第2話 大門高校最後の日 前編

[五月八日――晴れ]

『敵を倒すには早いほどいいってね』とは誰の名言だっけ?

 まー確実に敵だと分かってる相手ならそれもいいかもだが、敵か味方か分からんやつを相手にそれを実行すると……後々すごく面倒なことになる。

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 稲妻の閃光せんこうとともに現れた『そいつ』は、青っぽい光沢のある全身タイツのようなピッタリした服を着込んでいた。

 プロポーションを見る限りでは細身の少年のようだ。ムキムキのおっさんでもなければボディラインが肉感的な女でもない。

 キッチリ切りそろえられたショートボブの髪は白くて冷や麦を思わせる。

 顔は? こちらに背を向けているので顔は分からない。

 巻き起こった桃色の旋風が謎の少年を取り巻いた。風の渦の向こう側がゆがんで見えるほどの強さの小竜巻だ。

「そこのお前――こっちを見ろ!」

 雷花レイフアの言葉が聞こえているのかいないのか、謎の少年は明後日あさつての方向をキョロキョロと見回した。

「違ぁ~う! うしろ!」

 それで少年はようやく背後を、つまりこっちを振り向いた。

 まるではえみたいな顔――いや、これはおそらくガスマスクだ。

 防毒機能の有無はともかくとして、とにかく怪しすぎる。ここまであからさまに不審な人物にお目に掛かるのは……ああ、今朝以来か。

 サングラスになっているゴーグルの奥の目は、どうやら俺たちを認識したようだ。

「あんた――さては未来から来たわね!?」

『……答えル必要はなイ』

 しやべった! しかも日本語!

「イエスかノーで答えりゃ済む簡単な質問よ。さあ、どっち!?」

『…………』

 露骨に目をらしやがった!?

 図星だったから動揺したのか? あるいは別の物に気を取られたのか――

 しかし怪人はすぐに顔を戻し、今度は俺を見た。何もしてない俺に興味を?

 怪人は右手をスッと持ち上げ、俺を指さそうとする。

「シンクロー!」

 雷花が俺の前に割り込んだ。竜巻の勢いが強まり、電光を帯びる。

 ここに至って怪人はようやく雷花が自分に対する脅威だと理解したようだった。

 だが、時すでに遅し。

 竜巻に乗って飛びかかった雷花が、側頭部に強烈な跳び回し蹴りを見舞ったからだ。

 怪人は棒のようにその場にぶっ倒れて――ピクリとも動かなくなった。

「待て待て待てぇい!」

 さらに追い打ちをかけようとする雷花を制して駆け寄り、生死を確認する。回し蹴りでマスクが吹っ飛ばされ、怪人の素顔が露わになっていた。

 アイドルみたいに整った小顔だ。首の細さを見るに武道の有段者どころか

スポーツマンですらなさそうだ。雷花の襲撃にも全然反応できてなかったし。

 首筋と口元に手を当てる。一応呼吸も脈拍もあるが意識がない。

「何やってるの? さっさと始末しないと」

「正体も分からんのにいきなり始末するなよ!」

「未来から来るやつなんてどうせロクデナシに決まってるわよ」

「そもそも未来人だって証拠があるのか、証拠が!?」

 俺は謎の少年の身体を肩に担ぎ上げた。軽い。四十㎏ないな、こいつ。

「どうするつもりよ!?」

「とりあえずうちに連れて行く」

 俺が世話になっている鬼塚家は、飛天神社の宮司の家だ。

 表の神社の方から行けば最短距離だが怪我人を担いだまま長くて急な石段を登ることになるので、緩やかに弧を描く坂に沿って裏手に回る。

 家まではまだ数十メートルあるが、早くも焼き魚の香ばしい匂いがしてきた。これはサバの味噌焼きだな。夕食のメインディッシュか……おっ、豚ヒレの甘辛揚げの匂いもするぞ? 俺の腹の虫が騒ぎはじめた。

 今までとくに言及してこなかったが、俺の嗅覚はけっこう鋭いのだ。単に鼻が利くだけでなく、フェロモン的なものを嗅ぎ分けて相手の体調や気分までなんとなく分かる。

 担いでいる未来人(?)にはおよそ臭いらしい臭いがない。精巧なアンドロイドだと言われれば納得できる程度には非人間的だ。雷花は化粧の匂いが強くて分かりづらいが、未来人を警戒してアドレナリンがドバドバ出てる感じだ。

