第4話 蜂起 -rebellion- 03

 ──跳ね落ちる生首と、滴り落ちる鮮血。

 ──元は人間だったナニカは、高揚する人々に踏み潰され、死してなお、その身を穢され屈辱を味わうことになった。

 ──それを真紅の瞳の少年は無感動に見つめていた。


「…………」

「ねぇ、何してるの?」

「僕は……いや、おれは……」

「どうしたの? 泣いてるみたいだけど?」


 少年は自分が泣いていることに初めて気が付いたように目元に手をやりその涙を拭った。


「悲しいの?」

「いいや」

「じゃあ、苦しいの?」

「いや、ぼく……おれ、俺は──」


 その声を聞いて振り向いた時、見たものはなんだっただろうか?

 その声に答えた時、何を口にしただろうか?

 何故だろう?

 覚えていない。

 きっと、それは『俺』の原点であるはずなのに。

 死を間近に見たせいで、記憶が混濁しているのだろうか?

 ただ、その日、雪が降っていたような気がする。

 本当は降ってなどいなかったのに──


「またあの夢か……」


 少年──ジン・ルクスハイトは、ゆっくりとその真紅の瞳を開いて、つぶやく。その声は、どこか自嘲気味だった。

 工業都市の通信施設を利用した、宣戦布告、その作戦終了後、革命団ネフ・ヴィジオンは、夕闇の紛れ、足跡を欺瞞した上で撤退し、明け方、本拠地へと帰還したところだった。

 その後、祝勝会だのなんだの言って、酒を飲んで騒ぎ出したメンバーを置き去りに、ジンは、自室へと戻っていた。どうやら、MCに長時間乗り続けた疲労から、眠ってしまっていたらしい。時間にして、3、4時間程度。疲れが完全の取れているわけではないが、あまり寝ていても身体が鈍ってしまう。

 とりあえず部屋から出ようとしたところで、ジンは、呆れた様子でため息を吐いた。どうやら、目が覚めたのは人の気配のせいだったららしい。

 彼は人の睡眠を邪魔した下手人二人に問いかけた。


「お前たち、何してるんだ?」


 開けたドアの前にいたのは、《フェンリル》、《マーナガルム》それぞれのコードネームで呼ばれる、MC部隊のパイロット達だった。

 もう一人のメンバー、《スレイプニル》の姿は見えないが、今ここにいる二人に比べると、ドライな関係性であり、こんなところにわざわざ顔を出すようなことはまずないので、当然といえば当然だろう。

 今現在来ている二人のうちの一人、《マーナガルム》は、その優男風の容貌を楽しげに緩ませ──いや、ニヤニヤしている、という表現が一番妥当だろう──こんなことを言う。


「大金星を上げた隊長サマがいないと、盛り上がらないだろう?」


 《マーナガルム》──レナードと名乗る少年の言葉に、ジンは無表情のまま、そうか、とだけ言ってドアを閉めようとする。


「ちょっと待っててば!」


 しかし、《フェンリル》──ティナがドアの隙間に足をねじ込んだことで、ジンは部屋に戻り損ねる。

 無視して、もう一度、ドアを勢いよく閉じるが、足に強くぶつかっただけで、特に成果は得られない。そこまでしてようやく、ジンは、そうまでしてジンの睡眠を阻もうとするティナに尋ねた。


「なんだ?」

「いったー! って、そこは無視なの?」


 それなりの重量のあるドアを片足で受け止めればそれは痛いだろうが、これに関しては、ティナの自業自得なので、ジンがとやかく言われる筋合いはない。


「要件を言え」

「ジーンー」


 ティナはジンを睨みるけるが、当の本人はどこ吹く風で、氷の表情のまま、ティナを見やるだけだ。

 ティナは無言の圧力に耐えきれなくなり、不満に頰を膨らませながら要件を口にした。


「ああもう、わかったわよ! 《テルミドール》が全員集合って」

「ちなみに、内容は慰労会らしいよ?」


 ティナの言葉を補足するように、レナードが付け加える。いままで黙っていたのに、こういう時だけ口を挟む。相変わらず、軽い男だ。とはいえ、その軽薄な仮面の裏に何があるかわからないからこの男は厄介なのだが。


