第1話 春の嵐 中編

           3

「ほう……〈Kファイト〉とは懐かしい」

 紫門校長の言葉には愉快げな響きがあった。この光景を前にして呑気に構えていられるとは大した余裕だ。

「確か、君の対戦が最後だったかね? 草彅君」

「その話は後回しで願います!」

 青い津波に呑まれる寸前に間一髪で壇上に逃れていた涼子先生が、號天に呼びかける。

「號天!〈Kファイト〉云々の前に生徒たちを解放しろ! 話はそれからだ」

「師範代……俺はレイファと話をしている。口出しは無用」

 こいつも涼子先生を師範代と呼ぶのか。なんとなく分かってきたぞ。この男の素性が。

 雷花はこの男以上に涼子先生のことなど気にも留めていない。

「フフン、この烈雷花に真っ向から挑戦してくるとはいい度胸ね。褒めてやるわ。豚野郎」

 好き放題に言っておいて、俺の方を横目でチラ見する。

「ところでシンクロー、〈Kファイト〉って何?」

「俺もよくは知らないんだが……〈Kファクト〉とは違うのか?」

「お前が知らないとはどういうことだ!?」

 そう突っ込みを入れたのは雷花ではなく、何故か師範代だった。

「昔のことなんて知ってるわけがないでしょう? 師範代だって、入学前にこの高校の中身については何も教えてくれなかったじゃないですか」

 俺の反論に師範代は忌々しげに舌打ちすると、號天に再び呼びかけた。

「貴様とて〈Kファイト〉の何たるかを知るまい! この勝負は……」

「早合点してもらっちゃあ困りますね、師範代。〈Kファイト〉についてならよーく存じていますよ、この俺は……大門高校の生徒の誰よりも、ね」

 號天は立てた人差し指をメトロノームのように左右に振り、チッチッと舌打ちした。昔の映画でしか見ないようなキザったらしい仕草を現実に、しかも恥ずかしげもなくやれる人間がいるのか! 相撲取りみたいな体型のくせに。

「だったら説明してもらおうじゃないの。簡潔に」

「よろしい」

 雷花の要請に、號天は慇懃いんぎんに応えた。水の渦はいつの間にか落ち着いていて、呑まれた生徒たちは皆立ち泳ぎの状態になっている。

「〈Kファイト〉は一九九五年――当時一年生だった草彅静馬の発案により実現した公開決闘法だ。校内における私的闘争を解決する手段であり、基本的に挑戦を受けた側に対戦競技や条件の選択権が与えられる。当然ながら武道家同士なら自由格闘によるデスマッチが基本だ。全校生徒が見届け人として観戦するイベントとして定番化した〈Kファイト〉は、九九年に施行された学園内裁判員制度〈ジャッジメント・コート〉においても、判決を不服とする被告と原告双方にとっての最後の手段として用意されていた――」

 とんでもない制度もあったもんだな!

 確か日本には決闘を禁止する法律があったはずだが……この学校の敷地内は無法地帯らしい。

「決闘なんてずいぶんと紳士的な制度じゃない。でも決闘ってのは確たる理由と目的があってやるものだと思うけど? どんな因縁でこの私に挑戦しようってわけ?」

「うちの親父が、早く孫の顔を見せろとうるさくてな。とはいえ女なら誰でもってわけにはいかない」

 こいつは……何を言っている?

「だが南雲慶一郎の娘となれば話は別だ。嫁として申し分ない」

「なっ!? てっ、てめえ……」

 ふざけるなと口に出す前に、雷花が吹き出した。心底可笑おかかしいという笑いだ。

「アハハハハッ! なあに? 結婚を賭けて〈Kファイト〉をやるっての!? ウフフッ……アー、オッカシイ!」

 雷花は目尻ににじんだ涙を拭うと、恐ろしいことを口にした。

「面白いじゃない。〈Kファイト〉で私に勝てたら、子をはらむまで好きなだけFUCKしていいわよ」

「ぎゃにィッ!?」

 驚きすぎて意味不明な叫びになってしまったが、俺のうめき声は全校生徒の悲鳴にも似たどよめきの中にかき消された。そりゃそうだ。売り言葉に買い言葉……にしても限度ってもんがあるだろ。どう聞いても高校生がしていい会話じゃねえ!

「ライカ! お前……自分で何を言ってるのか分かってるのか!?」

「ここにいる生徒の誰よりも日本語は流暢なつもりだけど?」

「バカ、そういうことじゃねえ!」

「スカポンタンはあんたの方よ。人の話を最後まで聞いてから言ってくれる?」

「最後まで? 何のことだよ? 続きがあんのか?」

 雷花は呆れるわね、と鼻を鳴らす。

「〈Kファイト〉には挑戦を受けた側にセッティングの権利があるんでしょ? 豚野郎が勝てば私とFUCKするのはいいとして、私が勝った時の報酬についての話がまだよ」

「なるほど……それで?」

「そうね。私が勝ったら――とりあえず」

「とりあえず?」

「去勢したうえで一生奴隷として仕えてもらおうかしら」

 一瞬にして、講堂内の空気が凍り付いた。もちろん俺もだ。

「ちなみに去勢ってのは男のシンボルをちょん切ることよ」

「説明されなくても意味は知ってるが、しかしそれはあまりに……」

「何を言ってるの? 私を孕ませられないなら男として生きる意味はないわけだし、子種も必要ないでしょ? それと、手術は麻酔なしで、私が手ずからやるから。その条件でよければ勝負を受けてやってもいいわ。どう?」

 その問いに、號天は爽やかすぎる笑みとともに親指を立てた。

「OKだ」

 即答しやがった! 途方もないバカなのか? それとも絶対に勝てる自信があるのか!?

