8 微妙な違和感

 クリスは男物の服に着替えてすっきりした顔をしている。重いドレスを脱ぐタイミングをずっと計っていたのだろうけれど、ユウキがしっかり信じ込んでいたため、言い出せなかったようだ。

 彼は先程の少し大きめの川で魚を捕っている。最初は手づかみでやっていたけれど、二匹捕まえたところで足が痛んだらしく、途中棄権リタイアした。だが、そのまま休むこと無く〝ウケ〟という道具を作り始めた。〝ウケ〟とはしなやかな枝を組んだ編みのようなものだ。中に魚を誘い込んで逃げられないようにする、入れるけれど出られないという罠だった。


 一方ユウキは、突如始まったサバイバル生活に面食らいながらも、焚き木となる枯れ枝とクリを拾い、山ぶどうを摘んでいる。クリのがすごいので怪我をいしないように神経を使うが、中身を思うと我慢ができた。

 焚き木と食料がある程度集まると、ユウキは小屋の掃除と料理を任された。中学に入ってから母の仕事が増え、必要に迫られて家事をしていたため、料理はある程度できた――つもりだった。けれど、オール電化の家で育ってしまったユウキにはまず火の起こし方がわからない。マッチも使ったことがない。そんなユウキに、クリスは呆れを隠さなかった。


「火も着けられないって……どういう生活してきたわけ?」


 珍獣を見たという表情だ。


「それはこっちの台詞! 王子様だってそんなことする必要ないよね? できるわけ?」


 赤くなりながらも悪態をつく。するとクリスは、かまどの中に、拾ってきた枯れ枝を器用に組んで、その間に焚き付け用の枯れ葉を詰め込んだ。持ち込んだマッチで火をつけると、焚き付けに火を移す。枯れ葉がぱちぱちと高い音を立てだすと、その上にある小枝が赤く踊り始める。小さな火があちらこちらで起こり始めたかと思うと、太い枯れ枝が煙を上げ始め――とうとう、ごう、と音を立てて大きく炎がふくらんだ。


「ほらね?」


 額の汗をぬぐうクリスはドヤ顔だ。

 さらにクリスは、クリを踏み、いがから中身を取り出した。弾けると危ないからと、器用に切れ目を入れてつぎつぎに火に投げ込む。

 鮮やかな手つきに、ぐうの音も出なくなったユウキは、挽回を目指すことにする。自分にできること――と考えて川魚をナイフでさばき、三枚におろし、塩を振る。木の枝を削って作った串に刺すと、直火で炙った。クリと魚、二つの香ばしい匂いが小屋に立ち込めると飢餓感が高まり喉と腹が鳴った。それはクリスも同じだったらしく、二人は出来上がりと同時に冷めるのも待てずにかぶりつき、夢中で食べた。

 クリはいわゆる和ぐりではなく、西洋ぐりらしい。粘り気がなく粉っぽい。だけど、やはりしっかりと甘く、ほぼ一日何も食べていない身体には、何よりのごちそうだった。

 そして焼き魚の香ばしさは食欲をこれ以上ないくらいに刺激した。口の中でほろほろと崩れていく白身は、川魚特有の淡白さがあった。けれど、泥臭さはさほどなく、ほのかに滲みでた油はひたすらに甘かった。


 焼き魚と焼き栗、二つのごちそうでお腹を満たせば、疲れた体が心地よいだるさを訴えた。日中すべて肉体労働など、生まれて初めてだった。充実した一日を過ごしたユウキだが、日が暮れる頃になってふと微妙な違和感を感じた。


 昨日の夜と同じ小屋。片付けて埃を払ったせいで、綺麗にはなっている。けれど、食べ物以外が増えていることはない――と思った。だけど違和感はどんどん増していき、なにか落ち着かない。


(火がついてるからかな? 昨日は真っ暗だったし)


