三百七十二話 くりすます・いぶ


 丘と丘が眠たげに顔を見合わせている。

 霧が弱まり非常に乾いた空気が漂う。

 植物もメメント葉の代わりにレング葉が生えた一帯に変わる。


 レング葉とは薬草代わりに使える貴重な植物。

 からからに乾いた刈り株と似た植物だ。


 魔霧の渦森の環境はこういった丘が重なる場所だと気候が変動する。


 しかし、霧が覆う天蓋の姿は変わらない。

 不思議な森林地帯。


 乾燥した斜面を上がったところで――。

 窪んだ岩穴からモンスターの頭部が、ぬっと現れる。


 あのモンスターの名はエビシェンス。


 五つの歪な頭蓋を支える細首。

 細首は土気色の分厚い胴体と繋がっている。

 胴体の表面にはほのかな銀色の筋模様が浮かんでいるが、腕がない。

 

 一本の太足だけ。

 だが、指が鈎爪状で蛇のように動くので注意が必要な足爪だ。


 そして、ミスティから、


『出現したら倒してね! 爪と乳首に内臓の一部に、使える素材を幾つも持っているから』


 と中々良い素材を持つモンスターだ。


 素早く翡翠の蛇弓バジュラを構えた。

 翡翠の蛇弓バジュラを持った両手首は透き通った薄緑の靄に覆われている。 


 光る弦を引くと自動的に番われていた緑色の光の矢。


 狙いは、あの歪な頭部……。

 素早く仕留め、回収し、探索に回ろう。

 

 緑に光る矢を放つ――。

 そのまま<速連射>を繰り出した。

 

 三つ、四つ、五つと光の矢はエビシェンスの頭蓋を貫く。頭蓋を撃ち抜かれたエビシェンスはまだ生きていた。

 そんなエビシェンスの分厚い胴体に六つ目の光の矢が突き刺さる。

 刺さった緑色に光っている光の矢から直接、緑色の蛇の群れが円形状に発生すると、それら緑色の蛇がエビシェンスの体の中を泳ぐように侵入し、エビシェンスの体の銀模様を壊すように蛇模様が盛り上がった瞬間、体から閃光が発生し、右半身を中心に爆ぜた。

 バラバラに散ったエビシェンスの塊を視認しながら、血を操作。

 ガドリセスの柄に血と魔力を同時に流した左手を当てたままの前傾姿勢で前進。鞘走る音を全身から感じ取る。

 そのまま、エビシェンスを通り抜けるように血濡れた左手に握った古代邪竜ガドリセスの剣を斜め上へと振り抜く<迅暗血刃>を繰り出す――。


 古代邪竜ガドリセスの剣の切っ先は魔力を得て間合いが伸びゆくまま、宙に弧を描く――。

 光魔ルシヴァルの血と同化したガドリセスの切っ先は形を少し変化させている。

 ――これはユイが得意とする暗刀七天技が一つの<抜刀暗刃>と似ているが、違う。

 ――アズマイル流剣法の抜刀技にわたしの血を混ぜた亜種技。

 古代邪竜ガドリセスの剣を振り抜けた背後でエビシェンスの半身が倒れゆく音が聞こえた。

 切っ先が変形している古代邪竜ガドリセスの剣腹に付着した血を体内に吸い寄せながら振り返った。


 地面に落ちている肉と骨に爆散し斬られた肉塊。

 そこにはエビシェンスの半身だった物も含まれている。

 しかし、半身だけだったとはいえ、あっさりと切断できた。

 血の効果だけではないガドリセスの切れ味は確実に増している。

 