 もし雷花のハッタリだと思っているなら考え直せと言いたい。

 雷花が名乗っている『烈』は母方の姓だ。烈家は暗殺拳を伝承する一族であり、その武術を頼りに香港の暗黒街を生き抜いてきた歴史がある。ただの口約束であっても面子めんつにかけて必ず実行するだろう。

 固まっている涼子先生が、助けを求めるように俺に視線を向けた。何を期待しているのかは知らないが、考えていることは俺と同じだろう。

「じゃあこれで〈Kファイト〉は成立……」

「その勝負、待ったァァァッ!」

 俺は二人の間に割って入った。雷花を背にして、號天と向き合う。

「ライカと勝負したいなら、まずこの俺を倒してからにしてもらおうか!」

 何だろう……威勢よく言ってみたはいいが、まるっきり噛ませ犬の台詞だな。もう少しマシな印象があったはずだが、いざ口に出してみると歯が浮く感じが否めない。

「すっこんでいろ南雲真紅郎……お前を倒すのはいつでもできる」

 うわ、あっちの方が断然カッコよさげじゃねえか。ここはひとつ気の利いた台詞でディスり返してやらねば。

「タマ無しになったお前と闘ってもなー」

「――――!!」

 號天の片眉がピクリと動いた。ちょいと品に欠ける台詞だが、こいつは響いたようだな。

「俺は女とオネエ相手には本気を出せない質でね」

「トーシロ臭いこと言ってんじゃないわよ、シンクロー」

「お前が一番すっこんでろ!」

 雷花はムスッとして押し黙った……と思ったら『酢昆布出ろって何よ』と呟くのが聞こえた。どうやら雷花のボキャブラリーに含まれていない日本語らしい。あと『トーシロ』なんて最近の中高生は使わんぞ。雷花が教わった日本語の先生はたぶんアラフォーだ。

 様子を見ていた師範代が口を挟んだ。

「〈Kファイト〉には他人に売られたケンカを買える制度があることは知っているな? 雷花への挑戦権を得るためには、まず真紅郎と闘って倒さねばな」

 何その画期的すぎるシステム。ケンカのオークション制かよ。Kファイト通を自称する號天も初耳なのか怪訝けげん顔だ。

「ふむ……信じがたい話だが、まあよかろう。元を正せば俺がここへ来たのも南雲真紅郎を倒すためだったわけだし」

「当初の目的を忘れてんじゃねーかよ!」

「お前との勝負なんぞ、もはや行きがけの駄賃でしかないということだ」

 温厚な俺もさすがにカチンときたね。

 気付いたら先制攻撃を仕掛けていた。

 號天の身体に虹の帯が掛かり、直後に白い閃光を発して爆裂した。

 青い水面がえぐれ、水飛沫しぶきが上がる。一緒に十人ほどの生徒が悲鳴とともに

吹っ飛ぶ。

 だが號天本人は寸前に水面下に沈み、俺の攻撃をけていた。

「チッ、肉の壁でガードしやがったか」

「おい貴様ら! 対戦に生徒たちを巻き込むな!」

「奴が何人人質に取ろうが無駄ッスよ。俺は気にしませんから」

「だから気にしろと言っている!」

 轟ッ!

 一瞬、耳が聞こえなくなるほどの風圧。

 ピンク色の竜巻が講堂内をぐるりと円を描くように駆け抜け、水面から生徒たちを宙へ巻き上げていく。雷花の仕業だ。

「助かったぜレイハ様!」

「ありがとう! レイハ様愛してる!」

 かなり雑な方法で講堂の端まで運ばれたにもかかわらず、生徒たちは雷花に感謝しているようだ。

「助け代はひとり頭百香港ドルにまけておいてあげる」

 日本円で総額いくらになるか知らないが、感激が台無しだな。何にせよ邪魔者が消えてスッキリした。

「真紅郎」

 師範代が俺に赤樫あかがしの木刀を手渡しながら、耳打ちするように話しかけてくる。

「號天は毒島天堂てんどうの息子だ」

 なるほど……そういうことか。

 毒島天堂とは、飛天流の三大師匠のひとりだ。

 飛天流はもともと総合武術だったが、戦争のため失伝の危機に瀕した際に、剣術・柔術・骨法の三系統に分ける形で三人の弟子に継承された。

 俺や師範代の直系の師匠は剣術の継承者の鬼塚鉄斎。毒島天堂は骨法だ。三人は確か同い年のはずだから、號天は六〇を過ぎてからの子供というわけか。そりゃあ確かにタマ無しにされちゃ困るわな。

「だからって手加減はしませんよ」

 俺は壇上から飛び降りて水面に降り立った。足元から虹色の波紋が広がる。

 やはりというか、とっくに分かっていたことだが、この青い水に見えるものは物質としての水ではなく、水の性質を持つ神気のエネルギーだ。

 つまり毒島號天は俺や雷花と同じく〈神威の拳〉の使い手なのだ。

 本来であれば常人の目には見えない神気が、生徒たちの肉眼でもはっきり捉えられているのは、ここがだが――見える理由についてはよく分かっていない。大門高校の七不思議のひとつだ。

 號天が膝まで水に浸かった状態で右の掌を突き出した。水面がうねり、大きな波となって迫ってくる。こっちはアメンボのように神気の反発力で水面に立っている状態だ。あの波を正面から受けるのはマズい。

 左手に携えた木刀を居合いよろしく抜き放つ。

 しごかれた刀身は虹の輝きを帯び、逆袈裟けさに斬り上げたその軌道に七色の弧を描いた。

 残像の虹の刃に触れた波濤はとうが真っ二つに両断される。

 その波の断面は――!? やはりそうか!