 そんなユウキの隣で、クリスがうなじで縛っていた女子顔負けの長い髪を解いた。

 シルエットの変わった彼の肩の向こうで、暖炉の火がチロチロと燃えている。火種を残しておくことで火おこしの手間を省くらしい。灰をかけて燃え過ぎないようにするのがコツだという。昔の人の知恵ってすごい――そんなことを考えるけれど、こちらではおそらく当たり前のことなのだろう。


「今日は食料ある程度備蓄できたから、明日からは散策範囲を広げて小人も探そう。じゃあ、おやすみ」

「うん……お疲れさま」


 長い髪がするすると彼の肩を滑っていく。温かい橙色を背景にしても相変わらず唇にしか色はついていない。思わず見とれていると、クリスは苦笑したが、すぐに毛布の中に消えた。

 なんだろうと思いながら、昨日と同じく埃っぽい毛布をかぶって床に横になったとき――突如その考えが落ちてきた。


(よ、よく考えたら、とふたりきり!?)


 思わずガバッと起き上がるとクリスも釣られたのか起き上がる。


「なに? どうかした?」


 クリスは目を見開いてキョロキョロと小屋の中を見回した。


「い、や、そうじゃなくって、えっと」

「じゃあなんだ? はっきり言えよ」


 あまりにも曇りの無い瞳に見つめ返されて、ユウキは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。


(部屋を半分に分けたい――でも、昨日もなんにもなかったし、年下だし、そういうこと全く意識してなさそうだし――ここは下手に刺激しないほうがいい!?)


 そんなことを考えつつも弟がそういったことに興味を持ちだしたのは小学校の高学年からだ。ませてるなあと苦々しく思っていたけれど、クリスはどうだろうか。


「いや、なんでも……ない」


 言葉を必死で飲み込むと、何か固いものを誤飲したかのように喉が痛んだ。胸の音が小屋中に響いている気がして落ち着かない。顔の赤さが、濃くなった闇に隠されていて欲しいと願った。胃のあたりが重い。毛布をかぶってやり過ごすことにする。

 だが、毛布という鎧を貫通して、低く――どこか甘い声が届いた。


「あ、もしかして意識した?」


 図星をはっきり突かれて、ユウキは叫んだ。


「うあああ、やめて! せっかく言わずに飲み込んだのに!」


 ユウキは真っ赤になってさらに亀になる。更に言葉は降り注ぐ。


「大丈夫だって俺、不自由してないし。なんたって王子様だから」


 ユウキはぎょっと目を剥く。それはタクヤよりもよっぽどだめだ!


「ちょっと、その歳でそれ、すさまじく不潔!」


 というか女装したまま、どうやってそういうことに及ぶわけ!? いろいろいかがわしい妄想がユウキの頭を覆い始める。余裕のないユウキの言葉にクリスはカラカラと笑う。


「なんだ、あんなにお姉さんぶってるくせに、恋人の一人もいないわけ」


 愉快そうなのが不愉快だ。


「いるし! た、タクヤが戻ったらきっと待ってるし!」


 とユウキは居もしないのに強がって、とっさに浮かんだ弟の名前を出す。クリスが年下だけど随分しっかりものだというのはこの一日で思い知った。優位に立てる僅かな材料をみすみす捨てるのは嫌だったのだ。


「ふうん、タクヤ、ねえ」


 クリスは笑いを収めると、それっきり黙って横になった。彼の寝息が聞こえてくるまで、ユウキは身を固めて待ったのだが、おそらくは五分ほどの時間が永遠に思えるほどに長かった。

 ホッとしたユウキはウトウトと夢の入り口に立った。



「ったく――意識させんなよ。慣れてるわけなんか、ないだろーが」


 どこかでそんな声が聞こえたような気がしたけれど、それが夢か現か判断する前に、ユウキは夢の中へと落ちていた。



 *



 翌日も前日と同じように時間が流れていった。することはいくらでもあって、忙しいけれど充実している。クリスが命を狙われていることを忘れてしまうくらいに平和だった。

 都会生活に慣れすぎたユウキには当然不便ばかりの生活だけれど、トイレはまあ、古いけれど一応囲いのある穴があったので、今はあまり見かけなくなった汲み取り式と思えばなんとか耐えられた。だけど――さすがに風呂がないのには参っていた。

