第21話・キャンパスライフ

 窮屈な梅雨空がひらき、「夏近し」を思わせる強い陽光が射しはじめた。田園をゆくわがマドンナと用心棒の雨傘は、目にもあざやかなパラソルにとってかわった。その虹のように幻想的な風景は、毎朝ふらふらとチャリをこぐオレの寝不足アタマに潤いを与えてくれた。

 肉体的には疲れきっていたが、毎日がたのしくてしかたがなかった。投下した労力はウソをつかない。動けば動くだけ、考えれば考えるだけ、自分の中に育ちつつある果実がみずみずしく熟していく。ガキの頃に毎日感じていた成長の実感だ。

 作業場では他人の進み具合にまどわされず、手元の土の回転に意識を集中した。訓練に費やした時間は、すこしずつすこしずつ血肉になっていく。あわてない。暗闇の中を手探りで這いずりまわり、じょじょに足場を見つけては、ゆっくりゆっくりヨチヨチと進んだ。そうしてひとつひとつの小さなことを着実に取りこむことによって、足もとはほの明かりに照らされていく。ツカチンなどのトップランナーははるか前方をさらに加速しながら駈けていたが、追いつけないなどとはこれっぽっちも思わなかった。それを疑わせなかったのは、自分がだれよりも濃い密度で考え、高い意識で手を動かしているという確信があったからだ。もっとも、クラスのだれもがそのときそう考えていたかもしれない。だけどオレには、学校外でも膨大な仕事量をこなし、多様な経験をつみ、偉大なセンセーに薫陶を受け、実践の中で学び、それが自分の知識量を劇的に増やしているという確固たる自覚があった。

ーオレの伸びしろは他のだれよりも広いのだー

 成長の実感が、そんな買いかぶり気味の自信を支えてくれた。あるいは、途切れることを許さない集中力が、脳をハイにしていただけかもしれないが。

 手をかえ品をかえ、学校の訓練はすすんだ。ライバルたちのブースを見わたすと、同じ課題を与えられながら、各自の長板にはまったく別物と言いたくなる製品が並んでいた。同寸同形の筒形をつくるにも、ひとそれぞれに個性がでてしまうのだ。わずかに開いた形、つぼんだ形、口が端反ったもの、かかえこんだもの、まるく見えるもの、やせて見えるもの、華奢なもの、厚ぼったいもの、肌がフラットなもの、ごついろくろ目の残ったもの・・・様々だ。不思議なことに、同じ切っ立ち湯呑みでも和物に見えるものと、中華風に見えるもの、洋物に見えるものがある。クセによるものなのか、あるいはつくる本人のイメージによるものなのか。それらは些細な差異にすぎなかったが、見慣れてくると、だれがつくったものか一目瞭然に見分けがつくほどだった。

 格好や細工の良さとは別次元にある「強い形」「堅固な形」というものも、なんとなく理解できるようになった。結果的に同じ形でも、だらしなく挽いたものと集中して挽いたものとでは、どこかしらちがってくる。器をとり巻く漠然とした空気感のようなものだが、やはり魂を入れたものは、気のせいでもなんでもなく、輝いて見えるのだ。だからオレは、ステージを駆けあがるスピードよりも、高度な技術の獲得よりも、今つくるひと品の質を高めることに心を砕いた。そんな感じやすさが、やがて自分の芯となり、大いなる跳躍を助けてくれると考えたのだ。・・・とはいえ、この時点の最高感度でつくった逸品でさえも、先生やトップランナーたちの目にはブサイク極まるお粗末品に見えていただろうが。

 進みの早い者、遅い者が顕著になってきた。みんな教え合ったり出し抜き合ったりしながら、ゆっくりと、あるいは急ぎ足に、達人への道をのぼっていった。ライバル心はむき出しでも、同時に「同志である」という連帯感も芽生えはじめた。クラスでいちばん歳上の者と下の者とでは40歳以上もの開きがあったが、そんなことはほとんど意識されない。先輩も後輩もない。過去の履歴や年格好も関係ない。ここで意味をもつのは、今現在の実力と制作態度だけなのだった。

 さて、訓練内容は厳しかったが、学校の校風はおおらかだった。生徒総数50人あまりの小所帯。気の合う者同士が引かれあい、集まって、休み時間に活動する卓球部やテニス部、野球部、それに農作業部などが自然に生まれた。