 そのガドリセスの剣を専用の赤燐が美しい鞘に納めた。

 ――ガドリセスの剣唾と鯉口が衝突し微かな魔法を感じさせる金属音が響く。


 形を変えた剣刃だったが、すんなりと鞘に納まっている。

 赤鱗の鞘も生きているように動くこともあるし、やはりガドリセスは凄い武器。

 黒飴水蛇シュガースネークの宝箱から手に入れた黒蛇の刀とは違う。


 エビシェンスの足の解体を始めてから素材を回収。


 そして、周囲を確認……もう夜。

 目印のトリトンのような樹を確認。

 背丈の高い樹から生えている房花の形は錐のようにも感じさせる。


 そこに丘上へと吹き抜ける風が、その樹から生えている房花を揺らす。

 森のざわめきの自然音と房花が木製の打楽器に見えた。

 その花の下には、饅頭型の傘が特徴の乳白色の茸が生えている。

 傘雲にも見える形。あれはミスティから頼まれていた錬王の茸。

 別名、雪茸……。


『雪茸か。綺麗な茸で思い出すな。俺の知る違う世界には、この寒い季節にだけ行われる特別な記念日があるんだ』


 と、話をしてくれたご主人様の姿を思い出す。

 わたしは未知の文化に興味を持ったので聞いていくと……。

 記念日の名は「くりすます」とか「くりすます・いぶ」ということを学ぶ。


 元は「いえす・きりすとの降誕を祝う祭」と教えてくださった。


『宗教の一つだ。戦争、革命、宇宙生命体、人口削減計画のワールドオーダー、遺伝子組み換え原材料、死の錬金術、人工知能、トランスヒューマニズム、恒星間天体「オウムアムア」の宇宙船、フリーメイソン、イルミナティ、「信じるも信じないも貴方しだいです」風な、オカルトと真実と虚構が巧妙に混ざった話は無数にあるが……実は、真実が多い。ま、俺らの国からだと、ただの記念日だ。美味しいケーキを食べて幸せを味わう日。内実は恋人たちの夜という……イブに、夜景の綺麗なレストランで、カップルが食事するというムカつく記念日があるんだ』


 と、オカシナご主人様からチンプンカンプンな内容を教わったが、面白い話だった。


 ダークエルフ社会にも記念日はある。

 森羅月、神羅月、藍羅月、の三週目に、敵対している魔導貴族たちの捕虜を生きたまま切り刻み、その切り取った内臓に魔力を込めジェベオの粉を撒いてから、魔毒の女神ミセア様へと供物として捧げる記念日だ。


 他にも無数に存在する。


 その羽根黒教団たちの本拠の地下沼ソーグにある地下都市ゴレアには、地下沼とは相対的な風花のように舞うゴレアの花羽毛を鑑賞する記念日もあった。


 毒霧と霧が交互に湧き出す地下沼ソーグに浮かぶ大月も見物だが……。

 それを崇める羽根黒教団は【断罪の雷王】や【毒蛇の負】とは違い、ダークエルフの中でも異質な集団だろう。

 

 さらに魔導貴族たちが育て上げた闇虎たちを競わせる虎闘技大会の記念日。

 司祭様が薔薇の鏡を使い、女神様の天恵や啓示を皆に示す記念日。


 その司祭様が敵対する魔導貴族たちにはモンスターと下民男のダークエルフを掛け合わせる秘魔術を行う秘密の日があると聞いたこともある。


 仇を討った第四位魔導貴族ランギバード家にも記念日はあった。

 わたしの親戚たち、従妹たちを下民の男に犯させて殺すという……。


 ……ご主人様から聞いた記念日とは、相容れない残虐な記念日ばかりだ。


 ミスティとハンカイさんに、こういったダークエルフを含めた地下社会のことを説明していたお陰か……。


 死んでいった妹たちの姿と凄惨な暗い記念日たちが脳裏に次々と浮かんでくる。


 そこに冷たい風が頬を打つ。風神セードが怒ったか?

 否、ご主人様が暗い過去より、今の成長を見ろ。

 といった気持ちを送ってくださったのだろう。

 

 風に踊るような前髪を手で押さながら……。

 そんなことを考えていった。


 いい加減に、茸を採取しよう――と、邪魔な木枝の群を赤鱗の鞘に包まれているガドリセスで払いながら、乳白色の茸が生えている場所へ向かった。


 苔が生えている柔らかい地面に片膝を突ける。

 早速、錬王の茸の採取をしていった。



 ◇◇◇◇



 採取を終えたところで、右端の立派な樹を注目した。

 素材ではない……その、形が、ご主人様に見えてしまった。


 ご主人様から頂いた黒光りする特殊戦闘服ごと、少女の肩を抱くような姿勢で、その背丈の高い樹を凝視しながら立ち上がる。

 わたしは多くの死を見てきた。

 人々の生が軽いこの世をただ通り抜けていくだけの無常な日々を経験してきた……。

 そんなダークエルフとして育ったわたしが……。

 こんなにも愛に飢えてしまうなんて……。

 だからこそ、背丈の高い樹木が、ご主人様に思えてしまうほどに淋しいのだ……。


 そんな思いを抱いていると、さらに、あの前に少し垂れた黒葉色の部分が……。

 ご主人様の前髪に見えてしまった。

 自然とその背丈の高い樹に歩み寄り、樹肌に頬を寄せてしまう……。

 温もりを得ようと目蓋を閉じていた。


 しかし、当然のように樹皮はざらつき、冷たい。

 焦げた臭いが鼻につく……ただの樹木の皮でしかない。


 夜風が寒い。はぁ、何をしているんだ。

 もうミスティたちの小屋に帰ろう。


 両足に重さを感じながら樹から離れ、柔らかい地面を踏みしめて魔霧の渦森を進む。

 行けども行けども見渡す限り霧と森が続く渦森。ミスティの血の匂いを辿ると、青白い石塔が見えてきた。


 そこに血文字が、


『よっ、ヴィーネ、元気にしてるか?』


 あ、ご主人様だ! こ、これが、


『再臨か!』

『な、なんだいきなり……』


 し、しまった。

 嬉しさのあまり、くりすますの話を思い出してしまった。

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