 この講堂を満たすほどの大量の水がすべて高密度の神気だとすれば、ひとりの人間が扱うにはあまりに巨大すぎるパワーだ。常識的に考えてあり得ないと思っていたが、水面に見える薄い膜がその正体だとすれば納得だ。

 號天が左右の手を交互に突き出した。高速回転の突っ張りだ。見た目も相撲取りっぽければ技も相撲っぽい。違和感ねー。

 その張り手の数だけ波が連なって襲ってくる。俺は虹の刃を飛ばして迫り来る波濤を斬り裂いて、斬り裂いて、斬り裂いたが――キリがねえ!

 波濤を三枚まとめて虹の刃で切り裂き、そこにできた空隙くうげきを狙って右手から神気を放つ。號天を直撃するはずの虹は、しかし、水面で拡散して炸裂するまでもなく霧散した。

 この水面は言わば張りっぱなしのバリアーのようなものだ。水の表面に生まれる波はエネルギーの濃淡にすぎない。一発に消費する神気はほんのわずかだろう。少なくとも俺の虹より断然省エネに違いない。

 奴のテリトリーで正面から勝負するのは圧倒的に不利だ!

 俺は足元に展開した虹の波紋のパワーを解放し、その瞬発的な斥力を利用して大きく跳躍し、壇上まで後退した。

『――おお~っと! 南雲真紅郎、毒島號天との距離を取りました! 正面突破を断念したと見てよろしいですか? いかがです? タジタジですか!?』

 いきなり実況アナウンスが流れて面食らった。

 いつの間にか壇上に長椅子とマイクが設置され、栗毛三つ編みのメガネ女子と師範代が並んで席に着いている。

『申し遅れました! 先ほど〈Kファイト実行委員会〉を名乗る謎の組織から指名を受けまして、この対戦の実況を担当させていただくこととなりました、わたくし、放送部二年の倉田クラリスと申します。解説として剣道部顧問であり二年B組担任の草彅涼子先生をお迎えしてお送りします! さあ涼子先生! どうですかこの戦いは!? とはいえそれ以前にわたくし、そもそも〈Kファイト〉が何なのかよく存じ上げないのですが!?』

 聞き覚えのある声だと思ったらクラタクだかクラクラだかと呼ばれてる放送部の女子か。妙なテンションの高さと矢継ぎ早の質問に、師範代も絡みづらそうだ。

『おおっ!? わたくしの手元に資料が届きましたよ!? なになに……ほうほう、なるほど、そうですか! こいつはビックリですね! この〈Kファイト〉の発案者は涼子先生の旦那さんなんですか!?』

『まあ、そうだが……』

『しかし校内のめ事を当事者の間のガチバトルで解決するなんて実に野蛮ですねー。いかにも昭和って感じですよね! この〈Kファイト〉って戦後のドサクサの頃に始まったんでしたっけ?』

『平成だ平成! 確かに生まれは昭和だけど、小学生の頃に平成に変わったから!』

『時代の生き証人ですね!』

 師範代がムッとしてる。クラタク、お前……師範代をババア扱いとか命知らずにも程があるぞ。

『資料によりますと、最後の〈Kファイト〉が行われたのが十二年前。その対戦の勝者が――当時、教育実習生として大門高校に来ていた涼子先生ということですが、これは事実ですか?』

『間違ってはいない』

『なるほど……おや? わたくし気付いちゃいましたよ、驚愕の事実に! この〈Kファイト〉制度は廃止されたわけじゃないんですね!? 今日まで挑戦者が現れなかっただけで……ということは、今でも涼子先生が〈Kファイト〉のチャンプってことに!?』

『それ以来対戦がないとすれば……そうなるかな』

『では当時の勇姿をご覧戴きましょう!』

『なぬっ!?』

 演壇の背後にあるスクリーンに静止画スチールが映し出された。茶色の羽織袴はおりばかま姿の師範代だ。十二年前だから二十歳そこそこ。今も外見はほとんど変わっていないがやっぱり若い。

 携えた武器は当然ながら日本刀――なのだが、一緒に奇妙なモノが映っている。

 跳び箱を裏返したような逆台形の木箱に車輪を付けた、手押し車のような物体だ。

 筆のような髪型に結った三歳くらいの子供が乗っているところからして乳母車らしい。

 その箱形の乳母車の前面の蓋が開いていて、ガトリング砲よろしく並んだ銃口から火を噴いている。これは……映画のワンシーンじゃないのか?

