4th Bout ~New Power Generation~
ACT.1 Welcome to Pressman dojo
01 入門
ユーリの交遊関係を巡るちょっとした騒動の日から、さかのぼること三週間ほど前――ようやく正月気分の抜けてきた、一月第二週の月曜日のことである。
「よお。今日も仲良くもつれあってんな、お前さんたち」
新宿プレスマン道場のトレーニングルームにて。今日も今日とて牛のように重いユーリの体重に瓜子があえいでいると、頭上からそんな風に声をかけられた。
二人の姿を見下ろしているのは、新宿プレスマン道場のサブトレーナーにして、《G・フォース》のアトム級第二位たる、ダムダム・サイトー選手である。
金色のドレッドヘアを螺髪のようにまとめあげた、仁王像のように厳ついその顔には、いくぶん機嫌の悪そうな表情が浮かべられている。ユーリの袈裟固めから脱出しようと四苦八苦していた瓜子は、呼吸を整えつつ「押忍」と挨拶してみせた。
「どうしたんすか、サイトー選手? お顔がおっかないっすよ?」
「顔がおっかねえのは、生まれつきだ。正月の里帰りで姉貴のチビどもに大泣きされたとこなんだから、追い打ちかけるんじゃねえよ、馬鹿野郎」
そういう意味ではないのだが、しかし年末の試合で受けたダメージがまだありありと残されているサイトー選手の面相は、確かにふだんよりも二割増しの迫力であったかもしれない。両方のまぶたが腫れあがり、左頬は青黒く内出血し、唇の端もざっくりと切れてしまっている。首から上だけを見ていたら、なかなかこの豪傑を女性と判ずるのも難しいぐらいだろう。
不穏な空気を嗅ぎとったらしいユーリは、瓜子に対しての圧迫を解除して、マットにぺたりと座りこんだ。
「あのぉ、ダムダムさん、うり坊ちゃんが何かやらかしちゃったんなら、ユーリも一緒に謝りますのでぇ、あんまり怒らないであげてくださぁい」
「ちょっと、ユーリさん、どうして自分がいきなりサイトー選手に説教されなきゃいけないんすか? あんまりおかしなことを言わないでほしいっす」
「だってぇ、ユーリだって怒られる覚えはないもぉん」
昨年の十一月、ベリーニャ・ジルベルト選手との試合で右肘を負傷して絶賛休業中であるユーリは、テーピングの具合を確かめながら、子どものように唇をとがらせた。それでもようやく寝技の軽いスパーリングの許可だけはもらえるようになったのが、嬉しくてたまらないのだろう。その表情には、ふだん以上の明るさと活力がみなぎっている。
すっかりトレードマークとなってしまった、ピンク色のショートヘア。
とろんと眠たげな、大きい目。
ぷっくりとした、桜色の唇。
ぬけるように、白い肌。
相変わらずの、美少女っぷりである。二十歳になっても、その無邪気で幼げな表情に変化はなかった。
それに、ピンクとホワイトのラッシュガードとロングスパッツに包まれたその肉体も、相変わらずの超絶的プロポーションで、どこにも衰えは見受けられない。
試合やスパーリングを禁じられてしまっても、負傷のせいで副業のアイドル活動
にも制限が生じたぶん、トレーニングに費やす時間はむしろ増えてしまったぐらいなのである。体幹、筋力、持久力の向上などは言わずもがな、ステップワークのさらなる強化や、打撃技のスピードアップ、新たなコンビネーションの体得など、やるべきトレーニングはいくらでもあったし、また、やるべき以上のトレーニングに励んでしまうのが、このユーリ・ピーチ=ストームという選手の性というか、業なのだった。
「……別に説教するつもりじゃねえけどな。ま、ちっと心して聞いてくれや、猪狩」
と、上体を起こした瓜子の正面に、サイトー選手がしゃがみこむ。
「今日から新しい練習生が、女子のMMA部門に入門することになった。その面倒を、お前さんにまかしてえんだ」
