第21話 教会

 ARK社のビルはいとも簡単に抜け出すことができた。ビルの関係者に出会ってもアザエルの顔パスで、まったく怪しまれることがなかった。魔遊はまだしも、ヴァーチャーズのアスドナを連れていてもである。

「アザエル、案外ARK社では顔がきくのね」

 アスドナが感心と皮肉を込めて言った。

「まあな。さて、ヴァーチャーズはどっちに向かえばいい?」

 正門を出て、事も無げなアザエルだったが、魔遊が声を上げた。

「待ってくれ、その前に日本人街に寄ってくれ。プリンシパリティーズの襲撃の後が知りたい。街のみんなや教会がどうなったかを」

 アザエルとアスドナは顔を見合わせた。ふたりとしては早くヴァーチャーズ上海支部に行きたかったが、魔遊の気持ちも分からないでもなかった。唯一といっていいほどの魔遊の心のよりどころだからだ。その大事なところを破壊されて、その後どうなったかを確認したくなるのは十分に伝わってきた。だから、予定を変更して、日本人街に立ち寄ることにした。

 気持ちはすでに日本人街の魔遊はスーパージェットシューズで一気に高速移動したかったが、アザエルもアスドナもそんなものは持ち合わせていない。他に高速移動する手段もない。だが、バスに乗るという手段があった。アザエルが三人分の乗車賃を出す。金銭を支給されていないはずのドミニオンズ隊員だったはずだが、アザエルはEDEN上にオンラインマネーを隠し持っていたようで、バスに乗り込む際端末に触れて三人分決済をした。

 ボロでガタガタ揺れるバスは混み合っていた。皆、貧困層の人たちだ。金持ちは自動運転の自家用車を使うが、金のないものは運転手付きの乗合バスだ。その中に小奇麗な服を着た三人組がいるのが目立っていた。皆、白い目で三人を見ている。

 今、魔遊の頭の中に負の感情が流れ込んできていた。魔遊自身だって、貧困層の出身でついこの間まで、同じ立場なら白い目で見る側の立場の人間だったはずだ。それが今や逆転している。このおかしな感覚にめまいがしていた。それを察したアスドナが優しく声をかける。

「大丈夫。気にしてはダメ。誰でもあなたと同じように運命が変われば、いつだって立場は変わるの。ただ単にあなたを羨望の目で見ているだけよ。攻撃してるわけじゃないわ」

 分かっている。魔遊は十分すぎるほど分かっていた。それでも自分の置かれた立場に戸惑っているのだった。

 バスは日本人街の最寄りの停留所に停まった。魔遊たち三人はここで降りる。

 見慣れた景色に魔遊は思わず駆け出しそうになった。はやる気を落ち着かせながら、魔遊は歩いていく。段々と日本人街に近づいていく。しかし、それと同時に魔遊の表情はくもっていった。破壊された建物たちが目に入ったからである。

 崩れたレンガ造りの家々。魔遊は、あの日のプリンシパリティーズの襲撃の日のことがフラッシュバックして、その場にうずくまった。

 古い西洋建築の街並みは、それ自体が文化財と言えるものだったが、今では見る影もない。ここに魔遊や日本人がいる、ただそれだけで無差別に破壊を行ったプリンシパリティーズ及びメタトロンに、再び怒りがこみ上げてくる魔遊だった。

 魔遊はハッと顔を上げると、不意に立ち上がり、そして駆け出した。いてもたってもいられないといった様子で。アザエルとアスドナも後をついていく。

 教会。というより、元教会と言ったほうが正しい残骸は、東側の壁面がつぶれて西側の壁にもたれかかっていた。屋根が斜めになっており、いつ倒壊してもおかしくないようにも見えた。ステンドグラスは割れ、破片が石畳に散乱している。その石畳もあちらこちら大穴があいている。ただ、不思議だったのは、無数に横たわっていたはずの破壊されたパペットが一頭もいないことである。すでに回収されたのか、それにしては素早い仕事である。

 教会の裏庭の方から女の子が現れた。美雪だった。そして美雪はいまだにふわふわさんのぬいぐるみを抱きしめている。白いぬいぐるみは薄汚れて黒っぽくなっていたが、それでも大事にしているようだ。