 玄関のベルを鳴らすと、パタパタと足音が近付いてきて、引き戸が開いた。

「おっ帰り~、クロちゃ~ん」

 甘い猫で声とともに黒髪の和装美人が俺の胸に抱きついてきた。椿のような淡い蜜の香りにフワッと包まれる。

「ただいま、。客がふたりいるんだが……」

 この『姉さん』というのはもちろん雷花ではなく、目の前にいる女性――

鬼塚美雪のことだ。鉄斎師匠の孫娘で、血縁上は腹違いの姉にあたる。

「いらっしゃ~い、雷花ちゃん! ささ、上がって上がって」

 俺の背後を覗き込んだ美雪姉がニッコリ笑って手招きする。驚いて振り向くと、同じように面食らっている雷花の顔があった。

「みゆ姉、ライカのこと……」

「もちろん大歓迎よ」

「そうじゃなくて、今日来ることは言ってないっつーか……」

 そもそも来日したことすら話してないんだが。

「むふふふっ、お姉さんは何でもお見通しなーのだー」

 美雪姉は腰に手を当てて自慢気に胸を張る。子供っぽい所作が異様に可愛い。黙って澄ましていればちょっとミステリアスな美人なんだが。

「客間……いや、道場は空いてる? こいつを寝かさないと」

 美雪姉は俺が担いでいる未来人の存在にやっと気付いたらしい。少し考えて、

「さては入門希望者ね?」

「んなわけあるか。出会い頭にライカに蹴りを食らわされて人事不省に」

「あら、そう」

 さすがは師匠の孫だ。この程度では慌てもしない。

 俺は未来人を担いだまま玄関に入る。雷花は何故か敷居の前で立ち止まり、美雪姉と向き合――にらみ合っている?

