ネクラ勇者は仲間が欲しい/羽根川牧人

ファンタジア文庫

第1話 ネクラ勇者、ロリエルフを酒場に連れ込む 前編

 人間の国リオレスの歴史は、魔族との闘争の歴史でもある。

 互いに大軍を率いた長き戦は、田畑を燃やし、街を破壊し、平原を血に染めた。

 ときに束の間の平穏が訪れもしたが、それは膠着こうちやく状態という名の、仮初めの安らぎでしかなかった。ともに力を蓄え終わると、やがて戦争は再開された。

 永遠に続くかに思えた戦況が傾いたのは、アレクシア平原の戦いであった。

 その最終決戦に大勝したのは人間側――リオレス。

 魔族を殲滅せんめつせんとはやる人間たち。

 窮地に立った魔王バルザークは、苦肉の策として支配下にある城や迷宮、洞窟に強固な呪詛じゆそをかけた。

 魔族と、魔族が使役する魔物以外の侵入を拒絶する魔法《開かずの禁呪リフユージア》。

 これにより人間軍は魔王打倒まであと一歩と迫りながらも、二の足を踏むこととなる。

 しかし――人間側には優れた魔法士がいた。

 老賢者スレーベンである。

 彼は《開かずの禁呪》破りに残り全ての生涯を費やし、破れないまでも、その効力を緩める魔導具《禁呪崩しキーノート》を創りあげた。そして一度に五人まで、魔族の拠点へと人間を送り込むことを可能としたのだ。

 だが、最大五人となれば、それはもはや軍とは呼べない。魔族討伐に必要

なものは騎士団が持つような機動性や統率力ではなく、個々の戦闘力や機敏な対応力。

 そこで賢王アルゼロス九世は《王立冒険局》を設立。

 魔族討伐の役割を、軍から《冒険者》へと委ねた。

 いまだ魔族の息づく迷宮に、五人で挑むのは至難の業。

 ゆえに《冒険局》は最も効率的な編成を冒険者たちに推奨する。

 すなわち。

 一、剣、魔法を扱え、なによりもその勇気にて皆を導く勇者ブレイヴ

 二、武器に長じ、頑強な意志と身体で後衛を守護する戦士ウオリアー

 三、類まれな魔法力にて、敵を一網打尽に葬り去る魔法士ソーサラー

 四、神の教えと奇跡の力を以もつて、仲間の心身を癒やす僧侶プリースト

 五、厄介な鍵や罠を解除し、仲間たちの進路を切り開く盗賊シーフ

 冒険者を目指す者にとって、最初の関門は、自身を含めた五人のパーティを組むこと。

 今日も冒険者たちが集う酒場は、仲間を求める声でごった返す。



「ヘイ、そこのイケてる戦士。俺の仲間になってみないか?」

 一人片隅で酒を飲んでいる男が目にとまり、俺は声をかける。

 表面のあちこちが傷ついた、使い込まれた鉄のよろい

 こんな酒場のなかでさえ大剣は背におったまま。

 片眼には眼帯、短く刈られたあごひげ。齢はおそらく三十前後。

 見るからに歴戦の剣士といった風貌だ。

「フン、百戦錬磨の俺に気安く声をかけてくるとは、良い度胸だな」

 剣士は品定めするようにこちらを見てきた。

 俺、クラム・ツリーネイルは目の前の戦士より一回り若い十八歳。

 この国リオレスでは十六で成人とみなされるが、さほど筋肉のついた体格でもなく、肩幅も狭い俺は頼りなく思われることもしばしばだ。

 装備はといえば腰に提げた片手用の長剣に、大クロジカの革を何層にも重ねた胸当て。利き腕と逆の左腕には、魔法の行使を補助する宝玉入りの腕輪。

 軽すぎず、重すぎず。剣と魔法をともに用いる、どこにでもいる勇者のいでたちだ。

 特徴のない俺を測りかねた様子で、戦士は問う。

「その意気や良し。だが、それにつりあう実力を、お前は持っているのかな?」

「そんなものは持っていない」

 堂々と否定されて、剣士は怪訝けげんな顔になる。だが、そこで俺は拳を握って続ける。

「でも、俺はまだまだ強くなる。魔王バルザークとも張り合えるくらいにな。あんたが実力を求めるのなら、これからいくらでもつけてやるさ!」

 戦士はぽかんと口を開いたあと、今度は大声で笑った。

「若いな小僧。実に若い」

 それは呆れた笑いにも聞こえた。しかし、笑い止んだ戦士はその瞳に真剣さをたたえる。

「だがそういう熱さ、俺は嫌いじゃないぜ」

 戦士が差し出してきた手に応じ、俺は強く、固く握手する。

「未熟な勇者よ、俺の名前は――」

 ……さん……さん…………

「お客さん!」

「はッ」

 目を開けると、酒場のオヤジが迷惑そうにこちらを見ていた。

「カウンターで寝ないでくださいよ。うち、スリにあっても責任とれません

からね」

「ね、寝てないって。考えごとをしてただけだ」

 オヤジは疑わしげに俺の口許くちもとを指さす。なにかと思えば端からよだれがこぼれていた。

 平静を装って口を拭いながら、俺は確かな達成感に浸る。

 ――よし、妄想のなかではバッチリ決まったな。これならイケる!

 え、戦士に声をかけたんじゃないのかって?

 ……サーセン。今のやりとり、全部俺の頭のなかでしか起こってませんでした。

 ふう……、いざ誰かを仲間に誘おうとすると、伝説的な偉業を成し遂げる方がまだ楽なんじゃと思えてくるから不思議だよな。

「よ、よし。いい加減、声かけに行くか」

 さっきの妄想を真実に変えてやる。

 景気づけにエール酒を一気に飲み干して立ち上がると、俺は酒場の片隅で一人で黙々と酒を飲んでいる戦士の元へ向かう。

 やばい、酔っ払ってもないのに足がもつれる。

 戦士の格好は――あ、妄想中に説明したか。

「へ、へい……そこのイケてる戦士……」

 小声とかいうな。これが精一杯なんだっつーの!

「……なにか?」

 片眼でじろりとにらまれた! こ、怖ええ……。

 なんだよこいつ、強そうじゃねえか……。

 へ、へへ、俺のパーティに加えるに不足なしだぜ……!

 パーティって言っても、まだ俺一人しかいないけどな……!

