二十四話 主無き地×魔霧の渦森×暗殺者※

 春の季節の涼しい風を満喫しながら、焼かれた家や廃墟といった戦争の痕が色濃く残る小さい街や村々を通り、西や南へとポポブムを進めていく。


 遭遇したモンスターはゴブリンを見かける程度。

 あまりモンスターとは出会わなかった。


 空に巨大クラゲが浮いてるのを見かけたぐらいで、地上のモンスターは少ないようだ。

 空に浮かぶ巨大クラゲの姿に突っ込みたくなるが、なんというか、不可思議な物を実際に見ると……簡単に受け入れちゃうんだよね。


 しかし、モンスターの代わりといっちゃなんだが……。

 この辺りは盗賊が多く、治安が悪い。


 あの渋いおやっさんの言葉通り。


 まぁ、しょうがないのかもな。

 この辺りの宿場街には冒険者ギルドがない。

 あるのは襤褸の民家、汚い酒場、小さい金物屋、質屋と安宿があるぐらいで、纏まった金は稼げそうもない。

 アキレス師匠から貰った金貨を崩そうにも、換金できそうな店もなかった。


 そもそも、この辺りの街や村では金貨の話ができる雰囲気ではない。


 村の表通りでは喧嘩や窃盗が日常茶飯事だし、少し路地裏にいくと、争っている場面にもよく遭遇した。

 大人だけでなく子供の死体を見つけた時は……動揺したもんだ。

 なんせ人の死体、しかも、殺されたっぽい死体が放置されているのは初めて見たからだ。


 その死体について周辺の人に尋ねても、まったくの知らんぷりだし。


 〝あんたは男爵家の役人かい? 〟

 〝ふーん〟〝あぁ、死んでたね〟

 〝……しらねぇよ〟〝おめぇはなんなんだ? 〟


 とかだからな……。

 風が吹けば桶屋が儲かる。

 と言うが、棺桶を作る商会もここじゃ儲からないな。


 成仏しそうもないが、片手で祈っといた。

 厳しいね、この世は……俺がエルフの領域から出た辺りとは雲泥の差だ。

 だからまぁ、この辺り限定の話なんだろうけど。

 ――なぁ?