「私のことは……爸爸パパから?」

「ええ。雷花ちゃんのことは慶一郎さんからよーく聞いてるから」

「聞いてるって、どんな風に?」

「好きな食べ物とか、いろいろ……何もかも、ぜーんぶよ」

「全部……?」

「そう。だから安心してお姉さんに甘えちゃっていいのよ?」

 お姉さん……確かに年長者のはずだが、恐ろしいことにこうして並べてみると美雪姉の方が下手すりゃ年下に見えるな。師範代と三つしか違わないのに。

「初めまして、烈雷花です。お世話になります……お姉様」

 神妙な面持ちの雷花は右拳左掌の包拳礼で挨拶した。日本の古武術の家に入るからか。

 ピンク頭の雷花をどう紹介したものかと心配だったが、この様子なら大丈夫そうだな。

 万一のことを考えて未来人を道場に運び込もうとしたが、美雪姉に反対されたので客間に布団を敷いて横たえた。

「未来人が現れたとは、どういうことだ!?」

 しらせを聞いた師範代が押っ取り刀で駆けつけた。片手に白鞘しらさやの刀をつかんだままで来たので、もののたとえではなくこれぞ真の意味での押っ取り刀だ。

 経緯を話すと、師範代はいつになく険しい顔つきになった。

「場所は赤塚公園、時刻は夕方……怪しげな電光とともに現れただと? 実はまったく同じような経験が私にもある」

「マジっスか?」

「それがお前たちの父親との出逢いだ」

「さすがは爸爸だわ」

「何がどうなんだか……」

 その遭遇の仕方はインパクトありすぎだな。

「でもやっぱりいきなり始末しようとするのはよくないわね~」

 美雪姉が絞った手拭いで未来人の額を冷やしてやりながら、やんわりと諭す。

「もし本当に未来人だとしたら、自分の子孫の可能性だってあるんだし」

「みゆ姉の言う通りだぞ。分かってんのか!?」

「…………チッ」

 雷花が俺をギロリと睨む。不服そうだが、さすがに美雪姉の見ている前では手も足も出せまい。

「ミユネーの言う通りなのです。ミライジンをうっかり殺害せんとするとは

有史以来前代未聞のクレイジー&アナーキーかつファッキンな所業といえよう」

 いきなり頭のネジがブッ飛んだ台詞が割り込んできたので誰かと思ったら――未来人が目を開けていた。

「あら、起きたのね。痛いところはない?」

「頭の頭痛が割れるように痛いのです」

 これはアカンやつや。深刻なエラーが発生しとる。

「痛いの~痛いの~飛んでけ~」

 美雪姉が未来人の頭をナデナデしてポイッとやると、雷花がビクッと反応して俺の頭をベシッと叩いた。

「痛いわね!」

「だからって俺を叩くなよ!」

「痛いのが飛んできたからよ!」

「こいつに蹴りを食らわせたのはお前なんだから、お前に返ってくるのは当然だろ!」

 飛天神社の巫女である美雪姉の『痛いの飛んでけ』は本当に効くおまじないなのだ。ちなみに俺もとばっちりで少し頭が痛い。

「ああ~、もう!」

 雷花が未来人の頭を探って何か刺した。黒くて長細い針だ。とたんに俺の頭痛が収まる。どうやらはりで痛みを和らげるツボを刺激したらしい。鍼治療が効くってことはやはりアンドロイドじゃなくて人間なのか?

「さあ、これでいいでしょ? アンタは何者? どこから来たの?」

「…………」

 未来人はキョット~ンとした不思議そうな表情で俺たちの顔を見回し、やがてポンと手を打った。やけに古典的だな、そのジェスチャー。

「分かりました。さては『ミライ』が名字で、『ジン』が名前ですね?」

「……おい、何も分かってないようだぞ!?」

「つまりアンタは未来人ってことでいいのね?」

「あなた方が私をそう呼ぶということは、それが私の名前なのでしょう? 論理的に考えて」

「そこは推理するところじゃないだろ? 自分の名前なんだから」

「誰のですか?」

「だからアンタの」

「ところで『アンタ』とは何ですか?」

「だから質問してるのはこっち!」

「『コッチ』とは誰ですか?」

「人じゃない!」

「人でなしなのですか」

「だーかーらー!」

「ブレェェェ――――イク!」

 見かねた師範代がレフェリーのごとく割って入った。

「落ち着いてひとりずつ話せ!」

 ごもっとも。

「じゃあ順を追ってひとつひとつ確認していこう。俺の名前は南雲真紅郎なぐもしんくろう。このイカれたピンク頭は烈雷花。で、お前は?」

「…………」

「どこから来た?」

「…………」

「答えられないのか?」

「そうです」

「それは秘密だからか?」

「自分が持っていない情報は答えようがありません」

「それはつまり……アレか? 要するに……、と?」

「左様で」

 涼しい顔でしれっと言いやがった。

 間もなく鬼塚家の主である鉄斎師匠が帰宅し、夕餉ゆうげのついでに家族会議と

なった。

 飛天流剣術の大師匠にして飛天神社の宮司でもある鬼塚鉄斎は、魔法で人間の姿に変身したハクトウワシである。

 間違えた。

 ハクトウワシを人間にしたような印象の眼光鋭すぎる爺さんだ。

 そろそろよわい八十になろうかというのに木刀を持てば一息に五、六人は打ち殺せそうなくらい矍鑠かくしやくとしている。

「お前が慶一郎の娘か」

「烈雷花と申します」

 三つ指をついて深々と頭を下げる雷花。ピンクのツインテのくせに作法が完璧なのが逆に違和感ありありなんだよな。

 鉄斎師匠は雷花の隣に座っている人物に目を移した。

「……で、そちらは?」

「隣のピンク頭からいわれなき暴行を受けて記憶喪失になった通りすがりの謎の未来人です」

 我ながら現実味のカケラもない紹介だな。何でしょうかね、このシュールな構図は。

「ほう、未来人とな」

 師匠が目を見開いて未来人(仮)を観察する。古美術品を鑑定する目利き……なんかじゃなく、獲物の能力を見極めようとする野獣の目つきだ。

「……で、強いのか?」

「全然弱いです。ライカの回し蹴り一発で伸びましたし。未来人というのも登場の仕方がそんな感じだったというだけで確証はないです」

「そうなのか」

 師匠は未来人を戦闘者扱いしないことにしたらしく殺気を緩めた。

 飛天流において人間にあてがう物差しは強いか弱いかしかない。相手が資産を何兆持っていようが、手下が何千人いようが、そんなものはいったん剣の間合いに入ってしまえば関係ないという思想だ。当然未来人も例外ではな

