6話 荒野のレストラン

 荒野をバイクが走っている。

 細いフレームに大きなタイヤを履いた、ぴかぴか光る青いバイクだ。

 バイクは行く、道無き道を。固い砂地をパッパッと散らし、薄いわだちを残し

て進む。

 搭乗者は一組の男女だった。黒髪の少年がハンドルを握り、金髪の少女が

その腰をしっかりと抱きしめている。

「アリスさーん」

 ふいに金髪の少女――アイが言った。

「あー?」

 黒髪の少年――アリスが答える。

「おなかすきませんー?」

「そーなー……」

 二人は飢えていた。と言うのも道中で寄るはずだった村がふたつも潰れて

おり、水しか補給できなかったからだ。そのうえ狩りをしようにも、ここい

らの気候は砂漠に近く、生き物は骨と皮ばかりつっぱって食い出がない。

「ゴーラの肉饅頭まんじゅうを、口いっぱいにほおばりたいですねぇ……」

「いいなそれ……やっぱ空きっ腹には柔らかいものだよな」

「あるいは逆に、バリバリ! ってうるさいぐらいにはじけるオスティアの

焼き煎餅せんべいもいいですね」

「あーなるほど……がっつり歯ごたえある系も捨てがたい」

「あとはユリーさんが作ってくれる舌が焼けそうな熱いスープ。傷持ちスカーさん

が焼いたもちもちふわふわのパンにバターをたっぷり塗って――」

「……おい」

「? なんです?」

「お前俺になんか恨みでもあるのか? めちゃくちゃきついぞ」

「私だってきついですよ!」

「じゃあやめろよ!」

 そこから先は喧嘩だった。二人はハゲタカのようにギャアギャアと騒いで

相手の人格を否定する。そもそもこの道を選んだのが悪い。食い意地張って

急がせたのが悪い。狩りが下手なのが悪い。非常食を腐らせたのが悪い。な

ど、など、

「はあ……」「ふう……」

 しかし結局は元気もなくなって、先ほどの結論へと行き着くのだ。

「おなかすいた……」

「腹へった……」

 そんな二人を抱えたまま、バイクは今日も荒野を行った。そのときである。

「………………ん?」

 まずは目のいいアイが見つけた。「アリスさんアリスさんアリスさん」船

舶のかじを取るように、耳たぶを引っ張って右を示す。

「あー?」

「あれあれ、あれ見てくださいよ」

「あれじゃ分かんねぇよ。名前をいえ」

「レストランですよ。レストラン」

「なーに言ってんだよ。こんな荒野の真ん中にレストランがあるわけないだ

ろ。蜃気楼しんきろうでも見たか? もしくはそれ、あまりに腹が減りすぎたお前が見

たかわいそうな幻覚――」

 あった。

 轍の向こう、太陽の落ちる方角に一軒のロッジがある。家族一世帯が住む

のにちょうど良さそうな中規模の建物で、実際に誰かが住んでいるのだろう。

だがロッジの本質は住処ではなく、表に出ている看板に表されている。

『荒野のレストラン』

 鋳物いもので作られた一品物の看板にはそう書かれていた。

「……マジかよ」

 ノロノロとバイクを駆って、レストランの入り口の前までやってきたアリ

スは口をあんぐりと開けて看板を見上げた。建物は丸木を組んで作られた

ロッジで、木肌を生かした家造りは独特の温かみがあって優しかった。看板

の下に小さな懸札かけふだ『営業中』。

「ね、あったでしょ」

「あ、ああ、でもこれって――」

「さあ、アリスさん。なにをぼうっとしているんですか。行きますよ!」

「あ! まてこら! おい!」

 アイはぴょんっとバイクから飛び降りると、そのままスキップして入り口

をくぐった。

 扉を抜けるとすぐに店内だった。大きな部屋のあちこちにテーブルが置か

れ、すべてが客で埋まっていた。

 こんなへんぴなところにあるのに混んでいるという事実に、アイはすこし

ばかり驚いたが、同時に楽しみにもなった。うつくしい店構えと店内の空気、

それにお客さんの雰囲気を見て取るに、この店は良さそうな予感がした。食

べ歩きには人一倍のこだわりがある身としては気合いが入るというものだ。

「ふむ、ではさっそく」

「まてこら」

 バイクを大慌てで止めてきたアリスが、間一髪追いついて襟首えりくびをつかんだ。

「あらアリスさん、遅かったですね」

「遅かったですねじゃねーよ馬鹿。なにほいほい入ってるんだ。ちょっとは

用心しろ」

「いやでもおなかぺこぺこですし」

「だからなんだよ。はい説明終わりみたいな顔やめろよ。おい、不思議そう

な顔すんな。変なのはお前であって俺じゃねえよ」

「こっちで待つみたいですね」

「はなし聞けや!」

 どうやらいまは満席らしい、入り口の横に待合所とおぼしき椅子の群れが

ある。アイはとなりの紳士に会釈をしてから椅子に座る。すると目の前に置

かれた“ご注文の前に”と書かれた紙が目に入った。

“1、来店人数は?”“2、予約の有無は?”“3、空腹具合は如何いかほどか?”

