第十六話 川中島の再戦(後編)


 犀川さいがわで起きた初戦は、長尾景虎の突然の出現に驚いた武田方が南岸に退き、堅く本陣を守って動かないという持久戦法を急遽採ったことから、膠着こうちやく状態となった。景虎とて、背後の旭山城が常に善光寺を脅かしている状況を無視して犀川北岸に陣取り続けるわけにはいかず、さりとて一万二千の武田軍が堅陣を敷いて待ち構えている南岸へ少数で渡河することも不可能だった。

 以前、第一回川中島の合戦で武田軍を打ち払った時とは、武田軍の堅さや士気がまるで違う。武田軍から立ち上る「気」に、突破可能な隙がない。ほんものの晴信が本陣にいるためだ、と景虎にはわかった。

」の旗を掲げて単騎突進してきた景虎にも動揺しない、並々ならぬ「堅さ」。不動の「山」。毘沙門天びしやもんてんを称する景虎に対抗して晴信が自らを「不動明王ふどうみようおう」になぞらえはじめているらしいが、「不動」という通り名を称していることは自分に対する一種の挑発なのだろう、と景虎は気づいた。

 軍神・毘沙門天の化身として戦う景虎は、野戦での直接戦闘となれば無類の強さを発揮するが、これほどの名将に「巣籠すごもり」されてしまうと、凄惨な総当たりの殲滅せんめつ戦をはじめる以外に戦況を動かす道はない。

 景虎はもちろん、敵味方に無数の死傷者が出ることになる殲滅戦を嫌う。

 それに――景虎が前線へ出たと知った旭山城の春日弾正が、早くも怪しい動きをはじめていた。

 景虎は、「目の前に晴信がいるというのに」と唇をみながら馬を返し、犀川北岸の防備を村上義清ら諸将に命じ、自らは善光寺東の横山城へと戻った。

 副将で一門衆筆頭の長尾政景。

 戦略戦術を補佐する、軍師の宇佐美定満。

 諜報と補給を担当する、宰相の直江大和。

 戦場で景虎にとってもっとも信頼のおける三人の男が――いざ戦場を離れると政景の動きはとたんに怪しくなるが――景虎を出迎えた。

「フン。相変わらず無茶をやる。日の光に当たって疲れているだろう。少なくとも善光寺への夜襲はない。休め」

 近頃の政景はどうも気持ちが悪い、と景虎はいぶかしがった。最初の子を病で亡くしてすぐに、二人目の子を綾との間に授かった。それ以来、政景は景虎に対して直接牙をいてくる機会が少なくなった気がする。わが子の生死を経験しているうちに人格から角が取れて「景虎さまの義兄」になりきられたのだ、と褒める国人衆も増えた。

 むろん、そのような簡単な男ではないことは、景虎も承知している。

 ただ……川中島で武田晴信と戦うことに、政景が「関東遠征派」だからという以上の思いで反対していることはたしかだった。

「なぜ、夜襲がないと言いきれるのだ、政景」

「旭山城の武田軍の目的は越軍を善光寺に釘付けにすることと、戸隠の『石』を奪うことの二つだ。善光寺を奪える機会がくれば奪いに来るが、俺たち三人が四千の兵を率いて横山城に駐屯しているうちはそれはない。それに今は戸隠山のとび加藤と、旭山城に入っている真田忍群との間で、忍び同士が暗闘している。春日弾正とか言う逃げ弾正は、このような時に城を空にして下山するような博打ばくちは打つまい」

「見ろ景虎。牛に引かれて善光寺を参るうさちゃんのぬいぐるみだ! どうだ! 牛とうさぎの二体一組!」と凝りに凝った新作を披露し、仕事をしていたのかどうか疑わしい宇佐美定満が、

軒猿のきざるを用いて武田軍の陣容を調べたが、突撃するしか能がない男武者ぞろいの越軍とは違って、実に多才だぜ。村上の旦那が武田の古参武将を片っ端から討ち取ってきたはずなのに、かえって世代交代に成功しているようだ。欠点がねえ」

 と、「武田武将一覧」なる巻物を景虎に手渡してきた。

 天下の奇才とも言える「星を見る軍師」にして「山の民」に通じた築城の達人・山本勘助。

 その山本勘助と肝胆相照かんたんあいてらす「山の民」出身の「真田忍び」頭領・真田幸隆。

 晴信以上の器量を持つと呼ばれる完璧なまでの副将・武田信繁。

 晴信と瓜二つの影武者、武田信廉。

 越後の武将によくいる「突撃一辺倒の猛将」だが無性に強い、武田義信。

 その義信と双璧、武田最強の攻撃隊長、「赤備え」の飯富兵部。

 城に籠もって防衛戦をやれば驚異の粘りを誇る逃げ弾正こと春日弾正。

「赤備え」と連動し、重騎馬隊を率いる馬場信房。

 神出鬼没、何時の間にか戦場の要所に出現する謎の姫武将・工藤なにがし。

 信じがたい緻密さと速さを誇る武田各部隊の連携を可能とした「むかで衆」を統率する真田の「双子」。

 猿飛の術を用いる猿飛佐助、爆破専門の正体不明の忍び「地雷也」たち――真田が誇る忍び衆、通称「真田十勇士」。

「景虎。武田家に人材が次から次へと湧いてくるのは、人材の身分素性を問わない晴信の人物鑑定眼のたまものでもあるが、どうも軍師・山本勘助の教育力が高いためらしいな。しかも勘助は、信濃近辺の『山の民』にも顔が利く。真田が仇敵の武田についたのも、勘助の尽力があってこそらしい」

「……若い姫武将が多いな。さぞ、誠心誠意晴信に仕えてくれることだろう。隙あらばわたしを嫁にしようと暴れはじめる越後の国人たちとはずいぶん違う……越後の武者は野戦となると強いが、みな我が強く、わたしを嫁候補と見ている者が多く、こうして戦でもしていなければ統制がとれない。羨ましいな」

 フン。それは俺のことか? と政景が景虎の杯に酒を注ぎながら、鼻先で笑った。

「大勢だ。関東の城を欲しがっている北条、軍費が惜しいと泣き言を繰り返す大熊、わたしに忠誠は誓うが国人としての独立性にこだわる下越の揚北衆あがきたしゆう……その上、それらの諸将が関東遠征派と川中島遠征派、非戦派に分かれている。加藤段蔵も、いつ何時妙な動きをするかわからぬ者だ。越後の武家や忍びがみな男ばかりなのがよくない」

 小笠原長時に堺で襲われて以来、人間の性善説を信じる景虎もさすがに自分の貞操を本気で心配するようになっている。信濃守護の座よりもわたしが欲しかったのかと思うと、人の業というものの重さ、熱さに、恐ろしくもなる。高野山で必死に修行を積んだのも、毘沙門天の化身として人の世に生きることにみ疲れてきたからかもしれない。少なくとも小笠原長時は、景虎を毘沙門天だとは思っていなかった。だからこそ、襲えたのだ。戦場で毘沙門天の真言マントラを武将から足軽に至るまで唱えさせるという異様な「軍法」を景虎がひらめいたのも、戦での統率力を高めるためというよりも、あるいは、自分の身を守るためだったのかもしれない――。

「直江の旦那が、次世代の宰相候補を育てている。姫武将だぜ、景虎。あとしばらくの辛抱だ、元気を出せ」

「なにを言いだす、宇佐美? 宇佐美も直江も政景もまだ若いし、元気ではないか。越後の武将の世代交代など、わたしが生きているうちにはないだろう。身体の弱いわたしのほうがお前たちより先に天に召される。むしろ、わたしが唐突に死んだあとの越後をどうするかをお前たちには考えておいてほしい」

 そいつはねえな、と宇佐美が「牛に引かれて善光寺参り兎」を景虎のひざの上に載せながら笑っていた。

「俺も直江も見た目より案外歳食ってるぜ。気が若いだけさ。政景の旦那は見た目のとおり、殺しても死なない男だしな」

「だが宇佐美。武将はたいてい、戦場で命を落とす。しかしながらわたしが率いる越軍では、名のある武将を討ち死にさせることはない。それほどの覚悟を強いる決戦では、わたし自身が必ず先頭に立つからだ。手駒のように武将を戦場で死なせていく晴信とは違う」

「お嬢さま。善光寺の秘仏を旭山城に持ち去られたことで、善光寺平の民がみな動揺しています。晴信は、可能ならば秘仏も戸隠の『石』もみな甲斐かいへと持ち去ってしまうつもりです。移動が不可能ならいっそ破壊しようとしている模様です。前者が最善手で、善光寺平の民心を押さえられます。後者は悪手ですが、民はみな心のよりどころを失い、そのうちのおよそ半分は武田方にはしります」

 直江大和が、話を軍議へと引き戻した。

「それよりもお前が育成している姫武将はどんな娘だ、直江。嫌みばかり言って泣かせてはいないだろうな?」

「ある程度成長しましたらお嬢さまの小姓としておつけしますよ。まだまだ、わたしはこんなところへきとうはなかった! と騒ぎたてる気位の高すぎる娘です。たった一人ですのに、とてつもなく手間がかかります。大勢の姫武将候補を育てている宇佐美さまの気が知れません。独り身に戻りたいですよ……って、そんな話をしている場合ではないのです!」

