第35話・平均的一日

 ろくろを購入して以降、オレの生活は「ろっくん」を中心にまわるようになった。学校でも怒濤のろくろ訓練が再開したため、まさにろくろ漬けの毎日だ。

 授業では昼休みをはさんで計七時間、右回転でろくろを挽く。自分でデザインしたメシ碗をそろいでつくる、というのが新たに出された課題だ。重要な学資調達の場である「訓練展」で五個セットにして販売する製品なので、形と大きさがピタリと等しくなくてはならない。とはいえ、微妙なばらつきはどうしても生じる。そのため、おびただしい数をまず挽いて、その中から似たものを五個組みにそろえる、という順序になる。

 形や装飾方法は各自にまかされた。つまり、つくりたいものを自由につくれる。これはいわば「製品」でなく「作品」づくりだ。表現を存分に注ぎこめるとあって、クラスはひさびさに沸きたった。全員一律につくった切っ立ち湯呑みのときとはちがい、創造性も求められるのだ。個性と職人技の二兎追いというわけだ。

 そこでオレは、「成形がいちばんむずかしい形」を「クラスでいちばん大きく」挽き、さらに「いちばんめんどくさい装飾方法」で仕上げる、という身のほど知らずなテーマを自分に課した。とにかく目立つことが大好き・・・なのではない。前にいるランナーをごぼう抜きにするためには、困難な道をゆくしかないのだ。平坦な道をみんなと同じストライドで走っていたら、先行者に追いつけっこないではないか。こうして、でっぷりと腰の張った小どんぶりと呼びたくなるような巨大メシ碗に、しち面倒な象嵌(赤土作品にみぞ掘りして白土を埋めこみ、さらに削り出して、画を浮き立たせる技法)で加飾するという方法を選んだ。

 集中しはじめると、七時間のろくろ訓練はまたたく間にすぎた。授業は午後4時半に終わるので、4時近くになると後かたづけと掃除がはじまる。オレはいつも「いちばん最後まで挽きつづける男」だった。とにかく授業終了ギリギリまでろくろを回しているため、早々とモップ掛けを終えた周りから邪魔がられて、ブーイングをあびた。それはあたりまえな仕打ちだろう。協調性のない人間は、周囲に余計な仕事を強いるのだから。だが、このときばかりはさすがに「いちばん」好きなこのオレも、「いちばんドベ」を目指してねばっているわけではない。もちろん掃除をサボりたいからでもない。気づくと、どういうわけか最後にひとりきり残ってしまっているのだ。ろくろに向かうとき、オレは現世から隔絶された世界に連れていかれてしまうのだ。「オレンジ色の光に包まれて、その後はもうなにがなんだか・・・」というあれに近い。気を失ったような状態だと理解して、許してほしい(・・・無理か)。逆に、なんの合図もないのに、みんながなぜそれほど敏感に終了時間を察知できるのかが不思議だった。

 授業が終わると、オレを含むチャリ隊はいつも、学校近くのたこ焼き屋「ちかちゃん」へと向かった。屋外のぼろパラソルの下で、100円のかき氷やたこ焼きをパクつくのだ。パラソルの脇には九官鳥がいて(もちろん相場通り「キューちゃん」という名前だ)、女子が近づくと「カワイイネエ」などという鳥ごころにもないおべんちゃらを高らかに叫んだ。店はぽんこつの掘建て小屋で、パラソルは古びて傾き、イスの生地は裂けていた。なのに、所せましと並べられたプランターの植物だけはきちんと手入れがゆきとどいていて、消耗しきったからだと心を癒してくれた。辺りを水田にかこまれたこの町で、「ちかちゃん」は数少ない憩いの場所なのだ。そしてここはオレにとって、一日でほとんど唯一気を抜くことができるオアシスだった。山の端に沈む夕陽と、稲田を渡る涼風、何人かのガールフレンド。悪くない。