 どうやらこの紙は注文書兼アンケート用紙のようだ。となりを盗み見ると、

紳士も熱心に書き込んでいた。アイはふんふんと質問を追いつつペンを取る。

来店人数は「二人」予約は「なし」空腹具合は「死ぬほど」だ。

「……ずいぶん、しっかりしたところだな」

 質問文を盗み見して、アリスが幾分警戒を緩めた。

「ね? どのみち食べなきゃ飢え死にですから、とりあえず頼んでみましょ

うよ」

「うーん」

 と言いつつ彼はすでにペンを取っていた。しめしめ、アイも続きをつらつ

らと書く。“4、薄味と濃い味ではどちらが好きか?”どちらかと言えば濃

い味だ。“5、豪勢と素朴どちらがよいか?”これは悩ましい、胃をびっく

りさせないためには素朴な味がいいが、かといって豪勢なのも捨てがたい。

アイは迷った末に「両方」と書く。

 このあたりまでは、注文書はすこしばかり細かいだけで普通だった。6、

と7、もそうだ。アイは“歯は丈夫か?”と聞かれて「はい」と答える。だ

がそのつぎが、

“8、水分は平気か?”

「ん?」

 質問の意味がよく分からない。普通、料理には水分が入っているはずでは

ないのか? あるいは水を飲むかいなやかということか。アイは再び迷った末

に、一応「はい」と答えておく。

“9、料理の熱は何度から何度まで平気か?”

 これもまた分からない。いや、自分の好みがアイスクリームの温度からお

湯までというのは分かっているのだが、なぜ聞かれるのか分からない。

“10、菜食主義者か?”

 ちがう。が、この並び順だとなにか別の含みがありそうで答えづらい。

 そこから先もなんだかよく分からない質問が続いた。“嫌いな好物はある

か?”……えらい哲学的だ。“嫌いな食器はあるか?”そもそもその発想が

なかった。“夕食をおやつにすることは朝飯前か?”もちろんだ。

「なんでしょうねこれ?」

 一応最後まで書き終えてから、アイは顔を上げた。すると、となりのアリ

スはもうとっくに書き終えた様子でうつらうつらしていた。

「アリスさんアリスさん」

「ん? ああ、なんだ、まだ書いてたのか」

「まだって、アリスさんこそ書くの早くないですか?」

「だって俺四問目までしか答えてないもん」

「へ? いや、だめじゃないですか。ちゃんと書きましょうよ」

「でもそれでいいって書いてあるぞ」

 はて? と思ってアリスの手元をのぞき込むと、そこにはこう書いてあっ

た。

“0、貴方は生者か? 死者か? ※生者の場合は四番以降の質問は不要”

 と書いてあった。アイは慌てて自分の用紙に目線を落とす。すると表題の

下にたしかに第零番目の質問があった。これはあれだ、目立たそうとして逆

に目立たなくなってしまったパターンのデザインだ。

 それにしてもだ……。アイはうーむとうなって鉛筆の尻をむ。よりにも

よって生者か死者かとは、複雑なことを聞いてくれる。

 この世界では、死者は出歩く。彼らは心臓が止まって骨だけとなっても存

在することをやめずに永遠の底はさまよい歩く。

 そんな世界の片隅で、アイの状況はいささか複雑怪奇であった。

 アイは、生きていて、死んでいた。生まれ持った生命はたしかにいちど滅

び、借り物の命でいまの肉体を維持している“生きたように死んでいる”死

者だ。

 対外的には、アイはこの手の質問に対して「生者だ」と嘘をついて通して

いた。

 だが、この場合はどうしたらいいのだろう?

 迷った末に、一応“死者”にチェックを付けた。

「ご記入、ハ、終ワリでスかー?」

 と、まるでタイミングを計ったかのように声がかかった。顔を上げると、

目の前にエプロンドレスを着たウエイトレスが立っていた。

「え? あ、はい」

「でハ、お、預かリー。――ん?」

 ウエイトレスが用紙とアイを何度か見比べ、

「あなタ、死者?」

「あ、はい、見えないかもしれないですけど……」

 理由はとくにいらなかったらしい。ウエイトレスは了解とばかりにうなず

くと、「先にオ待ちの方ー」と言って、となりの紳士を連れて奥のテーブル

へと向かった。

 ふたりはぽつんと残されて、手持ちぶさたな時を過ごした。それこそまさ

に、定食屋で順番待ちをしているように。

「なんだよ、そんなに変な質問だったのか?」

 アリスが質問を蒸し返す。この男、どうやら自分と関係ない部分はまとも

に見ていなかったようだ。

「というか、最初の質問だっておかしくないですか? 生者か死者かって

……」

「そうか? そこは気にならなかったな。最近じゃ街に入るときとかよく聞

かれるし」

 たしかに、死者を拒んでいる街などでは定番の質問ではある。昨今の死化

粧は進化しており、一見すると生者と変わらないほどのものも少なくないか

らだ。

「いやでも、いまのウエイトレスさん……」

 ぐっと言葉がのどに絡んだ。その指摘は非常に繊細なニュアンスを含んでお

り、自然と小声になってしまった。

「死者、ですよね」

 遠くで忙しそうに給仕をしているウエイトレス。彼女の肌は陶器やセルロ

イドでできており、身につけている服も、もはや「まとう」ものではなく肉体

の一部として最初からデザインされている第二の皮膚だ。それとは逆に表情

などの肉体的な部分は機械化されており、彼女の愛想笑いは表情パーツの組

み合わせでできている。

「……ああ、そうか。たしかに変だ」

 アリスが気づいた。たしかに最近では生者と死者の交流も進み、至る所で

見かけるようになった。この店もそうした偏見のない店なのかもしれない。

だがそれなら先ほどの質問はなんなのか?