 と、珍しくポポブムから降りて近くを歩いていた黒猫ロロを見る。

 黒猫ロロは歩きながら「にゃ?」 と軽く鳴いてからポポブムの後頭部に乗った。


 そんな治安の悪い街道だが、商売人たちは商魂逞しく冒険者を伴って集団で通り抜けていくことがこの辺りじゃ当たり前の光景らしい。

 俺のような一人と一匹での旅人は珍しいようだ。

 そして、旅人にも例外なく盗賊たちは襲いかかってくる。


 ――当然の如く俺にも襲いかかってきた。


 掛かる火の粉を払うように盗賊共を倒し気絶させて放置、逃走を繰り返した。

 そんな街道を通る商隊やそれを守る冒険者たちは、襲い掛かってくる盗賊たちから身を守るため、夜間にひっそりと進むことが多い。


 しかし、盗賊たちにとってはそんなことは関係ない。

 昼だろうが夜だろうが、標的を見つけると、跳梁跋扈ちょうりょうばっこを繰り返し略奪する、やりたい放題だった。


 それは凄惨を極めるやり方。


 盗賊団は襲った商人や老馭者だけでなく、女、子供、それらを守る冒険者たちを見逃さずに必ず殺していた。


 ……酷い。男爵領と聞いたが、主無き地としか思えん。

 冒険者より盗賊のほうが強いとは、どういうことだよ。


 曇り空と重なり陰鬱な気分でポポブムを進めて街道から続く小高い丘に辿りついた時、更に呆れる光景が目に入ってきた。


 丘の上にあった大木の枝に何体も首吊り死体がぶら下がっていたのだ。

 唖然とする。こないだ町中でみた子供の死体はほんの序の口に過ぎなかったんだと。


 改めて、この残酷な世界を認識した。


 わざわざこんな高い枝に吊るすなんて……百舌鳥もずの早贄じゃあるまいし、みせしめのつもりなんだろうか。


 盗賊ではなく匪賊だな。

 最初は見逃していたけど、こうなったら、甘い考えは完全に捨てるか。


 匪賊たちの行動に憤慨だ。

 魔素を探り匪賊たちの行動をチェックしていく。


 匪賊たちの行動は目立っていたので、すぐに辿ることができた。

 彼らの背後から気付かれずに尾行を行い追い掛ける。俺は襲撃できる位置で匪賊が動くのを少し待った。


 そして、匪賊たちが動き出す。

 どうやら匪賊たちのグループは隊商を狙うようだ。


 俺は急襲する形でその匪賊たちへ襲いかかる。


 この時……俺は初めて意識して人を殺した。

 やっちまった感、後悔などは一瞬で通りすぎていく。


 というか、人殺しは良くないと分かるが、嫌悪感はまったくない。

 むしろ餌としか感じられないのは、やはり俺が化け物となった証拠だろう。

 そして、俺には血が必要だし、最後にはヴァンパイア系らしく、匪賊の一人を生け捕りにした。


 非道な匪賊共には同じ非道で返してやろう。


 残酷だが……ここは異世界。


 現実だ。


 匪賊の生き残りを木に張り付け、実験を開始する。


 正直、人間、人族の血は旨かった。

 血の吸いすぎに注意しながら、少しずつ血を吸い上げる。


 果たして血を吸ったこの人族には何か害があるのか?

 そんな疑問を持ちながら血を吸う。

 首筋に咬み痕が付いた。人族の血を吸っても美味しさを味わうだけで血の欲求ってのは感じもしない。


 薬物的なトリップもないので一安心。

 いや、美味しさを感じる時点でヤバイだろ?


 と内心突っ込むが、これは感じるんだから仕方ないと納得。

 俺が血について思考を巡らせていると、途中から黒猫ロロも参加。豹の姿になると、爪を立てながら匪賊の男へ近寄ってゆく。

 噛み付くようにわざと口を広げ牙を見せつけていた。

 匪賊の男は怯えて失神してしまう。


 それからも少しずつ血を吸い、暫く放置。

 一日経っても匪賊の男には何にも変化なし。


 血を吸われて時間が経てば眷族けんぞくに変わるとかグールになるとか化け物に変身するとか、映画や小説にあるような出来事は一切ない。

 二日、三日と、いくら時間をかけても、普通の人族のまま。


 ついでに匪賊の男に何故ここらで暴れ回っていたのか質問してみた。


 匪賊の集団の名は【ドルデビ団】のバルトの一味だそうで。

 裏には【王都ファダイク】で有名な大手の闇ギルド【ノクターの誓い】がいるらしい。


 俺たちだけじゃねぇんだぞ。

 他にもこういった腐った連中は多いのさ。


 と、盗人にも三分の理あり的に偉そうに語っていた。


 更に【レフテン王国】、【サーマリア王国】、【オセベリア王国】の貴族や一部の騎士団、兵長クラスへ賄賂を贈り情報を得ている奴等もいれば、野盗の中でも組織が肥大化して、追放された貴族の氏族を抱え込んだりしている巨大グループも存在している。


 っと、得意気に語っていた。

 そんな調子でピーチクパーチクと気軽にしゃべるしゃべる。


 <吸魂>にある強催眠効果が効いたらしい。

 それに恒久スキルの<真祖の力>も関係しているのかな? 

 匪賊の男は催眠術にかかった訳ではなく、ちゃんと意識を持って話していた。


 だから本当の事だろう。

 ま、こいつの話は簡単に想像できる。


 役人なんてもんは、なにかしらの腐敗があるもんだ。

 そこからも話は続く。


 【ファダイク】⇔【ヘカトレイル】⇔【ホルカーバム】⇔【ペルネーテ】⇔【グロムハイム】といった都市間はハイム川黄金ルートと呼ばれていて、船を使った海運業者だけでなく陸の商隊も街道を使い、山ほど商隊が通るんだとか。


 これのことか。

 渋い親父が話していたのは。


 特にこの辺りは【魔霧の渦森】が存在し、街道も限られるので襲いやすく、更に【王都ファダイク】と【城塞都市ヘカトレイル】の間は【レフテン王国】と【オセベリア王国】の国境を跨ぐので、尚更ここらの区間は襲いやすいらしい。


 戦争後は色々と各国の騎士団も動きが鈍い。

 しかし、モンスターには気を付けなきゃならんけどな? と、盗賊の男は汚い乱杭歯を見せて軽い口調で話す。


 その言葉に俺は、『常にモンスターを狩れるほどの強さがあるのであれば、冒険者でもやってればいいのに』と言ったら、


『俺らは冒険者から膿のように出た腐った連中なのさ。普通の冒険者では金回りが悪いんだよ。力さえあればのしあがれる方が単純で良いのさ。力があるスキルに酔い、血に酔い、殺しに酔ってるんだよ。血で血を洗う人族の屑なのさ』


