真リアルバウトハイスクール -Double Dagger-/雑賀礼史

ファンタジア文庫

第1話 春の嵐 前編

 まずは名乗らせてもらおう――俺の名は南雲真紅郎なぐもしんくろう

 自己紹介すると決まって「しんくろうってどう書くの?」とかれるが、つづりを答えるのが少々恥ずかしい名前だ。

「シンクロナイズドスイミングのシンクロです」

 なーんてボケをサラッとかましたいところだが、いまだその勇気がない。

 古風だかキラキラネームだか微妙だが、幸いにも過去にこの名前でバカにされたことはない。

 幼少のみぎりから頭ひとつ飛び抜けた体格だったからな。

 今や身長一八五㎝、体重八八㎏の図体だ。

 この春まで中学生でしたと言ってもまず信用してもらえない。

 数字だけ見ると重すぎるからデブだと思われるかもしれないが、どっこい体脂肪率は四パーセントを切っている。

 ほぼ筋肉の塊だ。

 我ながらムキムキだ。

 しかもまだまだ成長期ときてる。

 親父が二メートル超えのバケモンだから、俺もきっと同じくらいになるんだろう。

 遺伝ってのは恐ろしい。

 物心つく以前は天使のように可愛かったんだぜ? なのに高校を卒業する頃には立派なゴリラになっているかもしれんと考えるとちょっぴり憂鬱だ。

 正直、母方のDNAには頑張ってもらいたい。

 媽媽ママは息子の俺から見ても美人だからな。

 自分の母親を臆面もなく美人だと言い切るとマザコン認定されそうだが、客観的な事実なんだからしょうがない。

 巨人と美女のハーフというわけだが、いきなり遺伝形質及び両親について語ったのには理由がある。

 非凡すぎる親を持つことは、果たして子供にとって幸福か否か――?

 そんなようなことを、俺は、これから語っていこうとしているからだ。

 それは血であったり、精神であったり、財産であったり、あるいは因縁のようなものであったり、広い意味で子が親から受け取るものについての話になるだろう。

 などと、物語の方向性をさり気なく示したところで、さっそく始めるとしよう。

 とはいえ、さて、どこから語るべきだろうか?

 やはりあの日からだな。

 二〇一四年五月六日。

 その年のゴールデンウイーク最終日。

 振り替え休日。

 昼間は汗ばむ陽気だったのに、夕方になってから妙に風が強くなった――


第1話  春の嵐 前編


[五月六日――晴れのち曇り、ところにより暴風雨]

 ひと目れはフィクションではない。

 現実に起こりうる現象だ。

 ただし現実ってものはいつだって甘くないのである。

           1

 彼女が目の前に現れたとたん、アドレナリンの大量分泌で戦闘モードになっていた俺の肉体に異変が起きた。

 口の中に甘い蜜が湧きだして、視界にピンク色のかすみがかかる。

 頭の芯がボーッとして、ついさっきまで鬼神さえ退けるほどに満ち満ちていた気合いがどこかへすっ飛んでしまい、釘付けにされたように足が動かない。

 これは……知らない間にヤバい毒でも食らわされたか?

 それとも精神攻撃を受けているのか?

 いや、違うな。

 違うとも言えるし、違わないとも言える。

 彼女が何かしたわけじゃなくて、これは俺の側の問題だ。

 しかし大本は彼女にあると言っていい。

 なにせ、とにかく、あまりにも美人すぎた。

 単純に見目麗しいというだけではなく、たたずまいからして違う。

 りんとして、涼やかで、そして輝くような生気に満ちている。

 化粧の効果もあるのだろうが、眼力が凄い。

 射貫くような視線――獲物を狙う猫科の肉食獣の目だ。

 モデルみたいに細すぎない、しなやかな肢体を包むのは、エメラルドブルーの繻子サテンちようと龍の刺繍ししゆうがあしらわれたチャイナドレス。

 艶やかな黒髪を団子に結っているが子供っぽくは見えない。

 歳は……おそらく俺よりは年上だろうが、二十歳過ぎってことはないだろう。

 俺も大人びて見られる方だから、彼女の隣に並んでも……違和感はないな。うん。

 ヒールの高いショートブーツを履いているのと、段差の上に立っているため、視線の高さは俺とほぼ変わらない。身長は一六五㎝ってところか。悪くない。

『モゴ~~~~~~~ッ』

 不意に、右手の方から、くぐもったうなり声が聞こえてきた。

 金縛りが解けた俺は、ようやく彼女から視線を外し、声のする方に目を向けた。

 ダクトテープで手足を縛られ、口を塞がれた女子高生が、床に転がされている。

 赤いセーラー襟に白い長袖の制服――我が大門高校の中間服だ。

 そのままの意味でちんくしゃの小型犬っぽい顔で、オールアホ毛の栗色のショート、小柄でコロコロした体つきには見覚えがある。カメコことかまち芽衣子めいこだ。

 何故クラスメイトのカメコがここにいるのか?

 俺は不思議に思ったが、すぐに理由を思い出した。

 そういえば、俺は、カメコこいつを救出するためにここに来たんだっけ。すっかり忘れてたぜ。

 しかしまあ、今のところ、こいつのことは後回しでいいだろう。

 見たところ縛られているだけで着衣の乱れはない。つまり俺が来るまでの間にエロマンガ的展開はなかったということだ。

 とんでもない美少女がいるってのに、こんな寸足らずのブスに手を出すような悪趣味なヤツはいないわな。いたらそいつの正気を疑う。どういう趣味だと小一時間問い詰める。

 心の中でひどい扱いを受けているとも知らず、カメコはすがるような目で俺を見上げている。

 面倒だが、何か声をかけるべき場面らしい。

「ようカメコ。無事で何よりだが、助ける前にひとつ言っておく……俺はそこの御令嬢と交渉するのに忙しい。そこで大人しくしてろ」

『ムゴ~~~~!』

「あと、スカートがめくれてパンツが見えてるぞ。気が散るから隠せ」

『フガッ!?』

 カメコは慌ててスカートを下げようとするが、両手を後ろで縛られ、両足首もダクトテープで巻かれているイモムシ状態なので思うようにいかない。俺は令嬢に目を戻して、カメコの姿を視界から完全に追い出した。

