06 閉会式
その後、すべての試合は滞りなく終了し、《アトミック・ガールズ》の浜松大会は小笠原選手のKO勝利で締めくくられることになった。
試合後は、リング上で閉会式が行われる。数年ぶりの興行であったためか、東京での大会よりもそれを見届けようとする観客が多いように感じられた。
『それでは、今大会のベスト・バウト賞を発表いたします!』
仰々しい聖書のような台本を手にしたリングアナウンサーが、意気揚々と語っている。
それは、本年から《アトミック・ガールズ》の興行で実施されるようになった、新たな試みであった。その日の試合の勝利者の中から、「ベスト・バウト賞」「ベスト・ストライキング賞」「ベスト・グラップリング賞」に相応しい選手が選出され、金一封が贈られるのである。
『ベスト・バウト賞は、メインイベントで勝利を収めた、小笠原朱鷺子選手です!』
観客たちも選手たちも、惜しみない拍手でそれを賞賛した。対戦相手であった外国人選手も、内出血しまくった顔に笑みをたたえて、手を叩いている。彼女もストライカーであり、メインイベントは最終ラウンドまでもつれこむ大熱戦であったのだ。
パラス=アテナの駒形氏から熨斗袋を受け取った小笠原選手は、無邪気に笑いながらそれを頭上に振りかざした。彼女もまた、腫れたまぶたで右目をふさがれてしまっている。
『続きまして、ベスト・ストライキング賞は……第七試合で勝利を収めた、猪狩瓜子選手です!』
瓜子は思わず、「え?」と声をあげてしまった。
しかし周囲の選手たちは、同じ笑顔で手を叩いている。その中から、大江山すみれがにっこりと微笑みかけてきた。
「文句なしの結果ですね。おめでとうございます、猪狩さん」
「はあ……どうも」
確かにKO勝利を収めはしたものの、自分がどれだけ泥臭い試合をしたかは自覚していたつもりであったので、瓜子は恐縮することしきりであった。
そうして駒形氏のほうに近づいていくと、リング下から「ひゃっほー!」という声が響きわたってくる。
「さっすが、うり坊ちゃん! おめでとー! かっこよかったよー!」
こんな場所でもユーリの声は際立ってしまうのかと、瓜子は気恥ずかしくなってしまった。
しかしこれは、栄誉なことであろう。瓜子は小笠原選手にならって熨斗袋を頭上に掲げてから、拍手を送ってくれる観客や選手たちに一礼してみせた。
『続きまして、ベスト・グラップリング賞は……残念ながら、今回は対象者なしと相成りました。各選手のさらなる飛躍を期待いたします!』
そのような言葉が届けられても、不満の声があがることはなかった。今回は、サブミッションで勝利した選手もいなかったのだ。半数の試合は判定までもつれこみ、あとは三度のダウンを奪ってのTKOと、グラウンド状態におけるパウンドでレフェリーストップという試合がいくつかあっただけであった。
(そう考えたら、まああたしがこんな賞をもらってもおかしくないわけか)
そんな思いを胸に、もとの場所で膝を折ると、また大江山すみれが笑いかけてきた。
「猪狩さんのハイキック、本当に凄かったです。ラウンド終了間際っていうのも、ドラマチックでしたよね」
「ありがとうございます。大江山さんのKO勝利も、お見事だったっすよ」
「いえいえ。まだまだ実力不足です」
そういえば、彼女も数少ないKO勝利者であったのだ。
女子選手の試合において、KO率というのは決して高くない。防具を纏ったプレマッチでKO勝利を収められるというのは、いっそう希少であるはずだった。
『それでは引き続き、来月三月に開催が決定されている「そうる・れぼりゅーしょん#2」の対戦カードを一部発表させていただきます!』
台本をめくって、リングアナウンサーはそのように美声を重ねた。
『まず、メインイベントは――ミドル級王座挑戦者決定戦予選試合、ユーリ選手対、マリア選手!』
とたんに、客席からは試合中にも負けない歓声が巻き起こった。
