第49話・宿敵の存在
宿敵・ツカチンは、もともと持っていた技術が入校以来の訓練で爛熟期をむかえたかのようだった。さまざまな技術をマスターし、どんな壁も楽々と突き抜け、新しい形を次々と自分のものにしていく。ヤツは、デキるくせに謙虚で、うまいくせに一生懸命なのだ。宿敵としてはひどくやっかいな存在だ。
訓練も最終盤にはいると、ヤツは熟しきってしまった。いつしか、あらゆる挑戦をクリアしちゃいましたけどぼく、的な風情がはたから見てとれるようになった。すると、それはそれで問題が生じる。つまり、高いハードルをクリアすればするだけ、達成感が希薄になっていくのだ。一切のチャレンジから新鮮味が奪われる。それは同情すべき事態だった。ヤツは飄々としつつ、悩んでいたにちがいない。
しかしそんな宿敵のアタマ打ちに、オレは内心ほくそ笑んだ。
ー立ち止まっているがいい。追いついてやる。オレにはまだまだ伸びしろがたっぷりとあるぜ、ふっふ・・・ー
だが「伸びしろ」とは、ヤツの座する高みとの遠くへだたった距離そのものでもある。その差は入学以来まったく詰まらない。それはきっと、おたがいが等速で成長し合っているということなのだ。ただ、ツカチンはひとと勝負をしない。常にひとりだ。「ツカチンがオレを高め、オレもまたヤツを高めた」と思いたかったが、そうではなかった。オレは全速力、全身全霊でヤツの影を追ったが、ヤツもまた全力で別の影を追い求めていた。その影とは、ヤツ自身の姿だった。ヤツはひたすら「理想の自分」を追い求めるのだ。なぜって、ヤツは自分のことが大好きなのだから。きもちわる~っ。
さて、となり町で「抹茶碗コンクール」が開かれるとの告知があり、クラス中こぞって作品を応募することになった。プロの陶芸作家も職人も参加する、窯業地あげての一大イベントだ。オレは、土のかたまりを指で引っかいて外観を造形し、内側をくり抜くという彫刻的技法で、志野茶碗をつくった。会心の手応えがあり、めずらしく先生やクラスメイトたちからも、その出来映えを絶賛された。
(初タイトルは手にしたも同然だな。ふっふ・・・)
オレは、最高賞の賞金・5000円の使い道をあれこれと考えたり、この輝かしい受賞を書き加えるために自分の履歴書に空欄をつくっておかねば、などと手落ちなく思い及ばせたりしていた。
見れば見るほど自分の応募作品がすばらしいので、オレは浮かれ気分で宿敵・ツカチンのアトリエへひやかしにいった。助言でもしてあげれば、ヤツもしっぽを振ってよろこぶはずだ。
はじめて訪ねるその薄暗いプレハブ小屋は、ほこりっぽい納屋のようだった。窓ぎわに京都式のろくろがあったが、それはずいぶんと使われていないようだ。棚に素っ気なく並べられたヤツの作品群を見ると、この場所は、わがアトリエのような修練場ではなく、実験室であると知れた。学校では決して披露しない、ツカチン独自の創作世界がそこにあったのだ。正確無比なフォルムをベースに、草花や鳥獣の細工をこまごまと配するのがヤツ流だ。毎夜毎夜、古デスクに背を丸め、鼻先の作品に外科手術のような技巧をほどこす作業にふけっているらしい。せっかちなオレにはとてもマネのできない仕事だ。
ツカチンはアトリエのすみっこで、一心に抹茶碗をいじくりまわしていた。手びねりで立ちあげたボディに、コテコテと細工をこらしている。フィギュアをつくりこむオタクの姿に似ている。
「くらいぜ~。なにチマチマと小細工してんだよ」
ところが近寄ってみて、度肝を抜かれた。やつの手のひらの中に宇宙があったのだ。茶碗を取り巻く生き生きとした世界観は、壮麗なものだった。風にたなびく雲が器の垂直面を構成し、そのリズムが破綻したところに暗雲が渦まく。そこから出現したまっ白な龍が、輝く体躯をうねらせる。まるで皇帝の抹茶碗だ。おどろおどろしく沈んだ地の黒と、清廉な白の練り込みのコントラスト。ヒゲの先やウロコにも動きと表情が与えられた白龍は、今にも踊り出てきそうだ。
