13 そして、〝姫〟は死んだ
結局クリスはルーカスの説得を頑として受け入れず、三人は森の小屋にとどまることになった。
次の襲撃がある事を知っていたせいで、日に日にユウキの神経はすり減っていく。
なにしろ鏡がどこにいるかわからないのだ。いつクリスが生きていると、王妃に知らせる者が現われてもおかしくない。
だが、いくら探しても、森には三人以外の人の気配は感じ取れない。
となると疑いはどうしても芽吹いてしまう。ユウキは、鏡ではない。となると、その役割をこなせるのは一人しかいないのだ。ユウキは再びルーカスの動向に目を光らせていた。
「ついてこないでください。二人で同じことをやっても無駄です。あなたの背じゃ、あれには届かないでしょう」
頭一つ以上の高さから、ルーカスの凍るような冷たい視線と声が落ちてきて、ユウキを突き刺した。
少し離れたところではクリスが魚を獲っている。彼の安全を定期確認したあと、ユウキは彼の手で摘まれた忌まわしい赤い実――りんごを睨んだ。小屋から少し離れたところでその果樹を見つけた時は、食べられると知っていても、摘むのをためらったものだ。だけど、食べ物の乏しい冬に向かおうとしている今、背に腹は代えられない。毒さえ入れなければ大丈夫と言い聞かせては実を摘んでいた。
だが、狩りをして鹿や野うさぎを仕留める役目を担っていたはずのルーカスが、ユウキの仕事を奪ったのだ。その上に、なぜかクレームをつけられた。
「二人でやっても無駄っていうのは、こっちの台詞なの。届かないのは、あなたが低いところのを先に採るからだよね?」
役立たずのお荷物扱いは甘んじる。だけど、仕事を奪っておいて何を言うのだとも思うのだ。
そんな不満を込めて睨むユウキの訴えを、ルーカスは完全に無視して、飄々と高いところの実を摘む。そして投げ下ろしながら言った。
「わたしはですね。あなたがここにいる意味は無いと、教えて差し上げているんですよ」
図星を指されて、ユウキはぐっと詰まる。
反論したいけれど、出来なかったのだ。ルーカスは一人で二人分の仕事を軽々とこなしてしまう。今のりんご摘みだって、彼本来の分担――狩猟を終えてからのもの。彼は既にうさぎを二匹捕まえてきている。
だが、続けてルーカスが吐いた言葉は聞き捨てならない。
「大体、ここまで殿下と陛下がこじれたのはあなたのせいです」
「はぁ? 何言ってるの?」
いわれのない非難まで被る気はない。ユウキは目を吊り上げた。
「殿下がさっさとお戻りになれば、ここまでひどい事にはならなかったのです。なのに、あなたがここに殿下の居場所を作ってしまった。前の二回は連れ戻すまでもなくすぐに戻ってこられたのに、今回はずいぶん長くここにいらっしゃる。殿下はまだこどもです。一人なら精神的に参られるのも、もっと早かったはずなのですよ」
「親子げんかがこじれた原因が、わたしにあるというの?」
意味がわからず、ユウキは眉を寄せる。
「あなた以外に何があるというんです? あの方が守るものはこのパンタシア王国でなければならないというのに、殿下は常に他のものに必死になられている。それがそもそもの元凶ではないですか」
「他のもの?」
問いかけても、ルーカスは苛立たしげにため息を吐くだけだ。
「でも、クリスは将来、王になって、国を守るために今ここにいるんだよね? 命あっての物種とか逃げるが勝ちって言うでしょ」
ユウキが反論すると、ルーカスは大きくため息を吐いた。
「逃げて手に入れる勝利は、本物の勝利でしょうか?」
穏やかな口調だが、厳しい言葉だった。まるで自分への言葉のように思えて、ユウキは黙りこむ。王妃からの襲撃を防ぎ、危機をやり過ごす。いつか敵が諦めるのを待つ。いわば籠城だ。そんなユウキのやり方が、なんの解決にもならない――そう言われているような気がしたのだ。
「まったく、困った人たちだ」
ぶつぶつ呟いたあと、ルーカスは悔しそうにりんごを摘むと次々にユウキに投げつける。
黙って受け止めていたユウキだったが、突如りんごの雨が止んだ。
「なに?」
ユウキが見上げたときには、ルーカスは血相を変えて駆け出していた。
「殿下!?」