「それに、ここ飲食店なんですよ」

「不衛生って話か?」

「まさか、違いますよ。綺麗か汚いかで言えば、死者の方がよっぽど清潔で

すもん」

 考えてみれば道理だが、肉体を置換して食事をとらなくなった死者は無菌

状態に近く、細菌やらウィルスやらを何億と飼っている生者よりも清潔だ。

「ただ、死者って当然ご飯も食べないんですよね。それなのに飲食店で働く

というのが、どうにも気になって……」

 当然ながら死者は食事を必要としない。代謝をやめた肉体にとって肉だの

野菜だのは腹の中で腐るだけで、精神的欲求を満たす以外の利益がないから

だ。故に死者は飲食店になど来ないし、店側もそんなことを想定する意味は

ない。

 意味はない、はずだ。

「うーん、確かに変ですね。この店」

「だから、俺それずっと言ってるじゃねぇかよ。聞いてなかったのかよ」

「聞いてましたよ。というかそもそも、私だってこんな荒野の真ん中にある

ようなお店、怪しいと思ってましたよ」

「ああん!? じゃあなんで入ったんだよ!」

「よくぞ聞いてくれました。それはですねぇ――」

 理由など、もちろん決まっている。なぜならアイ・アスティンという人間

は、いつだってそうして生きているのだから。

 アイは人差し指をぴっと立ててにんまり笑い、質問の答えを返そうとした。

「……いや、もう分かったから、答えんな」

 ところが直前になってアリスがうんざりした顔でそっぽを向いてしまった。

「えー! 何でですか! 言わせてくださいよ!」

「断る! お前のどや顔は疲れるんだよ!」

「ひど!」

 喧嘩第二弾勃発。アイが協定によって禁じられていた人格攻撃を開始。ア

リスは即座に報復的身体特徴攻撃で反撃を行った。空腹により沸点の下がっ

ていた両者の攻撃は熾烈しれつを極め、街は滅び、畑は焼かれ、七つの大陸はこと

ごとく海に沈んだ。

「お待っタセ、シマシー」

 再びウエイトレスがやってきて言う。

「お客さんハー、二人ネー?」

「いいえ」

「ホヘ?」

「別々です。私はカウンターでもかまいません」

「すんません、ホントすんません。聞き流してください」

 ふん! とそっぽを向いて動かないアイの襟首を、アリスがキャリーカー

トみたくつかんで引いていく。ウエイトレスは表情パーツをパタパタと入れ替

えて鉄の接客態度を見せて「こっチー」とほほえんだ。

 店内はテーブルの並んだ大きなホールといくつかの半個室でできていた。

二人が通されたのは個室の方だ。

 正面に大きな窓。降り注ぐ午後の光が柔らかく室内を照らしている。絨毯じゆうたん

ほこりはひとつもなく、テーブルクロスにしわはない。食器はぴかぴかに磨き上

げられて、まるで鏡でできているようだ。

 ほう、と無意識のうちに息が漏れていた。間違いなくこの店はおいしい。

アイの食べ歩き本能が舌なめずりして保証した。

 と、同時に別の意味で不安になった。

 あのぉ……、とアイは声をかけて、おそるおそる振り返った。ところがウ

エイトレスはもうおらず、ホールの向こうで忙しそうに料理を運んでいた。

 タイミングを逃してしまい、アイはとりあえずコートを脱いで椅子に座る。

アリスも同じようにした。

 新雪のように清く広がるクロスの上で、二人は顔を突きつけ合う。

「……ねえ、アリスさん。私たち、さっきから怪しいだのなんだのと失礼な

ことを心配してましたけど、そもそももっと気を配らねばならぬものがあっ

たのではないでしょうか?」

「奇遇だな。俺も今それを心配していたところだ」

 食卓にならんだ食器に冷や汗をかいた顔が映る。間違いなく本物の銀でで

きた皿だった。

「どうするんですか! 絶対高いですよここ!」

「俺に言うな! 確認しなかったのお前だろ! ええい、とりあえずメ

ニュー探せ!」

 おそろしいことにメニューはなかった。アイは戦慄せんりつする。あの恐るべき五

文字が頭の中で明滅する。ぼ、っ、た、く、り。

「いえいえ、まだそうと決まったわけではありません。疑うなんて二重に失

礼ですよ。こんなにいいお店がぼったくりなんてあり得ませんよ」

「だな、普通に高いだけかもしれない」

 どうしてあなたは不吉な事しか言えないんですか! 俺は事実を言ってい

るだけだ! と二人がイチャイチャしていると、「しつレー」と扉が開いて

ウエイトレスがやってきた。

「? どしター?」

「いえいえ別に」

「なんでもないなんでもない」

 精一杯の愛想笑いはどこか命乞いに似た趣があった。

(とりあえず値段を聞きましょう)

(だな)

 目線だけで会話をして、アイが「すみませーん」と猫なで声を出す。こう

いう交渉ごとはおおむねアイの分担だった。

「はー、なんショー?」

「あの、つかぬことを伺いますが、ここってお値段どれくらいでしょうか?」

「値段? ナイナイよー」

 店員がとんでもなく不吉なことを言い始める。定価が決まっていないとい

うことは、請求金額は店側の思い通りということだ。

 ところが、店員はあっさりとアイの不安を解消した。

「ウチ、値段、お客さん、決めるヨー」

『へ?』

 アイと、それにアリスも驚きの声を発した。

「おいしート、高いー。まずいート、安いー。そんなノー」

 それはまたとんでもない職業理念もあったものだ。

「それは、正直とても助かりますけれど。でも本当にいいんですか?」

「いいのいいのノー。うちは、そうなノーなの」

 アイは、じつのところまだ疑っていた。良い話の多くには裏の顔があり、

罠にはめようと口を開けているのだから。

 ただ、同時にアイは、良い話がときに、本当にただ良い話として無造作に

転がっていることも知っていた。泣いた子供をなでるような、転んだ人を助

けるような。そんな無償の愛が存在することを知っていた。

 このレストランがどちらなのか、正直まだ分からない。

 ただ、目の前の彼女からは、たしかに夢の匂いがしていた。

「他ハー?」

「いえ、もう結構です。ありがとうございます。……ただ、それでも、最低

限の値段くらいは決めた方がいいと思いますよ。それじゃあ食い逃げし放題

ですもん」

「だいじょーブ、うちのご飯、おいしいかラー」

 にっこりと笑顔を浮かべて、ウエイトレスは深々と頭を下げた。礼儀正し

い従者の姿から、なぜだろうアイは王のごとき威厳を感じる。それは己の仕

事に絶対の自信と誇りを持つ、職業人の矜持きようじだった。

「ではでハーお料理ならべマスヨー」

 やはり、あの質問書が注文用紙でもあったのだろう、ウエイトレスは注文

も聞かずに料理を並べ始めた。配膳のカートからおおいが取り除かれ、音と匂

いが解放された。

 すごいことになった。

 熱く焼かれた鉄皿の上で牛肉がじりじりと音を立てている。朝露ごと摘ん

できたようなみずみずしいサラダが宝石のように輝いている。清水に似た澄

んだスープから立ち上る湯気は、しかし鼻腔びくうがいたくなるほどの香気を放っ

ている。

 ウエイトレスはどこか自慢そうな様子で、ガラスの目玉をくりくりと動か

すと、料理をテーブルに並べていった。微妙にメニューが違う、アリスは魚、

アイは牛だ。

「ゴゆっくりー」

 扉がしまった。だがアイもアリスも気がつかなかった。 

 二人は完璧に黙り込んでいた。本能が言っていた。こんなの絶対おいしい。

と。

「……アリスさん」

「……なんだ」

「……後でそっちのもくださいね」

「……おう、お前もな」

 二人はかろうじて平静を保った。まあ、ね? さすがにね? いくらおい

しそうだからっていきなり飛びかかるのはどうかと思うわけですよ。ここは

文明的にいきませんと。という顔をしてナプキンを巻いた。

 まずはスープからいこう。アイは底の深いスプーンを取って熱い湯に沈め

た。強烈な香気を発するスープは意外なほどサラサラと澄んで軽く、たっぷ

りと持ち上げてもろくに重さを感じなかった。よほど丁寧に灰汁あくを抜いて裏

ごししたのだろう。恐るべき手間と技術だった。口を付ける。スープは灼熱

ほどに熱かった。

「~~~~ !!」

 だがアイはスプーンを遠ざけることができなかった。むしろもっともっと

と流し込んだ。複雑な香気でできていたスープは舌に触れると同時に本性を

現し、いっそ下品なほどの旨味を口腔にぶちまけた。

 二口、三口、スプーンをたぐる手が止まらない。右手は食卓を上下する機

械となり、意識はどこか遠いところにあった。

 カツン、という不作法な音が響いて、アイはようやく現実に戻った。見れ

ばスプーンがからの皿をたたいている。おかしいスープが消えている。そんな、

だって二、三口しか食べていないのに。まさか盗まれたのか?

