五百八話 ナナ

 助けを求める声はもう聞こえないが、聞こえたからには調べようか……。

 <無影歩>は戦いの途中で切った。

 だから助けを呼ぶ者が俺たちの存在に気付いた?


 しかし、<夢闇祝>を誘いとした罠の可能性も。

 ゼレナードが残した切り札とか……。

 実は俺が倒した白色の貴婦人は分身だったとか?

 クナという実例があるだけに様々なことが脳裏に浮かぶ。


 月狼環ノ槍と第三の腕が持つ聖槍アロステを持ちながら相棒から降りた――。

 床は固い。

 大理石系かそれに近い素材の床。

 奥に向かう前に巨人が棲んでいそうな部屋の探索をしようか。


 と、右を見る――うひゃ――。

 壁に赤ん坊の死体が貼り付いていた。

 ――アドホックか?

 思わず<血魔力>を纏うようにして魔闘術も意識した。

 違った、赤ん坊はアドホックじゃない。

 しかも、赤ん坊は人族ではなかった。

 頭部は巨大な口のような穴がある。

 頭部の輪郭と合う口。

 腕と足はない。人族ではなく違う種族らしい。

 

 上顎の歯茎が腐った果肉のようだ。

 ぶよぶよ、と、蠢きそうだ。

 黄ばんだ歯が何とも……。 

 背中は壁の一部と一体化しているようだ。

 しかし、驚いたぁと、第三の腕が握る聖槍アロステを向ける。

 

 遅れて左腕が握る月狼環ノ槍の穂先も――。

 

 その赤ん坊へと差し向けた。

 アロステの十字矛の穂先と月狼環ノ槍の大刀の穂先がクロスしながら擦れる。


 その刹那――。

 穂先から神々しい閃光が走った。

 眩しい――。

 眩しさに呼応するように月狼環ノ槍が何かを求めるような、意味があるように振動を強めてくる。


 柄の魔法文字も点滅していた。


「げぇぇ」


 うは、赤ん坊生きていたのかよ!

 月狼環ノ槍の震えを押さえながら赤ん坊を凝視。 

 胸にできたばかりの火傷の線が生々しい……。

 火傷を受けた赤ん坊から魔力が溢れた。


 ――攻撃か?


「にゃご」


 俺が身構えたように警戒したロロディーヌ。

 複数の触手を体から伸ばして、赤ん坊を攻撃しようと――。

 急ぎ『待て!』と意思を込めつつ――。

 首の片側と繋がっているロロディーヌの触手を引っ張って止めた。


「まだ早い」


 喋りでも伝えた。

 相棒は赤ん坊に対する攻撃は止めた。


 瞬間――赤ん坊の焼けただれた体から小さい刻印のようなモノが浮かぶ。

 浮かんだモノは二つの桃をついばむ烏の絵?

 軍隊のようなマークにも見えるが……。


 すると、喉の表面に血管が浮く。

 その血管が脈打つ喉がぷっくりと膨れて、巨大な口から黒い藻のようなモノが溢れ出た。


 赤ん坊自身が窒息死しそうな勢いで出る藻の群れ。

 藻は赤ん坊を一瞬で包むと――逆再生を起こしながら赤ん坊の巨大な口の中に収斂して消えた。


 赤ん坊の火傷は消えている。

 小さい魔印も消えていた。


 口から出した藻は回復スキルか回復魔法か。

 アドホックも妖雲のようなモノを出していた。

 ゼレナードは<器雲>と呼んでいたが。


 赤ん坊はアドホックの親戚とか?

 アドホックは次元の穴のような場所へと吸い込まれそうになった時、グレイホーク家と喋っていたっけ。


 しかし、魔力の質は桁違いにアドホックの方が高い。

 この赤ん坊とアドホックに関係はないだろう。

 ただの生きた魔道具かもしれない。


 その赤ん坊の巨大な口が不気味に歪みながら動く。


「ウケケケ」


 と不気味に嗤う。

 上顎に生えている疎らで黄ばんだ歯は気持ち悪い。

 舌と下顎に歯はない、と思ったところで蜘蛛の巨大な脚

のようなモノが口の奥から現れる。


 ――藻の次は蜘蛛かよ。


「ん、にゃご!」


 蜘蛛の多脚を見て興奮した相棒。

 口だけ女のような赤ん坊に対抗を示すように、口を上下に拡げたロロディーヌ。


 喉ちんこの付近から濃密な魔力を含んだ炎を覗かせると、口先に炎の塊を生み出す。


 炎は今までと違う馬バージョンだからか?


