七百話 クナとルシェルの一時

 ここは名もなき町。

 八支流の一つ、サスベリ川の高台に存在する町。

 アルゼの街に比較的近い。

 高台の回廊にある柳通りは、港に通じる坂道もあり常に賑やかだ。


 柳通りには見晴らしのいい酒場を兼ねた妓楼が並ぶ。

 ここを【闇の妓楼町】や【柳の妓楼通り】と呼ぶ。

 

 昼夜問わずに活気のある町だ。


 港と直結した岩階段を上がる売り子と旅人に闇に関わる人々。

 今も享楽の声を出していた眉目秀麗の首環を付けたエルフと人族を連れた女郎が、通りを歩く二人の美女を誘おうと近寄っていく。

 男娼を連れた女郎は、立派な門框を構えた妓楼を指して、


「そこのお二人様、高級男娼も用意していますわ、おいでくださいな」


 と誘いを掛ける。

 その女郎を往なすように片腕を前に出した美女。

 その金髪の美女の名はクナだ。


 シュウヤから、サイデイルの魔術師長の肩書きを得ているクナ。


 闇尾の光魔璉師という極めて稀な大魔術師クラスの戦闘職業を獲得している。

 そのクナの指先と甲には、光魔ルシヴァルの契約の証しがあった。

 レース状に透けている魔手袋から覗かせる銀色の葉が目立つ。

 

 ルシヴァルの紋章樹に生える銀色の葉は彼女のお気に入りでもあるが……。


 <筆頭従者長選ばれし眷属>ではないことに、他の眷属たちに対して僅かに苛立ちを覚えていた。

 が、そんな僅かな苛立ちも、手袋から覗くルシヴァルの紋章樹に生える銀色の葉を……見るたびに、シュウヤを思い出しては体が上気するお陰で押さえられていた。


 同時にmuskの香りが強まるのは、彼女の秘密でもある。

 シュウヤが傍にいる場合は、興奮した作用で鼻血を流すこともあった。

 回復スキルを持つクナではあるが、シュウヤの労る心を感じて、嬉しさと愛を知ったクナ自身の体が、自然に覚えていた副作用でもあった。


 その魔族クシャナーンの体を持つクナが、


「……必要ありませんことよ。そこの坊やたちの祖チン軍団では、到底わたしたちを満足させることは不可能! ね、ルシェル♪」


 と、隣のルシェルに向け、わざとらしく話を振った。


「クナ、いきなり何を……」

「あら、つれないわねぇ。シュウヤ様の、特技でもある、おっぱい研究会の御業の百五十八手で、乳房をぷるるんと揺らしつつ、ぷっくりと乳首を隆起させながら派手に果てたことはお忘れになったのかしら」


 クナは怪しく語る。

 双眸の魔眼を煌めかせていた。

 翠眉のルシェルは恥ずかしそうに俯いてから周囲の視線を見て、頬を朱に染める。


 そして、キッと視線を鋭くさせてから、


「……覚えてるわよ! まったく、ここで言うことでは……あるのかしら……」

「ふふ、怒らないの! 可愛いお弟子ちゃん。さ、行きましょう。仕事の前に、知り合いの店で、美味しい物を食べながらショーでも見学しましょうか」

「はい、闇のリストの一人と【天凜の月】のお仕事とは、対人の戦闘は……」

「あなたは<従者長>の一人。もうただの人族ではないのよ」


 二人はそう語らいつつ誘いがシツコイ女郎と男娼たちを無視して、先を進む。


「ふぅ、売り子の誘いもあるし、ここは危険な町ですね。でも、転移陣の素材入手の前に寄り道をしていいの?」

「シュウヤ様に影響を受けすぎ、真面目すぎるのはだめよ。楽しむ時は楽しむの」

「別にシュウヤさんに影響は……」

「いいから、あ、待って、珍しい存在の闇商人を発見」

「え?」

「ここで待ってて、急いで【崖臓魔蟲ノ闇】の店で買い物してくるから」


 と、クナは小汚い鱗人カラムニアンの店主が経営する露天商に向かい、店主と怪しく語る。

 蛙の足を紐にした怪しい魔力を内包している瓶を沢山買ってはルシェルの下に戻る。


 その瓶をルシェルに一つ手渡した。


「これは?」

「魔力を生む細胞を活性化させることが可能な、高濃度のトレビルの魔薬」

「……見た目が怖いし、危険そうな魔薬よね」

「そうね。テンテンデューティーよりは美味しくないけど、飲めば飲むほど効果は高まる。それと、お腹を下すから食事とショーを楽しんで、セーフハウスに戻ってから飲んだほうがいい」

「……分かったわ」


 強くなるならと……。

 ルシェルはアイテムボックスに、そのトレビルの魔薬を仕舞う。

 そうして、二人は食事処の『ドン・マクマホンとスペルホガンド』に到着し店内に入った。

 