「あ、えっ、……なっ、ななな」

 ああ、なんで肝心なところでむんだ。

 頭のなかで何度も口にしただろ。

 ただ一言、こう言えばいいんだ。『俺の仲間になってみないか』って。

 あくまで『なってくれ』と頼む形にしないのがポイント。お願いから入るとパーティ組んだあとの人間関係に影響するって、仲間づくり相談所のおばちゃんが言ってたからな。

 ほら言うぞ、さあ言うぞ。

「なかム……ムム……ウ、ヴェ――――――――!」

 だ、ダメだ。今度は緊張しすぎて吐き気がこみ上げてきた。

「え、なんだお前……ただの酔っ払いかよ」

 口をおさえ、膝を床についた俺を、傷の戦士は気持ち悪そうに一瞥いちべつする。

「くそっ、酒がまずくなっちまうぜ」

 戦士はテーブルに酒代の硬貨を置いて立ち上がる。あっ、やべ、店を出ちまう。

 遠くなる背中に、俺は手を伸ばして必死に呼びかける。

「見極めんの早すぎだろ。俺たちは前世で結ばれた相棒同士かも知れないんだぜ……?」

 俺の小声は戦士には届かない。

「おい勇者の兄ちゃん、大丈夫か? 飲み過ぎたか?」

 酒場のオヤジが背中をさすってくれる。どうやら今のショボいやりとりは見られていなかったらしい。それはせめてもの救いだと思った。

「お、お会計たのんます……」

 涙がこぼれ落ちるのを我慢して、かろうじて言えたのはそれだけ。

 今夜も結局、ダメだった――

 仲間がほしい。

 共に険しい山や谷を越え。

 戦いが始まればお互いの背を預けて。

 ダンジョンの最下層で宝と喜びを分かち合い。

 夜空の下で輪になって大きな火を囲んで。

 憎まれ口なんかを叩きながらも、底の方では深い絆で結ばれている――

 そんな仲間が。

 こんなの勇者として、それほど大それた望みじゃないはずだ。

 魔王を倒したいとか、一国一城の主になりたいとか、千年後まで名前を残したいとか、そういうんじゃないんだから――

「仲間がほしいぜこんちくしょう……」

 ここ、ネオンブリッジは冒険者の酒場が連なる街だ。

 街のシンボルは、太古に滅びた魔法文明の遺産、魔導機関車の残骸。そこを中心に蜘蛛の巣状に冒険者の酒場が広がっている。

 魔導機関車の通り道だった巨大な陸橋は、使われなくなってからも依然として煌々こうこうとした魔法力を発しており、それがそのまま街の名となった。

 行き交う人は冒険者か、酒場関係者か、酒場に酒を納品する商人か。そんなところ。

 とにかく人は多い。やたらめったら多い。

 普通に考えれば、石でも投げれば仲間になってくれる人に当たりそうなもんだ。

 なのに俺の仲間いない歴は十八年。つまり年齢と同じ。

 まあ冒険者になってからはまだ二年だし? 二年って言い張ることもできるけど?

 でもそれにしたって丸々二年、ぼっちで過ごすってどういうことよ?

 ちなみに「仲間いないの?」ってたずねられて「今はね」って『今』をことさら強調するやつ。そういうやつはみんな、俺と同類。

 一度も仲間ができたことのない仲間童貞だ。これ豆な。

「勧誘失敗。ぼっちなう、と」

 俺は大通りに設置されたベンチに座り、手のひらサイズの平たい石英の板、

水晶魔法板を取り出すと、冒険者日記を更新する。

 どういう仕組みだかは知らないが、この魔導具を使うと、遠くの人と連絡をとったり、他人の冒険者日記を確認したりできるのだ。

 パーティメンバーとコミュニケーションが密にとれる、冒険者の必需品。記録をつけたり、画像を撮ったり、音楽を聴いたりもできる、まさに魔法文明の英知が結集した利器。

 最近は水晶魔法板のことをスマホン、なんて略すらしい。

 なお、俺がスマホンで連絡を取り合うのは遠方にいる親くらいだし、更新中の冒険者日記飲みログだって閲覧者がいるのかは謎だ。

 なあ、ほんとこれ誰か読んでるなら書き込み残して。仲間になるよ?

