第82話 連鎖 -butterfly effect- 13

「んー、見つかんないねー」

「……もう少し真面目に探してから言え」


 のほほんとした口調で銀髪紫眼の少女──ティナがつぶやくと、隣を歩いていた少年──ジンは、真紅の瞳に冷たい輝きを宿し、凍てつくような声音で返した。

 普通なら萎縮してしまうような口調だが、長らく共に過ごしているティナにとって、もはやその程度は慣れっこである。

 それに、本気で怒っているわけでも、本気で不機嫌なわけでもないのを、その雰囲気から把握できるほどには、ティナはジンを理解しているつもりだった。

 故に、彼女は気にせず、領都アガメムノン解放記念セールなどと称して行われている出店を冷やかして、くすっと笑みを溢していた。

 対するジンは冷たい焔を宿した瞳に、呆れたような色を浮かべながらも、ティナを放置して、独自に行動するような様子はなかった。


「ティナ」

「ふぇっ? なに?」


 いつの間にやら、屋台で買ってきた串焼きを頬張っているティナ。振り返った彼女を、ジンは軽く一瞥し、小さくため息を吐いた。

 そんなジンを見てティナは、こてんと首をかしげ、


「あっ、ジンもいる?」

「…………」

「はい」


 押し付けられた串焼きを頬張る。濃い味のタレで塗り潰された大雑把な味付け。お世辞にも繊細とは言えない。もちろん、ジンとしては慣れた類の食べ物ではある。

 しかし、仮にも貴族の令嬢であったはずのティナがこういったものを嬉しそうに食べているのは意外だった。祭りの空気に当てられたわけではないのは、慣れた雰囲気からも察せられた。


「一つ聞くが」

「うん」

「おまえは、相手の貴族が誰だったかわかるか?」


 ジンとしては、ティナが貴族なら貴族で、利用できる部分は利用した方がいい、という考えだった。もっとも、他のメンバーはティナが貴族だとは知らないので、こうして二人きりでなければ切り出すわけにはいかない話なのだが。だからこそ、ティナとの二人組ツーマンセルを了承したとも言える。

 しかし、当のティナは、そんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、甘いはずのチョコレートが思ったより苦かったかのような微妙な表情を浮かべて、


「んー、正直わかんない。ジンも知ってるように、ここ2、3年は革命団ネフ・ヴィジオンにいたし、あっちの情勢に詳しいわけじゃないから」

「本当か?」

「やっ、そんなことで嘘つかないからっ」


 ジンの疑り深い視線に対して心外そうに返し、串焼きにぱくついたティナは、ふと思い出したように、


「ん、でも、わたしの知る限りでは、貴族も一枚岩じゃないし、ヴィクトール伯爵は、やり方汚そうだから、色々、怨み買ってそうだけどねー」

「具体的には?」

「ヴィクトール伯爵と付き合いなんてなかったから知らないけど?」

「……派閥の方だ」


 ティナはこれまた微妙な表情を浮かべた。しばらく言っていいものか悪いものか、考え込むように空に目を向けて、口に放り込んだ串焼きを咀嚼する。

 そして、口に入れていた串焼きを飲み込むと、紫水晶アメシストの瞳に、珍しく静かな色を湛え、ゆっくりと口を開いた。


「正直、あんまり言いたくないんだけど」

「…………」


 ジンは無言でうなずき、先を促した。


「まず前提として、わたしが知ってるのは、エスメラルド公が代替わりする前の話だからね?」

「ああ」

「まず一つ目だけど、アマリリス公爵を中心とした保守派。現状維持を重視してる頭の固い人っていうとわかりやすいかも」


 元貴族令嬢であるはずなのだが、ティナの言い草ははっきり辛辣だった。とはいえ、貴族令嬢という立場にいながら、今は革命団ネフ・ヴィジオンの戦士として戦っているのだから、多かれ少なかれ貴族に不満があるのは間違いないのだろうが。