 農作業部は、熱いナチュラリストたちのコミューンだった。オレが朝に登校すると、校舎わきの敷地を耕してつくったムチャな畑に、必ず彼らの姿があった。麦わら帽子のツバを寄せ合って、一心に草をむしったり、種をまいたり、心細い発芽にビニールをかぶせたりしている。農業の経験者、ひたすら緑を渇望していた都会人、将来はいなかで半農半陶・自給自足の暮らしを営もうと夢見る者・・・そんな連中の知識と実行力は、ついに粘土質な地土を肥沃なものに変質させ、豊穣な実りを実現した。キュウリやトマト、サツマイモなどを調理して昼休みにふるまう彼らは誇らしげで、やはりそれはそれで創作家の顔をしていた。

 テニス部や卓球部は、学校がおわると地元の体育館に集団で移動し、青春チックな部活動っぷりを展開していた。

 オレはというと、数少ない同世代の男子たちに交じって、昼休みのグラウンドで野球のまね事をする程度だった。以前やっていた草野球では、俊足巧打・強肩のキャッチャーとしてちばてつやリーグに名をとどろかせたが(ウソ)、ここでは試合を組めるほどの人数はいない。放りっぱなし、打ちっぱなしといったのんびり練習が主だった。

 とはいえ、真昼のキャッチボールは気持ちよかった。丘の頂上をならしてつくられた広大な芝生のグラウンドは、日光をまっすぐに受けて緑濃く、周囲の林にはキジが鳴くという、都会ではありえないロケーションだ。部員たちは、午前の訓練が終わると急いでランチをかきこみ、それぞれにグローブとバットを持って丘の頂上にダッシュした。みんなそれほど親密なわけではなく、弁当の中身をさらし合って食べっこするような間柄でもないので、各自がてんでバラバラの方角から集まってくる。仲良しごっこをするには、少々片意地がこびりつきすぎている年代なのだ。ただしそんな仏頂面でも、いったんグラウンドに集まると、ボールはのびのびとその間を飛び交った。女子が外野で球ひろいをしたり、先生や事務員氏がノックに参加したりという光景は、遠い日の思い出のようで、どこか甘酸っぱかった。ひろびろと気持ちを開放できる空間。それがこの「天国にいちばん近いフィールド」だった。

 ろくろ作業でまるまった背筋をめきめきと空に起こし、野球部員は思う存分に走りまわった。ただ残念なことに、野球をするには少なすぎるメンバー(褐色のスナフキンは参加せず、木陰で憂い顔にタバコをふかすだけだった)は、すばらしいグラウンドをいつももてあましていた。

 その広い面積がめいっぱいに使われるのが、年に5回きりある「体育の授業」だ。オレは体育委員に大抜擢されていたため、いつもこの時間の前には、はりきって下準備をした。実は例年、この体育の時間には「畑仕事」や「つる首型花ビンを長板で運ぶ練習」などというシブい訓練があてられていたらしいのだが、オレは担当委員として先生に陳情に上がり、特別に本格的な体育を復活させてもらうことにしたのだった。こうして仕切り屋は、はつらつと働ける場所を見いだした。

 企画した授業は「球技大会」といってよかった。クラスをくじ引きで4チームに分け、毎回大げさに「第1回イワトビ先生杯争奪キックベース選手権大会」などと銘打ってむやみに権威づけし、優勝を競わせるのだ。さらに先生を無理矢理に引っぱり出して、かっこいい開会宣言と泣かすスピーチ(プロットは全部オレが書いた)をさせ、テンションをピークに持っていく。授業の最後には、先生に「本日の最優秀選手」を決めてもらい、MVP杯(オレの自作)を受賞者に渡させてシメ。おかげで毎回、大いに盛り上がった。それはまるで「すばらしきせーしゅん」を画に描いたような光景だった。

 だがこの企画は若い男連中にはウケがよかったが、お肌のUVケアが気になる女子や、肩や足腰にろくろ疲労を蓄積する年配の諸兄にはひんしゅくを買った。こうしてひとり浮かれていたオレは、たちまち失脚した。バラバラの野武士たちをまとめるのは、実にホネの折れる役回りなのだった。

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