02 思わぬ波乱

(メイ=ナイトメア選手がこんなに息を乱したのは、初めてのことだよな)


 そのように念じた瓜子は、自身も大きくスタミナを削られながら、自分から接近してみせた。

 スタミナというものは、自分のペースを乱されることによって、より大きく削られる。メイ=ナイトメア選手がこうまで疲れているのは、意図していなかった首相撲の差し手争いに注力したためであろう。あちらは怒涛のラッシュを仕掛けた直後であったのだから、その影響も顕著であるはずだ。


 疲れているのがお互い様であるのなら、今度は自分がペースを握って、相手のスタミナをさらに削る。

 そんな覚悟を胸に、瓜子は攻撃を仕掛けてみせたのだった。


 まずは相手のアウトサイドに踏み込んで、右のローを叩きつける。

 相手は足を浮かそうとせず、まともにローをくらっていた。


 キックの世界では考えられないことだが、MMAにはそうしてローを防御しない選手も少なくはない。足を浮かせばバランスが不安定になり、テイクダウンを取られる危険が生じるためだ。


 また、ローを打つほうもキックの試合に比べれば、軽い攻撃になることが多い。そうまで思いきってローを繰り出すと、やはり隙が生じてテイクダウンを取られる危険が生じるためである。


(この選手は、瞬発力がすごいからな。テイクダウンには、十分気をつけよう)


 瓜子はさらにアウトサイドに回り込みつつ、左ジャブで牽制してみせた。

 ローもジャブも、距離を測るための大事な攻撃だ。相手は悠然とガードしていたが、それでまったくかまわなかった。


(相手がペースダウンした、ここがチャンスだ。ここでリズムをつかむ)


 セコンド陣も、そのように指示を送ってくれていた。

 それに応えるべく、瓜子は右足を振り上げる。


 ローと見せかけて、相手の肩口を狙ったミドルハイだ。

 相手の腕を少しでも削れれば上々であろう。相手はこれまでの試合でパンチの攻撃しか使っていないため、蹴り技を駆使するというのは事前に取り決めておいた戦略の一環であった。


(まずは、相手の出足を止める)


 瓜子はアウトサイドに回り続け、カウンターの恐れが少ないポジションでは積極的に右ローを打ってみせた。

 相手がガードをしないのなら、軽めのローでもダメージの蓄積は期待できる。


 そして、じわじわと距離を詰めつつ、左ジャブを深めに当てていく。

 相手はウェービングやスリッピングが得意らしく、頭にヒットさせても衝撃を逃がされてしまったが、瓜子の中には確固たる距離感が形成されていった。


(よし。次は――)


 と、瓜子が次のステップに進もうかと思案したとき、メイ=ナイトメア選手の姿がぐんと近づいてきた。

 ついに、反撃してきたのだ。

 しかし瓜子は両腕をのばしてストッピングを試み、バックステップで距離を取りなおしてみせた。


 これも、距離感を育てた恩恵である。

 もうそう簡単には、相手に近づけさせない。瓜子にも、キックのトレーニングで積んできた自信と自負があった。


(パンチの乱打戦しか芸がないなら、半年前の灰原選手と一緒だよ)


