襲来・春の大風(その二)




 この人……いや、こちらのお方の名前を エルゼベート・シレーヌ・ユレイファ という。

 


 ユレイファ王国でも最も旧い貴族の家系の出身であり、ユレイファの先王の弟にあたる人物の妃となった女性。

 つまり、この国でも上から数えて何番目かぐらいの高貴な、とてもとてもとてもお偉い高い身分の女性である。




 

 ……まぁ、そんなお方が、アルフ……というより、アルフィーゼ・ドラク・ユレイファにとっては、母親であるわけだが。


 母親……といっても、王侯貴族であるということでその関係は一般庶民たちのそれのように親密な間柄でもない。

 ついでにいうと、アルフィーゼとエルゼベートは実際に血がつながっているというわけでもない。母子というのはあくまで書類上での関係でしかないのだ。


 それに……他にも、もろもろの複雑なる事情を抱えていて……。





「ねぇねぇねぇ! エルゼさん、エルゼさん! それじゃあ、店主さんの小さいころってどんな子供さんだったんですか?」

 茶髪の街娘ミリィに興味津々に質問されて、エルゼと呼ばれたその女性は、ゆったりと優雅に労働をしらぬであろういまだに白い指先で紅茶のカップを持ちあげ、微笑みながら言葉を紡ぐ。

「そうですわねぇ、今ではあんなふうにすましてはいるけれど、アルフは小さいころはいたずらっ子なところもありましたよ」

「へぇ、それは……意外、ですね」

「だねぇ」

「そうだなぁ……今のずいぶんと落ち着きある態度からは想像つかねぇなぁ」

「といっても、奥さんのことになると、とたんにその落ち着きをどっかにふっとばしちまうけどな!」

「あぁー、あぁ、うん! そうね、違いないわ!」

「あらあらぁ、あらあらぁー、皆様アルフの事をとてもよく存じているのねぇ、嬉しいわぁ」

「そりゃあ、この店にそれなりに来ている客なら皆よーく知ってるというかわかりますよー」

「ですよー」

「そうそう!」



 ……頭が、痛い。


 あくまでも書類上の母子関係だ。

 決してその仲もよかったとは言い難い。

 いろんな問題も抱えている。

 それなのに、それなのに、どうして、この、いや、こちらにおわす、ユレイファ王国で上から数えて何番目かに高貴なはずのこちらの女性は、ただの喫茶店のあるじである「アルフ」の母親「エルゼ」となって、庶民である客たちに囲まれうふふふふと笑って楽しそうに話をしているのだろうか……。

 一応、エルゼベートはエルゼに“変装”するにあたって、いつも着ているような金銀や宝石を縫い込んだ豪奢なまばゆいが動きにくいドレスではなく、ごくごくありふれたあっさりとした黒絹と黒いレースのドレスを着て、装飾品も愛用の黒真珠と白金のアクセサリーは外してきて、庶民たちも使うことのあるわりと安価な黒水晶をつかった簡素なものを身に着けてくれたらしい。おそらくはこちらに配慮はしてくれたのだろう……が、それでも、それでもなお、エルゼのその姿と立ち振る舞いは街の庶民たちの中では悪い意味で目立ったに違いない。というか、目立つ。


「アルフは兄弟はいないのだけど、年上の従兄がいるので、よく二人でいろんないたずらをしていましたわね。そうそう、よそ様のお家におまねきされた時に、勝手に居なくなって入ってはいけない場所に行ってしまったこともあったわねぇ……あの時は、もう、本当にどうしようかと、肝を冷やしましたわ」


 ……あぁ、うん、はい、そうですね。

 年上の従兄である現ユレイファ国王陛下の子分的存在としてしょっちゅういろんなことしてはいましたよ。しでかしていましたよ。はい。それは認めます。

 よそ様のお家におまねきされた、というのは、他国の王城へ行ったときの事ですよね。はい。大人たちの話し合いとか、社交とか、いろんな儀式とかあまりにもつまらないので、勝手にいなくなった記憶も、まぁ……一回や二回や三回程度では足りませんね。はい。