「それに、モンスターが少なく安全な街道になればなるほど、商人が通り経済が活性化して物価が安くなる。ま、旨味が増える分、ライバルも増えるがな? けけけ……」


 ……話を聞いていると、一部の商人とかと結託している可能性も考えられる。

 盗賊共の殆どが元冒険者や元兵隊に元傭兵で構成されているようだ。


 ま、人生色々……あるな。

 あまり深くは聞かなかった。


 他にも、俺の恒久スキルの<眷族の宗主>により血を分けて忠実な配下が作れる。

 それを試したくなったが、どうせ部下にするなら美人な女で、なおかつ有能なのが良いと思ったので止めておく。


 咬み痕は匪賊の男が持っていたポーションを飲ませてやると、すぐに消えた。


 まぁ殺すつもりだから、意味はないが。


 最後には血を吸い上げて殺した。

 匪賊の男は干からびて骨になり、消えていく。


  <吸魂>により魂を奪い取った。


 スカッとした爽快感を味わう。


 だが、正直、心境は複雑だったり。

 ま、激しい戦闘中ならいざ知らず、捕らえて人を殺すのは、匪賊といえど、多少は良心の呵責があったってことか。


 こうして、旅を続けながらも、<分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>、掌握察、<隠身ハイド>を使って黒猫ロロと共に盗賊や匪賊たちを急襲、殲滅していく。

 今日も商隊を襲っていた盗賊たちを殲滅して、俺は休憩を取っていた。


 ステータスをチェック。


 名前:シュウヤ・カガリ

 年齢:22

 称号:神獣を従エシ者

 種族:光魔ルシヴァル

 戦闘職業:魔槍使い:鎖使い:魔法使い見習い

 筋力18.2→18.8敏捷19.3→19.8体力17.4→18.0魔力22.2→22.9器用17.2→18.0精神23.1→23.4運11.0

 状態:平穏

 

 ずっと前に仮面を着けた殺し屋たちや、今もだが、盗賊たちを殺したことで少しだけ能力値がアップしたようだ。


 そこでステータスを消す。


 盗賊や死んだ商人たちが残した金や荷物を吟味して自分の物にしていたので貨幣が貯まってきた。

 助けた商人からも金を貰ったので、金貨、銀貨、大銅貨と鞍の袋や魔法袋は少し重くなっている。あまり重いのは嫌だからすぐに金は返したが、その助けた商人たちからこのまま商隊に残って護衛してくれとか言われた。が、丁重に断った。


 俺はそもそも冒険者にも成ってないしな。

 そうして西へ西へと進む。


 男爵領を通りすぎ、いつの間にか子爵領に入っていた。

 通る宿場町や村宿の食事を楽しみ、小さい背嚢や乾燥肉に女を買ったりと、散財して遊ぶ。


 そんな調子で道楽貴族のように楽しく旅を続けていく。だが、盗賊たちが次々と襲いかかってくるのはどこの宿場町も変わらない。

 その都度返り討ちにして殲滅していく。


 そして、とある宿場町の酒場で食事を楽しんでいると、隣の席で酒をついでいる小豆色のワンピースを着る酌婦から、変な噂を聞くことになった。


「ソレグ、あなたも槍使いよね?」

「そうだ。それがどうした?」

「最近ね、コムテズ男爵領で治安が良くなったのよ。なんでも槍使いと黒猫、黒狼連れの槍使い、黒猫連れの狼が、盗賊たちを狙って現れているんですって。ほら、あそこのやさぐれた人たちも噂してたし」