 瓜子は中間距離を保ちつつ、自分の攻撃だけを当ててみせた。

 相手はときたまカウンターで右フックを繰り出すぐらいで、ラッシュ時の迫力は見られない。瓜子のペースで試合を進められている証拠であった。


「残り一分! 最後までペースを守り抜け!」


 セコンドから飛ばされてくる声は、ずっと瓜子の考えと合致している。

 それを嬉しく、心強く思いながら、瓜子はここぞというタイミングで右ストレートを打ってみせた。


 相手はやはりウェービングでかわして、右のフックを繰り出してくる。

 しかし、この角度なら当たらない。

 瓜子はかまわず、左ジャブを出してみせた。

 右から左の逆ワンツーを当て、さらに右ローを叩き込む。


 相手のバランスが、わずかに崩れた。

 瓜子はほとんど本能で、左のボディアッパーにまで繋げる。

 これも、クリーンヒットした。


 右のフックは、ガードで弾かれる。

 その代わりに、左のフックはテンプルをとらえた。先のボディアッパーで、ガードが下げられていたのだ。


 瓜子はさらに、右膝蹴りを叩き込む。

 それが命中するぐらい、すでに距離が詰まっていた。


 乱打戦を得意にするメイ=ナイトメア選手が相手では、危険な距離である。

 しかし、瓜子の心に臆するところはなかった。(大丈夫だ)と頭に囁くものがあったのだ。


 瓜子はもう一度、左フックを繰り出した。

 今度は、しっかりガードされてしまう。

 ならばと、右のボディアッパーを狙う。

 これは、脇腹にヒットした。


 さらに左のフックから、今度は右のフックに繋げる。

 膝蹴りとボディアッパーでダメージが溜まったためか、左腕のガードが下げられていた。右の拳は、テンプルにクリーンヒットする。


 瓜子の攻撃が、面白いぐらいに命中した。

 しかし相手は、倒れない。メイ=ナイトメア選手の頭は拳と同じように、石みたいに硬かった。


 また不可思議な感覚が、瓜子の五体を包み込んでいく。

 いくら攻撃を当てても相手が倒れないという状況が、ラニ・アカカ選手との対戦を想起させたのであろうか。


 その真偽は不明であったが、とにかく瓜子は攻撃を振るい続けた。

 一瞬一瞬で、もっとも正しいと思える攻撃を選択する。時には感覚が思考を追い抜いて、勝手に身体が動いていた。


 頭の中身が、どんどん冴えわたっていく。

「残り二十秒!」という声も、はっきり聞こえていた。

 あと二十秒なら、スタミナももつだろう。

 瓜子がスタミナを消耗する分、相手にはそれ以上のダメージを与えられるはずであった。


(それできっと、この先には――)


 と、瓜子が何かをつかみかけたかに思った瞬間――

 相手の頭部を狙った右フックが、空を切った。


 それと同時に、ふわりと両足が浮き上がる。

 相手が身を屈めて胴体に組みついてきたのだと認識したのは、背中からマットに倒れ込んだ後のことであった。


 だが、相手の身体は瓜子の足の間に収められている。意図せぬままに、ガードポジションだ。

 相手のリーチは瓜子と同程度であるのだから、このポジションであればそれほど強烈なパウンドをくらうこともない。瓜子は相手の胴体をしっかりとはさみこみ、両腕で頭部をガードしてみせた。


 腕と腕の隙間から、メイ=ナイトメア選手の上半身が見える。

 その顔が、獣のような形相になっていた。


 大晦日のテレビ放送でただ一度だけ見せた、恐ろしげな形相だ。

 そんな形相で、黒い瞳を炎のように燃やしながら、メイ=ナイトメア選手は上体をねじって右腕を振りかぶった。


 瓜子はぐっと首をすくめて、来たるべき衝撃を待ち受ける。

 その衝撃は、瓜子の左前腕部に炸裂した。

 腕ごしに頭まで響くような、凄まじい衝撃だ。

 ガードポジションの体勢で、これほどまでに強力なパウンドを振るえるのかと、瓜子が内心で舌を巻いたとき――レフェリーが横合いから、メイ=ナイトメア選手につかみかかった。


 一ラウンド目が終了したのだろうか?

