第16話 芸術家村

 翌日、二人が目を醒ましたのは、お昼近くだった。

「清さん、お腹が空いたね」

「ん、ああ。徳さんも恐らく、今日は猟師小屋の方に掛かりっきりだから、起きて何か作らないとね」

「うん」

 二人が居間に行くと、朝ご飯として用意してあったのだろう、卵焼きと味噌汁、納豆が置いてあった。

「温めて、これを食べよう」

 味噌汁を温め直し、ご飯を盛って、朝昼兼用の食事を済ます。

「じゃあ、猟師小屋にいってみるか」

「何か手伝うことが、有るかも知れないものね」

「ああ、そうだね」

 小屋に着くと、徳さんと大工さんが話をしている。

「こんにちは」

「おや、先生。百合ちゃんもよく眠れたかい」

「はい、お陰様で。何か手伝う事は有りませんか」

「今のところ間に合っているよ」

 徳さんは、大先生の小屋は自分が仕切って、仕上げたいらしい。無理に割り込んで、徳さんの機嫌を損ねても良くないので、取り敢えずその場を離れることにした。

「じゃあ、徳さん。僕たちは、散歩に行ってきます」

「ああ、行っておいで。あ、それから、明日は、午後から役場の方に来ておくれって、村長さんが言ってたよ」

「わかりました。明日の午後ですね。伺います」

 二人は森の小径を小川に向かって散歩していく。百合をモデルに、五枚組の絵を描いたのが、ついこの間のように思い浮かんだ。

「清さん、この森全体が美術館だったら面白いかもね」

「どんなふうに」

「うん・・・例えば一本一本の木に、絵が貼ってあったりとか、至る所に自然と調和した彫刻やモニュメントがあったりとか・・・」

「うーん、面白いね。でも絵画はちょっと厳しいかな」

「そっかぁ・・・」

 百合はちょっと残念そうに、何やら考えながら歩いている。森の美術館。確かに悪くはない。雨風から絵画を守ることができて、盗難防止がしっかりとしているならば。しかし、恐らくこの提案は却下されるだろう。実際四季の移ろいの中で、作品を管理していくというのは、かなりの負担になる。

 今だって、木々が赤や黄色に色づき終わり、そろそろ葉を落とそうかとしている。そんな中で落ち葉を掃除したり、雨風から作品を守ったりということを考えれば、リスクが多すぎるのだ。清がそんなことを考えていると、突然、百合が森の中を指差して大きな声を出した。

「あっキノコだ」

「本当だ、これはブナシメジだね」

 周りにも沢山有ったが、取り敢えず一株だけ、採って戻ることにした。帰りがけに徳さんに見せると、やはりシメジで、何の料理に使っても美味しいと言われたので、今夜のおかずに使うことにした。

「そうだ、食材の買い出しに行こう。今日は町に出て、大量に買い込んでこよう」

「うん」

「折角だから他にキノコを幾つか買ってきて、あさりとキノコのスープスパゲティなんてどうかな・・・」

「良いかもしれない」

 そんな会話を楽しみながら、二人は買い物に出掛けた。町は人で溢れかえっている。徐々に冬の足音が近づいて、人々は越冬の準備を始めているのだろう。ふと立ち寄ったショッピングモールで、百合がお揃いの毛糸の帽子とマフラー、手袋を購入した。早速、身につけて歩くと、何となく夫婦というより恋人気分になって、清はちょっと気恥ずかしく思った。しかし、百合の若い感覚に合わせる事で、自分も若くいられるのだと思うと、この様な刺激も満更ではない。 

 二人はしっかりと買い出しを済ませ、家に戻ると、早速夕飯の支度を始めた。パスタを茹で、スープを作る。とは言っても、あさりとキノコで、しっかりと出汁が利くので、あとは醤油と酒と味醂で味付けをすれば簡単にできてしまう。キノコは採ってきたシメジと、買ってきた椎茸、エノキダケ、エリンギを使うことにした。付け合わせには野菜サラダ。食前酒はワインを注いで、準備完了だ。

「じゃあ、今年は途中から展示会になって、畑仕事はできなかったけど、来年は君の畑仕事を沢山絵にできますように」

「もしかしたら、来年は子供ができて、畑仕事はできなくなるかも」

「そうか、それならそれでまた良しとしなきゃね。取り敢えず乾杯しよう」

 二人はワイングラスを軽くぶつけて、口に運んだ。

「美味しいね。さあ食べよう」

 二人は食事をゆっくりと済ませ、後片付けを終えると、久々に子づくりの秘薬を風呂に入れて風呂に入った。折角あの宿の主人がくれたのに、使わずにしまって置くわけにもいかない。というのは、あくまでも建前で、やはり刺激的な夜を過ごしたかったのだろう。