「それと、その対抗馬みたいな感じの革新派。首魁は知らないけど、とにかく過激派だから、ヴィクトール伯爵もこの一派だと思うよ?」

「なるほど、革新派の粛清の可能性もあるのか」


 もし、革新派が今もなお、過激派であるというティナの所感通りであるのなら、何らかの失策が理由で、ヴィクトールが粛清されることになってもおかしくはない。

 ジンは湧き出た疑問は一先ず捨て置き、ティナに目線で先を促す。


「三つ目は、中立派。前のエスメラルド公がそういう態度だったから、その後に追従してる、というもは表向きで、ぶっちゃけ好き勝手やってるだけ。たぶん、あんまり気にしなくていいと思うよ?」

「今のエスメラルドは違うと?」

「さあ? 噂程度でしか聞いてないし。でも、優秀だって話だよ?」

「そうか」

「あっ、そうそう。ダルタニアン?だっけ? あの人のレーヴェル家も中立派だね」

「知り合いだったのか?」


 ジンは珍しく、驚いたような表情を浮かべた。そういえば、先日の戦闘の中、ダルタニアンと会話した時、ティナは、フードを深く被って、ジンの影に隠れ、妙に警戒していたようにも思われる。


「ん? 違うよ? ただ、レーヴェル家は貴族の責務ノブレスオブリージュを重んじることで有名だからねー」

「……だろうな」


 あのうっとおしいまでに、騎士道と貴族の責務ノブレスオブリージュに拘る男が、貴族社会でいい意味でも悪い意味でも有名にならないことはあるまい。


「後は、半分蛇足だけど、聖教派ってのもいるよ? 天聖教に魂を売った狂信者のお仲間集団だけど、その分、教会の権益に繋がること以外は全部目を瞑ってるから、大丈夫だとは思うけど」


 天聖教は、楽園エデンに流布する宗教の中でも最大派閥のもので、魂の安寧なる怪しげな教義を掲げる団体だ。

 とはいえ、貴族、平民問わず、信者は多く、その影響力は無視できるものではない。まあ、その姿勢はティナの言う通りで、自身の権益を侵されない限りは、とかく静観に徹するような連中なのだが。


「……アレが動くとは思えないが?」

「んー、潰そうとすればさすがに動くと思うけど」


 とは言ったものの、ティナも彼らが動くとは露とも考えていないようで、その口調はずいぶんとのんきな感じだった。


「まあ、このくらいかなー。っていうか、《テルミドール》辺りに聞くのが早いと思うんだけど。あっ、もちろん本物だからね?」

「待て」


 ジンは、話を切り上げようとしたティナを一言で止めた。そして、忌々しいまでに忘れられぬその名を、口にした。


「セレーネはどこに属している?」


 昏い焔を宿した真紅の瞳に、ティナは一瞬、そうほんの一瞬だけ、バツの悪そうな表情を見せたが、ジンに悟られるより先に、それを打ち消し、さも忘れていた、という風に、


「ん? あっ、えっと、セレーネ公は……そのままセレーネ公派って呼ばれてる。その名の通り、セレーネ公を中心としたグループで、楽園エデンを実質、支配してるのが、セレーネ公なんだけど……」


 ティナは、ジンの様子をうかがう。しかし、その表情は拍子抜けするほどに、いつも通りの冷たい能面だった。瞳も一瞬見せた昏い焔が嘘だったように凪いでいる。


「ジン?」

「なんだ?」

「……ううん、なんでもない」


 ティナは、首を軽く振って疑念を振り払うと、


「わたしの知ってるのはこれくらいだけど、他に聞きたいことある?」

「ないな。特に問題はない」

「そう、じゃあ、辛気臭い話はこれくらいにして、食べ歩きの続きしよっか!」


 元気良くそう言ったティナの頭を、ジンが無言で叩く。


「痛ったぁ……ちょっと、ジン!」

「本来の目的を忘れるな」

「むぅ……そうは言っても、美味しそうな匂いするんだもん!」

「食い意地を張るのもほどほどにしろ」


 呆れを隠さないジンに対し、ティナはむくれたように頬を膨らませた。


「だいたい、この辺りにあるかも、ってだけなんだから、どうしようもないじゃない」

「頭を使え」

「むっ、馬鹿扱いは心外なんだけど! なんだけど!」

「なら、自分の頭で考えろ」


 こつんと指で頭を突かれる。完全に馬鹿にされている。ジンを少し見返してやろう、そんな一心で、ティナは思考を回し始めた。

 道の真ん中でそんな風にじゃれ合う──当の本人達は強く否定するだろうが──二人に対して、周囲から微笑ましいものを見るような目が向けられていたが、幸か不幸かティナは気付いておらず、ジンは悪意的な含みのない視線を気に留めるような人間ではなく、ただ見られているとだけしか思っていなかった。


