二百三十六話 正義の神シャファ

 ――澄んだ風が身を突き抜ける。


 清らかな風に変わったような気がした。

 陰気臭い地下の空気とは全く違う。

 

 通り沿いに神殿らしき建物が並んだ地域に入ったからかもしれない。

 いつもより街の灯りがこぼれるように感じられ美しく見えた。


 そして、混雑した通りに突入。

 馬獅子型黒猫ロロディーヌは速度を落とした。


 右手に、牛のルンガを連れて、羊、豚、ヤギ、鶏、フェイジョアのような果物を大量に運んでいる農民が神殿の中へ入っていくのが見える。


「家畜を連れていくのは……」

「あそこは大地の神ガイアの神殿だから、良く育つように、冬を乗り越えられるように神官からお祈りを授けてもらおうとしているのだろう」


 イヴァンカが丁寧に説明をしてくれた。

 今は徒歩ペースだが、地下から脱出し都市を駆けていた馬獅子型黒猫ロロディーヌの速度は並みじゃない。

 そんなジェットコースターの速度を味わっても……彼女は平気だったようだ。


「……へぇ、あの量となると、畜舎的なのもあるんだな」

「そうだな。貴族、商家にもよると思うが、優秀な領主の場合は農民のことを考え、種蒔き以外、畜産でも儲けられるような政策は取っていると思うぞ。魔法使いを豊富に抱える貴族の場合は土地の開発が楽だからな、ここは大都市なので、あの農民は大商家の出者かもしれないが」


 なるほど。社会勉強になる。

 俺が住む武術街近辺の通りにも、新鮮な卵売りはちょくちょく見かけるし、物流もしっかりしているということか。

 しかし、ナロミヴァスとは雲泥の差だな。

 ノブレスオブリージュを地で行く優秀な貴族領主も存在するんだ。


 というか普通の領主なら改善しようと考え動くか。


 そうして、背後に座るイヴァンカの声に案内されながら幾つかあった三辻の通りを曲がったところで、


「ここだ。止まってくれ」


 彼女の声でロロディーヌの四肢の動きが止まる。


 跨いでいた長い足をあげて華麗に降りるイヴァンカ。

 ドレスからの長足、ノーパンなので凄いものが視れたが、黙っていた。


 正義の神シャファの戦巫女イヴァンカ。


 彼女は金色の髪を靡かせて、しなやかな蝋石のような腕を上方へ伸ばし指す。


「他と比べたら小さいが、あそこにあるのがシャファ神殿だ」


 上り階段の先に立つ神殿。

 両端にシンメトリーの黄土色のパルテノン柱が目立つ。

 柱と壁はホルカーにありそうな石材だが、屋根は木材だった。


 あまり金は掛かっていないようにも見える。

 そんなことを考えながら馬獅子型黒猫ロロディーヌから降りた。


 その直後、姿をいつもの子猫サイズに戻すロロ。


「ン、にゃ」


 小声で鳴きながら、いつものように肩に乗ってきた。

 肩に可愛らしい体重を感じながら、周りを確認――。


 階段前の通りでは、他の宗教家たちの活動が行われていた。


 聴衆が多く色々な人々でごった返している。

 近くでは説教台に乗った人物が声を発していた。


 ――わたしたちはみな、顔おおいなしに、神の栄光を鏡に映すように見つつ栄光から栄光へと、神と同じ姿に変えられていく。


 どの神様か、宗派か分からないが、光神ルロディスの遍歴説教師か?