 カメコのパンチラなんぞ見せられたところで劣情を刺激されるどころかむしろ不愉快だ。血の滴るステーキを食おうって時にジャンクフードで腹を膨らませたくはない。

 さて、いよいよ令嬢と交渉といきたいところだが、ここが何処で、今が何時で、どういう経緯でこういう状況になっているのかをつまびらかにしないことには不親切な気がするので、ざっと説明しておくとしよう。

 事の発端は六日前。

 近所にある建設中のマンションに、夜な夜な外国人らしい怪しげな風体の男たちが出入りしているという噂を耳にした俺は、散歩がてら偵察に向かった。

 そこで目にしたのがこの令嬢だ。

 噂の外国人はアジア系で(接触した今となっては中国系だと分かっているが)、この令嬢に従って動いているらしいことは見て取れた。

 アジア系の犯罪組織が拠点を構えようとしている可能性もあったが、そんなことは二の次で、俺の興味はこの令嬢ひとりに絞られていた。

 どうにかして二人きりで会えないものか――?

 ヤバい犯罪組織に関わっているかもしれない女とお近づきになる?

 普通に考えればあり得ない話だ。

 だが、彼女を目にした瞬間から、俺はその普通の判断ができなくなっていた。

 得体の知れないところにギアが入ったうえに、アクセルが踏みっぱなしで戻らなくなったような感覚。

 自分がどこまで行ってしまうか、自分でも分からない。

 いいね。この、地に足の着かない危険な感じ。実にいい。

 こんなにウキウキする気分は初めてだ。

 この衝動に身を任せて突き進めば破天荒な男になれそうだ。

 とはいえロクな情報もなく接触を試みるほど俺も無鉄砲にはなれない。

 そこで俺は、入学早々に学園公式カメラマンに認定されたカメコにこの令嬢の正体を探るように依頼した。それが三日前。

 そのカメコの携帯から助けを求める電話がかかってきたのがおよそ一時間前のことだ。

カメコ『ふぇぇぇん……捕まったッス~』

俺「ホイきた」

 そういうわけでここ――建設中のマンションまで迎えにやって来たというわけだ。

 今、俺がいるのは最上階である七階のフロア。モデルルームにでもなっているのか、令嬢の待っていたこの部屋だけが内装まですっかり出来上がっていた。

 時刻は間もなく午後七時。カメコも一応女子の端くれだし、早めに帰宅させないとな。

初次見面チユーツージエンメン晩上好ワンシヤンハオ

 今日まで使い処のなかった普通話(中国の公用語)の挨拶を試みる。意味は『はじめまして。こんばんは』だ。普通話だからって普通すぎるかな。

 令嬢の反応はというと――微妙? 呆れてる?

「あ~~……」

『このブスは俺の連れなんで返してもらっていいですかね?』的なことを言いたいが、どういう言い回しをすればいいのかさっぱり分からんぞ。今日が本番だと知ってたらもっと勉強しておくんだった。

 思案していると、令嬢は優雅な身振りで肩をすくめ、口を開いた。

「カタコトの普通話プウトンフアなら結構よ」

 おお、よかった。流暢りゆうちような日本語だ。

 しかし思ったより声が若い。そしてよく通るいい声。下腹に響く。たったひと言なのにパワフルでトゲトゲしい。

「アンタさあ、頭に脳味噌の代わりに犬のクソでも詰まってんの?」

「……は?」

「友達を誘拐した張本人を前にしてノホホンと挨拶してんじゃねーっつってんのよ、このスカポンタン!」

「ス、スカ……」

 罵詈雑言ばりぞうごんのチョイスが微妙にズレている気がする。それって日本で日常的に使われてるフレーズじゃないよ、と教えてあげるべきだろうか。

 しかしこれだけ美人だと罵られてもまったく腹が立たないな。もっともこの南雲真紅郎は、基本的に女子に対してそうそう腹を立てたりしない男なのだけれど。

 何故かご機嫌斜めな様子の令嬢は、親のカタキでも見るような険しい目つきで、俺の頭の天辺から爪先までしげしげとめるように観察した。照れるぜ。

「ここに来るまでにいた連中は?」

「まだ寝てるんじゃないかな」

 言い忘れたが、このマンションの下の階には令嬢の手下らしい男たちが門

番よろしく待ち構えていた。全員が中国系の武術の使い手だ。

 フロアに二箇所ある階段が交互に閉鎖されていたせいで、七階に辿り着くまでには各階でそいつらひとりひとりと対戦して勝利する必要があった。

「そういや昔のカンフー映画にあったなー。『死亡の塔』だっけ」

「はぁん!? 『死亡遊戯』を知らないとか、ぶっちゃけあり得ないわね」

 世代が違うだろと言いたかったが、中国人にとってブルース・リーは永遠のスターなんだろう。

「で? アンタの兵器はそれだけ?」

「兵器ってほどでもないけど」

 令嬢が指摘したのは、俺が右手に持っている木の棒のことだ。ちなみに戦闘に用いる武器のことを中国では『兵器』と総称するそうだ。

 俺の武器はゆすのきの枝葉を取って乾燥させた長さ四尺三寸(およそ一三〇㎝)の棒だった。

 反りはなく、握りの部分に麻布を巻いてあるだけでほぼ無加工。まさに『ゆすのきのぼう』と呼ぶしかないような代物である。兵器どころか武器かどうかも怪しい。

「こんなもんでもスライムくらいならやっつけられるんだぜ」

「ふうん。下の連中はスライム以下だと?」

「……現実にスライムと戦った経験はないから戦力の比較はできないな」

「言いがかりを真に受けるんじゃあないわよ」

「俺の親父ならスライムと戦ったことがあるかもと思って」

「…………」

 あれ、ノーリアクション?『どんな父親よ!?』と突っ込んでくるかと思ったのに。よほど手下がやられたことがショックなのか。

 五人の門番たちはチンピラではなく、正式に入門して鍛錬を積んだ武術家らしかった。

 ただし実戦で叩き上げられた凄みというか、本気で殺しにくる感じは皆無。

 全員武器使いだったが、ハンデのつもりかご丁寧に俺用の武器も用意され

ていたからな。こっちは拳銃の二丁や三丁は覚悟してきてるのに拍子抜けもいいところだ。双刀使いの使っていた柳葉刀も刃を潰してあるナマクラだったし。ケンカというよりは野試合だ。

「どうにも行儀の良すぎる連中だと思ったが、本気でかかってこられると面倒そうだったから、悪いけど実力を出される前にやっつけといた。俺としては人質救出がメインだから遊んでる暇はなかったんでね。後で慰めといてやってよ」

「……フン」

 令嬢は鼻を鳴らして頬にえくぼを作った。笑ってる? それともわらってる?