 口先に浮かんでいるように漂う炎の塊……。

 小さい炎が集結した塊だ。


 塊の中の密度がまた凄い……。


 その塊の中で炎が激しく乱雑に回転している。

 それは独自なカオス理論でもあるかのように複雑に絡みながら小さい炎の殻を無数に構築し互いに押し合い反発し潰し合いながら外枠の小さい炎の塊を形成していた。


 相棒も樹海やゼレナード戦で経験を積んだからな。

 新しい炎の技を獲得したのかもしれない。

 俺の考えと同調するようにロロディーヌは無数の触手を宙に漂わせていく。


 宙に列として並び揃う触手群。

 触手たちの姿は壮観だ。


 特殊な炎の塊を飛ばす発射するための銃身という感じだ。

 ある種の電磁砲の砲身にも見える。


 すこぶるカッコイイ。


「ウケケ、攻撃するつもりか、黒馬……」

「ガルルゥ」


 相棒は赤ん坊を威嚇している。


 念のため、また触手手綱を引っ張る。

 攻撃はしないと相棒のことを信じているが、


「ロロ、それをぶっ放すなよ」


 と、告げた。

 特殊な炎の塊を発射すれば被害はこの部屋だけでは済みそうにないからだ。

 炎の威力や方向を操作できると相棒は自信があるんだろう。


 大丈夫だと考えているのかもしれないが……。

 俺は分からない。


 ヘルメがいたら怖がってしまう。

 しかし、そのヘルメも、この蜘蛛脚を出している口といい……。


 口だけの頭部を持つ赤ん坊の姿を見たらなんて喋るだろうか。


 ま、精霊な彼女は地上で戦争中。

 仲間のフォローと樹海火災の鎮火で忙しい。


 神獣ロロの口先にあった炎の塊が突然消えたことが分かったらしい赤ん坊は、また、


「ウケケ……」


 と、また変な嗤い声を発した。

 口内の蜘蛛の多脚は動く。


 しかし、俺たちに攻撃はしてこなかった。


 ……見た目は怖すぎるが……。

 クリシュナ魔道具店で売っていた品物を思い出した。


 摩訶不思議な物はこの世に無数にある。


 ま、できる限りはアイムフレンドリーを貫く。

 こいつと話ができるのなら適度な交渉を試してから奥に向かうとしよう。


 まずは、


「……お前は何だ?」


 と聞いた。


「小僧、無礼な奴だ」

「小僧って、歳ではないが……」


 丁寧に対応するのもアレか。


「……で、お前は悪夢の女神の何かか? 名前はあるのか?」

「悪夢ではない。名は魔朧デロウビンだ。小僧」


 俺を小僧か。

 見た目と違い中身はご老人だろうか?


 頭部は輪郭に沿う形の口だけだし目は見当たらないが。

 ひょっとして歯茎の中に小さい眼球でもあるのか?


「にゃ~」


 興味深そうな表情だった黒馬ロロが鳴く。

 魔朧デロウビンに対して触手を伸ばそうとした。


「……黒馬よ、俺に触れると呪うぞ」


 体を震わせたデロウビンは相棒のことを脅してきた。

 デロウビンは相棒に恐怖を感じたから脅したのだと思うが……。


 今の状況で脅しちゃだめだろう。


 ということで、フレンドリーは終了――。


「呪いは攻撃と同じだ。相棒を呪ったらお前を潰す」

「……ま、待て、流れというモノが」

「知らねぇよ。小僧・・さんよ。この振動している月狼環ノ槍も獲物が欲しいようだ。お前の胴体にも、もう一つの特大な穴・・・・を作るか?」


 と、本当にさっきから振動が続く月狼環ノ槍の穂先を、小さい胴体に差し向けた。

 デロウビンに脅しをかける。


「……ふん、穴とはな、皮肉のつもりか小僧・・

「どう考えてもお前のほうが小僧・・で、赤ん坊だろうが」

「……確かに」


 素直に納得したデロウビン。


 俺はズコッと転けそうになった。

 心では転けていた。


 畳をバンッ! 