 ん? 俺たちのことか? だが、最後の黒猫連れの狼に、思わず飲んでいた酒を鼻や口から吐き出すところだった。


「あぁ、それは聞いたぜ、男爵も噂を聞いて探しているとか。だけど、その噂の主はすぐに旅立つようで、その土地を離れちまうんだとよ」

「そうみたいねぇ。見てみたい。わたしのところにも来てくれないかしら……実はあなただったら良いのに」

「かかか、実は本当にオレ様だったりしたらどうするんだ?」

「えぇ、なわけないでしょう。バカねぇ」


 う~ん、やはり俺とロロの事だろうけど……。


 なんか、傑作時代劇の名が頭に過る。

 だが、決して俺は時代劇に出てくるような子供連れの侍ではないんだぞ、と一人突っ込みたくなったのを自重して、その店から急ぎ退席した。


 そんな噂話を気にせずに、意気揚々と宿場町を過ぎて進んでいたが……。


 街道を進み自然豊かな山林を進んでいると、いつの間にか街道から逸れてしまったようで、霧が濃くなり森が繁って岩場がある場所に来てしまっていた。


 寂れたところだ。

 俺がそこを通ると、不吉の兆しなのか、朽ちた岩場に止まっていたカラスたちが鳴き声をあげて一斉に飛び去っていく。


 何かが起きる前触れか? しかし、ここ、小さい山かな? 霧で見にくいが、谷があるところまで進んでしまったらしい。


 こう霧が濃いとな……ん?

 あ、もしかして、ここが魔霧のなんたらとかいう場所か?


 そんな疑問を抱いていると、背後に魔素の反応を確認。


 ――ポポブムを急ぎ走らせる。


 さっきまでいた場所を――刀が斬っていた。


 刀の持ち手は女の手。おぉ、あの時の女だ。

 あの時の仮面は被っていない。俺が言ったからか?

 まぁ、何にせよ……あの時の美人な殺し屋、ユイだ。


 ユイは刀を両手に持ったままだ。

 返り血を浴びたのか、血の汚れをあちこちに付けている。

 ん、怪我を負っているのか。左肩は黒い外套が破れ、そこから血が滲んでいるのが見えた。


 目は虚ろで、表情は翳りを見せている。


「よう、ひさしぶり。仮面は外しているな。だが、綺麗な顔が汚れているぞ? 怪我も負っているようだし、疲れているんじゃないのか?」

「……」

「また黙りか?」


 久し振りに俺の前に現れたユイだったが、問いに答えようとはせず、無表情の沈黙。


 冷たい眼差しを向けてくる。

 すると、突然ユイの瞳が変化を始めた。


 黒曜石のような瞳が灰色から銀白色になり、また黒色に戻る。

 瞳の色が目まぐるしく変化し、揺らめく光芒の瞳となった。

 また、瞳の中に銀白色の小さい点が無数に現れては消えていく。

 空から雪が舞い散るようで美しく幻想的な瞳だった。

 が、やがて雪で一面が真っ白になったような白い眼と成った。


 銀を帯びた不思議な双眸。


 それは冷徹な殺し屋が宿すには勿体無い、美しい瞳だった。


「にゃぁ」


 黒猫ロロも不思議そうに顔を傾げて、その瞳を見て鳴いていた。


 だが、そんな猫声にも反応せずか……瞳の色が変わっているが、こないだのような鋭い殺気はない。


「どうした? そんなに俺の顔を見て――っと」


 ユイの刀を防ぎ――金属音が響く。

 いきなりの飛び斬りかよ。


 俺は黒槍を横へ薙ぎ払い、防いだ刀を振り払う。

 この辺りは霧が濃いままだったが、ユイに構ってはいられないので、ポポブムの腹を蹴り、霧の先に進んで逃げることにした。


 しかし、ついたところは崖の上。行き止まりだ。

 しょうがなくポポブムから降りる。


 危ないな。こんな霧じゃ、崖があるとは中々気付かないぞ。

 そこに背後からユイが俺を追いかけてくる気配があった。


「ロロ、ユイがまた来るから、このまま見てて」


 そう黒猫ロロに告げると、背後から迫るユイを待ち構える。


 そこに、ゆらぁっと幽鬼のようなユイが現れた。

 表情はどこか辛そうだ。

 瞳の色は黒色に戻っていた。


「ユイ、顔色が悪いな? 大丈夫か?」

「わたしの心配をしてる場合か?」

「はは、それもそうだな」


 ユイはそう言うと、両手に持つ刀を振り上げてくる。

 こないだ折った腕の怪我はもう治ってるようだ。


 二刀の斬撃を食らうのを防ぐ為、躱すことだけに集中した。


 すると、ユイは刀を振るのを止めた。

 腰を沈めながら体を横回転させて素早く納刀し、抜刀。


 腰に差していたもう片方の刀を居合いのように抜いてくる。

 素早い抜刀二刀の攻撃へと移行していた。


 だが、刀の軌道を読み、躱す。


「なっ、なぜ反撃しないっ」


 だってなぁ――目の前をユイが扱う刀の刃が通り過ぎていく。


 この二本の剣筋を見て――。

 返す刀ともう一つの刀がクロスするような斬撃だ。


 俺自身の剣の参考にしたいってのもある――またも、右上から首を斬るような白刃が向かってくる。刃の軌道を読み、特殊な刀剣を拝見した。


 鮮やかな太刀さばき――。


 ――ん? 急に鋭くなった。

 ――刀がぶれる?