 宇佐美のもとで育てても、釣りばかり教えられるからな……厳しくても直江のほうが教育者向きだろう、と景虎はうなずいていた。姫武将ばかりの小姓たちで本陣を固めれば、安心できるかもしれない。が、戦場に小姓たちを連れ出せば、さしもの景虎といえども彼女たち全員の命を守りきれるとは言いきれない。まして相手が戦巧者の武田晴信であれば、危険すぎる。どうにも、踏ん切りがつかなかった。

「現状のわれわれは、旭山城と犀川南岸に挟撃されております。お嬢さまが全軍を率いて犀川を渡って決戦を挑めば、善光寺を奪われます。横山城をこのまま守らせながら半数の兵のみで犀川を渡れば、鉄壁の武田陣というわなに飛び込むこととなり、負けるとは言いませんが越軍もまた大損害を受けましょう。越軍の将兵を犠牲にしたくないというのであれば、どうにもなりません。もっとも、犠牲を払ってでも晴信と決戦するというのであれば、兵を

二手に割って片方を渡河させることもできますが」

「……直江。それではわたしは慈悲を捨てて晴信と同じ戦の鬼になることになる。わたしが死ぬのはいいが、柿崎、村上、北条たち渡河組のうち、多くの将兵が討ち死にすることに。それでは『義戦』にはならない」

「お嬢さまが死ぬのが最悪の結末ですよ。家臣など、育成すれば出てきます。お嬢さまには、代わりなどおりません」

「政景と姉上のお子がいる。わたしが死ねば、あのお子に越後守護の座を譲ればいいではないか」

「まだ幼すぎますよ。そもそもお嬢さまが討ち死になどすれば、封印を解かれたかのように政景どのが荒れ狂います。越後も関東も信濃も、死屍しし累々るいるいとなりましょう」

 そうなるだろうな、フン、と政景が杯に満たされた酒を飲み干しながら吐き捨てた。

「景虎の武がなくば、俺は本性を剥き出しにして、長尾為景の下克上の流儀を取ることになる。しかも、まだガキにすぎない俺の子が守護となれば、俺が越後の王だ。そうなれば、宇佐美と直江ごときに俺は止められん。戸隠の『石』を用いて異形の忍び部隊を結成するのもいいな。加藤段蔵と俺が組めば……」

「では、わたしはまだまだ戦では死ねぬな。弱肉強食で越後が内紛に明け暮れていた父上の時代に逆戻りすれば、越後は晴信と北条氏康に滅ぼされてしまう……また、戦での縛りが増えた……宇佐美。旭山城を封じる策はないか。わたしは、城攻めは得意ではない……あと三日もすれば、月のものが来て寝込むことになる」

 策は練った、と宇佐美定満が珍しく軍師の表情を浮かべて、北信濃の地図を机の上に広げていた。

「旭山城は、戸隠山と善光寺の中間に位置し、両者を牽制けんせいし、機会をつかめばいずれをも奪えるという、武田方にすれば絶好の位置にある。ここを奪われたことが、今回の苦戦の原因だ。しかも、真田忍群と春日弾正の守りは堅い。

全軍で旭山城を攻めればいずれは落とせるだろうが、そのすきに犀川南岸の武田本隊がいっせいに渡河して善光寺へと押し寄せてくる――そこで」

「そこで!?」

「こちらも山岳地帯に『付け城』を建てて、旭山城を封じる。ここと、ここだ。葛山かつらやま城と大峰おおみね城だ。これで、双方が迂闊うかつに動けなくなって、にらみ合いになる。もともとこの二カ所には、簡素な要塞がすでにある。城普請を直江の旦那に任せれば、短期間で整備可能だ。むろん真田の忍びが邪魔をしようとするだろうが、そちらは鳶加藤と軒猿衆たちを動かして封殺すればいい。連中が持ち去った秘仏も、こうなりゃあ山から迂闊に持ち出せねえ」

「おお。軍師らしい進言だな、宇佐美。わたしはちょっと感激している」

「長丁場になるが、耐えられるか? お前の体力が心配だ、景虎」

「わたしが倒れている間は、お前たち三人で軍を切り回してくれればいい。わたし不在の折に決戦がはじまればまずいが……持久戦になるのならば、問題なかろう。それに晴信は、わたしが不在の間に決戦を挑んではこない。それだけは、間違いない。あの女は勝つためならば手段を選ばないが、わたしのいない越軍に勝ってもそれは勝ちではないという信念だけは揺るがない」

 そしてそれはわたしも同じことだ、と景虎はうなずいていた。

「わたくしとしても、問題はありません。軍神・毘沙門天らしくもない気長な戦となりますが、武田晴信が徹底的に速戦を避ける戦略を採ってくる以上、付け城戦術を採ること、やむを得ますまい」

「慎重な春日弾正は動かぬだろう。晴信があやつを旭山城へ入れたのは、牽制こそが目的だからよ。それにもしも春日が動いても、この俺がいる。景虎が寝込んでいる間も、旭山城の兵だけが相手ならば、守るのは容易たやすい」

 

猿飛佐助から「越軍側が、旭山城の周囲に付け城を整備しはじめたでござる。阻止しようにも、善光寺東には景虎と政景が陣取っており、山中では鳶加藤たちの結界が堅く、止められそうにないでござるよ」との報告を受けた山本勘助は、

「景虎一人で戦っているかのように見えていた越後にも、ひとかどの軍師がいたのだな。宇佐美定満め……昼行灯ひるあんどんではなかったということか……ぐぬぬ」

 と歯ぎしりしながら、犀川の北岸に陣取る越軍を凝視していた。

 晴信と次郎信繁の姉妹、山本勘助、真田幸隆が、急遽、軍議を開いた。

 晴信はもともと持久戦を覚悟して出陣した。が、相手の越軍がさらなる持久戦に持ちこもうとしていることに、

「これでは千日手だ。甲越軍の対陣は百日を越えるぞ。景虎の体力が持たないのではないか」

 と少なからず動揺している。

 信繁は、敵の総大将の身体を案じている姉にもどかしさを覚えながらも、武田の副将として事態を打開する道を考え続けていた。

 むしろ晴信にこのような人間の少女らしい感情があるからこそ、妹として姉上を尊敬できるし、姉上を補佐したいと心から願えるのだ、と信繁は気づきはじめている。

 景虎は、姉上をなにか誤解している。姉上は戦に勝つために手段を選ばない「甲斐の虎」だが、長尾為景やわれらが父上・武田信虎とは違う。姉上の戦には、個人としての欲望の範疇はんちゆうを超えた「理想」があり「目的」がある。父親を乗り越えたい、父が犯した暴虐の罪の数々を善政によって帳消しにしたいという想いがある。その想いは、景虎が背負っているものと同じなのだ。ただ、その「理想」へと至る道筋が、景虎とは異なるだけなのだ。

 どうしても、景虎に「正義は己だけではない。姉上にも姉上の正義があり、避けて通れぬ運命がある」ということを知らしめたかった。

 どうすれば知らしめることができるのだろうか。

 証明するためには、現実に結果を出すしかない。言葉をいくら重ねても無駄である。戦で景虎に勝てれば……と、晴信は信じている。が、ほんとうに、勝てるのか。

 山本勘助が越軍を倒すために練った大包囲網作戦は、完璧なものだったはずだ。

 信繁も晴信もそう確信していた。

 が、越軍はその勘助が敷いた包囲網を次々と破ろうとしている。

「姉上。勘助。幸隆。旭山城を封じられてしまえば、武田軍は一歩も先に進めず、退くこともできなくなる……われらが撤退すれば、旭山城の二千の武田軍と春日弾正とを、捨て殺しにすることに。しかし犀川を越えれば、あの景虎を相手に正面からの問答無用の決戦となる。そうなれば、決着がどうなるにせよ、武田軍の将兵はすさまじい被害を」

 晴信と勘助とが人智を尽くして再編成し実戦で鍛え抜いた武田軍は、比類なく強くなった。すでに東国最強と言っていい。「河越夜戦」で関東連合軍を打ち破った名将・北条氏康も、駿河の宰相・太原雪斎も、堂々の野戦で武田を破ることは難しいだろう。野戦決戦では武田に圧倒的に分があり、翻って武田が甲斐信濃の山中に引きこもれば、北条も今川も山また山の甲斐信濃の地形に苦戦し、補給線の維持が困難となり、結局は撤退するしかなくなる。だからこその「三国同盟」成立なのだ。北条・今川の両大国といえども、手を組んで晴信を倒そうとは考えない。そのような道を選択すれば、両家の悲願……関東平定も上洛も夢と終わってしまうからだ。武田は三国のうちでは圧倒的に国力に劣るが、甲斐信濃の地形とそして武田軍の異常な強さとが、その不利を補うどころかむしろ不利を上回っているのだ。