 これはいったいどういう感情なんだ?

 さっきまでの口ぶりだとストレートに感情を表に出すタイプだと思ってたんだが……やっぱり住む世界の違う女の考えはよく分からない。

 分かっているのは、令嬢がこの俺をということだけだ。

 俺は室内を見回して、六人目の人物の気配を探った。

「他にも超強いボディガードとか、いたりすんの?」

「必要ない」

 令嬢の右手から銀光がほとばしった。

 キキンッ!

 柞の棒を振ると、俺の目の前で二条の光が弾き飛ばされた。

 葉っぱの形をした飛剣だ。クナイに似ているがもっと薄くて軽い。

 天井に刺さるように打ち返したはずが、飛剣はスルスルと令嬢の手の内に舞い戻った。短い柄尻に細いワイヤーがつながっていて、それを繰り戻したのだ。縄鏢とかいう武器の類だろう。

 アオザイならともかく、ノースリーブのチャイナドレスのどこに隠していたんだ?

「危ないじゃないか。当たったら死ぬやつだろ」

「当てて殺せないような攻撃に意味がある?」

「そいつはごもっとも」

 とは言えそれはあくまで一般論であって、この令嬢がどこまで本気なのかは計りかねる。

「今度はどう?」

 令嬢が胸の前で両腕をクロスさせると、握った指の間から六つの刃が生えた。

 いっぺんに六本? 棒一本でさばくのはちょっと難儀かも。

 俺は細く呼気を吐きながら、柞の棒をしごくように右手を滑らせる。

 令嬢が手首のわずかな動きだけで六本の剣を飛燕ひえんのごとく飛ばした。

 俺の眉間、喉、心臓、鳩尾みぞおちへそ、股間の六カ所を同時に、しかも正確に狙った攻撃だ。

 柞の棒の先で大きな円を描くように一回転させると、棒の通った軌道に七色の光の帯が残った。

 その〈虹〉に触れた飛剣は無音で明後日の方角に弾き返される。

「――!?」

 六本すべてが同時に弾かれたのが予想外だったらしく、令嬢は一瞬眉をひそめた。

 次の攻撃が来る前に、俺は柞の棒を∞の形に振る。

 令嬢が再び投じた飛剣は――さっきとは別の軌道で飛んできたが――∞形の虹の帯に防がれた。

「なにっ!?」

 さすがに今度こそ気付いたようだ。

 そりゃそうだろう。こっちは柞の棒を振り終えているのに、飛剣がにぶつかったんだからな。当たり前の剣法じゃないことくらい誰にだって分かる。

 この〈虹〉は、普通の人間の視覚では捉えられない霊的なエネルギーの像だ。

 柞の棒に仕掛けがあるわけではなく、俺の肉体を通して出ている力だ。

 特別な呼吸法によって体内で生み出される〈神気〉を操る仙術気功闘法〈神威の拳〉――詳しく解説するといろいろと面倒なので、とりあえず超能力的な武術だと思ってもらえばいい。

 俺自身は飛天流古武術の門下だが、中国の武術家五人をあっさり下せたのはこのやや反則チート気味の能力のおかげだ。どれだけ身体を鍛えようと〈神気〉の攻撃は同じ〈神気〉で防御しないことには耐えられない。武術の実力が同程度なら〈神威の拳〉が使える方が勝つのは当然の結果だった。

 虹の残像は三秒ほどで溶けるように霧散した。

「すぐ消えるのね、それ」

「本気を出せば十秒くらい出っぱなしにもできるけど――」

 うん?

 おい待て。

 いま……何て言った?

「じゃあ、その本気ってやつを見せてもらおうじゃない」

 艶然えんぜんと微笑む令嬢の髪が、チャイナドレスの裾が、にわかに巻き起こった旋風にあおられた。

 風が……窓が閉まっている室内に、風が!?

 気付けば、フロア内はまるで洗濯機の中のように風が渦を巻いていた。

 風というよりもはや嵐だ。

 令嬢は風の渦の中心に涼しい顔で立っている。

 その周囲にチラチラと細かい火花のようなきらめきが散っている。

 やたら綺麗だが……何だ、あれは!?

 令嬢が右腕を大きく振りかぶって三本の飛剣を打った。

 烈風をまとった刃が来る――速い!

 俺は柞の棒で正面の空間に螺旋らせんを描いた。刃に対して四十五度の角度で障壁を作る。

 しかし――三本の飛剣は、虹のバリアーをガラスのように砕いて貫いた。

 三本同時に叩き落とすのは至難だ。俺は後ろに倒れるようにして身をかわしながら、飛剣に繋がったワイヤーを狙って柞の棒を振るう。刃が鼻先をかすめるほどの間一髪のところで、三本の飛剣のワイヤーを棒にからめ捕った。

 ワイヤーに電光がひらめき、両手に衝撃が走った。

 柞の棒が手から離れてすっ飛んでいく。

 電撃……だと!?

 驚いている暇はなかった。

 令嬢が数メートルの間合いを文字通り一瞬で詰めて眼前に迫ったからだ。

 神速の歩法――ハイヒールで!?

 俺は防御しようと反射的に右手を突き出した。

 チャイナドレスの胸に、たすき掛けしたように斜めにが走る。

 いかん!