 と手で叩く柔道の受け身を意識しちゃったがな。


 気を取り直して黒馬のロロディーヌの首下を撫でてから、


「で、魔朧デロウビンさんは、どうしてここに」

「見ての通り、ゼレナードのコレクションであり、道具だ」


 道具か、同情はしない。


「そうか、んじゃな」

「え?」


 <夢闇祝>の痛みはさっきから続いている。

 このデロウビンについて多少の興味はあるが、さよならだ。


 本当に何かの呪いを寄越すかもしれない。

 関わるのは止めておこう。

 それに〝無魔の手袋〟と〝夢追いの袋〟はない。

 オフィーリアが持っている。


 この部屋の何処かにも、ひょっとしたらあるのかもしれないが……。


 まだ戦いは収束していない。

 ユイたちの戦いも気になるからな。


 そして、俺はもう、ココッブルゥンドズゥ様にラブ。

 いや、呪われている存在……。


 と、心でボケを入れながら、


「……相棒、行こうか」


 と、相棒に語る。


「ンン、にゃ」


 相棒は、俺に同意するや否や黒豹の姿に体を縮ませていく。

 長い尻尾がピンと立ったから好奇心が高まっているようだ。


「――待て、俺を解放することが流れだろうよ」

「俺は気まぐれな槍使いだからな、済まん」

「なにぃ~。俺は南の大国セブンフォリアの軍閥貴族が泣いて死ぬほど欲しがった魔朧使いなのだぞ! 成れの果てだが……」

「へぇ」


 と、声を出しながら片手を泳がせた。

 聞いたことがある国の名前だが、今は興味がない。

 