 食事処『ドン・マクマホンとスペルホガンド』は繁華街にある中規模の店。

 食事とショーに定評がある。

 店内の左に並ぶテーブルでは魚系の料理を食べる客が多い。


 右側の客は、二人の小男が格闘で戦うショーを見ていた。

 

 歓声やら笑い声が混じる。

 クナはルシェルを誘い、左のテーブル席に座る。

 

 クナを知る大柄のマスターが近寄っていく。

 

「クナか。ひさしぶりだな」

「はい、マスター。早速だけど、注文よ。アルゼサーモンの漬物と、鮫肌の極めモノ、ぺぺトスの焼き肉、ドン・カルマーネの大酒を二つ」

「了解、まっとけ」


 と、あっさりと対応する大柄のマスターは踵を返す。

 刹那、ルシェルは、そのマスターの尻を見て、驚く。


 その大柄のマスターは、珍しい蛸魚人。

 下半身には人族と同じく足が二つあるのだが、蛸の足が尻尾のように生えていたからだ。

 南マハハイム地方では珍しい種族だろう。

 東のローデリア海でも、数が少ない部類の種族だ。


「……クナさん、珍しいマスターと知り合いなのですね」

「当然よ。ここのセーフハウスは利用頻度が高かったからね。そして、魔族やハイム海と関わる種族が多いサーマリア王国に近い八支流の〝名もなき町〟。だから珍しい種族が多いわよ。そこの、楽しげな格闘のショーを行っている小人たちも、珍しい種族」

「背の低い人族かドワーフっぽいですが」

「そう、一見はね。ふざけているようで、あの二人はかなりの強者。種族はティルガンの風魚人。ティルガンの風魔印が額に刻まれている。ドワーフよりも力が強いし、優れた風魔法も使える。珍しい種族よ。【ティルガン大海賊団】の、何番隊か忘れたけど隊長だったはず」

「大海賊団……」


 ルシェルは思案気に呟く。

 【紅虎の嵐】として長く冒険者活動を続けていた彼女も大海賊団の中でも有名な【十二大海賊団】の名はいくつか知っている。

 

 クナは頷いて、


「そう、十二大海賊団の一つ。シュウヤ様が潰した人形遣いと同じ種族なのかも知れない。と、推測できるけど、さすがに違うかな」

「サイデイルに兵士を出したオセベリアの伯爵の部下、あの小人が、実は生きていて、黒幕かも知れないと聞きましたが」

「そうなのよ。わたしが言うのもアレだけど、オセベリア王国も裏が多い、特に王都の権力争いは地方の領主の領土にも関わるから……」

「シュウヤさんは、そういう権力話を聞くと、いやぁな顔をしますね」

「そうなのよねぇ。人族なんて踏み潰していいのに」

「……クナさん、素でそう言うことは……だれが見て聞いているか……」


 ルシェルがそう呟くとカードゲームに興じている数人が魔力をわざとらしく外に漏らす。

 近くのカウンターで酒を飲む鱗人カラムニアン虎獣人ラゼールと人族も、酒を飲む手を止めては、顔を見合わせる。


 クナはそれを知っているかのように怪しく微笑むと、


「あら、ごめんなさい。でもね、わたしは人族に対しての憎しみを忘れていないから」

「そうですが、あまり悪逆無道を極めると、シュウヤさんに嫌われますよ?」

「ふふ、ルシェルちゃん、シュウヤ様の一面しか見ていないのねぇ。【天凜の月】の盟主は、優しさだけでは務まりませんよ。悪には悪の流儀があるんですから」

「……わたしだって冒険者として匪賊との戦い、人族との命の奪い合いは経験しています」

「うん、分かっているわ。だからこそ、この町とこの『ドン・マクマホンとスペルホガンド』に来たんですから」

「楽しむだけではないと?」


 クナが妖艶に微笑む。

 すると、ウェイターの背後。クナとルシェルの背後の丸い机でカードを楽しむ人物が反応。

 特徴的な帽子を深く被って表情が窺えない男はチラッとクナとルシェルを見る。

 ローブで装備は隠れているが、胸元には、髑髏に槍が刺さっている形のブローチがあった。


「そう。ヒストアンとの待ち合わせの前に、その案件でね……ふふ」


 ルシェルは、そう喋るクナの表情を見て『聞いていた話と違うけど……』と、訝しむ。

 クナはルシェルに目配せしてから、振り向く。


「そこの、竜を殺すことが趣味の鱗人カラムニアン? 黙ってわたしたちの話を聞いているの?」


 ルシェルは『え?』と、そのカードゲームに興じていた鱗人カラムニアンを見る。


 そのルシェルとクナの二人は【名もなき町】での一時を楽しむように思われたが……。

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