 はあ……。不毛な更新を終えると、再び立ち上がって酒場街を進む。

 どこで飲み直すかな。

 今日はもう仲間探しをする気力なんてないし、なるべく空いてるとこが良いんだが。

「きゃはは、おっかしい!」

「だろ? だろ? 自分の魔法で穴に埋まっちまったんだよ!」

「本当かよ。お前の話はホラが多いからな」

 前からやってくるのは、仲の良さそうな三人組の冒険者パーティ。男女混成で、みんな酒が入って顔が赤くなっている。

 リア充は楽しそうだよな。

 ほんと、酒場で仲間集めるシステムを最初に考えたの誰だよ。そいつは絶対、非リア充が冒険者になることなんて想像してなかったんだろうな。地獄に落ちろと言ってやりたい。

「おい、なにこっち見てんだよ」

 そんなことを考えていると、三人組の一番前、勇者と思われる男が睨んで

きた。

「あ、い、いや俺は……」

 ただ、羨望の眼差しを向けていただけなのに……。

 目つきが悪いから、俺はいつも喧嘩を売っていると勘違いされるんだ。あと無表情だとか、喜怒哀楽が全然伝わってこないとか、視線が落ち着かないとか。

 性格が外見にまで現れちゃってる俺って一体……。

「ちょっと、可哀想だよぉ。彼、キョドッてんじゃん」

「相手にすんなッて。貧相なカッコからして、どうせ『あぶれ勇者』だろ」

 パーティメンバーになだめられたのと、俺の態度が滑稽だったのとで、相手は少し冷静になったらしい。一応言っておくが、俺がキョドッたのは計算じゃなく、素だ。

「悪かったな。飲み代に困ってるなら恵んでやるよ、ほら」

 そう言うと、一枚の銅貨を俺の胸に投げつけて、笑いながら去って行く。

 地面に落ちた銅貨を、俺は拾い上げる。

 なんだよこれ……。こんなのエール酒一杯分にもなりゃしない。どうせ投げつけるなら金貨を投げろよな。

 せっかくだからもらっておくけど。一銅貨を笑う者は一銅貨に泣くって言うし。

 まあ、俺の場合、今まさに泣きそうなんだけど。

「くッ、なんだよ……」

 こんなの涙腺のトレーニングだとでも思わなきゃ、やってられるか。

 あぶれ勇者とかなんとかよお。パーティ組めてるお前らに、なにがわかるッてんだ。

 あーあ、あいつらが金貨なら、俺はまさに今拾い上げた、土に汚れた銅貨だよな。

 そう思ったら、なんだかこの銅貨にも愛着が湧いてきたぞ。

「決めた。今夜、お前は使わないでおこう」

 服の下にしまっておけば、いつか矢の一撃を止めてくれるかもしれないからな。

 いや、銅貨じゃあっさり貫かれておしまいか。

「――だから、子供は酒場に入れられないんだって」

 頬を拭って歩き出すと、正面からなにやらもめている声が聞こえてきた。

 片方は酒場の従業員。あの薄くなりかけの頭は見覚えがある。

 このあたりじゃデカい方の酒場 《食い意地》亭のウェイターだ。

 自慢じゃないが、俺は飲み屋だけには詳しい。

《食い意地》亭は従業員五人で回していて、仕入れている肉と酒の質が良く、時間料金を払えばそのあいだ飲み食いし放題になるという大食らい、大酒み向きの店だ。

 どうだ、だてに《飲みログ》なんて名前で冒険者日記つけてるわけじゃないだろう。

 騒ぎに立ち止まって二人のやりとりを見守っている者――つまり野次馬は、俺の他にも何人かいた。

「あたし、子供じゃないってばぁ! 何度も言ってるじゃない、十六歳以上だって!」

 そう叫んだのは、背の低い女の子だった。

 この国じゃ、冒険者になれるのも、飲酒が許されるのも、成人の十六歳になってから。よって冒険者の酒場も十六歳未満は立ち入り禁止。

 ウェイターに食い下がる女の子は、どう見ても十三歳がいいところだった。

 未成年を店で飲ませたとなれば、酒場の営業停止は免れない。

 もちろん、十六歳を超えても幼い外見の奴だっている。そういう場合に酒場が求めるものは、ただひとつ。身分の証明だ。

「十六歳以上だって主張するなら、冒険者証明書――冒険証を見せてくれるかな? そうすればおじさんも安心して入れてあげられるからね」

 うううう、と涙目になる女の子。なんというか、そういう庇護ひご欲をくすぐる表情もいかにも子供だ。

 ひもくくられた赤みがかった髪。もちもちとした色白の肌。よく動く、お尻が短めの眉の下には、ぱっちりとした大きな瞳。

 耳には、もう春だというのに、何故かすっぽりとイヤーマフをつけている。

 旅用のマントの下には、どこのものかはわからないが、民族衣装と思われるつたの意匠が施された布の服、かわいいおへそがちらりと見え、短いスカートからは低い身長のわりにすらっと伸びた太もも。

 まあまあ肌の露出が多いのに、全然色っぽく感じられないのは、その体型に凹凸がほとんどないからだろう。あと三年くらい経てば美しく成長する素地はあるのだが。

「ん……」

 よく見ると彼女の腰には、かしの枝を削ったと思われる小さなつえが提げられていた。

 ワンドと呼ばれる魔法行使用の杖だ。彫られた紋様はきめこまやかで、いかにも高価そうである。

 ふむ――もしかしたら、彼女はどっかの魔法士の弟子なのかもしれない。

 俺はぼっちが会得できる、妄想という名のユニークスキルを膨らませてみる。

 酒場で飲んだくれている師匠を探しに来た、とかありそうじゃないか。

「ほら、やっぱり冒険証を持ってないんじゃないか! さっ、どっか行った行った」

「うー……。あ、あんなところに空飛ぶおっぱいが!」

「なにっ!」

 女の子が指さした方向を目で追うウェイター。もちろん、そんなものは見えない。ただ、俺にはウェイターがおっぱい大好きだということはハッキリ見えたッ。

「今だっ!」

 哀れな同志が目を離した一瞬の隙に、女の子は店に入ろうと突進を試みる。

 けど、歩幅が狭いし、なにより動作がとろい。

 あと「今だっ!」なんて叫んでしまったら、隙を作った意味がない。

「こらっ!」

 女の子はあえなくウェイターに突き飛ばされ、尻餅をつく。

「あいたっ!」

 その衝撃で、つけていたイヤーマフが外れ、地面に転がった。

 瞬間、ウェイターだけじゃなく、俺や、他に騒ぎを見ていた奴らは目を見開いた。

「いったあ……。もうっ、こんなに可愛いあたしを突き飛ばすとか、どうかしてるんじゃないの? かとーなにんげんのぶんざいでっ…………ん?」

 沈黙した周囲の空気に遅れて気づき、ハッと少女は自分の耳に手を当てる。

 もちろんそこにマフはない。代わりにあるのは、ピンと先のとがった小ぶりの耳だ。

「エ、エルフ―――!?」

 俺たちは一様に声をあげた。

 なぜって、エルフはめちゃくちゃ珍しい種族だからだ。

 森の賢者と呼ばれ、果物やきのこを収穫、ときに弓で狩猟を行って暮らす民。

 生まれつき魔力が高く、幼い子供でも宮廷魔導師並の魔法を行使するという。

 その身体的特徴は、色白な肌と尖った耳。女の子の外見は、なぜ今まで気づかなかったのかと思うくらいに、疑いようもなくエルフだった。

 そして、エルフであるならば、腰に提げた杖の価値も暴騰する。

「申し訳ッございません! エルフ様ならば、そう仰ってくださればいいのにィー!」

 案の定、ウェイターの態度は地面に頭をこすりつけんばかりに豹変ひようへんした!

「エルフ様は実年齢よりも幼……若々しく見えますからなあ! ささ、どうぞ店のなかへ。質素ではございますが、料理の味だけは保証しますよォ―――!」

 やりすぎだろうと正直引くが、それも仕方ない。

 酒の飲めない子供と、エルフの魔法士とでは、店に落ちてくる利益は天地の差。

 勇者が仲間に加えたいパーティメンバー、その堂々一位がエルフの魔法士!

 そんなお客が来るとなれば、宣伝効果バツグン。

 店にはあぶれた勇者たちがこぞって集まるようになる。

 俺のような? ほっとけ。

「マスター! お客様方! 《食い意地》亭にエルフの魔法士が来店しましたよー!」

 ウェイターが叫び、外にも「おおっ!」という歓声が聞こえてきたのだが――

「ぴ、ぴぴ……、ぴみゃ―――――ん!」

 エルフの少女は突然、大きな瞳から涙をぶわっと流したかと思うと、くるりと背を向けて、全速力で走り去っていく!

「うええん、あたしを酒場に呼び込もうなんて、ひ、百年はやいわぁ――! こ、この、かとーなにんげんのぶんざいでェ―――!」

「あ……、お、お客様ー!?」

 ウェイターが引き留めようとしたそのときには、エルフ娘はすでにはるか彼方。

「なにかお気に召さない!? 今ならお代は半額、いえ全額無料にしますからあー!」

 悲しき叫び声が酒場街に響いて消える。

 悪くない条件だと思うが、エルフ娘が戻ってくる様子はなかった。

 本当にどうしたんだろう。そんなにエルフだと知られたくなかったのか?

 ……よくわからない。エルフが正体を隠すという話は聞いたことがなかった。

 エルフは人間の街にはめったに出てこないが、自身の種族に誇りを持ち、むしろ鼻にかけてるくらいの人物が多いと聞くし、人間にバレたところでちやほやされることはあっても損はないはずだ。

 ――ま、考えてもしょうがないか。俺には関係ないことだしな。

「いやー、珍しいもん見たなー」

「エルフの女の子か。あれで俺たちより年上なんだろ? ビビる」

「でもけっこー可愛かったよな」

 ウェイターとともにしばらく立ちすくんでいた野次馬たちは、少しずつではあるが散っていく。その流れに乗り俺も立ち去ろうとした。……したんだが、ふと地面に落ちたままのイヤーマフが目にとまった。

「……」

 自分がエルフだってことを隠していたみたいだから、これがないと困るんじゃないか?