 クリスはどうか知らないけれど、日本人であるユウキは毎日の入浴が習慣づいている。着替えももちろんないため、不快さにストレスが積み重なってきていた。


(でも水浴びはさすがに無理だし)


 昨日しかけたウケにはうなぎのような川魚がかかっていて、クリスは「よっしゃー!」と年相応な雄叫びを上げている。そういうところは弟に似ていて苦笑いが出た。

 彼は今朝も川で身を清めていたため、こざっぱりしている。長い髪も丁寧にすすいだのだろう。埃でどろどろになることもなく、美しさを保っていた。ユウキはそれが羨ましくも妬ましくもあった。

 これが女同士であれば、ユウキも彼と同じように水で体を清めることを考えたと思う。だが、彼の性別を知ってしまったあとでは、とても無理だと思った。

 胸の中に抱えたおりをどう処理しようと考えていると、午後になってクリスがユウキに声をかけた。彼は小屋の裏に向かう。そこには枝と葉と草で囲った小さな庵がある。いつの間に? と目で問うと、昨日から作っていた。とのこと。


「これなーんだ?」


 ニッと猫の目を細めて笑った彼は、


「風呂がないと不便だろ」


 とユウキを中に押しこんだ。


「待って――いいんだってば、必要ない」


 ここで裸になるのはとても心細いし、正直にいうと、彼を異性だと意識したせいで危険過ぎてできないと思う。


「はいはい、大丈夫、覗かないから」


 見ると、どこから見つけてきたのか、古いタライがあった。しかも中に張ってあるのはお湯だ。


「いつの間にこんなたくさん沸かしたの? 鍋はあるけど、こんなには無理だよね?」


 驚いて問うと、彼は誇らしげに言う。


「昼間、太陽の光で温めたんだ。それに熱湯を足しただけ。水よりは多少はましだろ。完全に冷める前に使えよ? 風邪引かれたら困るし」


 そう言いながら彼は布を差し出した。清潔そうな白い布だ。なめらかで柔らかい手触りは、小屋にあったものとは思えなかった。


「え、これどこで手に入れたの?」

「あのドレスを解体しただけ」


 なんなく言うクリスに、ユウキは二重のショックで目を剥いた。


「ちょっと待って、あれいくらすると思うの!? もったいない――」


 ちょっと考えられない。考えたくもない。だがクリスは不思議そうに目を瞬かせたせる。


「こうしたほうが絶対役に立つだろ。っていうか最初からこうするつもりで、わざわざ綿の服を着てきたんだから。昨日洗って乾かしてるから、ちゃんと使える」


 絹は綺麗だけど実用的じゃないんだよな――とぼやくクリスは「湯が冷めるから早く入れ」と言い置くと踵を返す。


「え、でもわたしが使っちゃったらクリスのお湯は?」

「俺は水で充分」


 それだけ言うと、彼は清爽な笑顔を残して小屋に戻ってしまう。


「…………どんだけ規格外な王子様なわけ」


 女装はするし、それで普通の女の子より数倍可愛いし、その割に中身が妙に男前……。

 ブツブツつぶやいていたユウキは、少し息苦しさを感じて、胸を押さえた


(え、なにこれ)


 ユウキは焦った。この気持ちはなんだろうと考えて、すぐに答えが思い当たってしまったのだ。


(って――住む世界が違いすぎるでしょうが)

(それに、白雪姫にをするのは王子様だ。わたしじゃないよ)


 クリスに恋をすること――それはきっとだろうと直感が訴える。

 登場人物を思い出すと、ユウキはすぐに心に蓋をして、膨らみそうになる気持ちに鍵をかけるのだった。

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