さらにリングアナウンサーは、リング下で小さくなっていたユーリへと視線を飛ばす。
『本日は、ユーリ選手も猪狩選手のセコンドとして、当会場にお越しになっています! ユーリ選手、ひと言ご挨拶をお願いいたします!』
「ほえ?」と、ユーリは目を丸くした。
歓声は、会場を揺るがさんばかりに響きわたっている。これでは、挨拶を拒むこともできないだろう。ユーリはこっそり溜息をついてから、リングの上にあがってきた。
「ユーリ!」のコールが、四方からユーリを包み込む。
ユーリはしかたなさそうにキャップを外して、ピンク色の頭をぺこりと下げた。
『それでは、ユーリ選手! ひと言、お願いいたします!』
『あ、はいぃ……』と、ユーリの甘ったるい声がマイクによって増幅される。
観客たちは熱狂し、選手たちは苦笑したり失笑したりしていた。
『どうも、こんばんはですぅ……えーと、右肘の怪我もなんとか完治したというお言葉を、お医者さまからいただけましたのでぇ……三月の試合は、せいいっぱい頑張りたいと思いまぁす』
いっそうの歓声が渦を巻き、ユーリは「あうう」と縮こまってしまう。
その姿に、リングアナウンサーは小首を傾げた。
『どうしました、ユーリ選手? 本日は、ずいぶんおしとやかであるように思えるのですが』
『あ、はいぃ……今日は試合もしていませんし、選手として来場したわけではないのでぇ……ちょっぴり気持ちが追いついてこないみたいですぅ』
『なるほどなるほど! ユーリ選手には、このように奥ゆかしい一面もあったのですねえ』
会場から、「かわいー!」という女性ファンの声が聞こえてきた。
はやしたてるような口笛の音色までもが鳴り響き、ユーリはいっそう縮こまってしまう。
「ふふん。ああいう姿がぶりっ子に見えるってやつもいるんだろうね」
と、瓜子の背後からそんな声が聞こえてきた。
振り返ると、小笠原選手が苦笑している。
「去年だったら、アタシもそう思ってたかな。……でも、あれがあいつの素なんでしょ?」
「はい。ユーリさんが可愛い子ぶるときは、もっとくねくね動きますし……そういうサービスは、アイドルの副業に励んでるとき限定っすね」
「そうだと思ったよ。あいつのややこしい生態が、アタシにも少し理解できてきたかな」
それは瓜子にとって、とても心強い言葉であった。
この小笠原選手であれば、ユーリにとってよき友人――それが無理なら、よき先輩選手になってくれるのではないかと、そんな期待が芽生え始めていたのだ。
『そしてセミファイナルでは、同じく挑戦者決定戦の予選試合として、沙羅選手とオリビア選手の対戦も予定されております! この二試合の勝者が、五月大会の決勝トーナメントに進出するわけですね、ユーリ選手?』
『あ、はいぃ……あのぅ、ユーリはまだこの場に居残るべきでしょうかぁ……?』
『よろしければ、閉会式の終了までお願いいたします!』
ユーリは「あうう」と肩をすぼめて、また観客たちに歓声をあげさせた。
『五月の決勝トーナメントにおいては、すでに沖選手と魅々香選手のエントリーが決定されております! そのトーナメントの優勝者が、ミドル級の絶対王者たるジジ・B=アブリケル選手に挑戦することになるわけですが……ユーリ選手は、ジジ選手にどのような印象をもたれておりますか?』
『ジ、ジジ選手ですかぁ? そうですねぇ……すごいパワフルで、すごいストライカーですよねぇ』
『ずばり! 勝つ自信は?』
ふにゃふにゃとしていたユーリが、きょとんした顔でリングアナウンサーを見返した。
『えっとぉ、ユーリはあんまり頭のキャパが大きくないのでぇ……今は、マリア選手のことで頭がいっぱいですぅ』
『なるほど! ユーリ選手は、謙虚な一面も持ち合わせておられるのですね!』
ファンサービスのつもりなのかもしれないが、ちょっとユーリにスポットを当てすぎではないだろうか。