 しかし、ゴングは鳴らされていない。

 レフェリーは厳しい表情でメイ=ナイトメア選手を立ち上がらせると、リングの下に向かって「タイムストップ!」と宣言した。


 まったく意味もわからないまま、瓜子はマットの上に上体を起こす。

 すると、セコンド陣の声がいっせいに投げかけられてきた。


「大丈夫か、猪狩!?」

「そのまま動くな! じっとしてろ!」

「あの野郎! 汚い真似しやがって!」


 立松とサキとサイトーの声は、怒りの激情をあらわにしていた。

 そして、試合が中断されてしまったために、瓜子の中から不思議な感覚が消えていき――その耳に、凄まじいブーイングの声が飛び込んできた。


 事情のわからない瓜子が呆然としていると、白衣を纏ったリングドクターが近づいてくる。

 ドクターはマットに膝をつき、瓜子の汗だくの顔を覗き込んできた。


「大丈夫かね? 左腕を見せて」


「ひだりうで……?」


 瓜子が左腕を差し出そうとすると、ドクターは慌てて上腕をつかんでくる。


「あ、いや、動かさなくていいから。……痛みはないのかね?」


「はあ。少しズキズキしてますけど……」


 そうして自分の左腕に目をやった瓜子は、ぎょっと目を見開くことになった。

 左前腕の、真ん中あたり――メイ=ナイトメア選手の強烈なパウンドをくらったと思しき箇所が、ぽっこりと赤く膨らんでいたのだ。


 が、じくじくと疼くばかりで、それほどの痛みは感じられない。手首や肘を曲げようとすると、ドクターにまた「動かさないで」とたしなめられてしまった。

 振り返ると、メイ=ナイトメア選手はニュートラルコーナーまで下がらされて、レフェリーに何やら詰問されている様子である。


「あの……いったい何があったんすか? 周りの人らは、何を騒いでるんです?」


「相手選手が、肘打ちを使ったんだよ。見えていなかったのかね?」


 瓜子には、見えていなかった。ガードを固めていた両腕で、視界がふさがれてしまっていたのだ。

《アトミック・ガールズ》においては、肘打ちが全面的に禁止されている。あのメイ=ナイトメア選手がそこまで露骨に反則技を仕掛けてきたのかと、瓜子は大いに驚かされることになってしまった。


「これは痛くない? これは? ……ちょっと自分で肘を曲げてみて」


「大丈夫っすよ。これって、たんこぶっすよね? 腕にできたのは初めてですけど、そんなに痛くもありません」


 虚勢でなく、瓜子はそのように答えてみせた。前腕には直径五センチ大のこぶができてしまっていたが、手首や肘を動かそうとも、痛みが走ることはなかった。


「骨折まではしていないようだね。でも、ヒビぐらいは入っているかもしれない。いちおうレントゲンを撮ったほうが……」


「え? それじゃあ、試合はどうなるんすか?」


「もちろん反則の肘打ちで試合が止められたら、相手の失格負けだよ」


「いやいや!」と、瓜子は思わずドクターに詰め寄ってしまった。


「たった一回の反則で失格負けなんて、勘弁してください! ほら、自分は全然大丈夫ですから!」


「でも、わたしは思わず目を背けてしまったほどの、ものすごい勢いだったよ。ポッキリいってないのが奇跡に思えるほどだ」


「自分はお医者さんに、ものすごい骨密度だって呆れられるぐらいなんすよ! そんな肘打ちの一発ていどでどうにかなるほど、やわな骨はしていません! お願いですから、試合を続行させてください!」


「いやあ、しかしねえ……」


「ヒビでも入ったら、もっと激痛でしょう? ほらほら、全然痛くありませんから! こんなかすり傷でドクターストップされたら、誰も納得できませんよ!」


「あ、いや、患部を叩いたらいけない。君もちょっと落ち着きたまえ」


 ドクターのほうは落ち着き払っていたが、瓜子としてはそれどころの騒ぎではなかった。反則勝ちで王座戴冠など、笑い話にもならないのだ。こんな形でせっかくのタイトルマッチを終わらされてしまったら、瓜子も泣くに泣けなかった。


「……どうですか、ドクター?」


 と、レフェリーもこちらに近づいてくる。

 瓜子はすぐさま立ち上がり、そちらに向かってぶんぶんと左腕を振ってみせた。


「まったく問題ありません! どうか試合を再開させてください!」


「いや、まずはドクターの見解を」


 レフェリーは厳粛なる面持ちで、ドクターと小声で語り始めた。

 メイ=ナイトメア選手はニュートラルコーナーで爛々と双眸を燃やしており、会場内にはまだブーイングの嵐が吹き荒れている。サキたちが青コーナーから心配そうにこちらを見つめていたので、瓜子はそちらにも左腕を振ってみせた。