 その説教を聞いている若い男女が居た。

 男も女もまだ二十ぐらいに見える。

 彼らは、お互いを抱き寄せ、うっとりと接触感を楽しみながら、説教師の言葉を聞いていた。

 女の頬が痩せた青年の肩の上にある。青年は、女の背に腕を廻していた。

 身なりは麻布で貧しいが、それ故に幸せそうにも見える。

 この地域に暮らす若者たちだろうか、人生で二度と与えられることのない若い時代の青春という奴だな。


 この通り沿いには、正義の神シャファを祭る神殿の他にも……色々な神殿、宗教施設がある。


 黒ずくめの修道女の集団が通っていたり、


「【黒魔女教団】よ。大砂漠、【古代遺跡ムーゴ】がある町から来たのかしら?」

「メファーラとキュルハとルロディス様を信奉する……」

「し、黙って、【ダモアヌンの魔女】たちに目をつけられたらどうするのよ」

「す、すまん、気付いたらメファーラの祠に埋められてしまうところだった」


 全身黒ずくめの修道女たちは、何か陰口を叩かれているが……。


 ん? その中の一人、金色の色彩が怪しく光る修道女と目が合った。

 口紅が黒いので、何か妖艶な雰囲気の修道女だ。

 胸も大きく感じるのはコルセット系の黒ベルトのせいだろう。


 少し笑ったような気がしたが、視線を外して周りを見ていく。


 御香が焚かれたエリアもあるし、梵鐘が撞木で打ち鳴らされている寺院もある。

 経文をそらんじている声を響かせている坊さん集団。

 リンゴ、柿、などの果物を諸手に持ち掲げている信者の人だかりが、半円を描くように宗教指導者を取り囲んでいるところもあった。


 あれも宗教儀式の一環なのだろうか。


「――こっちだ、来てくれ」


 イヴァンカが、周囲の様子をきょろきょろと頭を動かして窺っている俺を誘う。


「わかりました」


 と、軽く返事をすると、彼女は軽やかな足取りで石の階段を上がっていった。

 ドレスのノースリーブの両肩から生々しい傷跡が見えているが、彼女は気にしていないようだ。

 そのイヴァンカが階段を上っている最中に振り向いてきた。


 横の髪は耳が隠れるような長さ、前髪は綺麗に揃っている。

 細い金眉に、綺麗な碧眼の瞳。筋通った高鼻を持つ。


 唇は少し厚めだけど、薄紅色で艶がある。

 左下には黶もあった。その唇が動く――。


「――騎乗中では黙っていたが、未だかつて体験したことのない速度であった。今は可愛らしい黒猫の姿となっているが凄い獣魔なのだな」


 眼輪筋が広がったイヴァンカの紺碧の瞳は肩に乗っている黒猫ロロへ注がれていた。

 分かる。あの速度を味わったのなら、印象深くもなるだろう。


「にゃあ」


 黒猫ロロは『何だニャ』的に返事をしていた。


「……シュウヤ殿は獣魔師系、使い魔系、を扱う技術が相当なモノなのだと想像できる。北にあるゴルディクス大砂漠を超えた遠き北東の地にあると言われている【魔法都市エルンスト】で学ばれたのだろうか? それとも遠き東にある【牙城独立都市レリック】を越えたフジク連邦に属する東方伝わる聖獣の一族とか……または、未知の封印された魔道具とか?」


 魔法都市はどっか聞いたかもしれないが、レリック地方の聖獣……。

 魔竜王戦で散ったアゾーラと聖獣パウのことを思い出す。


「……学んでいないですし、魔道具でもないです。ロロは聖獣というか神獣ですよ」

「なんと! アーメフの人神様の御伽噺に登場するような伝説の存在なのか……しかし、学んでいない? どういうことか……理解ができぬが、とにかく、獣魔、使い魔、の世界も奥が深いのだな?」