 村上義清を乗り越えた時点で、武田晴信と山本勘助の主従は、天下をうかがう資格と能力とを得ていたはずだったのだ。

 ただ一人。長尾景虎という異形の天才さえ越後に生まれていなければ、今頃は勘助の初期戦略通りに武田こそが東国の覇者となり、上洛軍をも興せているはずだった。

 太郎義信と飯富兵部が引き裂かれることも……なかった。

「真田忍群と鳶加藤・軒猿衆との全面決戦に出ればどうなるの、幸隆?」

 信繁の、苦渋の進言だった。

「残念ですが、戸隠・飯縄を戦場とすれば、『石』を持っている加藤のほうが有利ですわ。こちらの忍びが倒れても、あちらは新たな忍びを生みだすことができますもの。景虎が拒絶しても、加藤段蔵は容赦なくやるでしょう。あの者は、越後と武田の戦いそのものには興味はありません。ただ、戸隠の『石』を守護したいだけなのです。それ故に調略しても、諏訪家を問答無用で滅ぼした武田にくだる可能性は薄く、厄介ですわ」

 あいや、加藤調略の線も探りましょう、もしも成功すれば川中島合戦における両軍の忍びの力関係は一変いたします――が、さすがに一朝一夕にはいきますまいな、と勘助がうなずいていた。

 晴信は、その勘助ですら思い浮かばなかった考えを、口にしていた。

「『石』を破壊してしまえないか、幸隆」

「石を……破壊、ですか?」

「あたしとて、『石』は欲しい。異形の力を持つ忍びを生みだせるのだからな。だが、それはあくまでも手段であって目的ではない。信濃人間の世が来たことを知らしめるためならば、戸隠山の神域がいったん焼き尽くされることになり、『石』とやらが粉々となっても、やむを得まい。ただの石を新たなご神体として、あとで戸隠の神社を復興すればよいのだ」

「石」にかれた鳶加藤が景虎の影としてはべっている限り、景虎を「神がかり」から人間に戻すことは難しい、たとえ天から振ってきたものであっても、石などただの石にすぎない、石などよりも人間にとっては人間のほうがはるかに貴重で代えがたいものなのだと、あたしはみなに知らしめたい――晴信は、幸隆に、そう告げていた。

 真田幸隆は、わかりました、と応えた。

「『石』が消えれば、信濃にはもう、山の民と領民との差も、なくなりますね。『石』から力を引き出された異形の忍びは、今の代で終わりとなりますが……そのようなものがなくとも、一流の忍びにはなれます。風魔も伊賀甲賀も、人間自身の体力と知力と鍛錬だけで、人間の限界を超えた存在となれるのです。考えてみましょう。ですがやはり、鳶加藤の結界を突破できねば戸隠山の奥社に隠されている『石』には辿たどりつけません。さきほどの軍師どのと同じ言葉ですが、一朝一夕には」

『石』などより人間のほうがはるかにたいせつだ。『石』はいつまでも『石』

だ。しかし人間は、刻一刻とその限りある命をすり減らし、老い、死へと向かっているのだから――晴信は幸隆の手を握りながら、そう繰り返した。

「『石』とは、力の源泉であるから崇拝されているのではなく、永遠の象徴なのだとあたしは思う。そして、人間の生には、永遠などないのだ。景虎もまた、永劫えいごうにこの宇宙に存在する毘沙門天の化身ではなく、命に限りある人間なのだ」

 ああ。あなたは、『石』を破壊することで景虎を解放したいのですね、と幸隆は思った。

「ですがいずれにせよ――加藤の結界の突破には、途方もない時間がかかります。真田忍群をもってしても、戸隠本山への潜入は至難の業。武士同士の争い同様、忍びの争いもまた、長期戦となりましょう」

「覚悟の上だ。このたびの戦いで、景虎とあたしとの決着を、必ずつけねばならない。幸隆、頼む」

 幸隆がうなずく。

 

しかし武田方の橋頭堡きようとうほ・旭山城は、北の飯縄山・戸隠山、東西の葛山城と大峰城、南の善光寺・横山城の三カ所の拠点によって完全に結界を構築されて、ここに封じ込められてしまった。

 戸隠には加藤段蔵が入り、横山城を景虎が守る。これによって真田忍群も春日弾正率いる武田軍別働隊も、いずれかが敵拠点を攻略するために突出すれば旭山城に残った側が叩かれるという八方塞がり状態に陥ってしまったのである。

 が、それは景虎方も同じことだった。

 犀川南岸の武田晴信本隊が渡河しない限り、武田軍も越軍も、戦局を動かせない。一方の越軍は、旭山城を封じ込めるために、犀川南岸へは進めない。このままでは勝敗がつかないと焦る晴信と勘助は、犀川南岸を堂々と渡り善光寺へと迫るルート以外の侵攻ルート、あるいは迂回うかいルートの構築について話し合った。

「われらはこたび、景虎不在の隙に善光寺の背後の旭山城を奪い、景虎の動きを封じつつ諏訪から犀川を渡って善光寺へとまっすぐに北上する予定でしたが、その旭山城を宇佐美定満が構築した逆結界に封じられた今、犀川を渡る進路は用いることできませぬ。迂闊に渡河すれば、あの景虎が率いる越軍本隊と野戦で激突せねばならず……そうなれば、両軍ともに無数の犠牲が」

「さしもの真田も戸隠山への突入は難しいらしい。堂々巡りになったぞ、勘助。正面決戦では勝ち目がなく、しかも諏訪からの補給路は、長い。対する越後方は補給路が短い。時を浪費すればするほど、武田に不利となる。犀川を越えずに北上し、景虎の背後へと回る新たな道を切り開く必要がある」

「別働隊を送り込み、挟み撃ちとするのですな。真田の里と上田方面から善光寺平の東に出る山道を整備するのがよろしいでしょう。前回の戦いでは、はるばる上田まで越軍を釣りだして、南北に待ち構えるわれらと真田とでこれを挟撃するはずでした。この策は景虎に読まれました。ならば、武田の別働隊のほうが善光寺平を北上して善光寺に陣取る越軍の背後を奪えばよろしいのです」

「中入りの策か……が、諏訪の部隊はすでに参戦しているし、上田はあまりに遠すぎる」

「そこで上田から川中島へ入る東の玄関口にあたる海津かいづに拠点を設けるのです。海津築城に成功すれば、諏訪と上田の二方面より兵を動かせますし、補給も楽となります。長期戦を戦い抜くなら、海津です――越軍から見れば、海津は西に流れる千曲川を天然の堀とし、三方に山々を抱えた自然の要塞。ここに、この勘助が全身全霊を込めた究極の防衛砦を構築すれば、犀川を渡らず善光寺平を北上できる『道』を確保できるというわけです」

「宇佐美定満が築かせている付け城はしょせん、旭山城を封じるための守りのための手。しかし海津城は――新たな攻めの一手だな、勘助」

「御意」

 だが、問題があった。景虎である。 「神眼」を持っているとしか思えな

い景虎率いる越軍本隊が善光寺東に駐屯している限りは、いかなる動きも見破られて封じられてしまうということに、晴信と勘助はすぐに気づいた。海津での築城は、景虎がいる限りは不可能だった。景虎が戦場から退かない限り、善光寺平・川中島における大がかりな築城など、夢のまた夢だった。


 戦いは、完全に膠着状態に陥った――。


 五十日が過ぎ、百日が過ぎた。



 晴信が景虎と極秘会見を開いたのは、両軍の対陣からついに百五十日が経過した頃だった。すでに五ヶ月である。そろそろ、両軍ともに兵士たちを帰農させねばならなかった。越軍、武田軍ともに、兵の多くは半農の暮らしをしている。平時は田畑を耕し、戦時のみ武具を持ち出してそれぞれの主のもとに参戦するのである。むろん、時代の流れで専業の兵士も増えてはいる(「赤備え」の武田騎馬隊に所属する兵士たちはおおむね専業武家であった)し、足軽部隊には東国の各地から銭で集められた「傭兵ようへい」も大勢参加している。

「石」を巡る両軍忍びの争いが激化している戸隠へはもう入れない。晴信は飯縄山の神社で、景虎と落ち合った――両軍の軍師、宇佐美定満と山本勘助とが、鳥居の下で睨み合いながら二人の会談が成功裏に終わることを祈り続けている。

「おそらくは、正式にはお初にお目にかかる、宇佐美定満どの。三河牛窪出身の軍師、山本勘助にございます。それがしは五体満足な時代には真田に混じって忍び働きもし、足を壊して以後も『山の民』同様の暮らしをしていた者ゆえ、どこかですれ違ったことはあるやもしれませぬが――」

「越後柏崎の琵琶島城城主、宇佐美定満だ。趣味は釣り。そうだな……あんたとは対照的な『海の男』さ。信虎を追い落として晴信を甲斐の国主にした鬼謀きぼうの軍師とは、あんたか……直江の旦那の同席を許さなかったのは、なぜなんだぜ?」

「暗殺を恐れて。越後の冷血な宰相・直江大和どのは景虎さまのためならば、主命に逆らってでもなんでもやるという噂ですからな。だが宇佐美どのは、そうではありますまい。景虎どのに『義』を教えた師匠なれば」

「あんたは、晴信になにを教えた?」

「御屋形さまにそれがしが教えられるようなものなど、ございませぬ。御屋形さまは文武両道、あらゆる能力に長けたお方。ただ――『野望』の炎に、火をともし申した」

「おかげで、景虎は連年のように川中島で戦わねばならなくなった。正直言って、大迷惑だ。あんたたちが上洛を志していることは知っている。ならば、信濃征圧は東信濃、中信濃、南信濃までを奪うにとどめ、北信濃は武田と長尾との緩衝かんしよう地帯にしておくべきだった。義将・景虎には信濃を侵略するつもりなどない。村上、小笠原に乞われて川中島へ出兵しているだけだ」