 引っ込めようとしたが間に合わなかった。

 虹の帯が白く輝いて炸裂し、物理的な破壊エネルギーが解放される。

 令嬢の身体は神気の爆発によって人形のように弾き飛ばされた。

 飛ばされた先には――窓が!?

 ここは七階だぞ!

 俺は床を踏みしめた。

 足元から反物たんものを転がすイメージで虹のカーペットが延びる。

 こいつはリニアモーターカーのレールのようなものだ。

 俺は〈虹の道〉の上を時速にして三〇〇キロ超の速さで滑り、令嬢が突き破るはずだった窓の前に先回りした。ほとんど瞬間移動に近い。

 しかし、振り向いて令嬢の身体を受け止めようとした俺の両腕は空をつかんだ。

 直後、黒い布地が鼻先に押しつけられ視界が塞がれたかと思うと、温かくて弾力のある丸太のようなもので左右から頭を挟まれ、ガッチリ固定された。

 巨大な手に捕らえられたような感覚。

 そのまま俺は引っこ抜かれるように投げられ、一回転して背中から床に叩き付けられる。

 いったい何が起きたのか、わけが分からず混乱したが――すぐに事態を把握した。

 吹っ飛ばされた令嬢は、天井に打った飛剣のワイヤーを頼りにして勢いを殺していた。そして、着地地点に先回りしていた俺に飛びかかり、を仕掛けたのだ。

 俺の頭を股間に捕らえていた令嬢は、とんぼを切って立ち上がると、ハイヒールで俺の胸板を踏ん付けた。

「はい、私の勝ち~!」

 腕組みして勝ち誇る令嬢。

『モガ――――ッ!』

 イモムシ状態のカメコがモガモガとうるさい。

 どうやら俺が負けたと思っているらしいが、勘違いも甚だしい。

 実際、ハイヒールからは今も強力な電撃が断続的に送り込まれている。並の人間ならしびれて動けないところだが、身に纏った神気のバリアーで防御しているのでさしたるダメージはない。

 すぐに起き上がって反撃しないのは、できないからではなく、からだ。

 令嬢のドレスは神気の爆発で破れ、黒いレースの下着と白い肌が露わになっている。魅惑の脚線美を足元から見上げるこの最高にセクシーなアングル――正直、この特等席から動きたくない。

 しばし眼福にあずかったところで、俺はよくよく考えた台詞を口にした。

「つかぬこと訊くが……あんた、明日は何してる?」

「あん?」

 令嬢はいぶかる顔つきになったが、すぐに俺の意図を察したらしく、乱れた髪を整えるように掻き上げながら微笑んだ。

「生憎と、明日は予定が詰まってるのよね。それに……デートに誘うつもりなら、まずは相手の名前を訊くのが先じゃない?」

 令嬢は俺を踏ん付けたまま、太股のガーターリングに挟んでいた金色のスマホを取り出すと、パネルに指を滑らせた。そこそこ激しい闘いだったはずだがよく落ちなかったもんだな――と妙に感心していると、すぐ近くで携帯

の着信音が鳴った。尻にバイブの振動を感じる。

 こんな取り込み中に、いったい誰だ?

「さっさと出たら?」

 ……まさか?

 俺はジーンズの尻ポケットから防水防塵耐衝撃仕様のゴツいガラケーを取り出した。

 サブディスプレイには発信者の名前が表示されている。電話帳に登録済みの番号から掛かってきたということだ。

 だが、過去にその番号からの電話を受けた覚えはない。これが初めてのことだ。

「……ウソやん」

 思わず関西弁になってしまった。

 それくらいのショックを受けたからだ。

 携帯に表示されている名前とは、つまり、この令嬢の名前に他ならないのだが、それは、何と言うか、実に、まったく、受け入れがたい、残酷な事実だった。

 俺は、関節が錆び付いたロボットのようにぎこちない手つきで苦労して携帯を開き、自分の耳に押し当てた。

「……姐姐ジエジエ?」

『それは違うわよ、シンクロー』

 本人の声と、携帯を通して聞く声がズレて重なる。

 令嬢は捕らえたねずみをいたぶる猫の笑みを浮かべて、言い放った。

『――とお呼び!』

 これが、俺――南雲真紅郎と烈雷花リーレイフアの、十年ぶりの悲劇的再会の顛末だ。

 なお、この後俺は「ウソやん」を五回ほど繰り返した。

           2

 俺がこの春から通っている大門高校は、何の変哲もない普通の都立高校だ。

 とりたてて学力が高い進学校でもなく、スポーツの強豪というわけでもない。

 今年が創立四十周年らしいが、誇れるほどの歴史と伝統があるという話はとんと聞かない。

 九十年代には毎日のように学内で血で血を洗う闘争が繰り広げられていた時期もあったらしいが、それも今は昔。

 今世紀に入ってからはおよそ事件らしい事件もなく、極めて平穏かつ平凡な、悪く言えばパッとしない、何てことのないザ・高等学校になっている。

 だがそれは、あくまで表向きの話だ。

 ほんの上辺だけの、世間の目を欺くための体裁にすぎない。

 実態は「すこし不思議」だったり「すごく不自然」だったりするのだ。

 とはいえ、今の俺には、学内で起きる様々な事象についていちいち解説したり注釈を加えたりするほどの元気がない。

 昨日、というか昨夜、木っ端微塵に失恋したばかりだからだ。

 俺の主観では悲劇だが、客観的にはまるっきり喜劇としか思えない運命の悪戯でだ。

 そのせいで食欲がない。

 今朝もドンブリ飯を二杯しかお代わりしていない。

 気分的にはゲッソリと痩せ細っている。

 だから、興味のない異常ならスルーする場合もあることを先に断っておく。

 今日は五月七日――ゴールデンウイーク明けの登校日の朝。

 憂鬱な気分で登校していた俺は、異様な光景を目にして思わず足を止めた。

 人が、地べたに横になっている。

 どこの相撲部屋の力士かってくらいガタイのいい男が、仰向けに寝そべっ

ている。

 大門高校の正門から入ってすぐのところだ。

 詰め襟の学生服を着ているところからすると……転校生か?

