第29話 最終決戦
早朝、ヴァーチャーズ本部の大広間に隊員が集まっていた。
本田権次、アスドナ、伊武ルイス、伊藤紗麻江、アザエル、杏璃魔遊の六人だ。
彼らを前にして、安堂博士が立っている。
「これからARK社日本支部に向かう。目標はビッグデータを作り出しているサーバーだ。恐らく彼らはこのビッグデータをケルビムのように、強力な智力を持ったパワーズに扱わせようという魂胆だと思われる。これがARK社の目指している目的だ。我々はそのサーバーを確認し、危険だと思われる場合は破壊する。MAD人類天使化計画によりデータが日本支部へと集まっていることはもはや明白だろう。どんなデータが集まっているのかわからないが、危険な予感がする。ともかくARK社へ行こう」
博士の言葉に一同気合の入った返事をした。
目的地のARK社日本支部まで直線距離にして数十キロ。ここでも本田の飛行の智力フロート・ブロウが生かされた。六人の戦士に加えて、安堂博士も一緒についていくことになった。
魔遊は、本田も含めて七人もの人間を飛ばすのは大丈夫かと気になったが、本田はこともなげに空中を飛んだ。飛行も安定している。本田は普段空気のような存在で、肝心な時には役に立たないが、こういう場面では生き生きとした表情をする、と魔遊は感じていた。そう、まるでアスドナに自分の得意なものを見せびらかすかのように。それなら、もっと別な場面でも自分が前に出てくればいいのに、と思うのだ。
そして伊武ルイスを見る。するとルイスも魔遊のことを見ていて、目が合う。お互いに気まずくて視線をそらす。魔遊はルイスを良く思っていなかった。それはきっとルイスも同じだろうと魔遊は感じていた。頭に嫌な感情が流れ込んでいたからだ。ルイスを見ていると、ドミニオンズでの毛手碓を思い出す。自分と同じネガティブ・ジェネレイターを持っていた狂人である。どこに行っても嫌な奴というのはいるということか。
今向かっているARK社日本支部には、世界中のアークエンジェルズやパワーズたちの智力が集まっているという。魔遊は以前コピー安堂博士から聞いたセラフィムは受け皿に過ぎないという言葉が引っかかっていた。アスドナが上海支部のサーバーで遭遇したというビッグデータ。魔遊は、そのビッグデータと融合すればセラフィムになれるのではないかと感じていた。そして、もしかしたらこの中のヴァーチャーズの戦士たちも、そのことを感じ取っていて、みんながみんなそのビッグデータとやらと融合したがっているのでは? と魔遊は疑念を抱いていた。みんな口では世界平和を語っているが、実際のところみんながセラフィムになって新しい世界を作り出そうとしているのではないか?
では自分は? セラフィムになりたくないのか? 魔遊は自問してみた。新しい世界を作って安堂博士の言う理想郷を作り出し、この世界を始め、ほかの次元宇宙でも困っている人たちを受け入れて平和に暮らしてもらいたいか? 確かにARK社日本支部にあるらしいビッグデータと融合すればセラフィムになれる近道かもしれないが、何かが間違っている気がする。地道に努力して自らの智力を高めた方がいい気がする。とにかくビッグデータと呼ばれるものに関して、嫌な予感しかなかった。
ほどなく、ARK社日本支部のビルが見えてくる。
埼玉に作られた急造の首都は実にコンパクトに出来ていた。そもそも人口からして少ないのだから、大きいものを作る必要がなかった。そのためビルも低いし、建物自体も少ない。まるでこぢんまりとした地方都市のようだ。
その中にあってARK社のビルはさほど高いビルではない。上海支部のように市内で一番高いビルにしてやろうという威勢は感じられない。ひとことで言うと地味だ。普通の商社ビルか何かのようで、知らない者であればARK社ビルであることすら分からないかもしれない。だが、ひとつ上海支部と共通している部分があった。それはビルの建つ敷地を高さ十メートルほどの塀がぐるりと取り囲んでいる点であった。