「んー、でも、結構場所取るよね、MCって」


 周囲を見回しながら、ティナはつぶやく。

 MCの全高は5メートル前後ではあるが、整備や武装といった兵站の確保を考えると、そうそう好き放題、どこにでも、隠せるようなものではない。

 MCは、機械仕掛けのマシナリー・騎士シュヴァリエの名の通り、精密機械であり、綿密な整備は不可欠である。その上で的確な運用をすることで、MCは最大の戦果を獲得できるのだ。決して、適当に野ざらしにしておいても使える、というような代物ではない。

 実際、複数のMCを戦力として運用している革命団ネフ・ヴィジオンは、拠点である屋敷の地下やその他の偽装施設にMCを隠し、作戦の際には、陸海空問わず、様々なルートを使って、偽装に偽装を重ねて、部隊を展開している。

 その苦労は、部隊展開から撤退までを前線の兵士として参加するティナも感じていることであるし、実際に逃走ルートを用意している兵站科ロジスティクスのメンバーはもっと良く理解していることだろう。

 つまるところ、MCはサイズやその目立つ外観から、存在を隠匿するには相応の苦労が必要なのである。

 そんなことを考えながらも、ティナは、今まで歩いてきた街並みと昨日見た地図の記憶を引っ張り出し、MCを置いておけそうな場所を探していく。

 そして、ふと、思ったことをジンに尋ねた。


「ねえ?」

「…………」


 ジンもジンで何か考えているのか、それとも単純に無視したのか、返事はなかったが、聞いているのは知っていたので、そのまま疑問をぶつけた。


「あの黒いMCだけど、ここにどうやって持ち込まれたの?」


 ジンはぴくりと小さく眉を顰めた。現在のことであるMCの位置すら掴めていないのに、過去のことである搬入経路を当てるなどというのは無理な話である。

 とはいえ、そこは聞き出さなかったジンのミスである。


「……聞いていないな」

「うーん、空路か陸路かだけでも分かったら、もう少し絞れたんだけど」


 そうつぶやくティナの隣で、ジンが何かに気が付いたようにはっとした表情を浮かべた。

 ──十日前、空路……まさか……


「ティナ、カルティエ領、コルベール領、ロベスピエール領、エスメラルド領、ヴィクトール領の位置関係は分かるか?」

「えー、いきなりそんなこと言われても……えーっと、確か、ここを中心に、西にエスメラルド領、北西にコルベール領があって、そこからまっすぐ南にアシル=クロード街道があってその先に、ロベスピエール領があるね。で、東側がカルティエ領と隣接してるセレーネ領。北側が私達が昨日いたオルレアン領で、南側が森を抜けた先にマレルシャン領って感じの配置だったと思うけど?」


 うーん、と小さく唸り思い出すような仕草をしながらも、ティナは文句を言った割に、あっさりと貴族領の位置関係を口にして見せた。昨日の細かな経路図といい、記憶力は抜群に良いようだ。

 ここまではジンの予想通り。もう一つが決まれば確定的だった。


「もう一つ、貴族による空輸優先権と機密保護権はどこまで働く?」

「え? いや、そんなに詳しくないんだけど……」

「知っている範囲で良い」

「えっと……確か、空輸優先権は、貴族の申請で認められるけど、被っちゃったら、爵位で優先順位が決まるし、迷惑料?みたいなのとられるから結構、お金かかったはず。だから、貴族なら誰でも使えるってわけじゃないんだよねー。機密保護権は、積荷と行き先を秘匿できるんだったはず。行き先の報告義務と、フライトレコーダーの提出義務がないの。まあ、見られちゃったらあんまり意味ないんだけど、優先権を使ってたら航路は封鎖してるからね。それに、離れた貴族領間を繋いでるから、目撃者がいても、どこから来たのかわからないし、封鎖航路外から来たのに紛れちゃえば、データを提出しないだけだから、管理局の人にしかわかんないしね。まず、バレないはず」