 ユイの二本の刀の刀身が白く輝きぶれるように動く。

 突きの特殊なスキルだと思われる連続技を繰り出してきた。


 はえぇぇ――クッ、耳がっ、イテェッ、頬や腕に切り傷を負う。耳朶も斬られ、頬に血の糸が引かれたが、すぐに傷は再生していった。


 鋭いが、ギリで躱しきれる――。


「何故なのっ」


 ユイは涙目になりながら訴えかけてきた。


「いやまぁ、ズバリ言うとだな。――お前のことを気に入ったってのがある」

「くっ、な、なんなんだっ、おまえは!」

「もう、そんなに振り回すなよ」


 俺の言葉に動揺したのか、ユイの鋭かった刀突は消えて刀の鋒が震えていた。刀突から払いへ移行しているが、完全な大振りだ。


 刀を振り回し続けている。

 その時、足元の土が唐突に崩れてしまう。


「あっ――」


 ユイの片足が土を捉えられずに体勢を一気に崩す。

 そのまま崖下へ転落してしまった。


 ――くそっ、俺は咄嗟に<魔闘術>を発動し強化した身体を動かす。

 ユイを助けにその崖下へ勢い良く飛び込んでいた。ユイは足を岩場にぶつけ、小柄な身体が一回転して血が舞っている。


「ユイッ――」


 手を伸ばし逆さまになったユイの手を掴んだ。

 もうなにふりかまっていられない。

 無理矢理ユイの手首を強く掴み、空中で錐揉み回転しながら、ユイの体を抱え込むように抱き締める。


 そこに崖の岩が迫った。


 ユイの体を衝突させないように、俺は背中を岩場に向け衝撃に備えた。

 背中から激しく岩に衝突っ。


「うがっ」


 痛すぎる、背中の起立筋に衝撃が走る。

 息が詰まる。それより痛てぇ――空中に放りだされ、また岩場にぶつかり回転しながら転がり落ちていく。


 何回か岩に衝突してから地面に到達。

 その間も、ユイの手首と体は離さなかった。

 しかし、完全には守れず、ユイは意識を失いぐったりとしている。


 俺も傷を負い革服も破れたが、既に回復していた。

 もう痛くはない。師匠がくれたジャケットが少し破れてしまったが。


 それより、ユイが心配だった。


「おい!」


 急ぎ声をかけて、ユイの体を抱えあげ平らな地面に寝かせる。


 ユイの黒い外套を着ている体を見ていく。

 頬に傷があり、左肩は外套が破れて中に着ている黒装束の鎖帷子も裂けていた。

 その左肩に大きな獣の爪のような痕がある。まだ血が滲むように出ていた。脇腹には鎖帷子を突き抜けた尖った岩が刺さっている。


 これ、腹の傷もヤバイが、問題は下半身の方だろう。


 両足が酷い怪我で、あらぬ方向へ曲がっていた。

 片方の足は骨が飛び出しているし。


 こりゃ重傷だな。

 俺が抱いて守っていた頭は怪我がないようだ。


 何かないかと背曩を確認。背曩はぐちゃぐちゃに破れ、盗賊から奪っていた回復ポーションの瓶も割れていた。


 クソッ、ん、おぉ、瓶の底に少しだけ液体が入ってる。


 これを飲ませれば、しかし、ユイは意識がない。

 まず、口に耳を当て呼吸を確認した。


 やばいな。息してない。

 このまま口に含ませてもちゃんと飲み込まないかもしれない。

 顔にかけるだけでも効果はあると思うが、専門的な事は分からない。


 とりあえずこのポーションは傷が酷い箇所へ直接かけることにする。


 脇腹に刺さった岩を抜き取ると血が溢れるが、そこに少ないポーションをかけていく。

 その瞬間、傷は塞がり血色がよくなったかに見えたが、傷が少し開いてしまっていた。


 縫合すれば良いんだろうけど、何も無い。

 しょうがないので皮布を巻いておく。

 それより、まだ息も確認できないので、人工呼吸だ。


 ユイの後頭部を持ち、気道を確保。

 だが、胸部打撲が酷かったら、悪化させる? 