 ネオンブリッジは俺の庭。あの子が行きあたりそうな場所は思いつく。思いつくだけに、なんかこのままにしておくのは申し訳ない気がしてきた。

「ああ、もう……」

 俺はがりがりと頭をくと、マフを拾い上げ、エルフ娘が走り去った方角へと向かった。

 

 思った通り、彼女は大通りを進んだところにある広場のベンチに座っていた。

 マントのフードをすっぽり被っているが、生地の色が鮮やかなので間違えようがない。

 さて、来てみたはいいが、変に意識して心臓がバクバクしてきた。

 いや、仕方ないだろ。だって、エルフの魔法士だぞ。

 仲間にしたいと夢想したことは、俺だって一度や二度じゃない。

 ま、想像してたのはすらっとした知的な男のエルフだが――いかんいかん、冷静になれ。

 別に仲間にしたいとかそんなよこしまな気持ちで来たわけじゃないんだ。

 そう、俺には大義名分がある。落し物を届けに来たという、な。

 だからその流れで「もうッ、あたしをめちゃくちゃ仲間にしてッ!」ということになっても自然の摂理というか――いやだから違う。

 くれぐれも変な期待すんなよ俺。

 マフを渡したら「あ、どうも」と冷たく言われて終わり。

 一期一会。万物は流転する。宇宙の法則は乱れない。

 よし、心の期待値下がった。さあ、行くぞ。

「あのー……」

 にじり寄りつつ声をかけると、エルフの少女は、きっ、と睨んできた。

「あたし、仲間にはなりませんから!」

 いきなり全力で拒否られた!

 え、なんで? なんで心を読まれたの? エルフってそういう魔法つかえるの?

 でもちゃんと期待しないように心構えしたよ? え、え?

「どうせあなたもあたしの身体が目当てなんでしょ!」

「は、はああ?」

 おいおい。今の、十代前半の女子が口にすると相手の人生を破滅させられるっていう、《冤罪えんざい》という名の魔法の呪文じゃね? マジツクポイントは一切減らないのに、効果は絶大なやつ。

 おそるおそる周囲に目をやると、やっぱり街を行く人々は、犯罪者を見るような目を俺に向けていた。

 ヤバい。発言を撤回させなければ。

 見廻りさんこっちです、と巡回騎士を呼ばれかねない!

 同じぼっちでも、独房暮らしは嫌だ!

「ち、違」

「違わないもん! あなたが仲間にしたいのはあたしじゃなくてエルフでしょ! 魔力が高いからって一緒くたにしてー!」

「あ……、そ、そういう意味か……」

 少し安心した。そんなに見た目がロリ好きに見えるのかとショックを受けるところだったじゃないか。

 ああ、実際は違いますよ?

 エルフってなあー、大人になっても微乳の種族なんだよな。巨乳こそが正義だと思っている俺には物足りなさが否めないのだ。

 巨乳こそ母性の象徴であり、男たちを争いから遠ざけるもの。だってそうだろ。乳に顔をうずめながら、人は剣を握ることができるだろうか。いや、できない!

 うずめた経験はないがな。二重の意味で反語形だ。

 ……脱線した。

「い、いや、イヤーマ、マフマフ」

 肝心なところでも、噛む。肝心だからこそ、噛む。

 ネクラがこのスパイラルから抜け出すのは、容易なことではない。これが本当の意味での、ミングスーンである。

「いやいや、まふまふ? 意味はわからないけど、なんかいやらしい! はっ、もしかしてあなた、冒険者じゃなくて変質者!?」

 言葉の原型と俺の尊厳が崩壊しつつあった。

「さ、さっきこれ落としたろ?」

 俺はキョドるのをなんとか抑えながら、女の子にイヤーマフを差し出す。

 すると女の子は自分の誤解に気づいたらしく、

「あ、ありがとぅ……。届けてくれたんだ……」

 尖った耳にマフを着け直すと、頬を赤らめて笑った。

 うわ、かわいい! 俺は素直に思った。

 でたくなるかわいさとはこういうのを言うのかもしれない。

「失礼なこと言ってごめん。あたし、ミーチカ・オルレインっていうの。あなたは……?」

「……クラム。クラム・ツリーネイルだ」

 うわー、自分の名前を酒場の予約以外で口にしたの、いつ以来だよ。

 俺と彼女――ミーチカとのあいだに、和やかな、むずかゆいような空気が流れる。

 人と話す緊張も多少なりほぐれてきた。せっかくだから気になってたことを尋ねてみる。

「さっき、ど、どうしてエルフだって言わなかったんだ?」

 訊ねれば首を突っ込むことにもなりかねないが、どうせ乗り掛かった船だ。今夜は暇。敗戦の傷を癒やすために酔いつぶれるくらいしかすることがなかったから、多少は協力してやってもいい。

「飲んだくれの師匠の好みがわかれば、お、俺が行きそうな酒場を教えてやるけど」

「師匠?」

 きょとんとするミーチカ。

「あ、い、いやなんでもない」

 魔法士の弟子は俺の脳内設定だったか。最近、現実と妄想の区別がつかなくてヤバい。

「別にあの店じゃなくても良かったの。冒険者の酒場に入れればどこでも……」

 歯切れの悪い返事である。初対面の俺にどこまで打ち明けていいものやら悩んでいるといった感じ。個人の事情に踏み込みたいとは全然思わないが、なんとなくここで放置していくのもばつが悪い。

「素性を隠したままで入れる酒場に、連れて行くか?」

「そんなところ、あるの!?」

 ミーチカの顔が、パッと勢いよく上がる。その反応に、俺は調子に乗って

胸を張る。

「じ、自慢じゃないが俺は飲み屋だけには詳しいんだ」

 いや、これが自慢じゃなかったら俺にはマジで自慢するとこないんだが、全くどうしたもんだろう……。

 数多あまたの店がしのぎを削るネオンブリッジだけに、店ごと、エリアごとで集まる人間の種類は異なる。

 完全にパーティを組んだ連中しか来ない酒場、金で雇われる奴ばかりが飲んでる酒場、盗賊クラスしか集まらない酒場。

 もちろん、酒場が客を選んでいるわけじゃない。オープンしてしばらく経つと、必然的にその店なりの特色が出てくるもんだ。客が酒場を選び、そして酒場もまたその客に合わせてサービスを進化させる。月日とともに、どんどん店のカラーは鮮明になっていく。