『このKファイトで涼子先生は「子連れ狼スタイル」で挑まれたそうですが――この乳母車に乗っているのは実のお子さんですか?』

 ん? 俺も一瞬そう思ったが、師範代の長男は今現在中二だから、十二年前の写真だとすると計算が合わないな。

『いや……はお前だ。真紅郎』

「なんとっ!?」

 対戦中なのを忘れて素で声を上げてしまった。

可愛カアイ~! 可愛カアイ~!」

 雷花が現在の俺とスチールを見比べて大はしゃぎする。クッ、笑うな!

「師範代! あんなの俺の記憶にないですよ!?」

『だろうな。まだ三つだったし』

「そもそも何で俺が参加してるんですか!? まさかコスプレに付き合わされただけとか言わないでしょうね?」

『…………』

 そこで何故、目を逸らす!?

『それが事実なら大変なことですよ!? 最後の〈Kファイト〉にタッグで参戦していたとすると、南雲真紅郎もまた現役チャンプということになりますが』

 不意に高笑いが響き渡った。號天の声だ。

「面白い……やはり貴様とは闘う宿命にあったようだな!」

「どうしてそうなる!?」

「貴様を倒してKファイトチャンプの座を奪い、その上で雷花を嫁にもらう……それがこの俺の運命というわけか」

「勝手なことを思うな」

 この男はどうしてこうノリノリなのか。余裕で勝てるつもりでいやがる。

 にしても俺がチャンプだと? 参加した覚えもないのに!? 写真をどう見てもオマケどころかただのお荷物だろ。俺のあずかり知らないところで変な肩書きを増やしてハードル上げるの、やめてもらえませんかね? プレッシャーは水圧だけで間に合ってるってのに。

 俺は右手で稲妻の軌道を描いた。青い水面の上に、同じ軌道で虹のレールが延びる。

 直後、俺の身体は虹のレールの上を走り、一瞬にして號天の真横に移動した。

 號天の脳天目がけて木刀を打ち下ろす。

 虹の神気を帯びた刀身が、水のバリアーを切り裂く――

 だが、俺のイメージ通りにはならなかった。

 手応えが……重い!

 號天の身体を覆う水の神気は薄膜ではなく、分厚い層になっていた。

 しかも周囲に広がっていた水が集まることで、木刀で切り裂く速さよりも厚さが増していく速度の方が上回っている!

 號天が右手を俺に向かって突き出した。

 青い水の神気が怒濤と化して襲ってくる。

 鉄砲水のごとき奔流が走り、その先にいた生徒たちは慌てて逃げ出したが、十数人が巻き込まれて講堂の外まで押し流された。

 どうしてそんなに冷静かって?

 もちろん一緒に流されながら解説してるわけじゃない。

 その様子を、俺は、講堂の天井近くにある明かり取り用の窓枠に片手で掴まった状態で眺めているからだ。

 怒濤に呑まれる寸前、足場にしていた虹の光輪を爆発させて自分自身を空中に吹っ飛ばして逃れたのだ。咄嗟とつさ の荒技だったがどうにかなるもんだな。

 しかし弱ったな。

 水の性質を持つ神気ってのはバリアーというより、何というか……まるで巨大なスライムを相手にしてるような感じだ。薄く伸ばして広範囲を支配できる一方、自分の周囲だけ層を厚くして防御を固めることもできる。

 弱点があるとすれば、高い位置まで攻撃が届かないとか、攻撃そのものは速くないってことくらいだが――いや、考えてみれば弱点ってほどでもないよな。防御力と場の制圧力で充分におつりがくる。ここが講堂だからまだ逃げ場があって助かったが、例えば教室のような狭い空間で闘っていたら為す術もなく瞬殺されるレベルだ。

 あの攻防一体の水面を破る策はあるのか――?

「シンクロー! 何やってんの!?」

 横槍が飛んできた。雷花のやつだ。

「酸っぱい闘い方してんじゃあねーのよ!」

 たぶん『ショッパい』と言いたいんだろうな。それとも『ショボい』か? どっちにしても消極的なファイトはお姉様のお気に召さないらしい。

「前座のくせにつまんない勝負をグズグズやってんじゃないわよ」

「うっせーな! 黙って見てろ!」

 誰のためにやってると思ってる!?

 だがまあ言いたいことは分かる。俺も勝負を長引かせるつもりはない。

 もう少し観察して號天に対する攻略法を探ろうと思っていたが、やめだ。

 師匠曰く〈神威の拳〉の勝負は結局のところ地力の強い方が勝つ。トータルのパワーがどれほど上回っていようと、攻撃力を一点に集中させれば勝機はある。

 問題は、一度も本気で試したことのない技の威力がどれほどのものなのか、俺自身にも予測できないってことだ。

 下手すりゃ死ぬな。俺か、號天のどちらかが。

「フッ……高い場所に逃げれば当たらないという浅はかさ……笑止!」

 青い波が引き、逆巻く渦潮となって盛り上がると、俺のいる高さまで達する津波となって押し寄せてきた。ビジュアルが完全に富嶽ふがく三十六景だ。號天自身はサーファーよろしくその波に乗っている。

 俺は壁の表面に虹のレールを描いて瞬間移動し、大波の背後に回り込んだ。

 目標を失った波は空しく壁を叩き、號天は床に降り立つ。

 俺は木刀を円月殺法の要領で一回転させ、空中に虹の円錐えんすいを描いた。

 その中心を切っ先で突くと、虹の円錐は七つの光輪に分裂、拡大しながら號天に向かって伸びていく。

 これは――空中に架設しただ。

 足場にしている虹を炸裂させ、その爆圧を受けて俺は宙に飛び出した。

 空中に配置した虹の輪は俺がくぐるたびに爆発し、その圧力を爆縮レンズ

の要領で中心に集める。

 その結果は――文字通りの爆発的な加速!

