第86話 連鎖 -butterfly effect- 17

 二人は曲がり角を曲がると同時に、路地の隙間に隠れ、尾行者が通りかかるのを待つ。その間に、ティナは背負っていたケースからライフルを取り出して組み立てていた。

 そして、尾行者が姿を現した直後、ジンの手がにゅっと、路地から飛び出し、尾行者を素早く路地に引きずり込む。


「うわっ! いったいなんですか! 急に──っ!?」


 尻もちをついた尾行者の男──いや、癖っ毛の茶色い髪、その下に見える顔立ちは幼く、少年と言って差し支えないだろう──は、文句を口にしていたが、自分を見下ろすように立つジンとティナを見て、いや、もっと直接的に、眉間に真っ直ぐ向けられた銃口を見て、口を閉ざした。


「さて、状況は理解したか? もし、余計な抵抗をするようなら殺す。おまえはただ、俺の質問に答えるだけでいい、わかったな?」

「は、はいっ!」

「ふふっ、うるさくしちゃダメって言ったよねー?」


 ぶんぶんと音がしそうなほどに首を振る少年に銃口を押し付けつつも、ティナは内心で不憫になった。

 ジンの冷酷なまでに冷たい真紅の瞳に睨み据えられては、慣れていなければ、それはそれは恐ろしいだろう。般若に見下ろされているようなものだ。

 ちなみに、そんな風に少年に同情するティナの脳裏からは、自分が銃口を突き付けることで、物理的な生命の危機への恐怖を少年に与えているという事実はすっぽりと抜け落ちている。


「まずは一つ目だが、なぜおまえは俺たちを付けていた?」

「…………」


 少年は、恐怖から上手く舌が回らなくなったのか、口をもごもご動かしているだけで、意味のある言葉を発することはなかった。

 ジンが微妙な表情でため息を吐くと、殺されると思ったのだろうか、ひっ、と、少年は息を詰まらせた。


「銃は下げていい。逆効果だ」

「うん、りょーかい」


 ティナが銃を簡易分解して、背負ったケースに戻すと、少年はようやく恐怖の金縛りから解放されたのか、過呼吸になったように、荒い息を吐いた。

 ジンはそんな少年に、懐からボトルに入った水を取り出して渡す。少年は差し出された水を何の疑いもなく口にした。

 まったく隠密向きではない。というか、隠密どころか、秘密組織に所属することそれ自体に向いていないように思われる。精神薄弱にする薬が入っている可能性などは考えないのだろうか。

 もっとも、そんな非人道的かつ高価な拷問手段を使えるほどに、革命団ネフ・ヴィジオンという組織に余裕はないのだが。

 落ち着いたところで、ジンは少年に聞いた。


「もう答えられるな?」

「はあ……はあ……はい……」

「質問はさっきと同じだ。なぜ俺たちを尾行した?」

「はい……その……鮮血みたいな、紅い眼をした男が、ぼくたちのことを探ってるって聞いて……たまたま見かけたから、探りを入れておこうと……すいません、その……デートの邪魔をするつもりはなかったんです!」

「で、でーと……」


 ティナが洩らしたどこか嬉しげな動揺は、ジンがちらりとティナを見て、


「くだらない発想だな。理由もなくこいつに付き合うほどに俺が耄碌しているように見えるか? それとも、おまえは真面目に答える気がないのか?」


 と言ったことで、断ち切られる。

 ──こういう奴だって分かってたけど! 分かってたけど!

 表情を凍てつかせたまま、内心で怒気を燃やすティナの気が漏れていたのか、少年がティナを見て、ひぃっ、と情けない悲鳴を上げる。

 ジンはあまり怖がらせても意味がないことは先ほどの少年の態度から分かっていたので、追求するつもりはなかった。だから、悲鳴を上げるほど脅したつもりはなかったのだが。

 しかし、少年が怖がっていたのは、ジンではなくその後ろのティナである。無論、ジンは気付いていなかった。


「まあいい。それで、誰に聞いた?」

「い、いや、あの……き、昨日も定例会で……その、一人脅されて情報を喋ったって……他にも、革命団ネフ・ヴィジオンを名乗って、商会で聞き回ってるって……その、後ろいいんですか?」

「なるほど……後ろ? 何のことだ?」

「え? あっ、はい。そ、そうですよねー」

「ジーンー? あんたのせいだってことだよねー? これ」

「どうやらそうだったらしいな」


 昨日、一人を締め上げて情報を喋らせたり、ヴィクトールの行動に探りを入れるために商会を回ったのだが、そのせいで、ジンの身体的特徴が一部に漏れてしまったらしい。とはいえ、真紅の瞳は、楽園エデン全土で見ても珍しいので、目立つのは仕方がないとも言えよう。


「さて、次だ。おまえは革命団のメンバーだな? なぜここにいた?」

「いやだから、後ろ……」

「なんだ?」

「い、いえっ! なんでもないです!」

「早く答えろ。面倒をかけさせるな」

「は、はい! ぼ、ぼくは、革命団ネフ・ヴィジオンでは、その、MC整備の見習いみたいなのやってて、それで、親父さんに、おつかいを頼まれて、そしたら、紅い目の人が、あなたがいて……その、いつもは役に立ってないからこれくらいは、て思って……」


 だらだらと個人的事情を語り出すが、ジンはこの少年が、どんな事情で革命団ネフ・ヴィジオンを騙る組織に入ることになったのかなど心底どうでもいい。


「三つ目、革命団に搬入されたMCはここにあるのか?」

「え? あっ、はい。ここで整備とかやってますけど」


 あっさりとこの場所で活動する革命団ネフ・ヴィジオンにとってのアキレス腱を口にした。本人の気弱な性格もあるのだろうが、何より危機意識の欠如が問題であろう。情報を秘するということのアドバンテージを理解していないらしい。

 もっとも、ジンにとっては、都合のいい話なのだが。とはいえ、反体制組織のメンバーにしては極めて牧歌的であると評価せざるを得ないだろう。


「場所はどこだ?」

「えーっと、ここからすぐですよ。使われなくなった倉庫を改造して使ってるんです……はっ!? これ言っちゃいけないんだった……どうしよ、親父さんにどやされる……」

「…………」


 残念ながら、救いようのない馬鹿と評価せざるを得なかった。たいして大きくもない組織の割には、メンバーへの教育がまったく行き届いていない。


「黙っていればいい。俺たちも場所さえ分かれば余計なことはしない」

「ほ、ほんとですか!?」

「ああ、今は・・必要ないからな」

「ありがとうございます! ほんと、親父さん容赦ないんで、このままだったら殴られるところだったんですよ。いやぁ、危なかった……」

「…………」


 もはや言うべきこともあるまい。馬鹿につける薬はないとはこのことか。


「案内しろ」

「はい!」

「ティナ」

「うん、行こっか」

「ひぃっ……」


 今初めて、ジンから水を向けられたティナが返した言葉の声音は、驚くほど冷たいものだったらしい。少年はまたしても悲鳴を上げた。

 ジンもさすがに不信を覚えたのか、


「ティナ? どうした?」

「いいやっ! まったく! いっさい! ぜんっぜん! なんでもありませんけどっ!」

「まさしく何かあった反応なんだが……分かるか?」


 ジンは心底、理解できないと言った様子で、首を捻り、少年の方を見て問いかけた。


「え? えーっと……その、たぶん、ですけど、さっきぼくが─ま」

「ねえ?」

「ひぃっ!?」

「余計なこと言っちゃだめだよねー?」

「はい! 当然です! わ、悪い奴がいますねー! あはははっ!」


 そこには、恐怖政治に完全に屈している少年の姿があった。仮にも反体制派所属なのだから、もう少し、気概を見せて欲しいものである。

 正直、この程度のメンバーを集めて、革命団ネフ・ヴィジオンを名乗られては、何年も前から入念に準備を重ね、ツテを作り、偽装ルートを作り上げてきた革命団ネフ・ヴィジオンの株が下がるというものである。

 呆れながらも、何らかの原因でティナが憤慨していることは理解したジンは、その上で、当座の優先事項ではないと判断し、


「まあいい。先にその場所に案内しろ」

「ええー? この状況でそっちですか!?」

「馴れ馴れしいのも大概にしろ。自分の立場を理解していないのか?」

「あっはい、すいませんでした!」


 びくびくする少年に案内されて辿り着いたのは、空港のすぐ側にある廃倉庫だった。ずいぶんと近いが、積荷の詮索はされないと踏んでのことだったのだろうか。


「ここの地下です。あそこのドアから繋がってます」

「本当だろうな?」

「ふっふっふっ……ぼくがあなた方に嘘をつけると思いますか?」

「…………」

「…………」


 信用に値しないと言いたいところだが、少年が嘘をついているとは思えなかった。良くも悪くも正直過ぎるのだ。まったく邪気がない。

 もし、これが演技だとしたら、この少年は、天才詐欺師になれるだろう。

 その点はティナも同意らしく、開き直りに開き直った少年の態度に、ずっと怒りっぱなしだった彼女もさすがに呆れたような表情を浮かべている。


「……じゃあな。俺たちのことは言うな。いいな?」

「そりゃもちろん。ぼくは親父さんの拳が怖いですから!」


 背を向けて歩き出そうとしたジンに、少年がふと尋ねた。


「ああ、えーっと、あなたのことは何と呼べば……?」

「そうだな……アルカンシェルとでも呼べばいい」


 本名を名乗るわけにも、明らかに普通の名前ではないコードネームを名乗るわけにもいかなかったジンは、一瞬考えた後に、貴族騎士としての偽名を口にした。


「ええー、じゃあ、アルカンシェルさん。あなたはもう少し女性に気をつかった方がいいです。絶対に。では、これで失礼します」

「は……?」


 さしものジンも、唐突に過ぎる少年の言いたいことを理解できず、間の抜けた声を漏らす。

 すると、


「ぷっ……ふふっ……」


 ティナが押し殺したようにくすくすと笑い出した。

 これには、ティナも怒りを忘れざるをえなかった。少年は最後にいい仕事をしてくれた。まさか、ジンに対して、女性に気をつかった方がいい、などと言うとは、愉快にもほどがある。

 そもそもが、ティナの期待し過ぎだったのだ。時間はあるのだから、ゆっくりでいい。前より少し距離が縮まったからといって、そう簡単に懐に入れてくれるような人間ではないのは良く知っている。

 そしてなにより、ティナとしては、戸惑いを隠せないジンの間抜け面を見るだけで溜飲が下がる思いだった。


「おい」

「ふふっ、あはははっ!」


 ジンが呼びかけるも、ついに我慢できなくなったのか、ティナはお腹を抱えて爆笑し始める。さっきまで、憤懣やるかたないといった様子だったというのに、今はずいぶんとご機嫌な様子である。どういう心境の変化なのか。浮き沈みの激しい奴である。


「なにがおかしい?」

「いーや? なんでもないよーだ。ジンのばーか」

「は?」


 理解できない、といった表情を見せるジンの額を、ティナは、いつかのやり返し、と言って、その細く白い指で、こつん、と弾いた。


「ふふっ……今日はこれでチャラにしたげる。目的は果たしたわけだし、帰ろっ!」

「……理解できない」


 呆れた様子でつぶやくジンの手を取ると、


「あっ、そうだ。まだお祭りやってるだろうし、もうちょっと回ってこっ!」

「……好きにしろ」


 そもそもあれは祭りではないし、金も十分にあるわけではないのだが。頭痛を覚えたジンは、諦めをそのまま口にした。そして、夏時の蒼い空を見上げて、ジンは心中で困惑を吐露した。

 ──まったく、こいつはなんなんだ?

 当然、澄み渡る空には、ジンの疑問に答えてくれるものはなかった。

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