それでもヤツは不安げだ。
「うーん・・・なぁ、コレ、どう思う?」
思い悩んだアンニュイな表情。こういう奥ゆかしげな仕草で、ヤツは女子からポイントをかせぐのだ。うざい。オレは考えたあげく、正直な感想を口にした。
「これじゃ、茶をすするとき、口が痛てーだろ。使い勝手を考えろ」
ヤツはくすくすと笑う。
「そうか、なるほど。それもそうだな」
そしてためらうことなく、口当たりの部分をちょこちょこと修正するのだった。なんと素直な態度であることか。
さて、コンクール。結局、最高賞をさらったのはツカチンの作品だった。オレの大傑作は、そのおかげでまさかの無冠。ありえない・・・許しがたい。
「おまえの受賞は、オレ様の助言のおかげなんだかんな!」
オレは強硬に主張し、5000円の半分をよこすよう要求した。しかしヤツは薄笑いでやり過ごすだけだった。セコいヤローだ。しかしヤツはこの賞で、まぎれもなくひとつの頂点を極めたのだった。
冬も深まる。グラウンドが雪に閉ざされる前に、最後の体育が行われた。体育授業の責任者(独裁者)であるオレは、「第1回まやまカチョー杯争奪キックベース選手権大会」と銘打ち、この時間を盛りあげることに余念がなかった。大会自体はすでに数回行われているのだが、毎回「○○杯」の部分だけをすげ替えて開催している。オレが書いた台本で、名前をかかげられた本人(えらいひと)におバカな開会宣言をさせるのが恒例となっていた。もちろんMVP杯も粘土で自作して持ちこみ、万全を期しての開幕だ。
「まやまカチョー」は、例の昼休みのキャッチボールにいつも参加してくれていたおもろいおっちゃんだ。ほがらかで、働き者で、気前がいい。よく自腹でスイカやアイス、ナシなどを差し入れてくれるので、みんなこのひとのことが大好きだった。オレも大好きだったが、カチョー杯を開催していいか?と伺いをたてにいくと、「よっしゃ」といって勝利チーム賞に缶ビール一箱をどかんとカンパしてくれたため、もっと好きになった。
この大会は熱かった。好天に恵まれたこともあって、みんな思う存分に汗をかいた。もう生涯で、芝生の上をこんなにも全力で駆け回ることはないかもしれない。そう思うと、ほんわかとした雰囲気の中にも真剣にプレーするクラスメイトたちの横顔に、かるく切ないものがよぎった。
ツカチンとオレは偶然同じチームに入った。この男はスポーツが万能で、なにをやらせても小憎らしいほど達者にこなす。だけどこのオレも、学生時代はラグビー部のフォワード、草野球チームではキャッチャーをまかされていたのだ。ヤツには負けない自信がある。今日という今日は女子の前で、どっちがかっこいいか白黒をつけねばなるまい。オレは意気込んで試合にのぞんだ。
キックベースは、ピッチャーがドッヂボールをホームベースに向かってころがし、バッターがそれを蹴り飛ばしてベースを回る、サッカーと野球がごっちゃになったような遊びだ。いうまでもなく、キック力が勝負を分ける。ラグビーでキックも経験していたオレは、初回からぽこぽことボールを左右に打ち分け、細かい安打を重ねることにした。というのも、相手チームには、昼休み野球部キャプテンで元高校球児でもある「αっち」がいて、外野から冷静な目で戦局をながめていたのだ。策略家のαっちは、周囲にいちいち守備位置を細かく指示する。だったらその裏をかいてやればいいのだ。敵も昼休み野球部の沽券にかけて本気を出してきている。それを逆手にとったオレの打ち分けは、見事な頭脳プレーだった。