 要するに女性ばかりが集う酒場に俺が入っても、ルール上はなんの問題もないわけだ。なお、一度知らずに入ったとき、慌てて酒をテイクアウトにしたのは良い思い出。

 冒険者の酒場でテイクアウトって……、交流する気ゼロか。

「ここだ」

 膨大な選択肢のなかから、俺が選んだ酒場は《旅の道連れ》亭。年季を感じさせる外観、看板なんて若干ゆがんでいるのだが、そこがまたなんとも味がある。

「へえ、気取らない感じのお店だね」

「だろう? こ、ここはオヤっさんと奥さん、それに娘さんの家族三人でやってて、アットホームなんだ」

 思わず饒舌じようぜつになる。普段、酒場の情報とか話す相手いないんだよ。

「初心者からベテランまで幅広く受け入れてくれるし。あとエール酒が上手い」

 扉を開けると、いつもと変わらない明るい声が迎え入れてくれる。

「いらっしゃいませえ。って、クラムじゃない。陰気な顔してるけど、なにかあった?」

「なにもないよ」

「そうよね。あなたの陰気さは今日に限ったことじゃなかったわ」

 女言葉だからわからないと思うが、わざわざぼっちの俺をからかってきたのは、奥さんではなく、オヤっさんだ。

 オヤっさんはちょくちょく世話を焼いてくれる良い人なんだが、女言葉に似合わず鶏のトサカみたいな髪型で強面こわもて、おまけに筋骨隆々だから初見は怖い。

 ミーチカはオヤっさんが出てくると、さっと俺の後ろに隠れた。また追い出されるのでは、と思っているらしい。

「ちょっとちょっと、コミュ障のあんたが一人じゃないなんてどういうこと? アタシ、まだ店は潰したくないんだけど」

「悪いことの前触れみたいな言い方しないでくれよ」

「あら、気に触ったの? ごめんなさいね。それにしてもかわいらしいお連れさん。そっちの子とはどういう関係?」

 質問されるのは想定済。ミーチカはおどおどしているが、イヤーマフをつけているからエルフとは気づかれない。

 俺は答える。

「い、妹」

「……えっ、えええええええ!?」

 これは妹として紹介したミーチカの大声。

 しまった、どうやって酒場に入れるつもりか、先に言っとけば良かった。

「ちょっと、アタシよりも、その子の方が驚いてるじゃない」

 オヤっさんに怪訝な顔をされて、俺は必死に弁明する。

「妹と呼ばれて驚くのがこの子の持ちネタなんだ。ほ、ほら、どうも最近、反抗期に突入したらしくてさ……。お兄ちゃんの服とあたしの服を一緒に洗濯しないでとか言うし」

「ああ、それはわかるわ。だってクラムだし」

 そこにリアリティを感じられるのは不本意だ!

「で、どうして冒険者の酒場に?」

「家には親もいないし、ひとりで残らせるのも可哀想だと思って」

 しょうがないので俺の両親には設定上、死んでもらおう。

「まあいいわ。そういうことにしといてあげる。違ってても、ウチは困らないしね」

 オヤっさんはメチャクチャごつい眉毛の下でウインクを決めた。

「……助かる」

 ここのオヤっさんはこういうとき、すごく気が利く。

 保護者なしで未成年を酒場に入れれば大問題だけど、保護者同伴の確認をとった、という言い訳があれば別。バレたとき、とがめられるのはあくまで俺。

 まあどのみち連れの正体はエルフ。人間よりも遥かに長命な種族。見た目と違ってとっくに成人になっているだろうから、釈明すれば問題にはならないんだが。

 オヤっさんは俺の肩を叩き、諭すように言う。

「あとでちゃんと返してくるのよ?」

「もちろん。ユウシャのユウは誘拐のユウ……っておい」

 てかそこまで大目に見てくれとは頼んでない。さすがに誘拐だと思ったら騎士団に通報してくれ。だから聖母のような瞳でこちらを見るな。

「さ、ではこちらへどうぞ」

 俺たちが促されたのは、店の奥にある四人用の丸いテーブル席だった。

 ぶっちゃけ、テンション上がる。

 なんでってそりゃ、初めてのテーブル席だからだ。言わせんな情けない。

 いつもはカウンターに座ってちらちら振り返りながらテーブル席の冒険者をうかがっていたけれど、こっちからだと酒場全体が見渡せるんだな。

 あー、なんか感無量。

「ぷんぷんのぷん、だよ!」

 テーブル席の座り心地に水を差したのは、怒った様子のミーチカだ。

「妹ってねー、こう見えてあたし、百五十歳なんだからね! あなたはね、あたしより百歳以上も、と・し・し・た、なの!」

 エルフは一千年以上生きると言われる種族だ。百歳近くても、エルフのなかではまだまだ幼い年齢と言っていいだろう。

 とはいえ、年上を敬う心を俺は忘れない。

「俺よりお姉ちゃんなんだ。自分の齢を言えて、えらいな」

「年上の頭をなでなでするなぁー!」

 あ、思わずなでてしまった。ぶんぶん腕を振って、俺の手を払いのける仕草は、とても自分より百三十二歳も年上とは思えない。

 それはネクラな俺にとっては、実はありがたいことだった。容姿がいかにも年下だからか、他の人と話すときよりも心に余裕が持てている気がする。

「まあ、でも酒場に入れてくれたことは感謝してあげる! ……でも、なんだかお客さん少なくない?」

 店には三十人は入れるが、まだ客は俺たちを含め十人もいない。

「これからいっぱいになる。ここ、まあまあ人気店だから」

《旅の道連れ》亭は、なぜか二軒目として需要がある店なのだ。酒が安く飲め、のんびりできるからかもしれない。

「ふーん。あっ、あれがクエストの貼り出された掲示板だね。初めて見た」

 ミーチカは紙が大量に貼られた奥の壁を見て、目をキラキラさせる。冒険者たちの情報源、クエストボード。あそこには王国や一般人からの依頼、魔族の出没情報なんかが載っている。スマホンでも調べられるけど、酒場のクエストボードの方が二、三日情報が早いから、ちょくちょく酒場に足を運ん

でないと、人気の依頼は先を越されるんだよな。

 俺はウェイトレスをしているオヤっさんの娘(実の娘か怪しいほど美人!)を呼び止めると、エール酒とすぐに出てくる干し肉、それに店名物の豆と芋のトマト煮込みを頼んだ。妹役に徹するためか、連れはミルクを注文する。

「せっかくだから、改めて自己紹介しない? あなたのこと名前以外なにも知らないし」

 俺だって彼女のことをなにも知らないから、自己紹介は聞いてみたい。

「自己紹介って、なにを話せばいいんだっけ?」

 けれど自己アピールをやりなれていないぼっちは、こういうとき困ってしまうのだ。

「そりゃー冒険者なんだから、クラスがなにかとか、得技とか色々あるでしょ? 特技がないなら趣味とかね」

「趣味は……、音楽を流しながらダンジョンに潜ることかな。テンション上がるし」

 俺は自分のスマホンを手に持って言う。

 うん、今のはなかなかイケてた気がする。音楽は万人に受け入れられる趣味だしな。

「へえ、意外。テンション上がる曲ってなに? 賛美歌? 吟遊詩人の英雄たん? それともリュート曲かしら? ちょっとあたしにも聴かせてよ」

 ミーチカは腰からワンドを抜き、ちょいっと上に立てた。すると俺のスマホンは手からひとりでに抜けだし、彼女の空いている方の手へと収まる。

「あッ、なにを」

 魔法だと、気づいたときには、もう遅い。

「いいじゃん。別に恥ずかしいもんじゃないでしょ」

 ミーチカは俺の制止も聞かず、スマホンの音楽ボタンを押す。

 流れてきたのは――俺が今日の昼に聴いてたやつ。

『よっ、勇者さん!』『俺たち最高の仲間だよな!』『さっすがあ、頼りになるぅー!』『今のいいじゃん。ガンガンいこうぜ!』『やっぱり俺たちはお前がいないとダメだよ』『あなたとパーティを組んで本当に良かった』『私、今最高に幸せだよっ』