「越後をあきらめて東山道を進み、美濃を奪って近江まで抜けよと? それは困難。甲斐は山国。美濃もまた同様。海路と港なくば、武田上洛は困難でございましょう。山国かつ東国という不利。われらは、たとえ鉄砲を手に入れても火薬を買えませぬ。それどころか、甲斐は塩すら隣国からの輸入に頼る国なのです」

「東海道に出るか、直江津に出るかの二択、か。いずれにせよ、晴信には辛い選択肢だな。駿河に追いだして今川に身を寄せている父親を完全に捨てるか、あるいは景虎との友情を捨てるか、だ……」

「……左様。御屋形さまは、景虎どのに並々ならぬ思い入れがございます。どうしても景虎どのに戦で勝ちたいと……そうでなければ、武田軍は日ノ本最強を名乗ることはかなわぬと。が、いかなる謀略も小細工も、武田の精密な軍制も、『赤備え』を中心とした集団騎馬戦術すらも、景虎どのには通じ申さぬ」

「それで、ついに会見か。もう善光寺に出てきて五ヶ月になる。これ以上は、景虎の身体はもたねえぜ」

「御屋形さまも、景虎どののお身体を案じておられる。ここで落としどころを見出し、撤兵していただきたいのです」

「そして海津に拠点を築き、次の戦でこそ善光寺平を奪取するつもりか。あんたらは外交に詐術さじゆつを用いる。とてもじゃねえが、景虎は折れまい。どれほど衰弱しようともな」

「……この戦、いつか勝敗がつくのでしょうか、宇佐美どの。それがしは、この善光寺平・川中島での両者の戦いが、永遠に続くことを恐れております――文字通り、永遠に――御屋形さまの限りあるお命が、この小さな盆地でその持ち時間のすべてを使い果たしてしまうことを」

 あの二人は鬼ごっこをしているのさ、と宇佐美定満は笑っていた。

「こんな戦国の世でなければ、きっと二人は、いい友達になれただろうよ。境遇も似ている。互いに足りぬものを補い合える無二の親友になれただろう。だが、今は乱世だ」

「……川中島そのものはそれなりの石高こくだかが見込めるとはいえ、狭い土地にすぎませぬ。小笠原長時が逐電して信濃守護不在となった今、せめて戸隠の『石』の所有権がはっきりすれば、戦いは収まりましょう。が、それも、太原雪斎と今川義元が上洛を果たしてしまえば、それすら不可能ですぞ、宇佐美さま。幕府と組んだ雪斎が三好を京から駆逐し、確固とした今川政権を畿内に築けば――武田はもはや東海道へは南下できず、越後の海を目指す他なくなりましょう。あくまでも武田が本来手に入れるべきは東海道。越後北上は最善手ではありませんが……」

 海という名の富を持たざる者の苦悩、越後の武将たちには理解できますまい、金山に捕虜を次々と送らねばならぬのもすべては甲斐が貧しいゆえなのです、と勘助はため息をついた。

「信濃の神々を殺しにかかった武田と、毘沙門天の力で人々の心を慰撫いぶしようとする長尾。この戦いは宿命だろうよ、勘助の旦那」

「川中島という土地は動かせませぬ。だが、民の心は、移ろいやすいもの。善光寺だけでも、解体して分け取りにできませぬか? 甲斐と越後とにそれぞれ新たな善光寺を開き、それぞれの派閥についた僧侶を招くのです。秘仏などは名ばかりのものにて、互いにうちの寺に迎えた秘仏がほんものだと言い張ればよろしいでしょう」

「それはいい案だな、旦那。オレは神も仏も信用しちゃあいねえ男だ。直江もな。が、景虎が許すまい。嘘で、民を欺くことになる」

「戸隠を長尾が、この飯縄いいづなを武田が分け取りとして、戸隠忍群と真田忍群とが戸隠・飯縄をそれぞれの本拠として北信霊山を分割支配するというそれがしの案も、景虎さまはお認めにならぬでしょうな」

「だろうな。霊山を二つに割るなど、景虎の流儀じゃねえ。戸隠と真田。同じ祖を持つ忍び同士を、ひたすらに戦わせ続けることになる」

「しかしこの飯縄山には恐るべき『管狐くだぎつね使い』がおりますぞ。景虎さまが管狐にかれれば、なんとするおつもりか」

「その時には、てめえに憑いた管狐と友達になるさ。それが、景虎だ」

「管狐の如き妖怪変化をも、友達に……? ならば、飯縄忍術もまた、戸隠忍群最強を誇る鳶加藤の術同様に、景虎どのには通じぬと?」

「そうだ。あらゆる獣も草木も、天とそして地も、景虎にとっては敵ではない――惜しむらくは、人間の姫も、そうであってくれたらな」

「天と地と、そして姫ですか……」

 勘助は隻眼を細めながら、飯縄神社のご神木「皇足穂命神社すめたるほのみことの大杉」を見上げていた。信じがたいほどの巨木だった。なぜ、雷が落ちないのか、不思議でならなかった。それがしと御屋形さまが挑んでいる相手は、この神の力を帯びた巨木にも等しい、と嘆息した。

 しかしその皇足穂命神社の大杉の幹のあちこちに、啄木鳥きつつきが止まり、くちばしで穴を穿うがっている姿を見つけた勘助は、「ほう……」とうなりながらつぶやいていた。天の雷ですら倒せぬ神の木をも、あの小さな啄木鳥たちはいつか倒してしまうかもしれなかった。

 宇佐美定満と山本勘助が鳥居の下で和睦交渉を続ける間――。

 境内で、景虎と晴信は、久々に二人きりの時間を過ごしていた。

 今、下界で繰り広げられている合戦について話し合うつもりはなかった。

 それは、二人の軍師の仕事である。

 言葉は少なかった。

 ただ、二人きりで北信の霊山を眺めていられれば、それでよかった。

 しかし、こうして二人で過ごせる時間もまた、少ない。

「……あなたを毘沙門天のもとから引きずり下ろすために、あらゆる手を用いてきた。けれども、無理かもしれない。堂々の決戦で、越軍を撃ち破る以外には、道はないのかもしれないわ」

 晴信が、切りだした。

 晴信が煮てくれた「ほうとう」を小さな口にほおばりながら、景虎は、夢から覚まされたかのように赤い瞳を揺らしながら、

「それでは大勢の兵が死ぬわ。あなたのたいせつな人たちも、きっと」

 と、うなだれていた。

「どちらにしても、兵は死ぬことになるの。あたしたちが川中島に囚われている隙に、太原雪斎は上洛軍を興して尾張の織田信秀と死闘を繰り広げ、そして織田家を滅ぼすことになる。尾張は複数の国人勢力が並立していて、信秀はまだ尾張の半分も押さえていない。津島湊つしまみなとの経済力だけがあの男の武器……三河までをへいどん呑し終えた今川の大軍に攻め込まれれば、もって、一月か、二月。背後に控える反信秀派の国人たちが雪斎に調略されて、そこで詰みになるはず。あたしとあなたが和睦を結ぶならば、今川の上洛戦がはじまっていない今が最後の機会よ。景虎……」

「それは、下界での武家名よ。『けんしん』と呼んで。わたしも、あなたを晴信とは呼びたくない……それに」

「それに?」

「わたしとの戦いをやめてしまえば、あなたは、お父上が軟禁されている駿

河へと兵を向けるのでしょう。父殺しの大罪を犯すのでしょう……それならば、わたしはあと何百日でも、川中島にあなたを捕らえていたい」

 景虎は「こうしてお互いに犀川を挟んで睨み合っている限りは、決戦も起こらず、人も死なない」と晴信の着物の袖をそっと掴み取っていた。

「でも。長対陣が続けば、あなたの身体が弱っていく。ひどく痩せたわ、あなたは。これ以上は、もたないのでしょう?」

「……だいじょうぶ。毘沙門天の化身が死ぬ時は――殿方に心を奪われた時、と定められているもの。あなたに囚われている限りは、定められた時はまだ来ない」

「それはあなたの思い込みよ。毘沙門天なんてものは……あなたの心が作りだした幻にすぎないの。善光寺の秘仏はただの木彫りの彫刻だし、戸隠の『石』だって、ただの石よ。大地に転がっている石と違うところは、天から落ちてきたというだけ」

「では、龍は? 糸魚川いといがわから戸隠、飯縄、諏訪へと延びる、巨大な地龍もまた、ただの幻にすぎない? わたしは感じるわ。大地の奥底に眠る、龍の息吹を。砥石といし城であなたが真田忍びにやらせたように、地龍の眠りを乱してはならない」

「……戸隠の石がただの石にすぎず、地龍もまた大地の底に走る『地割れ』にすぎないことを、あたしはいずれ証明する……諏訪の神氏みわしが、ただの人間だったのと同じに」

「その論法では、人間もまた、皮に詰まった血と肉の袋にすぎないことになるわ。美は幻で、醜だけがほんもの。義も愛も幻で、野望と欲だけがほんもの。そういうことに、なる。でも……それは違う。人の心に浮かび上がる感情に、なんの根拠もないだなんて。わたしが戸隠の山に感じる神聖さも。あなたに感じる好意も。あなたの横顔を見て、美しいと思うこの気持ちも……すべてはわたしの頭の中に生まれた幻にすぎないというの? それは逆よ。山がなければ、そこに神聖さはなく、あなたがいなければ、そこに美しさもないのよ」

