第46話・高麗茶碗

 ここで茶陶というものについて説明をしておきたい。単純な認識を大ざっぱに語らせてもらうので、細かな見解の相違についてはほじくらないでほしい。そして、オレはお茶人ではなく、器を制作する側のニンゲンだということもあらかじめ理解しておいてほしい。そんな視点で語ってみる。

 お茶陶は大きく三種類に分けられる。「唐もの」「高麗もの」「和もの」である。唐ものは中国大陸でつくられたものを指し、遣唐使でおなじみの唐を意味するものではない。メイド・イン・チャイナと理解する。高麗ものも同様に、朝鮮半島でつくられたものを総じてこう呼ぶ。和ものはもちろんわが国でつくられたものだ。

 まず、みっつの中で最も歴史のある唐ものの特徴は、とにかく形がきっちりと正確なことだ。寸分のひずみも許さない執念じみた端正さ、技巧の粋ともいうべき細工、息を呑む完成度。唐ものは、わが国の陶芸にとってみれば古典であり、教科書ということになる。

 次いで高麗ものは、唐ものに比べてちょっとやんちゃになる。造作がテキトーで、チャッチャとつくられた作行きの乱暴さ、気ままさが、逆にお茶人には風情としてありがたがられる。いわばヘタウマの魅力だ。

 最後に和ものは、職人仕事でなく、れっきとした芸術品としてつくられているのが特徴だ。フリーで即興的だが、確固とした作意のもとにつくられている。それはお茶の席のための完全オーダーメイドだ。

 さてこのみっつの中で、どれが最も高座に位置するかといえば、なんとヘタウマの高麗ものである。なぜそんな粗っぽい陶芸が、他のふたつの考え抜かれ、つくりこまれた作風のものをしのいで最高位に君臨するのかというと、そこがお茶文化なのである。そうとしか言いようがない。奇妙な世界なのだ。高麗ものの価値を裏打ちする理由を強いて挙げれば、「そう生まれついたから」ということになる。王は、王たる星のもとに生まれ落ちたから王なのだ。経験よりも、資質を尊ぶのだ。他のふたりが王位にあこがれ、どれだけ努力し、着かざり、追いすがったところで、その品格のおよぶところではない。

 歴史をひもといてみると、昔々わが国でお茶をはじめたひとたちは、容姿のととのった唐ものを至上のものとしていた。洗練されたたたずまい、輝かんばかりの釉調。大陸を支配する唐人は、土くれから玉(ぎょく=翡翠)を生みだそうと苦心し、肉迫した。それがわが国に渡り、位の高い人々はこの美しすぎる器を好んで「使った」。しかし美人には飽きがくるもので、やがてお茶の文化が身分の低い階層にまで浸透しはじめると、貴族趣味な唐ものよりも、放埒な高麗ものがウケるようになる。朝鮮半島産の高麗ものは、もともと抹茶碗としてつくられたものではない。多くはメシ碗や汁碗、菜鉢のように使われていた大量生産品だ。高価な唐ものを手に入れられない市井のお茶人たちは「器なんてなんでもえーやん」的考えで、器量は悪いが気だてのいい高麗ものを「用い」だしたのだ。

 それには、当時発生したわびの思想が深くかかわっている。高麗ものは、唐もののように国家権力が大枚を積んで国内最高レベルの職人につくらせたものでも、和もののように思想家や芸術家が歴史を動かそうと創始したものでもない。高麗ものはいわば最下層の、百姓仕事の合間をみて片手間に器を挽くような素人陶工がつくったものだ。しかも手早くいいかげんに、ただし人々の使い勝手を考えて。そんな素朴さは、力強さ、また用の美と言いかえることもできる。それが当時の日本の質実剛健な侍文化とマッチしたのだった。

 高麗ものの中でも、さらにトップにランクされる抹茶碗といえば「井戸茶碗」で、そのまた最高峰が「喜左衛門」と銘をつけられた茶碗だ。いわばキング・オブ・キングの一品。ところがこの茶碗、なにも知らない人間にフリマに出されるとしたら、おそらく「できそこないの茶漬け碗・汚れ、ヒビ有りにつき250円(おまけします)」てなことになるだろう。たしかにこの富士山をさかさにしたようなボディにゴツい高台のついた丼型の碗は、その昔にはおかゆをじゃぶじゃぶとよそわれていたにちがいない。そんな無骨な風体で、しかもゆがみ、あちこちにヒビが走っている。釉薬をかけそこなったせいで、生地がむき出しになった部分まである。さらに、高台のケズリ目はガサガサとささくれ、そのためにそこだけ釉薬が吹き出物のように醜くあぶくになっている。大失敗のオンパレードといっていい。なのにこの喜左衛門こそが、国いっこ分にも匹敵する名碗だというのだ。普通の人間の感覚では理解できないことだろう。100均にいけば、これよりもきれいな器がゴロゴロと並んでいるはずだ(しかもすばらしい値段で)。