 足下にいる相棒を見て、


「ロロ、助けを求めた声が聞こえた方は、この棚を越えた先だ」


 と、喋りながら第三の腕が握る聖槍アロステを消去した。


「にゃお~」


 黒豹ロロは棚の端に両前足を引っ掛けてぶら下がっていた。


「相棒、その棚を押し倒して進むのはダメだ。向こう側の声の主が潰れて死んでしまう」


 巨大な棚を登り始めていた黒豹ロロに注意。

 黒豹ロロは俺の注意を聞いて、


「にゃ」


 と、鳴きながら両耳をピクピクと動かす。

 身を捻って着地するロロディーヌ。

 といっても巨大な棚は天井と繋がった強度のある棚だ。


 黒豹ロロの体重で押してもビクともしないと思う。

 その着地した相棒に、


「素直に迂回しよう」


 と喋りながら狭い幅の通路が続く右に腕を向けた。

 そして、あっちから迂回だぞ。

 と、気持ちを込めたアイコンタクトを黒豹ロロに送る。


 相棒は頷くように瞼をゆっくりと閉じてから開く。

 黒豹ロロもアイコンタクトをしてくれた。


 そして、すぐにプイッと頭部を逸らした黒豹ロロは華麗にターン。

 そのまま奥にむかわなかった――。

 自分の尻尾が気になったのか、突如、回り始める。


 鼻息を荒くして興奮したロロディーヌ。

 自らの尻尾を本格的な速度で追い掛けていく。


 ぐるぐると回った黒豹ロロさん……。

 賢い子だと思った直後に、ネコ科としての習性が出るから、また可愛いが。


「ロロ、目が回っても知らないからな……」

「ンン、にゃ」

「目的はあっちだ」

「にゃお~」


 酔っ払いのように足下が少しふらついた黒豹ロロは棚にぶつかっていた。

 そのまま走らずに、ゆっくりと、トコトコと歩き出す。


 ピンと立った長い尻尾と太股の黒毛ちゃんは可愛い。


 そんな黒豹ロロの行動に反応したわけじゃないと思うが、第三の腕と化しているイモリザ&ピュリン&ツアンは何かを伝えるように腕として動く。

 ツアンなら色々と参考になることを告げてくれるかもしれない。


 との思いから、


「イモリザ、ツアンを出せ」


 と、指示した直後――。

 右肘の第三の腕が、ぼとりと床に落ちつつ黄金芋虫ゴールドセキュリオンに変身。

 刹那、その黄金芋虫ゴールドセキュリオンは「ピュイ♪」と鳴いてからツアンの姿に変身した。


 片膝を地面につけた状態のツアン。

 パッと髪を揺らしつつ視線を向けてくる。

 嬉しそうだ。


「――旦那、イモリザから聞きました。ゼレナード討伐おめでとうございます」

「おう。それより今はここだ。立ってくれ」

「はい――」


 ツアンは流し目でデロウビンを見る。

 頭部が口のデロウビンは、まさに口と疎らに生えた歯と蜘蛛たちで感情を表す。


 何処か寂しげに見えた。

 不思議な妖怪風で気持ち悪さもあるが……。

 可愛いかもしれない……。


 だが、今は放っておく。


「声が聞こえた奥に向かう」

「承知……不気味なアイテムばかりの部屋ですね……」


 ツアンは刀身が光るククリ刃を手に召喚しながら語る。

 俺は頷きながら、


「そうだな。ゼレナードを倒したとはいえ、まだ、何か潜んでいるかもしれない」

「はい、用心します」

「にゃ~、にゃん」


 ツアンの言葉を聞いた相棒が反応。

 触手をツアンの背中と足に向ける。


 その触手の平たい先端で、ツアンの背中を太鼓のように叩いて相棒なりの挨拶を実行していた。


 ぽんぽこぽんといったような可愛い挨拶を受けたツアンも「神獣様、相変わらず、ご立派なお姿ですね」とか、なんとか言いながらついてくる。


 声が聞こえてきた場所は図書館にあるような巨大な棚の向こう側だ。

 

 突き当たりを迂回しようと、巨大な棚と収納のある壁の間を歩く。

 相棒とツアンを連れて歩く棚と壁の間は、巨大な銅像の下を歩いているようにも感じた。

 

 迷宮の十の邪神像たちを思い出す。

 奥に誘われるような導線を進むと、背後から、


「なんてやろうだ。俺を無視するなんて、普通は……」


 と、壁と繋がるデロウビンの愚痴が聞こえた。


 知らんがな。


 右側の壁と棚に飾られ収納されているアイテム群には様々なモノがある。

 魔石、鉱石、鋼鉄インゴット、スクロール、背景に魔法陣が描かれた地図のようなモノ、巨大な魔石、魔法袋、ガラス容器類、巨大な壺、巨大な器、巨大なネックレス、巨大な指輪、巨大な鉄棒、巨大な歯ブラシ、巨大な櫛、魔法絵師が装備する額縁、血骨仙女の片眼球のようなモノ、巨大な耳かき棒、巨大な杖、巨大な孫の手、巨大なえっちな棒、ハンモックで蠢く不気味なスライム、巨大な歯磨き粉? 巨大饅頭、トマトのような腐ったモノ、短剣、種族コレクションのような頭蓋骨群、紐が連なっている魅惑的な衣裳と、無数だ。


 と、見学しながら歩いていると――。

 突然、細長い腕が飛び出てきた――。

 うあっ――と驚いて反応。

 思わずその飛び出てきた細長い腕を右手で払う――。

 感触は軽い。

 引き戻る腕の表面には魔印が刻まれてある。


 飛び出た細長い腕は小さい額縁に納まった油絵だった。

 その油絵に描かれているのは鉄の檻から外に出ようとする女性。


 鉄格子の間から実際に片腕が外に飛び出ている。

 俺が叩いた片腕はもう縮んでいたが……。

 デロウビンの赤ん坊といい、ここはお化け屋敷かよ。


 棚の最上段には巨大ガラス瓶が見える。

 理科の実験室にあるような瓶だ。

 その瓶の中には、ホルマリン漬けか不明だが、巨大な魔力の札が貼られた人族の脳が入っていた。


 何かの液体は、脳を揺らすように、ぶくぶくと泡を立てている。

 色々なアイテムといい、気色悪いところだ。


 ツアンは縮んだ片腕を見て、


「呪いの品ですね、触らない方が」


 とか言うし……。


「触られてしまったがな」


 ツッコミを入れながら右腕を見る。

 アイテムボックスの腕環と長袖のハルホンクの衣裳を確認した。

 肘の一部は第三の腕が出し入れ可能な穴の位置に魔竜王の防具を喰った証しとしての防具金具が付いている。


 棚の端に到着した。


「この向こうから少女の声が聞こえた」

「旦那、戦うことになったら俺に活躍の場をくださいよ」

「そりゃ分からない。ロロもいるし」

「ンン」


 黒豹ロロは長い尻尾と触手でツアンを叩く。

 ツアンは転けそうになっていた。


「ロロ、遊びは終わりにしろ」


 と話をしながら巨大な棚の側板に左肩を当てる。

 この側板は分厚いし、幅もある。


 さて、声の正体が、はたして罠じゃないのか……。

 と、側板に体重をかけながら移動し、端から頭を傾け、そっと奥を覗く。


 奥には、無数の魔道具が見えた。

 中心に診察台のような長細い台がある。

 その台の上に少女が寝ているようだ。

 