 卵と鶏、どちらが先なのかという堂々巡りの話よ、それは、と晴信はつぶやきながら思わず目を閉じていた。

 景虎の赤い瞳に捕らえられたら、「そうね。そのとおりだわ」とうなずいてしまう。あたしは、彼女ほどに美しい者を、見たことがない。今後も、ないだろう。この「美しい」という言葉にならない感動を、まるで神に邂逅かいこうしたかのような法悦を、すべて「心が生んだ幻」で片付けることは、理が情に勝る思考法を身につけている晴信にすら、不可能だった。越後の男武将たちは、足軽たちは、この景虎の神秘的ですらある美しさに魂を奪われ、死兵と化し、戦法と道理と技術のすべてを注ぎ込んで勘助と晴信が構築した武田軍をも凌駕りようがするのだ。ならば、「毘沙門天の化身」という「観念」もまた、人を突き動かし世界を変える力でありうるのだ。もはや神の時代が終わり、人間の時代が訪れつつある乱世においても、なお。

 だが晴信には、景虎は日ノ本の天と地と海の神々とが人間たちに置き捨てていった「最後のあだ花」のような気がしてならなかった。景虎は、望めばなにもかもを手に入れられる者として生まれながら、自ら決して報いはしない神々のために壮大な徒労を繰り返す者なのだという悲しみから、逃れられなかった。

 自分は、父上という自分を否定し縛ろうとした絶対君主から逃れるために戦っている。景虎は、その逆――生前はほとんど自分を愛さなかったであろう父親の鎮魂のために、神になりきろうとしている。

「『けんしん』。そろそろ、お別れの時間ね。次に会う時には……あなたを戦場から連れ去るために、迎えに行くわ。わたしは下界であなたに勝ち、あなたを姫武将の宿命から引き上げてただの女の子に戻してみせる。きっと」

「……待っているわ。『しんけん』ちゃん。わたしを戦で破れる者がいるとすれば、今の日ノ本を見渡してみてもあなたしかいない。でも、来てくれなければ、わたしのほうから行くかもしれない。わたしは、自分の欲を抑えるように自分をしつけてきたけれど……気が、短いの」

「あなたの体力が尽きて倒れてしまう前に、必ず。でも……『毘』の旗のもとへと辿たどりつくまでの道のりは、険しいわね……」

 晴信は、鳥居の下で神木をじっと凝視している山本勘助に視線を送り、(景虎の身体はもうあまりもたない。ほうとうも、ほとんど食べてくれなかった……どうか、景虎とこれ以上戦わせないで)と願っていた。

 


飯縄山で景虎と晴信が極秘会見を開いたことが、越軍と武田軍の双方の陣営に漏れ伝わったのは、数日後のことだった。

 どこから漏れたのかは、わからない。会見中、飯縄に結界を張って相互を監視していた加藤段蔵と猿飛佐助も、漏らしてはいない。あるいは、目撃者などはおらず、なんとなく飯縄から戻ってきた景虎と晴信が発する「空気」を周囲の者たちが察しただけなのかもしれなかった。

 二人は姫武将同士でありながら、「恋仲」なのではないか。川中島のこの長対陣の目的は、実は二人の「逢瀬おうせ」なのではないか、最初から決着などつけるつもりはどちらにもないのではないか。

 いつ果てるともわからない長対陣に疲れ果ててんでいた両軍の諸将と兵士たちが、いっせいに不満を口にしはじめた。憶測と妄想と疑心暗鬼が、噂をどんどん過激なものとした。

 景虎がひたすら男性を遠ざけていて、「五年の後に祝言を挙げる」という約束を果たすつもりがどうやらなさそうだということは、すでに越後諸将の間では常識となっている。とりわけ、堺で夜這よばいをかけた小笠原長時が景虎に追い払われて三好家へと逐電したことが、大きかった。信濃守護の小笠原長時ですら拒絶されるのであれば、景虎を嫁に取れる可能性がある男は、家格的には関東管領・上杉憲政のりまさと、長尾家の郎党筆頭である上田長尾の政景まさかげくらいしかいない。

 が、政景は景虎の姉の綾を妻としているから、そうなれば「可能性」を残している者は上杉憲政一人だ。

 その上杉憲政は関東帰還のために派閥を作って越後で策動しており、当然、信濃の川中島戦線には出てきていない。

 武田晴信もまた、父親を駿河へ追放して以後、男を寄せ付けず、むしろ姫武将ばかりを育成しているという。例外は山本勘助という異形の軍師くらいだが、勘助はもともと大人の女人に興味がない奇人であるがためにそばにはべることができるのだともいう。諏訪の幼い姫・四郎勝頼を勘助が神の如く崇拝していることは、越後でも「あれはいったい」「どういうことなのだろう」と話題になっていたのだ。

 武田晴信と長尾景虎とが、お互いに愛らしいあだなをつけて、呼び合っている……という話まで、出てきた。互いの名を交換して、「けんしん」「しんけん」と名乗っているのだとか。

 当然、川中島に駆り出されていた諸将から、不満が出た。

「景虎さまはかような安っぽい同性愛趣味に走られるようなお方にあらず! 父を裏切り野望に身を焦がす武田晴信どののお心をも慈悲心で救おうとなされておられるのだ、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ!」と涙ながらに唱えて諸将を威圧してきた柿崎景家かげいえも、これにはいよいよ困り果てた。

 ついには宰相の直江大和が、越後の諸将から「何年であろうとも武田軍と対峙たいじいたします」という誓紙を取らねばならないほどだった。

 この「誓紙騒動」の折、直江がわざわざ、

「陣中でいざこざを起こした者はちゆうします」

 と憎まれ役を買ってまで諸将の前で宣言したのも、すでに諸将間で内紛がはじまりつつあったからだ。足軽同士のケンカなどは、無数に起きている。越軍の絶対の統率力は、景虎ただ一人への信仰心によって成立している。これがなければ、越軍はたちまち不仲で協調性のない国人たちの寄せ集め軍団に堕す。

 宇佐美定満が「てめえら、長引く対陣で鬱憤うつぷんが溜まっているんだ。景虎は遊女たちを陣に近づけさせたりしないからな。だが、目を覚ませ。ぎゃーぎゃーうるさくて銭がかかり手間もかかる女よりも、時代はかわいい兎だ! 

さあ、みんなで兎のぬいぐるみを作って心を癒やすんだ」とぬいぐるみ教室を開催しようとして危うく袋だたきにされかけたのも、この時である。

 この成り行きを本陣にもり、琵琶びわを弾きながらじっと見ていた景虎は、

「男どもはどうして、こうも即物的なのか。わたしはつくづく、姫武将として越後を束ねることが、嫌になってきた……」

 と深く傷ついていた。

 晴信もまた武田軍の諸将たちが抱いた疑心に苦心しているというが、現実主義者の晴信ならば動じないだろう。むしろ、越軍を分裂させる好機とばかりに利用してくるかもしれない。

 が、実のところ、両軍の将兵がこれほど苛立っている最大の理由は兵糧不足だった。春日山から善光寺までは近いとはいえ、雪に閉ざされた補給路からの兵糧が、滞りはじめていた。諏訪・甲斐からはるかに遠い犀川南岸に陣を敷く武田軍にいたっては、伸びきった補給線の維持はさらに深刻である。

 山本勘助は川中島の対陣が膠着こうちやくしている隙を見て信濃と美濃の間に位置する山国・木曾へも兵と忍びを繰り出し、独立性が高かった木曾を完全に武田の傘下に治めたというが、はるか遠くの木曾から兵糧が届くわけでもない。美濃へ進む道を確保したというにすぎない。

 ただ、晴信が「川中島での決戦」をあるいは放棄してでも美濃へと転身する道を真剣に探りはじめていることは、景虎にも伝わった。晴信にとって、景虎との決戦の結末は「勝利」でなければならない。勝利をつかむ機会が訪れないのならば、木曾から美濃へと東山道とうざんどうを進んで海へ出ずに都を望むという細い「道」も視野に入れねばならない。

 が、東海道筋をほぼ制圧した太原雪斎が尾張を併呑するほうが、よほど早い。

 両者に残された時間は少ない。晴信は決戦に及ぶだろうか。景虎は、上杉憲政から教わった琵琶を一心不乱に弾きながら、武田軍が動き、そして「勝機」が訪れる瞬間を、待った。もはや体力は限界だった。酒も、のどを通らない。

 しかし、さらなる事態急変が、越軍のこれ以上の川中島対陣を困難とした。その急変とは――。


「加賀で一揆衆いつきしゆうと決戦していた、越前の朝倉宗滴あさくらそうてきが……にわかに病死しやがった! あのじいさんの天命が、ついに尽きた……! 到底、死にそうにない爺だったのによ。よりによって、こんな時に」


 対陣百八十日を過ぎたある夜、朝倉宗滴病死の一報を越前から入手した宇佐美定満が、慌てて直江大和と景虎のもとに駆け込んできたのだった。

「お嬢さま。いけません。一揆衆は朝倉軍を破るでしょう。当主の朝倉義景は戦を嫌っています……朝倉軍は数十年にわたって宗滴どの一人が仕切っていましたから、宗滴どのの欠けた朝倉軍に勝てる道理はありません。朝倉軍は近いうちに加賀から引き上げ、一揆勢は越中へ戻ってきます。そして、糸魚川を越えて越後へ踏み込もうとするでしょう」