「魔遊!」

 美雪が魔遊に気が付いて声を上げた。そしてもう一度確認をするように魔遊の名前を呼んだ。うれしさがこみ上げたのか、今にも泣きそうになってくる。

 美雪の声に裏庭から子供たちが現れてきた。そして口々に「魔遊だ」と呼んでくる。みんな無事のようだ。

「みんなどうしたの? なにかあったの?」

 と姿を現したのは安堂詩亜だった。詩亜は魔遊と目が合うと、ハッと驚いた後、泣きそうな顔になった。

 泣き崩れそうな詩亜に魔遊が歩み寄る。その回りを子供たちが楽しそうにはしゃいでいる。青白い霧が辺りを包む。

 その様子を見たアザエルとアスドナは、そっとしておくしかなかった。とても外部の人間が入り込む余地はなかった。そしてアザエルは子供たちが魔遊を慕っているのに驚かされた。

「無事で良かった」

 魔遊と詩亜は異口同音に言った。互いが互いの安否を気づかっていたのだ。お互い何か言おうとしたが、言葉にならなかった。その代わり涙があふれて止まらなかった。

「とにかく中へ入って。子供たちも魔遊のことを心配してたんだから。今、裏庭の畑で豆を収穫したからスープを作るわ」

 詩亜は涙を拭うとようやく言葉が出てきた。

「そこのふたりも一緒にどうぞ」

 詩亜はアザエルとアスドナにも声をかけた。いきなり声をかけられ、ふたりは顔を見合わせたが、言われるままに教会に招かれる。だが入口は壊れてふさがっているため、崩れた裂け目から入る格好になる。

「この教会、崩れないのか?」

 アザエルは心配しながら中に入る。礼拝堂の半分位は崩れているが、全く使い物にならないわけではなかった。

 詩亜は間に合せの崩れたレンガで作ったかまどで豆スープを作り始めた。魔遊は子供たちと遊んでいる。魔遊の膝の上には美雪が陣取る。

「なあ、詩亜、おっちゃんは? おっちゃんはどこだい?」

 魔遊は子供たちの人数を確認して全員いることに安心したあとに、ひとり大事な人が足りないことに気づいた。その言葉に詩亜は肩をビクッと震わせた。

「亡くなったわ」

「え……」

「瓦礫の下敷きになって。みんなで引っ張り出そうとしたんだけど……。助けてって声が今でも耳に残ってるわ。街の大人たちに頼んでようやく引きずり出した時にはもう遅かったの」

 詩亜は力なくつぶやいた。

「そうだったのか……おっちゃん苦しかったろうな。じゃあ、ずっとここは詩亜ひとりで面倒見てたのか?」

「ううん。街の大人たちが時々顔を見せに来るようになったわ。以前は大人たちを怖がってた子供たちも、今では懐いてね。大人たちも何を守るべきか分かったみたい。だから大丈夫よ。さあ、スープができたわ。みんなで食べましょう。お二人もどうぞ」

 詩亜はアザエルやアスドナの分も用意して、床に並べた。テーブルは瓦礫の下になっていて、今では床で食べている。食器は薄汚れて欠けやヒビが入っていたが、ここでは上等な方だった。

 アザエルは受け取って早速スープを見た。スープに豆が数える程しか入ってない粗末なものだった。そのスープを味見すると、薄味というか、ほとんど味がしなかった。普段のドミニオンズの食堂に慣れたアザエルには耐え難いものがあった。元々アザエルは貧困層の出身だったが、それでもまだまともな食事は取れていた。だがここではこれがご馳走なのだろう。改めて貧困層の実態が分かった気がした。

 アスドナが肘で小突いてくる。ふと見ると詩亜や魔遊、子供たちはなにやらお祈りをしている。こんな粗末な食事でさえ、頂ける感謝の祈りを捧げているのか、とアザエルは自分の浅ましさに恥ずかしくなった。

 お祈りが終わると、みんな一斉に豆スープにありつく。粗末であってもみんなで食べると楽しいのだ。魔遊はやはり自分の居場所はここしかない、と思えてきた。

「本当に魔遊が無事で良かったわ。ドミニオンズに連れて行かれた時にはわたし、胸が張り裂けそうだったもの」

 詩亜が大きく安堵のため息をつきながら魔遊を見た。その目はどこか保護者的な暖かみがあった。その言葉にアザエルは申し訳ない気持ちになった。

「俺だって、教会がプリンシパリティーズに破壊されたとき、みんなのことを心配してたよ。もうダメだ、って思ったけど、こうして無事にみんなの顔がそろっていて嬉しい。ただ、おっちゃんがいないのがさみしいけど」