 七段階で加算されたパワーを全身に受けた俺は、虹色に輝く砲弾と化して突撃した。

 號天が両の掌を足元に叩き付けると、周囲の水面が間欠泉よろしく真上に噴き上がる。

 正面から迎撃するつもりか。いい度胸だ!

「せいやぁぁぁ――ッ!」

 まだ名前のない必殺の蹴りが、水の柱を突き破った。

 身体がバラバラにぶっ壊れそうな衝撃とともに、講堂の床をえぐりながら着地する。

 水の障壁は消失し、その残滓ざんしが蒸気となって辺りに立ちこめた。

 俺は自分の足元を確認した。

 足の下にあったのは、號天――の着ていた学ラン……だと!?

 俺は失策を悟った。

 直撃を食らわせたつもりが外した?

 まさか……光の屈折か!? 水面で光が屈折して、號天の正確な位置を見誤った!?

 背後に動くものの気配を感じ、俺は総毛立った。

 今、俺の神気のレベルは限りなくゼロに近い。大技を放った直後だからだ。ほとんど丸裸で敵に背中を向けているに等しい。今攻撃を受けたら――

「ふう~……」

 緊張感に欠ける溜息が聞こえてきた。

 肩越しに背後を見ると、もうもうたる蒸気の中に起き上がる人影。

「フム……なかなかの威力だ」

 男の声色だが、妙に色っぽい。號天の声はもっと野太かったはずだ。誰だ?

 俺は身体ごと振り向いて、背後の男を正面に捉えた。

 白い霧状になった神気が晴れていく。そこにいたのは――

「お前は……いや、あんたは誰だ?」

 サイズの合わないダブダブの服を着た、見知らぬ男がそこにいた。天然パーマと鷲鼻わしばなを除けばかなりのイケメンだ。

「誰だとはご挨拶だな」

 男は気怠けだるげな所作で髪を掻き上げる。

「今の今まで闘っていた相手を忘れるやつがあるか」

「號天……!?」

 アンコ型とまでは言わないが力士体型だったはずだ。あのたるみたいな身体がいきなり痩せた?

 男は青いTシャツを脱ぎ捨てた。体脂肪率三%以下のビキビキに鍛え上げられた筋肉質の身体が露わになる。

「見ろ、この貧相なボディを。これじゃ〈波濤掌〉は使えん……ガス欠だ」

「いや全然貧相じゃねーしって……つーかお前、あの波出すのにどんだけカロリー消費してたんだよ!?」

 凄まじいパワーだとは思っていたが、あれと引き替えに体脂肪をガンガン燃焼させてたってわけか。なるほど納得……できるか! 生まれつきの体質なのか修行の賜物なのか、どっちなのか問い詰めたい。

 戦意を喪失したらしくすっかり毒気の抜けた顔の號天は、少しフラつきながら立ち上がった。その途端にズボンが床にストンと落ち、主に女子生徒たちの間から悲鳴とも歓声ともつかない黄色い叫び声が上がる。

 サイズの合わなくなったデカパンも一緒に落ちたからだ。

『おっ……おっ、おお~っとォ~申し訳ございません! すっかり実況を忘れておりましたが……ちょっとよく見えませんよ! 何ですか、アレは!?』

 クラタクの言うアレとは、號天の股間に掛かっている虹のことだ。もちろん誰でもない俺の仕業である。

『何かが私の視界を邪魔しています! まったくけしからんことですよこれは!』

 黙れクラタク。デブのヌードなら正反対のコメントしてただろお前。

 しかし肝心の號天が堂々としているのは何なんだ? 隠す気ゼロだぞこの男。しかもダビデ像っぽくポーズまで決めてやがるし。

 険しい顔つきの雷花が訊ねる。

「戦闘続行不可能につき降参ってことでいいわけ?」

「フム……ま、そうなるかな」

 號天が肩をすくめる。雷花はニンマリと邪悪な笑みを浮かべた。

「じゃ、約束通りちょん切っちゃおっか」

「「待てぇぇぇぇ――い!」」

 俺と師範代の台詞が図らずもハモった。だがもちろん発言権はこの俺にある。

「この対戦にそんな条件を付けた覚えはないぞ!」

「ハァ!? シンクロー、あんたついさっきのことも覚えてないの?」

「そいつはこっちの台詞だ。俺がこの対戦に賭けたのは『ライカと対戦する権利』だけだからな。それとも何か? 負けた號天のナニをちょん切るってんなら、俺には賞品の方をくれるのか?」

「………………」

 ピンクの毛先を指で弄ぶ雷花。

 何故そこでダンマリなんだよ!? ほら見ろ、変な空気になるだろうが!

「シンクロー、あんた顔が真っ赤よ」

「ちゃうねん」

「チャウ・ニェン……?」

 いや広東語じゃねーから! 取り乱して関西弁が出ただけだから!