 直江大和が撤退を唱え、宇佐美もまた、

「これで、これ以上の持久戦は不可能となった。長対陣にんでいる将兵たちのほうも、もう限界に来ている。こうなれば犀川を渡って決戦するか、撤退するかの二択だ、景虎」

 と景虎に選択を促さざるを得なかった。

「晴信はわたしを戦場で迎えに来ると言った。わたしが毘沙門天の化身ではなく、ただの人間の少女だと証明するために、と。だが、来ない……来てくれない。わたしは、どうすればいい」

「迎えに来たくとも、一万二千の大軍と一緒なんだぜ。武田軍と越軍が正面衝突すれば、どちらが勝つにしても、両軍に無数の犠牲が出る。晴信と勘助だって、勝機を掴めねば、動けねえ」

「もう誓紙は取ってしまいました。これ以上将兵が動揺すれば、もはや防ぎ止められません。唯一彼らの動揺を鎮める方法は、『決戦』です。お嬢さまの勇姿を戦場で見れば、彼らも再び忠誠心を取り戻しましょう。ですが今の

お嬢さまには、もうその体力が」

「……直江……一刻で引き揚げると定めれば、あるいは、わたしは出陣できるやもしれぬ」

「いえ。武田晴信と真正面から激突するとなれば、合戦が一刻で終わる道理はありません!」

 この時。

 諸将から「景虎さまを狙う男」として警戒されている第三の男・長尾政景が、珍しく景虎のもとを訪れてきた。

「フン。宇佐美定満と直江大和。軍師と宰相の二人が雁首がんくび揃えて固まっているとはな。三国同盟に加えて北陸の一揆。越後の諸将の心ももうばらばらだ。四面楚歌しめんそかとなったな、景虎よ……こういう時はな、『遠交近攻』だ。敵の敵は味方、よ。貴様は策略を嫌うが、策略なくば乱世は生き延びられんぞ」

 武田の眼を、太原雪斎のほうへ向けてやれ、東海道筋のほうへな――その結果、武田晴信が「父殺しの娘」になろうが、俺たち越後人の知ったことではない、と政景はうそぶいた。

 景虎は(相変わらず慈悲がない。勝手なことを)と顔をしかめた。が、宇佐美定満が、

「オレたちがなにもしなくても、今頃は武田の本陣も大騒ぎになっているだろうよ」

 と政景に答えていた。

「朝倉宗滴が死んだということは、畿内にもにらみを利かせていた軍事大国・越前が、惰弱な国に成り下がったということだ。越前一乗谷の絢爛けんらんたる文化は当主の朝倉義景よしかげがさらに守り立てるだろうが、もう軍事的には二流の国だ。つまりよ」

「目の上のこぶだった越前が一日にして弱体化した以上、近江の六角家に余裕ができた。六角と懇意にしてきた太原雪斎と今川義元が東海道を抜くにあたって、尾張の織田を踏み潰すことはいよいよ容易たやすくなった――そういうわけですね、宇佐美さま」

「フン。太原雪斎、いよいよ上洛か。景虎が不意を突いて単身で上洛し、将軍家・関白とよしみを結んだことに、雪斎も少々の焦りを感じているだろうしな。北陸一揆衆が道を塞いでいる以上、越後から軍団を率いての上洛は困難とはいえ、もはや不可能ではなくなったのだから」

「政景の旦那。その景虎が武田と戦っているうちに、先に上洛しなければならないと雪斎は焦りだしているぜ。そして、近江への道は今、完全に開いた。残るは尾張だけだ」


 宇佐美定満の読み通りとなった。

 補給に苦しみ厭戦えんせん気分が蔓延まんえんしていた武田陣営からも、「水入りにしよう」という声が上がっていた。そして軍師・山本勘助は、朝倉宗滴の死によって一気に畿内情勢が変わったことで上洛をいよいよ急いでいた太原雪斎に「調停役」を依頼するという奇策を閃いていたのだった。

「これ以上の対陣は無理。景虎どのがさらなるご無理をなされて病死されては、決着は永遠につかなくなってしまいまする。それでは御屋形さまのお志は果たせぬままに……しかし宗滴が死んだ今ならば、雪斎に甲越両軍を調停させることが可能ですぞ、御屋形さま! 雪斎は、それがしに調停役を乞われれば、すぐに乗って参ります!」

 だがそれは、今川義元の上洛を武田が全面的に支援せねばならぬ「借り」を作るということにもなる、と晴信はすぐにはうなずけなかった。

「あいや。それがしが宿曜道すくようどうで星を読んだところ、宗滴の寿命の終わりはすでに近づいておりました。そしてその読み、的中いたしました。そして――太原雪斎の命もまた――調停役に駆り出して、上洛軍を興すまでの時間を雪斎に消費させますれば、あるいは上洛前に雪斎の天命が尽きるという可能性が生まれましょう」

 宿曜道とは恐ろしい術だな、と晴信は嘆息した。

「あたしや景虎の寿命も、読めるのか」

「それがしは武田家の軍師なれば、武田家の方々の星は見ませぬ。そして長尾景虎。あの者は特別……毘沙門天の星を背負う者なれば、勘助をもってしてもまるでその天命がわかりませぬ。が、雪斎の命は。しかし、それだけでなく」

「それだけでなく?」

「尾張の織田信秀の天命もまた、遠からず尽きましょう。おそらくは脳の病にて。急な、病死でしょう。信秀が死んだところへ雪斎が攻め入れば、尾張は瞬時に今川のものに。なんとしても先に雪斎の天命を尽きさせねばなりませぬ。そのためには――」

 それで景虎の身体と命も守れる。景虎の本陣に攻め込んで「毘沙門天」の幻から景虎をすくい上げるとは誓ったが、景虎をこのような持久戦で過労死させるなど、あたしは絶対にやりたくない。

 晴信は「勘助。お前はまさに、天下の奇才だ。雪斎を動かせ。景虎を迎えに行くという約束は伸びることになるが、この戦、和睦に持ちこむ。そしてあたしたちは――」

 雪斎なきあと、いずれ駿河を盗る、という言葉を晴信はかろうじて飲み込んでいた。今川の姫と祝言を挙げた太郎義信がそのような言葉を聞けば、激高するだろう、とわかっていたからだ。義信はもともと一本気な好漢で、正義感が強い。そのような裏切りを、義信が喜ぶはずがなかった。

 だが今は、まだ駿河問題を表面化させるべき時ではない。

 川中島での対決を、いずれもういちど行わねばならないのだ。それが、景虎との約束を果たすことになる。野望のためにあらゆる同盟や約束を破り続けてもなお、景虎との約束だけは絶対に破りたくなかった。

「ご安心あれ、御屋形さま。太原雪斎は、京にて学問を積んできた高僧なれば、それがしのような怪しの術を用いませぬ。軍師としての知力は雪斎どののほうが上かもしれませぬが、その一点において、忍び崩れの『山の民』として漂白の人生を過ごしてきたそれがしが、勝てます」

 山本勘助はすでに、川中島で越軍を破る戦術をも、その異形の頭脳の中で組み立てはじめているようだった――。



 駿河・遠江・三河の三国を支配する今川家の宰相・太原雪斎は、すでに上洛準備にかかっていた。流浪の将軍足利義輝を保護している近江の六角家と同盟を結んで上洛を果たし、今川義元を天下の副将軍あるいは細川に代わる新たな管領かんれいに。それが、雪斎の悲願だった。

 雪斎は、もともと京の高僧である。

 義元にまだ今川家を継ぐ予定がなく、「芳菊丸ぼうぎくまる」と名乗っていた幼女時代以来、今川家と縁の深い雪斎は請われて義元の家庭教師となり、京へ義元を連れて行って教育を施した。義元の風流癖と意外な博学は、この京時代に培われたものである。この頃には、義元はあくまでも今川家の「姫」であって武将として家督を継ぐ予定はなく、雪斎の教育が「文」に傾いていたのも当然だったし、雪斎自身、自分に軍師や宰相としての武才があることに気づいていなかっただろう。事実、雪斎はその知謀と見識の高さを買った今川家から切りだされた仕官の話を「拙僧は出家ゆえ、戦やまつりごとは苦手でございますれば」と丁重に断っている。

 しかし、義元の運命は急変した。今川家の当主で義元の実父である名君・氏親うじちかが死去した後、家督を継いだ兄・氏輝うじてるも病死。氏輝は生来、身体が弱かったと言われている。長尾景虎の兄・晴景に似た、武将職が似合わない繊細な人物だったらしい。虚弱な上に早世した氏輝には子がなく、駿河今川家でもまた、武田家・長尾家同様に、後継者争いが勃発した――これが「花倉はなくらの乱」と呼ばれる抗争である。

 越後でも「三分さんぶ 一原いちはらの合戦」が勃発して、長尾為景と長尾政景が越後守護代の座を巡って相争っていた頃のことだ。

 雪斎の本心は、義元を戦乱の渦に放り込むことを望まず、可能ならば京の都で風流な姫として育成し続けたかったに違いない。しかし、氏輝の死には不穏な噂が流れていた――今川家の家督を狙った者たちによる毒殺だという