 少女は俺の《闇枷グラバインド》のような魔法を手首に受けている。

 胴体も闇枷だ。

 腰の一部と足首には神々しい鎖のようなモノが嵌まって拘束を受けていた。


 鎖は四方の魔法陣の上にある蝋燭から伸びている。


 まずは、手前の小さい卓を注視。

 卓の上に、魔法の杖、短剣、鉗子、銀トレイ、銀粉、綿面、目玉が無数に入った巨大な杯、火の点滅をくり返す蝋燭が置かれてあった。


 実験に用いた物か。幽体のようなゴブリンも漂う。

 手術中だったようだな――え?

 何で幽体がいるんだよ。

 と、二度見した――。


 右にぷかぷかと浮く半透明のゴブリンを凝視した直後――。

 ――俺に気付く幽体ゴブリン。

 半透明ながらも、ギョッとした表情を浮かべて全身を震わせながら俺を指し……。


 『うひゃぁぁ』と悲鳴の思念を寄越して消える。


 思念を寄越すゴブリン幽体さん、消えるなよ。

 魔素の残り香のような軌跡が残るが反応は壁のほうに残るのみ。


 ……幽体ゴブリンが消えた壁のような場所を見ながら……。

 キッシュの妹さんを思い出す。

 同時にサイデイルの防衛戦でキッシュと一緒に戦った半透明オークの姿も思い出した。


 ヘルメの糧となった強敵だった。

 しかし、消えた幽体ゴブリンさんが、この囚われている少女と関係するのか?


 この実験部屋の何かに宿る存在なのか?

 まだ分からない。その瞬間――。


「……助けて、ここから出して……」


 診察台に乗った少女は俺の存在に気付く。

 微かに声を発しながら頭部をこちら側に動かそうとしていることが分かる。


 その少女を観察しつつ手術室兼実験室を把握しようと観察していく。

 ツアンと相棒も同様だ。


 首の……チリチリする反応がどうも気になった。

 敵か、罠か、<夢闇祝>の反応が強まる。


 少し不安を覚えた。


 だからといって悪夢の女神ヴァーミナからの接触らしきモノはないが……。


 首を叩いて、流れた血を自分の体内に戻す。

 周囲は皆に任せて少女を凝視した。


 髪の形は寝ているから不明。

 色は、漆黒色の主張が強い。

 やや蜂蜜色がアクセントとなっているようだ。


 髪に細かな装飾があるようだが……。


 人族ではないのかもしれない。

 蜂蜜色の髪は横から耳を越えて後頭部に流れている。


 俺は背後にいたツアンに視線を向けた。

 彼は暗闇に宿っているようなランプと蝋燭群に興味を持ったようだ。


 クリスタルとはまた違う形。

 しかも、遠くに光を運ばないという……。

 揺れながら幻や闇を表現するような不可解な灯りが気になったのだろう。

 ブラックマター、重力が可視化しているような……。


「旦那、あの子を助けるんですね」

「あぁ、そのつもりだが……」

「……罠の可能性は確かにありますね、場所が場所だけに」


 ツアンの視線は厳しい。

 元教会騎士としての経験を生かすように状況を把握しながらの表情だろう。

 その渋い表情に一種のアクセントを作っている出っ歯を見てから、


「……油断はしない」


 と、告げる。頷くツアン。


「見た目は人族のようですが……魔界の神、地底神、荒神、呪神、どの勢力か……」


 ゼレナード専用の生きた魔道具って線もある。


「まずは近寄って話を聞こうか」

「了解。旦那、俺が――」

「おい」


 ツアンはハッとした表情を浮かべて、


「すみません、旦那の気質を考えたら、前衛は出過ぎた真似でした」

「いや、まぁ、ツアンを信用してないわけじゃないが、不意打ちを受けるにしても、ここで攻撃を受けるのは俺の方がいい」

「……はい」


 ツアンの男としての表情を見て、俺は頷く。

 そこで魔察眼、掌握察という基本の偵察を実行しながら月狼環ノ槍の持ち手を短くし<血魔力>を纏った。


 少女を見ながら重心を下げると近づいていく。


 <夢闇祝>の首にある傷痕のようなマークからの反応が強まる。

 その直後――。

 少女の口から液体のような黒いモノが生まれ出た。


 やはり、罠か?