「………………」

 沈黙するミーチカ。

 それは、俺が他のパーティの会話を酒場でこっそり録りため編集した音源。

 三十二あるトラックのなかの一つ『仲間って、本当にいいもんですね~』だった。

 これを流しながらダンジョンで戦うと、まるでパーティを組んでいるかのような錯覚を楽しめ、テンションがメチャ上がるのである。

 他には酒場で聞いて悦に入る『お前をリーダーにしてやるから、俺を仲間にしてくれ』とか、一人で飲んでいるときに気分を盛り上げてくれる『乾杯これくしょん(乾これ)』、他人の不幸をネタに陰鬱な気分を癒やす『ギリアム、パーティやめるってよ』などがある。なお、ギリアムが誰かは知らない。

 ミーチカはうつむき、すっと俺の前にスマホンを差し出した。

「……聞かなかったことにする」

「助かります……」

「あなたがにんげんのなかでも特にかとーな存在だってことはわかった」

「生まれてきてごめんなさい……」

 長い沈黙。そこから先に立ち直ったのは、ミーチカの方だった。

「全く、しょうがないなあ! 尊く賢いエルフのあたしが、今から見本を見せてあげる! 自己紹介で大事なのはね、自分の良いところをどれだけ伝えられるかよ!」

 ミーチカは束ねられた髪を揺らして、ドヤ顔になる。

「あたしは知恵と美貌を兼ね備えたエルフのなかのエルフ、ミーチカ・オルレイン。そして――じゃーん、れっきとした魔法士クラスの冒険者なんだから!」

 そう言って刻印の入った金属のプレート、冒険者証明書――略して冒険証を取り出す。そこにはミーチカの名と冒険者としての等級を示すランク、年齢、種族、そしてパーティのなかでの役割を示す《魔法士》というクラスが刻まれていた。

 やはり《食い意地》亭では冒険証をあえて見せなかっただけらしい。

「得意技は炎の魔法! 力があまりに強すぎたから、地元では《森を焼き尽くす者》なんて異名で呼ばれてたわ!」

 ……それはエルフ的にはどう考えても悪口だろう。

「あるいは《獣たちを追い払う者》! どう、すごいでしょ」

「お前、絶対に森で火事を起こしたことあるよな……」

「ええっ!? どうしてわかったの!?」

 素直に驚いているところ悪いが、わかるだろ普通。

「クラスなら、俺はこんなのだ」

 俺は礼儀として、冒険証を見せ返す。クラス名は口にしない。

 正直、自分で自分のことを勇者とか言うの、どうかと思うし。

「へえ、勇者! すごいんだね!」

 ミーチカは驚くべき無邪気さで声を大にする。

「勇者ってあれでしょ、リーダーでぇ、どんな仲間もよりどりみどりなんでしょ?」

 やめろ現実との差に死にたくなる。

「なにもすごくない。勇者なんて、損することばっかりだよ」

「そうなの?」

「ああ、冒険者のなかで一番惨めな存在だぜ」

 スマホンの中身を聞かれたこともあって、俺はミーチカにカッコ良く見られたいとか、真っ当な勇者だと思われたいという気持ちが完全に失せていた。

 それが良かったのか、普段より流暢りゆうちように話せている自分に気づく。

 と、ここでオヤっさんの娘がエール酒とミルクを持ってきてくれたので、俺たちは軽く杯をぶつけあう。

「勇者、戦士、魔法士、僧侶、盗賊。この五人でパーティを組むと、国から支援金が出るのは知っているだろ。真面目に魔族討伐に取り組んでいるってことで」

 毎月の支援金があるかないかは、冒険者にとっては死活問題だ。なにせパーティに金貨十枚。五人分の家賃が丸っと払える金額なのである。

「でも、冒険局が考えなしにクラスを分けたせいで、他のクラスより勇者は五倍くらい多いんだ。才能のないやつらまで、みんながみんな勇者になりたがったのもあるけど……」

「へえ、あなたみたいに?」

「ほっとけ。……まあとにかく、あぶれ勇者なんて言葉が生まれるくらい、勇者は五人パーティを作りにくいんだよ」

 そう、これは俺の問題じゃなく、社会問題。責任者、出てこい!

「……そういや、結局どうしてミーチカは素性を隠してるんだ? エルフだって言えば酒場にもすぐ入れるし、冒険者として仲間探すのも楽だろ?」

 そう訊ねると、ミーチカはまたもや大げさに驚いた。

「な、なんであたしが仲間いないってわかったのっ!?」

 それはもういいだろ……。こいつ、自分のこと賢いって言ってるけど、マジでちょっとませた子供にしか見えない。

「酒場に入れてもらえてない時点でわかるし。仲間は酒場で探すのがセオリーだからな」

 そういう理屈と、あとは直感。なんというか同じ匂いを感じたのだ。

 いわゆる、ぼっち臭ってやつ?

「さっきの見てたでしょ?」

 ミーチカはほとほと疲れ果てた様子で言う。

「冒険関係のひとって、あたしがエルフだとわかると目の色を変えるの。最初はちやほやされて気持ちいいけど、酒が入った途端にみんなであたしを奪いあって……」

「ああー」

 きっと勇者同士で口論にでもなったんだろう。あるいはアピール合戦か。

「あたしの腕を両側からひっぱりあって『最後まで離さなかった方が勝ちな!』とか言い出すし……」

「物理的に奪いあってた!」

「『痛い痛い!』って言ったら片方は離してくれたんだけど、今度は『先に離した俺の方が思いやりある仲間だろ』ってまた喧嘩けんか に……」

「どこかで聞いたことある理屈!」

「結局、どっちの仲間にもならずに逃げ帰っちゃったんだけど……、気づいちゃったんだよね、あの人たちは『あたし』じゃなくて『エルフの魔法士』を仲間にしたかったんだろうなあって」