 太りすぎでボタンが留められないのか学ランの前は全開で、インナーの青いシャツからはみ出した太鼓腹が見えている。横から見た身体の厚みが凄い。

 位置的に正門から入ろうとすると男のすぐ傍を通ることになるが、真に奇妙なのは、他の生徒たちが男の存在にまるで気付いていないらしいことだ。

 見えていないのに、無意識に避けたり、あるいはまたいだりして踏まずに通り過ぎている。

 俺にしか見えない幽霊か何かか?

 あるいは俺以外の全校生徒公認のプレイ?

 どちらにしても嫌すぎる。

 確認するため近付いていくに従い、さらに異様な事態が起きた。

 立体に見えていた学ラン男の身体が、

 騙し絵か!? いや……違うな。

 男の身体は透明な膜のようなもので覆われ、その表面に波紋が生じていた。

 俺の両足の裏には、砂浜の波打ち際に立った時のように、踏みしめている砂が波でさらわれるあの感覚があった。

 これは、男の身体から出ているエネルギーの波だ。

 透明なバリアーの層によって、地べたに寝そべっている男の身体が、あたかもガラス板でふたをした地面の下にいるように俺に錯覚させているのだ。

 何を言っているのか理解できないと思うが、俺だって自分で言っていてよく分からない。

 男の姿を視認できているのは俺だけらしい。他の生徒たちは、明け方に降った雨でできた水溜まりとしか思っていないようだ。その証拠に、女子のグループが男の身体を跨いで通り過ぎていく。男からはスカートの中が丸見えのはずだが……まさか?

 いつまでも突っ立ったまま眺めていてもらちが明かない。

 俺は意を決して男に接触を試みた――といってもただ普通に歩いて距離を詰めただけだが。

 水面のようなバリアーは人体に対して反発力を持ち、踏んだ感触は意外と硬い。目をつぶって歩けば地面と変わりがないが、男の身体の分だけ盛り上がっているはずなのに起伏を感じないのはどういう仕組みなんだ? 歩く人間の感覚をだましているのか?

 これは要するにそういうテクだと考えるしかないか。忍者が待ち伏せに使いそうなやつ。

 俺は凸レンズ状のバリアーの頂上――学ラン男の腹の上で立ち止まった。

 男は俺をチラリと一瞥いちべつしただけで、とくに反応を見せない。

 こいつ……ただのデブじゃねえ。

「にゅほおおおおぉ~~」

 変な叫び声が近付いてくる。

 俺の目の前に土煙を上げて滑り込んできたのは、框芽衣子ことカメコだ。

 ん? 逆か。まあいい。どうせたいして変わらん。

「うえっへへへ……おはよぅごぜ~ますだよォ~真紅郎の旦那ぁ~」

 顔面神経痛が疑われる不自然な引きった笑顔と、トイレを我慢しているとしか思えないクネクネした落ち着きのない身体の動き――うむ、いつものカメコだ。ちなみにカメコの口調が不安定なのも普段通りだ。しかし今朝はとくに挙動不審っぷりに磨きが掛かっている。

「こここ、これから登校するところですか~?」

「この時間、この場所にいて下校中だとしたらびっくりだな」

「ですよね~。一応確認しただけで他意はないんですよ。自分よりも先に登校されると困るというか、こっちにも都合ってもんがあってですね」

「都合……どんな?」

「でへへ~、それは秘密ですよぉ~」

 照れているのか? にしても可愛いというより正直、不気味なんだが。

 しかしまあ、こいつが来たのは俺にとっても都合がいい。カメコの細っこい肩を掴んで左に二歩ほど動かす。

「ふへっ、何? 何? まさか? こんなところで?」

 何を期待して目を白黒させてるんだか知らないが、こっちは移動させることが目的なんだよ。

 俺はちょうどカメコの足元――ほぼ真下の位置にきた学ラン男の顔を観察した。

 男は小鼻を膨らませ、やや興奮したように目を輝かせたが、その反応も数秒のことで、ほどなく平静な顔に戻った。いや、むしろ「もう飽きた」って面だな。カメコのパンツじゃお気に召さないのか? エクストリームな覗き魔かと思ったが違ったらしい。

「とりあえず先に行かせてもらいますね。真紅の旦那はここで少し……そうですね~、だいたい三分ほど待って、後からゆっくり来てください。ずぇ~

ったいですよ!」

 勝手な言い分を並べ立てると、カメコはさっさと玄関の方へ駆けて行ってしまった。

 で待て、だと? この謎の学ラン男の腹の上でか? 悪い冗談だぞ。

 三分か……この男の正体を暴くには充分な時間だな。

 せっかくだし、やるか。

 ヒュウと呼気を吐き、体内に束ねていた虹の神気を解き放とうとしたその時――正門の外から一陣の風が吹き込んできた。

 風に巻き上げられた土煙を顔に浴び、反射的にまぶたを閉じる。

 そのほんの一瞬の後、深い淵に大きな石を放り込んだような音が響いた。

 次に開いた目に飛び込んできたのは、ひとりの女子生徒が、水面のバリアーを踏み破って学ラン男の顔面に両足で着地している姿だった。

 赤銅色に日焼けして黒光りする肌。

 ほぼピンクに見える赤毛混じりの金髪――ストロベリー・ブロンドってやつか?――それをツーテールに結っている。

 初めて見るその女子は、ロイター板よろしく男の顔面を踏み切り、数メー

トルの距離を跳躍した。

 着地の瞬間、短すぎる制服のスカートがフワリと捲れる。

 ほとんどひものようなTバックの下着のため、形のいい締まったヒップが丸見えだ。

 尻に日焼けの跡がない。まさか全裸で焼いたのか?

 そのまま振り向きもせずに颯爽さつそうと玄関に向かって歩いて行く。

 長い足のラインが溜息が出そうなほど綺麗だ。

 我が姉の雷花とタメを張れる女が大門高校にいたとはな。

 ――おっ!?