 不気味な黒い液体らしきモノは犬を模る――。

 液体というか黒色の粒とか霧か?

 ま、液体ということにするか。


 俺は俄に月狼環ノ槍で迎撃モーションを取った。 

 左手首の<鎖の因子>のマークから<鎖>を出す。

 月狼環ノ槍に<鎖>を絡ませながら大刀の穂先の上部を這うように移動させた<鎖>を操作――。

 ティアドロップの形をした<鎖>の先端を黒色の犬に向かわせようとした。


 だが、黒色の犬は攻撃をしてこなかった。

 あの黒色の犬は少女を守っている?


 <鎖>を消去。


 すると、狛犬の額の位置に三つの勾玉が浮かぶ。

 この少女が悪夢の女神ヴァーミナの使徒か?


 あの勾玉……クロイツも持っていた。

 <夢闇祝>も反応しているし黒い狛犬のようなモノが悪夢の女神の眷属か。

 巨大な黒兎の存在を思い出す。

 名はシャイサード。


 その額に浮かぶ三つの勾玉から血と闇が混じった魔力波が発せられた。

 その魔力波は俺の首に飛翔してくる。

 ――狙いは俺の<夢闇祝>だろう。


 首の傷が、その魔力波を迎えるように、喜ぶように、どくどくと、血を流して鼓動した。


「にゃ?」


 相棒も不思議そうに魔力の波を見ている。

 迎撃はしなかった。


「ダメよ……ブリちゃん……」


 少女はそう語ると狛犬は身体が崩れ魔力波を止めた。

 液体に変化しながら少女の口の中へと瞬時に収斂する。


 少女は狛犬の魔力の波を攻撃と勘違いをしたようだが……。

 あの魔力波は攻撃ではなかったと思う。


 同じ仲間と何かを結ぶような癒やし系の魔力だった。

 その魔力の波は俺に届かず消えたが。


 囚われている少女の衣服は薄汚れたワンピース。

 と、診察台の上に捕らわれている少女が、


「貴方は……」


 視線を向けながら聞いてくる。


「こんにちは、名はシュウヤです、背後の男はツアン。足下の黒豹はロロディーヌ。通称、ロロです」

「はい。シュウヤさんとツアンさんとロロディーヌちゃんですね。わたしの名はナナ」


 いい子そうだ。

 だが、三つの勾玉を宿したモノを使役している証拠を感じ取る……。

 瞳の色合いの中に漆黒の闇を感じた……。

 

 俺の首にある<夢闇祝>も同意するように血を流す。

 使役か、寄生もあり得るか。


 だが、大本に熱っぽい違うモノもあるようだ。

 闇は闇だが、熱い、何かの闇を感じた。


 何の力か分からない。


 鑑定ではないし感覚的なシックスセンス的なモノだが……ナナからそんな感じを受けた。

 見た目は幼げで、三つ編みが似合いそうな清楚風の可愛らしい少女。

 眼鏡も似合いそうだ。

 

 覇槍ノ魔雄の効果かな。

 <光魔の王笏>やら称号の血魔道ノ理者の効果もあるのかもしれない。

 それとも地下で発動した<霊血の泉>の効果がここまで及んでいる?