思うに、こういう部分が他選手たちの反感をかきたててしまうのだ。苦笑をしていた選手たちも、だんだん冷ややかな顔つきになってきてしまっていた。
そうしてリングアナウンサーは他の試合のカードも発表しつつ、いちいちユーリにコメントを求める。他の階級の選手に興味の薄いユーリは、それに的確なコメントを返すこともできなかった。
『それでは最後に、ユーリ選手に閉会式を締めくくっていただきましょう!』
リングアナウンサーは追い打ちをかけるかのごとく、ユーリにぐいっとマイクを突きつける。
ユーリは困り果てたように視線を巡らせて――そのときに、初めて瓜子と視線がぶつかった。
空腹の子犬みたいな顔をしていたユーリが、やおら瞳を輝かせる。
そして、突如として活力を回復させたユーリの声が、会場中に響きわたった。
『今日はセコンドとして来場しましたけど、すごい試合を観ることができて、すごく幸せです! この会場にいるみなさんと素敵な時間を共有することができて、ユーリは大満足でしたー!』
一瞬静まった歓声が、倍なる勢いで会場内を駆け巡った。
ユーリは深々とお辞儀をしてから、キャップをかぶりなおして、そそくさとリングを下りていく。リングアナウンサーは、会心の笑みとともに美声を張り上げた。
『では、《アトミック・ガールズ》二月大会、「そうる・れぼりゅーしょん#1・5 in 浜松」は、これにて終了させていただきます! 本日はご来場ありがとうございました!』
大歓声と拍手の中、小笠原選手が瓜子の背中をつついてくる。
「最後はきっちり締めてくれたじゃん。あれも、素なわけ?」
「はい。ときたま、歯車が噛み合うんすよ」
口では意地の悪いことを言いつつ、瓜子は何だか胸が温かくなっていた。
ユーリがどの試合を「すごい」と評していたのか、それは考えるまでもなかったのだ。ユーリがはしゃいだ姿を見せていたのは、瓜子と小笠原選手が勝利したときだけであった。
そうして観客たちは席を立ち、選手一同も控え室を目指す。
その道中で、レオポン選手が「よう」と近づいてきた。
「ユーリちゃんも、お疲れ様。ギャラも出ないのに、またコキ使われちまったな」
「これはこれは、レオポン選手。そちらもお疲れ様でしたー」
レオポン選手と対峙するとき、ユーリはいくぶんかしこまる。あなたのことは好きでも嫌いでもございませんと、よそゆきの仮面をかぶってしまうのだ。
が、ユーリおよび瓜子と適切な距離を保つと宣言をしたレオポン選手は、気を悪くした様子もなく「うん」と笑った。
「来月はいよいよ、ユーリちゃんの復活だな。そのときは、敵陣営のセコンドとして楽しませてもらうよ」
「はいはい。どうぞお手柔らかにお願いいたしまする」
すると、愛音が両名の間にぐいっと割り込んだ。
「レオポン選手は、マリア選手のセコンドにもつかれるご予定なのですね! ならば、これ以上の接触は避けるべきと愚考する次第なのです!」
「そっか。それじゃあその試合が終わったら、また楽しくおしゃべりさせてもらうよ」
レオポン選手は手を振って、こちらの一行から遠ざかろうとした。
それと一緒に遠ざかろうとする少女に、愛音が「大江山さん!」と呼びかける。
「あなたがプロデビューされてしまう前に、わたしもアマ選手としてデビューいたします! いずれ、リングでお会いいたしましょう!」
「はい。よろしくお願いします」
内心の読めない微笑を残して、大江山すみれも人波の向こうに消えていった。
愛音は「むむー」とおかしな声をあげる。
「なんだか、カラダがウズいてしまうのです! ジョン先生、愛音はいつぐらいに試合を行えるようになるのでしょうか?」
「ソウだねー。アイネもチャクジツにチカラをツけてるから、モクヒョウはハントシイナイってところかなー」
「半年以内! ……ならばそれを愛音の執念でもって、限りなく縮めてみせるのです!」