く、強いと聞けば「ならば一手指南願おうか」となるだけだ。

「記憶がないということだが、どうするつもりだ?」

 師匠の問いに、未来人は雷花に人差し指を突き付けながら言った。

「訴訟」

「なぬっ!?」

「謝罪と賠償を要求します」

「ふ……普通やん!?」

 しかも反論の余地がないときた。

 雷花は反射的に腰を浮かせたものの、攻撃するわけにもいかず、さりとて逃げる場面でもないと気付いたか中途半端に固まった。

「べっ、弁護士は呼んでもらえるんでしょうね!?」

「うろたえるな!」

 師範代がたしなめる。高校教師だけあってこういう時は頼もしい。

「今日はもう遅い。警察にせよ病院にせよ、一晩様子を見てからでよかろう」

 ああ……師範代は腹が減ってるんだな。俺もだけど。

「それならさっきに電話したんだけど――」

 美雪姉の言う『るーみん』とは婿養子の旦那のことだ。警視庁の生活安全部の刑事で、俺が何らかの事件に関わることがあれば真っ先に世話になりそうな人である。

「未来人は警察の手に余るから今日のところはうちで預かっておいて、だって」

 旦那はどうやら今夜も帰れないらしい。

「では、ひとまず客人として扱うとして……いつまでも未来人と呼ぶわけにもいくまい。名前が必要だな」

 雷花が手を挙げた。

「未来から来たんだからトランクスで」

「お前……自分がトランクスに勝ったという既成事実をでっち上げたいだけと違うか?」

「なら呼び名はでいいわね」

「受け入れるのが早すぎる!」

 鬼塚家の陰のオピニオン・リーダーである美雪姉が言い出すともはや反論を唱えられる者はおらず、未来人改めトランクスは正体不明のまま鬼塚家の客人扱いとなり、夕餉において上座に座ることになった。

「納得いかないわ!」

 座布団すらない板敷きの末席に追いやられた雷花が抗議の声を上げる。まあそうだろう。鬼塚家のヒエラルキーにおいて末席とは飼い猫よりも低い地位だからな。

「どうしてシンクローより下なのよ!?」

「お前がいろいろやらかしたせいだろうが!」

 美雪姉が俺のシャツの袖をつまんで引っ張った。

「どうして『ライカ』なの? 『レイファ』ちゃんでしょ?」

「高校だとレイハと似てて紛らわしいし、あんなやつはライカで充分なんですよ」

「そっか。じゃあでいいわね」

「そこを取る!?」

 俺もシンクローの語尾を取ってだから同じと言えば同じ……なのか?

 まあいい。雷花の性格だと美雪姉との相性が心配だったが、どうやらこの顔合わせで主導権を握っているのは姉の方らしい。

 何にせよ雷花をチヤホヤすると未来人に訴訟を起こされかねないので末席に甘んじてもらうしかない。そもそも自業自得だ。

 俺の懸念はむしろトランクスだ。どっちかといえば人造人間の疑い濃厚なこの未来人に現代日本の家庭料理を食わせて大丈夫なのか?

 どうするのかと観察していると、トランクスは師範代の手の動きを目で追っている。相変わらず惚れ惚れするほど男らしい食いっぷりだ。二十秒ほど凝視して何か得心することがあったのか、トランクスは目の前の箸を右手

に取り、指の間に挟んで使い方を確認するように先端を揃えて開閉すると、煮豆に狙いを定めた。

 最初は力加減が分からず豆に逃げられたが、数回試したところでコツを掴むと、その後は豆だろうとコンニャクだろうとヒジキだろうと硬さに関係なく箸でつまんで素早く口に運べるようになった。

 わずかな時間で習得したのか? それとも身体が箸の使い方を覚えていて、それを思い出したのか――

「待て、それは違う」

 豚汁のわんを箸で挟んで持ち上げようとしたのでさすがに止めた。やっぱり賢いんだかバカなんだかよく分からんぞ、こいつ。

 そのうち皿をバリバリ食べ始めるんじゃないかと気をんだが、そこまで分かりやすく非常識な振る舞いには至らなかった。どうにか無事に夕食を済ませると、美雪姉が突拍子もないことを言い出した。

