チーム・フレアのアンチから、どうしてあんな連中に加担するんだと、誹謗されたらしい」


 やはり旧来の《アトミック・ガールズ》を愛するファンの中には、そういった思いを抱え込む人間が出てきてしまうのだろう。瓜子には、チーム・フレアの自業自得としか思えなかった。


「それで辟易して、さっきのコメントを表明した。……たぶん北米でも、《カノン A.G》の悪い風聞が流れてるから、自分は無関係、主張したんだと思う」


「ああ、ベリーニャ選手も北米のご家族が、パラス=アテナの悪い風聞を耳にしたとか言ってましたね。いったいそれは、どういった風聞なんでしょう?」


「たぶん、ジャパニーズ・マフィアについて。《JUF》もそれで壊滅したから、北米の関係者たちも、過敏になってる」


 それで壊滅した《JUF》は《JUFリターンズ》として生まれ変わり、いまや《アクセル・ファイト》の下部組織なのである。瓜子が実感している以上に、日本と北米の格闘技業界はどこかで繋がっているのだろう。


「タクミ・アキシロ、ヴァーモス・ジムとの結びつき、強調してる。彼女たちのセコンドも、ヴァーモス・ジムの関係者だと思う。でも、フロリダ本部じゃなく、ブラジル支部。チーム・フレアがヴァーモス・ジムのネームバリュー、利用していることを伝えたら、フロリダの会長、揺さぶれると思う。……この作戦、有効?」


「いやあ、自分には何とも判断がつきません。とりあえず、上司に報告させてもらってもいいっすかね?」


「うん。ウリコの役に立てるなら、嬉しい」


 そう言って、メイはじっと瓜子の顔を見つめてきた。申し訳ないが、どう見てもおねだりをする犬か猫かタスマニアデビルのような空気である。瓜子は精一杯の気持ちを込めて、そんなメイに笑いかけてみせた。


「それでわざわざ、海外のSNSまで探ってくれたんすね。メイさんがそんなに自分たちのことを気にかけてくれて、本当にありがたく思っています」


 メイはまた笑顔をこらえるように、きゅっと眉をひそめてしまった。素直なのか偏屈なのか、なんとも難しい年長の新人門下生である。

 そうして瓜子は、ずっと静かにしているもうひとりのチームメイトを振り返った。


「で、ユーリさんはどこまで内容を把握できたんすかね?」


 うとうとと舟をこいでいたユーリは、はっとした様子で面をあげつつ、寝ぼけ気味の笑みを広げた。


「いやいや、メイちゃまのお部屋で居眠りなんてしてないよぉ。……うり坊ちゃんのイラスト、やっぱりかわゆかったねぇ」


「察するに、それ以降は夢の中だったみたいっすね」


「あうう……このような時間にじっとしていると、たちまち睡魔に襲われてしまうユーリちゃんなのです」


 そんな風に言ってから、ユーリは色っぽく「あふぅ」とあくびをもらした。


「まあ、ユーリさんには事前考察なんて必要ないのかもしれませんけど。……ただやっぱり、鞠山選手も青田さんの評価は高いみたいっすよ。自分たちは《アクセル・ジャパン》で秒殺される試合しか観たことないっすけど、油断だけはしないでくださいね」


「あははぁ。たとえ相手がどなたであろうとも、油断できるような身分ではないユーリちゃんなのですぅ」


 これは、瓜子が間違っていたようだ。たとえどれだけ呑気に見えようとも、ユーリは格闘技についてだけは誰よりも真摯であるのだ。ましてやベリーニャ選手との対戦がかかった試合で油断などするはずもなかった。


《カノン A.G》の十一月大会まで、残すところは三週間足らずである。

 週が明ければもう間もなく調整期間となってしまうが、それでも瓜子たちは最後まで、たゆみなくトレーニングを続けるしかなかった。

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