 翌日、二人は午後役場へと出掛けた。そこには村長と徳さんの旦那の越川、そして片山と望月がいた。

「いつも一緒だね。本当に仲の良い夫婦だ」

 村長がからかうと、百合は清の陰に隠れた。そんな姿も、みんなからは初々しく、また微笑ましいのだ。

「まあ、良いじゃありませんか。早速会議を始めましょう」

 村長が、咳払いをして、会議が始まった。

「実は、役場の裏庭に、美術館を建てようと思うのだけど、如何でしょうかな」

 と、清が直ぐに意見を出した。

「実は百合と昨日話していたのですが、小川に通じる森の小径に、美術品を展示できないかなって」

 清の発言に村長はびっくりしている。

「先生、美術品が雨風に曝されて、駄目になってしまいますよ」

 望月の意見はもっともだ。

「でも、何か方法があれば、面白いかもしれないと思ったのですが、やっぱり無理ですかね」

「無理だと思いますよ」

 と、片山が割って入った。

「森の小径美術館か。発想は面白いな。役場の裏庭の美術館と連動して、屋外でも見られるというのは、良い発想だと思うよ。あとは具体的にどの様にすれば良いかを考えなくてはだね」

 流石に片山が清の考えに賛同すると、望月もあからさまに反対は出来なくなった。とはいっても、具体的な方法はなかなか導き出せない。

「とにかく、この件については、美術館が完成するまでに、方法論を考えることにしよう。次に、芸術家の移住計画だが、望月君、現在何人ぐらいの希望者が居ますか」

「今のところ、二十人程ですね」

「私の方は十人だから全部で三十人か。できるだけ多く募りたいね。最終的に百人近くまでは何とかしたいな」

「そうですね。美術館の構想が、完全に練り上がれば、恐らく希望者もグッと増えると思うのですが」

「そうだね。村長さん。先ずは建築許可を取って、早く設計を起こしましょう。それが人集めの近道だと思うので」

 村長は、早速県に申請する事を約束した。

 その日の打ち合わせは、その程度であったが、村長はその後も、区長を呼んで、空き家の整備や、廃屋の改修を打診していた。村をあげての大規模な建築ラッシュだ。当然ながら、改修工事は村に予算を申請し、新たな入村希望者の為の補助金からお金は捻出される予定だ。また、殆どが内装工事なので、望月が集めた基金からも何割かの金額が捻出できそうな雰囲気だ。

「段々話が大きくなっていくけど、大丈夫ですかね」

 清は不安になってきた。あまりに計画が大きくなれば、村の自然が破壊されないだろうか。また、計画だけが先走って、実行が伴わなければ、全く意味をなさない。それにこんな過疎の村に美術館と言っても、県の許可は降りないのではないだろうか。

「そういえば、私たちが住んでいる、廃校の体育館を先ずは臨時で美術館にしたらどうかしら。村としてこの様に取り組んでいるんだという具体的な動きを、見てもらう方が、動きも早くなるのではないでしょうか。それから村人たちの家にも絵を飾って、尋ねてくる人たちにお茶を出しながら絵を鑑賞してもらうのも良いかも」

 片山は感心しきりだ。次から次へと新しいアイディアが湧き出してくる。百合の事をある意味尊敬の目で見ているようだ。

「東君、君の奥さんは、本当にできた方だ。私も彼女の意見に大賛成です」

 結局、百合の意見が一番具体的に進めやすいということで、最初は廃校の体育館を仮設の美術館とすることに決定した。早速村の大工たちが召集され、体育館の改修が始まることになった。そして、それに並行して村長が県に申請を行う。それが、現時点でのベストな方法だということで結論が出た。

 早速翌日から、大工たちは体育館の改修を始めた。百合はその一部始終をデジカメに収めている。

「百合ちゃん、そんな写真どうするの」

「うん、芸術家村のホームページを立ち上げようと思っているの。まだ、どんな形で紹介したら良いか、纏まってないんだけど、きっと役にたつ時が有りそうな気がするから」

「ふーん。君は本当に多才な女性だね。尊敬に価するよ」

「いいえ、私のは浅く広い知識ですから。清さんの方が立派です」

「まあまあ、お二人さんそんな所でノロケてないで」

 後ろから、片山が声をかけてきた。

「先生も随分ご執心ですね」

「ああ、年末年始は暇なもんでね。今できることを、なるべく前に進めておかないとな」

「なるほど」

 と、程なくして村長も現れた。

「丁度良かった。お二人に話があったんです。先程県に申請に行ったら、思いっきり断られました。何でも、こんな過疎の村に美術館などもってのほかだそうです」

 やはりか。その場に居た、清、百合、そして片山の気持ちだ。人の集まらないどころか、どんどん居なくなっていく過疎の閑村に、美術館を建てたところで、採算が合わないというのが、県の役人の考えだ。確かに、普通に考えれば無駄な施設なのかも知れない。

「この村は人が少ない分だけ、広い土地と自然が有ります。だからこそ、芸術家村を全国にアピールしましょう」

 百合はその程度の事では簡単に諦めるわけにはいかないと思っていた。何故なら、計画がどんどん具体化されていくに従って、彼女の中にある夢も大きく膨らんでいくのが実感できたからだ。片山も清も、百合の次なる提案を楽しみにしている。