のである。事実ならば、義元もまた死を賜ることは確実だった。ならば、義元に今川家を相続させる以外に、義元を守る道はない。雪斎は僧でありながら法衣の上から甲冑かつちゆうを身につけ、駿河の戦場で兵を率いて戦うこととなった。

 今川家嫡流の義元を還俗げんぞくさせて「姫武将」となし、後継者に推した太原雪斎と、庶流で義元の腹違いの兄にあたる玄広恵探げんこうえたんを推す福島一族との間で激しい合戦が繰り広げられ――そして、雪斎が勝った。彼は、自分自身でも気づいてなかったが、たぐいまれな戦の才能を持った天才軍師だったのである。京の仏僧界を名のある高僧として渡り歩いてきた雪斎に外交の才があるのは当然だったが、軍才までは彼自身意識したことがなかった。ともあれ、今川家の仇敵きゆうてきだった甲斐の武田信虎と和睦し同盟を結んだことが、雪斎の勝利を決定づけた。

 が、義元を当主に据えた時から、雪斎の目的はただひとつ。

 義元を、京の都へと帰還させることである――しかし、ただの姫として上洛することはもう難しい。ならば、東海道を制覇した堂々の「天下人」として。

 その後、親戚筋とも言える小田原の北条家と国境問題でめて「河東かとうの乱」が勃発したため、雪斎の上洛作戦は遅れたが、北条家三代目を継いだ姫大名・北条氏康が関東諸将からの大包囲攻勢を受けて、武田晴信の仲裁で今川領への侵攻を取りやめたことから、北条との関係は改善された。家督を奪うために父・信虎を駿河今川家へ追放した武田晴信との関係が良好になったことが縁となって、北条氏康との和睦を成功せしめたのだから、「甲相駿三国同盟」の布石は雪斎が為したといっていい。

 倒しても倒しても津島湊が生みだす無尽蔵の財力を元手に執拗しつように抵抗してくる尾張の織田信秀との戦いも圧倒的有利に進め、三河の松平氏・吉良氏を傘下に収めた雪斎は、三国同盟成立と同時に上洛軍の下準備にかかっていた。まさに出立し天下に号令を下す直前となったその時、山本勘助と宇佐美定満から「川中島での調停役」を依頼されたのだった。

 山本勘助と武田晴信による時間稼ぎだと雪斎はすぐに見抜いた。が、二百日にも及ぶ対陣のために補給に難渋する武田軍が苦境に陥っていることは間違いなかった。断って上洛すれば、のちのち手薄となった駿河遠江へ向けて武田が牙をいてくるかもしれない。ここで恩を売れば、同盟破りをものともしない武田といえども、安易に今川を裏切れなくなるはずだ。なによりも、武田晴信と長尾景虎の実力は伯仲しており、川中島での合戦はまだ終わらない。第三回があり、第四回もあるだろう。永遠に戦わせておけばよいのだ。武田は川中島に永遠に囚われ、駿河へは南下できない。北条氏康はもとより関東制覇にしか興味がないし、こちらも長尾景虎の関東侵攻に怯えている。

「越後に『毘沙門天の化身』長尾景虎どのが出現してくれたおかげで、甲斐の虎と相模の獅子は駿河に手を出すことができなくなった。これもまた、義元さまの強運のなせるわざ……」

 黒衣の宰相・太原雪斎は、駿河・遠江・三河で進めていた上洛準備を一時中断して、川中島から善光寺へと入った。とはいえ、二ヶ月か三ヶ月、上洛が遅れるだけのことである。武田晴信と景虎の次の合戦は、すぐにはじまる。和睦など一年も持つまい。同じく父親の愛を求め父性の欠如に飢え渇きながら戦う姫武将でありながら、二人は決して相容れない。接すれば接するほど、交われば交わるほど、二人は「幸福」から遠ざかっていく。悲しいことではあったが、晴信にしても景虎にしても、自分自身で「壁」を乗り越えるしかないのだ。

 善光寺での和睦会見の席に――晴信と景虎は欠席していた。戸隠で、そして飯縄では無二の親友同士であり、互いを互いの半身であるかのように尊敬し合っている二人だった。しかし公の場で「越後守護」「甲斐守護」の立場を背負った二人を会わせると、そうはいかない。二人が己の「義」と「野望」とを激しくぶつけ合い、まとまるものもまとまらなくなる恐れがあった。

 越後からは、宇佐美定満と直江大和。

「あんたが太原雪斎か……甲冑を着て戦をするような人物には見えねえ。戦う高僧、黒衣の宰相とはよく言ったもんだ。オレと直江の旦那なんぞよりも、

雪斎どのが景虎の後見人を務めてくれていれば、景虎の義戦もやりやすくなっていたかもなあ」

「ですが雪斎どのがお嬢さまを後見していれば、出家させてそのまま叡山えいざんから戻さないでしょう。義元さまは戦嫌いゆえに、雪斎どのに戦を丸投げできるお方です。その点、うちのお嬢さまは真逆ですから……」

「それもそうか」

 甲斐からは、山本勘助。

「雪斎どの、かたじけない。われらが御屋形さまも本来出席すべきではありますが、こたびの交渉、拙者が御屋形さまと典厩信繁てんきゆうのぶしげさまより全権を一任されております。どうか一刻も早く、和睦を。それがお互いのためです」

 それぞれの軍師と宰相とが、主君に代わって和睦会見に出席していた。もっとも、甲斐には軍師こそいるが「宰相」はいない。内政から外交、治水から開墾、金山発掘から町造り、道路建設に至るまで、およそ政治に関することはすべて的確にこなしてしまう万能型秀才である晴信自身がまつりごとを行うのがもっとも効率的だからだ。

(それにどうせ、武田晴信どのには、今日交わされる制約を守るつもりはなかろう。長対陣で衰弱しているという景虎どののご体調を案じているのと、拙僧の上洛軍出陣宣言を遅らせるのとが晴信どのの目的。いずれにせよ、拙僧は急いで和睦を成立させねばならぬ)

 黒衣の調停者――太原雪斎は、そこまで読んで、長尾方に圧倒的に有利な条件を提示した。勘助の隻眼が「どのような条件であれ武田は呑みまする。しょせんは文面にすぎぬ。雪斎どのも上洛するならばお急ぎあれ」と語っていたからである。

「おのおのがた、よろしいですかな。これより犀川の北岸を長尾方、南岸の川中島を武田方の領土として確定いたします。武田方が善光寺を奪取するために兵を入れている拠点・旭山城は、武田軍の手によって破却いたします。善光寺は引き続き長尾方の領内に。ただし、分裂している善光寺の別当・国人たちは、それぞれが望むほうの陣営につけばよろしいでしょう――そして、

善光寺の奥の院にあたる戸隠山と飯縄山もむろん、長尾方として確定いたします」

 犀川を国境線と画定し、問題の善光寺と戸隠山はいずれも長尾方とする。ただし犀川の南岸は武田方とする。それが、雪斎が出した和睦条件だった。

 宇佐美定満が、

「帰るべき土地を失う村上義清の旦那さえうなずけば、越後に有利だな。そして村上の旦那からは、『対陣二百日。諸将にもわが主にも、もうじゅうぶんに戦っていただいた。俺はもう長尾景虎どのの家臣だ。越後に生き、越後で死ぬ。祖国の信濃に未練なし』という言葉をもらっている。つまり――こちらは、雪斎どのの条件を丸呑みするぜ」

 と膝を叩いた。一日も早く、衰弱している景虎を春日山城へ戻してやりたいのだ。宇佐美もまた焦っていたし、村上義清もそうだった。

 直江大和はさすがに焦りを表情には出さず、

「旭山城に持ち去った善光寺の秘仏の所属は如何いたします」

 と雪斎と勘助に釘を刺した。が、勘助は(直江大和は切れ者だが、こたびは突っぱねられぬ。景虎どののご体調が決定的に悪化してしまうことをなによりも内心恐れておられる。呑むだろう)と読んでいる。

「秘仏は、武田方についた善光寺の別当どもが甲斐へ持ち帰り、甲斐に新たな善光寺を建ててそこへ祀りまする」

「しかしそれでは、善光寺平の民心が」

「あいや。戸隠山のご神体である『石』は、引き続き長尾方のもの。痛み分けということですな」

「戸隠の『石』を崇めている者は修験道の山伏や戸隠忍びなど、わずかな『山の民』のみ。善光寺平の農民・商人たちは、あくまでも善光寺の秘仏を崇拝しています。なれば、痛み分けとはいえ、われら越後方がいささか不利ではありませんか」

「そうですかな。景虎さまは『義』と『神々』を守り、われらが御屋形さまはあくまでも人間としての『実利』を取る。それらしい決着といえましょう」

 直江の旦那。そこまででやめておけ、と宇佐美が直江の肩を叩いていた。

「いずれにせよ、戦は引き分けなんだ。痛み分け以外に、止める方法はねえ。善光寺の秘仏は特別な力を放っている戸隠の『石』とは違う。越後にも善光寺を建立し、こっちがほんものの秘仏だ、と言い張ればそれで善光寺平の領民の半ばはこちらにつけられる」