「じゃあクロちゃん、トラちゃんをお風呂に入れてあげて」

「……へ? どういう流れで!?」

「お客様としておもてなしをするなら、お風呂でしょ?」

 分かったような分からんような理屈だが、それがさも当然のような口調で言われればそれが日本古来の風習なのだろうと納得せざるをえない。

 しかし何の因果で謎の未来人といきなり裸の付き合いをせにゃならんのか……誰のせいかと問うならばもちろん雷花のせいだ。その雷花が俺の肩越しにささやいてきた。

「背中を流すフリをしてこいつの正体を探るのよ」

「正体? 裸にして製造メーカーのロゴとか製造番号とか注意書きを探せってのか? それなら『頭部に衝撃を与えないでください』って書いてあるぞ、きっと」

「やるの? やらないの?」

「俺を誰だと思ってる? さっき会ったばかりの謎の未来人とも一緒に風呂に入る男――南雲真紅郎だ」

 とはいえ本人の意志はどうなんだ?

「トランクス、風呂は?」

「まだ食べたことはありません」

馳走ちそうしてやる。箸はいらないから置いてけ」

 トランクスを風呂場に案内する。脱衣場でふたりきりになってハタと困った。

「その全身タイツみたいな服……どうやって脱ぐんだ?」

 青いスーツの表面には有機的とも無機的ともつかない電子基板のような奇妙な模様と凹凸があるが、脱ぎ着のためのファスナーや留め具が見当たらない。

「脱ぐ必要が?」

「服を着たままじゃ風呂には入れないからな」

 手本として俺が先に服を脱ぎ始めると、トランクスは自分の左手首の辺りを探るようにして触れた。プスーッと空気が抜ける音がしたかと思うと、身体にピッタリとフィットしていたスーツがになり、自重だけで膝下までずり落ちる。

「おおっ、未来っぽいじゃねー……か」

 スーツの下から現れたトランクスの身体を見て、俺の口は「か」の形のまま固まった。

 下着なしの素っ裸だったから?――それもある。

 スーツの生地に意外と厚みがあり、中身の方は思っていたよりもさらに細身だったから?――まあ、それもある。

 問題は、胸の辺りが微妙に腫れているのと――股間のデリケートゾーンに男なら当然あるべきモノが見当たらないという事実だ。

「ちょっとそこで待ってろ!」

 俺はパンツ一丁のままで居間に取って返した。

「おいライカ……!」

 いねえ!

「イカちゃんなら二階よ」

 美雪姉に言われて階段を駆け上がり、自分の部屋のふすまを開ける。

 俺の布団に顔を埋めてゴロゴロしてる怪しい女がそこにいた。

「何やってる」

「ファッ!?」

 振り向いた雷花の顔がみるみる紅潮していく。

「かかかかか勘違いしないでよね! 爸爸と同じ匂いがしたからよ!」

「加齢臭が!?」

「甘いわね、イカちゃん」

 手を引かれるままに腰を落とすと、美雪姉は背中から抱きついて俺の左の耳の後ろに顔を押しつけてきた。

「こうやって直に嗅ぐのがイイのよ~試してみる? お姉さんが許可します」

「ではお言葉に甘えて」

「なぬっ!?」

 雷花のやつ、遠慮どころか躊躇ちゆうちよもなく飛びかかり、俺の右耳の裏に鼻先をくっつけてきやがった。

 荒い鼻息が首筋にかかる!

 俺の裸の背中に何か当たってるぞ!

 それも左右からステレオで!

 つまり――要するに変な気分にしかならん!

「ホントに爸爸と同じ匂い……」

「でしょ~?」

「お前ら、親父のことが好き過ぎるんだよ!」

 反抗期の男子なら恥ずかしさに耐えきれずに振り解いてしまう場面だろうが、俺はこういうのはウェルカムな方なのでそんな勿体もつたいないことはしない。だが肝心な用を失念している件について、階下から聞こえてきた声ですぐに思い出すことになる。

「おい、ちょっと待て! 待てと言っている!」

 師範代の慌てた声に続いて現れたのは、素っ裸のトランクスだった。

 不機嫌な眼差しとともに俺に人差し指を向ける。

「人に裸待機を命じておいて自分は女ふたりと破廉恥行為と洒落込んだ罪により訴訟」

「一見してまったくその通りの状況だが潔白を主張する!」

「誤解であるという明確な理由を述べよ」

「お前がだという新事実を報告する前にこの状態に陥ったからだ!」

「ええええッ!?」

 雷花と美雪姉はトランクスの姿をまじまじと見つめた。

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