「とにかく、號天のタマキンちょん切るのは無し! 分かったな!?」

 雷花相手にはどんな無茶な理屈でも押し通す他ない。

 號天は雷花と俺を交互に見て、自嘲するように鼻を鳴らした。

「どうやら借りができたようだな」

「そいつは今ここで返してもらう」

「つまり……勝者の権利を行使するというわけか?」

「そういうことだ」

「伺おう」

 およそ敗者とは思えないこの不敵な態度――嫌いじゃあないぜ。

「號天。貴様に問おう! 男の成長に必要不可欠なモノは何だ!?」

「決まっている。膨大なカロリーだ」

「ちゃうわ! それも要るっちゃあ要るけど!」

 それ以上ボケさせないために、俺は號天の鼻先に人差し指を突き付けた。

「男に必要なのは好敵手ライバルだ。実力的に釣り合うか、ちょっぴり上のレベルのな」

「ほう……いいのか? そんなことを言って」

「ああ。『強敵』と書いて『とも』と読む、そういう存在が俺には必要なんだよ」

「……フッ、仕方ないな。未来の弟の頼みだ」

「今すぐその股座またぐらを爆破してやってもいいんだが?」

「オーキードーキー」

 かくして、性格に問題のある姉と、言動がいちいち破天荒なライバルをいっぺんに得ることになったわけだが――いや、その前に言っておくことがあった。

「いいからさっさとパンツを穿け!」

           4

「レイハ様、目線お願いしま~す!」

 ごっつい一眼レフを構えるカメコのリクエストに、雷花はノリノリでセクシーポーズを決めて流し目を送った。

「うぇへへへ……いいッスよ~エロいッスよ~」

 片膝をつき、舐めるようなローアングルでシャッターを切りまくるカメコ。

こいつ、被写体に夢中すぎて自分がパンツ丸見えの体勢になってることに全然気付きやしねー。スカートの下に見せパンくらい穿けよ。

「虹の旦那、棒立ちってのはいただけませんな~」

 雷花が俺の腕にぶら下がっている状態でどうしろと? つーかその二つ名は何だよ。

 號天とのKファイトの後、全校集会はお開きとなり、俺たちはカメコをはじめとする大勢の報道班に取り巻かれている。

「南雲真紅郎君に年子のお姉さんがいたとは驚きです! 十年ぶりの再会と伺いましたが、どうして別々に暮らしていたんですか?」

「ノーコメント」

 雷花め、すっかりセレブ気取りかよ。

 生き別れになった経緯を簡単に言えば、両親が国際結婚で、雷花は母方の実家の香港で育ち、二人目の子供である俺は東京にある父方の実家に預けられたってだけのことだ。十年間顔も見ていない雷花がいきなり来日した理由は俺も知りたいところだが――

 雷花は恋人みたいに指を絡めて手を握り、身体を密着させてくる。クソッ、見た目はガングロビッチ風のくせにスゲーいい匂いするからムカつく。

「で、どこへ連れて行くつもり?」

「誤解は早めに解いておくに限るからな」

 校内を歩くと嫌でも〈Kファクト〉が視界に入ってくる。書かれている内容について質問してくるから仕方なく教えてやると、雷花は驚くどころかさも当然のように笑った。

「爸爸の偉業がこうして語り継がれているってわけね! 素晴らしいことじゃない」

 ダメだこいつ。やっぱ日本人の感覚じゃねえわ。

 俺が雷花を案内した先は、校舎に挟まれたさして広くもない中庭だった。そこには赤い鳥居と、小さいが立派なほこらが建っている。

「イ……ク……サ……ノミコ神社?」

 鳥居に掲げられた社名を読む雷花。

「そう、こいつが大門高校の七不思議のひとつ〈イクサノミコ神社〉だ。そして、ここに祀られてる御神体の名は〈レイハ〉という」

「レイハ……?」

「この中にいる。覗いてみな」

 鳥居をくぐって賽銭さいせん箱の前まで来ると、祠の中に鎮座している御神体が薄いとばり越しに見える。

 御神体は人の形をしていた。といっても素朴な木彫りの人形なんかじゃない。等身大の、極めて精巧な、一見すると生身の人間と見紛みまがう――いや、それ以上の芸術品だ。

 ガラスのような銀色の髪。血管が透けて見えそうな白い肌。唇は淡い桜色。

 北欧系とでも言えばいいのか、日本人離れした、整いすぎなくらい整った美少女だ。

 まぶたは閉じられているが、その下にある瞳の色は血の赤だ。

 身に付けているのは白い上衣に緋袴ひばかま――巫女を思わせる衣装だが、裾丈はミニスカートだし、白いニーハイソックスにブーツ、宝玉付きの髪飾りといった純和風とは言いがたいコーディネートだ。いかにもファンタジーの世界の住人っぽい。

「レイハは親父と縁の深いソルバニアの巫女だよ」

「東ヨーロッパの?」

「それはアルバニアだろ。ソルバニアってのは地球上にはない異世界……つーか手っ取り早く言えば〈魔界〉らしい」

 それは〈Kファクト〉で語られるトンデモ伝説だ。

 俺たちの親父――南雲慶一郎(当時二十九歳)は人間としてはあまりにも強すぎたせいで時々異世界ソルバニアに召喚されて怪物を退治していたというのだ。無茶苦茶な話である。