 人神様が、何か分からないが、彼女は感心するように頷くと問うてきた。

 俺は従魔師じゃないんだけど。ま、細かいことはいいか。


「……奥は深いとは思いますが……実のところ、従魔師ではないのです。分かるのは、俺の魂を分けた唯一無二の相棒ということだけ」

「そうか、それほどの……」


 真実を話したが、彼女にとっては意味を違って捉えたかもしれない。


「ン、にゃおん」


 肩でドヤ顔を披露する黒猫ロロさん。

 溌剌としたイヴァンカは、どや顔の黒猫ロロの顔を見て、眼輪筋を弛緩させる。

 目尻を細めて母性が刺激されたように、パッと向日葵を感じさせる笑顔を向けていた。


 彼女は楽し気にそのままシャファ神殿の入口へ顔を向けると、階段を上がりきる。


 俺も黒猫ロロを肩に乗せ階段を上がっていった。

 入口は壁面から続くアーチ状の通路がある石の門だ。扉はない。

 壁には罅が入っているところもあるが、丸みを帯びた雷文模様、綺麗だ。


 石通路が敷かれ、確りした分厚い石壁で構成されている。

 規模的に小さいが、神殿の雰囲気はあった。

 水の神アクレシスを祭っていた場所を思い出す。


 そして、石が敷き詰められた通路をイヴァンカと共に進み、中へ歩いていった。


「イヴァンカ様がお帰りになられたっ」

「大変だ、怪我を……」

「戦巫女様!」

「まさか、大草原でのモンスターに? 狩りにしては随分と遅いので心配しましたぞ」

「その腕、顔の傷は……恰好も大胆なドレスに……」

「イヴァンカ様が傷を……」


 信者たちが寄り添ってくる。

 人気があるんだな。確かにレベッカと同じ美しい黄金髪を持つ美人の巨乳さんだし、頷ける。


「大丈夫だ。こんなのは、ただの傷跡にすぎぬ」


 イヴァンカは強気の言葉だ。生贄台に乗せられていた女性とは思えない。

 寄ってくる信者たちと問答をしていく。


 そんな信者たちをかき分けるように現れた人物が居た。


「イヴァンカ……本当によかった」


 白髪のポニーテールで顔に皺が目立つ御婆さんの言葉。

 御婆さんはダルマティカ風の衣装を着ている。お偉いさんかも。

 

 威厳はある。


「デリアン司祭様。帰りが遅れて申し訳ないです。とある邪教に捕まり……」


 イヴァンカはそこから捕まったこと、俺に助けられたことを司祭に話していく。


「そうだったのですか、辛い目に……」


 司祭は頷いて彼女を抱きしめていた。

 お母さん的存在なのかな?



「そこの御仁、イヴァンカをお救い頂きありがとうございました」

「いえいえ」

「デリアン司祭様、愛情の恵祭からのアリア教の大司教とのお付き合いがあったはずでは……」

「はい、それは……」


 デリアン司祭と戦巫女イヴァンカは宗教の話をしていった。


 あまり興味ないので、そこで視線を逸らし、周りを見ていく。

 それなりに居るようだが、神殿の中はあまり広くないな……質素だ。

 太い柱の先にある中央に大きな神像が設置されてある。


 間近で見ようと、その神像へ近付いていく。


 兜は被っていない。仮面のような物で目元が覆われる。

 鎖帷子のような鎧を着込み、右手に長剣と左手にホプロンのような円盾を持つ男象だった。


 シャファは女神じゃないのか。

 あの仮面はカッコいいかもしれない……と、考えながら神像を見ていく。


『閣下、神像から魔素が溢れ水神アクレシス様に似た質の神々しさを感じます』

『正義の神シャファも、喜んでいるのかもしれないな』

『はい』


 ヘルメの念話の通り、シャファの神像から魔素を感じる。

 ぷかぷかと子精霊デボンチッチも浮いているので、ここは神域だろう。


 その瞬間、シャファ神像から更なる神気めいた魔素が大量に溢れ出す。


『――その方、我が戦巫女を悪しき穢れから救った者だな?』


 脳内に直接、神々しい分厚いエコー声が響く。

 おぉ、正義の神シャファか。

 しかも、神像の仮面が光る? その仮面から光が伸びて、プロジェクターのように、中空へ幻影の映像が広がる。


 その幻影の姿は目の前にある神像の姿とは、似ても似つかない……。

 全身が白き金属で、金属だけど、薄い折り紙が何枚も重なったように身体が構成されている。


 ……かろうじて人型といえるのか? 


 頭部はくねり曲がった釣り針型の白き金属で、頭髪を意味するのか、金属の表面から火が放たれ、その火炎で頭上に環が作られている。


 ブーさん的な黄金環に似ていた。

 そういえば、異質な姿も何かブーさんに近い?