本田は上海支部の時のように塀の上のバリアを警戒して、正面入口に回り地面に降り立った。
すると日本支部の正門にもセンチネル・アイがいた。しかも二台。本田とアスドナは上海支部に潜入する際の苦い記憶がよみがえってきた。
戸惑う本田とアスドナをよそに、アザエルと魔遊が歩み出た。
アザエルは目がくらむような激しい光と、耳を塞ぎたくなる轟音で、稲妻をセンチネル・アイに向けて放射した。一本だけだったが、太くて力強い雷だった。まともに攻撃を受けたセンチネル・アイは大電流が体中を駆け巡り、回路という回路はショートし完全に沈黙してしまった。
一方の魔遊は赤黒くて太い腕を幾本も同時に出し、センチネル・アイを乱暴につかんだ。その途端腕の中でセンチネル・アイは痙攣を起こすように何度もガクガクと震え、あちこちの関節から煙が上がり、お腹にある自律型CPUが破裂した。
それを見た紗麻江が感嘆の声を上げた。
「すごい! ふたりともすごいわ! 絶対ふたりともセラフィムになれるわ」
おおげさなほどにふたりをほめ称える紗麻江に、ルイスは苦々しそうな顔をしていた。更には、魔遊に信頼の視線を送っているアスドナに、嫉妬する本田もいた。
破壊されたセンチネル・アイの奥から人が現れた。手を叩きながら魔遊たちの方へやってくる。
「素晴らしい。まったく大したもんだ。センチネル・アイを赤子の手をひねるかのようにやっつけてしまうとは」
コピー安堂博士だった。横にはいつものように松田がいる。さらに李美耽、ベルゼバリアルの姿もある。魔遊はこのふたりは死んだものと思っていたが、どうやら生きていたようだ。ベルゼバリアルは相変わらずのんきそうな表情だが、李美耽が殺気だった目で魔遊とアザエルをにらんでいた。
「やはり魔遊の智力は凄まじいものがあるな。敵にしておくには惜しい。そしてアザエル、君もいつの間にかそんなに智力を蓄えたのだな。ふたりとも惜しいな。なぜ裏切った? いや、今さらそんなことはどうでもいい」
ふとコピー安堂博士は、魔遊たちの一団の中に、自分に瓜二つの人物がいるのに気がついた。オリジナル安堂博士である。ふたりとも目を合わせて皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「かねがね噂は聞いていたが、もうひとりのわたしに実際に会えるとは。ドッペルゲンガーとはこのことか。君はオリジナルというそうだな。その割には代わり映えしないな」
コピー安堂博士は、興味深そうにオリジナル安堂博士を眺めた。
「ふん、わたしのコピーという割にはバージョンアップされていないな。むしろ質が落ちてるんじゃないか? 世界は新しいが、人間は旧態依然のままでは意味がないぞ」
オリジナル安堂博士は、興味なさそうに皮肉をぶつけた。
「貴様こそ、ヴァーチャーズなどという、新興宗教みたいなグリゴリを立ち上げて何を企んでいる? 魔遊とアザエルをそそのかして味方に引き入れて、世界でもひっくり返すつもりかね?」
「ARK社が世界を動かしている限り、わたしじゃなくても、ほかのグリゴリが同様のことをするだろうよ。貴様こそセラフィム信仰などというたわごとを、噂としてリークしたように見せかけているだろう。そうすれば世界中のアークエンジェルズやパワーズたちが期待感を持つからな。我こそがセラフィムだと」
「浅中な考えはやめたまえ。セラフィムは受け皿に過ぎん。ビッグデータを扱える者がセラフィムたる存在になれるのだ」
「間違っているのは貴様の方だ。セラフィムとは強大な力を持ち、ビッグバンを起こせる者だ」
オリジナル、コピー、両安堂博士の押し問答はいつまでも続いた。同じ人間であるはずなのに協調性が見られない。同じ人間だから分かり合えないのか。
