幽霊よりも甘味が食べたい
告井 凪
第1話「学校のドーナツ」
学校のドーナツ・壱「そこにドーナツがあったから」
わたしはドーナツを食べていた。
夕暮れの教室でひとり。
「ああぁ~! 甘くて美味しい! どこのお店のだろう? この辺りのドーナツ屋さんじゃないよこれ。近くのお店なら一口食べればわかるから。きっと高級なお店のドーナツなんだろうなぁ」
しっとりとした生地に、あまいあまーいチョコレート。
ふわふわした食感と共に、トッピングシュガーが溶けていく……。
夢のような甘さと食感。素晴らしい、こんなドーナツがあるなんて!
「こんなに美味しいドーナツをふたつもわたしの机の置いてくれるなんて、どこの誰かは存じませんが、本当にありがとうございます」
わたしは空になったドーナツの袋を拝む。
―― ふっふっふ……。食べたな? 俺のドーナツを! ――
「ありがたやありがたや……。できたらお店の名前を教えてください」
困ったことに袋にはお店の名前が書いていない。これではもう一度食べたくても食べにいけない。
「俺のドーナツを食べたら……って、おいお前、聞こえてんだろ。なにに話しかけてんだよ」
「ダメなら毎日わたしの机にドーナツを置いてください」
「誰が置くか! 図々しいヤツだな」
「そうですよね、わかってます。でも朝夕二回でも構いませんので、どうか、お願いします!」
「わかってんのになんで増やした!」
「それは……あれ? どこからか声が聞こえる」
「後ろだ! 聞こえてんならこっち向け!」
話しかけられていることに気が付き、振り返る。
ドーナツを食べていたわたしの真後ろ。そこに。
頭がまん丸い大きなヒヨコがいた。
「ったく。お前ドーナツ食べたんだから、見えるようになってるはずだぞ」
「ドーナツは食べたけど、見えるように? なにが…………あ」
ドーナツ。見えるようになる。
わたしはようやく思い出した。昼休みに友だちから聞いた、ぜんぜん怖くない怪談話のことを。確かタイトルは――。
*
『学校のドーナツ』
放課後の誰もいない教室、机に置かれた袋がひとつ。
中には美味しそうなチョコレートドーナツがふたつ。
ついつい食べたくなるけれど、食べちゃいけない。
ドーナツ見たら、放っとけ。
ふたつのドーナツの穴は、霊の世界を覗く穴。
ドーナツ食べれば、霊の世界が見えてしまう。
霊の世界を覗いたら、魂そのまま持ってかれる。
ドーナツ見たら、放っとけ。
「というわけだから~。学校でそんなドーナツ見付けても食べちゃだめだよ?」
ほぼ毎日のようにオモシロイ話を持ってきてくれる、友だちのミカちゃん。
トレードマークは短めのツインテール。降ろしたところも見たことあるけど、肩で切り揃えているわたしのボブカットよりも長かった。
マイペースでのんびりした印象なのに、意外とフットワークは軽い。常に新鮮な噂話を求めて色んな場所に出向いている。
今回は怪談話を持ってきてくれたんだけど……わたしは首を傾げた。
「なんで? どうして? 食べちゃいけないの?」
「ゆみゆみ~。話ちゃんと聞いてた? ドーナツ食べちゃったら霊の世界が見えちゃうんだよ? 魂持ってかれちゃうんだよ?」
「聞いてたけど……。でもぜんぜん怖くないよね。その怪談話」
わたしがそう言うと、ミカちゃんはパッと笑顔になって、
「あっはは、言われてみればそうだぁ。なんか怖くないね~。なのにこの怪談流行ってるんだよ。不思議だなぁ。なんでだろ~」
ほんとにマイペースだな、ミカちゃん。
こんなに緩い感じなのに、ぼーっとしてると言われるのは何故かわたしの方だった。
自分で言うのもなんだけど、わたしはしっかりしてると思う。宿題だって忘れたことはないし、授業中寝ちゃうなんてこともない。成績は……普通、平均点ばかりだけど、悪くはない。