「新人の練習生っすか。それはもちろん承りますけど……でも、自分だってまだまだ新参者なのに、いいんすかね?」
「新参者ったって、お前さんもそろそろ入門して一年だろ。キックのキャリアはそれ以上なんだし、なんも不都合なことはねえよ。……とりあえずは、レギュラークラスの稽古についてこれそうかどうか、体力チェックでもしてみてくれや」
「え? いきなりレギュラークラスっすか? ……てことは、まったくの素人ではないってことっすね」
瓜子の言葉に、サイトー選手は「ああ」とちょっと神妙な顔をする。
「素人どころか、けっこうな実績の娘っ子だよ。……
「ムラサキアイネ? えーと……もしかしたらっすけど、《G・フォース》のアマチュア大会で優勝した選手が、そんな名前だったような……たしか、五十キロ以下級でしたっけ?」
「そうだ。ついでに武魂会主催のオープントーナメントでも優勝してるから、軽量級のアマチュア選手ではトップクラスの有望株ってこったなぁ」
「そんな有望な立ち技の選手が、武魂会を辞めて総合のトレーニングっすか?」
普通だったら、そのまま《G・フォース》でキックボクサーとしてプロを目指すところだろう。かつての瓜子が、そうだったように。
何せこの日本においては、十八歳にならないかぎり、なかなかMMAファイターとしてはプロデビューもできないのである。そうだからこそ、瓜子もその年齢までは品川MAでキックのプロ選手として実績を重ねていたのだった。
「そんな個人的な事情までは知らねえよ。聞きたかったら、本人に聞けや。そろそろ到着するころだからよ」
「え? 今日から参加するんすか? ずいぶん急な話っすね」
本日は月曜日で、現在はちょうどビギナークラスの練習生たちが帰り支度を始めている頃合いである。指導員としての責務を負っていないユーリと瓜子はまた道場の端のスペースを借りて個人練習に取り組みつつ、レギュラークラスの稽古時間がやってくるのを待ち受けていたところなのだった。
「それに、立ち技の下地がそこまでできてるんなら、コーチ陣にきちんとトレーニングを受けたほうがいいんじゃないっすか?」
「コーチ連中は忙しいんだよ。男子選手の大会が差しせまってるからな。オレだって、ド新人の世話を焼いていられるほどヒマじゃねえ」
それを言うなら、瓜子などはこの週末に《アトミック・ガールズ》の一月大会を控えている。サイトー選手の次の試合は、来月の《G・フォース》二月大会であるはずだが――
「先月、大一番で星を落としちまったからな。オレも追いこみかかってんだよ。来月の試合は、死んでも負けられねえんだ」
「はあ……それはもちろん、そうなんでしょうけど……」
「オレはデビューして十年になるけどよ、ここまで熱くなったのはひさびさなんだよ。たぶんあいつはあのままアトム級のチャンピオンにおさまるだろうから、それまでオレもランキングは落とせねえ。……あいつにリベンジして、ついでにベルトもひったくる。こんな面白え筋書きはねえだろ?」
そう言って、サイトー選手はにやりと笑う。どうやら彼女は不機嫌だったのではなく、あふれかえる闘志を抑制できていなかっただけのようだ。
昨年末に開催された《G・フォース》のアトム級タイトル挑戦者決定トーナメントにおいて、サイトー選手はまさかの一回戦負けを喫してしまった。しかも相手は、デビューして一年足らずの新人選手であり、なおかつ内容は壮絶なKO負けだった。そしてその新人選手は見事に優勝を果たして、タイトル挑戦の権利まで獲得してしまったのである。
それは確かに、瓜子がサイトー選手と同じ立場でも、闘志を抑制することなどはできなかったに違いなかった。
「もちろん、なんもかんもをお前さんに押し付ける気はねえよ。レギュラークラスでやっていけるっていう見込みがたったら、その後は誰かしらが引き継ぐからよ。まずは新人の力量を見定めてくれや。そこのネエチャンと協力しあってさ」
