セールの落とし穴 ーセールは『情報』とワンセットでー
それから一ヶ月ぐらい三木は来なかった。
メールは来ていたが、『焼き立て』のA看板をちゃんと書いているかということと、慣れてきた頃から空いたスペースに、身近なことで楽しいとかうれしい感じたこと『今日はパンが上手に出来た』とか『商店街の後輩に赤ん坊が生まれてうれしい』などを書いてくれという指示が来たので、その通りにやっていた。
思いの外難しかったが、三木からは『自分を飾らず正直に』『楽しいとかうれしいと思ったことのみ。グチは書かない』『政治と宗教のことは書かない』などの指示も出ていて、結局、パンと商店街の事、好きな音楽の事が多くなった。
その間に小さな変化があった。
たった一人、一人だけど、今までのお客様ではない、OLと思われる女の子がお店に入ってきた。
『一人に寄って貰うことを大事にする』三木の言葉が蘇る。精一杯心を込めた接客をした。
偶然かもしれない。けれど自分のやってきたことが効果があったと証明されたような気がしてうれしかった。
――――ちょっと、他の所に行っていたので中々来られずにすみません。
そこからさらに一週間ぐらいたった頃、三木がやってきた。
「この間な、OLらしき女の子が店に入ってきたんだよ。あの子は間違い無く初めての子!しかも、その後ちょくちょく来てくれるようになったんだよ」
興奮気味に気味にそう伝えると、
「そうですか、良かったです。この間もお話ししましたが、『一人に寄って貰う事』これは大事です。」
「一人に寄って貰うか、、、」噛みしめるように繰り返した。
「その件なんだけどな、いいアイディアを思いついたんだけど、思い切ってセールでもやるか!パーッと2割引きとかにして!そうすれば一杯人が来るだろ!どうよ!」
と興奮気味にいうと、間髪入れずに三木はわずかばかり語気を強めて言った。
「セールは今の段階では最もやってはいけないことです。」
我ながらいい事を言ったと思ったので、なぜ?という顔をしていると、
その表情に気づいたのか三木はやさしい口調で話し始めた。
「セールは減る利益を人数で埋める形のビジネスなのです。値下げをする場合は、『情報』を伝える事とセットで行わないと意味が無いんです。
かつては『お得情報』は通常の『情報』より伝達力が高かったので、特に『情報』を届ける努力をしなくてもそれなりに効果があったんですよ。
物が無い頃の話ですね。日本人特有の気質ですが、『自分だけが、いい思いをするわけにはいかない。お隣の奥さんにも教えてあげないと、、、』みたいな感じですね。
ところが、今はどこでもセールをやっていますし、物が溢れている時代なので、お隣の奥さんに教えても喜ばれるかどうか、、、そう思うと伝えませんよね。
結局、伝達力が弱くなっています。その結果、どうなるかと言うと、普段買っている人が安く買っていくだけになります。
仮にお得意さんが100人いるとして定価の場合は100円の利益がでるとします。。
100人×100円で定価の場合の利益は10,000円です。
ではセール時の利益を80円にしましょうか、『情報』を伝えることをしなければ、顧客の数は変わらないので100人、
100人が80円で買っていき利益が8,000円と単純に利益を落として辛くなるだけなのです。
この例の場合でも顧客を124人にしないと同じ利益をとることができなません。
24%も顧客を増やすって凄いことですよ。中々出来ません。
だから、セールは『情報伝達力』が無い人間がやっても、ただ、自分の首を絞めるだけなんですよ。」
「つまり、今のうちは『情報伝達力』が無いって事ね、、、」
「ありていにいうとそういう事です」
「言いにくいことをはっきりいうねえ、、」、思わず苦笑いをした。
「あと、大手とは値段合戦をしてはだめです。一日で10,000個作れるところは1個1円の利益でも10,000円だけれども、100個しか作れないところは、100円の利益にしかならないって話しです。
これが何年も続く場合、どちらが勝つかは小学生でも解りますよね。
『値段』による『差別化』は『一番簡単だけど、一番やってはいけない事』です。」
三木はメモ帳を取り出し、以前描いたおまんじゅうのイラストを描いた。
「以前、一郎さんもこのおまんじゅうの例で『高い方を買う』って言ったじゃないですか?見栄張ったんですか?」
と、いたずらっぽい笑顔で目をのぞき込んできたかと思うと、すぐに表情を変えて、弓形の目で笑顔をつくり、
「人は常に安い物を求めているわけではないんですよ。」
と言った。
「『安いか高いかしか情報が無いから』、【値段が判断の基準】になってしまっているんです。だから、お客様の【判断の基準】を変えればいいんですよ。
お客様の【判断の基準】を変えるためには、どうすればいいのかというと、まんじゅうの例でも出したとおり『情報』です。『情報』が届きさえすれば、変わる物は沢山あります。」
三木は店の外にある『パンが焼けました』のA看板を指さして、
「あんな看板と思われるかもしれませんが、何も考えていないわけじゃあないんですよ。
このお店と同じ物『パン』を販売している場所。それがどこかというと、コンビニとスーパーが一番にあげられますよね。
その二つが絶対に出来ないことを考えました。お客様の【判断の基準】を変える』つまり『差別化』できる場所です。
スーパーやコンビニはその性質上、『出来たて・焼き立て販売』をすることは難しいのではないでしょうか?
だから『出来たて』とは謳えないいます。『出来たて急送』とか『工場直送便』とかいう表現で、『出来たてっぽい雰囲気』でお客様にアピールしてますが、必ず工場から運ばれるタイムラグがあるし、近い所ならまだしも、遠い所も同じ商品を運ばなければならないスーパーや、コンビニは決して『出来たて・焼き立て』の表現は使えないと思います。
またお客様の側も、そこら辺りは差し引いて見ていると思います。つまり『妥協』して購入している可能性があるわけです。
その点、街のパン屋はここもそうですが、工場は裏にあるじゃないですか、ここで『出来たて・焼き立て』って書かれたら信憑度が違います。
お仕事の段取りとかもあるでしょうが、うまく調整できるようなら、朝の通勤時間やお昼時とかに『焼き立て』のパンが並ぶようにすれば、、、そしてそれをちゃんと『伝えれば』、『パンはあの店で買おう』と、普段はコンビニでついでに買ってしまうお昼休みのOLさん達が寄ってくれるかもしれません。
実際、ちょっと古いデーターですが、セブンイレブンのデーターではお昼に食べるパンやサラダを午前中の出勤時に買うっていうデーターもあるんですよ。」
「ふ~ん、この間もセブンイレブンが例にでてきたけど、セブンイレブンの仕事もしてるの?」
「いや、社長の著書に書いてありました。」
「なるほど」思わず笑った。正直だなあ、、
「まだまだ売上げアップを実感することは少ないと思いますが、これはほんの序の口です。十人に一人でも、一週間に一度でも、普段コンビニやスーパーで買い物をする人が、こっちにきてくれれば儲けもの『千里の道も一歩から』ですよ」
三木は人なつこい笑顔で言った。
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