第160話 悪意 -stare from abyss- 17

 秋も終わりが近づく頃の夕暮れは早い。赤く染まった時計塔の屋根に、布にくるまった少女がいた。

 ライフルを抱えたまま座り込み、目を閉じていた少女──ティナは、ふと、人の気配を感じて目を開けた。

 顔を上げると、無愛想な顔と、冷たい色を宿した真紅の瞳と目が合う。長い付き合いのおかげで、彼──ジンが、多少なりとも彼女を気遣ってくれていることを悟り、ティナは、逆に目を背けた。

 そんなティナに、ジンが発した言葉はただ一言、


「……寒くないか?」


 というものだった。


「……寒くないもん」


 拗ねたように唇を尖らせ、ジンの言葉を否定する。しかし、夏に活動を開始してからすでに3ヶ月。11月も半ばにさしかかろうという今、ほとんど寝起きの服装もまま、外に出てきたティナにとっては、肌寒いのは確かだった。

 羽織っていたマントを、キュッと身体に巻いて、頬を撫でる木枯らしに耐える。セミロングの白銀の髪が、さらさらと揺れた。

 そんなティナの頭に、柔らかい何かが落ちてくる。マントから手を出して、それを手に取る。それは毛布だった。


「何これ?」

「毛布だが?」

「見たら分かるんだけど?」

「お前は、部屋に戻る気はなさそうだったからな」

「…………」


 そんな風に思われていたのはまこと遺憾ではあるが、ティナが部屋に戻る気がない、というのはあながち間違いではなかった。

 仲間とはいえ、目の前で頭を打ち抜かれて、血液と脳漿撒き散らした部屋にその日の間に戻りたい人間がいるか、と問われれば、答えはノーなような気がする。

 それに、今は1人で頭を冷やしたい気分だったのだ。まだ、自分の内側に渦巻く様々な感情に整理を付けられていないから。

 そんなティナに思いに反して、ジンは、勝手に彼女の隣に座る。ティナは、ジンから距離を取ると、渡された毛布に身を包み、そっぽを向いて、むすっとした口調で言う。


「なにがしたいの、あんた?」

「……俺は借りは返す主義だ」

「ふぇっ?」


 ティナの口から思わず、間の抜けた声が漏れた。その言葉が、あまりに予想外なものだったからだ。

 ぽかんと間抜け面で、ジンを見上げるティナ。しかし、当の本人はといえば、視線をまっすぐ正面に向けたまま、言葉を続けた。


「お前はクロエを助け、俺を止めた。借り2だ。俺が返さないのはフェアじゃない」

「……意外と義理堅いんだね、ジンって」


 そう軽口を返しつつも、ティナは薄っすらと張った涙の膜を誤魔化すために、さっとジンから視線を逸らした。

 ──フェアじゃないのは、わたしの方なのに……

 ジンは今までに何度もティナを助けてくれた。この男は、自分の些細な言葉や行動で、ティナがどれだけ救われてきたかなど考えたこともないのだろう。

 いつもいつも、優しくないくせに、こういう時だけ優しくする。そんなの、反則だ。

 ティナはマントのフードを引っ張り出すと、それを目深に被って、赤くなった頬を隠した。


「……さあな」


 ジンは自覚があるのかは知らないが、少々気まずげに目を逸らす。

 そして、しばらく、真っ赤に染まった夕日を見つめていたが、不意に再び口を開いた。


「邪魔ならそう言え。話すにしろ、なににせよ、俺はここにいる。お前の気が済むように好きにしろ」

「……ばか」


 だから、優しくしないで欲しい。覚悟は決めたつもりだったのに──

 ──また、甘えたくなるから……


「ねぇ、ジン」

「なんだ?」

「ジンは、人を殺したことある? MCでじゃなくて、自分の手で」


 ティナの質問に、ジンの視線は再び夕日に戻ってしまった。赤く染め上げられた横顔は、どこか寂しげで、ティナは息を呑んだ。

 そして、日が沈みきったころ、ジンは緩慢な動作で口を開いた。


「……初めて殺したのがいつだったかは、覚えていない。だが、あの日、俺は……いや、元とはいえ、貴族のお前に聞かせて分かるような話じゃない」


 そう言って口を噤んだジンに、ティナは彼の方を見ず、正面を向いたまま、言う。


「……わたしね」

「…………」

「昔は、自分の生活を当たり前だと思ってた。なんでもあって、なにもしなくていい、そんな世界が当然だと思ってたの」

「…………」


 ジンは無言で聞いていた。好きに話していいということだろうか。

 ティナは少し、怨みがましい思いを込めて、その話題を口にした。


「でもね、それは違うって教えてくれた男の子がいた。泣き叫んで、苦しんで、それでも生きてるって教えてくれた」

「…………」

「わたしは、救いのない暗闇で、その子のことだけをずっと支えにして生きてた。いつか、もう一度会って、わたしの答えを見つけるために」

「お前は……いや、いい」


 気遣わしげなジンの口調に、ティナは初めて自分の身体が震えていることに気付いた。

 思い出したくもない暗闇と腐臭。そして、幾度となく突き付けられた憎悪と痛みが、ティナの心を蝕んでいた。


「ふふっ、ばかみたい」


 自分で思い出して、自分で語って、自分で怯えていたら世話はない。

 自嘲気味に表情を引きつらせるティナに、ジンは小さくつぶやくように答えた。その声は驚くほど平坦で、感情を込めないように努めているようであった。


「俺は、結局、今も昔も自分のために殺しているだけだ。昔は、死にたくないから、今は、奴を殺すためだけに」

「……ジンは強いね」

「…………」

「わたしね。人を殺したの。今日初めて、殺した。わたし自身の手で。ほんとは知ってたんだよ? わたしはもう何人もの人を殺してるって。だけどね? ずっと目を逸らしてた。自分の手が血に濡れていることに気付かないふりをしてた。それを、受け止めたくなかったから」