「このレイハはソルバニアに親父を召喚しては怪物と戦わせてたんだが、ある時、そこから追放されて地球側に亡命してきたんだと」

「ふうん」

 感心してるのか関心が薄いのか、よく分からん反応だな。

〈Kファクト〉によるとレイハは大門高校の生徒たちにアイドルとして歓迎され、去った後もこうして祀られているというわけだ。

「爸爸とはどういう仲だったの? 恋人?」

「違うだろ。このレイハは人間じゃなくて魔法で作られたアンドロイドみたいなもんだったらしいし。問題はどういうわけだかレイハがこの高校のマスコットとして定着してるってことで……」

「それの何が問題?」

「それだけ知名度があるってことだよ。お前がいきなりVIP扱いなのはな、南雲慶一郎の娘で、しかも名前がレイハに似てるってのが理由だからな。決してお前の実力でチヤホヤされてるわけじゃないってことだ。外見についてはまったく似てねーから! それを覚えて……」

 俺はギョッとして言葉に詰まった。レイハを見つめていた雷花が、いきなり大粒の涙を零したからだ。

「爸爸……」

「何を感極まってんだよ」

 俺は半ば冗談めかして突っ込んだが、雷花の反応はマジだった。ポロポロ、どころかボロッボロ泣いてやがんぞ? 号泣じゃねえかよ。これが滂沱ぼうだの涙ってやつか。

「おい、どうしたんだよライカ?」

 雷花は駄々っ子がいやいやするように首を振り、俺には聞き取れない早口の広東語で何事かをまくし立てると、俺の肩に顔を埋めるようにして抱きついてきた。

 おいおいおい……おい?

 参ったな。こりゃ参ったぞ。

 俺は突き放すことも慰めることもできずに固まったまま、雷花が泣き止むまで肩を貸していた。

 調子狂うぜ……

           5

 トイレから戻ってきた雷花は、ついさっきまでボロ泣きしていたのが嘘みたいにサッパリした顔をしていた。涙で崩れた化粧を落として整えたためケバさ五割減、美人度七割増(俺基準)だ。

「ライカ、お前……」

 変な化粧しない方が可愛いぞ、なんて言うと負けな気がした。雷花は醜態をさらしたことなどスッパリ忘れたように居丈高に、

「ちゃんとレイファって呼びなさいよ」などとのたまう。

「いったん受け入れといて今さらかよ。だいたい『レイハ』と似てて紛らわしいんだよ。お前なんかライカで充分だ」

「人を宇宙犬みたいに」

「うるせーな。クドリャフカって呼ばれてーのか」

 さっさと歩き出した俺に、雷花はすぐ追いついてまとわりついてくる。

「お姉様に校内を案内しなさいよ」

「転校生だろ、まずは自分のクラスへ行けよ。案内なら六時限目が終わった後で好きなだけしてやるから楽しみにしてろ」

「何で放課後!?」

「この学校は放課後からが本番なんだよ」

 自分の教室に戻る途中、妙な場所に人だかりができていたので気になって覗いてみると、そこは学生食堂だった。中央の大テーブルいっぱいに満漢全席よろしく大量の料理を並べて片っ端からかっ食らっている男がいる。誰あろう毒島號天だ。

 カツ丼を五秒で完食し、チキンカレーを飲み物のように流し込み、酸っぱ辛いスープのフォーをすすったかと思えばクイニーアマンを噛み千切る。何万カロリー摂取するつもりか知らないが……食欲はともかくこいつの味覚はどうなっとるんだ?

 俺がテーブルを挟んで対面に立つと、號天は箸を止めて俺を見た。

「人が飯食ってるのがそんなに珍しいか?」

「いや珍しいだろ。フードファイターとして客呼んで見せられるレベルだ」

「闘いに必要なカロリーを摂取している……それだけだ」

 フードファイターというよりカロリーファイターだな。俺は差し向かいに腰掛け、テーブルに身を乗り出した。

「ちょうどいい號天、ひとつ相談があるんだが……」

「こんなところにいたか!」

 師範代がモーゼの如く人垣を割って食堂に入ってきた。

「雷花! お前のクラスはⅡBだ。さっさと教室に来い」

 ⅡBってことは、つまり師範代が直々に担任を務めるってことか。まあ他の先生じゃ雷花の相手は荷が重いだろうな。

 師範代は號天を見つけると、テーブルに片手をつき、顔を寄せて問い質した。

「號天、ひとつ訊くぞ。貴様の師匠は誰だ?」

「答える必要があるとは思えませんが?」

 號天の物言いは格好つけているが、俺も同意だ。父親の毒島天堂に決まっているからな。

「武術のじゃない。〈神威の拳〉の師匠は誰かと問うている」

「――!?」

 なるほど、そういうことか。

 俺が学んでいる武術は飛天流だが、飛天流には〈神威の拳〉は含まれていない。

 奇妙に思うだろうが〈神威の拳〉とはそもそも仙術であって武術ではないのだ。拳と付いているから拳法っぽいが、神気を練るための特別な呼吸法があるだけで、武術としての技の体系なんてものは存在しない。ちょっとした詐欺みたいなものだ。