 両肩は何重にも撓んだ白金属が肩鎧を表す。

 その肩の中心にはポールショルダーを意味するのか、魔力が無限に格納されていそうな金色の球体が埋め込まれてある。

 すげぇ……胴体は滑らかな甲殻の白金属。金属生命体のような感じだ。

 腕と足は、白き金属が細く重なり作られたクレーンのような長腕。


 それでいて、指が金色に輝いている。ゴールドフィンガーだ。


「ンン、にゃあ~」


 肩に居た黒猫ロロは俺に触れているからか、不思議な幻影に反応していた。


 見えているらしい。

 その幻影に呆気に取られながら、


『……はい、偶然、ですが救いました』


 と、脳内で答えていく。

 正義の神シャファと見られる幻影は少し動いた。


『――素直な英雄よ。気に入った。其方の心にある正義。残虐めいた闇の思考と闇と呪いの神気には、我と相反するところも多い。が……我の戦巫女を救う、その心根は、底知れぬ水音と神聖なる光を帯びた優しき樹木めいたモノを感じる……不思議な光と闇を併せ持つ混沌なる英雄なのだな。まっこと、面白き男よ……』


『正義の神シャファ様は、閣下の水属性が深いことを指摘しているのですね。嬉しいです』


 精霊ヘルメは水のことを神に指摘されたのが、嬉しかったようだ。

 声質がいつもより高い。


 しかし、正義の神シャファは俺の心を見ているんだな。

 少し、恥ずかしい。


『……ここは神域である。心の一部を感じ取るのは当たり前である。だが、英雄の力は……視れぬ。我の神域でこのようなことが起こるのは、数千、数万年のうちに一度あるかどうかだ……』


 正義の神シャファの力でも見れないか。

 心の一部を感じ取れるなら、見られてもおかしくはないと思うけど……。


 その辺の理屈はよく分からない。

 ま、アシュラー神の巫女、使徒か、カザネでさえ、俺の力は一部しか見れないようだったから、そういうモノなんだろう。


『ハハハハ、アシュラーでさえ視れぬのなら、我が視れる訳がない』


 笑っているのか、幻影の頭部に口はないから、違和感がある。


『はい、神様』

『違和感か、我の、真の姿を視れているとは、驚きだ……混沌なる英雄よ。名を聞いておこう』


 曲がった曲線金属の頭部をくねらせる正義の神シャファ。

 神が指摘するように周りは騒ぎを起こしていない。


 この映像は誰一人気付いていないのか。

 司祭の婆さんと、戦巫女のイヴァンカも見れていない。

 黒猫ロロとヘルメのみか。


 それより俺の名前か……。


『……シュウヤ・カガリ』

『シュウヤ・カガリ。混沌なる英雄よ。しかと、覚えたぞ……。そして、我の戦巫女を救った大いなる行動に報いよう。素晴らしき正義であった。褒美だ……受け取るがいい――』