「……どういう状況だね?」


 と、ついにはパラス=アテナの代表たる花咲氏までもが、リング下から声をかけてきた。

 リングの上と下で会合が行われ、それを急かすようにブーイングが渦を巻く。


「……骨折はしていないのだね?」

「はい。ですが、レントゲンを撮ってみないことには……」

「本人は、問題ないと主張しているようですが……」


 瓜子は居ても立ってもいられずに、また「あの!」と割り込んでみせた。


「他の興行では、もう肘打ちなんてあらかた解禁されてますよね? 頭にくらったんならともかく、腕にくらってドクターストップなんて事例がありますか? 自分はしっかりガードを固めてましたし、腕だってちっとも痛くありません。お願いですから、試合を続けさせてください!」


「……本当に痛みはないのかね?」


「はい! そりゃあちょっとはじんじんしますけど、骨までイッてたらこんな痛みじゃすまないっすよ!」


「試合中は、アドレナリンで痛みが緩和されるそうだからねえ」


 そんな風に言ってから、花咲氏はドクターを振り返った。


「でも、折れていないことは確かなのだね?」


「完全骨折までには至っていないようです。……少し時間が経ったけど、指先などに痺れは見られないかな?」


「押忍! 指も手首も肘も、いっさい問題ありません!」


「……部位的には橈骨の側ですし、関節の可動にも問題はありませんでした。亀裂骨折の可能性も、どちらかといえば低いかと思われますが……」


「なるほど」と、花咲氏はダンディな顔で笑った。

 そして、「猪狩選手」と瓜子を呼びつけてくる。

 瓜子がロープの間から顔を出してみせると、花咲氏はブーイングにかき消されないぎりぎりの声音で語りかけてきた。


「この《アトミック・ガールズ》においては、反則勝ちでも王座を獲得できる規定になっている。それでも、試合の続行を希望するのかね?」


「もちろんです! そんな形で王者になっても、自分は胸を張れません!」


「だが、そのダメージを引きずってKO負けなどしてしまったら、相手に王座を奪われてしまうのだよ?」


「そんなダメージが残るほどの痛手じゃありません。自分が負けるなら、それは実力の結果ですし……自分は負けるつもりなんてありませんよ」


「うんうん。ラウンドの後半は完全に君の優勢で、それに我を失った相手が反則行為に及んだという状況であるわけだしね」


 そう言って、花咲氏はにっこりと微笑んだ。


「よし、わかった。……試合は続行だ。レフェリー、進行してくれたまえ」


「……それでいいのですね?」


「うん。全責任はわたしが負うから、何も心配はいらないよ」


 瓜子は全身全霊で安堵の息をついてから、花咲氏に頭を下げてみせた。

「ありがとうございます」の言葉が出てこなかったのは、最後の内緒話がいささか腑に落ちなかったためだ。本来、スポーツの試合上の進行を決めるのに、プロモーターがしゃしゃり出る筋合いはないはずであった。


(でも、今回はアトミックのそういうやり口に救われたな)


 瓜子はレフェリーの指示で、ニュートラルコーナーに下がることになった。

 レフェリーは、逆側のコーナーに立ち尽くしていたメイ=ナイトメア選手を呼び寄せて、リングの中央に立たせる。それと同時に、リングアナウンサーの声がブーイングを静まらせた。