「それもまた、お嬢さまを怒らせるような詭弁きべんめいた策ですがね。ですが雪斎どのにまで出張ってきていただいた以上、やむを得ませんね」

「村上の旦那に対する、景虎の忸怩じくじたる思いのほうが心配だぜ、オレは。意地になって、村上領を取り戻すまでは何度でも川中島に出兵すると言いだすかもしれねえな……ただでさえ、晴信に対しては異様に感情的だ」

 それは困りますな。武田が雪斎どのの仲介で越後と和睦したということは、駿河も越後も攻められなくなった武田はこれより木曾から美濃へと西進せねばならぬことに。またぞろ川中島に出張ってこられれば、美濃攻めなど夢のまた夢となってしまいまする、と勘助が黒い笑顔を浮かべていた――この和睦で時間を稼ぐうちに、次の川中島の対決では必ず越軍に勝つ、そのための策はもうそれがしの脳梁のうりようのうちに閃いていると言いたげな、いっそ清々しいほどの悪相だった。

「ほう。美濃を……それ故に木曾の支配を固められたのですな。拙僧が尾張を盗るのが先か、勘助どのが美濃を盗るのが先か、ですな。もしも先に美濃を塞がれれば、拙僧の上洛計画も少々面倒なことに。厄介な軍師どのを、甲斐に盗られてしまった」

 雪斎が酒をめながら、勘助に向けて仏のような微笑みを返していた。

「そうなりまする。それがしが駿河今川家に仕官できておれば、やはり東海道を突き進んで尾張をまっすぐに狙いましたでしょうが、身分卑しく面相も醜いそれがしのうちに軍師の才を認めてくださったお方は、御屋形さまのみでございました」

「それはお心得違い、勘助どの。義元さまは……姫は、そなたが隻眼の醜男ぶおとこだから仕官を認めなかったのではありませぬ。生まれつき高貴で、天然に無

礼なところがある姫ゆえに、誤解されやすいお方ではありますが……義元さまは、『わらわの父親役は雪斎一人でじゅうぶんですわ、二人は要りませんわ』と拙僧に気遣ったのです」

「……なんと?」

「故に、駿河の軍師も宰相も、拙僧ただ一人なのです。ですが、これでよかったのでしょう、勘助どの。妻をめとらず子を持たなかったわれら二人ともども、己の才能のすべてを注ぎ込めるよき主君に巡り会えた……長尾景虎どのは生涯不犯ふぼんを誓う身でほとんど出家のようなお方ですのに、己のもとにやってくる殿方をすべて家臣として召し抱えてしまうという少々風変わりな御仁ですが、不思議なものですな」

「雪斎どの。しかしよ、オレも直江の旦那も独り身だぜ。オレは束縛を嫌うただの遊び人だが、直江は律儀にも景虎に操を立てていやがる。景虎が不犯を通す限りは自分も通す、とな」

「ほう……」

 宇佐美定満は思った。奇遇にして、この場にいる男たちはみな、乱世に翻弄されて己の家族を持つことができなかった。だがしかし、それぞれが心の中で、己の主君と定めた姫武将に己のほんものの娘以上に純粋に愛情を注ぎ、育成し、彼女の「夢」を実現するために戦い続けてきた、酔狂で希有けうな男たちだ……と。

 その男たちが、戦場で、そして謀略の場で戦わねばならぬとは、人の世とは、乱世とは、まことに悲しく――だがしかし、それが面白い。

 そして、雪斎の言葉に動揺した山本勘助は、思わず己の動揺を隠そうとして口走っていた。

「……かぐや姫の如く大勢の美男どもに囲まれながら不犯を貫く景虎どのも不思議な女人でございますが……己の運命のすべてを平然と雪斎どの一人に託してしまわれる今川の姫もまた、不思議な姫にございますな」

 雪斎は、(勘助どのも少々、拙僧を足止めしたことに良心がとがめているらしい。しかし構わぬ。わが姫が勘助どのを不当に扱ったという誤解が解ける

ならば、それで)と微笑みながら酒をあおっていた。たしかに上洛は少々遅れた。が、義元にとって真に必要なものは上洛ではないのだ。むしろ、誰よりも上洛したがっている者は、京を懐かしんでいる自分なのだ。

「勘助どの。わが姫は……軍才もまつりごとの才もなきゆえに、戦の天才である景虎どのや、文武両道の秀才である晴信どのよりもずっと、幸せに近いのです。姫は、途方もなく大きな『器』なのです」

「あいや。才なくば、天下に号令なすことも国を守ることも、難しいでしょう」

「そのために、拙僧がおります。器を満たす『才』は、拙僧が注ぎ込めばよい」

 不意に、勘助の顔色が、青くなっていた。

「しかし……その……もしも、雪斎どのが突然みまかられれば?」

 拙僧が次代の宰相と見込む姫武将・竹千代こと松平元康がおります、とは雪斎は言わずにおいた。自分が松平元康を今川家の次なる宰相と見込んでいることを、雪斎はなるべく目立たせずに隠しておきたかった。が、隠しても無駄だろうとも思っている。なにしろ次の世代の人材を育成する仕事は、宰相・軍師の主な仕事のひとつである。勘助は次代の武田家を担って立つ新四天王候補や四郎勝頼を育成しているし、宇佐美定満と直江大和も次代の宰相候補を育成しているのだという。敢えて言わずとも、知恵者の勘助ならば雪斎がすでに自分の「次」を準備していることくらいはわかることだろう。

 それなのに、拙僧亡きあとの今川家を勘助どのが憂慮するとは妙なことだ、と雪斎は思った。雪斎自身は、己の健康状態を鑑みればあと五年から十年は生きられる、将軍を連れて上洛して三好松永を畿内から追い落とし、事実上の「今川幕府」の体制を完全に固める時間はある、それだけの大仕事がざっと済んだのち、成長した松平元康にその体制を引き継がせれば義元の天下は揺るがぬものとなる、と信じていた。

 雪斎は(勘助どのもまた、いかめしい表情と露悪的な言葉とで武田家の鬼軍師役を演じてはいるが、やはり最後の最後にはついに鬼になりきれぬ御仁だ。晴信どのは、よき軍師に巡り会えた)と思い、静かに微笑んでいた。

「勘助どの。たとえそうなっても、姫は幸福を掴まれる。最後の、最後には。

それは戦での勝利でもなく天下ですらないかもしれませぬが、姫にとっての幸福とは、天下ではないのです」

「天下ではなく、幸福……」

「いったいなにが幸福か。それは、他人が決めるものではなく、父親や母親、ましてや拙僧が決めるものですらなく、その人自身が決めるもの。姫には、重ねてそう教えて参りました。姫を教え導く父親役として、拙僧、その点だけは自信がございます――今は晴信どのの野望のために悪鬼となって奔走している勘助どのも、いずれはご理解いただけるでしょう。景虎どのをこれまで導いてきた宇佐美どのと直江どのは、すでに、拙僧のこの言葉、おおむね理解してくださっております。それ故に、『毘沙門天の化身』として生き続ける道を降りようとしない景虎どのに対するお二人のお心のつらさと切なさ、拙僧、痛ましいほどにわかります。いずれ……いずれ、きっとお二人の思い、景虎どのに伝わりましょう。人の心の傷は、いつか、癒やされます。春になれば越後の雪が溶けるように、誰かが、愛情を注ぎ続ければ、必ず」

 宇佐美定満は、(この坊さんこそが、天下一の宰相だ。オレなんぞ足下にも及ばねえ。駿河でなく越後に、来てくれていれば)と言葉を失っていた。

 直江大和は、(わたくしと宇佐美さまは、二人でようやく一人。ただ一人で景虎さまを補佐せねばならない与六が目指すべき宰相の姿が、ここにあった)と珍しく顔を赤らめていた。

 そして山本勘助は、(雪斎どの。あなたの、お命は、もはや。それがしが……雪斎どのの夢を……上洛を、阻止したのです。そしていずれは義元さまも、それがしが率いる武田兵が……)とこみ上げてくる言葉と涙を抑え込み、耐えながら、

「これにて甲越和睦、成り申した。雪斎どの、このご恩は必ず」

 と、さほど飲めない酒を無理矢理に喉の奥へと流し込んでいた。

 

川中島での二百日の対陣は終わり、そして。


 和睦の使者役を果たして義元のもとへ戻ろうとした太原雪斎は、駿河への帰路に、倒れた。急な脳溢血のういつけつだった。

「……姫……拙僧のために、上洛を急いではなりませぬ……姫の幸福は……姫自身が」

 それが雪斎の最後の言葉だったという。

 雪斎は、義元に再会することなく、死んだ。

 勘助は、雪斎の宿星しゆくせいが流れていくさまを、帰国準備中だった川中島の夜空に見つけ、思わず合掌していた。

(やはり天命が尽きておられた。越後と甲斐の果てしなき戦いを止めてくださるお方は、もう、おられぬ。雪斎どのの寿命があと三年あれば、あるいは、武田家の運命も、景虎どのの運命も、ずっと良き方向に……これで、両者はみたび川中島で死闘を繰り広げるしか、道がなくなった)

 いつかそれがしも鬼から仏へと生まれ変わる時が来るのだろうか、と勘助は思った。御屋形さまの幸福のためならば、たとえ軍師としての知謀のすべてを失ってでも、仏に生まれ変わりたい、と願った。

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