 ルッシーは見当たらないから、それはないか。


 そして、ナナは完全にヴァーミナに染まっているわけではないようだ。


 その点では安心する。

 ナロミヴァスという魔人は勘弁だ。


 しかし、未来は分からない。

 邪教の主にだけは成ってほしくないが……。


 そういえばナロミヴァスを倒す時に助けた赤ん坊がいたな……。


 名も知らぬ赤ん坊は母親から愛を受けて無事に育っているだろうか。

 何しろこの世は厳しい。

 ザガ&ボンのように眩しく逞しい家族愛もあるが、どうしようもない辛い現実もある世界だ。


 そんなことを考えながら……。

 月狼環ノ槍を台に立てかけて、ナナに視線を向けた。


「……それじゃ、堅苦しいことはなし、気軽にナナと呼んで話もするが、いいかな」

「はい、こちらこそ。よろしくお願いします」

「それじゃ、助けるとして、動ける?」

「たぶん……」

「了解、それじゃ……」


 相棒とツアンに視線を向ける。

 ロロディーヌはゴブリンの幽体が消えた方角を見続けている。

 ツアンは頷いていた。


「任せてください」


 と、発言しククリの光る刃を蝋燭に当てていた。

 小さい足を拘束している鎖のようなモノは蝋燭と繋がっている。

 神々しい鎖はさすがに切れないだろうし蝋燭ならすぐに切れるだろう。


 俺は『処断しろ』との意味を込めて頷く。


 ツアンは目元を光らせると即座にククリの光る刃で蝋燭を切断。

 切られた蝋燭は床に落ちるとナナの足を拘束していた鎖は消失した。


 ナナは足が動かせるようになった。

 ツアンは忍者が短刀を扱うようにさっと素早く他の蝋燭を切断した。

 あの辺は元闇ギルドっぽい。


 胴体の横の闇枷は、俺が担当した。

 古竜の短剣を使い慎重に闇枷を力で切る。


 ナナの胴体を解放した。


「わぁ――」


 上半身を上げながら喜ぶナナ。

 ミディアムだと思ったが意外に長髪か。

 蜂蜜色に見えたのは髪飾りかな。

 そして、最初は本当に体が動かせるのか不安そうな表情を浮かべていたが、足も指も全部が動くようだ。

 見た感じ健康そのもの、怪我もないようだし、大丈夫そうだな。


 よかった。

 だが、腕を拘束している闇の枷は健在。

 診察台と繋がった闇の枷は古竜の短剣でも切れそうだが、


「ナナ、動くなよ」

「はい」


 バルドークの短剣ではなく、その闇枷には血魔剣を用いた。

 ブゥゥンと音が血魔剣から響く。


 血の音だが……。

 プラズマのごとく燃える十字柄を見たナナとツアンは驚愕したような面を見せる。

 クロスガード風、鍔に一対の刃が生えているような血魔剣だからな。


「それが……吸血王サリナスが使用した……」


 ツアンが、まだ名前を決めていないアーヴィンが作った血魔剣を見て呟いた。

 俺は構わず血魔剣の刃を慎重に闇枷に当てる。


 少女ナナの手首に傷をつけないようにゆっくりと押し当て闇枷を破壊した。

 続いて、もう片方も破壊。


 両腕の拘束が外れたナナ。

 喜びを顕わにしながら――。


「やったぁ~! ありがとう!」


 ナナは診察台を蹴って俺に飛びついてくる。

 胸の感触はレベッカに近い、いや、やや大きいか。


 ま、少女だし当たり前か。

 そんなナナの背中を撫でてあげながら、


「動けるようだな」

「はい」


 と、元気よく返事をするナナ。

 ハルホンクの胸の釦を留める金具に顔を押し当てたら痛いと思うが……。

 ナナは構わず、頬に金具の跡を作りながら、自分の顔を俺の胸に押しつけている。


 そのナナの肩を持つ。

 小さい彼女の身体を離して目を合わせてから、


「俺には仲間、複数の眷属たちがいる。そして、その眷属と仲間たちは、地上と地下で、まだ白色の貴婦人ことゼレナードの勢力と戦い中だ」


 と、現時点の状況を説明。


「え……白色の貴婦人たちと……」


 不安そうだ。

 安心させるか。


「ゼレナードこと白色の貴婦人は倒した、安心しろ」

「ほ、本当に?」

「あぁ」


 ナナは張り詰めた思いを爆発させるように抱きついてくる。


「うああああああああぁぁ――」


 大声をあげながら、俺の背中に手を回そうとしているが、回せず肩を叩くナナ。

 泣いて喜んで泣いている。

 また、ナナの背中を撫でてあげながら、その泣いているナナに状況を説明していった。


 ナナの体重は軽い。

 抱き上げながらツアンに『お前も説明に参加しろ』とアイコンタクトを行う。


 ツアンは、


「え?」


 と、とぼけた面をかましやがった。


「お前に魔煙草をやろうかと思ったが、当分はなしかなぁ」


 と、襟元で泣いているナナ越しにツアンを睨みながら、俺はそう喋りつつ、嗤った。


「え、そんなぁ」

「にゃ~」


 すると、相棒が触手の一つをツアンの頭部に向かわせる。

 彼の頭の毛をわしゃわしゃと崩していった。

 あまり激しく肉球で擦ると、禿げそうだが……。


 さて、ナナはレベッカたちに預けるか。

 幽体ゴブリンも先の口の赤ん坊も、ミスティに報告だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る