第33話 夢か現か

 翌日、朝から秋山は建築現場に来ていた。彼は大工さんたちにねぎらいの言葉をかけ、休憩時間用のお茶と茶菓子を持参していたのだ。そして、九時を回った頃、百合たちの事務所に顔を出した。

「おはようございます。薫子さんいますか?」

 その声に薫子は敏感に反応し「はい」と返事をした。

「薫子さん、今日は大工さんの茶菓子とお茶は用意しなくても結構ですよ。僕が用意して置いてきましたから」

 その瞬間、薫子の顔には落胆の色が見えた。昨日百合たちと話した通り、迷惑だから断られたんじゃないだろうか。そんな思いが頭の中をぐるぐると巡っていったのだ。

「分かりました、もう今日からはお茶や茶菓子の用意は、一切しなくて良いってことですね・・・」

 今にも泣きそうな薫子の様子に、百合と美咲が怒りを込めて畳み込もうとしたとき、彼が徐に口を開いた。

「違います、勘違いしないでください。今日はあなたに見てもらい、意見を聞かせて欲しいものが有るんです。できれば二人だけで・・・」

「ふ、二人だけでですか?」

「そうです」

 見せたいものとは何なのか?

 何についての意見を聞くのか?

 百合と美咲は、お互いに無言のまま、不思議そうに顔を見合わせている。ただ解かる事は、秋山が何か思いつめた感じがすることだ。もしかしたら、昨日、清が言っていた通り、自分の気持ちをハッキリと伝えようというのか。

 仮にそうだとすれば、これ以上深入りすることはできない。百合は美咲に声を掛け、部屋を出ることにした。とはいえ、なんとなく気にはなる。結局二人はドアからそんなに離れていないところで、様子を窺うことに。

 そこに、徳さんがやってきた。

「どうしなすった。二人でこんなところで」

 百合が経緯を説明すると、徳さんは納得顔で微笑んだ。

「秋山さんも、中々男らしいじゃないか。きっと薫子ちゃんが納得できる話をしたいんだろう。じゃあワシは花畑の手入れに行ってくるよ」

 余裕綽々の顔で、外に出ていった。世話焼きの徳さんが全く動じない。二人はそれがかえって不思議でならない。徳さんといい、清といい、百合からすると今までの二人らしくないというか、随分と冷たいんじゃないかと思えるのだ。

「百合さん、もしかして徳さんも、先輩も結果が解かっているんじゃないですかね」

「え、じゃあ私たちだけ、蚊帳の外ってこと?」

 百合は不機嫌そうだ。

「清さんに聞いてくる!」

「あ、待って百合さん」

 二人は清のアトリエにやってきた。

「清さん!」

「あ、丁度よかった。新作ができたところだ。どうですか」

 その絵は、百合の花が咲き乱れる畑の絵だった。美咲は絵を食い入るように見つめている。百合はというと、流石に絵を見た瞬間に不機嫌な顔から柔和な顔に変化した。アトリエの隅では、小百合が真っ白のキャンバスに手で好き勝手に色を塗っている。というより、キャンバスを汚してるという表現の方が有ってるかもしれない。

「素敵な絵ですね」

 美咲がため息を漏らした。

「秋山さんの新築祝いに、飾ってもらおうと思ってね」

「あ、そうそう。その秋山さんなんですが、薫子ちゃんに二人だけで見てもらいたいものが有るって・・・」

 百合がそこまで話すと、その言葉を遮るように笑いながら、

「ふーん、じゃあ行ってみるか。この絵の事は彼には内緒だよ」

 と言って事務所に向かった。事務所までの道のり、百合はやはり少しむくれ気味だ。しかし、そんなことはお構いなく、小百合を抱いて、清はすたすた歩いていく。

 みんなが事務所に着いたとき、部屋のドアを開けて薫子が出てきた。その姿は何があったのか放心状態だ。

「あ、薫子ちゃん」

 そう声を掛けると、彼女は百合に走り寄り、泣きはじめた。その時彼女を追いかけるように秋山も出てきた。瞬間、百合はそれまでのモヤモヤを爆発させるように、秋山に向かって声を出した。

「秋山さんどういうことかしら?」

「え、いや。僕にもよくわからないんです」

「わからないって、彼女泣いてるじゃない!」

「だから・・・」

 秋山は二人でいた時の状況を話し始めた。

「僕はただ、薫子さんに内装デザインを見て、感想とか意見を聞きたかっただけです。特にキッチンは男のセンスよりも、女性の感性を大切にしなくちゃならないから」

「でも、どうして薫子ちゃんなの?」

「それを話そうと思ったら、彼女が急に立ち上がって、外に出ていっちゃったんです」

「どうして・・・?」

 漸く薫子も落ち着いてきたようだ。百合がハンカチで優しく涙を拭いてあげると、ゆっくりと話し始めた。

「秋山さんは悪くありません。私、夢を見てるような気がしたんです」

「夢を・・・?」

「そうです。デザインを見てるとき、秋山さんがキッチンは使う人の感性に合わせないと、後で一番不満がでるんですって・・・。その一言を聞いたとき、もしかしたらこれは夢じゃないかって・・・。もし夢なら、このまま話を聞いてるうちに醒めてしまったらどうしようって・・・。だから…、夢が覚めないうちに部屋を出ようって・・・」

「薫子さんごめんなさい!」

 その時、突然秋山が頭を下げた。

「僕が自分の本心をハッキリとあなたに伝えなかったから、あなたを混乱させてしまって・・・。僕は、ずっとあのキッチンであなたに料理を作って欲しいんです」

 薫子は、再び百合の胸に顔を埋めて泣き出してしまった。

「まあ、薫子ちゃんは嬉しいと大泣きしいちゃうのね」

 清と百合、美咲はあまりの微笑ましさに、言葉もなく微笑んでいる。当の秋山は、これからどうしたら良いか戸惑っているようだ。

「秋山さん、あなたは建築士だ。だから、彼女に世界に一つしかない彼女のためのキッチンをプレゼントしたかったんだろう。今日はあなたに薫子ちゃんを一日預けるから、今度は二人で人生の設計を語り合いなさい」

 清の言葉に、百合は薫子をなだめて、秋山に預けた。二人は事務所の外に出て、ゆっくりと花畑の方に歩いていった。

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