「え? ユーリもですかぁ?」
ひとりで退屈そうにピンク色の毛先を弄んでいたユーリが、とぼけた表情で振り返る。
サイトー選手は、さらに神妙な顔をした。
「お前さんが正式な所属選手だったら、話は早かったんだけどな。軒先を借りてるって名目の練習生に、そんな責任はおっかぶせられねえし……なあ、お前さんはプレスマンとプロ契約を結ぶ気はねえのかよ?」
サイトー選手の言葉に、ユーリは「う~~~~~ん」と悩ましげな声をあげる。
「それは悪魔的なまでに魅惑的なお話ですけどぉ、やっぱり万が一のことを考えると……ちょっと、気が引けちゃうですねぃ。ユーリはこの先も末永く、プレスマンさんのお世話になっていきたいのでぇ」
「ああ。今は休業中で落ち着いてるけど、やっぱりお前さんの注目度はものすげえもんなあ」
昨年の秋口。ユーリがもっとも世間から注目を集めていた頃、この新宿プレスマン道場においても、やっぱり色々と問題が生じてしまったのだ。道場の周囲に野次馬が集まってしまったり、アポもなしにレポーターがおしかけてきてしまったり、ボディガードをつとめていた瓜子がストーカーを撃退して警察沙汰になってしまったり――プレスマンの会長も、それでユーリを責めるようなことはなかったが、事態を憂慮していなかったわけでもない。ビギナークラスの練習生においては、ユーリの存在にひかれての入門者が増えたぶん、その騒ぎに嫌気がさして退会してしまった者もいて、なかなかに深刻な状況だったのである。
「お前さんなら寝技の技術も完璧らしいから、今回みたいな新人の教育にはうってつけだったんだけどなあ。ま、こればっかりはしかたがねえか」
「にゃはは。お世辞でもそんなことを言われると、ユーリちゃんはテレちゃいますよぉ?」
「お世辞じゃねえって。入門前、猪狩に稽古をつけてやってたのは、お前さんだろ? コーチ連中も感心してたんだぜ。ほんの数週間っていう期間の中で、教えるべきことはきっちり教えて、余分なことはまったく教えてない。教え方に、筋が通ってるってよ」
「うにゃあ。それは汗顔のいたりであります」
本当に死ぬほど照れくさそうな顔をしながら、ユーリはふにゃふにゃと敬礼をする。
「……ただしな、立松っつぁんがちっとばっかり職務放棄気味なのは、たぶんお前さんたちのせいだ。そういう裏事情は、しっかり踏まえといてくれや」
「え?」
「うにゅ?」
「オレが直接聞いたわけじゃねえけどな、もう女どものゴタゴタに巻き込まれるのはカンベンだとか何だとかボヤいてたらしいんだよ。……心当たりがねえとは言わせねえぞ?」
それはもしかして――昨年十一月の《アトミック・ガールズ》無差別級トーナメントにおける、ユーリと瓜子の騒動に関してのことだろうか。
いや、もしかしなくても、そうだろう。大事なトーナメント戦のさなかに、ユーリと瓜子は仲違いをして、セコンドの立松たちに多大な迷惑をかけてしまったのだ。もちろんその日のうちに平身低頭で謝りたおし、表面上は許されたのだが、瓜子の中でも申し訳なさが消えたわけではないし、立松の態度もいくぶんは硬化したままなのだった。
「……わかりました。自分が責任をもって、新人の教育にあたります」
瓜子が表情をあらためると、サイトー選手は苦笑した。
「お前さんは、あんまり気張るなや。それで空回りされたら、目も当てられねえ。……ま、オレや立松っつぁんをこれ以上ガッカリさせるような真似はしねえって、いちおう信用してやってんだからな。この信用を裏切ったら、オレも笑ってはすませられねえぞ?」
「押忍! 肝に銘じます!」
「それじゃあな。赤毛の大馬鹿にも手伝わせていいからよ。しっかりやれや、馬鹿野郎ども」
それでようやく、サイトー選手は自分の稽古に戻っていった。
瓜子は小さく息をつき、ユーリは「うにゅにゅ」とおかしな声をあげる。