「ふん、キリがないな。こっちへ来たまえ。君たちの目的のものを見せようじゃないか」
コピー安堂博士は、オリジナル安堂博士たちをARK社敷地内に招き入れた。そして中庭の研究棟に向かう。歩きながらコピー安堂博士は説明を始めた。
「君たちはMADについてはもうご存知かな? 人類天使化計画のことだ。新型ノックヘッドを世界中の人々に装着してもらい、世界中くまなくノックヘッドを行き渡らせる計画でね。今まで先進国や新興国の富裕層や中流層にしか行き届かなかったノックヘッドを、貧困層や、開発途上国の人々にも行き渡らせることに成功したのだよ。これはARK社が世界政府の議会に働きかけて、実現したことなのだよ。さあ、ここだ入りたまえ」
平屋で長方形の研究棟の中にオリジナル博士たちを招き入れた。中には一個が人間よりも大きいスーパーコンピュータがドミノのように何列も並んでおり、一秒間の計算速度が天文学的数値をはじき出していた。そしてそのスーパーコンピュータから放出される熱を取り除くため、空調がガンガンに効いていた。周囲には白衣を着た研究員たちが忙しそうに行き来している。
「新型ノックヘッドには装着者の智力をコピーする機能が備わっていて、そのデータはすべてこのスーパーコンピュータ・セフィロトに集まってくる。常に六十億を越えるエンジェルたちの情報が集まってくるのだよ。こうしている今も集まっている。そしてつい先日。今まで不可能だった、マン・マシーンのデータをも取り込めるように改良できた。すなわちEDEN上すべてのデータを取り込めるのだよ」
コピー安堂博士は自信たっぷりにスーパーコンピュータ・セフィロトを公開した。その表情はもはや自信を超え自慢に近かった。とはいえ、このセフィロトの計画を思いついたのは、EDEN上のビッグデータを自在に操るケルビムにヒントを得ているので、まったくゼロからコピー安堂博士が思いついたものではない。
「このデータを自分に取り込める者がセラフィムということか? ならば、我がヴァーチャーズには優秀なケルビム、アスドナがいる。彼女のネットダイバーの能力があれば、アスドナがセラフィムになれるのではないかね?」
オリジナル安堂博士がたずねた。アスドナは急に自分の名前を呼ばれ驚きを隠せなかったが、その瞬間上海支部のサーバー室でビッグーデータに襲われた記憶がよみがえった。
「その女は、一度ビッグデータによって倒されているはず。要するにセラフィムの資格はないということだ。もっと強大な智力が必要となる。そう例えば魔遊だ。そしてアザエル。ふたりともヴァーチャーズなど辞めて、ドミニオンズに戻る気はないかね? そしてこのビッグデータを使いこなしてみる気はないかね?」
コピー安堂博士はアスドナなど眼中にないといったふうに、魔遊とアザエルに問いかけた。しかしふたりとも同時に「断る」と叫んだ。
「ふむ、見事セラフィムとなったあかつきには、世界の道筋を開く指針となってくれると期待されているのだが。ありとあらゆる智力を有した全知全能の唯一神なのだよ。それこそ救済する者の存在意義というものだ」
そこまで言って、コピー安堂博士は思わずため息をついた。
「残念だよ。そこまで物分りが悪いとは。それでは死んでもらうしかないな。表へ出たまえ。松田、李美耽、ベルゼバリアルが相手をするから、君たち全員を相手にしよう。そして生き残った者がセラフィムへの階段を上り詰めることになるだろう。まあ、結果は見えているがね」
またしてもコピー安堂博士は皮肉っぽい笑みを浮かべた。
ARK社の中庭にヴァーチャーズ、ドミニオンズが集合した。花壇のある緑豊かな中庭だったが、今は殺気立っていた。
しばらくにらみ合いが続いた後、松田が打って出た。風を巻き起こす。立っていられないほどの強風で目も開けていられないし、何かにしがみついていないと吹き飛ばされそうだった。地面の石ころが弾丸のように飛んでくる。それを本田が飛ばして被害をまぬがれていた。