 重厚な声と幻影が消えた瞬間、正義の神シャファ神像の仮面がより強く輝く。

 その輝いた仮面の下に覗かせている双眸から、眩い虹色の光線が発生した。


 おお、これは洗礼を受ける感じか。


 どんとこい! と、期待して十字架を作るように両腕を左右に広げて待つ。

 虹を抱いてやる……しかし虹色の光線は俺には降りてこなかった。


 虹の光線は可笑しな行動をする俺をせせら笑うように宙へ弧を描く。

 そのまま神殿の中に虹を作るように曲がり落ちると、神殿内に飾られてあったリュートへ直撃していた。

 光を浴びたリュートは七色に輝くと、自動的に中空へ持ち上がり、俺のもとに運ばれてくる。


 これか。面白い……。

 十字架のごとく広げていた腕をさり気なくもとに戻しながら、そのぷかぷかと浮かんでいるリュートを掴み受け取った。

 手に取ると七色から銀色へ移り変わってゆく。


 その一連の不可思議な光景に、司祭の婆さんとイヴァンカを含めた信者たちが、その場で膝を突いてシャファ神像にお祈りを始めていた。


 さすがに、この物理的な現象は見えていたらしい。


『それは正義のリュート。我の力の一部が奏でられるであろう、去らばだ』


 シャファは脳内に語りかけてきた。

 そして、その言葉が終ると同時に神像の仮面から光が消失。神気も薄れていく。


「――正義の神シャファ様がご降臨なされたのか!」


 神気が薄れると、立ち上がったイヴァンカが興奮して詰め寄ってきた。


「そうみたいですね。貴女を救った礼とのこと」

「「おぉぉぉぉぉぉ」」


 信者たちが俺の言葉を聞いて、どよめく。

 イヴァンカも変な風に腕を曲げたリアクションを見せて、反応していた。


 見事なおっぱいが揺れている。


「神遺物の誕生をこの目で見るとは……」

「奇跡か……」

「なんということだ」


「素晴らしい……」


 ポニーテールの司祭の婆さんも呟いていた。

 瞳を輝かせて、また、拝み出していく。


「わぁ、奇跡を初めて見た。リュートが飛んで輝いていたよ、お姉ちゃん」

「うん、わたしたちもあのお兄さんに肖りましょう。お祈りをするのよ」


 信者、一般人の信仰者たちは祈りのポーズを取りながらも、リュートを一心不乱に見つめて語る。


「……祝福を受けたリュート……」


 目を潤ませたイヴァンカが呟く。


 俺はギターが弾ける。この楽器を使い、吟遊詩人にでもなって周囲を癒すのに使えということか?

 分からないが、後で少し弾いてみるか……。


「正義の神シャファ様……」


 司祭、他の信者たちと同様に、イヴァンカも手を合わせて、リュートに対してお祈りを始める。


「……それでは、神様からお礼を受け取りましたし……」


 帰ろうかな。


「――あ、いや、待たれよ!」


 うひゃ、イヴァンカは祈りを中断させて、慌てて遮ってきた。

 その反応の良さに、少し吃驚。


「……はい」

「わたしもお礼がしたいのだ! 部屋に案内するから、少しだけ待っててくれ――」


 彼女は必死めいた表情で語ると、隅にある部屋扉が複数並ぶところへ向かっていった。

 個人部屋の掃除でもするらしい。気にしないでもいいのに。


 さて、彼女を待つとして、一応シャファ神へお祈りを。


 神様、ミミとレムロナが無事で良かったです。

 シャファ神のお陰かもしれません。ありがとう。


 音楽を奏でるアイテムも頂きましたありがとう。

 仏教スタイルで手を合わせてからお辞儀をしといた。


 そこで、選ばれし眷属たちに血文字でメッセージを送る。


 『返事は不要、悪夢の使徒の首謀者とママニを追っていた化物は始末した。後で、屋敷に帰る』


 ついでに、神殿の周りを見学。


 太い柱には羊飼い的な動物を操る男たちと、剣と盾を持つ女性たちが整列している絵が刻まれてある。

 横壁の一部には大きいレリーフもあった。

 頭部に仮面、腕に剣と盾、胴体に鎧を着こむ神像が後光を発しているのを、周りの人々が祈っている光景が刻まれてある。


 神殿の中央に置かれたシャファの絵か。


 その近くにある石椅子には信者と思われる人々も居た。

 田舎っぽい丸顔の老人、含羞の笑みを浮かべている婆さんが数人。

 浮浪者らしき男性たちも居る。


 俺の手にもつリュートを見つめてくるが、寄ってくることはしなかった。


 そこに、


 ――正義の神よ、わたしはここに生まれました、この通り沿いで育ち、勉強をしました。辛い仕事もしてきました。卑しい仕事も……ですが、差別された人、心にも精神にも障害を負った人々、彼らと共に語り、その重荷を背負うことができるようになったとき、自分の愚かさと、わたしのなんでもない浅はかな言動が、差別された人々のことを苦しめてきたことを知りました。どうか、正義の神よ、わたしに、人の痛みと苦しみの分かる深い愛を与えてください。


 リュートの影響か、女性が大きな声で祈りを捧げている。


 ――正義の神様。わたしたちは砂漠都市を巡る行商で生きています。特殊な植木と水は、もうじき完売です。後は仕入れの時間です。この南マハハイムの行商も上手くいきますように。