 そう思って顔を上げると、まったく同じ体勢のアリスと目が合った。彼も

スープを一息で飲み干していたようだ。

「…………」

「…………」

 気を取り直して食事に戻る。思いがけず飲み干してしまったが、これから

はバランスよく食べなければいけない。アイはサラダを手に取った。

 これは、レタスだろうか? それとも軽くゆでたキャベツ? 分からない

がとにかく葉物だ。フォークで野菜を軽く刺して口へと運ぶ。

 こんな新鮮な野菜食べたことない。

 それこそ土に植わったままをかじりついたとしても、これほどの味わいは

不可能だ。それこそがまさにこのサラダが料理たる由縁、人間が施した調理

という魔法だった。

 サラダに絡んだ香辛料が踊る。葉を上下するたびに胡椒こしようが砕かれ、塩味の

つよい油が薄い膜となって舌に絡んだ。そしてこのどこまでも爽快なシャキ

シャキ感! いつまでも噛んでいたいあごの快楽!

 そして、気づけばアイはまた、やってしまった。

 おかしい、山盛りだったサラダがほとんどなくなっている。こんどこそ盗

まれたのだろうか?

『…………』

 そろそろパンに行こう。用意されていたのは片手に載りそうなほどの小さ

な白パンだった。バスケットから一つとり、両手で掴んでふたつに割る。生

地がピリピリと音を立てて割れ、焼いた小麦粉の匂いがはじける。付け合わ

せにバターがあったが、アイは無視してかぶりつく。

 パンは柔らかく、そして硬かった。矛盾パンだ。皮の部分は香ばしく焼き

上がって歯に心地よく、内部は空気を噛んだように頼りなくていじらしかっ

た。

 バターも試してみよう。ナイフですくい取ったそれはクリームのように柔

らかく、生地に塗ると抵抗なく吸い込まれて黄金色の染みへと化けた。

『んまーい!!』

 ことここにいたって、二人はようやくその言葉を口にした。三度、まった

く同じタイミングで顔を上げる。

「アリスさんアリスさん! ここすごいですよ!」

「おお! なんだこれ! なんなんだこれ!」

 と、そこまでしゃべってまた無言。二人は水に潜るように食事をとり、息

継ぎするように言葉を吐いた。

「なんでしょう……どうやって料理しているんでしょう……もぐもぐ」

「わっかんねぇ……もぐもぐ……素材から違うんじゃねぇか? もぐもぐ

……」

「あ、もう、アリスさんってば、食べながらしゃべらないでくださいよ……

もぐもぐ」

「お前だって食ってるじゃないか……もぐもぐ」

『…………』

 ついにメインディッシュだ。鉄皿に載ったハンバーグだ。アイはその美し

いフォルムをしげしげと眺めた。期待が膨らみすぎてもうなんか見ているだ

けでたのしかった。

 だいぶ時間がたっていたが、鉄皿はまだあつあつだった。ソースがジワジ

ワと泡立ち、付け合わせのニンジンとジャガイモがほくほくとした湯気を上

げている。アイはナイフとフォークを手にとって、肉の塊にそっとうずめる。

 ずっしりとした抵抗感が厚い肉感を伝えてくる。自然とほほがゆるんで

しまう。まるでプレゼントの箱が重かったときの気分。慎重に切り分け、

フォークで突き刺し、ソースをたっぷりと絡めて口へと運び、噛む。

 ああ……。

 アイは、幸せだった。この世界に存在していて良かったと心から思う。

 目の端に涙の気配を感じた。だが恥ずかしいとは思わなかった。

 フォークが躍る。ナイフが走る。

 魂が叫びたがっている。肉体がわらっている。

 ここ数日の飢えはきっと、今日このときのためだったに違いない。解き放

たれるためには束縛が、羽ばたくために抵抗が必要なように、人生には苦難

が必要なのだから。

 アイは幸せだった。そして悲しかった。なぜ、天上での日々はいつだって

長く続かないのだろう。

 すっかり冷めてしまった鉄皿に、のこったハンバーグはわずか二切れしか

なかった。

 アイは三度、己に問わざるを得なかった。

 なぜ、ご飯は食べるとなくなってしまうのだろう? だれかが盗んだから

か?