 魔遊も詩亜の前ではどこか弟か子供的になってしまうのだった。

「ところで魔遊、帰ってきたということはずっとここにいられるんでしょう? 子供たちはずっと魔遊の帰りを待っていたのよ。わたしもひとりではつらいからやっぱり魔遊にいてほしいの」

 詩亜は魔遊のそばに来て体をくっつけた。口では気丈ぶっていてもやはりさみしさはあるのだろう。

「それなんだが……。俺はヴァーチャーズに行こうと思ってるんだ。このふたりの内この女の人がヴァーチャーズのアスドナ。男の方が元ドミニオンズでヴァーチャーズに変わったアザエル。本当は三人でヴァーチャーズ上海支部に向かうところだったけど、日本人街が気になって寄り道させてもらったんだ」

 魔遊は申し訳なさそうに上目づかいで詩亜を見た。可愛らしい詩亜の顔が悲しそうに変わっていく。

「ダメよ。魔遊はここにいなきゃダメ。外には出てはいけないの。ドミニオンズだろうがヴァーチャーズだろうが、どっちにしても戦いをするんでしょ? 魔遊は戦いに加わってはダメ」

 魔遊が予想していた通り、詩亜は反対してきた。

「だけど前は詩亜もドミニオンズに入隊することを勧めてたじゃないか。だけどドミニオンズに行って分かったんだ、今の世の中をもっとよくするには俺がヴァーチャーズに行かなければならないってことが。セラフィムが新世界を作って皆が幸せになれれば、詩亜や子供たちは貧しい思いをしなくてすむんだ」

 魔遊は必死に詩亜を説得するが、詩亜は聞く耳を持たない。

「魔遊が行っても何も変わらないわ。そこのおふたりさんに任せておけばいいじゃない。それにセラフィムは世界を救ったりはしないわ。新たな不幸を生み出すだけよ」

「俺じゃないとダメなんだ。それに詩亜はセラフィムを見たのかよ? セラフィム候補はいればいるほどいいんだ。俺はその候補のひとりになっている。俺はこの世界を救いたい」

 魔遊の熱い言葉に、詩亜は黙り込んだ。しかし魔遊をにらみつけている。そこへアスドナが割って入った。

「詩亜、わたしの組織ヴァーチャーズは争いごとをするところではないわ。多少の降りかかる火の粉は払うけど、それは必要最低限の戦いよ。目的はセラフィムを探し出し、育て上げ、新世界を創ることなの。博士の指導のもと、みんな仲良くやってるわ。ドミニオンズとは違うの」

 詩亜はアスドナをもっときつい目でにらんだ。恨みでもあるかのように。その目にアスドナはたじろいだ。アスドナは入ってはいけない領域に踏み込んだ気分になった。

「魔遊は争いごとに巻き込まれてはいけないの。負の力を与えるのではなく、いつも子供たちにやっているように、負の力を吸い取るのが魔遊の役目。だから魔遊、相手を憎んではダメ。相手を許す気持ちが大事。人間はね許すことができる唯一のいきものなの。だからあなたのその力を使って、人の負の気持ちを吸い取ってあげるの」

 詩亜は思いの丈をぶつけた。この時、魔遊は詩亜の言葉が真っ直ぐに突き刺さった。そして詩亜は魔遊の目を見た。魔遊は真剣だ。意思はかたいと言わんばかりに。

「神はなぜこんな世界を作ったのか? なぜ自分みたいなのがいるのか? 自分は何のために生きているのか? なぜこんな呪われた力を持っているのか? 俺はずっとそう思って生きてきた。だけど、俺のこの力を必要としてる人達がいる。だからその人たちの役に立ちたい。それだけなんだ。そして役に立てたと実感できれば俺は俺であることを認識できると思うんだ」

 魔遊も思っていることをぶつけた。その言葉に嘘偽りはない。ドミニオンズでは失敗だったが、ヴァーチャーズではきっと自分の求めるものがあるはずだ、そう信じていた。

 アスドナとアザエルも同感だった。この世が乱れているからこそ、自分の持てる力を発揮できる場所を求めるのだ。この世界の神に頼ってなんかいられないのだ。こんな世界に誰がしたのだ?