 ――正義の神さまぁ。お姉ちゃんと無事に行商ができますよーに。


「よーし。これでお祈りは終了。メイ、他の神様たちの神殿巡りをしながら、ここでしか売ってないお守りと小道具の特産品を仕入れるわよ」

「うん、わかった」


 小麦色の肌が輝くように美しいエルフ姉妹の少女たちだ。

 その他にも、幸せを願う祈り、健康を願う祈りを捧げている人々が居る。


「にゃあ?」


 肩に居た黒猫ロロが不思議そうに祈っている光景を見て鳴いていた。

 そんな様子を見ていると、


「――シュウヤ殿、お待たせした。こっちの部屋だ。来てくれ」


 イヴァンカが戻ってきた。

 金色の髪は揺れて口の端に引っかかっているのを直す仕草をしている。


 そういう何気ない動作が、ドキッとする。


 でも、司祭とは話してないのに、内部の部屋に入っていいのかな?


「……司祭様が祈ったまま動いていないけど、いいのかな?」

「デリアン司祭様はあーなったら、まず動かない。大丈夫だ」

「そうなんだ」


 シャファのリュートを持ち、彼女の背中を見ながら神殿の右奥へ進む。

 扉を開けて部屋の中に入った。

 他にも扉はあるので、何人もこの神殿で暮らしているようだ。


 柾目の短い板の間の廊下を歩いて奥に進む。


 間仕切りされてない一つの部屋に着く。

 ここがイヴァンカの部屋か。中央には無垢なテーブル。


 木窓から光が差すテーブルの上には、花朝の日をうらうようにツツジのような白花が挿してある瓶と、果物が乗せられた皿が置かれてある。


 四つ木椅子と、左に食材、調味料が豊富にある台所、右に本棚と箪笥の家具、奥に綺麗な布カーテンが掛かった敷居と寝台があった。


 右の箪笥家具の上には、畳まれた女性の革服、紐類、下着が嵩張るように乗っている。

 壁にはドリームキャッチャー的な飾りがあったが、魔力は感じない。


 住みやすそうな部屋だ。


「にゃあぁ」


 黒猫ロロは部屋を探索したいのか、肩から跳躍。

 床に降り立つと、鼻をくんくんさせながら歩いていく。


 黒猫ロロがくんくんしている理由は、香かな? 新しく焚かれたのかいい匂いだ。

 あ、出っ張りの隅っこに頬を擦っている。

 黒猫ロロは匂いつけ作業か。


 この部屋はわたしのものとアピール。縄張りだな。

 他の猫が住んでいたら喧嘩になりそうだが……。


 そんなことを考えていると、


「……そこの椅子に座ってくれ」


 イヴァンカに勧められた。


「はい」


 女性の部屋なので少し緊張。

 可愛らしい座布団が乗せられてある椅子に座る。


「……ふふ、もう敬語はよしてくれ、命の恩人なのだからな」

「了解、落ち着いた雰囲気のある、いい部屋だな」

「そうみえるか? ありがとう」


 隣に座った彼女の笑顔に釣られて、俺も笑顔を返す。

 女性部屋はミア以来か? ……少し緊張を解す、意味も込めて、


「……部屋に招かれた記念に、このリュートで一曲プレゼントするよ」


 俺は吟遊詩人にでもなったように、正義の神シャファから貰ったリュートの弦を確認する。


「おぉぉ、神のリュートを弾けるのか、だから、シャファ様は……」


 興奮したイヴァンカは、俺の手に持っていた祝福されたリュートを興味深く見つめていく。

 その視線を受けながらリュートの音を調べることを続けていった。


 指が一本増えているんで、弦がもう一本増えても大丈夫だな……。


 音ズレはない。爪弾くだけで心地よい音が出た。

 夢のような朧な昔の追憶を篩にかけながら弾いていく。

 