『ドクターチェックの結果、試合の続行が決定されました! 肘打ちの反則を行ったメイ=ナイトメア選手は、警告が与えられます!』


 レフェリーはメイ=ナイトメア選手の腕をつかみつつ、観客席にイエローカードを提示した。

 ブーイングと歓声が、同時に爆発する。メイ=ナイトメア選手を非難するブーイングと、試合続行を喜ぶ歓声だ。


 そのブーイングにさらされたメイ=ナイトメア選手は、すっかり石のような無表情を取り戻していた。

 ただその瞳は、瓜子に肘打ちを叩きつけたときと変わらぬ炎を宿している。


 レフェリーはイエローカードをポケットに仕舞うと、今度は瓜子を呼び寄せた。

 リングの中央で、瓜子とメイ=ナイトメア選手は再び向かい合う。


「メイ選手は次のイエローで、失格負けだからな。両者、くれぐれもクリーンなファイトを心がけて。……グローブタッチを」


 瓜子はぐいっと両手のグローブを差し出してみせた。

 メイ=ナイトメア選手は無表情に、右の拳でちょんと触れてくる。


「よし、両者とも下がって。……ファイト!」


 瓜子はしっかりとガードを固めて、メイ=ナイトメア選手の猛攻に備えた。

 しかしメイ=ナイトメア選手もガードを固めるばかりで、前には出てこない。

 そうして瓜子が一歩だけ前進したとき、ゴングが鳴らされた。第一ラウンドの残り時間は、すでに十秒を切っていたのだった。


 瓜子はさまざまな感情を抱え込みながら、青コーナーに帰還する。

 すると、とても怖い顔をしたセコンド陣に迎えられることになった。


「おい! 本当に左腕は大丈夫なんだろうな? 無理をしたら選手生命に関わるぞ?」


「押忍。問題ありません。ほら、たんこぶができたぐらいっすよ」


「腕にこぶができるぐらいの内出血なんて、骨折してるほうが自然なぐらいじゃねえか」


 その腫れあがった部位に氷嚢をあてがいつつ、立松はいっそうおっかない形相で瓜子の顔を覗き込んでくる。


「猪狩、俺の目を見て答えろ。本当に、無理はしてないんだな?」


「押忍。そこまでの痛みも、痺れもありません。肘打ちひとつでみなさんが大騒ぎしてるのが不思議に感じられるぐらいです」


「それだけ、おっそろしい勢いだったんだよ」


 と、ロープから身を乗り出したサキが、タオルで瓜子の頭をかき回してきた。


「並の人間なら、間違いなくポッキリいってたろうな。骨密度とやらに感謝しとけよ、ちびタコ」


「押忍。あんなポジションでそんな強烈な攻撃がくるとは思ってもいませんでした」


「ガードポジションで頭を抱え込むだけじゃ足りねーってこった。次にガードを取ったら足を突っ張って相手を遠ざけるか、逆に相手に密着しろ。それが基本だろ」


 瓜子が「押忍」と答えると、逆の側からドリンクボトルが突きつけられてきた。仁王像のような顔で笑う、サイトーだ。


「なあ、猪狩。相手のパンチはどうだったよ?」


 ドリンクボトルの中身で口をゆすがせてもらってから、瓜子は「痛いっす」と答えてみせた。


「重くはないんすけど、拳が硬くって痛いんすよ。正直言って、腕もそっちのダメージのほうが深いぐらいっすね」


「だったら、いいことを教えてやんよ。お前さんだって、やたらと拳が硬くて痛えんだ。そいつが骨密度の恩恵ってやつなのかね」


 そういえば――かつて瓜子と対戦した鞠山選手も、陰で瓜子の攻撃を「鈍器なような」と評していたのだった。


「序盤の分もあわせると手数は負けてるが、クリーンヒットさせてる数は、こっちが上だ。距離をつかめたんなら、びびらずに手を出していけ。……ただし、相手の反則には気をつけろよ。反則勝ちになっても取り返しのつかない怪我なんざもらったら、どうにもならねえからな」


 立松は、そんな風に言っていた。

 瓜子が「押忍」と答えたところで、『セコンドアウト』のアナウンスが響く。

 氷嚢を外してみると、左腕のこぶはわずかに小さくなっていた。

 もはや特別な痛みなども感じないし、指先が痺れることもない。左腕で攻撃を振るうのにも、まったく支障はなさそうだった。


「よし、行ってこい。あんな反則野郎に、ベルトを渡すんじゃねえぞ」


「押忍!」と答えて、瓜子は椅子から立ち上がった。

 対角線上では、メイ=ナイトメア選手が爛々と双眸を燃やしている。


 もう一度、あの感覚をつかむのだ。

 瓜子の胸には、変わらぬ熱がしっかりと宿されていた。

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