17 たかが恋一つと言ってみても

 たっぷりのドレープの入った桃色のドレスは、大抵の幼い少女が憧れるプリンセスラインだ。いつもと違うコルセットのようなものを身につけると、スカートがふんわりと広がる。甘い色合いのせいで、クリームたっぷりのデコレーションケーキのようだと自分で思った。

 ドレスの着付けが終わると髪が整えられる。夜会巻きとでも言うのだろうか。後頭部でシニョンが作られ、花まで飾られる。

 その後、念入りに肌のマッサージされて、おしろいを叩かれる。頬紅一刷きするとぱっと顔色が明るくなった。アイラインを引くと、目が二割増しに大きく見える。最後に唇に紅をのせるとぼやけていた顔の印象がキュッと引き締まる。

 そんな風に、ユウキを念入りに飾り付けてくれるのはハンナだった。

 クリスと喧嘩して以降は、予想通りに軟禁状態が続いている。鬱屈したユウキを励ましてくれているのかもしれない。

 いつもはおしろいに口紅程度。ここまで念入りな化粧など初めてしたけれど、こんなふうに化けるとは思いもしなかった。化粧をする前はドレスだけが浮いていて似合わなかったが、今、大きな鏡に映った自分は比喩ではなく、完全なるお姫様だった。

 ハンナの化粧の腕前は相当なものなのだろう。不意に彼女の役割を考えるが、どう頑張っても登場人物に当てはまらない。だが、よく考えると御伽噺にも名もない端役がたくさん登場するのだ。お姫様がいれば、王様がいる。そして彼らの臣下がいるのは当たり前だ。

 そもそも人が一人生きていくには、生まれるだけでも最低二人の人間が必要だ。そしてそのすべての人物の名が物語に紡がれるわけではない。

 ユウキにも父がいる。だが、彼はユウキの人生から早々に退場してしまったため、今後何かない限りは、彼の名がユウキの物語に登場することはないだろう。

 人魚姫にも両親がいて姉がいた。姉の中には、役割を与えられない端役もいた。だが、そういった人間にもそれぞれの人生がある。どこに光を当てるかだけ。語られないだけで、あるのだ。

 ハンナを見ているとそんな考えが、ぽつり、ぽつり浮かんでくる。


「似合うじゃないか、笑いなよ」


 ハンナは精一杯の笑顔で励ますが、やがていつまでも笑わないユウキにため息を吐いて片付けを始めた。


(ごめんね。ハンナは悪くないんだけどね)


 寂しげな姿を見ていると、ユウキは申し訳ない気持ちになる。

 が、この先の展開を知っていたため、どうしても笑う気にならないのだった。

 王子様とお姫様――クリスとオフィーリアはこれから結婚する。童話の挿絵では、船の上で結婚パーティーが開かれていたのだ。

 新調されたドレスがずらりと並ぶが、印象的な一着のドレスだけが見つからない。――例の、ウエディングドレスが。

 出来上がっていないのかもしれないけれど、少なくとも普段着として着るものではないことくらいはわかる。

 つまり、それは出番を待って、どこかに保管されているのだろうと思えた。


(もう、猶予はあまりないのかもしれない……けど、決められないよ)


 ユウキは未だに迷っていた。

 このまま流されるべきなのか。それとも、この世界ではとも言える物語の流れに抗うべきなのか。


(もし、流されてしまえば?)


 何度も繰り返し考えた。

 ユウキはクリスと再び結婚することができる。だが、その場合、ユウキはエミーリエの死と、現実世界の母と弟を捨てた咎を一生背負い続けて生きていくのだろう。それはきっとハッピーエンドとは程遠い。


 ユウキはギュッと目をつぶる。


(まただ)


 考えている最中に、突如甘美な誘惑が突き上げてくることが増えてしまった。

 刹那的な恋はきっと罪悪感が大きければ大きいほど、燃え上がるのだろう。捨てたものの重みを補うかのように恋にのめり込み、破滅にまっしぐらに向かう自分が見えて、その愚かさがおぞましく、吐き気がした。


(だめだ。それは、人として何かを捨ててしまうような気がする……!)


 ユウキは頭を振って誘惑を振り切る。


(じゃあ、もし、人魚姫の恋を応援したとしたら?)


 とたんに胸が悲鳴を上げ、思考が停止する。具体的な方法を考えなければならないのに、全身が全力で拒絶する。

 ユウキは息も絶え絶えになりながら、思考の切れ端をつなぎ合わせる。


(……クリスとエミーリエが結婚したら?)


 無理矢理に話を継ぎ合わせて、だが。その場合、ユウキの恋は死ぬ。だが、ユウキはその結末を手に現実世界へ帰る事ができる。エミーリエもそしてユウキも。――誰も死なずに済む。

 ユウキの恋一つ捨てるだけで、丸く収まる。が訪れる。ハッピーエンドの定義は、置いておいたとしても。

 ならば選ぶ道は一つのような気がした。


(でも――)


 たかが恋一つと言ってみても、どうしても割り切れない。ささやかだったはじめての恋は、一度エミーリエへの嫉妬という熱を得て、膨れ上がってしまっているように思えた。


「久々に、散歩にでも行こうかね」


 ハンナの声でユウキははっと我に返る。

 手にしびれを感じて、視線を下ろすとユウキはいつの間にか爪が食い込むほどに拳を握りしめていた。

 鏡越しにケーキのように大げさに飾り付けられた自分と、こわばったハンナの顔を見て、ユウキは急に理解した。


 ――ああ、その時が来たのだと。

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