 腹に傷もあるし、一瞬躊躇。そこで、破れた鎖帷子を持ち上げ胸をみたが、内出血もなく損傷は見られないので、ええい、やってしまえと。


 小さい唇を奪い、空気を送り込む。

 やはり怪我が怖いので、優しく赤ちゃんをなでるように指で何回も胸を押す程度に留めて繰り返し行った。


 その直後――、


「ぶほっごほっ、ごほっ、はぁ、はぁ」


 おぉぉ、ユイが息を吹き返した。


 良かった、助かった。学生の時に救急隊員の指導を受けといてよかった。

 うろ覚えだったけど……とにかく息を吹き返した。


 単にポーションが効いただけ? かもだけど。


「……こっ、ここは、とうさん? なっ……お前は」

「あぁ、俺だ」

「う……」


 ユイはもう睨んではいなかったが、俺に気付くと、また気を失ってしまった。


「おい!」


 ユイの唇に耳を当て呼吸を確認。


 ちゃんと息はしていた。

 しかし、おでこを触ると異常に熱い。


 腹の傷と肩の切り傷のせいか? それとも風邪か。そういや、顔色悪かったな。医者に見せるにしても、この谷底じゃ、霧も濃いし……この辺の詳しい地理なんてわかる訳もない。この世界じゃ、医者より回復魔法を使える魔法使いやポーションを持つ人を探すべきだろうけど。


 盗賊が持ってたポーションは腹を治したので最後だしな。


 辺りを見渡す。


 おっ、ガレ場でキラリと光るものを発見。

 あれはユイの特殊な刀剣だ。


 刀身がキラリと白く光っている。

 悪魔のような意匠が施された白い鞘に黒い鞘もユイの足元に落ちていたので、刀身を鞘に収めて、その刀を回収した。


 その時、丁度良い木の枝を数本見つける。


 これは使えそうだ。

 木の枝を削り、ユイの折れた足を揃えて枝をまっすぐ添えて固定。腰に巻いてある皮紐で足を縛った。


 とりあえず、ポポブムを口笛で呼ぶ。

 ユイの体を抱えて、口笛を吹きながら歩いていった。


 暫くして、


「プボップボッ」


 鼻息が聞こえてくる。速い。ポポブムが崖上からぐるっと回り込んできたらしい。


 しかし、ユイ、軽いなぁ。

 こんな体で俺を追ってきたのか。


「にゃにゃ!」


 黒猫ロロの声だ。

 俺が近くまで戻ると、黒猫ロロが心配したと言うように鳴いていた。


「ロロ、俺は大丈夫だけど、この子が重傷だ。ポポブムに乗せるぞ」

「にゃ~」


 なるべく優しくユイをポポブムの上に乗せてやった。

 そして、鞍の背にある荷物袋を確認していく。


 ん~、毛布に水筒や師匠がくれた小さい陶器製の瓶の魔力回復リリウムポーションしかない。

 こっちの袋は食材と塩に香辛料の匂いがする。この袋は衣服だけだ。


 回復ポーションがない。

 盗賊の血を吸って実験とか調子乗ってたからだな。

 あの時に使わず、もっと取っておけばよかった……。


 参ったな。ユイのおでこを触ると熱いまま。


 黒猫ロロは看護するようにペロペロとユイの頬を舐めている。

 とりあえず、師匠から貰った魔力回復リリウムポーションを飲ませてみるか。


 少しは回復するかもだし。

 ユイはぐったりした状態が続く。

 口移しで、少しずつ飲ませた。


 何にもエロいことはしてないんだからねっ。


 黒猫ロロにそうアピールするが、ロロの紅い瞳は俺を責めるようにジッと見据えている。

 そんなおどけた仕草を見せながら、ユイをポポブムに乗せた俺たちは霧の中をゆっくりと進んでいった。


 にしても、この辺り、霧が濃すぎるだろう……。

 迷子だ。あてもなく霧の森を進む。


 モンスターの気配をそこらじゅうに感じる。

 掌握察や<分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>でモンスターらしき魔素や匂いをなるべく避けながら霧の中を進んだ。


 辺りは暗くなってきていた。


 やばいな。そう都合よく宿屋なんてないし。

 相変わらず掌握察で感じる魔素の反応はあちこちにある。


 何なんだこの森は、本当にモンスターが一杯だ。

 その時、ゴオォォォッと獣か何かが叫ぶ声が聞こえた。


 もう避けていくのは無理か。

 重傷のユイが居るから戦いたくなかったのだが……。


 その時、打ち捨てられた小さい石作りの礼拝堂を発見。中には小さい女神像があり、その女神像は首が削られ腕もない。


 不気味だな。


 この名もない女神像にユイの無事を祈っておく。

 ユイの怪我が治りますように。


 南無。なぜか仏教スタイル。


 ん、待てよ、そこで俺はあるスキルを思い出す。

 最終的にユイがヤバくなったなら、俺の<眷族の宗主>を使えばいいんじゃね? 