 いいや違う、自分で食べたからだ。

 阿呆な問いであり、阿呆な答えだと思う。だがこれほどまでに人生の機微

というものを表す問いが他にあるだろうか? いや、無い。盗まれたならま

だいい。だがこの場合はよりによって自分なのだ、自分こそが幸せを破壊し、

傷つけるのだ。

「生きるって……難しいですね……」

 涙と同じように言葉をこぼした。

「ああ……」

 驚いたことに、いつもツッコミやボケに回るはずのアリスが笑わなかった。

どころか目尻に涙さえ浮かべて深くうなずいている。この料理の前では、人

はみな素直になることしかできなかった。

 残りわずかな幸せを、アイはゆっくりと噛みしめる。まだ一切れ残ってい

るが、食事はここで終わりだった。だって約束したから。

「はいアリスさん」

「あ、そっか」

 一切れ残ったハンバーグを、アイはそのままアリスに渡した。アリスもま

た、自分の皿から最後の一切れをよこした。

「すっかり忘れてたよ。シェアしようって言ってたもんな」

「ですです」

 アリスのメインは魚の煮付けだった。衣を付けてカラリと揚げたますがスー

プの海を泳いでいる。表面に散らされた香草の緑が目に楽しい。

 ぱくり。想像通りの繊細な味に頬が勝手に緩んでしまう。文句なしに美味。

ただ、わずかながら自分の頼んだハンバーグの方が味は上なのでは? と思

えた。ちょっとした優越感を抱きつつ、アイはナプキンで口元を拭いた。ア

リスの感想が気になった。

「アリスさんはハンバーグ、どうでした?」

「…………」

 ところが、アリスはまだ口を付けておらず、フォークに刺した肉片をまじ

まじと見つめていた。

「アリスさん?」

「……なんだこれは」

「なにってハンバーグですよハンバーグ」

「いや、違うな」

 アリスは肉片を指でつまむとすりつぶした。

「……おい、これ泥だぞ」

「泥?」

 なにを言っているのだろう、アイは不機嫌になった。

「ちょっとアリスさん。泥のようとはご挨拶ですね。こんなおいしいのに」

「ちがう、泥の『よう』じゃない。これは泥でできてるんだ! くそ! こ

れもか!」

 アイの食器に手を伸ばして、アリスはわずかな食べ残しを拾い上げていく。

「サラダは焼き殻だ! パンは綿と釉薬ゆうやくだ!」

「え? えぇ!? そんな!」

 とても信じられない。アイは目をこらす。

 アリスの言うとおりだった。

 完成形の時は気づかなかったが、こうして食べ残しになると明白だ。それ

らの料理はすべて、偽物で作られたイミテーションだった。

「お前なんで気づかなかったんだよ!」

「で、でも確かに味はしたんですよ!」

「……味付けだけしたってことか?」

「そうじゃなくて……ええい!」

「あ! こら!」

 泥団子を口に含む。するとたしかに豊かな味わいが口に広がった。間違い

ない、たとえ泥を練って肉の味を付けたとしてもあの味にはならないだろう。

この料理にはさらに大きなごまかしが働いている。

「……なんだこりゃ」

 毒味するように一欠片かけらたべて、アリスは余計混乱したように顔をしかめた。

「たしかに味がする。これはいったい……」

「アリスさんの方は普通のご飯だったんですか?」

「ああ」

 たしかだった。アリスの皿に残った料理は普通の食材で作られている。

「……なにがどうなってるんだ」

 警戒した様子でアリスが言った。その手は腰の銃に添えられている。

 だがそこまでだった。もしかしたら毒を盛られたかもしれないというのに、

アリスは銃を抜かず、アイも行動には出なかった。

 二人には奇妙な確信があった。

 毒を盛るにしては、この料理はおいしすぎて、愛情にあふれすぎている。

 そこがどうにもチグハグで、アイはどうしていいのか分からなかった。

「……とりあえず、ウエイトレスさん呼んで話を聞きますか」

「だな」

 二人は備え付けのベルを鳴らしてしばし待った。ウエイトレスはすぐに来

た。

「失礼しマー。お、お客さん食べ終わっター?」

「えっと、そのことで聞きたいのですが」

 アイはわずかに残ったハンバーグのかけらを指さして言った。

「これ、泥ですよね?」

「そだヨー」

 なんの後ろめたさもないあっけらかんとした対応だった。

「えっと、なぜそんなものを?」

「なんでっテ、安全?」

 もしかすると、この死者は少し“我が儘”になりかけているのかもしれな

い。アイは冷や汗をいた。だとするとまともな受け答えは期待できない。

「? あなた死者」

「あ、はい、そうですけど」

「じゃ、ヨシ。……それとも、オイシク、なかっタ?」

 ウエイトレスの表情パーツがパタパタと入れ替わり困惑を形作った。

「いえ、料理はとってもおいしかったです」

「ジャ、よし。……??? ん~、困った。わたしもうずっとバカになって

るカラ。よくわかんないノ」

「ああ、いいんですよ。こっちこそすみません……」

 パタパタ回ってしょんぼり顔。アイは慌てて慰める。

「だかラ、テンチョーに、聞イテ」

「店長?」

「ウン、となり、の建物」

 やはり罠の気配はしない。二人は彼女の後をついて行くことにした。「こっ