得体の知れないファイトスタイルを有する大江山すみれの登場で、愛音の意欲もいっそう燃えさかった様子であった。
控え室に到着したのちは、男性のセコンド陣を追い払い、おのおの着替えを完了させる。どうせ車だからジャージ姿でもかまいはしないのだが、ユーリも愛音もきっちり私服にフォームチェンジしていた。
会場の外には、まだまだ冷たい二月の夜風が吹いている。
駐車場を目指して歩きながら、ジョンは「うーん!」と細長い身体をさらにのばした。
「ウリコもKOでカてたし、キョウはモンクナしのイチニチだったねー。ウリコもユーリもアイネも、みんなおツカれさまー」
「はい。これもみんな、ジョン先生を始めとする道場のみなさんのおかげです」
「マリヤマセンシュをタオしたから、コレでウリコもトップファイターのナカマイりだねー」
「いやあ、それはさすがに言いすぎっすよ。これで自分が不甲斐ない試合を見せたら、今日の試合もまぐれ勝ちってことにされちゃいますからね。けっこう、プレッシャーっす」
「まぐれ勝ちじゃないよ! あんなすごいハイキック、まぐれで出せるわけないじゃん!」
と、周囲の耳もはばからずに、ユーリが大声で言いたてた。
その、いつでもとろんとした目が、いっそうとろんとして虚空に視線をさまよわせる。
「あのハイキック、ほんとにかっちょよかったなぁ。サキたんみたいな優美さはカケラも存在しないのに、この世の終わりみたいに迫力満点でさぁ」
「あのー、ほめるかけなすかどっちかにしてもらえますか?」
「ほめてるよぉ。サキたんのハイキックは日本刀でスパーンって感じだけど、うり坊ちゃんのハイキックは金属バットでゴギャーンって感じなの。サキたんのあんよはすらーっとしてるけど、うり坊ちゃんのあんよはちんまりしてるから、印象が全然違うんだよねぇ」
「うーん、やっぱりほめられてる感じはしないっすね」
瓜子は、苦笑してみせた。
「でも、いいっすよ。どんなに不格好なハイキックでも、自分は最高に気持ちよかったっすから」
「だから、カッコよかったってば! サキたんが天翔ける燕であるならば、うり坊ちゃんは牙を振り上げるイノシシのごとしだねっ!」
「燕とイノシシと牛っすか。まるで動物園っすね」
「牛じゃないもん!」とわめいてから、ユーリは瓜子ににっこりと笑いかけてきた。
「ともあれ、おめでとう、うり坊ちゃん。大好きなうり坊ちゃんの最高のKO勝ちをかぶりつきで観戦できて、今日は幸せいっぱいだよぉ」
「ありがとうございます」と、瓜子も心からの笑顔を返してから、ユーリの右脇を指し示してみせた。
「でも、もうちょっとTPOを考えたほうがよかったかもしれないっすね。そっちの娘さんが、肉食ウサギみたいに目をぎらつかせてるっすよ」
「誰が肉食ウサギなのですか!」
愛音は怒りのオーラを燃やし、ユーリは「うみゃあ」と頭を抱え込む。
「つ、ついつい本音を垂れ流してしまったぁ。……うり坊ちゃん、続きはおうちでね」
「続き? 続きとは? 第三者の目がない場所で、お二人はどのような睦言を交わすおつもりなのですか!?」
「声がでかいっすよ。周囲のお人らに誤解されるじゃないっすか」
「ほらほら、ツいたよー。ハヤくノっちゃってねー」
「だから! どうしてお二人は当たり前のように並んで座られるのですか!?」
そうして最後は騒がしい幕切れとなってしまったが、瓜子にとっては何の不満もない充足した一日であった。
しかしその日は、瓜子が想像していた以上に大きな意味を持つ日であったのだろう。瓜子がそれを思い知らされたのは、大会の当日から三日後のことであった。
その日、パラス=アテナの駒形氏から、四月の大阪大会のオファーが届けられることになったのだ。
その対戦相手は、ライト級の誇る「コスプレ三銃士」の最後の一名――ライト級の前王者、『マッド・ピエロ』こと
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