 號天の相撲風の武術は神武館骨法がベースだろうが、天堂とは別に〈神威の拳〉の師匠がいるのは間違いない。

 號天はフォーの麺をジュルリと啜ると、不敵な笑みを浮かべて答えた。

「それこそ、答える必要はない」

 同門の師範代に対してこの態度だ。よっぽど凄い師匠なのかもしれないが、どうせ俺の知ってる人じゃないだろう。

 取り付く島なしと判断したか、師範代は今度は俺に矛先を変えた。

「ところで真紅郎、お前の〈神威〉……あの虹の技だが、いつから使えるようになった? お前がちょくちょく虹を出すのは知っていたが、あれほどとは思わなかったぞ」

「ここひと月ほどの間に急成長したんですよ」

「つまり高校に入学してからか?」

「そうです」

「なるほど、このところ剣術の稽古をサボってるのもそのせいか。し……師匠は、知っているのか?」

「まだ知らせてませんよ。日本に戻ってきたらびっくりさせてやろうと思って」

 我が師匠――飛天流剣術ではなく〈神威の拳〉の師匠という意味だ――は、今は日本にはいない。今日あたりはドイツのウィーンにいるはずだが。

「まだ師匠の前で披露するには練習不足だし何より……そうだ、號天、そのことで相談があるんだが、聞いてくれるか?」

「ふむ……言ってみろ」

「実は俺の技にはまだ名前がない。どうも俺にはセンスがなくてな……自分で考えると『レインボーホニャララ』とか『スペクトルなんちゃら』とか、ありきたりのしか思いつかないんだ。何かパンチの利いた技名を命名してくれないか?」

「ちょっとシンクロー!」

 いきなり雷花が割り込んできた。

「そういう大事なことを敵に相談してんじゃないわよ! まずあんたの二つ名は龍――」

「どんな技があるんだ?」

「まずはこれかな」

 俺は右手を食堂の壁に向けてかざした。虹色に輝く手形が現れ、白い閃光を放って小さな爆発を起こす。神気を放ったのはほんの一瞬なので、せいぜい爆竹を一度に五、六発まとめて破裂させた程度の威力だ。

「なるほど、分かった」

 力うどんの餅を頬張りながら、號天は割り箸の先で壁を指す。

「名付けよう――〈虹でボーン!〉だ」

「ブハッ!」

 俺は椅子ごとひっくり返った。號天のセンスに文字通りブッ飛んだってわけだ。

「ボ、ボ、ボ……ボーン!?」

 派手なズッコケっぷりにギャラリーは引き気味だが知ったこっちゃねえ。

「ボーンって……いいな、それ!」

「いいのか?」

 師範代は複雑な顔だがとんでもない。

「よし、次はこれだ」

 床に虹のレールをUの字に描いて瞬間移動してみせると、號天は眉ひとつ動かさず、

「〈虹でギューン!〉」

「ギューンって! ギューンって!」

 俺は床にへたり込み、椅子をバンバン叩いて激笑した。アカン、腹筋切れそう。

「じゃ、じゃあこのバリアーは?」

「〈虹でバイーン!〉だな」

「バイーン! イーッヒヒヒヒッ!」

 さらに、木刀に虹を帯びて斬る技は〈虹でズバーン!〉、虹の円盤を破裂させてジャンプ台にする技は〈虹でボンヨヨヨーン!〉、最後に使った必殺キックは〈虹でセイヤー!〉と決まった。

「つまり俺のバトルを実況しようとすると『相手の攻撃をバイーン!で弾き返した隙にボーン!で吹っ飛ばしてギューン!で追いかけてズバーン!ってやってボンヨヨヨーン!からのセイヤー!でフィニッシュ』とかになるわけだな!?」

「何それ、オノマトペばっかり!」

「むしろアバンギャルドだろうが」

「どこがよ!? ダメに決まってるでしょ!」

 雷花は中国式の命名にこだわって横からしつこく口出ししてきたが、全部無視してやったから超ねてやがる。ビッチのくせに保守的だな。

「しょうがないな……分かったよライカ」

「分かればよろしい。まずアンタの神気は〈龍虹ロンホン〉よ。古来中国において虹を龍の一種と見なす思想があるから、これは譲れない。個々の技もお姉様が世界基準で通用するカッコいい名前を付けてあげるから心して――」

「代わりにお前のは俺が命名してやる。〈ピンク・タイフーン〉で決まり、な?」

「ハァ!?」

 俺は食堂の壁にマジックで〈桃紅暴風〉と書いて〈ピンク・タイフーン〉とルビをふった。我ながら字面がいい。

「ストリートギャングのチーム名みたいじゃない」

「壁に書くな! 壁に!」

「ならば俺は〈波乗りパイレーツ〉とでも名乗るか」

「何ですかね~、このあふれる昭和感?」

「ええい、貸しなさいよ!」

 雷花は俺の手からマジックを取り上げ、〈桃紅暴風〉の隣により大きく書いた。

 その文字は――〈激閃龍虹〉。

 読みは『げきせんりゅうこう』……いや『ジー・シャン・ロン・ホン』か? 漢字のおかげで字面だけで何となく意味が分かるのが救いだが。

「英語に直訳すると〈レーザー・フラッシュ・ドラゴン・レインボー〉よ」

「長い、クドい、ダサいの三拍子揃ってんじゃねえか!」

 これだから誰でも知ってるような英単語の組み合わせは嫌なんだ。

「〈龍虹〉はシンプルでいいけど技名は和風でいいや。分かりやすいし」

「日本のオノマトペじゃ世界で通用しないわよ」

「じゃあ『ZAP!』とか『BOOM!』とか?」

「つまり、こうだな」

 號天が壁にアメコミ風の凝った書体で擬音を書き始めるに至って、遂に師範代の雷が落ちた。

「いいから貴様ら、そういう会議は他所でやれ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る