 しかしお茶人はこの器を「見いだし」、そして「用いた」。そこがすごいところなのだ。なるほど、ものの価値観をニュートラルにして清潔な目でながめれば、この茶碗には見どころが満載だ。器の世界には「景色」という便利な言葉があって、どんな欠点も鑑賞上の価値として昇華させてしまう特殊な文化がある。それこそが、お茶人が新しく開いた美意識なのだった。だがもちろん、景色と呼ばれるには景色たる資格が必要で、普遍的な美観が存在しなければならない。お茶はわびの文化とむすびついて、心の眼を開かせた。

 それ以前に人気を博した唐ものは、非の打ちどころがないほどに容姿が整っていた。しかしお茶人は、なにかが欠けたものに余白の美しさを見ることを知る。イマジネーションのピースでその世界を完成させるのだ。ミロのヴィーナスに両腕が残っていたら、あれほど官能的な美は持ちえなかっただろう。「完璧なものは無惨だ」とゲーテも書く。つまりお茶の世界は、芸事から一皮むけて、観念の世界に飛びこんだのだった。

 なんだかむずかしいことになってきたが、そんな目でもう一度、天下の井戸茶碗をながめてみる。

 「喜左衛門」は、ありきたりな大量生産品だ。何人かの職人が流れ作業でつくったものかもしれない。すべての手技が粗雑で、時間に追われているために仕事も手早い。しかし、そのスピードは緊張感を生んだ。ろくろ作業の段階では、指が天啓を受けたかのような軌道を瞬時たどって、形が立ち上がった。躊躇なし。一気呵成の作業が、深く粗いろくろ目をのこす。内側の器面はきれいなすり鉢状でなく、らせん形に挽き上がっている。そんな勢いが腰を張らせ、はちきれんばかりの力がみなぎる。口べりは波打ち、目線に変化が生まれる。一晩置いたのちの高台ケズリにもためらいがない。ざっくりとカンナを当て、内と外にわずか数周ずつ掘りをめぐらすだけだ。まだ土がゆるいうちにあわててこそげ落としたにちがいない。しかもカンナの刃はこぼれ、サビついてなまくらだったはずだ。おかげで土の切り口は荒れ、ささくれ立ってちりめんじわになる。最小の手数しか加えないため、高台内の円心に土が鋭くのこり、兜巾が立つ。高台外の、刃を入れたきわにはくっきりと竹節が形づくられ、フォルムを引き締める。そこに釉薬をかける。急ぎ仕事なのでかけそこないの火間ができる。がさがさにケバ立った高台の切りまわし部分にだけ釉が厚くのり、さらに火にあぶられて煮えたつと、爬虫類の皮のようなカイラギになる。窯詰めでもたまたま絶好のポジションを獲得し、雨が降ったか風が吹いたかどんなマキが使われたか知れないが、奇跡ともいいたくなる絶妙の炎で肌を焼かれる。目もくらむ深い琵琶色を身にまとい、ところどころ酸素がゆきとどかなかった部分には陰鬱に沈むブルーがかげさす。それらことごとくが見どころで、お茶人のいうところの「景色」となった。

 さまざまな偶然が重なった末の産物だ。しかし「運命がこの茶碗をつくった」ともいえる。無念無想の陶工によって無意識に生み落とされたからこそ、本物なのだ。

 だが、まだ奇跡は重なる。それと気づかれないままに大傑作は、さらにワラづとに包まれて1ダースなんぼのセール品として凡百の器に埋もれる。ささやかな金額の売買によって何者かの手に渡り、クッパがよそわれたかキムチが盛られたか、貧乏長屋の食卓で不遇な前半生を送ったかもしれない。なのにどんな偶然が働いたか、ようやく見るひとの目に救いだされる。茶道具として見立てられ、隣国に渡り、茶の席で劇的にデビューし、一大センセーションを巻き起こす。「喜左衛門」と銘を授かり、一国と等価値の抹茶碗はこうして誕生した。つくった人物は無名で、由緒など存在すらしない。箱書きなど書きようにない。ただ、本当に価値を知るひとに見いだされ、用いられた。高麗ものとはそういうものなのだ。

 唐ものと和ものはつくられたが、高麗ものは生まれた、といわれる。その意味で、高麗ものは生まれたときからリアルランカーなのであり、美を意図してつくられた他の二種類の茶陶とは別格なのだった。

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