「神様だって、好きでこんな世界にしたんじゃないと思うわ。誰だって間違いは犯すわ。神様だって全知全能とは限らないじゃない。魔遊を必要としてる人ならここにいるじゃない。子供たち。そしてわたしもよ。それが不服なの?」

 詩亜は泣きそうになりながら訴えた。どこか切実だった。

「俺は確かにヴァーチャーズに行く。だけど、そこでセラフィムになってこの世界を救ったら、また戻ってくる。約束する。だから待っていて欲しい。わかるか?」

 魔遊は詩亜に顔を近づけた。瞳の中に自分が写っているのが分かるくらいに。

 詩亜も魔遊の瞳に自分が写っているのを見た。魔遊はたじろがない。

「分かったわ。魔遊の気のすむようにやって。わたしはずっと待ってるから。約束は守ってね」

「ありがとう詩亜」

 詩亜がやっと折れてくれて、アスドナとアザエルはホッと胸をなでおろした。だが、その詩亜は納得したというよりも、どこかあきらめに近い表情をしていたのを魔遊は見逃さなかった。まるで今生の別れでもあるかのように。

 夜になりロウソクに火が灯された。再び教会内はなごやかな空気になった。魔遊が子供たちと遊んでいて、詩亜が食事の後片付けをしている。まるで大家族のようだった。そこにアスドナとアザエルも加わって、子供たちと遊び、詩亜と談笑する。貧しくとも、ここは素晴らしい世界かも知れない、とアザエルは思った。

 ふと自分たちの周りに青白い霧が立ち込めているのが見えた。それと共に、心が洗われるような清々しい気分になっていった。こんな気分、いつ以来だろうか? まだ幼かった日、母親に甘えていた頃? いやそれよりももっと前の記憶の彼方……。

 詩亜がオルガンを弾き始めた。奇跡的にオルガンだけは残っていたのだ。

 伴奏に合わせて子供たちが童謡を歌う。アザエルとアスドナも幼い頃歌った歌だ。つい一緒になって歌う。

「詩亜。あの曲をやってくれ」

 魔遊がリクエストした。あの曲、で分かるのだ。



    ひとりで飛ぶより、ふたりで飛ぼう

    

    ふたりで飛ぶより、三人で


    だって翼が多い方がいいじゃない


    あなたの翼を見せてよ、私の翼も見せるから


    恥ずかしがらずに


    汚れてたっていいじゃない、折れてたっていいじゃない


    みんなで支えるから


    広い空の向こうにきっと何かが待っている

    

    だからあなたと一緒に確かめに行きたい


    山だって海だってこえられるはず

    

    そう、この空も宇宙の果てまでも

    

    FLY TO THE INFINITY



「いい歌ね」

 アスドナはうっとりと聞き惚れていた。初めて聞くのに、どこか懐かしい感じがしていた。作詞作曲した、詩亜の思わぬ才能にアスドナはすっかり感心してしまっていた。

 魔遊が「FLY TO THE INFINITY」を覚えようと、詩亜の隣に座った。詩亜に譜面と鍵盤とを交互に説明を受けながら弾いてみせるが、うまく弾けない。笑い転げる子供たち。

 こうして夜はふけていった。

「今晩は泊まっていくんでしょ?」

 詩亜が毛布を用意しながら魔遊に言った。魔遊はアスドナとアザエルを見た。ふたりにしてみれば少しでも早くヴァーチャーズの支部に行きたかったが、もう夜も遅いし、あまりにもこの教会が居心地よくて、ひと晩くらいなら泊まってもいいか、と思っていた。ただ、アスドナにしてみれば、いくら部屋がないとは言え、みんな同じところで寝るのには少し抵抗があった。

 寒々とした教会では、みんなぴったりとくっつきあって寝るのが習慣だった。魔遊には美雪とちゃんとくっつく相手は決まっているのだ。子供たちは互いにくっつきあって寝るが、今日はお客さんがいるので、そっちにくっついて寝る。アザエルもアスドナも初めての経験に戸惑ったが、なんだか面白いので子供たちとにやにやしながら眠りについた。

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