 足元が崩れて押し流されるような感覚に、俺は思わず飛び退いた。

 見ると、学ラン男の姿が消えている。

 周囲で足元をすくわれた生徒たち数人が転倒したり尻餅をついたりしていた。

 逃げたか……しかも鮮やかな逃げっぷりだ。

 玄関の方に目を戻したが、ピンクのツーテールの女の姿はすでになかった。

 こっちも見失ったか。まあいい。

 顔は見ていないが、校内にいるならすぐに見つけられるだろう。

 校舎に入り、自分のロッカーを開けると、上履きの上に見覚えのない白い封筒が乗っていた。

 ロッカーにはダイヤル錠が掛かっているが、封筒くらいの厚さの物なら扉の上にある隙間から誰でも投入できる。

 白い洋封筒にはハート形のシールで封がされていて、隅にカメコのサインがあった。ふむ……さっき露骨に挙動不審だったのは、俺がロッカーを開ける前にこれを入れたかったからか。

 しかしこの体裁だとまるっきりラブレターだな。あらぬ誤解を招くぞ。

 ペーパーナイフなんか持ち歩かないので手で破って開ける。入っていたのは手紙ではなく、何かのチケットのようだ。その表に書かれた文面を三回ほど読み直してから、俺はつぶやいた。

「……何じゃこりゃ?」

 チケットにはこう書かれている。

『框芽衣子を好きな時に呼び出してFUCKできる券』

 見覚えのある筆跡で本人のサインがしてあり、ミシン目に沿って割印もある。信じがたいが正式なチケットのようだ。『南雲真紅郎以外には使用不可』『転売・譲渡不可』の但し書き付きだ。しかも十一枚綴りの回数券になっている。

 これはいったい何なんだろうな?

 雷花の一味に捕まったのを助けに行ったから、そのお礼か?

 そもそも調査を依頼したのは俺だから、俺が助けに行くのは当然の流れだし、ことさら感謝してもらうこともないんだがな……

 それともアレか? 封筒もラブレターっぽいし、カメコなりの愛の告白か?

 カメコお前な……正常な男子高校生の潔癖さを甘く見るなよ。

 多少なりとも好意を抱いている女子からこんなチケットをもらったら、男子は大喜びするどころかむしろ幻滅するぞ? こんなのは変態の発想だと教えてやる必要があるな。つーか、そもそも『FUCK』という言葉の意味をちゃんと知ってて使ってるかどうかすら怪しい。

 もっとも、俺はカメコを異性扱いしていないから、実はとんでもないビッチなのかと意識させる作戦なら成功かもしれんが……まさか、俺が失恋したばかりだからくみし易しと判断して捨て身の攻勢に出たのか? だとしたら恐るべき策士だが――いや、考えすぎか。

 これがカメコの名をかたったイタズラだとしたら、かなり悪質だな。こんなものが明るみに出たら深刻なイジメ事案として大問題になりかねん。使用権はこの俺に委ねられているわけだから、とりあえず俺が使いさえしなければいいってことだな。

 俺は回数券を封筒に戻し、何食わぬ顔で上着の内ポケットに仕舞った。

 後に、このふざけた回数券が勝利の鍵になるとは、この時の俺には知る由もなかった――などと意味ありげなモノローグを被せてみたりして。真に受けるなよ。ウソだから。

 廊下に立っているスーツ姿の女性教諭を見かけたので挨拶する。

「おはようございます。師範代」

「学校では先生と呼べと言ったろ、真紅郎」

 切れ長の涼しい目が鋭く俺を射貫くようににらむ。

 飛天流剣術道場の師範代・草彅涼子は大門高校きっての美人教師として知られている。

 一七五㎝超のスラリとした長身。中学生の子供がいるとは思えない、引き締まった抜群のスタイルと美貌の持ち主。しかも筋金入りの鬼教師だ。

「ところで先生、正門のところに不審者がいたんですが」

「……それについては触れるな」

 涼子先生は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。

 大門高校の良心の砦、正義の代行者として知られる草彅涼子が見て見ぬ振りをしろと?

「何者ですか、あいつは?」

「いずれ分かる。とにかく今は放っておけ。いいな?」

 やむにやまれぬ事情があるらしい。師範代があの学ラン男の正体を知っていてそう言うなら、俺としてはこれ以上追及することはない。

「授業前に全校集会がある。サボるなよ」

 そう言い置くと、涼子先生はキュッときびすを返し、ハイヒールを高らかに鳴らしながら足早に立ち去る。

 俺はリズミカルに揺れるポニーテールと颯爽とした後ろ姿が廊下の角に消えるまで見送った。あの美人を嫁にしたというだけで旦那は尊敬に値するよな――などと考えながら。

 一年の教室に向かう途中、柱に貼り付けられた短冊を目にして、俺は顔を強張らせた。

 また増えてやがる……いったい何枚目だ!?