「派手好きの《テルミドール》がやりそうなことだな」


 ジンは皮肉げに口元を歪めながら言う。

 ティナとレナードの二人は、結局のところ、多少なりとも同意しているらしく、曖昧な表情で苦笑を浮かべた。

 そこで、レナードはクスクスと笑いながら、ジンを揶揄するように言った。


「僕はジンも充分、派手好きだと思うけどね?」


「それはお前だろう?」


 レナードも大概派手好きだと思うのだが。記憶では祝勝会という名の宴会で、ど真ん中で大騒ぎしていたのはこの男だったはずだ。


「ええっ、僕は単騎で多勢に突っ込んだりしないよ?」


 どうやら、レナードは、先日の作戦で、部隊相手に一人で吶喊したことについて言っていたらしい。確かにその通りではある。しかし──


「お前たちがとろいからだ。それ以上の理由はない」

「へぇ?」


 スッとレナードの雰囲気が変わった。いつもの嘘くさい笑みは消え、口元は不気味に釣り上がる。

 ジンの無機質な瞳に、半目になり、普段とは異なる色を宿したレナードの視線がぶつかる。


「ああはいはい、喧嘩しない喧嘩しない」


 しかし、二人の間に割り込むようにしながら、ティナが口を挟み、二人の睨み合いを止める。


「ってか、二人共仲間だっていうのに、本気で殺気飛ばすのやめてくれない? いちいち怖いんだけど」

「僕は別に? ジンが睨んでくるからつい、ね?」

「特段、こいつに興味もなければ情もない」


 ジンとレナードは揃って容疑を否認する。戦闘の時といい、敵が共通している時だけ、妙に連携が取れている二人である。

 しかし、二人して言い方が悪い。にっこりと笑んだレナードと、それに気付き、凍土のごとき冷酷な表情を貼り付けたジンの視線が再びぶつかる。


「いい加減にして!」

「ごめんね、ティナちゃん」

「で、お前たちは悪ふざけのため、俺の部屋の前に集まってたのか?」


 素直に謝ったレナードに対し、ジンはさらりと話を変える。誤魔化そうという意思は特に見られないので、彼は本当に興味がなかったのだろう。

 ティナはため息を漏らして呆れを伝え、ジンの質問に答えた。


「さっきも言ったでしょ、呼びに来たの」

「……そうか」

「相変わらず、冷たいんだけど」


 ティナにじとーっとした視線が、微妙に表情を歪めたジンに突き刺さる。しかし、当の本人は、さして気にした様子もなく、無言のまま、レナードの横を擦り抜けて、ホールの方へと歩いて行ってしまう。


「もう!」


 慌てて追いかけるティナだったが、ふと思い出して、振り返る。


「ほら、レナードも行くよ」


「んー、僕ちょっと用事思い出したから。また後でね、ティナちゃん」

「あんたね……」


 ティナは、ひっそりとため息を吐いて、痛む頭を抑えた。

 どいつもこいつも話なんて聞きやしない。しかし、なまじ腕は立つだけにやり辛い。そして、本来、纏める役目であるはずの隊長もアレである。

 もっとも、部隊のまとめ役という立場にいるのは、隊長であるジンではなく、《スレイプニル》のコードネームで呼ばれる男──ディヴァインなのだが。

 部隊唯一の大人であり、年の功というのか、協調性皆無のジンや、とかく不真面目な問題児であるレナードといった癖の強いメンバーをまとめるには欠かせない人材だ。

 ただ、彼がいなければ、いつもこんなものである。


「この部隊、ほんとに大丈夫なのかな?」


 もちろん、ティナの疑問に答える者はいない。諦めの境地に達し、呼びに来たはずが、ミイラ取りがミイラになって、勝手に自室へと帰っていったレナードを置いて、ジンの隣まで追いつく。


「少しは女の子への気遣いってものはないの?」


「いちいち気を遣う理由はないな」


 無視されなかっただけましとも思えるが、まったく興味がない、という態度をされると、女の子であるティナからすれば、多少は不満がある。

 というか、お互いいい感情を抱いているように見えないレナードとの方が会話するのはどうしてなのか。


「むっ。そういう言い方ないんじゃない?」

「なぜ?」

「なぜって……わたしたち仲間でしょ?」


 ジンは、そんなティナを一瞥すると、驚くほど冷たい声で、吐き捨てた。


「仲間? そんなもの必要ない。結局、信じられるのは自分だけだ」

「そんな風に言わなくたって……」

「能天気なのはお前だけだ」


 ジンはそう言って、これ以上会話するようはない、と言わんばかりに足を早め、一人ホールへと歩き去る。

 ティナは追いかけようと手を伸ばすが、目の前にいるはずなのに遠い、ジンの背中を呼び止めることはできず、ゆっくりと手を下ろした。

 多少なりとも信頼があるとは思っていたが、彼にとっては違ったらしい。彼にとって、ここは利用価値のみで繋がっている場所なのだ。

 そんな現実を突き付けられて、せっかく初陣で戦果を上げて浮かれた心は、すっかり萎んでしまった。


「バカ……」


 俯いたティナの小さな罵倒は誰にも届くことなく、コンクリートの床に吸い込まれた。

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