「…………」


 そんなティナの独白を、ジンは黙って聞いていた。


「ううん、これは嘘。殺すことが怖いんじゃない。死を受け止めることが怖いんじゃない。わたしはずっと、返り血に穢れた自分が、誰かに後ろ指を指されることに怯えてた。わたしは誰かが死ぬことなんてどうでもよかったんだ……!」

「…………」

「笑っちゃうよね。わたしは誰かを殺しても、誰かを傷付けても、その責任から目を逸らして、わたしは、傷付きたくない、傷付けないで、って、自分の殻にこもって、自分に言い訳してただけの愚か者だったんだから」


 そうだ。ずっと逃げていた。背負うことからも受け止めることからも。

 自分じゃない自分に何もかも押し付けて、自分じゃない自分のせいにして、ずっと自分は綺麗なんだと、自分は汚れていないと思い込もうとしていた。

 ティナは、そうやって現実から逃避し続けていたのだ。


「……もういい」

「どうしようもないくらい利己的で、自分勝手な女。失望したでしょう? わたしはカッコつけても、気楽にしてるふりをしても、結局──ふぇっ?」


 いつの間にかヒートアップしていたティナは、不意に頭に走った衝撃に、間抜けな声を漏らした。

 ──また、デコピン……?


「自分の欠点を見つめ直すことと、自分で自分を貶めることは違う」

「え?」

「俺の師は、俺にそう言った」


 それはもしかしなくとも、ジェラルド・カルティエのことだろう。なんだかんだ言っても、ジンは、彼を慕っているのだろう。


「今のお前は、それそのものだ。聞いてやるとは言ったが、非建設的な自虐を聞いてやるほど、暇じゃない」


 そして、ティナの言葉を、非建設的な自虐の一言で切り捨てたジンの言い草に、ティナの中で何かが切れた音がした。

 怒りのままに立ち上がったティナの身体から、毛布がずり落ちた。


「事実を事実と認めて何が悪いの!? わたしは、逃げてるだけの、ただの臆病者なの! 何にもできないくせに、なんでもできると勘違いしてた愚か者なの! そう認めることの何が悪いの!?」


 一方で、激情を叩きつけられたはずのジンは、あくまでも、冷静だった。そして、彼は、目元を指差すと、こう言った。


「お前がそう思うのなら否定はしないが、少なくとも、お前は俺たちほどに感性を捨てていない」

「ふぇっ……?」

「ティナ、お前は人を殺したことを自覚して泣ける人間だ。お前は、人の死をどうでもいいことだとは思っていない。安心しろ。それは、殺すことにも死ぬことにも慣れきった俺たちとは違う、普通の人間の感性だ。だから、お前は責任から逃げてなどいない。死を背負って生きている。そんなお前が、臆病者なわけがない。お前は強い。俺たちの誰よりも普通で、誰かのために泣ける、強い心を持った人間だ。だから、自信を持っていい」


 そんな言葉を受けて、ティナは目元を拭い、初めて自分が泣いていたことに気付いた。恥ずかしくて、思わず、頭に血が上る。

 だから、ティナの口から漏れたのは、温かい言葉や気遣いへの感謝でもなんでもなく、ただの悪態だった。もっとも、こんなに恥ずかしいセリフに正面から返せる言葉など持っていなかったのだが。


「ジンのくせに、かっこつけないでよ……ばか」

「……泣きたかったら泣け、俺は見なかったことにしておく」

「……ばか」

「いわれのない罵倒だな」

「……ばかばかばか!」


 口ではそう言いながらも、ティナは、ジンのすぐ横にしゃがみ込むと、その肩に顔を埋めて泣いた。


「じんの……ばかぁ……えぐっ……えぐっ……」


 きっと、それはジンやレナード、ファレルと言った他のメンバーにはできないことだっただろう。

 彼らはとっくの昔にそんな感覚は麻痺してしまったのだから。

 きっと、ティナはその分だけ、彼らよりも普通で、何より、恵まれていたのだ。

 ──だって、わたしは泣けるんだから……

 とめどなく溢れる涙も、隠しきれない嗚咽も、何もかも吐き出して、ティナは、心の底から溢れ出すその衝動に、身を任せた。


「…………」


 しばらくして、泣き声が、穏やかな寝息に変わった頃、ジンは、肩に寄りかかる少女と2人、毛布にくるまって暖を取っていた。

 秋の終わりに夜の帳が落ち、屋外であるここは、もはや冬の寒さを呈している。

 白い息を吐くジンが気配を感じ振り返ると、ファレルが数枚の毛布を持って立っていた。

 何か言いかけたジンに、口の前で人差し指を立てて、ニヤリと笑うファレル。

 ジンは呆れ気味に溜息を吐くと、素直に毛布を受け取った。


「まっ、一晩くらいお姫様に付き合ってやれよ。普段のツケあんだろ」

「お前……いや、まあいい」


 あからさまにニヤつくファレルに、何を言っても無駄と考えたジンは、諦めて言いかけた言葉を切った。ただ、思いっきり睨むのは忘れなかったが。

 ファレルが去り、再び寝息だけが聞こえるようになった夜空の下で、ジンは白銀の少女を軽くみやり、


「……まあ、嫌いじゃないがな」


 どこか笑みを含んだ口調でそう言うと、追加の毛布をティナに被せ、彼もまた、目を閉じた。

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