ちヨー」スタッフ用の通路を抜けて裏口へ向かう。途中の厨房ではコックた

ちが忙しそうに料理を作っていた。その多くが例の細工物だった。

 外に出ると、すぐとなりに母屋とおぼしき小さな家と、その何倍も大きい

温室があった。

「わぁ、すごい!」

 アイが歓声を上げた。温室は全面ガラス張りになっており、入ると熱気で

暖かかった。植えられている野菜はどれもぴかぴかに光っており、中央には

水を張った池まであった。なるほど、ここであの野菜を作っているのかと、

アイは納得した。

 だが納得は温室の半分を見るにつれて薄れていった。

 土がほじくり返されている。岩が好き勝手に削られている。顔料を溶いた

色とりどりの水瓶がいくつも転がっている。ビリビリに裂いた紙が丁寧にし

まい込まれている。

「テンチョー」

 そんなまるで絵描きか、陶芸師か、あるいは子供の遊び場かという場所に

彼はいた。

「おや、どうしました?」

 あまり料理屋の店長をしているようには見えない男だった。背がひょろり

と高く、骨と皮が骸骨のように張っている、といってもちろん死んでいる訳

ではなく、ただあまり食べていないだけなのだろう。男にはそういった研究

者的な雰囲気があった。

「あなたが店長さんですか?」

「ええ、そうですよお嬢さん。なにかご用でしょうか?」

「聞きたいことがあって来ました。すこし、お時間いいですか」

「かまいませんよ。ですが、少しだけ待ってください。仕込みを終わらせた

いので」

 男は作業台に向かうと真っ白な砂岩を取り出して、うすで丁寧にいて砂に

した。続いて玄武岩、珪石けいせき、蛍石、と何種類もの石を挽いていく。できあ

がった砂はそれぞれ瓶に詰められ、「砂糖」「塩」「胡椒」などのラベルが貼

られる。

 男はそれらの調味料を抱えて大鍋へと向かった。鍋には油が煮えたぎって

おり、大理石がくつくつと煮えている。まるで味付けでもするように砂がま

かれ、鉄製のお玉でぐるぐると混ぜる。

 それはまさに料理のまねごとであり、壮大なおままごとと言って過言では

なかった。だがそうと切り捨てるには男の所作は洗練されており、表情は真

剣味に満ちていた。

「さあ、お話を伺いましょう」

 なにかしら切りの良いところまで作業が終わったのだろう。男は額の汗を

ぬぐいながら言った。アイは気を引き締めた。間違いなく、この男からは異

能の匂いがした。

「……単刀直入に聞きます。このレストランの目的は、なんなのですか?」

「えっと、目的、ですか。いきなり大きな事を聞きますね。うーん、そうだ

なぁ」

 男は苦笑し、戸惑っていた。だがそれは目的の不在を示すものではなく、

ただ言葉にしたことがなかったからだ。

「私たちの目的、それはきっと、すべてのお客さんにおいしい料理を提供す

ることです」

 男は誇らしげに、そして自慢するように言った。それは見果てぬ夢を見て、

その道をいまも突き進んでいる求道者の輝きだった。

「そして、みんなの飢えが、少しでも満たされたら、これ以上の喜びはあり

ません」

「……これも、そのためのものですか?」

「はい、もちろん」

 あたりのおままごとを指さすと、彼は迷いなくうなずいた。

「もう少し、詳しく説明してもよろしいですか?」

「ええ、助かります」

「では、……実は私は、異能者なのです」

 だと思いました。とは、アイもアリスも言わなかった。話の腰を折っては

まずい。

「能力は、んー、そうですね、実際やってみたほうが早いでしょう」

 男が立ち上がり、資材置き場へ行って二本の鉄串を取ってきた。

めてみてください」

 アリスと顔を見合わせる。だがこんなところでためらっても仕方がない、

アイは思い切って鉄棒を手に取りぺろりと舐めた。途端に鉄くさい酸味と

すっぱさが舌に広がり、そして、

「あ、甘ぁ――!!」

「ほんとだ甘ぇ! うわ! へんな感じ!」

 鉄棒は、甘かった。それも砂糖水を塗ったようなごまかしの甘さではなく、

飴あめのように芯しんのある甘さだった。

「なんですかこれ! どうやって作ったんですか!?」

「これはですね、飴と同じ要領で鉄を溶かして練り上げたんです。……申し

遅れましたが、私の力は『架空調理』あらゆる物質を料理する能力です」

『おお!』

 二人はぺろぺろと鉄棒を舐めながら話を聞いた。なんとなく祭りの夜店で

講談を聞いているような案配だった。

 それにしても、なんとすばらしい能力だろう。アイは目を輝かせた。

「すごい! すごすぎます! それじゃあおいしいもの作り放題じゃないで

すか!」

「あはは、それほどうまくは行きませんよ。もともとの味を消せるわけじゃ

ないし、食感もごまかせないので、その辺はいろいろ工夫しなければならな

いのです」

 言って、背後の作業場を指さした。

「正直、普通に料理するのと手間はそれほど変わりませんね」

「だったらなぜ、こんなことを?」

「それはもちろん、そうしないと料理を提供できない方たちがいるからで

す」

 店長が誇らしげに胸を張った。