 眷属にしてしまえば、ユイは助かる。いや、だめだだめだ。いくら可愛い女だからといって、無理矢理は駄目だ。


 やるとしたら意思を確認するべきだろう。


 眷属化は止めておく。


 俺がそんな不埒なことを考えていると、掌握察に反応があった。

 魔素は人間サイズ。<分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>でも匂いを嗅ぎとった。


 匂いもモンスターではない。


 ――男の匂いだ。


 礼拝堂の横、森の茂みから、やはり人間の男が現れた。

 魔法使いのような黒いローブを着ていて、黒いフードを被っている。


「んん? ここで……何を?」


 ローブを着ている男は、俺を見ると驚いたように声質を変化させながら聞いてきた。

 見た目は怪しいが、とりあえず人だ。ラッキー。


「おぉぉ、すみません。連れの彼女、ユイを見てもらえないですか。できたら、回復魔法かポーションを飲ませてあげてほしいんです。崖から落ちて腹に怪我を負い足も折れていて、熱もあるみたいなんです」


 俺の助けて下さいアピールを聞いた男はフードをあげて、ポポブムの上にぐったりと横たわっているユイを確認している。

 ユイの様子を見ている男は、スキンヘッドに近い髪型で禿げていた。その禿げた額には赤と白が混ざった不思議なマークが浮き出ている。


 額のマークは何だろう?

 魔法に関係があるとは予想できるが……。


 その額から魔力が放出されていた。

 目は細く、歳は中年から初老、豊麗線が目立つ。

 男なのに、耳には黄色いピアスを装着している。


「確かに、腹に穴が、腕にも傷があり、足が折れて……熱がありますな。良いでしょう。わたしの家は近くにあるので案内します」


 額のマークは皮膚から盛り上がっている。


「……おお、ありがとう」


 額のマークに驚いていたが、表情は崩さずに素直に礼を述べた。


「にゃにゃぁ」

「ん?」

「あっ、飼ってる黒猫です」

「そうですか。では行きましょう」


 ローブを着た男は黒猫ロロには気を止めず、そのまま霧の中を歩き出す。

 案内してくれるようだ。


 丘の上、坂を進むらしい。


 お? 坂の手前に、青白い電灯のような青い光を灯す小さな石塔が存在していた。


 これ電気っぽい。

 なんだ? 魔法か? 魔素の反応がある。小さい石塔の頭部に丸い石が嵌まり、それが青白く光って反応していた。


 じろじろと電灯擬きを見ていると、家に案内してくれている男は坂の上からこっちを見て、「さぁ、急いで……」と急かしてきた。


 俺は急いで坂を上り、案内してくれる男についていく。

 その坂の上には立派な漆喰の家があった。

 小屋が連結されていて大きくなっている。


「こんなところに家が……」

「小さい家ですけどね。今、納屋にある寝台上の荷物をどけますから、そこに恋人さんを運んでください」


 ローブを着た男はそう言って小屋に入る。


「ただいま、シータ。今戻ったよ」


 男が名前を呼ぶと、綺麗な女の人が返事もせずに小屋の入り口から現れ、出迎えていた。


「にゃ?」


 黒猫ロロは首を傾げてその女性の顔を見つめる。


 シータと呼ばれた女性は艶がある黒髪。

 その髪の耳の横には綺麗な紫の花が飾られていた。

 綺麗だけど、ずいぶんと顔が白いな――ん? 何だ?


 魔察眼でその女性を見る。

 すると、明らかに胸の内部辺りに濃厚な魔素の塊があった。

 こんなの見たことない。

 それに、<分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>で確認しても、女の匂いがしない。


 血の匂いが無い。オカシイ。


 血、脈を感じない? どういうことだ?

