叶冬姫エッセイ集(2015年まで)
叶冬姫
エッセイ集
「寄席初体験記」・前編「体験前記」
今、私の手元には寄席のチケットがある。明後日のチケットである。何故こんな物があるのかというと、時は一月に遡る。
一年の計は元旦にありというが、私は毎年ある計画を一月にたてる。それは、その年に「何かひとつ、新しいことを始めよう」というものである。一年の計というには、実に大雑把な計画だが、趣味を増やすも良いし、読んだことのない作家に挑戦してみるでも良いし、新しい筆記具や鞄を下ろすなんて事も、十分私の中ではその計画の内に入る。十二ヶ月かかって見つからなければそれでも良しという、本当に大雑把な「計画」ともいえない「計」である。むしろ、縁起担ぎに近いものだと思ってくれれば良いかもしれない。例えば、新しい物を使い始める時の、あの何とも言えない不安と期待が入り混じった感じを思い浮かべてほしい。あの感じをできる限り意図的に味わおうと思っているのだ。
何故か今年は私の頭の中に「ジャズか落語のどちらかにはまってみよう」という考えが浮かんだ。何故、浮かんだのかといえば良く思いだせない。たぶんチラシを見かけたとか、ラジオで聞いたとか。私の思いつきなんてその程度のものである。
まずジャズのほうだが、CDを聞いてみたり、趣味の展示会通いの帰りにジャズ喫茶――所謂、ジャズレコードを掛けている喫茶店――に寄ってみたりした。しかし、好き嫌いはともかく「はまる」となると、思わず私はうーんと唸ってしまった。続けても良いのだが、何となく「はまれる」ものではない気がしたのだ。
ここで再度確認したいのは、私の今年の計は「はまる」ことに重点がおかれているのである。何故かと言われたら「そうしたいから」としか答えようのない実に大雑把な計である。幾ら大雑把でも、一度決めたその重点を変える気にはなれなかった。
さて、次に落語である。これはジャズより少し敷居が高かった。テレビやラジオでも落語は放送されているが、それは何となく違うと思ったのだ。「何となく」というのは本当にややこしい。どうにも自分の中でもはっきりと言えないものなのに、芯のところでは違う、嫌だと拒否反応を示しているのである。
ここでふと、落語がテレビやラジオであることが理由で駄目なのであれば、ジャズも生演奏を聞くべきなのであろうかと思い、そのような店を調べてみた。しかし、その考えはすぐに頓挫した。まず、システムがややこしい。そして当然、普通に飲食するよりもお金がかかる。そのうえ、演奏者の名前しかわからず、知識の無い私には、その演奏スタイル等は窺い知ることなどできない。これは、慣れている人に連れて行ってもらう所なのだと即座に思った。つまり、敷居が高いというより、リスクが高い所なのである。ジャズも落語もそれ相応にお金がかかる。リスクは最小限に減らすべきである。
そんな中、三月に関西では有名な上方落語の米朝一門会、そのチケットを懸賞であてたのだ。桂米朝といえば人間国宝である。その弟子たちの一門会。これはラッキーと私が喜んだのは言うまでもない。勿論、今まで落語を生で見た事はあるが、その時はこのようなを意識をもって見ていなかった。私はいそいそと出かけた。
結果は、一言で言うと「火が付いた」としか言いようのない状態であった。
まず、懸賞で当てた席なので座席の位置は大きなホールの二階席の後ろの方。豆粒とまではいかないが、無理矢理に豆で表現するなら、殻つきピーナッツ6個分の大きさ程度にしか見えない。これでは、声は聞こえても所作は全くに近いほど分からなかった。その上、トリである人物が、発音を間違えてしまい、完全に噺が一度止まってしまったのである。その人が止まったのは一瞬であったが、その瞬間から噺のオチに至るまで、なんと「立て直しがきかない」状態に陥ってしまった。「頭が真っ白になる」という表現は、まさにこの状態なのかと思った。
大トリを務めるくらいだから、もちろん有名な方である。関西では週に二つか三つのレギュラーで番組においてTVに出ている人でもある。そのような人が、とうとう最後まで素人の私でもはっきりと判るくらい、ガタガタとしか言いようのない噺を披露したのである。
私がここで感じたのは、残念というよりも素直な驚きだった。一門会でトップクラスの噺家でも、失敗はともかく、立て直すことができなくなる…そんな事があるのだという驚きだった。その驚きが私に火をつけたのである。
まず私は、もっと小さなホールで落語がやっていないかを調べた。以前に見たものも、よく考えれば学校行事か何かで行ったもので大きなホールでやっていたのである。そこで市や区の公会堂などを調べると、すぐに見つかった。他にも落語会をいくつか見つけた。だが、私はここでジャズの生演奏の時と同じ轍を踏んでしまった。噺家の名前はわかっても、その人の噺のスタイルがとんと解らないのである。リスクは勿論避けたい。
そんなわけで二の足を踏んだまま、四月も後半になっていた。
その日、私は趣味である神社巡りのため、大阪天満宮に出かけた。そして大阪天満宮の傍らに、上方落語唯一の寄席である「天満天神繁昌亭(てんまてんじんはんじょうてい)」を見つけたのである。本当にすぐ傍にあった。
最初に感じた印象は「小さいな」であった。本当にこんなに小さい建物なんだという…印象であった。私はこの日、大阪天満宮に丸一日に近いほど長居していた。その結果、繁昌亭の前も何度もうろうろと歩いた。そんな中、道の前が掃き清められる様子、シュークリームの差し入れが行われる様子、初老の夫婦が仲良くチケットを買う様子、昼席のために整理番号順に集まる人々を眺めているうちに、とうとう私もチケット購入してしまったのである。
勿論、私はタイトル通り寄席は初体験だ。チケットの買い方もさっぱり分からない。私がその時窓口で、やっとの思い出告げられたのは「K・Sさんが出てる日でお願いします!」という一言だけであった。私が大好きなラジオ番組のパーソナリティーを務められている方である。我ながら何ともスマートでない買い方だと思うが、初めてという事で了承してもらいたい。そしてこれは、K・Sさんにとっては冥利に尽きる買い方であって欲しいな…と勝手に思っていたりもする。
とにもかくにも、こんな調子で私の手元には今一枚のチケットがあるのである。
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