切羽詰まったその声に、ユウキははっとする。
そうだ。こんな風にルーカスと言い争っている場合ではない。定期観測を忘れていたユウキは、頬を殴られたような気になっていた。
「クリス!」
川のほうを振り返ると、先程まで魚を獲っていたクリスの姿が見えなくなっていた。すぐ見えるところにいるからと、安心していた。迂闊だった。
「どこ!?」
小屋にも姿は見えない。ユウキは震え上がる。
「殿下!」
森の中をルーカスの叫び声が反響する。追いかけるユウキは蒼白になる。
声は小屋の裏から聞こえたように思えた。
慌てて回りこむと、そこでは先日の女性――王妃が、地面にうずくまるクリスの灰色の髪を掴んでいた。木漏れ日に彼女の手元が鋭く光る。眩しさに目を細めたユウキの前で、王妃は突如、クリスに向かってナイフを振り下ろした。
「いやああああああ――――!」
クリスが地面に崩れ落ちる。ユウキは悲鳴を上げながら立ち尽くした。
「とどめよ!」
王妃はさらにナイフを振りかざし、クリスの髪をたぐり寄せる。それを見たユウキは弾けるようにして、王妃を突き飛ばした。勢いのままクリスの上に覆いかぶさり、ルーカスに命じた。
「ルーカス! ルーカス! 早く来て! 何やってるの、その人を取り押さえて!」
「しがない親衛隊員に、王妃陛下を取り押さえろとか――ずいぶん無茶言いますねえ」
ユウキの声を頼りにようやく姿を現したルーカスは、文句を言いながらも、王妃とクリスの間に立ちふさがる。そうして、長い長いため息を吐いたあと、
「アンドレア陛下。あなたは、何が何でも殿下を殺したかったのですね」
と呆れたような声を出す。
(ちょっと待って、そこ呆れるところじゃないでしょ!)
とても主人を害されているとは思えない。あまりの覇気のなさに、それでも親衛隊なの! と心のなかで罵倒しながら、ユウキはこの隙にと、クリスの脇の下に手を入れると、引きずるようにして王妃との距離をとった。
「だってどう考えても、クリスティン王女は、わたくしにとってもだけれど、この国にとっても邪魔なんだもの」
さながらサスペンスドラマなどで見る、追い詰められた犯人の独白のよう。王妃はあっさり認める。ルーカスの思惑なのか、時間稼ぎが成功しているのを見て取ると、ユウキは必死でクリスの身体を
「怪我は!? ――どこ、どこを刺されたの!??」
致命傷になりうる場所を探る。ナイフがきらめいた首のあたりには傷はない。おや? と思いつつ、手を下へ伸ばす。胸、腹に触れる。だがいくら弄ってみても傷は――ない。
不可解で、彼の胸に手を当てると、その下の心臓はとくん、とくんと規則正しい音を立てている。それは力強い、命の音だった。
「……え?」
呆然とするユウキの手の下で、クリスが堪えきれないと言った様子で笑い出す。
「く、くすぐってええ、ってちょ、おまえどこ触ってるんだよ!」
ハッとして手を見ると、それはクリスの胸の上にある。ものすごくしっかりと触っている。
「わああああ!!」
バンザイをして手を離したのに、硬い筋肉の記憶はぶわりと全身に伝わった。真っ赤になって飛ぶように離れる。恥ずかしくて仕方がないものの……この状況を説明して欲しくて、ユウキはクリスをまじまじと見つめた。
「だ、大丈夫なの?」
「ん……まあ、俺の命には別状はないと思う」
いたずらっぽい笑みに、何か含みを感じる。クリスが妙に少年っぽく見え、あれ? とユウキは目を瞬かせた。
そして、もう一度彼の姿を見て、別の意味で全く大丈夫じゃないことに気がついた。
「クリス、…………か、髪!」
裏返った声が出た。クリスの髪が項の辺りで、見るも無残に切り落とされていたのだ。
髪の在り処を求めて、呆然と目線を移すと、王妃が勝ち誇った顔でそれをぶら下げていた。彼女は腰に左手を当て、長い髪を掴んだままの右手を優勝トロフィーのように空に掲げ、仁王立ちで言い放った。
「これで、姫は死んだわ――! これで、この国で一番美しい女性はわたくしになる。ルドルフの一番愛する女性も、これでわたくしになるのよ!」
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