 この女性、人族じゃない? ……驚愕だな。


 気を付けないと……だが、ポーカーフェイスを貫こう。

 顔に驚きの表情が出てしまうところだった。


 でも、珍しいので……。

 ついつい色白の女性を食い入るように見つめる。


「妻です。無愛想ですみませんね。シータ、奥に行って回復薬の瓶を持ってきなさい」


 妻!? まじか。


 内心驚きまくっていた。

 必死に感情を抑え、表情には出さないでいる。

 端から俺を見たら、眉が不自然にぴくぴくっと動いて見えただろう。


 旦那が命令すると、色白の女は黙って頷く。

 シータと呼ばれた女は瞬きもせずに小屋の奥へと向かう。旦那はそれを見届けると納屋に入り、寝台の上から荷物を退かしてくれていた。


 疑問に思いながらもポポブムのところに戻る。

 ユイの体を慎重に下ろし抱き抱えると、その納屋へと運ぶ。


「ここに寝かせてあげてください。では、シータの様子を見てきます。薬を持ってきますね」


 指示通りに寝台の上にユイを寝かせた。

 薬を持ってきてくれるらしい。

 礼を言っておこう。


「旦那さん、ありがとう」

「いえいえ、お気になさらず」


 スキンヘッドの旦那はぎこちない笑みを浮かべると、離れていく。


 ――納屋の中を見渡す。

 農具は少しだけで、明らかに魔法関係に使う道具ばかり。薬草や使い捨ての薬瓶に光が失せた魔法陣などなど……。


 そもそも、何故納屋に寝台があるんだ?

 俺が疑問に思っていると、旦那は薬瓶を手に戻ってきた。


「このポーションを飲ませますね」


 何種類かの陶器の瓶を開け、直接ユイの腹と足へかけている。

 次に唇に当て薬を飲ませていた。


 その薬をあげている旦那の後ろ、汚い黒いローブの背中には天秤と杖と腕のマークが描かれてあった。


 このマークは何かの組織の印か?

 その旦那は振り返って、神妙な面持ちで話を始める。


「これでもう大丈夫でしょう。寝て起きたらある程度は回復している筈です。しかし、腹の傷は塞がりますが、骨は折れてから時間が経っていますので、回復は少し遅れると思いますよ」


 良かった。助かるのか。


「そうですか。ありがとう」


 ひとまず安心した。

 黒ローブの旦那はそんな俺に訝しむような視線を向けてくる。


「それにしても、旅人さんは何故ここに? ここは山間の深き森の中、あまり人が立ち寄ることの無い場所。それに、霧が発生する【魔霧の渦森】と呼ばれる危険地帯ですよ? 一体何があったのです?」


 やはり【魔霧の渦森】だったか。

 しかもあんなところにいたら、怪しいよな……。


 が、先ほどの能面の奥さんと云い、あんたも十分怪しいが……。

 とは素直に聞けないので、適当にストーリーを作ってみる。


「えぇ、【魔霧の渦森】とは聞いて知っていたのですが、なにせ、俺とユイは遠くからの旅の途中でして、土地勘がないのです。気付いたら濃い霧の中でした。ユイは馬から降りて慎重に歩いていたのですが、急に足元が崩れてしまって……荷物と共に崖下に転落してしまったんです。それを急ぎ助けてから、この霧の中を彷徨っていると、丁度よく貴方が現れた……と」


 急場をしのぐにしては適当すぎるが……。

 旦那は俺の説明でっちあげで納得したのか、黙って頷く。


 旦那の視線は依然として厳しい……また観察してるし。

 目に魔力を宿している。俺やユイを魔察眼で確認しているらしい。

 観察を終えた旦那は表情を崩すように口角を上げる。

 不気味な笑顔を作ってから話を始めた。


「……そうですか、それは難儀なことで。ここには恋人さんが回復なさるまで居てもらって結構ですよ」

「おお、ありがたい」

「いえいえ。心配なさらずに、あなたもこの寝台を使って休んでくださいな。ここは普段倉庫なので散らかってますが、勘弁してくださいね」


 隣にある寝台は汚れていたが、使えそうではある。


「いえいえ、十分です。正直、寝台はありがたい。お言葉に甘えさせて貰います」

「では、夕食時には小屋からお呼びします」

「はい、ありがとうございます」


 旦那の慇懃ある態度に思わず丁寧なお辞儀で返す。旦那が隣の小屋へ向かって消えてから、俺もユイの隣にある寝台で横になった。


 黒猫ロロも一緒に丸くなって寝始めている。


 ユイは薬が効いているのか、なんとも気持ち良さそうに寝ていた。

 可愛い寝顔を見つめながら、俺も浅い眠りに入っていく。


 ――数時間後、ユイが目を覚ました。

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