 しかし

 その後にお仕置きをされて泣きながら「ごめんなさい」などした記憶はないです。

 ないったらないんです。

 ……ないです。

 ないですから。

 頼むから、皆、信じるな。




 いつのまにか、お客たちだけではなく「のばら」の従業員たちも、エルゼと話をしているし、普段は厨房から出てこないガルトやダーナたちまでもが、それぞれの仕事の手を止めてしまって店内をのぞきこんでいた。

 妻のイヴは、さっきからずっとカウンターの中でおろおろしながら不安そうにアルフの顔色をうかがっている状態だ。


 これでは仕事にならない。

 仕事にならないが、だが、エルゼたちを追い出すわけにもいかないのだ。


「あぁ、アルフ。次のお紅茶は……ミスティエル……いえ、やはりレイーア・サガを淹れてくださいな」

「……ご注文、承りました」

「お菓子は……そうね、チョコレートのお菓子はあるのかしら?」 

「……チョコレートをつかったケーキがありますし、一口サイズにしたチョコもありますよ」

「じゃあそれをいただくわ、ケイトとネーナもおあがりなさいな。アルフのお紅茶はそれはそれはおいしいのよ。飲まないのはもったいないわ」

「はい、奥さま、いただきます」

「はい、かしこまりました、奥さま」

 エルゼのおつきの侍女、ケイトとネーナはエルゼが何か注文するたびに、その代金をきちんと確認してしっかりと支払う。お釣りがでないようにしている配慮までしている。

 ……これは、つまり、だ。エルゼが喫茶「のばら」に紅茶を飲みに来ている正当なお客、だということだ。

 自分の淹れる紅茶を飲みに来た正当なお客を追い返すのは、店主アルフの信義に反することであった。


 もともと、アルフィ―ゼはエルゼベートに公的にも私的にも頭が上がる立場ではない。 

 妾腹の子として生まれたアルフィーゼを、正当な王族のお妃であるエルゼベートは自分の子として扱い、育ててきた。

 ……エルゼベートにはとうとう男児が生まれることがなかった。そんな、非常にあやういバランスの上になりたっていた書類上の母子関係のはずだった。

 二人の関係はあのときまで、そういう、表面上のものだけと思ってきたのだが、だが……。

 あのとき……あの「エリピア女王救出」のために昼夜を問わず働き、駆けずり回っていた、アルフィーゼ・ドラク・ユレイファのいちばんの味方となってさまざまに支援してくれていたのは……エルゼベート・シレーヌ・ユレイファだったのだ。



「ねぇねぇ、……ねぇ? アルフったら」

「……なんですか、今度は」

 そのエルゼベート様、いや、エルゼにしつこくしつこく呼びかけられて、店主アルフはいかにも面倒くさいなもう、といった風にぞんざいに返事をする。

 エルゼはきらきらとした女童のような青い瞳を向けながら、こんなとんでもないことを言い出した。


「ねぇ、二人の子供はまだなのですかしら? そろそろいいお話が聞けるとおもったのだけど、どうなのかしらそのあたりは」


 エルゼのその言葉に、店内が一瞬だけ、静まり返り


 そして


「子供、子供、店主さんと奥さんの子供ぉっ?!」

「うわ、うわ、うわぁ、きっと可愛いよ! 可愛いよね! 間違いないよ!」

「いやー……俺は、この上ない小生意気な悪女系だと思うぜ!」

「それでも、それも込みで可愛いですよー、きっと!」

「それもそうだな!」


 喫茶「のばら」は、まるで竜の巣に隕石魔法でもぶちこんだかのような大騒ぎとなる。


 茶髪と黒髪の街娘たちは子供の名前はどんなのがいいかと考え始めてしまったし、仕立て屋の女主人は赤子の産着は専門外なのだけどと言いつつも作る気満々でいるようだし、他の客たちまでもが――



 ぷちり。


 

「……って、ください」

「……え?」

「もう、帰ってください!!」


 アルフの、何かが、きれた。



 その日、初めてアルフは自分の店主としての信義をねじまげ、自分の淹れる紅茶を飲みに店を訪れた正当なるお客を追い返したのだった。




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