「……詳しいな」

「ふぇっ? いや、後半は予想だからね? 細かい規定とか覚えてないし」

「十分だ」

「そう?」

「ああ、これで確定した」


 ジンが自身に満ちた様子で言う。そんな彼の様子に、ティナは頭を横に倒して、疑問符を浮かべた。


「MCの搬入経路は空路。配給元の黒幕はエスメラルドだ」

「ふぇっ? いや、どこで確定したのかわかんないんだけど……?」

「十日ほど前、正確に言えば、九日前だが、その時、俺達は何をしていた?」

「えっと……あっ……」


 そうだ。十日前、それはコルベール男爵家の騎士団を襲撃した日だ。

 作戦通りに来なかったジンのせいで、全滅しかかったのは記憶に新しい。ジンに、ティナが貴族であることがばれたのもその日だ。まあ、今となっては、程のいい情報源扱いなのだけれど。

 とはいえ、ジンの遅れにも理由があったのは耳にしている。コルベール男爵家の炎蛇騎士団の援護に、ロベスピエール領から出立した青薔薇騎士団を単独でほぼ壊滅に追いやったというのだから、円卓の騎士ナイツ・オブ・ラウンズ、〈ガウェイン〉の面目躍如と言えよう。


「あの日、そもそも遅れが出た原因は、エスメラルドが優先権と機密保護権を使って、空輸ヘリを飛ばしたからだ」

「そうなの? 言ってなかったような……」

「かもな。だが、エスメラルドはその時、どこかへ、何かを運んでいる。それがMCで、行き先がここだとすれば、ちょうど、俺達の航路とも被る」


 なるほど、だから、ジンは、わざわざ領地の位置関係と、空輸優先権と機密保護権の話を持ち出したということらしい。

 確実ではないが、確かに、説得力のある理論だ。


「でも、直接運ぶかな……?」


 機密保護権と空輸優先権を利用した空輸は、速やかに、かつ秘密裏に物を運ぶのには有効だろうが、そのまま運んでしまえば、領主に秘密裏に何かを運んだことが知られることになる。

 知っていたらヴィクトール伯爵が手を出さなかったとは、とても思えない。なにせ、三公の一角、エスメラルド公が相手である。内政干渉になりかねないし、何より警戒するだろう。


「確かに、ヴィクトールは警戒していただろうが、管理局に一言囁くだけで報告は上がらなかっただろう」

「……うん、まあ、だよねー」

「エスメラルドは、限りなく黒に近いグレーだ。警戒しておくに越したことはない」

「うん」


 言ってしまえば確率の問題である。高ければ高いだけ警戒していた方がいいのだ。なにせ、ここにいるのはわずか五人のメンバーで、情報も限られている。予防線を張っておいた方がいい。

 ティナはそこで、ふと思い出したように口を開いた。今回の主題は、MCがどこにあるかであって、黒幕でも、搬入経路でもないのだ。


「あっ、ジン」

「どうした?」

「たぶん、MCの隠し場所分かったよ?」


 ティナは記憶を漁りながら言う。空輸だとすれば、発着場からそう離れた場所には隠していないはずだ。その上で、ジンの集めてきた情報と、地図にある施設を重ねあわせれば、推測は可能だ。

 ジンは無表情のまま、ティナにうなずく。微妙に感心したような気配があるのが、いささか解せないが、この辺りで名誉を挽回しておきたい。


「空港から南にちょっと行ったところにある、旧倉庫街。たぶんここ」

「妥当な線だ。だが……」


 ジンは微妙に言い淀んだ。

 ──うん、そうなんだよねー

 ティナにもその気持ちはよく理解できる。


「遠いんだよねー」

「…………」


 今二人がいるのは、市街の中心部。徒歩以外の移動方法を持たない今、この移動距離は長過ぎた。二人とも訓練は受けているので走れば数時間ではあるのだが、それにしたって時間がかかり過ぎる。

 公共交通機関もないではないのだが、領民の閉じ込め政策もあって、非常に高いし、何より、ヴィクトール伯爵が亡くなったことで、担当者が逃走し、機能を停止していた。


「どうしよっか?」

「……借りる当てはないか?」

「いくらかかると思ってるの?」


 それを言えば、さっきからむしゃむしゃ食べている食品もただではないのだが。


「……歩くか」

「うん……」


 二人は、ため息を一つずつこぼし、目的地に向かって歩き出した。

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