 とりあえず柱に貼ってある短冊はこの三枚だ。

『Kは光の速度で歩ける』

『月面の地球から見える側のクレーターはKが必殺技を練習した痕跡である』

『Kは戦いに銃を使わない。近寄って殴った方が手軽だから』

 これは〈Kファクト〉と呼ばれている代物だ。大門高校のOBであり、後に教師として勤めていたある人物についての伝説が書かれている。

『Kは仙術気功闘法〈神威の拳〉の伝承者である』

『Kは四十七カ国語をマスターしている』

『Kは果物ナイフ一本で地球上のすべての生物を調理可能』

『Kは飛行機事故に遭い草木一本生えない無人島に漂着したが一年後に太って帰ってきた』

『Kは自分で撃った銃弾に追いついて二本の指で止めることができる』

『悪人の死因のトップはKに遭遇したことによる』

『Kの飛び道具系必殺技は太陽系の端まで届く』

『一九九九年七月に観測された大規模な流星雨はKが迎撃した巨大隕石いんせきの残骸である』

『宇宙人が地球を侵略しに来ないのはKの存在を恐れているから』

『怪獣映画の新作が作られなくなったのはKに退治されたため』

 この〈Kファクト〉は大門高校の至る所で目にする。というか嫌でも視界に入ってくる。

 誰が書いて掲示しているのかはいまだに謎――大門高校の七不思議(俺調べ)のひとつだ。

 実際に貼り付けられている場面は見たことはないが、いつの間にか増えている。一度試しに剥がしてみたが、すぐに補充されるので始末に負えない。

 内容は伝説的な武術家にありがちな誇張された逸話で、ほとんどが笑い話で済ませられるレベルだが、その中に明らかに毛色の異なるネタが混じっていた。

『Kは教師の仕事の合間に異世界で魔物と戦っていた』

『Kは異世界の巫女に最強の召喚獣として呼び出されていた』

『Kはモンスターと戦うための拳法を編み出していた』

 これだ。いきなりファンタジーなやつ。

 ロープレとかでモンスターを呼び出して戦わせるゲームがあるが、ただの人間なのにあまりに強すぎるから召喚獣扱いで異世界に行ってたとかブッ飛びすぎだろ。

『Kが異世界に召喚されたのは地球上でまともに戦える相手がいなくなったため』

『Kにとって異世界でのモンスターとの戦いはピクニックと同じ』

『Kと三分以上戦えたモンスターはいない。九九%が秒殺。Kに睨まれただけで即死したケースも』

『〈神威の拳〉を極めたKの肉体には魔法が一切通じない』

 まだまだあるがキリがないので紹介はこの辺でいいだろう。

 この〈Kファクト〉のせいで俺の高校生活は甚だ居心地の悪いものとなっている。

 何故なら、この〈K〉というのは――要するに俺の親父のことなのだが、どういうわけか〈Kファクト〉は大門高校の中でだけ知れ渡っていて、俺がKの息子であることも登校初日から全校生徒(正確には新二、三年生全員)が知っていた。

『伝説の男の息子がやってきた!』となれば期待するのも当然だが、こっちはそんなことになっているとはつゆ知らず「この変な短冊に書かれてるKってのは何者だ?」とか呑気のんきに考えていたわけだ。

 その結果が『Kの息子のくせに普通だな』という不当にして理不尽な評価と失望の眼差しだ。

 俺としては「知らんがな」としか返しようがない。

 しかもそれが原因なのか、どこの部活にも入れてもらえない。スポーツ系なら何でも全国優勝を狙える逸材を「間に合っているから」と断るとはどういう了見だ!?

 そんなこんなで俺の高校生活はスタートからつまずき、甚だ不本意な現状に甘んじることとなったのだ。

 涼子先生の予告通り、ホームルームの時間に臨時の全校集会が講堂で開かれた。

『おはよう、生徒諸君!』

 壇上に上がって挨拶したのは、明るい色のスーツに赤青ツートンの派手なネクタイがトレードマークの大門高校校長・紫門嘉信しもんよしのぶだった。

 この校長、若々しく清潔感のあるイケメンで物腰柔らかということもあり生徒の保護者(とりわけ母親)にすこぶる受けがいいらしい。よく通る美声の持ち主で、自信にあふれたスマートな物言いのため聞いていて眠くならないのは生徒としては有り難い。

『こうして集まってもらったのは他でもない。交換留学生として我が校にやってきた新しい友人を諸君らに紹介するためだ』

 生徒たちの反応は薄かった。困惑というより「転入生の紹介くらいそのクラスのホームルームでやったらええやんけ」的な感じだ。というのも大門高校には海外からの留学生がやたら多く、外人だけで一クラス作れるほどだからだ。うちのクラスにもインド人とロシア人がいるし。今さら一人や二人増えたところで珍しくもない。

『その留学生は、諸君らもよく知っている、我が校の伝説的なOBを父親に持ち――その薫陶を受けた並外れて優秀な生徒だ』

 生徒たちがにわかにざわめいた。周囲にいる生徒たちの何人もが俺の方をチラ見してくる。ちなみに真っ先に俺を見たのはカメコだ。背中にも大勢の視線を感じた。校長の言う条件に該当する生徒の第一候補がこの俺だからだ。

 校長は生徒たちの好奇心を刺激し興奮を煽る術をよく心得ている。たっぷりと間を取り、れた生徒たちが次の言葉を欲しがるタイミングを見計らって口を開いた。

『私からの紹介はここまでにして――続きは本人の口から語っていただこう!』

 ゴゴゴゴゴゴ……

 低く重い轟きが講堂内を震わせた。

 窓や扉は閉め切られているはずなのに、どこからか風が吹いてくる。

 天井の照明が風に揺れ、不安定に明滅する。

 いつの間にか窓の外は真っ暗になっていた。

 気圧が下がっているのか、本能的な不安に胸騒ぎを覚える。

 これはまるで――まるで嵐の予兆だ。

 照明が一斉に消え、講堂内が闇に包まれる。

 ガォン!

 天井から一条の雷光が壇上に落ち、生徒たちの間からどよめきと短い悲鳴が上がる。

 スポットライトが点灯し、壇上に出現した『それ』を照らし出す。

 たとえるなら……いや、そんな必要はないな。見たままを言おう。

 それは――ピンク色の竜巻だった。

 大量の花片、あるいはリボンを巻き込んだ風の渦にも見える。

 しかし俺の目には分かる。あれは、風そのものに色が付いているのだ。

 風の渦が弾けるようにして消える。

 そこに立っているのは、ひとりの――女子生徒? だが……あいつは!?

『――遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!』

 グッと突き出すようにセクシーな角度に傾けた腰に手を当ててモデル立ちしたその女は、その姿形とまるで不似合いな大仰な名乗りを上げた。

『我が名は雷花レイフア! 南雲慶一郎の娘! そして――この学園の女王クイーンとして君臨する!!』

 うわ……い、言い切った!

 言い切りやがったぞ、この女!

 日本語の文法的に言葉が足りなかったようにも聞こえたが、言いたいことはむしろストレートすぎるくらいストレートに伝わったぞ!?