アザエルが雷を起こした。激しい稲妻が松田目掛けて撃つが、松田も同様に稲妻を撃ち相殺された。それでもアザエルは何発も撃ち続けるが、ことごとくはね返されていた。
それを見た紗麻江がトゥイステッド・テラインで、松田の足元を揺らす。少し松田に動揺ができた。さらにそれを見たルイスがイヤドラム・シェイクで松田に不快な音を聞かせた。
風が止み、松田がひるんだところで紗麻江とルイスが前に出る。
「まて深追いするな!」
アザエルの忠告を無視するふたりは、李美耽とベルゼバリアルという存在を忘れていた。
紗麻江は李美耽の業火に焼かれてしまいのたうちまわっている。
ルイスはベルゼバリアルの水柱に空高く跳ね上げられ、地面に叩きつけられてしまった。腕がおかしな方向に曲がっている。折れているかもしれない。
アザエルと本田とアスドナが介抱しようと前に出ようとしたその時、松田が立ちふさがった。この時魔遊は何も出来ないでいた。
炎に焼かれて悲鳴を上げ転がり続けている紗麻江、体中の骨が折れているかもしれないルイス。彼らを助けることもできず、ヴァーチャーズは焦りを感じるしかなかった。
「弱きものなどいらぬ。とどめを」
コピー安堂博士が冷ややかな声で、李美耽とベルゼバリアルに命じた。それを合図に、李美耽はさらに高熱の炎を紗麻江に浴びせた。悲痛な悲鳴が辺りに轟いて彼女は灰となった。ベルゼバリアルは高圧の水鉄砲をルイスに飛ばした。肩口から首にかけて水鉄砲は貫通し、ルイスの首はごろりと転がり落ちた。
それを見た魔遊は今まで硬直して動かなかった体が自由になった。怒りの感情に任せて智力を放出する。赤黒い幾本もの腕が松田目掛けて素早く伸びていった。
異常な殺気を察知した松田は、稲妻を魔遊の赤黒い腕めがけて撃ち込んだ。何発も連続で。風も起こし、雨も降らせる。松田の智力、ストーム・ブリンガー暴風雨だ。そこに李美耽が炎を起こし、ベルゼバリアルが水柱を加え加勢する。
これには魔遊のネガティブ・ジェネレイターも松田に届かなかった。激しい智力と智力がぶつかり合い、その力の境界線では光の玉が生まれていた。それも複数。一個は魔遊の方へ飛んでいき、二個は松田の方へ飛んでいった。
異常事態に気づいた双方は智力を切り、自分の方へ向かってくる光球から逃げた。光球はそのまま敷地内を取り囲む塀にぶつかり、丸い穴を開けさらにその先へ飛んでいった。
「素晴らしい! なんという智力の放出だ! 今まさにEDENではとてつもない智力が流れている。本来ならサーバーがダウンしてもおかしくないデータ量だが、高性能のセフィロトのおかげでダウンせずにもっている。それどころかこの戦いのデータがどんどん蓄積されて行っている!」
コピー安堂博士は、研究棟を行ったり来たりしながら興奮している。
だがその時だった、研究棟から警報が鳴り響いた。
「まさか? この警報は? セフィロトがダウンしただと?」
コピー安堂博士は、慌てて研究棟に戻った。中では研究員たちが大慌てで、セフィロトがダウンした原因を調べている。
コピー安堂博士も一緒になって調べようと、端末ディスプレイに向かった時、人の顔のようなものが見えた。一瞬自分の顔が反射してるだけかと思ったが違った。すると画面から光り輝く腕が飛び出してきた。腕は博士の顔をかすめた。博士はつばを飲み込んだ。腕はやがて肩まで伸び、次いで頭が現れた。そして窮屈そうにもう片方の腕を出す。何者かがディスプレイの奥から出てこようとしている。博士は後ずさった。ディスプレイからゆっくりと体を引き抜くその様は、さなぎから羽化する蝶のようだった。足先が抜け出ると、その何者かは驚いている博士を見つめた。
「わたしは何者だ」
男と女、日本語と英語と中国語とその他の国の言語、若さと老い、すべての要素が合わさった