 ところが悪辣なことに、こんな場所にも宿敵・ツカチンは、小ジャレた軽で乗りつけてきた。そして、

「杉山さんにだけいい思いはさせない」

などとほざきつつ、ガールフレンドたちの視線を根こそぎかっさらっていく。両手の花を奪われたオレは、殺意に身悶えした。

 さらにヤツは、キューちゃんのカゴに向かってタバコの煙を浴びせ、

「『げほげほ』と言え、言うのだ。さあ」

と、新しい芸を覚えさせようとする。なんとひどいやつだろう。まるで悪徳サーカス団の団長だ。かっこよくて人気があって力持ちでろくろがうまければ、なにをやっても許されると思っているのだ。そんなときオレは、いつか絶対にヤツを超えてやる、と心に誓わずにはいられなかった。

ー今のうちにわが世の春を楽しむがいい。きさまがうつつを抜かしてる間に、どーんと抜き去ってやるからな。オレには生涯「ろっくん」という、つえー味方がいるのだから・・・ー

 ところが、ヤツはこんなことを言いだした。

「実は、ある製陶所のオーナーと懇意になって、ろくろ付きのアトリエを貸してもらえることになったんだ。みんな、いつでも遊びにおいでよ」

 なんとオレがろくろを購入するのと時を同じくして、ヤツはそんな大金持ちの人物に取り入っていたのだ。女だ。女社長にきまっている。きっとその流し目で、相手をメロメロにしたのだ。しかも密かにろくろまで手に入れていたとは・・・。今以上にさらにうまくなろうというのか?なんとこすっからい男なのか。はるか前方を独走しながら、宿敵の影におびえ、さらに引き離そうというわけだ。それほど背後に迫るオレの絶大な才能を意識しているのだ。

ー面白い、きさまがそういうつもりなら・・・ー

 オレは一計を案じた。女子にとり囲まれてモテモテ状態のヤツを横目に、かき氷を静かにかきこむ。そしてスキを見てそっとさじを置き、足音を忍ばせてその場を抜け出した。そのままアパートまで猛ダッシュだ。一刻も早くろっくんの元に帰り着くのだ。練習、練習、練習あるのみだ。気配を消したまま忽然といなくなったオレに気づくまで、しばらくはかかるだろう。そのぶん、あのマヌケ野郎は時間をロスすることになる。

ーお先に失礼だ、ざまあみろー

 職人の世界は出し抜き合いだ。ヤツには気の毒だが、かしこい人間が勝利するのが世の常なのだ。

ーいつまでも浮かれてろ、バカめ・・・ー

 パラソルの下で熱烈的にモテているツカチンの姿を背後に見ると、その勝利に疑念がわかないでもないが、とにかくオレは、一日の中で最も重要な時間のために帰路を急ぐのだった。

 さて、束の間の休息は終了だ。部屋に帰り着くと、一畳の閉ざされた空間(アトリエ)に立てこもり、今度は学校とは逆回しでろくろの特訓をはじめる。挽きはじめは感覚が混乱してひどくやりづらい左回転だったが、「スイッチロクラー」という野望が意欲を支えた。毎日、がむしゃらに挽きまくっては、残骸を積み上げた。学校の右回転のときでもそうだったように、ひたすら作業を反復して、指の感覚を磨いていく。つくって、割いて、断面を確認し、捨てて、また挽く。やがて指先が左回転になじんでくると、太陽センセーに教わったぐい呑みを挽き、いい出来と思われるものだけを残した。そうして夜更けまで、果てしなく挽きつづけた。

 いつまでもいつまでもターンテーブルの回転に見入り、手を動かすうちに、ふと失敗作で築かれた土山の尋常でない量に気づく瞬間がある。するといつも時計の針は深夜0時をまわっていた。テレビもゲームもない「文明以前の」部屋では雑念が吹きとび、ひたすら没頭してしまうのだ。しかし入れこみすぎもよくない。これではまるで偏執狂だ。