 講堂内が一瞬静まり返り、続いてさざめきが波紋のように広がっていく。

「レイ……ハ?」

「レイハだって?」

「ケーイチロウって誰?」

「Kの本名だろ」

「Kが自分の娘にレイハって名付けたってことか?」

「つまり……そういうことか!」

「生身の――本物のレイハだ!」

「レイハ様がやってきた!」

「うおおおおっレイハ様――ッ!」

 さざめきはうねりとなり、自然発生的に「レイハ様」コールが巻き起こった。

 マジかよ。こんなノリだっけか、この高校。

 歓声を浴びた雷花はしてやったりのドヤ顔だ。

 これは……マズい!

 俺はクラスの列から離れ、左手を下から前に拭くように滑らせた。輝く虹のレールが足元から壇上まで延びる。それに乗った俺は虹と同化し、一瞬で壇上の雷花のすぐ傍に移動した。

「てめえ……雷花! これはいったい何だ!?」

「お姉様に対する言葉遣いがなっちゃいないわよ、シンクロー」

 雷花は瞬間移動してきた俺に動じる様子もなく答える。

「何って、自己紹介をしたまでよ。見なさい、この歓迎っぷり」

「お前は知らないんだ。あいつらが盛り上がってるのには別の理由がある。それより俺が言いたいのは……お前のその格好は何だってことだよ!」

「ハァ? アタシのどこが気に入らないってのよ!?」

「昨日の今日で変わりすぎだろ!」

 そう、雷花の名乗りで俺が受けた衝撃は、他の全校生徒とはまったくの別件だった。

 俺の目の前にいる雷花が、さっき正門で会ったばかりの、ピンクのツーテールに黒光りする赤銅色の肌の女だからだ。

「何でいきなりケバい黒ギャルになってんだよ!?」

「インパクトよ!」

 圧倒的な強度で言い切る黒雷花――いや桃雷花か?

 よく見ると制服のセーラー服も原形を留めないほど改造されていた。胸元の当て布が取ってあるため、胸の谷間がこれでもかと強調されている。

「あんたねえ、新天地で自分がどの地位につけるかはファースト・インパクトが肝心なわけよ。爸爸ぱぱの娘が有象無象の後塵こうじんを拝すなんてあってはならないのよ。そしてどうせ立つなら頂点よ! そのためには最初に強烈なのを一発必要があるわけ! そうでしょ? それとも私が間違ってる!?」

「ま……間違って……ません」

 クソッ、渾身こんしんの剛速球を快音とともにバックスクリーンに打ち返されたピッチャーの気分だ。

 ハードルが上がりまくっていたのも知らずに高校デビューをしくじったこの俺が何を言ったところで説得力はない。全校生徒の期待に応えるという点では雷花の発想は一〇〇点満点だ。だが――

「考えは間違ってないが、今時高校で頂点に立つなんてのは――」

「そう言うあんたはどうなの? 入学してから一ヶ月も経ったんだから、当然四天王のひとりやふたりは倒したんでしょうね?」

「四天王って何だよ!?」

「日本の高校につきもののやつよ!」

「現代日本の高校にそんなもんはねーよ!」

「だったらすでにキングの座に君臨してて当然よね?」

「キング!? キングとか、その発想自体ねえよ! いつの時代だよ!?」

「なに寝惚ねぼけたこと言ってんの!? いつの時代でも人の世は弱肉強食なのよ!」

 ぬう……いちいち正論すぎる!

 早くも『この女と言い争っても無駄』という敗北主義が俺の中で根付きそうだ。よくない傾向だ。

「ところで何度も言わせないでよね。お姉様に向かって『てめえ』だの『お

前』だのと舐めた口を利くことは金輪際許さないわ」

「う……うるさい! お前なんかレイファじゃねえ。で充分だ!」

 我ながら小学生みたいな言い方になってしまった。

「人を高級カメラブランドみたいに言うんじゃないわよ」

 この返しに、生徒たちがドッと受けた。俺たちの会話はマイクが拾っていて、スピーカーを通して全校生徒に聞かれている。

「フン……まあ、アンタがライカの方がいいってんならそう呼べばいいわ」

 え? 受け入れやがった!? 漢字さえ合ってれば読み方はいいのか?

 嫌がらせのつもりが、むしろ姉弟の器の差がますます明確になった気がする。

「そういやさっきクイーンになるとか言ってたよな? あれはどういう意味だ?」

「額面通りよ。すべての分野で頂点に立つ! 頭脳でも体力でも美しさでも! オマケに生徒会長にもなるし」

「なることが確定してるのかよ!」

「私がなると言ったらなるのよ。当然よね」

 この鋼の如き自信は――やっぱり媽媽の娘だな。根拠のない妄言ではなく、地獄のような鍛錬の末に身に付いた代物だ。

『文句のある奴はかかってきなさい! 私はいつ何時、誰の挑戦でも受ける!』

 雷花の宣言に、割れるような万雷の拍手と喝采が起こった。

 その拍手と歓声は、しかし、いきなりの轟音に取って代わられた。

 講堂の西側の扉と窓が破れ、大量の水が押し寄せてきたのだ。

 洪水!? 津波!? 海からは遠いし、荒川が決壊したとしても水の来る方角が違う。

 水はあっという間に腰までの深さになり、生徒たちは流れに呑み込まれた。水流が渦を巻き、講堂内が阿鼻叫喚の坩堝るつぼと化す。まるで洗濯機の中だ。

 だが奇妙なことに、その水は真夏の海のように青く澄んでいて、泥の濁り

がない。

 その渦の中心に、腕組みしたまま水面上にり上がってくる人影があった。

 体重一三〇㎏は下らない力士体型に、学ランを羽織った謎の男――正門にいたあの不審者だ。

 学ラン男は腕組みを解き、壇上の俺たちを――いや、雷花を指さした。

「誰の挑戦も受けると、確かにそう聞いた……二言はないな?」

 異様に男前かつ傲岸な物言いだ。

 雷花が「無論」と返すと、男は不敵な笑みを浮かべ、講堂が震えるほどの声で言い放った。

「俺の名は毒島號天ぶすじまごうてん。大門高校における伝統的な決闘の作法に則り、南雲慶一郎の娘レイファ――お前に〈Kファイト〉を申し込む!」

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