「お前、もしやビッグデータが可視化したものか? 今の中庭の戦いで大量の智力を得てついに完成されたのか? わたしの計画に間違いはなかった。ついにビッグデータ、すなわちセフィロト完成の日を迎えたのだ。後は入れ物であるセラフィムと融合するのみだ」
コピー安堂博士はビッグデータ、セフィロトを中庭に案内すべく手を差し伸べた。だがその時、ビッグデータは体が大きく縦に裂け、食虫植物のハエトリグサのようにパックリと博士を飲み込んでしまった。
これを見た研究員は悲鳴を上げた。中には逃げ出す者もいる。
セフィロトは恐怖で動けなくなった研究員に質問した。世界中のすべての言語を同時に発しながら。
「わたしは何者だ。なぜ生まれたのか」
研究員は答えられない。セフィロトが研究員に触れると、研究員はふーっと魂を抜き取られたかのようにその場に倒れてしまう。
セフィロトは研究棟内に残っている研究員に自分は何者であるか質問を続けるが、誰も答えられない。そして死が待っている。
彼は善も悪も、男も女も、老いも若きも、あらゆる人種、全て持ち合わせた完全なる不完全な存在だった。
そこへ松田がやってきた。逃げ出した研究員から事情を聞いて駆けつけたのだ。松田とビッグデータが対峙する。日々、松田は博士からビッグデータの受け皿になるよう言われ続けていた。まさに今その時が来たのだと思うと武者震いがした。
「わたしは何者だ。なぜここにいる」
「俺と一緒になるがいい。そうすれば答えがわかるはず」
松田は両手を広げた。それを見たセフィロトは、再び大きく縦に裂け、松田を飲み込んだ。するとセフィロトに変化が現れた。飲み込まれたはずの松田が、なんとか自我を形成しようとして、ビッグデータの激しく入れ替わる顔の中に何度も現れ始めた。
松田とセフィロト、双方が自我を確立しようとせめぎ合っているのだ。そして苦しみながら光り輝く姿のまま研究棟を出る。
「わたしは何者だ。なぜここにいる。俺が制御してやる。セラフィムになるのだ」
だがまったく制御できないようで、松田のストーム・ブリンガーを始め、炎、水、氷、風など、ありとあらゆる智力を放射していた。もはや暴走である。
「あいつはセラフィムなんかじゃない。ただのビッグデータの寄せ集めに過ぎない。善と悪両方を持ち、人格も形成されず、不完全な奴に過ぎない。ちゃんとデータを管理して統合すべきを、悪いデータも混在させたため、自我を保てないのだ。もはや制御不能となった今、存在を消してしまうしかない。残ったみんなで倒せ!」
オリジナル安堂博士が指示を出した。生き残ったヴァーチャーズは戦闘態勢に入った。
残された李美耽とベルゼバリアルは顔を見合わせた。博士も松田も飲み込まれ、ずっとこのビッグデータのためにドミニオンズでオファニムに任命されたことを誇りに思ってきたが、その肝心のビッグデータがただの化物に過ぎないと分かり、仕方なくヴァーチャーズに協力することにした。
まずはベルゼバリアルが高圧の水鉄砲を放った。バッサリと肩口から腰にかけて切り裂いたが、すぐにまた融合した。もう一度やったが同じことの繰り返しだった。可視化しているが、元々がデータの塊でしかないため、物理攻撃は効かないようだ。
するとセフィロトから、長い腕が伸びてきて、ベルゼバリアルの顔をつかんだ。その途端、彼の巨体がビクビクと痙攣しだした。
「ネガティブ・ジェネレイター!」
その場にいた何人かが叫んだ。ありとあらゆる智力を持ち合わせているのだ。
セフィロトの腕が離されると、ベルゼバリアルはその場に崩れ落ちた。頭がしぼんだ風船のようになっていた。
「わたしはセラフィム。ひざまずくがいい。貴様らを皆殺しにしてやるぞ。わたしは何者。なぜここに」
セフィロトは不意に空を飛んだ。が体勢を崩してARK社ビルに激突した。しかし、壁を破壊しながら上昇する。それを見た本田が後を追って空を飛んだ。