 あわてて手を止め、後かたづけもそこそこに風呂に入る。コリかたまったからだのすみずみに血を巡らせなければ。同時に、湯船は重要な読書の場でもあった。陶芸書は、何日分もの湯気を吸ってぶ厚くふくらんでいる。ぬるめの湯に半身を沈め、むさぼり読んだ。しかしからだも脳も疲れ果てているので、小ムツカシイ知識はたいして頭に入ってはこない。そんな状態のまま湯につかっていると、やがて眠気が襲ってくる。朦朧として字を追いつつ、うつらうつらする時間はしあわせだった。

 湯上がり、遅い晩飯代わりにツマミをつつきつつビールを飲んで、布団にもぐりこむ。しかし泥のように眠ることはできない。ちょくちょく起き出しては、まくら元に置かれた作品の乾き具合を確かめ、乾きが早ければ発泡スチロールに移したり、ビニール袋をかぶせたりして管理した。こうしてレム睡眠から深くには沈降できないまま、東の空が白みはじめる朝6時ころに目を覚ます。

 起き抜けすぐに寝ぼけまなこをこすりながら、前夜の失敗作の山をつぶして、粘土としてもう一度ろくろで挽けるように再生しなければならない。もちろんすべて手作業の菊練りだ。布団をまくりあげたその下のコンパネ上で作業をするので、布団の裏地は土だらけだ。だからこの寝床は、しっとり、ざらざら、ベタベタ、かさかさ、カビカビ、いろんな寝心地が体験できる。土の上に寝ているようなものだ。この最高の布団は、数万年かかって風化した山肌の夢を見させてくれる。

 さて、練り直した粘土をきちんとビニールに包むと、次は汚水の処理だ。ろくろ作業で使ったバケツの水はドロドロににごっていて、水道に直接流すとパイプがつまってしまう。そこで上澄みだけをトイレに流し、沈殿した汚泥はベランダの大バケツに移しかえてためておく。そのまま陽射しに当てておけば、カラカラに乾燥するという寸法だ。

 こうした肉体労働で頭の中の薄雲を取っ払い、意識が冴えてきたところで、ようやく朝のメインイベントとなる。前夜の成功作品の高台ケズリだ。太陽センセーの教えを思い出し、器の底に刃をあてる。気合い充填、精神統一。高台を削り出して器のベースをつくり、最後に子供のチンチンのようなくちばしを付ける。太陽センセー直伝・片口型ぐい呑みの完成だ。前日夕方からのろくろ成形サイクルが、ここでやっと周回を終えるのだった。

 この時点が、オレにとっての日付変更線となる。「前日」の幕が降り、翌「本日」がここからはじまるわけだ。

 すがすがしい青空はすっかりひろがっている。急がなければ。昼飯用のおにぎりをつくらなければならないのだ。前述したようにおそろしく手間のかかるおにぎりなので、ほかほかの弁当箱をかかえて家を出るのはいつも遅刻ギリギリの時間だ。

 チャリにまたがり、寝不足の目をこすって走りだすと、丘の上から始業5分前のチャイムが響いてくる。かるく焦りつつ、ペダルをこぐ足に力をこめる。青々としげる稲田が吐き出すできたての酸素の中を疾過。心地いい。口ずさむのは「ツール・ド・フランス」のテーマだ。右から左からチャリ仲間が合流し、初夏の鮎の群れのように隊列をなしていく。そこでも絶対に負けたくないので、青筋を立ててペダルを踏む。連中とは常に勝負をしていなければならないのだ。そうするうちに全身の筋肉がめざめ、モチベーションがびんびんと回復をはじめる。

 学校手前の長い急坂を息を切らしてのぼりきった時点で、いつもテンションはピークに達した。訓練棟に飛びこんで、この日一日分の麦茶をつくる。ガールフレンドたちの顔色をチェックする。ツカチンにガンを飛ばす。作業場の冷蔵庫にキープした食パンとマーガリン、レタス、チーズ、魚肉ソーセージを取り出し、サンドイッチにする。そしてそれをほおばりながらラジオ体操の列に並ぶと、今日もやるぞ、という気合いがみなぎった。オレはこのころ、こんな一日をすごしていた。

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