 情趣を詠み、軽く歌った。


『閣下の渋い声……美しい音色で、痺れちゃいます』


 ヘルメから脳内でそんなことを呟かれたが、照れるので無視。


 リュートからは、正義の神シャファに祝福された音色が響く。

 更に、波動を感じさせる虹色の魔力がリュートから無数の糸のように現れる。


 糸はオーロラのように展開。

 俺とイヴァンカを祝福するように不思議な魔力カーテンに包まれた。


 ……これには驚いた。

 スキルを獲得したわけじゃないから、この楽器の力だろう。


 温かい気持ちに包まれながら、正義の神に祝福されたリュートを弾き終える。

 リュートから滲み出ていた虹色の糸魔力も同時に消失した。


「……感動だ」


 隣で聴いていたイヴァンカは瞳から涙を流しながら口を動かす。


「……言葉では言い現せない、淡い感動が胸に染み入る。素晴らしい音色と歌であった……そして、身体が温かい。辛い記憶が浄化されていく心境だ」


 泣かせるつもりはなかったが、彼女の頬には大粒の涙が伝っている……。

 思わず、その涙を親指で拭いていた。

 その頬にも傷跡が残っている……。


「……この楽器のお陰だ」


 虹色の糸魔力が彼女の心の糸に触れたのかもしれない。


「音色といい、優しいのだな……シャファ神もシュウヤ殿だからこそ、そのリュートを託したのだろう……」

「正義の神にそう思われたのなら、光栄だ」


 イヴァンカは俺の顔をジッと見つめてくる。


「救われた時から、思っていたのだが……シュウヤ殿の瞳は引き込まれる……」


 彼女は叙情の顔を浮かべた。

 碧色と金色が混在した瞳が神々しい。戦巫女の所以かもしれない。


「……イヴァンカも綺麗な瞳だ」


 そして、彼女の金髪についていた絹糸の屑を取ってあげた。


「あ、あぁ……」


 頬に笑窪を浮かべるイヴァンカ。そのまま見つめ合う。


 彼女から無垢な情熱を感じる。リュート効果かもしれないが、朴念仁ではないので、その彼女の熱い気持ちは伝わってきた。


 久しぶりの美人さんからの誘いだ。断るつもりはない。


 自然と、互いの唇を見つめてから、また、視線を合わせ合う。

 ふるいつきたいほどの色香を湛えたイヴァンカの顔。

 互いに顔を寄せ合い、唇を重ねていた。

 彼女の高鼻が、俺の鼻に擦れるのを感じながら、上唇を優しく愛撫。

 唇の全体を意識したところで、顔を離した。


「……シュウヤ殿……普段はこんなことはしない。その、男をここに案内したのは、初めてなのだ」


 イヴァンカは照れて、リリシズム溢れる女々しい態度を否定するように顔を逸らす。

 それがまた、いじらしく可愛い。


「……もしや、わたしは、この魔力が宿るドレスを着ているから、大胆なことを……?」


 イヴァンカは自身の濡れた唇を触りながら、照れて恥ずかしそうに呟く。

 彼女にあげた服はクナのものだから、何か欲情を加速させる効果でもあったのかもしれない。


「服……確かにその服も綺麗だが、イヴァンカがあっての服だと思うぞ」

「……わたしは、無骨な女で、傷が多い」


 身体に受けた傷、いや、心の赤剥けた傷のことを気にしているようだ。

 聖花の透水珠で彼女の傷を治すことも可能だが……。


「そんなことはない――」


 傷跡が残るが、優美な手つきを見せるイヴァンカの腕を掴み、抱き寄せた。

 彼女も俺の胸元に顔を埋めながらぎゅっと抱きしめてくる。


「ありがとう……シュウヤ。このまま、あの嫌なことを忘れさせてくれ」


 そこからの言葉はいらなかった。

 もう一度キスを行い、掌から溢れる柔らかい乳房を両手で愛おしむように撫でながら優しく抱いていく。

 互いに、甘い香りと欲情が交じり合い、徐々に激しい狂乱のごとき愛撫に没入。濃密な色と匂いが溶け合うような逢瀬となった。


 黒猫ロロディーヌが、呆れるくらいか分からないが、情事を繰り返す。


 美人なイヴァンカとフルスロットルした後。

 彼女は安心したのか、先に寝てしまった。

 気丈に振る舞っていたが……疲れもあったんだろう。

 彼女の辛い記憶が、少しでも癒されることを切に願う……。

 そして、正義の神の贈り物のリュートをアイテムボックスへ仕舞い、寝ているイヴァンカを起こさないように神殿から外へ出た。


「ロロ、帰るぞ」

「にゃおん」


 そのままロロディーヌに乗り屋敷へ向かう。


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