残りの戦士たちはビルに入ったがエレベーターが異常を感知して動かない。仕方なく非常階段を駆け上がっていく。
本田は崩れ落ちてくるコンクリートの破片をセフィロトめがけて飛ばす。コンクリートの塊がセフィロトの体を貫通するが、すぐに元に戻る。バラバラと落ちてくる鉄筋などをいくらぶつけても手応えがなかった。らちのあかない攻撃に本田は焦りを感じていた。
その時、セフィロトから巨大な炎の塊が飛んできた。あまりに巨大すぎて、本田は避けきれなかった。炎に包まれる本田は、地面に墜落した。
「ちくしょう、俺じゃあセラフィムになれないのかよ。アスドナ、助けてくれよ。ほかのやつじゃなく俺を助けてくれよ」
本田は炎に包まれながら息を引き取った。
セフィロトは10階で動きを止めた。また松田と自我を争っているのだ。苦しそうに頭を抱えている。目まぐるしく入れ替わる姿の中に、松田の登場する回数がますます増えている。
「そこにいたか!」
健脚のアザエルがようやく追いついた。しかし息は上がっているし、階段を駆け上がってきた脚も震えている。それでも稲妻をビッグデータ向けて撃ち込む。
体中に電流が流れて、セフィロトは苦しみもがいた。物理攻撃よりも効果があるようだった。セフィロトは苦しみながら腕を伸ばした。しかしアザエルは身をかわす。
「ネガティブ・ジェネレイターだな。腕を伸ばすだけでは避けられるぞ」
再びアザエルは稲妻を撃ち込んだ。さらに苦しむビッグデータ。
その時、セフィロトから強烈な光が閃光となってアザエルの目を焼いた。
「うわあ、目が! 痛い! 何も見えない! くそ、ダメだ目をやられてしまった。焼けるように熱い!」
アザエルの視界は真っ白で何も見えなかった。そして目に激痛が走り血が流れる。手探りで辺りをうかがうが全くわからない。
その隙にようやく苦しみから解放されたセフィロトは、哀れにも目が見えずその場に座り込んで、手を振り回しているアザエルを見下ろした。そして腕を伸ばした。
「ぐわっ、頭が割れるように痛い。嫌な感情が流れ込んでくる。これはもしやネガティブ・ジェネレイターか? 俺もここまでか。ずっとセラフィム候補と言われてきたが、そんな器ではなかったのだな。あああ!」
アザエルは悲鳴を上げると膨張した頭が破裂した。ちょうどそこへ、魔遊、アスドナ、李美耽がやってきた。仲間の残酷な瞬間に立ち会ってしまった三人は思わず息を飲んだ。
三人を見て、セフィロトは再び飛んだ、10階の天井をぶち破り、さらに上の階もぶち破っていった。三人はまた非常階段を駆け上がっていく。
三人は屋上に到達した。
屋上はヘリポートになっている。ヘリポートの真ん中付近に穴があいていて、そのそばにセフィロトがうずくまっている。またしても松田とのせめぎあいを起こしているようだ。
魔遊が前に歩み出た。しかしそれを李美耽がさえぎった。
「あたしに任せな。松田を飲み込み、ベルゼバリアルもやられ、そしてアザエルもやられた以上、ドミニオンズのオファニムの生き残りとしてはここでやらないとダメなんだよ」
李美耽はうずくまっているセフィロトに向けて、業火の弾を飛ばした。セフィロトは炎に包まれるが、まるで効いていないようだった。炎に包まれたままセフィロトが立ち上がる。そして李美耽の方を向いた。
キーンと耳鳴りのような音とともに衝撃波が飛んできた。危険を察した魔遊はアスドナの手を取って、その場から離れた。そしてその直後、爆発が起こった。衝撃波も爆発も、直撃していなかったにも関わらず、李美耽は爆風で吹き飛ばされた。
「ちっくしょう!」
李美耽は怒りに任せて、火柱を上げた。炎に包まれるビッグデータは涼しげな様子だ。
「効かないのかよ? あたしだってセラフィム候補のオファニムなんだ。貴様くらい制御してみせる!」