「なるほどね」

 贅沢ぜいたくっちゃ贅沢な悩みだが――俺はエール酒をぐいっと飲んだ。

「なんか……、そう考えるのもわかるな」

 これは本心だった。

 俺には誰かに奪いあわれた経験なんてないけど、それが自分の実力とかじゃなく、親の七光だったりしたら嫌な気持ちになるだろう。

 エルフなんて種族は、彼女を構成する一要素でしかない。それも、彼女が努力や経験で勝ち取ったものではなく、生まれつき持っていたもの。

 いくら珍しいからって、強い魔力を持っているからって、そんなことだけで仲間に加えてもらったら、後になってから悩んでしまう。

『この人たちは、エルフじゃなかったら自分を仲間に加えなかったんじゃないか』って。

「別に同情してくれなくてもいいよ」

 暗くなった雰囲気を払拭するように、ミーチカは明るく笑ってみせる。

「ただの冒険者と馴れ合うつもりないから。だって、あたしってエルフのなかでもさらに尊い、言わば《超エルフ》みたいな存在だし?」

「超エルフ!?」

 偉そうにしているのに悪いけど、なんだろう。すごく恥ずかしいぞ、その響き。

「そんなあたしにふさわしい勇者は《影の剣王》様しかいないんだから! 酒場に入りたいのも、影の剣王様に会って、仲間に入れてもらうためだしね!」

「ん……? 影の剣王って?」

 どっかで聞いたことがある名だ。そういえば他の酒場でも、誰かが噂していたな。あくまで俺は聞き耳を立てていただけだったけど。

 ミーチカは頬をぽうっと赤らめ、夢うつつな表情で語る。

「うん。たった一人でモンスターの大群から辺境の村を救ったり、にんげんを夜な夜な連れ去る魔族を打ち倒したりしては、誰にも正体を明かさず影のように去って行く、そんな流浪の勇者様なんだよ!」

「なんだそれ、胡散うさんくさ……」

 本音をつぶやくと、凄い形相でにらまれた。

「胡散くさくなんかないもん! 影の剣王様は完璧に善意の人だもん! あとぉ、イケメンでリア充でしょ、話し方は流暢で立ち居振る舞いは優雅、それに実は亡国の王子で、息はミントの香りがするんだから!」

 指折り数えながら影の剣王の特長を語るミーチカ。

「会ったことないのに、やけに自信満々だな……」

 亡国ってどこだ。最近になって滅んだ国なんて、ここら辺にはないぞ。

 まあとにかく、同じ独り者でも、俺と真逆だってことはわかった。

「でも、そいつも冒険局に報告して、報奨金はもらっているんだろ? まさかボランティアじゃあるまいし」

 冒険局は五人組のパーティを組んだときに出る支援金の他に、モンスターから人を守ったり、ダンジョンを攻略した冒険者に報奨金を出している。

 こちらはパーティを組んでいなくても、仕事っぷりが評価されればお金を

もらえるのだ。

「それがそのまさかなの。後から助けられた人がお礼をしたいって冒険局に問い合わせても、誰も報告に来てない、っていうんだよ! きゃー、かっこいい!」

「ふぅーん」

 ひとりでテンションを上げるミーチカが、なんとなく面白くなかった。

 ……言っとくが、嫉妬じゃないぞ!

 単にそんなやついるわけないって思ってるだけなの、俺は!

 噂話に夢なんて見ちゃって、こいつ絶対にがっかりすることになるぞ。

 大体 《影の剣王》って、前からいる《光の剣帝》になぞらえて作られた異名だろ?

 俺、光の剣帝には一度だけ会ったことあるけど、あいつマジクソヤローだからな!

 それでも剣帝は、ちまたでは最強だとか、紳士だとか言われてる。

 そこから俺が得た教訓――自分の見たもの以外は、信じるな。

 盲信しきっているミーチカに言ったところで、どうしようもないだろうけどな……。

「というわけで、剣王様以外の人に誘われても、迷惑なだけなんだよね」

 ミーチカは、俺が仲間に誘うことを牽制けんせいするように言った。

「でも、たまにこうして一緒に飲むくらいなら大歓迎だから」

「それ、自分ひとりじゃ酒場に入れないからだろ?」

「バレた?」

 悪びれず、ぺろりと舌を出すミーチカ。

「なにはともあれ、よろしくね。ネクラさん」

「クラムだよ。まあ、お互いパーティを組めるように頑張ろうぜ」

「うん!」

 テーブルに運ばれてきた干し肉をかじりながら、俺は思う。

 エルフの魔法士なんて高嶺たかねの花。

 最初から仲間にするのなんて諦めてはいたものの、残念な気持ちはやっぱりあった。

 だって、こんなに話しやすい相手には久しぶりに会った気がしたからだ。

 言っておくが、俺のコミュ障っぷりは、普段はこんなもんじゃないんだぜ?

 さっき戦士を誘ってあえなく轟沈ごうちんしたやつ。あんな感じがデフォだ。

 自分がなにも求めていないから、というのもあるんだろうが、彼女の子供みたいな外見も俺の緊張を緩めてくれているのかもしれない。

「ふわー。これめちゃうまだよー! この料理だけで、ここに通う価値があるかも」

 トマト煮込みの芋を頬いっぱいに頬張りながら、ミーチカがとろんと表情を綻ばせた。

 そうだろう。ここの煮込みはトマトの味がぎゅっと凝縮されていて、しかもぴりっとした唐辛子が効いているもんだから酒が進んで仕方ない。具材はじゃが芋の他には弾力のある野ウサギの肉と硬めの食感を残した大豆、しんなり味を吸い込んだ玉ねぎ。細かく刻まれた数種類のキノコが、一口ごとに微妙な変化を与えてくれるのが嬉しい。

 ことトマト煮込みに関しては、この店がネオンブリッジで一番だね。

 しかし自分が選んだ酒場の料理を褒められると、自分も嬉しくなるもんだな。ミーチカがあんまりおいしそうに食べるから、俺も自分のフォークをじゃが芋にぶっさした。

「まあ俺も、仲間を選ぶなら高望みするべきだと思うぜ」

 なにせ、パーティメンバーとはお互いに命を預ける仲になるんだ。

「どうせなら俺は誰もが羨む、最っ高のパーティを組んでやるつもりだ」

「ほうほう、クラムはどんな人と仲間になりたいの?」

「俺は野郎パーティを組むつもり」

「ヤロウ?」

「そうさ」

 不敵な顔を作るつもりで、俺はにやりと片方の口角を上げた。

「男だけの硬派なパーティ。男女が半々の婚活パーティとか、勇者だけ男のハーレムパーティって見てるとイライラしてこないか。お前ら本気で魔王倒す気あるのかって」

 男は男で、女は女でパーティを組めばいい。なぜ混ぜる必要があるのか。

 混ぜるな危険。修羅場ってる男女混成パーティに遭遇したのは一度や二度じゃない。

 よこしまな気持ちを仲間内に持ち込むからダメなんですよ。俺はあなたたちとは違うんです!

 いや、これっぽっちも羨ましくなんてないんだからな!