「なる程、そのためにもホームページを作成して、人々の興味を引くんだね」

「そうです。話題性が高まれば、マスコミも取材に来るようになります。そこから徐々に整備していけば良いと思うんです」

「良い考えですね」

 望月も感心しているようだ。先ずは、多少なりとも名前が売れている芸術家が、この地に住んでくれるのが望ましい。果たして、軌道に乗るかどうかは、何とも言えないところだ。しかし、手探りであはるが、何としても実現させたい。百合は、清と片山の作業風景をデジカメに収め、二人にコメントを書いてもらった。村長にも書いてもらおうと思ったが、何を書いたら良いのかわからないというので、今までの経緯から、百合が代筆してコメントを作成した。

 翌日から、望月は入村希望者を次から次と連れてきた。物件を見せては住む家を決定していく。家が決まると、百合が写真を撮りに行き、コメントを貰ってくる。そんな作業が繰り返され、新たな村人が二十人を超えたのを契機に、百合がホームページを立ち上げた。果たして、どれだけの反響があるのか。

 体育館を改修した村の美術館も片山や清、そして入村者の作品が並び、かなり見栄えも良くなってきている。ホームページを立ち上げて二ヶ月程経過した頃から、一人、また一人と入館者が現れ始めた。片山が、学生達に宣伝した効果も手伝ってか、宿泊希望者がホームページに書き込んで来る事もしばしばだ。要は、芸術家たちの家を巡ってみたいという事らしい。

 そこで急遽、公民館を宿泊施設にしたのだが、やはり、きちんとした施設が必要だろうと、村営の宿泊施設を建てる事にした。

「清さん、なんだかどんどん話が大きくなっていくね」

「こうならなくちゃ、面白くないじゃない。君もかなり忙しくなるけど、いつでも手伝うから、一人で抱え込まないようにね」

「ありがとう。でも清さんの活動を遅らせるような事があってもいけないし」

「大丈夫だよ。あくせくしたって良い作品は描けないからね」

 宿泊施設も誰が管理するのか、話し合わなくてはならない。再び、メンバーが召集され、打ち合わせが行われた。村営で行う以上、役場から誰か、会計責任者を出さなくてはならないが、役場の職員も、農家をしていたりするので、手が回らない。とりあえず、接客や賄いは各隣保の夫人達が回り持ちで行うことにした。百合は、その監督と会計責任者をする事になり、多少なりとも給料が支払われることに。

 しかし、彼女にもビーズアクセサリーの仕事がある。そこで、片山の教え子で、今は活動していない女性が、百合の補佐に来ることになった。彼女の名前は品田美咲。片山の教え子で、卒業後とある画廊に勤務したが、結婚と同時に退社。その後離婚し、今は一人暮らしをしている。絵を描くというより、絵を診る才能に長けた女性らしい。

 片山から芸術家村の話を聞きつけ、非常に興味を示していたらしく、この話も二つ返事で引き受けたとのことだ。美咲は百合の言うことを良く聞き、仕事もてきぱきとこなしていく。ホームページ作成も百合と話し合い、より魅力的な物を完成させようと頑張っている。

「なかなか良い子が来てくれたね。流石は片山先生の教え子だ」

「あら、清さんの後輩でしょ」

「そうとも言える」

 二人が笑いながら話していると、美咲はにこやかに話しかけてきた。

「先輩、片山先生から聞いたんですが、御夫婦の秘蔵の絵があるらしいですね」

「ああ、展示会の時だけ、披露する事にしてるんだ。非売品としてね」

「私、展示会には行けなかったので、良かったら見せて頂けませんか」

「ああ、いいよ」

 三人は、百合の作業場に入った。入り口の側の壁に掛かった一枚の絵を見て、美咲は感嘆の声を上げた。

「素敵。モデルは奥さまですね」

「そうだよ」

「いいなあ、私もこんな素敵な絵のモデルになってみたい」

「あはは、ヌードはもう描かないよ。僕は農村の風景画が似合っていると思うんだ」

「そうなんだ」

 美咲はちょっとガッカリしたようだ。しかし、百合や徳さんの農作業の絵を見て、納得したようだった。

「先輩は日本のミレーになれるかもですね。淡い配色といい、風景の描写といい、まるでミレーの作品を見ているような感じがします」

「ありがとう。でも褒めすぎだよ」

 清が照れくさそうに笑うと、美咲は真剣な眼差しで反論した。

「私の目に狂いはありませんよ。きっとそうなります」

 さすがに清も、言葉を無くして、笑うしかなかった。美咲が施設に戻ると、百合はなんとなく浮かない顔をしている。

「百合ちゃん、どうしたの」

「うん・・・。何となく彼女の清さんを見る目が、気になったの」

「僕を見る目?」

「うん、まさかとは思うんだけど・・・」

「なに?」

「清さんに気があるんじゃないかと思って・・・」

「女の勘ってやつかな」

「ごめんね」

「ま、どちらにしても、僕には君しか居ないんだから、大丈夫だよ」

 清の事は信じている。しかし、美咲がどの様な女性なのか、百合はまだ計りかねているようだ。

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