李美耽は素早くセフィロトの懐に入ると、くるりと背後に回って羽交い締めにした。そして自ら炎を発し、セフィロトもろとも焼き尽くそうという自爆行為に出た。しかし、セフィロトはそのまま李美耽を自身の体に取り込んでしまった。そして炎は消えた。
「いやああ! もうおしまいよ。みんな死んでしまったわ。ビッグデータなんて恐ろしい化物を制御するなんて不可能なのよ」
アスドナが突然泣き出した。その場にへたりこんでボロボロと涙を流している。
そこへ、ようやくオリジナル安堂博士が屋上へたどり着いた。かなり息を切らしている。
「大丈夫だ。魔遊が何とかしてくれる。彼を信じよう」
だがその言葉は魔遊にとってプレッシャーでしかなかった。重たいものを感じつつ、気持ちを整理した。自分のこれまでの生い立ち。オリジナル世界での日本沈没事故。コピー世界での貧しい暮らし。世の中への怒り。自分の呪われた智力。詩亜との別れ。友人を手にかけたこと。数々の命の搾取。そしてセフィロト同様、自分はなにもので、なぜここにいるのか? いてもいいのか? 断罪されるべきは自分ではないのか? 数々の思いが魔遊の頭を駆け巡った。そして、自然と体から赤黒い腕が伸びていた。
セフィロトは魔遊の腕につかまれても、ダメージを与えている感じがしない。腕がつかんでいる部分をよく見ると、小さな顔がたくさん浮き上がり苦しそうな表情をしている。ビッグデータの中のごく少数の人格が苦しんでいるのだ。だが、どれだけ魔遊が負の感情を送り込んでも、本体は平気な様子だ。平気どころか、負の感情を流し込まれて、ますます力を蓄えているようにも見える。
セフィロトも腕を伸ばし魔遊の腕をつかんだ。その途端、ガラスの割れるような音がして腕が消え失せた。
再び魔遊は腕を大量に伸ばし、セフィロトをつかんだ。しかし、セフィロトの腕につかまれると腕が消え失せてしまうのだ。何度試みても。
魔遊は喪失感に襲われた。自分の智力が通じないのだ。もはやこれ以上どうすることもできない。目の前にいるのは、神か魔王かわからないが、とにかく自分の手に負えないことは十分に分かった。もしかしたら、今目の前にいる奴が自分を断罪してくれるかもしれない。そうなのだ自分はここにいてはいけない存在なのだ。だから諦めることにした。ずっとこの日がくるのを待っていたのかもしれない。
「本当にお前がセラフィムで世界の救世主なら、俺を殺してくれ。俺みたいなのがいてはいけない。だから頼む」
魔遊は自らセフィロトに歩み寄った。所詮自分もセラフィムではなかったかと痛感する。色々な人にセラフィムだとちやほやされたが、今は虚しい。世の中すべてが憎い。
「魔遊、だめー!」
アスドナの悲痛な叫びが聞こえたような気がしたが、もうどうでもよかった。
セフィロトは目の前に来た魔遊を見て、またしても体を縦に裂いて飲み込んだ。
「終わったわ。全てが。もうどうすることもできないわ」
アスドナはがっくりと肩を落とした。安堂博士も口をへの字にしたまま、その場に立ち尽くしていた。
魔遊はビッグデータの中に取り込まれてもなお、まだ意識が残っているのに気がついた。ここはまるでプールのようなところで、その中に数十億という大勢の人が漂っているようだ。プールの中心には巨大な松田がいて、ビッグデータを制御しようともがいているのが見える。だが、大勢の人には悪感情が渦巻いていて、松田にしがみつき制御できないのだった。ここは善と悪がせめぎ合っている場所だった。いや悪の感情の方が大多数だ。その証拠に魔遊は気分がどんどん悪くなってくる。自ら望んだ道だったが、ここは魔遊にとって嫌な場所だった。嫌な気分になったときはどうすればいい? 周囲の連中を消してしまえばいい? いやここに来てもなお自分の呪われた力を使うことはないだろう。
その時、不意にいつかの詩亜の言葉が思い出された。あれはいつだったか?