それなのにぼーっとしていると言われちゃう。ミカちゃんなんて口調からしてのんびりしてるのに。どうしてだろう? 密かに不思議に思っていることだった。
でも今はそんなことよりも、ドーナツを食べるなと言うミカちゃんに不満がいっぱい。ううん、悪いのは怪談話の方だ。わたしはちょっとだけ眉間に皺を寄せて、真剣な顔を作る。凄みを利かせ、わたしは言った。
「ドーナツ好き、甘い物好きとしては許せない話だけどね」
「あはは~。そうだねぇ」
ミカちゃんはわたしの顔を見てゆるく笑う。笑い事じゃないんだけどなぁ。
なにを隠そう、わたしは大の甘い物好き。甘い物ならなんでも大好き。目がない、なんてレベルじゃない。世界中の甘い物はすべてわたしの物だと思っている。
そんなわたしがドーナツを見付けて食べないわけがない。ああ、なんてずるいんだろう、なんて悪質な怪談なんだろう。この怪談はすべての甘い物好きにケンカを売っている。試されているんだ、わたしたちは。
そんなことを考えていると、熱意が伝わったのか、ミカちゃんも少し真面目な顔になった。
「霊が見えるとかは嘘だとしてさ~。もしそんな怪しげなドーナツが置いてあったら、普通は食べないよね~。なに入ってるかわからないし」
「……………………うん、そうだよね」
ミカちゃんの指摘にわたしは思わずフリーズしてしまったけど、辛うじてそう答えた。
途端、ミカちゃんは不安そうな顔になる。
「ゆみゆみ~……本当に食べないでよ~?」
*
食べました。ぺろりと食べました。
机の上にドーナツを見付けた瞬間、負けたのです。ドーナツのことしか考えられなくなりました。
わたし、ぜんぜんしっかりしていませんでした。
ごめんねミカちゃん。わたしに甘い物を我慢しろなんて無理な話だったよ。
「状況、理解できたか?」
「うん…………たぶん?」
甘い物を我慢することができないという現実なら理解できた。でも……。
わたしの目の前にいる、巨大な――人間大のヒヨコ。ヒヨコだよね?
これについては理解できていない。
だいぶデフォルメされていて、胴と頭がまん丸だ。同じ大きさの玉で作った雪だるまのようだった。胴体には小さな手のような羽があり、まさに手のように動いている。ヒヨコだからかトサカは無いが、代わりに小さな王冠を被っている。
目はこれまたつぶらなまん丸で、間に小さなクチバシがちょこんと出ている。喋るとぐにゃぐにゃ滑らかに動く……うわ、これどうなってるの?
身体は全体的につるんとしてるけど、よく見ると艶のある羽毛がびっしり。触ったらもふもふしそうだ。
「驚いているようだな」
「そうだね、驚いたよ」
よく動くクチバシに。
「無理もない、いきなり見えるようになったんだ。だが俺は容赦しないぞ?」
容赦しないって……あぁ~、ドーナツ食べたら霊の世界が見えるとかなんとか。そのことかな?
ということは――。
「もしかしてあの怪談話を広めたの、キミ?」
「ん? まぁ、そうっちゃそうだが……」
「へぇ~。すごいね、気合い入ってる。着ぐるみまで作っちゃうなんて」
「着ぐるみ? ちげーよ! これは着ぐるみじゃないぞ!」
「ドーナツはどこで用意したの? 売ってるお店を是非教えて欲しいんだけど」
「売ってるわけねーだろ! ドーナツは俺が作りだしたものだ!」
「手作り?! あのとっても甘くて美味しいドーナツが? うそ、お店が出せるよヒヨコくん!」
「話聞けよ! いいか、俺は着ぐるみなんかじゃない! 正真正銘、幽霊だ!」
ふんぞり返るヒヨコくん。
どう見ても着ぐるみにしか見えない彼の主張に、わたしは……
「ふーん……。幽霊なんだ。そっか」
あっさり納得した。
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