「二ヶ月も前の大失態が、こんなかたちでカウンターを食らわせてくるとは想定外だったにゃあ。因果応報とはこのことだねぃ。ユーリもがっちり協力するから、頑張ろうね、うり坊ちゃん!」
「はい。そうっすね」
「んだけど、ユーリに協力する余地なんてあるのかしらん? はっきし言って、ユーリは初対面の女子選手に好かれる自信なんて1ナノグラムも持ち合わせていないぞよ」
「……はい。そうっすね」
「うわぁん。否定してよぉ」
否定したくても、その材料が見当たらない。何せ、ユーリは誤解されやすいタイプであることだし――なおかつ、正しく理解されても煙たがられることのほうが多いのだ。同性のファンなどは多いのに、同性の同業者にはのきなみ敬遠されてしまうユーリなのである。
(だけどまあ、ユーリさんが在籍してることを承知で入門してくるんなら、ユーリさんのことを毛嫌いしてるってこともないか)
それにしても、八年ものキャリアを打ち捨ててまで武魂会から移籍してくるという経歴は不可解だし、自分に指導役などがつとまるのかという不安もぬぐえない。とりあえずは、あまり扱いにくい娘でなければいいのだが……と、瓜子がそんなことを考えたとき、「押忍! 失礼しますです!」という、無茶苦茶に周波数の高い声が響きわたった。
道場の入り口に、ひとりの少女が立ちはだかっている。
三つ編みみたいな房飾りのついた、可愛らしいニット帽。
ふわふわとした、膝上ぐらいのワンピース。
民族的な紋様の織りこまれた、色とりどりのベスト。
胸もとや手首にはアクセサリーがじゃらじゃらと巻きつけられており、それこそファッション誌からそのまま抜け出してきたかのような、何とも華やかな女の子だった。
ニット帽からは、栗色をしたセミロングの髪がこぼれている。
睫毛の長い目が、ぱっちりと大きい。
鼻や口は小さめで、白い肌が、つるんとしている。まだ幼げではあるけれども、小動物のように愛くるしい顔立ちだ。
そんな少女が、温かそうなコートを右腕に、小洒落た布製のショルダーバッグを左腕に抱えつつ、仁王立ちで、道場の入り口に立ちはだかっていたのだった。
「本日からこちらでお世話になることになりました、邑咲愛音と申します! 先輩方、ご指導ご鞭撻のほど、何卒お願いいたしますです!」
口調は勇ましいが、声音は愛らしい。ユーリに匹敵するぐらいの、甘ったるい声だ。
道場中の人間が呆気に取られた様子でその姿を見つめやり、邑咲愛音なる新人練習生は挑むような表情でそれらの視線を受け止めた。
と――そのくりくりとした瞳が、瓜子たちのほうを見て、なおさら大きく見開かれる。
「失礼しますです!」ともう一度叫び、少女はムートンのブーツを脱ぎ捨てた。
大股に、瓜子たちのほうに近づいてくる。その可憐な面は、果し合いを申し込みに来た武芸者のように、厳しく引きしまっていた。
「押忍! ユーリ・ピーチ=ストーム選手でありますね!」
「あ、ああ、はい、初めましてぇ。ムラサキアイネちゃん、ですねぇ?」
ユーリがそう答えるなり、少女の顔が真っ赤に染まった。
まさかいきなり殴りかかってくるんじゃなかろうなと、瓜子は腰を浮かせかける。それぐらい、少女の表情は切迫しまくっていた。
「あ……愛音なぞの名を覚えていただき、光栄の至りでありますです! あの……ぶしつけですが、ひとつお願いしてもよろしくありましょうか!」
「お、お願いでしゅかぁ?」
さしものユーリも、たじたじになってしまっている。
そんなユーリの姿を親の仇でも見るような目つきで凝視しつつ、邑咲愛音は大きな大きな声で言った。
「ユーリ様、と呼ばせてください! 愛音はユーリ様を、魂の奥底からお慕い申しあげておりますです!」
瓜子は、深々と溜息をつく。
これはどうやら、ちょっと尋常でないぐらいの問題児であることに間違いはないようだった。
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