『相手を憎んではダメ。相手を許すことが大事。人間はね許すことができる唯一のいきものなの。だからあなたのその力を逆に使って相手の負の気持ちを吸い取るの』
これはどういう意味なのだろう。もしかしたら、ここのプールに漂っている無数の悪の感情を受け取れ、という事なのだろうか? それが自分に課せられた使命なのか? 詩亜はそれを望んでいるのだろうか? そして自分もそれを望んでいるのだろうか?
思い悩む魔遊だったが、いつの間にか辺り一帯に青白い霧が立ち込めていた。その霧はプールの端から端まで覆い尽くしていた。そして魔遊の頭の中に、次々に悪感情が流れ込んでくる。それこそパンクするくらいに。ああ、そうか、自分の呪われた力に倒れた人はみんなこんな思いで命を落としていったのだな。これは罪滅ぼしか。
安堂博士はセフィロトに異変が起きているのに気がついた。そして泣き崩れているアスドナにも呼びかけた。
ビッグデータは体をねじらせるようにうごめいていた。目まぐるしく入れ替わる顔に魔遊が何度も現れるようになった。魔遊、松田、魔遊、松田、魔遊、松田、魔遊、松田、とぐるぐる入れ替わる。そして苦しみの叫び声を上げると、お腹が大きく膨れて弾けた。ずるりと魔遊が滑り落ちてくる。魔遊は放心状態で、虚ろな目のままぽかんと口を開けている。
一方のビッグデータは松田の顔が段々と濃くなってきて、ついには松田本人に変身してしまった。その松田の表情のなんと美しいことか。一切の苦しみや悪から解放されて、うっすらと笑みを浮かべている。まさに自然に生じた笑みだった。そして松田は光を放ちながら宙に浮いた。
「我こそはセラフィム。悪しき心を無くし善のみに生きる者。楽園を作ろう。同志は私についてくるがいい」
松田は抑揚のない声で囁くように言うと、自身の体を光の玉へと変えていった。ARK社日本支部ビルの屋上、埼玉の上空に太陽のようにまぶしい光の球が現れた。
アスドナは安堂博士の方を見た。博士は黙ってうなずいた。アスドナは光の玉に誘われるかのように近寄り、手を伸ばした。そして光の玉に吸い込まれるように消えていった。
光の玉はしばらくその場にとどまっていたが、やがて小さくなっていき、点のようになったかと思うと見えなくなってしまった。
魔遊は安堂博士に揺すられてようやく我に帰った。
「ひどく気分が悪い」
「魔遊、ビッグデータに取り込まれてた間、何をした?」
「詩亜に言われたとおり、悪の感情を全部吸い取ってやった。そうしたらみんな善人になった」
「お前は馬鹿だな。自分ひとりで全部抱え込んでしまったのか」
「そうかもしれない。でもそうするしかなかった」
魔遊は、松田の創った世界に行ってみたいというかすかな思いがあったが、悪の感情を一手に引き受けたのだから、善の世界に行ってはならない。今のこの世界で終末を見届けることに決めたのだ。
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