「へえー、ちょっと見直しちゃったよ。なんだ、じゃああたしは最初から候補に入ってなかったんだね」

「そうだ。お前エルフだからって自意識過剰なんだよ」

「言うね。かとーなにんげんのぶんざいで」

「それ、お前の口癖か? 俺だからいいものの……」

 なんかこいつ、口ぶりからして下等の意味を理解してるのか怪しいんだよな。

「下等な人間って言うけど、《影の剣王》だって人間なんだろ?」

「なに言ってるの? 剣王様は剣王様っていう種族だよ」

「種族!?」

「うん。だって、剣王様は排泄はいせつしないから」

 無垢むくに瞳を輝かせるミーチカ。

 ダメだこいつ……。剣王様に対して盲目すぎる。

「じゃあ、クラムがこれから組む男パーティに乾杯しよ!」

「おっ、乾杯」

 杯を合わせたそのとき、カララン、と酒場の扉が開く音がした。

 そろそろ混み始める時間か。そう思って何気なく視線をそちらへやって、

俺はあやうく手に持っていた杯を落としかけた。

 入ってきたのは僧侶クラスと思われる人間種の女性だった。別になにも珍しいわけじゃない。冒険者の酒場ではよく見かける職業だ。

「う……わ」

 しかし彼女の格好に、俺の目は釘付けになる。

 まず注目したいのは修道服を着たところでまるで隠されていないその大きな胸。

 なんだあれ。男たちの煩悩を全て背負いましたと言わんばかりの大きさ。

 というか、修道服自体のデザインも敬虔けいけんな心を試すかのようにエロい。

 背中がパックリ開いてる上にワンピースの丈が極端に短く、サイズは彼女の体型にぴったりか、むしろ小さいくらい。だから尻もパツパツ。なのにウエストは引っ込んでいる。

 わがままボディとはまさにこのこと。

 最近の神の下僕は、遠慮というものを知らないのか……。

 けしからん。実にけしからん。

「果実酒を一杯いただけます?」

 椅子に腰掛けた彼女はテーブルの下でさりげなく脚を組むと、オヤっさんに落ち着いた声で注文する。

 エロい部分はまだまだある。なんと彼女の脚にはフリルレースのついた白い網タイツ。

 え、え、それだけでもエロいのに、あの絶対領域にピンと張った一本のラインはまさか、まさかガーターベルト様じゃないんですかぁあ!?

 お初にお目にかかります……。お噂はかねがね……。こんなところでご尊顔を拝見できるとは、世の中まだまだ捨てたものではありませんな。

 合掌。

 すまない。ボディのインパクトが強すぎて顔の説明が後回しになってし

まった。

 ここまで来て実はすごいブサイクでした、とホラを吹いて怒られるのも一興なんだが、正直、説明を後回しにせざるを得なかったのが悔やまれるくらいに美人だ。

 青い輝きを放つふさふさの髪は修道服とセットの頭巾からはみ出て、毛先がくるんと外にはねている。長いまつげと絶妙に調和した、ややタレぎみの目。

 おそらく年齢は俺と同じか、やや年下と思われる。安易に年上じゃないところがまた良い。そう、包容力は年齢が生みだすものではないのだ。

 それにしても、女神のようなあの光り輝くオーラはなんだ……。

 目を閉じれば浮かんでくる。

 あの大きなおっぱいに挟まれて眠る、俺の姿が……。

『よしよし、僕ちゃんは甘えん坊ですね』

「ば、ばぶー……」

 なんだあの子。

 自分の好みにあまりに合致してて、勝手に妄想が始まってた……!

「……さっきまで、ヤロウパーティがどうとか言ってなかった?」

 よだれをふき、ふと気づくと、ミーチカがジト目でこちらを見ていた!

「なんか頭のなかで繰り広げられている人物説明の長さとテンションが、とてもネクラとは思えないほど饒舌じようぜつだった気がしたんですけど」

「うっ!」

 え、なに?

 こいつ本気で読心術的な魔法使えるんじゃねーの?

「いや、さすがにそんな魔法、使えないから」

「なんだ、安心した……って、じゃあなんで心の声に反応を!?」

「口に出てるの、気づいてないの……?」

 俺はハッと口をおさえる。

 誰ともしやべってなかったせいで、いつの間にかそんな癖がついてたのか……。

 独り言が多くなってるなら誰か教えてくれよ。

 ……俺は一体、誰に向かって言ってるんだ。

 ミーチカはやれやれと手を広げると憐れみの目を向けてくる。

「まったく、これだからにんげんの男って。エロい目で仲間を選ぶとか……」

「ち、違うよ。全然ちげーし」

 俺は人間種の尊厳を守るべく、全力で否定する。

 無駄にテンパって淡々とした早口になっちゃうのはご愛敬だ。

「お、俺って回復魔法が使えないからさ、怪我けがなら耐えられるけど、麻痺毒を受けたりすると毒消しアイテムを取り出すとき大変なわけ。回復役に僧侶ってパーティに絶対必要。でも僧侶って男女比三対七くらいで女性の方が多いだろ。男の僧侶は慢性的に不足しているんだよ。男パーティでも、僧侶だけは女でも仕方ないかな。やむなくだよ、やむなく。なははのは」

 あかん。苦しい。そもそも女が混じったら男パーティじゃない!

「なんだ、そういうことだったのかあ」

 ところが、ミーチカの素直さはその上を行った!

「わかった。じゃあ、あたしが協力してあげる!」

「え? 協力?」

「うん! あたしに感謝しなさい。ネクラさんの仲間いない歴は今日でおしまいだよっ」

 だからネクラ言うな。

「……どうするつもりだ?」

 しかし興味はある。むしろ、仲間作りの方法以上に興味深いことなど、俺にはない!

「まず、あたしがあの子に声をかけてみる!」

「ああ、それで?」

「そしたらあの子がネクラさんの仲間になるっ!」

「ふむふむ……ん?」

 気のせいか? あいだの部分をメチャクチャはしょられたような。

「…………それだけ?」

「あとは大自然に身を委ねればいいの。それがエルフ流コミュニケーション」

 大自然に身を委ねるって、なるようになる的な意味だったっけ……。

「もうちょっとこう……具体的な策はないのか?」

「具体的? 例えば?」

 それ俺に訊く? 仲間いない歴十八年の俺に?

 ……ああ、もういいや。面倒くさくなってきた。

「いや、俺が間違ってた。お前はすごい。なんというかスケールがでかいな。さすが百年以上生きてきただけのことはある」

 相手を傷つけないよう『大ざっぱだね』と言ってみたつもりです。

「当たり前!」

 ミーチカは胸をどんと叩く。あ、胸はない。胴体の上の方をどんと叩く。

「エルフは森の賢者。あたしの頭には百五十年分の知恵が蓄えられてるんだから!」

 森にいる賢き者か……。ここには子守がいる幼き者しかいないけどな。

 あとその知恵の貯蔵庫には、多分ネズミよけがないと思う……。

 しかし、口には出さない。

「よっ、森の賢者。ひゅーひゅー」

 むしろはやし立ててやる。

「えへー。もっとあたしをたたえなさい?」

 ……俺が言うのもなんだが、そういうドヤ顔は事がうまく運んでからした方がいいぞ。逆にフラグ立ちそうだから。

「じゃあ、行ってくる! 戦果を期待せよ!」

「おお、頼んだ、戦友」

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