「先ほど、私は『すべてのお客さんにおいしい料理を提供したい』と言いま

したよね?」

「ええ、立派な事だと思います」

「いえいえ、きっと普通の料理人も同じ事を考えますよ。……でも現状、ほ

とんどのレストランは、あるお客さんの飢えを癒やせていません」

「あ……」

 アイは気づいた。この世界でもっとも飢えており、しかしその飢えを満た

すことのできない人たちのことを。

「そう、死者です」

 料理人は言った。

「彼らにとって食事は敵です。食べれば食べただけ我が儘になり、肉体を傷

めて腐っていく。かといって我慢すれば我慢しただけ精神を痛める。逃れよ

うのない痛苦です」

 死者、という存在は、最初から不自然なものとしてこの世にあった。

 どうしたって腐っていく肉体。崩壊していく精神。変わってしまった人間

関係。愛情。常識。そして癒やしであり破壊の輩、墓守との関係。彼らの抱

える問題は多岐にわたり、新たな悲劇を生み出してきた。

 それでも人類は――それが喜ばしいことかは別として――新たな死を克服

していった。腐りゆく体をミイラ化し、精神を薬と対話で保ち、集団を作っ

て新たな種とし世界に根付いた。彼らの(こう言って正しければ)寿命はい

まや百年とも千年とも言われるほど延び、初期の問題はほとんどが解決を見

ていた。

 だがしかし、食事に対する欲求は最大の問題として現代も残り続けてきた。

 食べたい。温かな肉に歯を食い込ませ、骨から引きはがして頬張ほおばりたい。

温かなスープを流し込み、胃がはち切れるまでいっぱいにしたい。魂が求め

る故郷の味を、もういちどだけ味わってみたい。

 死者の飢餓は深く静かに進行し、中毒症状的に顔を出す。実際のところ死

後の“飽食”によって我が儘になってしまった死者は数多く、対処は困難を

極めた。

 だが、この料理人の能力ならば、

「この力はもともと、まずい食材をおいしくするために生まれたもので、私

は最高級の料理人をやっていました。ですがある日、死者のみなさんにも通

用すると分かって、野に下りました。そして開いたのがこの店です」

 彼は誇らしげに温室を見渡した。

「ちょっと、へんぴな場所になってしまいましたけどね。でもこのあたりの

土はとても素直で、味の付与にはちょうどいいんです」

「そうだったんですか……」

 とすると先ほどの紳士も死者だったのだろうか。よくできた死者は生者と

見分けがつかないというが。全然気がつかなかった。

「よかった」

 アイは万感の思いを込めて、息を吐いた。

「本当に、よかったです……」

 ここは良いレストランだ。そう確信できたことが本当にうれしかった。清

水がこんこんと湧いている。緑が青々と茂っている。狂気から生まれた力が

正しく芽吹き、花咲く時を迎えている。

 ここはまるで、オアシスのようなレストランだと、アイは思った。乾いた

世界の片隅に生まれた牧人の土地。旅人の飢えをいっとき癒やす慰撫いぶの場所。

 こんなことを言ったらきっと否定されるだろう。それでもアイは思った。

 彼はきっと、世界を救う人なのだ。と。

 自分が一度あきらめ、そして再びおっかなびっくり歩きはじめた道を、彼

はずっとずっと、誰に言われるでもなく歩いているのだ。

 愚直に、真面目に、

 それがアイにはとても、よかったのだった。

「おいしい料理を、ありがとうございます」

「どういたしまして。もう行くのですか?」

「はい!」

 体も、心もいっぱいになって、アイはもう止まっていられない。体が叫び

たがっている。心が走り出そうとしている。

「申し遅れましたが私はアイ・アスティンと申します。旅人です」

「ユバク・ストレイヤ。料理人です」

「ここのレストランの話、私いろんなところでしますね」

「それは助かります。――また来てください」

「はい!」

 二人は固い握手をして、後の再会を誓い合った。

「じゃあ、行くか」

 それをアリスは、ただ見ていた。アイは彼の背を追って、再び荒野へ戻っ

ていく。

「……なんだよ」

「いえいえ、別に」

 さしあたって、一番どうにかしなければならない人の手を取って、それで

もアイは楽しかったりする。未来と現在が正しく結ばれている予感を感じる。

 レストランに戻って荷物を取り、カウンターによって代金を払う。お代は

有り金と相談してきもち多めに払っておいた。あまりに高価な値段をつける

のも、違うと思ったからだ。

「それじゃあ! また!」

 そして二人は走り出す。温かなオアシスを離れて、冷たい荒野に帰ってい

く。

 いまだけは安らかな心と、満腹感を抱えたままに。

                                 了

 




ちなみに、

 二人はすっかり勘違いしてしまったが。店長の能力は「あらゆる物質を料

理して能力」ではなく、「あらゆる物質を料理して味

をつける」だけであり、素材自体の特性は変わらない。

 そのことにアイが気づくのは、自身のお腹がキリキリと痛み始めてからに

なる。

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