オレが塁に出れば、ツカチンの出番だ。ところがこのバカは、素足にサンダル履きという普段通りの出で立ちでバッターボックスに入っていた。その足で蹴ろうというのだ。体育の授業をなめている。いや、これはキックベースへの冒涜ではないか。思わずベース上から、敵チームの声にあわせてヤツにブーイングを浴びせ、なじり倒してやった。
案の定、ヤツの蹴ったボールは、外野深くにポジションを移したαっちのところに飛び、やすやすとキャッチされた。ツカチンはとてつもないバカ力を持っているのだが、打つ方向が真っ正面では、まるで相手に捕ってくださいといわんばかりだ。きっと、体育の時間などどうでもいい、早く終わらせてタバコを吸おう、と考えているにちがいない。
ところがサードを守らせたツカチンは(もちろん監督であるオレ様がポジションを決めた)、ゴロを捕球すると、ものすごいスピードボールをファーストのオレに向けて投げよこしておびえさせた。
「ばっきゃろー、送球で全力を出してどうするんだ、殺す気か!」
「ごめんよ、勝ちたいもんでね」
「うそつけ。打席じゃ、打つ気なんてこれっぽっちもなかったじゃねーか!」
守備中ずっと悪態をつきつづけてやったのだが、ヤツは半笑いを口元に浮かべ、それはもう死ぬほどおそろしい球をこっちに投げてくる。いや、ぶつけてくる。オレは決死の思いで・・・ほとんど半泣きで、それを捕りつづけた。
三度めの打席あたりからオレのヒットがとまった。どういうわけか元球児・αっちが必ず打球の先にいて、簡単に手元におさめてしまうのだ。一方のツカチンも、相変わらず力まかせにαっちのド正面にボールを蹴りこむばかりで、なんの工夫もしようとしなかった。しかしよく観察すると、αっちの守備位置が、毎回じりじりとさがっていく気がする。ツカチンの打球の飛距離が伸びているのだ。頭が悪い分、怪力にまかせて飛ばすことだけを考えているらしかった。
ーまさか、αっちの頭を越そうなんて考えてるんじゃねえだろうな・・・ー
αっちは外野の相当深くを守っている。その頭上を抜くことなどありえない。ましてやツカチンはサンダル履きなのだ。やはりこの男は、ヒットを打って塁間を走り回るのがめんどくさいだけなのだ。見下げ果てたヤローだ。
ところが、点差が伯仲してむかえた最終回、ツカチンの打席でその事件は起きた。
「バカ塚本、αっちをさけろ。勝ちてーんだろうが。まじめにやれ!」
監督直々の命令に、ツカチンは口のへりを上げておだやかに笑っただけだった。αっちは外野真正面の最奥部に位置取っている。いま打席に立つ男が本物のバカなら、きっとあそこに打ちこむだろう。そしてその涼しげな瞳は、今やその場所しか見ていないとわかった。
この試合最後のボールが投げられ、大きなゴムまりはツカチンの足もとに転がっていった。ヤツはかるくステップを合わせて踏みこんだ。足の甲にボールの模様が焼きつけられるほどの勢いで蹴り上げる。
どかん。
青すぎる空に高々とサンダルが飛んだ。オレたちは呆気にとられた。ボールはまっすぐにまっすぐに伸びていった。そして外野を守るαっちのはるか後方ではずみ、悠々と草むらを転がっていく。
ふと見ると、ツカチンは駆け出していた。あんなにも本気で走る人類を見たのは、後にも先にもそれきりだ。その人類は片足ははだしで、もう片方にサンダルを突っかけていた。その滑稽な姿を見たとき、オレはうかつにも大声をあげていた。
「すげえ、すげえっ!」
グラウンドの全サイドから、ものすごい歓声があがっていた。それはただの遊びだったけど、実にバカバカしい一場面ではあったけど、心をふるわせるような光景だった。オレはどうしようもなく、胸が熱くなった。
つまり、ツカチンとはそういうやつだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます